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夏ごろに人事院の吉田さんから『公務員給与法精義』をお送りいただいておりました。ありがとうございます。この本は900頁を超える大著で、価格も14000円と高価ですが、人事の専門家は必携と言ってよいと思います。少なくとも、賃金問題を考える必要がある人は必ず手元に置いておいた方がよいです。このエントリは本当にニッチな層に語り掛けています(笑)。

この本は、そのほとんどが制度の説明です。しかも、公務員ですから、どの法律にもとづいてどういう制度になっているのかということが詳細に書いてあります。要は逐条解説による条文読みなので、こういう法律系の書かれたものに慣れていない人にはつらいでしょうし、さらにその内容は人事に通じていないとよく分からないはずです。その反面、一個一個の制度を精密に読むには、これを超えるものはありません。逆に言うと、人事院勧告は民間を意識しますから、時々、民間企業との比較をする記述も含まれています。ただ、一個一個の制度にどういう意味があるのかということを深く考察するというよりは、条文がどうなっていて、そこにはどういう意図が込められているかということが書かれているので、第1部の総説をざっと読んだら、第2部はご自分の関心のあるものを読むと良いと思います。

私は人事院に一度、呼ばれてお話ししたのですが、そのときの日本の民間賃金と賃金論の展開を「近代日本における賃金体系の成立とその展開」『人事行政』2017年3月という形にまとめております。人事院でお話しするんですから、完全プロ仕様でまとめました。この領域でこういう形でまとめたものは、私としても初めてですし、おそらく二度とやりません。もし、ご関心がある方は、ぜひ手に取っていただければと思います。膨大な手当に関しては、これを読んでも理解できませんが、俸給などの考え方については何か参考になるところがあるのではないかと思うので、こういう本を読む際の補助線に利用していただければ、幸いです。
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白桃書房の編集の方から『人事の成り立ち』を送っていただきました。ありがとうございます。

このいくつかの本を取り上げて、著書からそのリプライをもらうという形式はなかなか面白く、アベグレン先生なんかはもう鬼籍に入られているので、こういう企画はもう出来ないでしょう。日本の人事を理論的に考える上でのヒントはたくさん詰まっている本です。というか、この本を並べて、現代に繋がる主要な論点を並べるという力業を成功させたのは、ほぼ企画の段階で勝負が決まったんじゃないかなと思いました。

ただし、歴史の本として読むには、ちゃんと勉強しているのか、怪しいところが多いです。特に、近世日本の職業と身分の関係が全然理解されていない。しかしですね、何というか、こういう言い方をすると、語弊を生むかもしれないのですが、プロのように厳密に考証する必要はなく、ロジカルに日本の人事制度とはどういうものかを考察出来れば、それで十分だと思います。おわりにで、海老原さんがジャーナリズムからアカデミズムに踏み込むことも考えたが、ジャーナリズムから抜け出すことは出来なかったということを書いておられます。私はむしろ、そこがよいのではないかと思いました。

アカデミズムよりジャーナリズムの方が狭い専門分野から飛びやすいですし、さらには現象としての「人事」は方法を選ばず多様な面をもって存在しているので、このように様々な角度から見るというのはやりやすいですね。こういう本が役に立つのは、間違いなく現場で人事に携わっている方です。しかも、人事というのは、別に人事部じゃなくても構わないので、広く「評価」をしている人も含めていけば、ほとんどのビジネスパーソンに当てはまるのではないでしょうか。

こういう本は一人で読むよりも、何人かでそれこそ一つの章ずつとかでもよいので、自分の会社での経験などを語り合いつつ、読書会なんかをやるととても有意義になるでしょう。その点、ビジネススクールなんかでテキストにするには最適で、私自身は関西に来てしまったので、継続できなくなってしまいましたが、まだ今年も継続していたら、これをテキストにしたと思います。

松沢裕作さんから新著『生きづらい明治社会』をいただいておりました。すっかり遅くなってしまい、申し訳ありません。遅ればせながら、一読して、これは素晴らしい本だと思ったので、ぜひご紹介したいと思います。

