Facebookで回って来た「日米仏の思考表現スタイルを比較する」というインタビュー記事が面白かったのと、ここのところ、Facebookのコメントのやりとりや、リアルでの大学院生にいろいろなことを伝えたりするなかで、この方法の問題を改めて考えるようになったので、そのあたりの話題を今日は書いてみたいと思う。

明治以前(もうちょっと延伸して戦前)の日本は漢文の型というものを持っていたけれども、それが失われてしまったと一般的によく言われている。今の生活綴り方的なスタイルの作文って、大正期に作られたものではないかと私は思っている。学校教育のなかで誰に言われたのか覚えてないけど、作文を日本の随筆の伝統に連ねるのはおそらく嘘、というか、少なくとも創られた伝統だろう。その推測の根拠は、この問題には丸谷がよく論じていたように口語の成立の問題が関わっており、これは間違いなく明治以降、もっと具体的に言えば、二葉亭四迷以降の話である(ただ、講談とかを含めるともうちょっと微妙だと思うけど)。生活綴り方作文は、ドイツの新教育とか、アメリカのデューイの経験主義(プラグマティズムの一つ)の影響を受けたもので、「生」とか「経験」とかを重視する流れで、だからこそ、1920年代以降に広まったんだと思うんだよね。

丸谷才一流に言えば、型の重要性を見失ったということでもあるんだけど、他方、型のありようがつまらないものを生み出すということはたしかにあって、それに対して辟易していた側面も否定できない。具体的に上げると、戦後の作文論では一世を風靡した清水幾太郎に『日本語の技術』という本があって、その本の中には紋切型の漢文で文章を書いてくる人の話が書いてあって、それよりは作文力は上がっているというのが彼の評価だったと思う(というのは、この本が見当たらなかったため)。何といっても圧巻なのは、阿部 筲人の『俳句』(講談社学術文庫)で、素人の紋切型表現をこれでもかというほど具体的に並べて、分類している。だから、型があった方がかって自由というのは、そこまで到達できる人の話で、広く言えるかというと、そう言えないと思う。

私は欧米と日本の違いは、方法論の差ではないか、と思う。たしかに、近世以前から日本には型があったけれども、それは素読のようなもので、有無を言わさず、文字通り体得するものであって、そのことについての方法論が十分に発展してきたとは言えないのではないだろうか。この分野は西洋ではレトリックとして古代から研究され、蓄積されてきた。もちろん、日本でもそういうものは輸入され、あるいは独自に咀嚼されてはいるが、十分に文化として定着しているとは言えない。それは「レトリック」がまるで詐術、そう「嘘も方便」のような意味で使われることからも知られる。

個人的には、佐藤信夫のレトリック本、丸谷才一『文章読本』の大岡昇平の『野火』だけで鮮やかにレトリックの具体例を解析して見せたもの、渡部昇一のレトリック関係のエッセイ、篠沢秀夫の文体論なんかは、20代にはずいぶん、読んで、表現方法ということについては考えてきた。テキスト分析をする人にとってはこのあたりの知識は当然、一般常識の範囲なんだろうけれども、私の周りには概念とか思想を分析する人がいなかったので、話を共有することは出来なかったし、今日書くまで話したこともなかった。渡部、篠沢は保守論客だし、左右のレッテルで思考停止してしまう人も少なくないので、そういう人たちには説明するのも面倒くさいというのもあったのだが。まあ、しかし、話をした方が有益な話が返ってくることが多いので、話せばよかったと思うけど。

体得信仰は歴史の実証史研究系の人には結構今でも生きている(私は理論の検証という意味と差別化するために若いころから出来る限り、考証という言葉を使って来たが)。なので、方法論を嫌って、方法は研究のなかに埋め込まれているという考え方の人も少なくないと思う。でも、それって掘り出してくれなきゃ、いつも議論している同世代の仲間内以外、分かんないじゃん。これと対比的なのは、コースワークで、経済学では昔、近代経済学と呼ばれて、今は主流派と自称しているグループがアメリカのそれに飛びついていったのも故なしとはしない(ただ、誤解のないように言っておくと、いわゆる近経の研究者が全員、コースワークを無条件に良いものと考えているわけではない)。東大だと経営もこれに乗った。労働もやろうと思ったけれども、失敗したという噂は聞いた。

