2009年11月06日 (金)
ブログをはじめてから、他人のブログも読むようになったのだが、私には非常に謎な議論がある。それは職業訓練に関する議論である。大きく分けて、学校か、企業かという論点で、もちろん、その背後には費用をどこが負担するのかとか、論点が織り込まれているのだが、大雑把にはこう理解してよいだろう。この手の議論を丁寧に考えるためには、問題は社会のどの層をどういう風にしたいのかということを明確に考えた方がよいと思うのだが、今日はそんなことよりももっと根本的なことを考えたい。
多分、問題の核は二つある。一つは、いわゆるschool to workの接合、ジョブ・マッチングの問題。それから、こっちが本題だな、何を身につけるのかという問題である。hamachanブログで散々、議論されている職業レリバンスの問題もこれに関係するが、とりあえず、白熱している議論はスルー。
なんでこのエントリを書いたかというと、メンバーシップ型とジョブ型という理念型で、この問題まで考えようという話が出てきているからだ。hamachan影響力恐るべし。まぁ、このレベルでこの議論を根本的に間違っている。レベルが高いとか低いとかではなく、違う次元の話だ。
技能を身に付けるには、OJTとOffJTの二つがある。いうまでもなく、仕事につきながらの訓練と仕事につかない訓練である。後者は基本的に座学、したがって学校もほぼこれに当てはまる。OJTも実は二つあって、研修期間中に先輩に習いながら覚えるというややフォーマルな形と、実際に仕事をしながらいろいろなことに気づいていく、そういうものである。
どんなに頑張っても学校ではOJTは無理である。学校制度を採用した上でのあり得べき選択は、学生身分を保持したまま、職場で修行させてもらう。いわゆるインターンである。これは一定期間が必要である。ホワイトについては最近、インターンが出てきたが、それでも短期間で実用に役立たないという意見もある。といっても、類似の制度は明治からずっと工業高校などで存在していたともいえる。歴史をやっている人間ならば、鉱山研究の良質な資料が実習報告書であることは常識だ。
たとえば、美容学校は専門学校(職業訓練学校)である。これは資格と結びついているから、みんな通らなければならない。私が以前、行った美容院の親父さんは、腕が良いし、実際講演などにも出かけている人だったが、美容学校は技術習得に必要かと聞いたところ、まったく必要ないと明確に答えた。そのときもさもありなんという気もしたが、その具体的なイメージはいつも通っている床屋のマスターの話しの中にあった。彼は実際に免許を取って床屋で働きながら、技術を磨く目的で美容学校を卒業している。彼は、学校の先生は試験に受かる用の技術は持っているが、それは店で実用される種類の技術とは別であり、ありていにいえば役立たないと話してくれた。だから、自分はよく実技をやらさせられたといいながら、現場でやっている自分のような人間を教師は扱いづらかったと思う、とのことだった。この場合、必要なのは企業に雇用されることではない。個人事業主のところでもよいから、髪を切るという現場に立つことである。そして、問題はその多くの現場が企業の仕事の中に埋め込まれているということなのだ。
念のために言っておくと、私は大学の専門学校化(ないし職業学校化)には反対だが、職業訓練(およびその学校)の必要を否定するつもりはまったくない。学校と現場(多くの場合企業)で学べることとそうでないことを、もっと意識して分けて、考えるべきだというに過ぎない。
次に進むべき点は、制度の費用対効果をはっきりさせて、どこが費用を負担するかだ。訓練が直接的に企業の生産性の向上に結び付いて考えられる限り、それはご勝手にやってくださいということで済むのだろうが、社会的な文脈から、企業に教育機能をお任せします、というのであれば、企業だからという理由で助成金を出さない理由はない。ただし、それは雇用維持してください、というのとは理論的には別次元の話であることに注意されたい。
