法政の大先輩である本田一成さんから新著『チェーンストアの労使関係』をお送りいただきました。ありがとうございます。ここ数年読んだ本のなかでもっともすごい本なんじゃないかなと思うくらいです。大著なんですが、これも本田さんからすれば、詳細に書いた紀要論文のダイジェストという性格なんですね。とにかく、冲永賞をはじめ、今年の労働関係の賞は総ナメだと思います。労使関係に関心ある人は読むべきです。

まず、この本は労使関係史という形を取っていますが、経営史、産業史という色合いも強く持っています。私も十年くらい前までの産業史しかフォローしていませんが、日本経済史系の産業史には、実は労使関係研究ではあまり重視されない隅谷三喜男の『日本石炭産業史』以来、労使関係を重視するという視点がある時期までありました。一人が打ち出してもフォロワーが学説史をきちんとする人たちじゃないと定着しないのですが、少なくとも経済史では武田晴人先生や橋本寿朗先生がその役割を果たしたわけです。でも、本田さんは別にそうした文脈でこれを書いているわけではない。産業史も徐々に、労使関係色が弱まっていっていますし、歴史研究といっても、その時代の世相を反映する側面があるので、こんなに労働運動が退潮すれば、現在の若手に労使関係を重視する視点を期待するのがそもそも無理なのです。でも、その空白のところを埋める研究が強い意志をもって、というよりは危機感とともに出てきた、とも言えるでしょう。

もう一つ、本田さんは労使関係研究のなかでは異色で、労働組合側からだけ見ずに、会社側から見ます。単純なところで言えば、本田さんの既に出された研究は経営研究です。本田さんが法政の経営出身ということとも関係するんでしょうけれども、経営という視点が実は一貫している。本書で本田さんが採用したのは高宮誠さんの研究ですが、結局、高宮さんが早くに亡くなってしまったこともあって、経営学のなかにちゃんとした労使関係研究が日本では根付かなかった。これは惜しむべきことです。その視点を本田さんは継承しています。実は、日本ではなぜか組織論的に労働組合を分析するというのがあまり流行らなかった。ウェブ夫妻の古典を読むと、組合の組織研究ですし、実際にある世代までというか、労使関係研究を志す人は一度はウェブ夫妻の本を読んでいるわけですから、考えてみれば不思議なことです。ただ、念のために言っておきますが、先人が組織という問題を考えなかったわけではなく、あくまで研究という形式になったときに、組織が前面に出てくるものが少なかったということです。他の分野もそうかもしれませんが、労使関係研究って口伝も結構、多いよなという気もしますね。

私は紡績業を研究していたからよく分かるんですが、ゼンセンは繊維の組合で、その最初の組織は日本紡績協会や紡績大企業の存在なしでは成立し得なかった。ですが、誕生時こそそうであれ、組織を見比べてみれば、あの当時の紡績企業のいずれよりも多角化に成功したのはゼンセンです。会社とか組合とかを外して、単に組織として注目すると、ゼンセンほど興味深い対象はたしかにないわけです。そこに切り込んでいった、というのが一つ。ただし、もう一方で、この本はあくまでチェーンストアという小売業界から接近している。だから、小売り組織化の歴史のなかでゼンセンは重要なんだけれども、その前の時代についてももちろん、分析されています。その上でゼンセンが分析されています。

言い換えれば、この本は多角化したゼンセンという組織の原理を一方で分析していて、他方でチェーンストアという産業の労働運動を分析しています。そういう意味では、労働組合側からだけれども、多角化と産業の関係を論じた面白い視点として読むことも出来ます。だから、従来の産業史が日本経済史をベースにしていたとすれば、これは経営史的なアプローチで産業史を描こうとしたともいえるんだけれども、その対象が会社側からというより、労働組合と労使関係からというところが二重に面白いですね。これは日本ではゼンセン以外では成立し得なかったと思います。

