いよいよ新年度が始まりますね。

2017年度の大原社会政策研究会の第一弾は、JILPTの客員研究員の高原正之さんにご報告いただきます。案内はここにあります。

時間:2017年4月21日(金) 15時20分~
場所:法政大学多摩キャンパスエッグドーム 会議室5階

今回はいつもと違って、高原さんが昨年のJIRRAで報告されて、そのあと、ペーパー化された「解雇規制は本当に日本の就業率を下げているのか?」(『日本労働研究雑誌』2017年特別号)を素材に議論したいと思っています。この研究会では、あまりこういうパターンはなかったんですが、高原さんから論文をいただいて、これをみんなで読んでみるというのもいいんじゃないか、ということで高原さんにお願いして今回の形になりました。議論の前には、高原さんから「解雇」についての簡単な解説をしてもらい、そのあと、論文についての議論をしたいと考えています。

この論文の主旨は、大竹文雄・奥平寛子の実証研究に対しての問題提起なんですが、お二人の研究は解雇無効判決変数と就業率の関係を分析し、労働者寄りの判決が出ているところでは就業率が下がるという結論になるというもので、これに対して、高原さんはデータの解釈の仕方が正しくないのではないかという問題提起をされ、簡単に言えば解雇法制が就業率にどのような影響を与えているのか以前、謎のままであると議論されています。

私は統計関係の研究会に出ないのでよくわかりませんが、本来だったら、この問題に対してのデータと変数の作り方、特にそのような問題についてアプローチするにはどのような方法があり得るのか(改善点等を含めて)などを議論するんでしょう。ただですね、この研究会は、統計学についての前提知識が共有されている研究会ではなく、もともと分野横断的に様々な若手研究者の交流の場にしようという問題意識で開いているので、当然、統計学そのものをよく知らない人も多いでしょう。だから、なぜ、こういうことを議論するのか、というような初歩的な、しかし、根本的な話から聞いてみたいというのも全然、ありです。というか、こういうところじゃないと、なかなか恥ずかしくて、そういう話、聞けないと思うんですよ。そういうのにぜひ利用してほしいです。

老婆心ながら、私自身も統計的な手法を使わないので偉そうなことは言えませんが、どんな分野でも統計学が入ってきているから、基本的なリテラシーとしてある程度は知っておいた方がいいよ、と言っておきたいですね。もう今はいないかもしれませんが、まだ私が大学院生だった頃は、統計的な手法を使うことにどんな意味があるのかといって毛嫌いする人が結構いました。でも、ロジカルに書くという意味では、統計的な実証論文に慣れ親しんでおくのは結構、よいことだと思います。というのも、歴史とか調査とかだと、事実の圧倒的なリアリティに頼って、しばしばロジックが飛んだり、あとは歴史だと、最後は論理で並べるのは難しいから時間で並べるかという誘惑にかられるときがありますからね(私だけ?)。時間順に並べると、なんとなく論理立っているように見えるんですよ、不思議なことに。

それから、高原さんはもともと労働省の統計情報部長をやられた方ですから、統計の実務面にも通じていらっしゃいます。高原さんはこの研究会が始まった頃からよく参加されていたので、最初の頃は飲み会で、官庁の統計を見せてほしいという話をしてもたらい回しにされるんだけれども、どうすればよいのかというような話題が議論になったりしていました。そういう意味では、直接、解雇と就業率だけに関心を持っていなくて、労働統計関係でいろいろ悩んでる若手院生の方もぜひ参加してください。

いつもは事務局の藤原、畠中、私の三人の誰にでも声をかけていただくだけでよいんですが、今回は、資料配布の関係もあって、参加される方は、私宛に所属とお名前を添えてメールしてください。私のアドレスは、ryojikaneko@gmail.comです。どうぞよろしくお願いします。

追記 ちなみに、奥平論文はここです。
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NHK第一ラジオの夕方ホットトークという番組に出演することになりました。3回続く「賃金の研究」のラストということで、「年功賃金を歴史から考える」というお話をすることになります。

12月24日(水) 17:30~17:45
NHK第一ラジオ 夕方ホットトーク

政労使会議で安倍首相が年功賃金の見直しを示唆したことがこの問題のきっかけになっていると思います。第一回は私も聞けなかったのですが、今週の月曜日にありました。第2回は明日、日立の改革を取り上げるそうです。私も聞きたいと思っています。政労使会議の中の話を聞く限り、日立の改革は年功賃金の見直しという文脈じゃないようにも思いますが、実際にはどう説明するのか気になるところです。生ものだから、どうなるか分かりませんが、政労使会議ももう既に今年度分は終了してつい先日「取組み」も発表されたので、そのあたりのことも話の展開次第では出てくると思います。私も楽しみです。
この研究会は藤原千沙さんの発案で、同僚の畠中亨さんと三人で始めたものです。その趣旨は、院生などの若手研究者に発表の場を作って、大学を超えた交流を図るということにあります。私自身は、森先生の弟子として、研究は一人でやるものだということを叩き込まれていて、読書会などそのときは一生懸命やって後に残らない、というようなことを聞いて育って来たので、自分のキャリアの上であまりそういう必要は感じなかったのですが、仲間を作るということは思った以上に大事なことだと思ってやっています。

この夏から初めて既に半年近く経ったのですが、参加しているみんながこの研究会をとても大切に思ってくれていて、とてもよい研究会に育って来ていると感じています。雰囲気も居心地のよい感じなので、大学院生の皆さん、あるいは博士号を取ったばかりくらいの若手のみなさん、ぜひいらしてください。

第5回 大原社会政策研究会
金子良事「日本における企業別組合の起源」
12月3日(水)15:20〜17:20
法政大学多摩キャンパス エッグドーム5階、研修室1、2