何れにせよ、この話はメンバーシップ型とか、ジョブ型とかで割り切れる問題ではない。ジョブ型というのはおそらくクラフト型を想定しているのだろうが、それが成立するには職業訓練学校の存在よりも、技能形成の場である仕事の機会をコントロールできる業界団体が必要である。近代のように企業内にOJTの機会が埋め込まれているときにクラフト型といったって時代錯誤である。いうまでもなくドイツは前近代からそういうシステムを引き継いでいるのだ。もちろん、日本だって業界団体はあるし、力もある。たとえば、鉄鋼連盟。しかし、参加するためには鉄鋼会社の身分が必要である。日本でそうじゃないタイプの典型例は大工さんだろうか。大工さんは世界最大のクラフトユニオンを持っている。
ここまで読んで、内部労働市場=企業=メンバーシップ型などと考えていたら、おそらくその人はドリンジャー、ピオリを理解していないのだろう。理論的に考えれば、ジョブ型もまた、クラフトタイプの内部労働市場なのである。そのことを踏まえてリアルな労働市場を描く必要がある。ありていに言えば、職業訓練学校を有効に機能させるためには、企業も市場参加者に含めたクラフトタイプの内部労働市場をちゃんと構築して、その中に自らの立場をフィットさせなければならないのだ。
そして、ここから本当は第一の論点、school to workに入っていく必要がある。本格的に労働市場を考えていくということだ。そのためには、経済学の世界でここ30年くらいで発展した情報の経済学の視点も有効だろう。
が、そろそろ、行き詰った鉄鋼の論文に戻るので、息抜きの話題は店じまいにします。
多分、問題の核は二つある。一つは、いわゆるschool to workの接合、ジョブ・マッチングの問題。それから、こっちが本題だな、何を身につけるのかという問題である。hamachanブログで散々、議論されている職業レリバンスの問題もこれに関係するが、とりあえず、白熱している議論はスルー。
なんでこのエントリを書いたかというと、メンバーシップ型とジョブ型という理念型で、この問題まで考えようという話が出てきているからだ。hamachan影響力恐るべし。まぁ、このレベルでこの議論を根本的に間違っている。レベルが高いとか低いとかではなく、違う次元の話だ。
技能を身に付けるには、OJTとOffJTの二つがある。いうまでもなく、仕事につきながらの訓練と仕事につかない訓練である。後者は基本的に座学、したがって学校もほぼこれに当てはまる。OJTも実は二つあって、研修期間中に先輩に習いながら覚えるというややフォーマルな形と、実際に仕事をしながらいろいろなことに気づいていく、そういうものである。
どんなに頑張っても学校ではOJTは無理である。学校制度を採用した上でのあり得べき選択は、学生身分を保持したまま、職場で修行させてもらう。いわゆるインターンである。これは一定期間が必要である。ホワイトについては最近、インターンが出てきたが、それでも短期間で実用に役立たないという意見もある。といっても、類似の制度は明治からずっと工業高校などで存在していたともいえる。歴史をやっている人間ならば、鉱山研究の良質な資料が実習報告書であることは常識だ。
たとえば、美容学校は専門学校(職業訓練学校)である。これは資格と結びついているから、みんな通らなければならない。私が以前、行った美容院の親父さんは、腕が良いし、実際講演などにも出かけている人だったが、美容学校は技術習得に必要かと聞いたところ、まったく必要ないと明確に答えた。そのときもさもありなんという気もしたが、その具体的なイメージはいつも通っている床屋のマスターの話しの中にあった。彼は実際に免許を取って床屋で働きながら、技術を磨く目的で美容学校を卒業している。彼は、学校の先生は試験に受かる用の技術は持っているが、それは店で実用される種類の技術とは別であり、ありていにいえば役立たないと話してくれた。だから、自分はよく実技をやらさせられたといいながら、現場でやっている自分のような人間を教師は扱いづらかったと思う、とのことだった。この場合、必要なのは企業に雇用されることではない。個人事業主のところでもよいから、髪を切るという現場に立つことである。そして、問題はその多くの現場が企業の仕事の中に埋め込まれているということなのだ。