この本全体は、結構詳細なケースなんですが、他方で本田さんはすごく理論的にも考える人で、ゼンセンの組織原理をZシステムとか、Z点とかいう概念で提示しています。まあ、ZはゼンセンのZなんでしょう。ただ、この点は推薦文を書いた逢見連合事務局長もコメントを控えていますが、私もどれくらい言えるのかはよく分かりません。私の理解したところだと、Z点とは量が質に転化した時点で、その量とは流通部門の拡大です。大産別主義と強固な内部統制を軸にしながら、それがどこかで転換したと見ている。

具体的な論点は、それこそすごく面白いですし、労働組合の活動について知るためにも本当に重要なことが網羅されていると言っていいと思います(労働時間、賃金、一時金、レクリエーション、大企業労組と産別、ナショナルセンターの関係など)。ただ、その詳細をここで書いてもあまり意味がないので、紹介しません。こういうのは何人かと勉強会をやりながら、議論するのがいいかなと思っていて、現在企画を構想中です。まあ、しかし、私が戦後労働史に取り組めるとしても、数年後だなあ。
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著者の仁平典宏さんから『市民社会論』をいただきました。ありがとうございます。

濱口さんが既に紹介されていますが、「幅広くシビル・ソサエティをめぐる諸問題を解説している手ごろな本」という評価は私も同意します。これで十分だとは思いませんし、ここに書いてある内容をそのまま信じるという形で勉強するのは、むしろやめておいた方がいいと思いますが、なんといっても幅広い範囲をカバーしているという点において類書がない中では価値のあるものだと言えるでしょう。ざっと一読する必要と価値があるという意味において、必読文献です。端的に言って、持っていると便利ではあると思います。

本書のカバレッジの広さは、「偏り」「バイアス」を避けようという姿勢(編集方針)とも関連しているのでしょう。しかし、その従来の研究とも、著者たちの市民社会論とも関係ない私から見ると、結構、偏ってるよなという印象が拭えないというのも否定しがたいところでした。それから、これを読んでも実務的にインパクトを与えられるようなものはほぼないんじゃないでしょうか。

基本的に、就職していない若手の業績と、それからいただいたものについては厳しく批判しないというのが、このブログの方針なのですが、本書には類書がなく、多くの人が読み、重要な役割を担うだろうということが予想されるので、やや辛めに批評しておきたいと思います。

はじめにに市民社会論は「法学、政治学、経済学、経営学、社会学などの伝統的な学問領域の下位分野」として研究されてきて、実務家が経験にもとづいた市民社会論を展開したために、偏りがあったと書かれています。まず、この認識が正しいかどうかなのですが、一般論としては私も「社会政策」という学際領域をやっているので、従来の学問領域との関係をどうするのかというのは悩ましい問題だなというのはよく分かります。しかし、事実としては戦後の市民社会論は大きく言って戦後革新というグループにおいてわりと横断的に研究されてきたと思います。ですが、その故に偏ってきたということも事実です。そして、その偏りは新自由主義=保守への反撥という意味では、私なんかから見れば、本書においてもリニューアルされて再生産されているなと感じましたし、何なら拡大させているのではないか、という気さえもしました。はじめにの希有壮大な問題意識が実現されているかどうかは疑問ですが、社会運動研究には大きく社会学の社会運動と政治学の新しい社会運動の研究があって、この両者をカバーするという狭い意味においては本書は成功していると思います。

ただ、ざっくり言うと、諸外国の研究の紹介をしながら、それを日本の事例にあてはめるという形式がそもそもあまりうまくないです。これは営業上の関係からも仕方なかったのでしょう。一般論的に言うと、外国の研究ももちろんそれぞれの具体的な事実があって、そこから抽象的なレベルでの理論が議論されるわけです。その文脈こそを我々は知りたいのであって、理論が外国なら、事例もその外国のものをやってくれというのが営業を度外視した読者の一人の私の希望です。この点では、濱口先生は日本のものと、EUのものをきっちり分けられています。私はそういう意味でも『EUの労働法政策』が好ましいのです。

たとえば、ソーシャル・キャピタル論は、普通はコールマンが人的資本批判(発展的な意味で)から始まりますが、この本ではパットナムから始まります。パットナムからでも構わないのですが、それ自体政治学的文脈でもあり、パットナムを通じたアメリカ的な文脈でもあります。パットナム以降の研究動向の紹介もよいのですが、そもそもなんでパットナムの議論が出て来たのかは2段落くらいで説明されても初学者にとってはよかったと思います。私は別に動向だけでもよいのですが。