方法論は気を付けないと、方法論のための方法論に陥っちゃうけど、そこのところに焦点を当てて、うまく深めていく研究会を組織していったのが酒井泰斗さんの一連の試みだと思っていて、私もそこから多くのことを学んで、ここ数年、研究会での発言はそういう視点からの「何を明らかにしたくて、どうやるの?」というタイプのものが多くなった気がする。

さはさりながら、歴史研究では読んだ資料の数がものをいうという側面があり、これは完全に体験なんだけど、逆に言えば、ここから先は体得するしかない、というのと、もうちょっと方法論で詰めることが出来るというのを区別してアプローチすればよいんだと思う。これ、労働領域で言えば、要は体得=OJTで、しかし、OJTをより有効にするためのOffJTの組み方もあり得るよねという技能形成の話になるかな。
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2017年9月24日(日)に第一回社会政策史研究会を開催しました。報告は東大の院生の坂井晃介さんの博士論文構想報告で「19世紀後半ドイツにおける「社会」概念の社会政策的含意」でした。50分くらいの報告の後、2時間くらいの熱がこもった議論が展開されました。報告者を入れて9名です。

おそらく研究会のレポートだと、発表内容や発言について正確な趣旨で理解した上で、紹介しなければならないのですが、実際にはそういうことは難しいし、そもそも報告者はともかく参加者のお名前を紹介の許可を取ったわけでもないので、そこで展開された議論から、私が面白かったなあ、示唆を受けたなと思うことを備忘代わりに少しまとめておきたいと思います。

大きく分けると、方法の問題と概念をめぐる資料についての議論がメインでしたね。特に研究会で一番議論が熱くなったのは、概念をめぐる議論でした。原語のニュアンスが伝わる用語選択がよいのではないか、とか、そもそもテクニカル・タームは昔みたいに原語でよくない?という話も出ました。ここからが表現が難しいのですが、同時代的な一般的な広い用法と、後の時代を牽引していくような重みのある使い方をどう扱うのかというような話ではないかと思います。たとえば、社会国家、福祉国家につながるような言葉が19世紀にあったとして、その一つはゲゼルシャフトかもしれない。でも、当時の人も、おそらくその後の人も、日常語として使う場合もある。この多様な使い方に注目する意味がどれくらいあるのか。また、ゲゼルシャフトという言葉は使われていないかもしれないけれども、後生の人がゲゼルシャフトをめぐって議論することは、当時は別の用語で使っているかもしれない。そういう類似の用語を見つけ出して、19世紀に福祉国家の発想の源泉を見出すということとある時代に使われていた一語の多様な使い方を明らかにすることととは方向性が違うわけで、そのどちらを目指すのか。

私が関わる近年の研究会では、基本的にはどうすべきか、というよりも、報告者が何をやりたいのかという問題意識の確認をするようにしています。だから、研究会での質問も自然とそういうものが多いですし、私からも最初に意図してそういう仕方で質問をして流れを作っています(主催でなくても、そういう質問をすると、上段からの若者叩きを止めることが出来ますから)。そういう共有しようという基盤がないと、少なくとも学際的な対話は難しいように思うんですね。ただ、録音データを聞き返したら、参加者の方がその方針に徹してくれていました。やっぱり20代は体力があって、こちらは後半、疲れてくると、緊張感が明らかに落ちていますね。ただ、ここは個人ブログなので、遠慮せず脱線しますよ。

ちなみに、7月に準備会をやったときには、適切なマウンティングが必要という意見もあって、そのバランスは難しいなと思います。適切なマウンティングというのは、たとえば単純に知識不足による誤解などの訂正とかです。これは本当は一番難しいんだな。

用語分析、概念については、自分で集めた資料ではなく、誰かが編纂した資料集を扱う場合、その編纂そのものについての分析ないし観察が必要じゃないか、という議論が繰り返し行われました。こうまとめると、見えなくなるんですが、研究会では重要なテーマが形を変えて(言い方、アプローチを変えて)繰り返し出てくるというのは、私は結構よい傾向だと思っていて、内在的な疑問を出していって、それに対して様々な表現方法があり得るわけで、そういうものが出てくるというのはやはり全体で理解を深めようという気持ちの表れだと思うので、とても生産的だと思います。というか、普通に気分がいいですよね。