個人的には、ツイッターでいつも愚痴をこぼしている松沢さんが、ついに著書にまでその気持ちを込めたというところでしょうか。こう書くといかにも揶揄してるように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。この生きづらい現代社会を頑張って生き抜こう!というシンドイ話ではなく、シンドイものはシンドイ、というところがいかにも松沢さんらしいです。まさに「自分の中に歴史を読む」ですね(阿部勤也先生と松沢さんはだいぶ違いますが)。でも、ここは社会政策、そのまた根幹の社会問題を理解する上では、一番大事なことなんですね。だから、私もあえて触れてみました。

大体、今までの本は、立身出世に勝ち残っていた人の話か、そのルートに乗れずに塗炭の苦しみをばねに抵抗運動した人の話か、いずれにせよ、とてもギラギラした人たちの話が多かったわけです。そこにあえていかない。というか、今でもそういうタイプの運動家はたくさんいますが、松沢さんはそういうところとは合わないだろうなと私なんかは思います。

ただ、全体的に、松沢さんは安丸先生の通俗道徳論に現代にも通じるような明治の生きづらさを見出していると思うのですが、私は個人的には圧倒的に組織の生きづらさではなかったかと思います。そこは松沢さんは「家」制度として少し描いているんですが、農村の生きづらさ、地域コミュニティ(共同体)の生きづらさ(その裏返しとしての都市の解放感)のようなものが実は現在でも大きなものとして存在していると私は考えています。そこのところはそのうち、松沢さんに聞いてみたいですね。

とにかくこの本は社会史的な背景とか、基本的な知識を得るにも、良いので、社会政策の歴史を学びたいという人には、まず、これは読んだらと自信を持ってお勧めできる一冊です。あと第一線の歴史学者がいろんな先行研究を踏まえて書いているわけですから、こういうのは新しい世代のものを読むと新鮮だと思いますよ。図書館にも入れてもらうかな。

皆さん、ご無沙汰しておりました。9月の末に自転車で転倒事故を起こして、左ひじを骨折したりして、なんともいろんなことが回らなくなっていました。ですが、今回、ちょっと書き残しておきたいことがあったので、書いておきます。

来週の水曜日に阪南大学経済学部くらしと経済パッケージで、伍賀偕子さんをお呼びして、講演会を開くことになりました。学内イベントなので、告知の必要というのは、あまりないと思います。開催するのも、水曜日の15時から16時30分という時間帯なので、多くの人は働いている時間でしょう。

伍賀さんは知る人ぞ知る総評の元オルグです。大阪で女性労働運動をやっていて伍賀さんのことを知らない人はもぐりです。私は『日本の賃金を歴史から考える』を出したときに、エル・ライブラリーで学習会をやってもらって、そこで初めて伍賀さんにお会いしました。職務給の話について質問されたことをよく覚えていますが、その話を書くと、たちまち読む人を選ぶので今日は割愛します。もう一つ、昔、私が竹中恵美子先生の著作について批判的なことをこのブログに書いたことがあって、大原で労働資料協のシンポジウムがあったときに、そのことで何か言われたことを覚えています。その禊は、大阪に行ってから、竹中先生を囲む会というのがありまして、先生の前で直接、済ませましたが、なかなかの緊張感に包まれた、しかし本当にありがたい一期一会でした。

竹中先生の話を書いたのは、竹中先生が大阪女性労働運動の理論的な中心であり、また先生自身が運動に主体的に関わられていたからです。その運動側から竹中先生を求めた一人、そしてずっと一緒にお互い支えあって来たのが伍賀さんなのです。伍賀さんの活動は女性労働運動だけでなく、女性運動としても広がって、今なお継続しています。ただ、私はそういうことを学生に理解してもらおうとは、実はあまり思っていないのです。

今回、伍賀さんを呼ぶ理由というのは、本物に触れる、という機会を作りたいということなんです。だから、極端なことを言えば、伍賀さんがいらしてくださって、そこで喋ってくだされば、それで良いくらいに考えています。今風に言えば、オーラを感じるというのでしょうか(ちょっと古いかもしれませんが)。