もう一つは、仁平さんの政治動向の話です。どうもこのところ、仁平さんの新自由主義批判の議論が非常に影響力を持っているようなので、日本における歴史的文脈では別に考えなければならない問題系を指摘しておきたいと思います。いつも言っていますが、この本の中にもたまに出てくる松下圭一先生をどう理解するのかが一つのポイントです。60年代までは社会党構造改革派のブレインでもあり、シビル・ミニマムを通じて市民運動にも深く関わりました。松下先生の敵は大きく分けて二つ。保守、しかし、この場合は自民党よりも背後でそれを支えた旧内務省的なものであり、この時の対立軸は中央か地方かです。実際、松下先生は革新自治体にも影響を与えましたし、その著作は地方公務員によく読まれてきたわけです。もう一つは、社会党内の争いで、主として社会主義協会の太田薫、岩井章、66年までの総評指導部でした。『政治家の人間力江田三郎への手紙』の中の「構造改革論争と《党近代化》 」でははっきり労働運動との立ち位置が書かれています。こういうことを意識しないと、革新と保守のねじれ、なぜ革新の中から60年代初頭に出て来た構造改革が、1990年代後半以降、保守のなかで進展していったのかというような問題を考えることが出来ないでしょうし、脱政治化しないといわれても、どこに向かえばよいか分からないのではないでしょうか。市民運動と政治への接続の問題は現実の活動を飛躍させるために、政治と関わる必要があったという事例の方が分かりやすいと思います。

逆に言えば、日本の文脈を言うのであれば、市民社会論と銘打ってこなくても、その当該分野の研究はそれなりにあるのであって、そういう研究動向および日本社会における歴史的展開を紹介するという形でもよかったと思います。それぞれの章で文字数の制限がある中でみなさん、工夫されているなというのは分かるのですが、それでも外国の理論と日本の文脈のつながりが遠すぎると私は感じました。

その他、個別にはいろいろ不満がありますが、書いていくときりがないので、このあたりにしておきます。ただ、逆に、これはよかったというのを紹介します。

私がバランスがいいなと思ったのは、「第2章 熟議民主主義論―熟議の場としての市民社会―(田村哲樹)」ですね。正直、これを読むまで熟議を胡散臭いなと思っていただけですが、これは学説史整理を通じて主要な論点がよく分かります。今の日本の現状についてはそもそも分量も少ないので、不満が残りますが、それでもお勧めできます。実践的には『日置真世のおいしい地域(まち)づくりのためのレシピ50』の方が良いと思いますが。

それ以外でしたら、

第11章 法制度―市民社会に対する規定力とその変容―(岡本仁宏)
第13章 ローカル・ガバナンス―地域コミュニティと行政―(森裕亮)
第15章 公共サービスと市民社会―準市場を中心に―(後房雄)
第16章 排外主義の台頭―市民社会の負の側面―(樋口直人)

あたりがいいかな。宗教、国際社会におけるNGOを取り上げたのはよいのですが、うーん、お勧めできませんねえ。NGOの方はちょっとどの本(読みやすいサイズでは)を読んだらいいのか分かりませんが、宗教の方は稲場圭信『利他主義と宗教』弘文堂をお勧めします。あと、この本は企業と組合(ないし企業家、組合活動家)に対する理解が浅いのですが、この点は組合については高木郁朗先生の『共助と連帯』の増補改訂版が去年、明石書店から出ましたのでそれを読むといいと思います。企業の方はいいのがないですねえ。古いのだと山岡義典先生のものとかあるんですけどね。ローカル・ガバナンスはやっぱり町内会にいきなり行かずに、基礎自治体や都道府県庁との関係ももう少し触れて欲しかったです。中央と地方という対立のときの地方はその単位だと思うので。ヘイト文化は、日本では公務員バッシング、組合バッシングくらいからではないかと思うのですが、そのあたりとのつながりももうちょっと知りたかったですね。

