2014年10月02日 (木)
POSSEの24号、いただきました。いつも、ありがとうございます。今回から稲葉剛さんの連載が始まったんですね。これは楽しみ。そして、ひっそり、仙台POSSEの被災地通信が終ったんだな、残念。hamachan対談、人を最初えーっ!と驚かせて、最後、常識的なところに落ち着く、というのは「つりばし効果」を利用した一つの手法なんだなという感想。
雑誌としてはここ数号で全体の構成が安心して見られるようになって来ました。バランスよく、現場が分かる記事があり、少しだけ理論的なことが分かるような記事がある。
小さい記事だけど、編集部の「相談機関の統廃合によって何を失うことになるのか」が重要な記事です。これは東京の事例ですが、既にほとんど潰されたところも結構あります。こういう問題をさらに、学術的に深めていく考察と、あわせて掲載されるといいですね。
仁平さんの今日の記事、掛け合いは面白いけど、内容はきわめて怪しいなあ。フォードシステムが行き詰って多品種少(量)生産に70年代に転換したという話ですが、経営学では、1920年代にGMがフルライン戦略でフォードを抜き去っていて、この時点で転換したと言うのが教科書レベルの常識で、その常識が間違っており1920年代には自動車のニーズが「開放型ボデー(オープンカー)」から「閉鎖型ボデー」に代り、そこではフォードは価格競争力でもそんなに優位に立っていなかったというのが和田一夫先生の議論なんですが。。。教科書レベルの話すら入っていない。頭が痛いですね。『ものづくりの寓話』、61-75頁を読んでくださいね。
仁平さんの話って、スズカン・寺脇さんの『コンクリートから子どもたちへ』と同じレベルなんだけど、なんかある世界ではこういう共通了解が出来てるのかな。困ったもんです。小池和男先生の議論までは理解しなくてもいいけど、せめて藤本隆宏先生の「標準の絶えざる改訂」ということくらいは分かって欲しいなあ。そういう基本的なことも理解できるように、あの本を書いたんだけど、なかなかそうは伝わらない。難しいですねえ。
フォーディズムとか、ポストフォーディズムで何かを語る人はよく分かってない蓋然性が高い、というのが私の持論です。
雑誌としてはここ数号で全体の構成が安心して見られるようになって来ました。バランスよく、現場が分かる記事があり、少しだけ理論的なことが分かるような記事がある。
小さい記事だけど、編集部の「相談機関の統廃合によって何を失うことになるのか」が重要な記事です。これは東京の事例ですが、既にほとんど潰されたところも結構あります。こういう問題をさらに、学術的に深めていく考察と、あわせて掲載されるといいですね。
仁平さんの今日の記事、掛け合いは面白いけど、内容はきわめて怪しいなあ。フォードシステムが行き詰って多品種少(量)生産に70年代に転換したという話ですが、経営学では、1920年代にGMがフルライン戦略でフォードを抜き去っていて、この時点で転換したと言うのが教科書レベルの常識で、その常識が間違っており1920年代には自動車のニーズが「開放型ボデー(オープンカー)」から「閉鎖型ボデー」に代り、そこではフォードは価格競争力でもそんなに優位に立っていなかったというのが和田一夫先生の議論なんですが。。。教科書レベルの話すら入っていない。頭が痛いですね。『ものづくりの寓話』、61-75頁を読んでくださいね。
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仁平さんの話って、スズカン・寺脇さんの『コンクリートから子どもたちへ』と同じレベルなんだけど、なんかある世界ではこういう共通了解が出来てるのかな。困ったもんです。小池和男先生の議論までは理解しなくてもいいけど、せめて藤本隆宏先生の「標準の絶えざる改訂」ということくらいは分かって欲しいなあ。そういう基本的なことも理解できるように、あの本を書いたんだけど、なかなかそうは伝わらない。難しいですねえ。
フォーディズムとか、ポストフォーディズムで何かを語る人はよく分かってない蓋然性が高い、というのが私の持論です。
2014年01月01日 (水)
皆様、あけましておめでとうございます。
