POSSE37号をいただきました。いつもありがとうございます。バタバタしていて、ご紹介が遅れてすみません。

今回は「これまでの10年、これからの10年」ということで、振り返り企画になっていて、とても面白いと思います。私は濱口先生のおっしゃることが参考になりました。どういうことかというと、単に「叫び」だけでは継続はしていかなくて、そこを理論化していったのが今まで長続きしてきた理由だろうという観察です。たしかに、「叫び」自体はどこにでもあり得て、運動的にはそれをどのように大きな「声」にしていくのかというプロセスがあり、その後にそれを洞察するということが必要になるのだろうと思います。POSSEが偉かったのは、最初から情報発信という機能と、この理論的に深めるということ、特に自分たち自身も勉強していくというプロセスを見せて来たこと、そしてそのための場として雑誌を重視してきたことです。私は仕事柄古い労働関連の雑誌を読むことも多くありますが、これだけ長期間にわたって刊行し続けて来たのは、稀なことであろうと思います。ほとんどはすぐに消えていくんです。そういう意味ではPOSSEと堀之内出版は歴史に名前を残したと言ってよいと思います。

既存の労働組合の機関誌も実は結構、よいものを残していますが、わりと組合の中でだけ読まれることが多いので、パブリックに訴え、影響を与えて来たのはすごいことだと思います。例外は情報労連のPEPORTでしょうか。個人的にもやや近いので、言うのもどうかなと思いますが、やはり対馬さんが個人でツイッターをやっているのも大事なことだと思います。連合総研のDIOも公開されていますが、あれはPDFであげているだけで、運動としてやっているという感じはあまり受けませんね。

今野さんたちにしても、運動だけでなく、研究もやっているわけですが、しかし、1990年代からの反貧困運動(その頃からそういう名前ではなかったとは思いますが)、それから2000年代以降のPOSSEの活動、それらの連携など、そうした動きに対して、まだ学術的な研究は追い付いていないように思います。もちろん、今野さんや渡辺さんが研究を積み重ねるということもあるでしょう。スタートの時には、木下さんだとか、遥かな先輩の研究者が支援したのはよく分かりますが、この間、彼らとは異なって運動とは距離を置きながら、しかし並走するようなアカデミックな研究者が出てこなかったのは残念ですね。まあ、実際は難しいか、運動の熱があるから、若いときにそれと距離を置いてつかず離れずにただ観るだけというのは。

POSSEの活動はもちろん、彼らのオリジナルなものですけれども、問題領域としては労働から貧困に至ったことで、高度成長期以前の古典的ないわゆる労働問題に出会ったとも言えます(労働のなかでも徐々に労使関係を重視しています)。ただ、よく知られているように、1960年代、つまり高度成長期に労働問題研究は貧困研究と労働研究に分離してしまいました。労働研究はほぼ潰えましたが、貧困研究は2000年代にリバイバルしました。でも、岩田先生の『貧困の戦後史』のなかで触れていますが、貧困研究者の間でも世代間の問題意識の継承が難しいことがあるようです(まあ、これはどこでもあると思いますが)。

私はいろいろと事情もあり、彼らとは少しずれた位置から、運動なり政策なりを考えることになりそうですが、編集長が渡辺さんに代わって、今後、どういう色を出していくのか、楽しみにしています。若者の声を発信するのは、POSSEの重要な柱だったわけで、その点から考えても世代交代は重要なステップでしょう。しかし、あらゆる組織にとって世代交代は難しい問題で、彼らが活動している分野のアカデミックはあまり成功したとは言えないわけです。という風に考えると、いかにも難しいことのように思いますが、実はあんまり心配していません。たぶん、彼らはまた新しい地平を切り拓いていってくれるでしょう。
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加島さんから『オリンピック・デザイン・マーケティング』をお送りいただきました。ありがとうございます。あとがきに名前まで書いていただきましたが、酒井泰斗さんプロデュースの史料データセッションに参加して、そこで何度かご一緒させていただきましたものの、そんなに貢献してないので、恐縮しております。今回の本は数年前に話題になった東京オリンピックのエンブレム問題を一つの軸にオリンピックを読み解いていくというものです。通常、歴史研究には時間がかかるといわれますが、加島さんはこの短期間で、これだけの成果を出してしまいました。驚嘆の一語です。