ただ、いろいろ言ってきたものの、今までの市民社会論については植村邦彦『市民社会論とは何か』という思想史的文脈でのよい研究、かつよい入門書がありますから(この本でもところどころ引かれています)、その次の段階の基本テキストとしてこの本は申し分ないと思います。私の不満は、技術的なものと、そもそものこの分野に対するものとの二種ですが、いずれにしても、この本を一つの水準として、どんどん競合する本が出てきて欲しいと思います。そう、そういう意味ではメルクマールになるようなレベルの本として推薦します。
濱口先生から『EUの労働法政策』をいただきました。ありがとうございます。

おそらく、労働法関連からのコメントはそのうち、どこかで紹介されると思いますので、私は違った観点からこの本をお勧めしたいと思います。この本は、タイトル通り、EUにおける労働法の概説であるわけですが、その前提としてEUにおける社会政策(ソーシャル・ポリシー)を丁寧に説明しています。この点から今日は特にお勧めしたいのです。

日本では、社会政策研究の中で労働、とりわけ労使関係を重視したグループと、社会保障グループというのがきれいに分かれています。前者が作ったのが日本労働協会であり、後者は後に社会保障研究所を作ることになります。別に、そこを対立的に捉える必要はないのですが、労働政策と社会保障を含めた社会福祉政策が社会政策と言われながら、なかなかこれらを概観するよいテキストは今の日本では見当たりません。というか、通常、研究所としてはJILPTと社人研はすみ分けています。ただ、他の国というか地域のことを知るためには労働時間規制をどうしているかという細かい問題も必要ですが、その背景として、まさにヨーロッパのソーシャルという感覚が何かを理解する必要で、そのどちらが欠けてもいけません。そういう意味で、この本は非常に重要です。ソーシャルは2000年代以降、何人かの学者の努力によって、再評価を受けるに至りました。ただ、その紹介者の多くは実務というよりはやや思想に重きを置いているように思います。それはそれで価値があるのですが、実務的な意味で、社会を変えていこうと考えている人にはぜひこういう本こそ読んで欲しい。

日本には厚い入門書という考えがなく、どうしても薄いものから入ります。ですから、いわゆるhandbookという発想がほとんどない。ただ昔からそこのところはみんな考えていて、日本では事典がややそれに代替する役割を果たしている場合があります。事典と名乗らず、単に辞典という場合もあるので、そこは内容を確認しないといけません。『EUの労働法政策』はこの事典的役割を相当程度、果たしていると思います。ですから、全編、読めないと思っても、文字通り備えておくとよい本です。

国際比較的に言えば、今は東アジアが注目されたりしていますが、地域としてのアジアとヨーロッパでは全然違います。ヨーロッパはローマ帝国、キリスト教、ローマ法という統治秩序をかつて経験していますが、アジアにはそれに該当するような共通経験はまったくないと言えるでしょう。モンゴル帝国が広大な土地を支配しても、その後の歴史で別にモンゴル帝国に擬して国家づくりを試みる国はありません。その点、日本を含め、いわゆる西洋国家を模倣して近代国家を作った国にとっても、ヨーロッパという括りは大事で、それを専門としない者にとってはヨーロッパの「ではの守」は大変貴重で、かつ、特定の国民国家でなくヨーロッパ地域全体を射程に収めているというのはさらに希少です。

まあ、しかし、そういう大きな話をすると、なんで労働という狭い範囲なのに、と思われるかもしれません。しかし、世界的にはILOの存在も大きいんですよ。ILOは基本的には第一次世界大戦というヨーロッパの戦争の戦後処理で作られたものですから、国際的な統治の問題に深く関わっています。1927年に世界人口会議が開かれますが、やはりILOの影響ありますからね。そういう意味でも、ヨーロッパの労働法政策から、いろいろ考えるというのは、なかなか有効な手段ではないかなと思います。まあ、ただ、このあたりは私も勉強中なので、もう少し先で考えていきたいと思います。

啓蒙書には啓蒙書の役割があるので、別にそれはそれでよいんですが、出来れば、その中から少数でも『EUの労働法政策』『労働法政策』のような体系的政策理解、『日本の雇用修了』の法社会学的視点などを継承して深めていく人が出てきてほしいなと期待しています。そして、折に触れて言っていますが、そろそろこちらも改定されたので『労働法政策』も新しいものを出してほしいと念を押しておきます。