実は、前に挙げた竹中先生を囲む会(茶話会)のときに、竹中先生に会うのは初めてだけれども、何十年も働いてきた人生のなかで先生の本を支えにしてきましたという方がいらして、私、今、学者の立場を一瞬降りて書きますけど、これは本当に素晴らしいことだなと思いました。理屈じゃないんですよ。竹中先生の本が今、読んでいかに古くなっていても(誰が書いても基本的に時代に即して書けばそうなります、条件が変わるんですから)、その人の人生を支え続けた真実は変わらないわけです。たぶん、私が書いた批判は少なくない方に、そういうことも否定されたように感じさせたのかもしれませんが、私はそういう人と人とのつながりを否定したことはまったくありません。伍賀さんたちがやってきたことは、そういう人たちを支え、共にあるということなのです。それは素晴らしいことなのです。

とはいえ、そういうことを20歳前後の学生たちに伝えようと思ってもですね、それは難しいわけです。もちろん、プロテストすることは人生のなかで必要なんだけれども、それだけじゃない。先輩たちがつらかった、でも諦めなかった、君たちもあとへ続け、というだけでは若い人たちにはアピールしていかない。それは、きっと運動の課題でもあるんでしょう。

そんなことを考えながら、私が企画したので、チラシを作らなきゃいけないということで、火曜日に作ったのです。正確に言うと、前からワードの使い方とか、フリー素材を眺めたりしながら、伍賀さんの講演のイメージに合うものを作ろうと考えていました。一番、簡単なのは、過去の写真とかポスターとか、労働運動に関わるものを探してきて、それを使うことです。それこそ、私は大原にいたので、そういうものを普通の人よりは数多く見て来たと思います。でも、今回のイメージはそうじゃない。そんな中で昔の揶揄する言葉で「立てば生休、座れば産休、歩く姿は保育所づくり」というのがあって、これ、そもそも「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」を若い人は知らないよなというのもあって、あえて百合の花の素材を探そうと思って、実は最初、それでポスターを作りました。

印刷し終わった後、ふとね、机の上を見たら、一枚のコピーされた紙があったんですよ。それで、これだと思いました。何かというと、実は先週、講義の前に女子学生が二人で研究室に遊びに来たんです。私は講義の準備してるからあまり話せないよと言ったんですが、それでもいいと言って来ていたんです。そのうち、プリンターのコピー機能で遊びだして、手を写したりしていたんですが、その一枚に二人でハートマークを作ったやつがあったのです。

ここまで来た後に、文字を何色にするか迷っていたら、もう一枚ポスターがあって、その白抜きを真似することにしました。そのポスターとは、阪南大学の国際交流会というところが模擬国連をやるので、そのプレゼンを入門演習でやらせてほしいという依頼があって、そのときに置いていったものです。そのテーマが今年は女性と暴力に関連して「平等なジェンダー社会にしよう」なんですね。おお、これは繋がってるぞと思いました。

伍賀さん講演フライヤー


この二重の偶然で完成したこのポスター。私の技術力のなさゆえに、もう一工夫できる余地は残っていますが、結構、私なりに今回の講演のテーマを表現できて、良かったなと思っています。本番もうまく行くといいなあ。

ちなみに、この講演会、社会政策の講義の一環でやるので、1時間50分ほど、間が空いてしまうのですが、18時20分から補講で、分かち合い会的なものもやろうと思っています。たぶん、出席を取らないので、数人しか出ないと思うので、それでもなお来てくれる人で、ディープな話をしたいと考えています。
『日本の賃金を歴史から考える』を書くにあたって、組合の皆さんを前に、今、組合というと、世間の人はユニオンのようなものをイメージするけれども、労働組合はその中心に技能を持つ人たちがいるということこそが交渉力の源泉になっているのだから、そのことを訴えていきたいということを話した。組合の中心で働いている人たちにとっては当たり前のことだと思う。あれから、5,6年経って、今年になって初めて社会政策の講義の中で、新しい労使関係の教え方をしてみた。もちろん、異論もあると思うが、とりあえずそのときの話の一端をここで再現しておきたいと思う。