念のために言っておくと、私は大学の専門学校化(ないし職業学校化)には反対だが、職業訓練(およびその学校)の必要を否定するつもりはまったくない。学校と現場(多くの場合企業)で学べることとそうでないことを、もっと意識して分けて、考えるべきだというに過ぎない。
次に進むべき点は、制度の費用対効果をはっきりさせて、どこが費用を負担するかだ。訓練が直接的に企業の生産性の向上に結び付いて考えられる限り、それはご勝手にやってくださいということで済むのだろうが、社会的な文脈から、企業に教育機能をお任せします、というのであれば、企業だからという理由で助成金を出さない理由はない。ただし、それは雇用維持してください、というのとは理論的には別次元の話であることに注意されたい。
何れにせよ、この話はメンバーシップ型とか、ジョブ型とかで割り切れる問題ではない。ジョブ型というのはおそらくクラフト型を想定しているのだろうが、それが成立するには職業訓練学校の存在よりも、技能形成の場である仕事の機会をコントロールできる業界団体が必要である。近代のように企業内にOJTの機会が埋め込まれているときにクラフト型といったって時代錯誤である。いうまでもなくドイツは前近代からそういうシステムを引き継いでいるのだ。もちろん、日本だって業界団体はあるし、力もある。たとえば、鉄鋼連盟。しかし、参加するためには鉄鋼会社の身分が必要である。日本でそうじゃないタイプの典型例は大工さんだろうか。大工さんは世界最大のクラフトユニオンを持っている。
ここまで読んで、内部労働市場=企業=メンバーシップ型などと考えていたら、おそらくその人はドリンジャー、ピオリを理解していないのだろう。理論的に考えれば、ジョブ型もまた、クラフトタイプの内部労働市場なのである。そのことを踏まえてリアルな労働市場を描く必要がある。ありていに言えば、職業訓練学校を有効に機能させるためには、企業も市場参加者に含めたクラフトタイプの内部労働市場をちゃんと構築して、その中に自らの立場をフィットさせなければならないのだ。
そして、ここから本当は第一の論点、school to workに入っていく必要がある。本格的に労働市場を考えていくということだ。そのためには、経済学の世界でここ30年くらいで発展した情報の経済学の視点も有効だろう。
が、そろそろ、行き詰った鉄鋼の論文に戻るので、息抜きの話題は店じまいにします。
2009年11月06日 (金)
例によって徘徊していたら、こんな対談を見つけました。菊池光造先生と玉井金五先生が社会政策の範囲や歴史、2003年現在の大阪の雇用政策などを語り合っています。こういうのっていいですね。
歴史の部分の内容的には賛成しかねるところも多々あります。たとえば、宇野利右衛門の位置づけとか、繊維企業の労務管理とかです。よく紡績会社は大阪が主体ということを言われますが、もう明治末期以降は鐘紡とか、東洋紡(が出来るのは大正ですが)とか、全国企業ですからね。地方という視点で考えるのがどれくらい意味があるのか。それと、宇野利右衛門についてはこの前、間先生関連で書きましたけど、実は彼が活躍したのは基本的には工場法が施行される前の一時期なんですね。特に工場法施行時にいろんなところで説明会を開く、その準備には貢献したと思います。それから、紡績会社で言えば、倉紡、大原さんは影響を受けていますが、それ以外はどれくらい影響があったのかよく分かっていません。特に、彼自身は破産するわけですからね。そのあたりをどう考えるかが必要になります。
もう一つはロバート・オーウェンの影響の話。日本の紡績業の場合はもうかなりの部分、労働市場で説明できます。要するに、人が足りなくなったから労働条件をあげなきゃならなかった。それだけのことです。理念先行でやっていたのは、オーナー企業に近かった倉紡くらいだと思います。クラボウは大原さんの関係で大原社研も労研も作ったし、実際の企業への影響という意味では、戦時中から1950年代前半くらいまで労研はすごい力を持っていました。でも、クラボウ自体の労務管理が影響を与えたかどうかは疑問です。大正期には大きい紡績会社は独自の労務管理をそれぞれ作っていますからね。それに、倉敷はそもそも地理的に大阪や東京のように競合工場が濫立していないのも大きいです。