昨年は一昨年からの懸案であった賃金の歴史本『日本の賃金を歴史から考える』を上梓することが出来ました。ありがとうございます。研究書として出版したわけではなかったんですが、何人かの方からは高く評価をいただき、本当に有難いとただただ感謝あるのみでした。2011年の年末以来、東日本大震災の復興を支援する活動を続けて来ましたが、本の出版以来、賃金の歴史研究者として求められることが多くなりました。研究者として今、何がもっとも必要とされ、なすべきことなのか。それは震災以来、一度も忘れたことはない問いかけです。
春闘までは賃上げをすることがどうして必要なのかを説いていくことになるでしょう。それと同時に組合を中心に(人的なつながりがそこにあるので)、労働問題などを考えて行く学習会を積み重ねることが必要になってくると思います。ただし、それは必ずしも組合関係者だけに限定する必要はないとも考えています。
もちろん、今、被災地は重要な岐路に立っています。私がずっと通っている大槌も近いうちに激震が走るでしょう。そのときのために出来る限りの準備を進めています。すべき準備がよく分からないので、じつはものすごい焦っていましたが、なるようにしかならない。時が来れば、やるべきことは定まるでしょう。というのが、ここ数日の気分です。
研究の方は、年末までは労使関係の歴史を書くか、社会政策の歴史を書くかということで迷っていました。しかし、今は社会政策の歴史を書こうと考えています。ただし、形式はあくまで『日本の賃金を歴史から考える』と同じ一般の方向けにしたいと思います。なんか大学院時代から一番よく私の書いたものを読んでくれている先輩が今回の本で驚いて、こんなに分かりやすく書けるんだったら、これで行けばいいんじゃないといわれたこともあります。もともと、私は研究は人にわかるよりも、自分が分かったことを書くというスタイルでやってきたんですが、それはもう不要ですね。とはいえ、これは一年以内に完成するというのは難しいでしょう。でも、少しずつ積み重ねていくつもりです。
いずれにせよ、焦らずノンビリ行きたいと思います。このブログもゆるーく続けて行きますので、皆様、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
昨年は一昨年からの懸案であった賃金の歴史本『日本の賃金を歴史から考える』を上梓することが出来ました。ありがとうございます。研究書として出版したわけではなかったんですが、何人かの方からは高く評価をいただき、本当に有難いとただただ感謝あるのみでした。2011年の年末以来、東日本大震災の復興を支援する活動を続けて来ましたが、本の出版以来、賃金の歴史研究者として求められることが多くなりました。研究者として今、何がもっとも必要とされ、なすべきことなのか。それは震災以来、一度も忘れたことはない問いかけです。
春闘までは賃上げをすることがどうして必要なのかを説いていくことになるでしょう。それと同時に組合を中心に(人的なつながりがそこにあるので)、労働問題などを考えて行く学習会を積み重ねることが必要になってくると思います。ただし、それは必ずしも組合関係者だけに限定する必要はないとも考えています。
もちろん、今、被災地は重要な岐路に立っています。私がずっと通っている大槌も近いうちに激震が走るでしょう。そのときのために出来る限りの準備を進めています。すべき準備がよく分からないので、じつはものすごい焦っていましたが、なるようにしかならない。時が来れば、やるべきことは定まるでしょう。というのが、ここ数日の気分です。
研究の方は、年末までは労使関係の歴史を書くか、社会政策の歴史を書くかということで迷っていました。しかし、今は社会政策の歴史を書こうと考えています。ただし、形式はあくまで『日本の賃金を歴史から考える』と同じ一般の方向けにしたいと思います。なんか大学院時代から一番よく私の書いたものを読んでくれている先輩が今回の本で驚いて、こんなに分かりやすく書けるんだったら、これで行けばいいんじゃないといわれたこともあります。もともと、私は研究は人にわかるよりも、自分が分かったことを書くというスタイルでやってきたんですが、それはもう不要ですね。とはいえ、これは一年以内に完成するというのは難しいでしょう。でも、少しずつ積み重ねていくつもりです。
いずれにせよ、焦らずノンビリ行きたいと思います。このブログもゆるーく続けて行きますので、皆様、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2013年12月11日 (水)