今回、組合の交渉には二つの種類があると大雑把に分けてみた。一つは、反福祉状態の回復。多くの場合、こちらがスポットライトを浴びやすい。もう一つは、最低条件はクリアしているんだけれども、それをより良いものにしていくための交渉である。前者の基盤は、日本の場合、憲法の基本的人権の尊重にある。労働関係だから、もちろん民法、各種労働法は関連するけれども、根本的な基盤は憲法にある、と説明した。では、後者の基盤はどこにあるのだろうか。ここで私が説明したのは、その人たちがいなければ事業が動かなくなってしまうような、そういう仕事についての能力を労働者側が持っていることである、ということである。

JCMの市川さんから6月の末に、IGメタルの新労働協約についての記事をまとめて、それが公表されたのでというご連絡をいただいたので、早速、これと市川さんが読んでくださったといっていた私の情報労連でのストライキについてのインタビュー記事をあわせてその日の講義で配った。市川さんとは4年前に私が書いたブログエントリにコメントをいただいて、少し議論したことがあって、その後、何度か直接お目にかかる機会もあった。ちょうど、この前の何回かというか、わりと社会政策の講義の中でILOの重要性を繰り返し説明してきたこともあり、ILOでまさにストライキ権をめぐって抜き差しならない戦いを国際的な労働運動の共闘で守って来た市川さんとの議論したことと、IGメタルの話を枕にしたのである。

この話は結構、重要なので、私としては珍しくサルベージしておきたい。いつもやらないのは、しばしばエントリを書くときは勢いで書くので青臭くなりがちで、後から読み返すのが嫌だからというのと、単純に面倒くさいだけだが、今回はそれらを上回る、ぜひこの問題は広く共有してもらいたいという思いがあって再掲する。
市川さんがコメントしてくださったきっかけとなったエントリ 
それについて私の意見を書いた「ストライキ権について

ストライキ権は、然るべき手続きに則ってストライキを行うという条件の下で担保されていること、すなわち、交渉の一手段として認められているんだよ、というところまでを話した。情報労連のREPORTで語ったことは、それを超える祝祭の話であったわけだが、そこまでは一回の講義の中では無理であった。というか、実は、労使関係で二回も使ってしまった。

ストライキ権がどういうものなのかは良いとして、その次にはストライキを打つことがなぜ交渉に役立つのか、交渉力の源泉とは何かということを話さなければならない。ここでもう少し仕事の力でまかり通ればよかったんだけど、少し弱気になって、社会的な世論の影響の話をしてしまった。これはロジックとしてはまずかったなあ。

このIGメタルの記事はすごく大事なことがたくさん書いてあって、ぜひ労使関係に関係する方や労使関係の研究者は必読だと思うのだが、絶対に学部生には分からないだろう。それは読んだ瞬間から分かった。たぶん、労働問題を研究する院生レベルの人だって(それはかつての若き日の私も含めて)、なかなか理解するのは難しいと思う。これを精密に読めるレベルに達する学生を育てれば、どの産別でも、連合でも、私としては自信をもって送り出すことが出来るが、まあ、でも、この記事、どう考えても、大学院レベルだよな。

とはいえ、記事については、分かる分からないはどうでもよく、アクティブなタイミングだったので、こんなこともやっているんだよ、というリアリティを出すために配ったところもある。労働問題は、たとえば実際に働いてみたり、職安に通ってみたりすることで、初めて理解できる側面があるので、学生の段階で理解するのが難しいところがある。私自身、テストのための一夜漬け的な勉強をしてきたタイプなので、あえて言うが、労働に関わることはテストの対策としての知識問題としてではなく、やがて社会に出ていく自分たちに関わる問題だということをだけを理解して欲しいのである。実際に問題が起こったら、誰もがその時点で真剣に悩みだす。そこで解決できなければ私が何か話していたことを思い出して、相談に来てくれれば、それでいい。

もちろん、日々、学生がどういう力を身につけたらよいのか、ということは考えていて、それについてもいつか書いてもいいと思うけれども、しかし、本音で言えば、私は教え子がそれぞれ元気で幸せに暮らしてくれているのならば、それ以上、望むことはない。だから、そのためのヒントを一つでも多く持って帰ってくれればそれでよいといつも思っている。労使関係のなかにはそういうものがきっとあるよ。

ちなみに、この枠組みでは解雇の条件闘争などのシビアな話が捨象されてしまう。