玉井先生の「労働と生活」を社会政策の両輪として考えていこうという方向は基本的に正しいと思っています。細かいこというと、社会政策の学術的定義でいえば、そりゃドイツ型と呼ぶべきだった時代も長いと思いますけど、実際に行われていた政策等を見ていくと、日本だって結構、両方やってきたよという気もしています。戦後だって社会福祉の人たちがしっかりやってきたんだもの。方向としては積極的にそういう方向に教えを請いながら、労働重視してきた従来の遺産も継承するということでしょうか。もっとも、もちろん個人レベルではずっとそういう風にやられてきた方はいました。
でも、こういう方たちが学界展望の対談をしてくださるのは、とてもいいことだと思います。喋り言葉だから簡単な言葉遣いなので、かえって本質が分かるし、そこからいろいろ考える手掛かりになります。特に、菊池先生のベヴァリッジの話を受けて玉井先生が問題にした、実際の学界での広まり方という論点、面白いだけでなく重要です。みんなが読む文献はありますけれども、それをどういう風に受容されかというような話は必ずしも書かれるわけではないですし、実際には研究会や学会、飲み会等で聞いてみるしかないというところがあります。そんなことは論文などにも書けません。逆に言えば、だからこそ回顧録みたいなのは面白いんですよね。何れにせよ、いろいろな場面で考えておくべき視点だと思います。
ぜひ、興味のある方はどうぞ。
歴史の部分の内容的には賛成しかねるところも多々あります。たとえば、宇野利右衛門の位置づけとか、繊維企業の労務管理とかです。よく紡績会社は大阪が主体ということを言われますが、もう明治末期以降は鐘紡とか、東洋紡(が出来るのは大正ですが)とか、全国企業ですからね。地方という視点で考えるのがどれくらい意味があるのか。それと、宇野利右衛門についてはこの前、間先生関連で書きましたけど、実は彼が活躍したのは基本的には工場法が施行される前の一時期なんですね。特に工場法施行時にいろんなところで説明会を開く、その準備には貢献したと思います。それから、紡績会社で言えば、倉紡、大原さんは影響を受けていますが、それ以外はどれくらい影響があったのかよく分かっていません。特に、彼自身は破産するわけですからね。そのあたりをどう考えるかが必要になります。
もう一つはロバート・オーウェンの影響の話。日本の紡績業の場合はもうかなりの部分、労働市場で説明できます。要するに、人が足りなくなったから労働条件をあげなきゃならなかった。それだけのことです。理念先行でやっていたのは、オーナー企業に近かった倉紡くらいだと思います。クラボウは大原さんの関係で大原社研も労研も作ったし、実際の企業への影響という意味では、戦時中から1950年代前半くらいまで労研はすごい力を持っていました。でも、クラボウ自体の労務管理が影響を与えたかどうかは疑問です。大正期には大きい紡績会社は独自の労務管理をそれぞれ作っていますからね。それに、倉敷はそもそも地理的に大阪や東京のように競合工場が濫立していないのも大きいです。
玉井先生の「労働と生活」を社会政策の両輪として考えていこうという方向は基本的に正しいと思っています。細かいこというと、社会政策の学術的定義でいえば、そりゃドイツ型と呼ぶべきだった時代も長いと思いますけど、実際に行われていた政策等を見ていくと、日本だって結構、両方やってきたよという気もしています。戦後だって社会福祉の人たちがしっかりやってきたんだもの。方向としては積極的にそういう方向に教えを請いながら、労働重視してきた従来の遺産も継承するということでしょうか。もっとも、もちろん個人レベルではずっとそういう風にやられてきた方はいました。