資料集編纂はわりと簡単に分かるんじゃないかという発言があったので、適切なマウンティング・チャンス!と思って発言したんですが、希少な資料だから入れるという価値判断もあるし、統一的な編纂方針だけで貫徹し得ないという話と、もう一人の、そもそも編纂者が意図していることが実現できているかどうか、あるいは意識していないでやっていることも考える必要がある、という意見があって、これはなかなか重要な論点です。私が大原で資料復刻を考えるとしたら、価値が高いけど、わざわざ多摩の山奥まで来てもらうのも大変だし、もっと広く知って欲しいなというやつを入れたいと考えそうですね。この場合の価値が高いは、わりと広い分野の人に役立つという意味です。編纂者は一人じゃないから、いろんな人の意見がぶつかって、すりあわせたり、より良いものになったりするわけですから。

個人的には、今後、一次史料を使っているということの価値は急速に下落していくと思います。それは世界的にデジタル・アーカイブスが充実してきているからで、日本はまだまだ遅れていますが、それでも国立公文書館のものなんか政策史研究ではなかなかの衝撃度です。私、この夏書いていた論文は、大原の資料はともかく、公文書館のデジタルアーカイブスを結構利用したのと、社人研の館文庫、それから一橋の美濃口旧蔵資料をインターネット検索で見つけて、実際に見に行きました。その直近の経験からすると、まだ昔ながらのやり方と、これからのやり方の過渡期だなとは思います。それでも昔だったら、一本の論文書くのにこんなにたくさんの一次史料は使わなかったですね。作業を始めたときは、大原の協調会文庫で見つけた資料と館文庫で、一次史料使うことで付与される価値はクリアと思ったんですが、後から論点に関わる資料がガンガン出てきたので、作業量的には参りました。

なんでこんなことを書いたかというと、歴史研究は相変わらず、誰も使ってなかった一次史料を使っただけで与えられる研究のオリジナリティに依存しているところがあるけど、昔からそれだけではダメだという人はいて、たとえば私の知っている限りだと、橋本寿朗先生の追悼に武田晴人先生が書いたのはそのことでした。『戦間期の産業発展と産業組織』の解題に書いてあると思います。もう明確に、研究が進まないのは一次史料がないからではない、二次史料でも出来るんだぞというメッセージでした。経済史とか経営史の先生方は理論的なバックグラウンドも当然、勉強されていて、私の印象だと深く勉強しているほど表に出さないで、割と軽い人はちょっと読んですぐに論文に入れちゃう。そういう隠れた力がこれからものを言う時代になるんじゃないかな。そこ行くと、歴史社会学もやりようによっては存在価値を示すことは全然可能だと思います。

それにそもそも、歴史研究をやっている人間からすると、十数年もやっていれば、自分が分析できるだけの資料の量よりも多くのまだ誰にも扱われていない一次史料の所在知識が入ってくるわけで、そういうキャリアに入った人が使われていない一次史料を使いましただけというのはやはり物足りないと思うんですよね。その研究が史観を変えるくらいであれば最高ですけど、少なくとも分析手法とか、着眼点とかに新味が欲しいですよね。

さはさりながら、この理論とかテーゼとか方法とかを取り出してきて、歴史を解釈するというのは相当に難しいんですよね。坂井さんはたまたまルーマンを扱っているけれども、ここに別の人が当てはまっても同じなんです。ここで説得力を出すには相当の準備立てをしなければならないんですよね。当日、私が下手をすると、どこからでも叩かれやすくなってしまうリスクがあると言ったら、他の参加者から、誰からも叩かれるというのは、広く問題提起しているんだという画期的視点が出されました。汎用性が高いので、ここに紹介しておきます。みんな、どんどん使って、いろんな人を励まして下さい。

それはともかく社会政策に関連するところで言うと宇野経済学の段階論がここで苦しんできたわけです。かつて1990年代前半まで宇野経済学の段階論はそれなりに影響力を持っていましたが、今ではほとんど振り返られないです。宇野経済には三段階論があって、原理論、段階論、現状分析(歴史も含む)の三層に分かれています。一応、理屈ではこの三つは相互に連関しているんですが、実際は難しい。私、これにこだわって、三年くらい宇野段階論、考えてました。あるとき、原論で有名な先生と飲んだ席で、この三つを本当に貫徹できるのかという話を聞いたら、そりゃ無理だよと笑って仰ってて、そりゃそうだよなと得心しました。