この本について紹介してもいいんですが、せっかくなので、もう少し掘り下げてみたいと思います。まず、そもそもなんでこんなことが可能だったのかを知るために、加島さんの博論本である『<広告制作者>の歴史社会学』を訪ねました。この本は簡単に言えば、<広告制作>にかかわる職業の分業の歴史を描いた本です。と、あえてここでは言い切ってしまいましょう。加島さんの主査が北田暁大先生であったこと、加島さん自身、「メディア」ということを意識されていますが、私の印象だと、割とクラシカルな分業問題を扱われていると思います。

私の専門に近いところでは、社会事業史研究というものがあります。そのパイオニアに吉田久一先生がいるわけですが、吉田先生は用語がどの時代に使われたのかに厳密で、「社会事業」という言葉が出てくるのは大正期です。ところが、では古代から連綿と続く「社会事業」という言葉は使われていなかったけれども、しかし行われていた営みを何と呼ぶのか、という問題に対して、便宜上、「社会事業」という言葉を使うとされました。この用語にこだわる手法をある意味では発展的に継承したのが、私の研究仲間でもある野口友紀子さんだと思っています。野口さんは「社会事業」の用法を訪ねて歩き、その領域が伸縮することに注目し、それこそが社会事業の特質だと切り返しました。

加島さんの「広告制作者」の歴史も、実はそれに似ていて、似て非なる概念を時代ごとに並べて、それがどのように展開していったのかを丁寧に後付けしてるわけです。ただ、文章にすると一行ですけど、これ、ものすごく膨大な作業です。私は肯定的な意味で言いますが、非常に辞書的な作業でもあるわけで、パッと思いつくのはOEDとかですかね。ただ、OEDは基本、テクスト情報ですけれども、加島さんの対象は図、デザインや場合によっては三次元の情報も入ってきますから、もっと大変なわけです。

ただ、大きなストーリーは、分業という問題を考えたことのある人間からすると、非常にオーソドックスなものだと思います。加島さんは「職業」という言葉で表現していますが、最初は独立した職業でなく、たとえば堺利彦の売文社なんかを取り上げて、広告制作「も」やっていたが、あくまで文章の代行業者だったことを強調しています。これが徐々に専業化してくる。そして、職業としての独立=専業化→専門分化というルートをたどるわけです。いずれにせよ、「広告制作」にかかわる様々な職種を広範に押さえているというのが加島さんの強みになってくるわけです。

加島さんが先行研究として掲げながらそれとは別の途を目指すと宣言している広告史、デザイン史というのは、経営史や経済史で言えば、技術史のようなものであり、経済史・経営史そのものではないけれども、技術がないと成り立たないところがあります。日本の経営史でそのことを最初に意識したのは脇村義太郎先生だと思います(そもそも日本の経営史が脇村先生から始まるわけですが)。なんで、そんなことを書くかというと、加島さんの仕事は、経済史・経営史としても非常に重要だと思うからです。まあ、いろいろ、分野を書いているのは、そういう分野の人にもぜひ読んで欲しいということです。

さて、そこで『オリンピック・デザイン・マーケティング』本体なのですが、私の見るところ、大きく三つの特長があるように思います。

第一に、前著との関係で言うと、専門職という見立て。デザイナーと広告代理店(電通)の立ち位置の違いは面白いです。それから、社会学のなかではそれこそ1970年代(ひょっとしたら60年代くらいかも)からイリイチ的な専門職批判以来の「専門性と大衆性」古典的な命題とも関連しています。加島さんはエンブレムの選定というきわめて技術的なレベルが高いと書けないテーマを扱いながら、実はクラシカルな問題を扱っています。まさに神は細部に宿り給うです。ちなみに、分業はデュルケームがそうですが、二冊とも、議論は細部にわたりますが、わりと大きな古典的なテーマを扱っているのはさすがですね。

