宇田川先生と四宮先生の編集で『企業家活動からみた日本のものづくり経営史』が刊行されました。


企業家活動からみた日本のものづくり経営史: わが国ものづくり産業の先駆者に学ぶ (法政大学イノベーション・マネジメント研究センター叢書)企業家活動からみた日本のものづくり経営史: わが国ものづくり産業の先駆者に学ぶ (法政大学イノベーション・マネジメント研究センター叢書)
(2015/01/15)
宇田川 勝、四宮 正親 他

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私も「先進的な工場管理と労使関係を完成させた紡績業:富士紡の和田豊治と鐘紡の武藤山治」を書いています。どうしても1919年のILO創立前後でこの二人が日本全体の労使関係が作られて行くプロセスで担った役割を描きたいという思いがあり、やや変則的な書き方になってしまいました。他の章とはちょっと変わっています。

ただ、個人的には改めて、この時期の問題を自分のなかで整理するうえで、よい機会をいただきました。御関心のある方はお手に取ってご覧いただければ、幸いです。
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これは拾い物でした。猪飼聖紀『合理の熱気球』四海書房、1991年です。タイトル通り、日本の科学的管理法を知るためにはこの本に当たるのがよいでしょう。思わぬ収穫に評価がインフレしている可能性はありますが、私の感覚だと佐々木聡、奥田健二、原輝史(編著)、裴富吉、高橋衛、野田信夫といった科学的管理法研究よりもこちらの方が面白い。もちろん、それぞれ立場もあるんですが。

この本は荒木東一郎という民間コンサルタントに光を当て、その生涯を描いたものです。よく勉強して書いてあるし、遺族や元部下などへの取材も相当に綿密にやられたんでしょう。荒木東一郎の名前は日本における科学的管理法の歴史を研究してきた人ならば、名前は知っていると思いますが、上野なんかに比べてあまり注目度が高いとは言えなかったんです。やっぱり上野は産能大学を残しているし、あそこに上野陽一文庫もあります。それに上野陽一については斎藤毅憲の素晴らしい伝記が書かれている。

単純に驚いたのは、東条英機に向って「アメリカと戦争をやっても負けるからそんなこと考えてないだろうな」と確認したり、戦時中は空襲をあまりにも正確に予測したためスパイ容疑で獄中につながれていたにもかかわらず、戦後は山下大将の助命運動をやってマッカーサーを批判し、逆にマッカーサーから認められるなど、とにかくその怪男児ぶりです。

上野と荒木の関係もこの本を読んでスッと入ってきました。実は1930年代の能率技師たちの立ち位置というのは重要だと思うんですが、そこらあたりもよく分かりましたね。ちなみに、研究上、空白地帯になっているのは、荒木東一郎とそれから海軍の波多野貞夫です。波多野も面白い人でご子息が歴史学者で晩年に伝記を執筆する準備をなさっていたそうですが、惜しくも亡くなられてしまいました。ちなみに、波多野精一がお兄さんなんですね。

すみません。すっかり内容の紹介になってない。でも、この分野はこの時代の経営史、労働史を考えたい人には必読ですよ。お姉さんの郁子の話も面白いです。これは女性史的に意味あります(第2章)。

とにかく筆者の筆力には驚かされました。ぜひお勧めです。
過去ログを読んで思い出したんですが、経営史学会でもひょっとしたら喋ったかもしれません。世界で初めての厚板工場の生産管理オンラインは八幡製鐵君津製鉄所ではなく、川崎製鉄水島製鉄所です。1967年12月のことです。君津は数ヶ月後です。実際はほぼ同時期に開発していたわけですが、事実は事実です。君津のIBMの話は有名ですが、水島は日本電気(NEC)がやりました。

水島製鉄所が有名になっていない理由はいろいろ考えられますが、ここで書いていいのかどうか分からないので、おいておきます。正直にいうと、私は資料的にもあの時点で気づいているべきでした。ただ、君津が世界初であるという説明をしているのも結構あるんですね。『わが国における厚板技術史』という日本鉄鋼協会が出した本、特に、各製鉄所の過去の主要人物が書いているものなので、おそらく決定版に近い。そこでも水島第一厚板が世界初と書いてあります。なお、川鉄はJFEのホームページに行くと技報が読めます。ただし、日本鋼管のものは古いものは読めません。本当は八幡の製鉄研究が全部読めるようになると大変、助ります。

本当に失礼しました。

和田先生にしか書けない、今後、製造業の歴史を研究しようと志す者にとって必読の書である。

物語形式に書いてあるので、予備知識がなくても読めるし、面白いと思うが、高村薫さんの書評を読まれるとさらに大まかな流れを掴みやすいと思う。生産管理についてまったく明るくない方はとりあえず、『ザ・ゴール』を読むというのもいいだろう。