抽象度が異なる次元で、それぞれ意味はあるんです。ただ、すごく抽象的な理論と、すごく具体的な現状分析(普通で言う歴史研究)は基盤があるから、研究も蓄積されやすいんです。前者はいわゆる主流派経済学や厚生経済学を見てもそうだし、後者は歴史研究、少なくともある時期までの私が知ってた頃の日本経済史にはそういう基盤があった。でも、段階論的な立ち位置は難しい。ディシプリンを異にする領域でも同じだと思うんですよね。方法的な拠り所があまりないから、基本的にはどれだけもっともらしいことを言えるか、というところで勝負することになる。丸山一門とか講座派とかこういうタイプの人、多かった気がします。もちろん、それに意味がないわけではなく、重要なんですが、うーん、そこで勝負するのは厳しいです。ここは結構、悩み多いところですよね。

ということで、第一回なので、丁寧にエントリを書いてみましたが、次回以降、こんなことをやって続くわけがありません(そもそも私はあまり録音を聞かないのです)。今回は最初だから、自分なりに今後の研究会を考える上でもアイディアを整理するために書いてみました。

ホームページも作ったので、よかったら、ご覧になってください。
もう、あと2週間弱になってしまったので、完全に紹介が出遅れてしまったのですが、新宿の紀伊国屋書店で「『ワードマップ現代現象学』刊行記念フェアいまこそ事象そのものへ!」が開催されています。私もすぐに出かけて行って、ブックレットをもらい、ワードマップその他数冊、買ってみたのですが、このブックフェアは社会福祉系の人たちにとっても、すごく有用だと思うので、ぜひ首都圏にいらっしゃる方は店頭にお出かけになるといいと思います。

といっても、私は現象学がどういうものかまだ十分に理解していないので、その方面からこのブックフェアの価値を語ることは出来ないのですが、それでも行った方がいいと推薦します。その理由は二つです。

一つは、このブックフェアが酒井泰斗さんのプロデュースによるものだということです。酒井さんは幅広い問題を勉強され、そのトピックで誰に書いてもらったらよいものが出来るかという、自己本位、そうここが重要なポイントなんですが、消費者運動として自分が読みたいものを集めています。それでこれだけの人が協力して、書くということは、書き手もその価値を認めているということで、これはプロデュース力以外の何物でもないのです。客観的にどこがどういいか分からないですが、私の勘ではよいと思います。

もう一つは、「ケア」に関する哲学的な、あるいは理論的な考察を深めていく材料がたくさん散りばめられていることです。このブックレットの中にも「ケアと看護」というそのものもあって、なぜ現象学的な考察がこの分野で出てくるのかということが少し分かりました。それ以外にも心理学と密接に発展した行動科学だとか、人間科学だとかは酒井さんがここ数年、調べているところですが、それに関連する問題も出て来ます。「ケア」は時代によってはフロイドの精神分析の影響を受けたり、ロジャーズの来談者中心療法の影響を受けたり、そのときどきの心理療法の影響を受けていたりします。

この論点は意外と労働問題とも深いかかわりがあります。というのも、テイラー(ないしギルブレス夫妻)が始めたと思われている動作時間研究ですが、実際に同時代にこれらの研究を進めたのはアメリカでも日本でも実験心理学研究者です。それは簡単に言えば、心そのものは捕まえられないので、人間の「動作(ないし行動)」を代理指標に研究していたからです。これが心理学が科学化を志向したこととも関わっています。実際、アメリカの人事研究者というのは長く心理学者でしたし、職務分析は今なお、心理職の重要な仕事です。分野的には組織行動論がそういうタイプですね。

心理学は教育学にも大きな影響を与えて来ましたし、教育と労働は近接だし、歴史的にも社会政策では研究されてきました。そういう意味で、ここら辺はとても興味深い分野です。ただ、正直言うと、ここまで読んだ皆さんもなんだか分かったような分かんないなという感じでお付き合いいただいたと思いますが、書いている私もよく分かっていません。心理学のディシプリンと関連諸科学がどうかかわってきたのか、どう理解すればよいのかは、私の中では実にモヤっとしていて、ずっと気にかかっています。これもそのうち、集中的に勉強するかと思っていますが、このブックレットはその時の水先案内人の一人になるはずです。

というわけで、こんな感じの問題関心の文を読んで、フェアに行ってみて、ああ本当だ役立ったなと思った方がいらしたら、ぜひ、どの辺が面白かったのか教えてくださると、私も勉強になり、助かります。ぜひ一度、お運びください。2017年9月末までみたいです。
先週の火曜日に人事院勧告が出ましたね。などといって、たまたま教えていただいたわけですが。