安部総理の演説と河野太郎議員のブログエントリを読んで、今回の騒動の裏側が見えてきたような気がする。もちろん、私は誰でも知り得る情報しか持っておらず、基本的にここから書くことは全部、憶測である。でも、面白いと思うので、御用とお急ぎでない方はゆっくりと聞いておいでなさい。
結局、今回の特定秘密保護法はデモのおかげで成立したようなものかもしれない。たしかに、今回のデモはもう少しで法案に影響を与えかねないレベルまで迫ったようにもみえた。しかし、他方で他の反対を封じ込めた面があるように思う。今回の特定秘密保護法の戦線は多くの人が誤解したように政府と民間にあるのではなく、行政と議員の間にある。行政だけでなく、大臣もこれをコントロール出来るように法文化するのだから、これは画期的である。
通常であれば、官庁は族議員を通じてプレッシャーをかけて廃案に追い込んだろう。しかし、今回はこれだけ大規模な反対運動が起きた。しかも、脱原発のときとは違い、報道された。規制されなかったのである。規制できるのに、されなかった、ということは規制しない方が得するグループがいるということである。自民党である。
そう考えれば、不可解な石破幹事長のテロ発言も合点が行く。ミリタリーオタクというイメージを利用した戦術ということになろう。世間には軍事専門家と軍国主義の区別が付かない人がたくさんいる。事実、反対者はあのテロ発言で勢いづいた。よく考えたら、最初、安部総理もアメリカや他国からの機密情報を得るということを目的と主張していた。安全保障問題のみと思わされた。だからこそ石破発言が効いたのである。注文通り、治安維持法云々で騒ぎが起きた。
戦後、治安維持法に該当する危険な法律があるとすれば、破防法である。しかし、この破防法はオウム真理教のときでさえも適用されなかった。それくらい運用に慎重なのである。特定秘密保護法にもし危険があっても、運用で抑えることが出来るのである。もし、それが出来ないときは、何をやってもダメな潮目になっている蓋然性が高いと思う。そのときはそのときでもっと恐ろしい法律が作られるだろう。
なぜ自民党が得をすると考えられるのか。デモが勢いづけば、官庁は反対しづらいからである。反対派同士、手を組めばよいと思うかもしれないが、そうではない。デモというのは、原則制御しきれるものではないからである。その不確実性を官僚は嫌う。デモの結果、政策が裏返ったとなれば、次にデモが起こったときの勢いは必ず増す。脱原発にも飛び火しかねない。それは避けなければならない。受けるしかないのである。デモに関して言えば、やはり再稼働反対デモに比べれば、勢いが弱かった。そういう意味では今回は多少、焚き付けても、抑え込めるという見通しがもちろん、あったはずだろう。しかし、これ以上、勢いづけるのはまずい。微妙なラインである。
河野議員のエントリを読んで、こうやって最初から教えてくれれば良かったのに、というコメントがある。法案が通ってから解説を始めるのにはもちろん理由がある。しかし、自分たちの情報発信の仕方が悪かった、申し訳ないと言えば、誰も傷つかない。反対派のなかで治安維持法云々といっていた人たちはもちろん、こんなことでは納得しないだろう。しかし、そういう人たちは最初から何を言っても納得しないのだ。だから、聞いてくれる人たちに対して、発信し、受け取ってもらえれば、とりあえずよい。そうやって少しずつ、イメージを回復させればいい。とはいえ、急に変わったらまずいから、石破幹事長はまた失言している。でも、この前より程度は軽くなっている。こんなものはほとぼりが冷めたら忘れ去られてしまう。
本当の狙いは世間で喧伝されたのとは逆で官庁が独占している情報の独占を止めることにあった。すべて行政は根拠となる法によって動いている。それが法治国家である。だから、法を作った。あえて逆イメージを流布するのは、もちろん、それでも通せるという読みがあるからである。メディアの報道できる量は一定だから、特定秘密保護法とそのデモで埋まってしまう。デモに出ていたり、シンパシーを感じている人は、デモが報道されていれば、文句はない。それを見て連帯意識を確認し、しかし、自分たちの声を聴かない政府に憤りの声をあげる。そうやって騒いでいる間にいくつもの重要な法案を通してしまう。野党もこれだけ真剣に反対しているから、誰も文句を言わない。野党の顔も立つのである。