第二に、資本主義(あえて古い言葉を使って恐縮ですが)という視点からの広告代理店を描いていること。これが本書の前半部分で、事実上、加島さんのこの力業はオリンピックはいかにして商業化したか、ということを描いています。この部分だけでも、経済史・経営史研究者、それから政策研究者も読む必要があると思います。まあ、電通はもともと親方日の丸のもとに作られた会社ですが、1970年代以降の政策へのコミットの仕方はひょっとしたら、このオリンピックが関連しているのかななどと想像してしまいたくなります。それくらい面白い。ただ、後半のエンブレムの選定とテーマが二層的になっちゃうなと考えていましたが、広告代理店が何かを理解しないと、先に進めないんですね。そういう意味では立派な布石になっています。ただ、ここだけ独立して読んでも十分に価値があると思いますね。

第三に、とにかく決定プロセスが丁寧に描かれています。しかも、補足説明もばっちりです(あ、ちなみに、重要な点は太字になっていて、かなり強烈に含意を説明しているのは、その見解についてのリスクを負っているという意味において、きわめて良心的だと思います)。これは、我々労使関係に縁の深い研究者は大好物ですが、おそらく実証を重んじるタイプの政治史、経済史、経営史研究の人たちにとっても読みごたえがあるのではないかと思います。

私は常日頃、日本の研究を英語で国際的に発信すべきだという意見には警戒的なのですが、『オリンピック・デザイン・マーケティング』は英語にして、世界中の人に読んで欲しいですね。加島さんが明らかにした我らが日本が世界に誇れるかどうかはきわめて微妙ですが、加島さんの研究は胸を張って世界に誇れるものだと思います。
武田晴人先生が『異端の試み』を公刊された。この研究は1990年代に行わた講義をもとに先生のホームページ上で公開されていたもので、00年代に日本経済史研究に何らかの関心をもって勉強した人はおそらく繰り返し読んだのではないかと思われる。少なくとも、私にとっては二村一夫先生のホームページと同じくらい意味があった。単著になって公開が終わってしまったので、将来的に継承されにくくなったのではないかと思うと、かなり残念だが、いずれ武田先生を知らない世代になれば、ウェブにあってもきっと読まれなくなるだろうから、それもまた仕方ないことなのだろう。

このタイトルを見たときに、まっ先に思い浮かんだのは、天野郁夫先生の教育社会学研究に書かれた論文のことで、私はこれを「異端」論文だと思ったら、こちらは「辺境性と境界人性」というタイトルであった。ただ、実際には言葉遣いが違うだけで、言っていることはきわめて似ていると思う。武田先生の場合、日本経済史研究には日本の資本主義を明らかにするという課題があって、いかにもその中心であった繊維産業をやっている石井寛治先生や高村直助先生にはそうした逡巡はないけれども、周辺的な産業である産銅業史をやっていたために、日本資本主義という正統との関係で自分を問い直す必要があった。天野先生の場合、教育領域には「正統的な教育学」との対比においてアイデンティティを論じられている。教育社会学の方は、私は社会福祉学と似ているという認識をもっていて、社会福祉学はそれ自体は今は崩壊してなくなったかつてのマルクス経済学にもとづく社会政策学を正統とし(その根拠は極めて怪しいと私は思っているが)、そこから独立した「固有性」を明らかにすることを長い間、課題にしてきた。社会福祉の歴史研究の中では、今でも具体的な人物を消して科学化することを重視する姿勢があることを聞くが、半世紀の間、昭和史論争の影響もなく、古い社会科学観を継承していると思うと、柳田国男の方言周圏論が思い起こされる。