人事院勧告はその成り立ちから考えれば当然、今の給与水準をどう考えるかということを考える材料を提供してくれるわけで、今回も月給、ボーナスが(わずかながらも)あがったのかというか、そういうところにまず注目が行くと思うのですが、意外と重要なのは「公務員人事管理に関する報告」で、これは端的に近年の人事管理まわりに関連する政策(今は働き方改革ですが)を中心に、人事院がどのような問題意識をもって考えているのか、ということを端的に示しています。ただ、実際にどんなに勧告を出しても、人事院はやはり公正中立な立場を求められる以上、どうしても一歩、踏み込んだ表現をすることは難しいんですね。そうすると、勢い、毎年、同じようなことを繰り返すことになる。

政治家ないし政党と官僚の関係というのは戦前から難しいのですが、私は自民党にせよ、民進党にせよ、そろそろ公務員に重点的に投資するという政策を打ち出してくる政党があってもよいのではないかと考えています。自民党に即して考えても、彼らが、というより中曽根さんが総評つぶしをやったときのような、共産党ではない戦闘的左派の存在という条件はもう今やなくなっています。そうなると、あの頃やった国労バッシングのような公務員叩きはあまり得策ではなくなってきている。それから、直近で、前川問題でにわかに注目された内閣人事局があまり成功しているとは言えない。内閣人事局は上級公務員の人事権を握ることには成功したのですが、その運用がうまく行っているとは言えません。うまく行っていないというのは、少なくともこの一連の動きで、民衆はうさんくさいと思っており、その限りでは安倍政権は大打撃を受けているからです。この失敗はなぜかということを考える必要があるでしょう。

もう一つ、人事院はここ数年、人材確保の重要性を言い続けているのですが、おそらく労働市場の好転にともなって、この課題はますます深刻になってくると思います。公務員でなくとも、金銭的報酬でそれ相応に遇せない場合には、他の形、特に精神的な報酬が提供される必要があります。かつてはそれが国家のためということで納得できたわけですが、今や公に資する方法は公務員以外にも開かれています。労働組合もまったく下手なのですが、古くからあるところはよほどうまく宣伝しない限り、古臭いという偏見だけがマイナスに働きかねません。しかも、これは公務員全般へのイメージでもあるので、各省庁で工夫して何とかなるというものではなく、人事院や内閣などが本格的に動くしかないのですが、そのための予算も十分ではない。予算がないというのは財源がないということもありますが、そこが少なくとも政治家にとって戦略的に重要だと認識されていないということでもあります。だから、私は来年あたりは踏み込んで、戦略的に人材確保をしないとまずいんだ、そのためには予算が必要なんだということを、もっと直接的な表現で訴えてもよいのではないかと思います。思いますが、これは外野からだから、そう言えるのであって、人事院の立場では難しいでしょうね。ただ、上の人事権だけを握るのではなく、公務員全体の処遇を上げていくというのは、悪くない戦略ではないかとずっと考えてはいます。

大正時代くらいだと、各企業は優秀な学生がみんな官に流れるので、なんと給料をあげました。今や流れは完全に逆で、仕事の魅力を効果的に伝えられなければ、処遇改善はまったなしでしょう。というか、民間準拠は高度成長の時に太田池田対談で決まったわけですが、あの頃と今では状況が違う。平均した民間に準拠していたら、経済的に考えれば、優良企業との人材確保競争に勝てるわけがないのは火を見るよりも明らかでしょう。

この点で民進党に期待できないのは安倍政権以上です。こうなると、社会民主主義的な考え方をする政党が出てこないと難しいですけれども、これは難しいんだよな。1930年代から1940年代にかけての革新を再生させるのが私的には理想かなと最近は考えているのですが、それは今、勉強中のところでもあるので、そのうちに何か書くかもしれません。
田中萬年先生からコメントをいただきました。先生からは外在的な批判ではないかという趣旨をいただき、その限りでは「その通りです、すみません」というお答えしかできないのですが、そうなった理由もそれなりにあって、そして、そのことを説明することが、萬年先生が一番気にされている先生と私の意思疎通の問題に答えることにもなるのではないか、と思います。