誰がシナリオを描いたのか知らないが、自民党には相当の戦術家がブレインにいるんだろう。安部さんは本当に再登板まで準備してきたんだな。政治が面白くなってきた。
結局、今回の特定秘密保護法はデモのおかげで成立したようなものかもしれない。たしかに、今回のデモはもう少しで法案に影響を与えかねないレベルまで迫ったようにもみえた。しかし、他方で他の反対を封じ込めた面があるように思う。今回の特定秘密保護法の戦線は多くの人が誤解したように政府と民間にあるのではなく、行政と議員の間にある。行政だけでなく、大臣もこれをコントロール出来るように法文化するのだから、これは画期的である。
通常であれば、官庁は族議員を通じてプレッシャーをかけて廃案に追い込んだろう。しかし、今回はこれだけ大規模な反対運動が起きた。しかも、脱原発のときとは違い、報道された。規制されなかったのである。規制できるのに、されなかった、ということは規制しない方が得するグループがいるということである。自民党である。
そう考えれば、不可解な石破幹事長のテロ発言も合点が行く。ミリタリーオタクというイメージを利用した戦術ということになろう。世間には軍事専門家と軍国主義の区別が付かない人がたくさんいる。事実、反対者はあのテロ発言で勢いづいた。よく考えたら、最初、安部総理もアメリカや他国からの機密情報を得るということを目的と主張していた。安全保障問題のみと思わされた。だからこそ石破発言が効いたのである。注文通り、治安維持法云々で騒ぎが起きた。
戦後、治安維持法に該当する危険な法律があるとすれば、破防法である。しかし、この破防法はオウム真理教のときでさえも適用されなかった。それくらい運用に慎重なのである。特定秘密保護法にもし危険があっても、運用で抑えることが出来るのである。もし、それが出来ないときは、何をやってもダメな潮目になっている蓋然性が高いと思う。そのときはそのときでもっと恐ろしい法律が作られるだろう。
なぜ自民党が得をすると考えられるのか。デモが勢いづけば、官庁は反対しづらいからである。反対派同士、手を組めばよいと思うかもしれないが、そうではない。デモというのは、原則制御しきれるものではないからである。その不確実性を官僚は嫌う。デモの結果、政策が裏返ったとなれば、次にデモが起こったときの勢いは必ず増す。脱原発にも飛び火しかねない。それは避けなければならない。受けるしかないのである。デモに関して言えば、やはり再稼働反対デモに比べれば、勢いが弱かった。そういう意味では今回は多少、焚き付けても、抑え込めるという見通しがもちろん、あったはずだろう。しかし、これ以上、勢いづけるのはまずい。微妙なラインである。
河野議員のエントリを読んで、こうやって最初から教えてくれれば良かったのに、というコメントがある。法案が通ってから解説を始めるのにはもちろん理由がある。しかし、自分たちの情報発信の仕方が悪かった、申し訳ないと言えば、誰も傷つかない。反対派のなかで治安維持法云々といっていた人たちはもちろん、こんなことでは納得しないだろう。しかし、そういう人たちは最初から何を言っても納得しないのだ。だから、聞いてくれる人たちに対して、発信し、受け取ってもらえれば、とりあえずよい。そうやって少しずつ、イメージを回復させればいい。とはいえ、急に変わったらまずいから、石破幹事長はまた失言している。でも、この前より程度は軽くなっている。こんなものはほとぼりが冷めたら忘れ去られてしまう。
本当の狙いは世間で喧伝されたのとは逆で官庁が独占している情報の独占を止めることにあった。すべて行政は根拠となる法によって動いている。それが法治国家である。だから、法を作った。あえて逆イメージを流布するのは、もちろん、それでも通せるという読みがあるからである。メディアの報道できる量は一定だから、特定秘密保護法とそのデモで埋まってしまう。デモに出ていたり、シンパシーを感じている人は、デモが報道されていれば、文句はない。それを見て連帯意識を確認し、しかし、自分たちの声を聴かない政府に憤りの声をあげる。そうやって騒いでいる間にいくつもの重要な法案を通してしまう。野党もこれだけ真剣に反対しているから、誰も文句を言わない。野党の顔も立つのである。
誰がシナリオを描いたのか知らないが、自民党には相当の戦術家がブレインにいるんだろう。安部さんは本当に再登板まで準備してきたんだな。政治が面白くなってきた。
2012年08月26日 (日)