私は完全にバッファーで、来年以降、春までは予定が決まっているのですが、12月はポンと空いてしまったので、その埋め草として報告します。

ただし、研究蓄積の薄い分野で研究している院生は、蓄積の深い分野を知りませんので、わりと丁寧に研究史をサーベイするつもりです。労働史の問題関心、方法がどのように変遷して行ったのか。今、どのようなことが問題なのか、といったことです。そういう意味ではレビューが20分くらいかな。

企業別組合の起源については、私の中ではほぼ決着がついています。というのも、一応「工場委員会から産業報国会へ」でおおまかな道筋は付いたなと思っています。

私の中で解き明かさなければならない問題は二つで、一つは「ブルーカラーとホワイトカラーの混合組合の起源はどこか」ということと、もう一つは「事業所別組合ではなく、企業別組合の起源はどこか」ということです。両方の問いは、すべて工場委員会制度に戻って行きます。ただ、あの論文は、私が分かったことを書いただけなので、ちょっと節間の関係なんかが十分に議論されていない嫌いがあります。そこで、その部分を少し丁寧に説明しようと考えています。

とはいえ、もう一つの研究報告とは違って、専門分野の研究ですので、労使関係史、労働史に関心のある方には面白い議論になると思います。また、現状に関心がある方は、研究会でも飲み会でもお話ししましょう。

そして何より、研究に関心があるんだけども、なかなか敷居が高くて、自分一人でやっているという方、ぜひ一緒に研究しましょう。広く門戸は開かれています。
大原社会問題研究所では毎月一回、研究員による研究会を行っています。外部に開かれているものですので、どなたでも参加することが可能です。ただ、基本的には誰か知り合いに、参加する旨を伝えて下さると、みんなびっくりしないので、助かります。

今月の報告、つまり、来週の水曜日に、私が報告します。

15:00から16:30まで
大原社会問題研究所共同会議室
金子良事「近代日本における「社会的なもの」

この二週間くらいずっと、この問題を考えて来たんですが、煮詰まって来て、様々な文献を読み散らかしたあげく、着地点が分からないという状況ですが、この週末、なんとかしたいと思っています。

このテーマ自体は『社会的なもののために』メンバーから研究会で喋ってくれという依頼を受けまして、その試験として選んだのです。ただ、あとで別エントリで書きますが、最近、大原社会政策研究会なるものを仲間たちと初めまして、院生の人たちとも関わるようになってきたので、あんまり途中のいい加減な報告が出来ないということになってきて、よい意味でプレッシャーになっています。

ここで考えたいことは、なぜ社民主義が日本に根付かなかったのかということなのですが、そこのところを掘り下げて考えて行く予定です。今のところ、

1 日本では社会運動と労働運動の離陸期に普通選挙が実現したため、すべてが政治運動と重なったこと
2 西洋に比べて、キリスト教のような強大な宗教が存在しなかったこと。その含意は、カトリックのような財政基盤がなかったこと、社会思想の中核がないということ

といったあたりを考えています。このアイディア自体は前々からあるんですよね。結局、いろんな運動がイデオロギーと党派でとりあえず語られるということがあって、これは抜きがたい宿痾だなと思います。まあ、でも、ここらあたりのことはほとんど話さないかもしれません。

勉強自体は、農村社会学や都市社会学、ナショナリズム研究なんかを視野に入れて進めて来たんだけど、それもどういう風に絡めるかよく分かんないんだよなあ。でも、日本では近代化の過程で政治運動がまず一番にあったということは動かしがたい。その次に労働運動があり、これは政治とは違う文脈。だけど、その二つが普通選挙で交叉する。そこから迷走が始まるのかな。いずれにせよ、国制も含めて考えなきゃならない。

というわけで、こちらの研究報告はお勧めしません。
夏学期の終わりに復興食堂に遊びに来てくれた学生と一緒に帰ったことがありました。そのとき、彼が興味深いことを言ってました。私の講義は難しいし、全部理解できているとも思っていないけれども、それでも緊張感があるからいいんだ。どういうことかと思ってもう少し詳しく聞いてみると、今、大学では高校生までの復習のような簡単な授業もあって、そんなものは教科書を読めばわかるので、寝てしまう、と。正直に言えば、メチャクチャ嬉しかった。でも、そういう意見もあるんだなと客観的に聞いている自分もいました。

大学の講義の意味って何だろうというのは、私もそこに関わるものとして素朴に考えます。大上段に構えれば、ミルの『大学教育について』のような考え方に私も基本的に賛成します。ただ、逆に言うと、職業訓練だって突き詰めて言えば、実践的に役立つ知識だけを教えているわけではないんだと思うので、この二分法がかえって不要な混乱を招いているような気がしないでもない。たとえば、旋盤の動かし方は実践的な技能かもしれませんが、新井さんが教えるコミュニケーション・スキルのようなものは、すぐに役立つというより、今後その能力を伸ばして行く上での基盤的な能力とでもいうんでしょうか、そういうものを培うものだと私は思っています。そうすると、これは昔から「教養」と呼ばれてきたものと境界が難しくなる。まぁ、実態としてはそれでいいんでしょう。

冬学期の私の非常勤の講義は「労使関係」と「生産・人事管理」です。非常にざっくり言ってしまえば、「労使関係」の方は合理的にゴリゴリ押して行っても最後にはグレーなところがあるよ、というような「交渉」を理解する上での重要なことを身につけてもらいたいなぁと思います。「生産・人事管理」はその逆で20世紀の企業人(工場人)は合理的をゴリゴリ推し進めていって、ここまで到達しましたよ、というところを紹介したい。そういう意味では両方が近いんだけど、両極かもしれません。だけど、こっちじゃない極もあるんだよ、という世界をチラチラと紹介しながら、進めていければいいですねぇ。