運動としてなのか、研究としての評価なのか、ということで、そこはたしかにきれいには線引きしていません。ただ、私から見ると、田中先生の問題設定自体が極めて、学問的というよりは、職業教育の今日的立場を明らかにするという実際的な、それ自体は切実な問題意識に基づいていると思っています。そして、佐々木先生ほど田中先生の書かれるものは、そこが線引きされていない、というのが私の印象なのです。

ここでは研究として、ということで、書いておきましょう。私は先生の研究アプローチ自体に大きな疑問を持っていて、政策理念についての分析はその当事者がどう考えていたかを明らかにすることは出来ても、日本全体で職業教育、職業訓練、教育(いずれでも構いませんが)を論じるには適当な素材ではないと考えています。そうしたテーマであれば、代表的な論者の議論を検討するだけでは明らかに不足しており、より広範な雑誌、新聞、その他での意見などを精査して、実際の教育が日本においてどのように受け取られていたのかということを明らかにすべきでしょう。端的に言って、もっと考証すべき事柄が多いと思います。だから、私の田中先生の御著書への評価は、歴史研究の考証作業としての貢献には興味深い点が多くあり、かつ学ぶべきことも多いが、その成果は必ずしも先生の主張をサポートしていないということです。言い換えれば、問題設定と方法が必ずしも一致しているとは言えない、そういう判断です。

その上で、田中先生の質問に答えるならば、「教育勅語」についてどう思うかですが、端的に教育勅語についての私の見解を述べよという意味ならば、答えは「分かりません」です。少なくとも帝国日本における憲政のあり方、皇室制度の位置づけを理解しているとは言えませんし、さらに、ある種のナショナリズム的高揚がどのように起こったのか、そのなかで教育勅語はどう利用されたのか、あるいはどう受容されたのかについて、研究史を精査した上で、どのように考えているとは言えません。さらに、教育勅語廃止に関連しても、日本国憲法の成り立ち、その思想的背景、とりわけ若き日の稲垣良典先生が研究されたらしいカトリック思想の寄与について、あるいはそれらの事柄を踏まえた田中耕太郎の思想を検討して、国体レベルでの連続性をどう考えるのかということも分かりません。こちらは上の方の議論なので、それと受け止められ方はまた別に考える必要があります。それに皇室あるいは共産党流にいう天皇制と教育との関係でいえば、戦前には教育勅語だけでなく、戊申詔書を中心とした地方改良運動、その後の明治神宮設営における青年団の活躍、1920年代の日本主義の興隆などをトータルに考えなければならないのは言うまでもありません。

加えて、戦前の実業教育で教育勅語が問題になるのは1920年代に公民科を作るときくらいで、それ以外の時にはいろんな審議会等の速記録を読んでいますが、教育勅語との関係を踏まえて議論するなどということはほとんどないのではないでしょうか。だから、そもそも学校以外での狭義の職業訓練、普通教育ではない学校で行われる実業教育のいずれにしても、教育勅語と組み合わせて考えなければならないという局面はほとんどないと考えています。具体的に言えば、実業教育史研究のなかで、三好信浩さんの産業教育史研究、小路行彦さんの『技手の時代』にも私の記憶する限り教育勅語は出て来ません。そもそも、教育勅語をどう考えるのかは大して重要ではありません。それよりも、戦後の教育学界隈を縛ったのは戦時総力戦体制の中で学校がどう組み込まれていったのか、そこで産業とどう関係していたのかということであって、この文脈において教育勅語が果たした役割は、あったとしても限りなく周辺的なものであっただろうというのが私の見通しです。とはいえ、私は「勤労新体制」でさえもただのキャンペーンで大して重視していないので、そのあたりはそれぞれで割り引いて受け取ってください。

田中先生の職業訓練の概念は、通常の職業訓練だけでなく、私が実業教育と呼ぶものから、普通教育のなかで教えられる一部にも及んでおります。私は概念を拡張する試みを中身としては別に否定しませんが(そういう解釈もあり得るとは思います)、実践的にも研究的にもあまり意味がないのではないかと思っています。読み書きそろばんも職業訓練そのものだという考え方も、実際にはそのような職業訓練を拡張する考え方を提示することは別段、何をもたらすこともないでしょう。この限りでは以前、『非教育の論理』の合評会をやった頃から私は何も変わっていません。今読み返すと、内容は別に変らないのですが、自分の青臭い感じが恥ずかしくて、わああああという気分なので、リンクは貼りません。なお、この段落だけ部分引用禁止です。