昨日、いつものコミッション21というライオンズクラブの有志の方が集まっている勉強会に出席して、ようやく伸吾さんをみんなに紹介することが出来た。その帰り、伸吾さんの車で夜の東京を見て、渋谷だったり、赤坂だったり、六本木だったり、の活気のなさを見てきた。伸吾さんいわく、みんなおしゃれをする余裕さえもなくなった、とのことだった。時代の流れは確実に変わりつつある。
近頃、ツイッターのTLを眺めていると、よくデモの話を聞く。脱原発のデモは今までのデモの常識を変えてしまった。いや、正確には労働運動も何も知らない世代に、新しい時代のデモを見せたのだと思う。それは言葉で表現することがとても難しい。それはきっと米騒動を見た人たちが感じたような原体験を、きっと僕たちもしているんだろうと思う。短期的には、今の段階ではまだ、脱原発デモは成功しないだろう。傍観者的で申し訳ないが、この脱原発デモがどれだけ成果をあげないまま、継続させることが出来るのか、とても関心を持っている。
というのも、結局、今回の脱原発デモは原発そのものをめぐることよりも、多くの人に祝祭を与えた、という意味の方が大きいと思うからだ。そして、その影響はきっと方々でのデモに、一つ一つは小さな規模であったとしても、参加者の心に灯された火を消すことなく、少しずつ広まっている。
震災が起こって、従来からNPOやNGO活動をしている団体の存在を多くの人は初めて知った。そして、少なくとも僕は、社会政策という社会問題に近い分野を研究していながら、その実態にほとんど興味を持っていなかった。正直に言えば、今もそんなに熱心にそれらの活動を調べるほどの情熱は持っていない。にもかかわらず、そうした団体の少なからぬ情報が流れてくる。何かがつながったのだ。震災で起こった原発事故。それに端を発する脱原発運動。今度は逆流して社会運動に影響を与えるのだろうか。
社会運動は昔から貧乏くさい。今の活動もそんなに予算があるとは思えない。だからこそ、デモは今の時代の流行になり得るのではないか、という気がしている。ツイッターで気軽に繋がって、問題意識を刺激し合えたら、気軽に出かける。ちょっとした友達の噂話みたいな気軽さで、町の中からそういう話題が聞こえてきたら、日本社会はきっと今とは姿を変えているだろう。今でさえきっと日本は変わり始めている。
近頃、ツイッターのTLを眺めていると、よくデモの話を聞く。脱原発のデモは今までのデモの常識を変えてしまった。いや、正確には労働運動も何も知らない世代に、新しい時代のデモを見せたのだと思う。それは言葉で表現することがとても難しい。それはきっと米騒動を見た人たちが感じたような原体験を、きっと僕たちもしているんだろうと思う。短期的には、今の段階ではまだ、脱原発デモは成功しないだろう。傍観者的で申し訳ないが、この脱原発デモがどれだけ成果をあげないまま、継続させることが出来るのか、とても関心を持っている。
というのも、結局、今回の脱原発デモは原発そのものをめぐることよりも、多くの人に祝祭を与えた、という意味の方が大きいと思うからだ。そして、その影響はきっと方々でのデモに、一つ一つは小さな規模であったとしても、参加者の心に灯された火を消すことなく、少しずつ広まっている。
震災が起こって、従来からNPOやNGO活動をしている団体の存在を多くの人は初めて知った。そして、少なくとも僕は、社会政策という社会問題に近い分野を研究していながら、その実態にほとんど興味を持っていなかった。正直に言えば、今もそんなに熱心にそれらの活動を調べるほどの情熱は持っていない。にもかかわらず、そうした団体の少なからぬ情報が流れてくる。何かがつながったのだ。震災で起こった原発事故。それに端を発する脱原発運動。今度は逆流して社会運動に影響を与えるのだろうか。
社会運動は昔から貧乏くさい。今の活動もそんなに予算があるとは思えない。だからこそ、デモは今の時代の流行になり得るのではないか、という気がしている。ツイッターで気軽に繋がって、問題意識を刺激し合えたら、気軽に出かける。ちょっとした友達の噂話みたいな気軽さで、町の中からそういう話題が聞こえてきたら、日本社会はきっと今とは姿を変えているだろう。今でさえきっと日本は変わり始めている。
2012年03月31日 (土)