異端であるには正統の存在が欠かせない。武田先生の本を通じて感じるのは「正統」をどう理解するのか、という徹底的な研究であり、これこそが先行研究を学習することの正道ではないか、と思う。そして、残念なことに、このような正道はどの分野においても踏襲されているわけではない、ということである。なぜ、このようなことが可能な領域と、難しい領域があるのかと考えると、私は抽象レベルの高い理論的なコア(時代によっては本質論)があるかどうかが重要な気がしている。

かつての日本経済史研究では、それは間違いなく、日本資本主義の構造的理解だった。少なくとも、東大経済では私たちの上の世代までは山田盛太郎の『日本資本主義分析』をよく読んでいて、一次史料を使い、史料の中に埋没しがちな研究の中で、結果的に抽象的な思考法を身につけていたように思う。比較制度分析は、それ自体が異端の試みであったが、従来の日本資本主義に代替するモデルを示し得たかというと、示せなかったのではないだろうか。これは、別にそこに可能性がなかったというわけではなく、いわゆる今の主流派経済学の学説史的な流れを踏まえなければならず、そこには制度学派との対立や、そこから新たに出てくる新制度学派的な立ち位置などを見通す必要があり、それはそれで結構、学説史を勉強しなければならないし、そういう意味での海図になるような研究もない。日本では速水先生たちが始めた人口関連の計量経済史もそうだが、新しい分野を始めようとすると、理論、一次史料、分析を揃えるところまでは行くのだが、その後、それを螺旋の様に発展させるのは難しい。比較制度分析は、既に発展した一次史料と分析が蓄積されており、理論の部分だけを置き換えようとしたのだが、このアンバランスさのなかで発展させていくのは非常に難しいことだったんだろうなと今では思う。しかも、用語が違うだけで、マルクス経済学と主流派経済学には経済学として共通する考え方もあるので、全部を置き換えるということにもならず、それだったら、新しくしなくてもいいんじゃないか、というようなことも起こった。青木先生も基本的にはマルクス経済学出身なわけだし。全然違うと言えば、旧制度学派の方だけれども、こちらは帰納型だから、純度の高い理論足り得ないし、そこに良い点もあるので、難しいし、法とかは国ごとに違うし、あまり現実的ではない(ことはないかもしれないが、私には分からない)。

ここらあたりになると、小西甚一先生の「雅」と「俗」のバランスを描いたことと通じており、日本文藝史を睥睨して盛衰があるのだから、人文社会科学に盛衰があるのも仕方ないという気もしてくる。ただ、天野先生が論じているのは「俗」の部分、形式が整っておらず、だからこそ豊かな可能性があるという話で、これは非常に分かりやすいのだが、武田先生の方は「雅」を一方で極めながら、「俗」たらんことを重視している点が面白い。比較制度分析は一つの「雅」を代替する試みだったが、そういうものが出ること自体、一つの歴史(研究史)の転換であったのだろうと思う。ここらあたりは武田先生の岡崎先生評価に関するところを読むと示唆深い。
先週末の土曜日、愛知学院大学で行われた社会政策学会に参加してきました。朝、小野太一会員の近藤文二の学説史的検討と、木下順会員の井上友一と留岡幸助論を聞いた後、本田さんの本の書評セッションに顔を出しました。ただ、木下さんへの私の質問は皆さんには分かりにくかったかもしれません。その内容というのは、一木が農村の人材供給としての実業教育を構想したこと、岡田良平と井上がドイツで一緒に実業教育を調査したこと(これは木下さんのペーパーで初めて知りました)を踏まえて、岡田・一木の兄弟の家業である報徳運動と、近代=西洋を輸入していた彼らのの役割と井上の関係を聞いたものでした。