でも、こういう方たちが学界展望の対談をしてくださるのは、とてもいいことだと思います。喋り言葉だから簡単な言葉遣いなので、かえって本質が分かるし、そこからいろいろ考える手掛かりになります。特に、菊池先生のベヴァリッジの話を受けて玉井先生が問題にした、実際の学界での広まり方という論点、面白いだけでなく重要です。みんなが読む文献はありますけれども、それをどういう風に受容されかというような話は必ずしも書かれるわけではないですし、実際には研究会や学会、飲み会等で聞いてみるしかないというところがあります。そんなことは論文などにも書けません。逆に言えば、だからこそ回顧録みたいなのは面白いんですよね。何れにせよ、いろいろな場面で考えておくべき視点だと思います。
ぜひ、興味のある方はどうぞ。
2009年11月04日 (水)
本当は貰ったその日に全部読んだんだけど、色々書きあぐねているうちに時間が経っちゃいました。簡潔に感想だけ、まとめとこうと思います。
多分、この手の本の常として全体は玉石混淆といわれるだろうな。その要因は、内容の充実度ということもあるけれども、学際的な本ですので、読者の好みも相当に分かれるだろうと思います。個人的には心理学系の紹介も楽しみました。
1 『イギリスの工場、日本の工場』
おぉ、と思ったのは久本先生の解説の中で、出来高払補足賃金が時間給で、基本賃率が(生産量に応じて支払われるという意味で)出来高給という箇所を引用しているところでした。ドーア先生の観察が細部にいきわたっていることを示す最高の例証です。ただし、これが異分野の人に分かってもらえるかどうかは謎。かなりマニアックな気もします。
ちょっと誤解を生むなと思ったのは、内部昇進と新規学卒主義の話について、小池先生を引いているところです。小池先生の一連の研究はほぼブルーカラーで、1990年代以降、ホワイトカラー、特に近年ではトヨタ技術者の研究を発表されてきました。そこではたしかに、一貫して内部昇進の重要性を指摘されてきました。とはいえ、手許に『ホワイトカラーの人材形成』がないので確認できないのですが、小池先生は他の著作や講演などでは一般にむしろ、学卒よりも、1年くらい働いた非正規からの登用(昔は臨時工、今は派遣)を重視されているように思います。その理由は一緒に働く人にとってはその方が仕事ぶり(能力も含めて)、人柄などが分かるということです。ただし、これはベテラン職長の意見、それに全く同意するという形でお話されるので、あくまでブルーカラーの話です。ホワイトについては、アメリカのインターン制を紹介されますが、日本ではお客さん程度で本格的な制度化していないということでしょう。その意味では新規主義といっても当らずとも遠からずでしょうか。私の個人的な印象では、新規学卒主義というのは制度の慣性という感じがします。
歴史的に新規学卒を見ると、日本は世界でもっとも早く大量の学卒を作り出した国です。一般に新規学卒一括採用が始まったのは第一次大戦期頃だといわれていますが、それまではかなり縁故を背景にした紹介が主でした。ところが、数が増えてくると、紹介も組織化してくる。そういう風に理解できるんじゃないかなと思います。ちなみに、戦前の学卒は相対的に少ないんですが、それでもかなり多いと思います。特に工学部卒を輩出したのは大きい。これは供給側のロジックね。
需要側からすると、いわゆる学卒ではないけれども、学校を入職窓口として利用したのは紡績会社でしょうね。彼らは戦後、長期にわたって新規中卒女子をターゲットにしていたわけですが、その嚆矢は大正期くらいからの小卒女子のターゲット化です。要するに、一括大量人員の確保です。これが需要側のロジック。特に成長期はこれが効くわけね。
ただ、終身雇用の説明に収斂するそういう特徴ももちろん、重要だと思うのですが、現在はむしろ、雇用のポートフォリオという形で、様々な雇用形態に注目が集まっています。実は、そういうのは明治時代からあるんですね。基本的には労働市場が買い手市場になると社会問題化する傾向がある。
もちろん、久本先生も従業員ピラミッドの年齢構成を紹介しており、労働市場の需給の影響があることは重々承知されています。それに、この本自体、石油危機直前に出されているので、高度成長期がポイントだということは注意すれば分かります。が、歴史的に読む習慣がない人は、パッと読むと分かりにくいかもと思いました。やっぱり、異分野の人に分かってもらうのは骨ですね。