森先生の退官記念講演とパーティに参加して来た。あのとき、私はみんなが話していた感慨とは別の気持ちを抱いていた。私にとってはすべてが懐かしい話だった。森先生は反骨でないものは学問ではないと言われたけれども、私は反骨精神を持った森先生や和田先生の講義を割と素直に聞いていたので、内容は骨の髄までと言ったら、そこまでは習得出来てないかもしれないが、しかし、私の思考パターンの根幹を形成している(もっとも、あるとき、和田先生に「私はそもそも和田先生で自動車産業史を勉強したので、和田先生がスタンダードです」と言ったら、困った先生に「それは変わってる」と返されたが)。
『雇用関係の生成』と『イギリス農業政策史』を比べたとき、前者の方が圧倒的に魅力なのはほとんど森先生に師事したものならば、異論がないのではないかと思う。これは繰り返すまでもないが、私ら労働の院生でおよそ『雇用関係の生成』を読んで、衝撃を受けるというのが多分、私くらいまでは通過儀礼だった。具体的に誰と誰が影響を受けたか確認できるレベルである。でも、『イギリス農業政策史』を書かれていく時期に近くにいた私は稲葉さんや稲葉さんが紹介している森先生自身とも別の意見を持っている。
一つは、この時期の森先生は八幡製鉄の労使関係とイギリス関連の仕事を並行されてなさっていた。このため、あるテーマへの集中度がどうしても分散されてしまった。第二に、森先生はこの時期、実証と重なる理論の探求をあんまりなさっていなかった。いつかヴェーバーをまた、ドイツ語で少し読み始めたんですよ、というのは聞いたことがあったけれども、先生のその理論的探求はおそらく八幡の労使関係に大きな影響を与えていないと思う。森先生が理論的な研鑽を積まれたのはバークレーに行かれていたときで、これは決定的に『雇用関係の生成』に影響を与えている。トクヴィルから入るあの問題提起を何度読み返したことか。理論、実証(というか考証=資料を読む)では頭の使い方がまるで違う。そのバランスが資料を読むことに傾き過ぎたということだろう。私は八幡製鉄の労使関係にもまた、別の意見を持っているが、それは公刊論文にして戦うべきことだと思う。
個人的にはこの二年間、教育の分野に傾倒したり、色々あって、成果を全然出せていない。まして、昨年からは一種の天命だと思って復興支援に全力を傾注して来た。そのことは後悔していないが、やはり負い目があった。先生の話を聞いて久しぶりに研究の楽しさが胸に去来した。「復興支援ですっかり実践ばかりやっていて、研究はまったく出来ていません」と申し上げたら、「それはエライね」と仰られた。それだけが救いだった。
『雇用関係の生成』と『イギリス農業政策史』を比べたとき、前者の方が圧倒的に魅力なのはほとんど森先生に師事したものならば、異論がないのではないかと思う。これは繰り返すまでもないが、私ら労働の院生でおよそ『雇用関係の生成』を読んで、衝撃を受けるというのが多分、私くらいまでは通過儀礼だった。具体的に誰と誰が影響を受けたか確認できるレベルである。でも、『イギリス農業政策史』を書かれていく時期に近くにいた私は稲葉さんや稲葉さんが紹介している森先生自身とも別の意見を持っている。
一つは、この時期の森先生は八幡製鉄の労使関係とイギリス関連の仕事を並行されてなさっていた。このため、あるテーマへの集中度がどうしても分散されてしまった。第二に、森先生はこの時期、実証と重なる理論の探求をあんまりなさっていなかった。いつかヴェーバーをまた、ドイツ語で少し読み始めたんですよ、というのは聞いたことがあったけれども、先生のその理論的探求はおそらく八幡の労使関係に大きな影響を与えていないと思う。森先生が理論的な研鑽を積まれたのはバークレーに行かれていたときで、これは決定的に『雇用関係の生成』に影響を与えている。トクヴィルから入るあの問題提起を何度読み返したことか。理論、実証(というか考証=資料を読む)では頭の使い方がまるで違う。そのバランスが資料を読むことに傾き過ぎたということだろう。私は八幡製鉄の労使関係にもまた、別の意見を持っているが、それは公刊論文にして戦うべきことだと思う。
個人的にはこの二年間、教育の分野に傾倒したり、色々あって、成果を全然出せていない。まして、昨年からは一種の天命だと思って復興支援に全力を傾注して来た。そのことは後悔していないが、やはり負い目があった。先生の話を聞いて久しぶりに研究の楽しさが胸に去来した。「復興支援ですっかり実践ばかりやっていて、研究はまったく出来ていません」と申し上げたら、「それはエライね」と仰られた。それだけが救いだった。