午後からは我々のセッションでした。私、時計の文字を見誤って3分短く終わってしまいました。あと、3分長かったら、加瀬先生がやられた先行研究と私の研究がどういう位置づけになっているのかお話ししたのですが、まあ、大勢には影響ないでしょう。堀川さんの方も時間をやや短く抑えてくれました。その後、兵頭先生から長めのコメントをいただきました。ただ、かなり長めにとったフロアとの応答は、ほとんど質問が出なかったのはやや残念でした。

何がよくなかったのかなと出てくれていた知り合いの人を中心に感想を聞いてみたんですが、結論から言うと、まあ、仕方ないし、このままでいいかという感じでした。ただ、一つショックだったのは、社会政策学会だから、大まかな学説史の流れはみんな理解しているのかと思ったら、そうでもないという意見を聞いたことでした。具体的には、労働問題とか、社会福祉の貧困からサービスへの流れとか、「政策」研究として問い直さなければならないという話とかを枕にしたんですが(この問い直さなければならないというのを5回くらい言ったそうですが)、、学説理論史研究だったら普通なんだけれども、それは多くの人にはもう通用しないということでした。私の感覚では、学説理論なんて大げさなものではなくて、枕として一般常識を喋ったに過ぎないのですが。

兵頭さんのコメントは戦時総力戦体制論から位置づけてくださるもので、これによって分かるように翻訳されたという方もいたそうですが、兵頭さんと私のアイディアはちょっと違います。それはどういうことかというと、簡単に言えば、従来の総力戦体制論はいずれにせよ一国内の話に過ぎないのですが、私は総力戦の問題を第一次世界大戦から考えていて、とりわけヨーロッパで各国が総力戦体制を経験し、その帰結として安全保障体制であるベルサイユ体制が出来、それがILOにもつながって、そこが戦後の社会保障=福祉国家の話にもつながっている。開発とか、人口とかも、そういう大きい文脈で考えなければならない。こういうのが大まかな趣旨です。そこは、やりとりのなかでクリアになったかなと思います。

私の話の実証的なポイントは、雇用行政の所管を示したこの文書です。この3ページを見てもらうと理由が書いてありますが、産業に関連する(農商務省)、救済、社会事業に関連する(内務省)、地方官庁及地方自治体との連携が重要(内務省)で、2対1で内務省になっています。それから、人口食糧問題調査会(内閣府)で商工省の幹事だった吉野信次(と永井亨)が労働需給だけでなく生産力増強を提言し、これは吉田茂社会局長官も受け入れています。吉野の提言の中で「地方工業の分散化」が訴えられ、これが1930年代後半から石川栄耀の使いだした「国土計画」に置き換わっていきます。これは高度成長期までの「均衡な国土の発展」へと引き継がれていくという話でした。

質問は出されなかったけれども、終わった後にお話ししたら、分野が労働ではなくても歴史研究をしている方で、自分の研究に引き付けて刺激を受けてくださったという方もいらっしゃいました。報告を聞いていなくても、数分立ち話をしただけでも、分かってくれる方もあり、やっぱり作法が違うと厳しいのかなあ。

それよりも「均衡な国土の発展」概念に関する説明で、今の常識から言えば、これは土木に結び付けて理解されると思ったので、苅谷先生の「面の平等」の話を出したのですが(かえって分かりにくくなった気もしますが)、そこで「教育」というワードを出したことで、あとで別の方から質問を受け、そのあと、ゆっくりお話しすることになりました。といっても、私の報告と関係なく、その方が教育なさっている看護の実習学校の苦境をお伺いすることになりました。それはそれで今の日本の職業教育の論点が凝縮しており、私は私で勉強になったのですが、なぜ私に話しかけて下ったのかはよく分かりませんでした。話の中で何かを感じ取ってくださったんでしょうね。

つくづく、今回の学会報告は、人の「理解する」行為の多様さを感じさせる機会になりました。
急に寒くなりましたねえ。

今日は今週末に名古屋の愛知学院大学である社会政策学会の告知です。またまたショートノティスですが、忘れていたわけではなく、どう書こうかなと思っているうちに、こんな直前になってしまいました。