稲葉さんから新刊の『政治の理論』中公叢書が送られてきて、早速、二日かけて読んでみた。いろいろな感想が駆け巡っていったけれども、我々の学問的なアイデンティティでいうと、社会政策は政策である以上、最後は稲葉さんが示したような広義の「政治」学に戻っていかなければならない、ということだ。それはある時期には国家学と呼ばれてもいた。この問題意識はどれくらい共有されているかどうか分からないけれども、非常にプラクティカルなレベルでは岩田正美先生の『社会福祉のトポス』を例外として、私が直接、知っている人では稲葉さんとしか共有していない、と思う。イギリス流のソーシャル・ポリシーは、もともと日本と違って社会学と社会福祉(ないし社会事業)学が分離せずにソシオロジーだったところに、パブリック・ポリシーを潜り抜けて生まれたという経緯があるので、それは政治学を潜り抜けてきたともいえる。私に言わせれば、前段のソシオロジーの部分は、日本では社会福祉学でほぼ事足りる。だが、肝心の政治学との接合が必ずしもうまくいかなかった。その理由を書くのはここの趣旨ではないので省略したい。

やはり世代差というのを強く感じた。もちろん、稲葉さんと私では一回り以上、もっと離れているのだが、別に我々の方が若いから稲葉は古いなどというバカなことをいうつもりはない。むしろ、まったく逆で、我々後進のものには書けないなと思ったのである。というのも、稲葉さんは東西冷戦体制の中でアカデミックなトレーニングを受けて、その途中でその体制自体が崩壊し、それに伴って崩壊していった学者も横で見ている。それはその時代に居合わせなければ経験しえないものである。

身もふたもない言い方をするが、日本の社会政策という研究領域は、領域社会学が生まれる以前から存在しており、その時代からの伝統である社会調査および歴史研究によって今なお命脈を保っている。大河内以降、というよりは、より広く日本資本主義論争以降のマルクス経済学が没落しても大して変わらないのはそういう理由による。私はこのポスト・マルクス主義の共通言語の必要性をずっと言ってきて、それはどの領域でも一定の賛成を得られるのだが、実行に移すとなると難しい。それに何より、やはりマルクス主義諸学と決別するにせよ、あるいは現代的にリニューアルするにせよ、ギリギリ稲葉さん世代までのマルクス諸学を潜り抜けてきた人たちがやるしかないのではないか、という気がした。実際、稲葉さんの仕事はそういう性格が強くある。

今回の『政治の理論』は、岩田正美先生の『社会福祉のトポス』と案外、平仄が合っていて、稲葉さんが言う「有産者市民」というのは岩田先生のいう「一般化」の対象と重なっている。ここでいう一般化とは一般的な労働・生活様式を安定的に維持することを目的として、獲得される社会福祉というか政策のトポスを得るためのロジックである(ありていにいえば、多くの人が対象となって、予算が要求される政策である)。だが、一般化の議論だけでは、特定化のロジックを取り込むことはできない。この隘路をどうクリアするのかは難しい。有産、無産という言い方にこだわるならば、無産から抜け出すことが出来ない人をどのように組み込むのかということでもある(実際には特殊化の対象はもう少し様々なフェーズに分かれる)。ただ、無産者という言葉をスタートに、雇用社会を解き明かしていくのは稲葉さんのオリジナルな論じ方だろう。だから、6章、7章は稲葉さんの資本主義論である。

アーレントとフーコーを足掛かりにして、経済学・社会学の最新の知見を踏まえと、謳い文句にはあるが、本書にはほとんど社会学は出てこない。社会構築主義の話が一行出てくるくらいで、ほとんど影響はないし、『社会学入門』の最後で重視したマートンの中範囲の理論はさらっと登場させる余地はあったと思うし、登場させていれば、二つの本の連絡が出来ていてよい感じだったと思うけれど、登場していない。それには理由があって、この本は冒頭で規範的政治理論と実証的政治理論を区分して、前者に立つと明言して、そもそも「政治」とは何かを考察することになっているのだが、その試みは実際は政治経済学の復権であろうと思う。そこにはあまり社会学の入り込む余地はない。