2 『東京に働く人々』
私の独断と偏見では、この本の中でもっとも重要なものは八幡成美先生の『東京に働く人々』の解説です。本自体の解説というより、石原都政に潰された都労研調査の重要性についての歴史的証言としてぜひ読まれるべきでしょう。
3 『日本企業の人材形成』
小池先生の説を取り上げるのに、なぜこの本なのかはやや疑問が残ります。荻野氏が担当されるならば、『もの造りの技能』について書いて欲しかったなぁ。順当なところで『職場の労働組合と参加』。もっともこの本の趣旨から離れて言えば、論文ではKoike, Kazuo, "Skill Formation Systems in the U.S. and Japan: A Comarative Study," in Aoki, Masahiko ed., The Economic Analysis of the Japanese Firm, ELSEVIER SCIENCE PUBLISHERS B.V., Amsterdam, 1984に当られるのがよいでしょう。知的熟練の概念はまだ生まれていませんが、小池キャリア論のエッセンスはここにあります。また、フリーマンによるコメントも同じく重要です。小池先生の説を勉強したい方はご覧下さい。
4 『改訂版人間性の心理学』
言わずと知れたマズローの代表作。執筆者は望月由起さん。すみません、存じ上げません。トラパを取り上げるかどうかはとっても微妙な問題をたくさん含んでいますが、改訂版が出る晩年までのマズローの活動や変化を踏まえるならば、核とせざるを得ないんですね。解説では簡単に触れられているだけですが、見出しにされたのはそういうもろもろの意味があるのでしょう。その意気やよしです。
その他
グラノベッターの『転職』を取り上げるんだったら、野沢慎司編の『リーディングスネットワーク論』が良かったと思います。グラノベッターの論文も入っているし、キャリアを企業内にとどまらず、まさにライフサイクルという視点で捉えるならなおのこと。第二段は家族社会学の研究がもっと取り入れられることを期待したいです。歴史関係ではハレーブンの『家族時間と産業時間』が一押しです。
それから、賛成するか反対するかは別にして、マースデンの『雇用システムの理論』は労働問題を考える人には必読ですよ。
多分、この手の本の常として全体は玉石混淆といわれるだろうな。その要因は、内容の充実度ということもあるけれども、学際的な本ですので、読者の好みも相当に分かれるだろうと思います。個人的には心理学系の紹介も楽しみました。
1 『イギリスの工場、日本の工場』
おぉ、と思ったのは久本先生の解説の中で、出来高払補足賃金が時間給で、基本賃率が(生産量に応じて支払われるという意味で)出来高給という箇所を引用しているところでした。ドーア先生の観察が細部にいきわたっていることを示す最高の例証です。ただし、これが異分野の人に分かってもらえるかどうかは謎。かなりマニアックな気もします。
ちょっと誤解を生むなと思ったのは、内部昇進と新規学卒主義の話について、小池先生を引いているところです。小池先生の一連の研究はほぼブルーカラーで、1990年代以降、ホワイトカラー、特に近年ではトヨタ技術者の研究を発表されてきました。そこではたしかに、一貫して内部昇進の重要性を指摘されてきました。とはいえ、手許に『ホワイトカラーの人材形成』がないので確認できないのですが、小池先生は他の著作や講演などでは一般にむしろ、学卒よりも、1年くらい働いた非正規からの登用(昔は臨時工、今は派遣)を重視されているように思います。その理由は一緒に働く人にとってはその方が仕事ぶり(能力も含めて)、人柄などが分かるということです。ただし、これはベテラン職長の意見、それに全く同意するという形でお話されるので、あくまでブルーカラーの話です。ホワイトについては、アメリカのインターン制を紹介されますが、日本ではお客さん程度で本格的な制度化していないということでしょう。その意味では新規主義といっても当らずとも遠からずでしょうか。私の個人的な印象では、新規学卒主義というのは制度の慣性という感じがします。