10月28日(土) 12時50分から
愛知学院大学名城公園キャンパス 1102教室からです。

今回は労働史部会として分科会を立てまして、そこで報告します。私と中央大学大学院生の堀川祐里さんの二人で報告します。社会政策学会のプログラムはここにあります。これには大原社会問題研究所の2017年叢書プロジェクトで議論してきたことを発表しようという意味もあります。今回はこれ以上ないだろうというくらい事前打ち合わせを重ねました。

分科会のタイトルは、戦時労働政策の展開ということになっています。ただ、我々が考えている射程はもう少し広くて、プリミティブな福祉国家をもう一回考えていこう、その最初の準備段階にしようということでお話しします。プリミティブな福祉国家というのは、ベヴァリッジプランです。雇用と公的扶助をベースにした生活保障の体系です。それで、簡単に言えば、現在も多くの人は社会保障の問題は考えるわけですが、それと雇用の問題をトータルに考えるということはあまりなくなっているように思います。というよりは、福祉の人は福祉なので、労働分野と対話することがなかなか難しくなっている。だから、問題意識としては、ここの対話が必要だろうと思っています。

もう一つの問題として、社会政策では過去の経緯から労働政策が社会政策に含まれるということは自明のように扱われています。私からすると、学問的に位置づけているというよりは、学会党派的な妥協に見えるのですが、社会政策は労働政策と社会福祉政策というような言い方がされることがあります。ただ、労働政策とは何か、とは改めて問われていい問題ではないかと思うのです。社会政策学会では戦後創業期に社会政策本質論争があったため、抽象論から実態調査へと強調された時代があり、その過程で労働経済論に移行しようとしたのですが、これは根本的に誤りであったと私は思っています。どういうことかというと、労働経済論は労働政策論ではなく、より広い労働問題を取り扱うことになった。それはそれでいいんですが、そうなると、もう別分野なんですね。ありていに言えば、ほとんど労使関係論になってしまった、ということです。そうであれば、労働政策が何かというのは改めて問われていい問題ではないか、と思うのです。もちろん、これについては中西先生の議論なんかがあるわけですが。

とはいえ、これはあくまで私の個人的な問題意識で、分科会としてはそこまで突っ込みません。あくまで戦前から戦時期までの労働政策をトータルで考えてみようということです。

私は雇用行政についてお話しします。雇用行政の所管は実は最初から農商務省じゃなかったんですよ。という話とかをしつつ、大河内先生も参加された昭和研究会の雇用行政=職安の規定の仕方、社会事業から労働力補給機関へという位置づけは間違っていたのではないか、というお話をします。

また、堀川さんは女性労働政策についてお話しします。今まで労使関係中心のときは男性労働者とりわけ重工業中心でしたが、政策という意味では女性が中心にする話が重要になります。なぜなら、シンプルに工場法は女性と児童を対象にしていたからです。ここのところは大河内先生の出稼ぎ型論への批判があまり生産的でない形で展開してしまった影響もあり、うまく接合されなかったんですね。

堀川さんの報告はわりと詳しくされると思うのですが、社会政策学会ではフルペーパーを事前に配布することになっているので、私の報告では事実関係の詳しい話はしません。フルペーパーのポイントを大雑把に話して、議論の素材を提供したいと考えています。ですが、ここに一つの問題があって、学会員は事前にフルペーパーをダウンロードできるのですが、当日参加の学会員以外の方はフルペーパーを読むことは出来ません。ですから、もし名古屋で私たちの分科会に参加される学会以外の方は、私にメールをいただければ、事前にフルペーパーをお送りします。A4で13枚くらいです。というか、長々書いてきましたが、ここが重要なお知らせでした。

私は朝からの歴史の報告を聞きに行って懇親会まで参加するつもりなので、もし会場で見かけたら、気軽に声をかけてくださいね。