ちなみに、日本でも戦後、政治学と経済学を結び付けようという動きがあって、たとえば猪木正道先生(河合栄治郎の弟子)は成蹊大学の政治経済学部を作るのに尽力した(が、60年代の改組で政治経済学部はなくなっている)。猪木、関嘉彦といった社会主義右派の河合学統は、政治学に流れて行ってしまい、しかも、河合事件の影響もあって、大河内ら社会政策組と交わることはなかった。これも日本の社会政策が政治学、行政学系の政策科学とあまり交差しなかった原因の一つであろう。思いついたので、忘れないうちに書いておく。

話を元に戻す。この本全体を貫いている前提は、フーコーの統治論を媒介に、政治の意味を拡張させるという姿勢である(アーレントの「政治」が狭いというのはここで召喚される)。端的に「コーポレート・ガバナンス」と表現しているが、これはいわゆる企業統治のことではなく、コーポレートは広く法人を意味しており、法人をどう統治するのかというほどの意味である。こうした意味で「政治」を使っていたのは濱口さんかなと思う。広田(照幸)理論科研のときの講演はそういう含みがあった。ただ、文脈によっては狭い意味での政治活動(ロビーイングによる政策の実現)などで使う。稲葉さんと私の日教組まわりの話のエントリは後者の意味である。個人的なことを言えば、労使関係研究にわりと丁寧に付き合ってきた稲葉さんがあえて「コーポレート・ガバナンス」というところもポイントだとは思う。

大きく言えば、本書の中にも書いているが、政治学が経済学を下位に置こうととしながら、逆に経済学の下位に置かれてしまったという状況を前提として、「政治」と「経済」を考え直すというのがこの本の大きいテーマであろうと思う。だから、いわゆるギフト・エコノミー的なものはほとんど出てこないし、非営利的なコーポレーションも出てこない。ここが「協同」とか「連帯」という言葉が出てこない原因でもある。それは第9章で宗教のアンビバレントな扱い方にも見えてくる。この辺りはそもそも「宗教」がキリスト教的な古い概念で考えられてるなあという感じもするし、十分に論じられているとは思えない。だが、稲葉さんの懐疑の精神についてはこの章を読むだけでも十分に伝わる。宗教というよりは、社会主義などの運動の「べき」論が不毛な結果を生んできた歴史から来る、それ自体は全うな警戒心ではあるのだが。

この本を読んで、じゃあ見通しが良くなるかと言えば、うーん、分からん。少なくとも政治学の動向を知らない人が読んでも、地図にはなり得ないと思う。具体的に言うと、たとえば、政治学のなかでは新しい社会運動という、もうそれ自体古くなってしまった研究領域や、住民参加のまちづくりなどの領域があり、さらにはそこに専門職がどのようにかかわるかなど、それは学際的な要素を含みながら、今なお重要なテーマであろう。これは稲葉さんが最後でいう地方政治、コーポレート・ガバナンス、労使関係と陸続きなのだが、そういうことは書いてないので、いきなりは分からない。だから、高校の公民科レベルの知識がないというのはちょっとした脅し文句で、基本的には一回入門してなんとなく政治学が分かった人が、もう一回政治を考えてみようというくらいじゃないとしんどい。ただ、この政策作成プロセスへの参加という論点になると、実は社会学が貢献する余地がかなり出てくるのだが、本書はその手前で終わっている(し、そのこと自体は悪いことでもない)。

中公新書には、飯尾潤『日本の統治構造』、清水唯一朗『近代日本の官僚』、門松秀樹『明治維新と幕臣』、岡田一郎『革新自治体』などの基本書がそろっているので、それだけで現実的な日本政治を考える際には既に見通しが良い。思想では宇野重規『保守主義とは何か』が出たので、これと稲葉さんの本を新書で出そうとしてたのだから、さすがである。ただ、今回の稲葉さんの本はこれらに比べると、オリジナルな思考というか、自分で考えなおすというのが強く出ており、やはり分量だけでなく、その内実からも叢書にせざるを得なかっただろう。