歴史的に新規学卒を見ると、日本は世界でもっとも早く大量の学卒を作り出した国です。一般に新規学卒一括採用が始まったのは第一次大戦期頃だといわれていますが、それまではかなり縁故を背景にした紹介が主でした。ところが、数が増えてくると、紹介も組織化してくる。そういう風に理解できるんじゃないかなと思います。ちなみに、戦前の学卒は相対的に少ないんですが、それでもかなり多いと思います。特に工学部卒を輩出したのは大きい。これは供給側のロジックね。
需要側からすると、いわゆる学卒ではないけれども、学校を入職窓口として利用したのは紡績会社でしょうね。彼らは戦後、長期にわたって新規中卒女子をターゲットにしていたわけですが、その嚆矢は大正期くらいからの小卒女子のターゲット化です。要するに、一括大量人員の確保です。これが需要側のロジック。特に成長期はこれが効くわけね。
ただ、終身雇用の説明に収斂するそういう特徴ももちろん、重要だと思うのですが、現在はむしろ、雇用のポートフォリオという形で、様々な雇用形態に注目が集まっています。実は、そういうのは明治時代からあるんですね。基本的には労働市場が買い手市場になると社会問題化する傾向がある。
もちろん、久本先生も従業員ピラミッドの年齢構成を紹介しており、労働市場の需給の影響があることは重々承知されています。それに、この本自体、石油危機直前に出されているので、高度成長期がポイントだということは注意すれば分かります。が、歴史的に読む習慣がない人は、パッと読むと分かりにくいかもと思いました。やっぱり、異分野の人に分かってもらうのは骨ですね。
2 『東京に働く人々』
私の独断と偏見では、この本の中でもっとも重要なものは八幡成美先生の『東京に働く人々』の解説です。本自体の解説というより、石原都政に潰された都労研調査の重要性についての歴史的証言としてぜひ読まれるべきでしょう。
3 『日本企業の人材形成』
小池先生の説を取り上げるのに、なぜこの本なのかはやや疑問が残ります。荻野氏が担当されるならば、『もの造りの技能』について書いて欲しかったなぁ。順当なところで『職場の労働組合と参加』。もっともこの本の趣旨から離れて言えば、論文ではKoike, Kazuo, "Skill Formation Systems in the U.S. and Japan: A Comarative Study," in Aoki, Masahiko ed., The Economic Analysis of the Japanese Firm, ELSEVIER SCIENCE PUBLISHERS B.V., Amsterdam, 1984に当られるのがよいでしょう。知的熟練の概念はまだ生まれていませんが、小池キャリア論のエッセンスはここにあります。また、フリーマンによるコメントも同じく重要です。小池先生の説を勉強したい方はご覧下さい。
4 『改訂版人間性の心理学』
言わずと知れたマズローの代表作。執筆者は望月由起さん。すみません、存じ上げません。トラパを取り上げるかどうかはとっても微妙な問題をたくさん含んでいますが、改訂版が出る晩年までのマズローの活動や変化を踏まえるならば、核とせざるを得ないんですね。解説では簡単に触れられているだけですが、見出しにされたのはそういうもろもろの意味があるのでしょう。その意気やよしです。
その他
グラノベッターの『転職』を取り上げるんだったら、野沢慎司編の『リーディングスネットワーク論』が良かったと思います。グラノベッターの論文も入っているし、キャリアを企業内にとどまらず、まさにライフサイクルという視点で捉えるならなおのこと。第二段は家族社会学の研究がもっと取り入れられることを期待したいです。歴史関係ではハレーブンの『家族時間と産業時間』が一押しです。
それから、賛成するか反対するかは別にして、マースデンの『雇用システムの理論』は労働問題を考える人には必読ですよ。