冒頭で「右も左もわからぬ若い学生さんよりは、大学を出てからしばらく経って、仕事と家庭で難渋し、テレビで見るだけでなく実際にわが身に降りかかる政治の不条理に少しばかり慨嘆して、学問というもののありがたみが少しばかり身に染みてきた、向学心のある社会人の皆さんの方が、本書を楽しんでいただけるだろう」と書いてある。こういう記述を読むと、普通の人は「えっ?」と戸惑われるかもしれない。稲葉さんの本はかつては「ヘタレ・インテリ」による「ヘタレ・インテリ」のためという趣向で書かれていた。普通の人には何を言っているか分からないと思うが、ある種の斜めに構えた自虐的な毒っ気があって、その名残がたまに出る。とはいえ、稲葉さん自身は『不平等との闘い』以降、というか、東日本大震災以降、かなり真っ直ぐに語るようになられたと思う。ただその補正具合はここら辺が限度、つまり正面を向き切らないというところが懐疑の精神とも繋がっているのだ。

「政治」について、あるいは「運動」や「労働」について考える皆さんには、間違いなく刺激になるところが多いと思うので、ぜひ頑張って読んでみてほしいと思う。大切なのは、多くのことを知るのではなく、自分なりの経験や知識をもとに考えてみることだ。稲葉さんの本の大事な美点は「楽しんでいただける」という娯楽性を忘れていない点で、難しいので全部を理解するのはできないかもしれないけれども、頑張った先に楽しめる境地は確実にあるし、それは頂上まで登らなければ味わえないわけでもない。
朴沙羅さんから新しい論文、「越境者の輪:占領期北東アジアの「密航」「密貿易」を支えたネットワーク」『理論と動態』9、2016年12月をいただきました。ありがとうございます。普通に読み物として面白くて、あっという間に読み終わってしまいました。機会があれば、ぜひ読んでみて下さい。お勧めです。

この論文は、GHQ文書を中心に、第二次世界大戦直後の密貿易を描いたものです。ことの性質上、どうしても情報の信憑性に疑問符がつきまとうのですが、朴さんはそこら辺を柔軟に受け入れて、史料批判をしながら留保をつけて、しかし、全体を描こうとされています。正確な事実を表していないから資料として使えないというのは前世紀的な考え方で、今はその資料が語っている事実は、それはそれで固有の価値を認められるようになっています。その資料作成者の思想や理解の仕方を分析できるからです。象徴的なのは偽書の研究ですね。そういう意味では朴さんの方法はわりとスタンダードで、こういう一歩一歩を大事にするのが歴史研究というものでしょう。

この研究にはいくつかの点で、他の研究の視野を広げる、あるいは、接続していろいろ刺激を与える可能性が含まれています。その一つは、闇市場でしょう。敗戦後は日本国内でも闇市場が乱立して、それが人々の暮らしを支えたわけですが、従来のネットワークを利用した密貿易はまさにこの闇市場に含まれるといえます。闇もそうですが、密貿易という言葉は必ずしも明るい語感ではないですが、朴さんの人柄もあるかもしれませんが、明るく描かれていて、私も戦争が終わった開放感から考えれば、すごくリアリティがあるなあと思いました。

もう一つは、国境をまたがるという意味で、これまたいろいろなところで議論が蓄積されていますが、国民国家を問い直すという視点もあります。国家と市場という点でもいいでしょうし、国境という観点でもいいかもしれません。このあたりはどう処理すればいいかというのは分かりませんが、最初の論点とも関わり合うと思います。いわゆる「国家の社会学」の領域ですね。

今すぐ確信を持ってどうこう言えるような問題ではないんですが、敗戦直後の朝鮮人が果たした役割というのは労働運動なんかでも、かなり大きいんですね。共産主義との距離の取り方や政治的スタンスなども含めて、今後、考えていきたい論点ですが、GHQの密貿易についての理解の仕方は、そうしたテーマに示唆を与える情報も含まれているとは思います。ただ、いかんせん、この領域については私の勉強不足です。

そんななかで、もっとも驚いたのは、CIAってオンラインで歴史文書を公開しているの?ってところでした。これ、世界の常識なんでしょうか。こっそりつぶやいときます。