私自身、先生から聞いたお話もあるのだが、それを紹介するより、私がどう読んだかを書きたいと思う。大きく言えば、トヨタにおいて生産システムがどのように作られていったのか、ということなのだが、現場群が一つの工場というシステムとしてまとめあげられていくプロセスが描かれているといってもよい。精確にいうと、下請部品会社からトヨタ工場内の各工程を含めて、生産システムとして結びついていったプロセス、というべきだろうか。

その前提としてフォードが作った大量生産システムがある。実は、和田先生の枠組みにとってフォードシステム=移動式組立ラインという寓話は格好のターゲットなのである。そのような寓話が受け入れた背景は、高村書評がいうように、生産工程全体を捉えていないからであろうか。たしかに、この点は重要な一つの論点である。しかし、それだけではない。フォード・システムをトータルに理解する上では、さらにもう一歩踏み込まなければいけないのだ。そして、そこが和田先生のユニークな点でもある。だが、具体的には読んでのお楽しみということにしよう。

今やトヨタは自動車の世界を制しつつある。だが、私の印象では同時代的なトヨタのシステムはたとえば1930年代の紡績業に比べて、1950,60年代の鉄鋼業に比べて、遅れているという印象だった。その違いは何だろうか。

最初に産業の発展段階の問題がある。が、それは紡績と比べた場合である。紡績は戦前に生産システムを完成させていた先進的産業であり、世界的にも既にトップだった。戦後は占領政策の標的にされ、しばしば貿易摩擦の対象という形で政局の人身御供になってしまった。国内では1950年代から衰退産業として捉えられており、それは国内の産業における地位という点では否定すべくもないけれども、同一産業として国際的に見たとき、競争力が急速に低下したわけではない。私は決して生産システムで負けたわけではなかったと考えている。日本の綿糸紡績が衰退した原因は、まずは化繊の興隆という技術革新、第二に人件費の高騰に伴う海外移転である。

他方、戦争が終わった時点での日米の鉄鋼業、それから自動車業との格差はそんなに大差なかったはずだ。もし、私が考えるように差があったとすれば、その原因は端的に言えば、政策的な重点的資金援助、業界全体の組織的対応の違いによるものだろう。この点では紡績は民間主体、鉄鋼は政府(官営八幡)が中心、という違いはあるけれども、ともに明治以来の伝統があり、自動車とは異なる点である。

それから、生産管理(工程管理)の重要性の違いが背景にある。自動車が組立加工産業であるのに対し、鉄鋼業が素材産業(プロセス産業)である。要するに、自動車は沢山の部品を集めて一台の完成車にし、鉄鋼業はいったん溶かした鉄から鋼にしていく工程で、下流に行くにつれ、製品数を増やしていくという違いである。この点では紡績も鉄鋼と同じである(ただ、厳密にいうと、紡績も鉄鋼も上流工程でいくつもの原料のブレンドをしており、さらにそこにまた、ブレンドの妙があるのだが)。自動車ではそもそも部品そのものの問題として互換性部品の問題があり、さらに部品をどう調達する点において生産管理が一貫して決定的にクリティカルな問題であった。だが、鉄鋼業は1950年代半ばに製品数が増加することで、急速に生産管理の問題がクローズアップされてくるようになった。

と、まぁ、いろいろ他にも比較して考えたいことは沢山あるのだが、とにかく、この本は比較の中心軸として、そういうことを可能にしてくれる信頼に足る一つの産業の生産システム史なのである。ちなみに、和田先生の議論をさらに深く理解するためには、

大量生産
・ハウンシェル『アメリカン・システムから大量生産へ』名古屋大出版会、1998年
経営学(ないし経営管理手法)
・土屋守章「アメリカにおける「管理の科学」生成の基盤」『経営史学』1-2、1966年
・辻厚生『管理会計発達史論改訂増補版』有斐閣、1988年

を繰り返し、読む必要がある。最初は土屋論文から入るといい。『管理会計発達史論』もあわせて読めば、科学的管理法=テーラーなどというレベルでは門前払い、ということがよく分かるはずだ。文章自体は達意の文章だから、読みやすいと思う。和田先生はパイオニアとして大変なことが沢山あったと思うが、我々後進の者はここから始めることが出来る。後発者の恩恵とはこのことだろう。

なお、ここ15年くらいでようやく、労働の分野でも賃金が予算との関係から議論されるようになってきたが、はっきり言って、まだまだ共有されているものは少ない。インダストリアル・エンジニアリング(IE)は労務管理とも密接に関係しているが、予算との関係、特に全体像から把握しないと理解できないだろう。こういう問題に興味がある方はぜひ、この四つの文献を熟読玩味して欲しい。ついでに、社会政策学会等で私を見かけたら、ぜひ声を掛けてください。議論しましょう。

ちなみに、ハウンシェル本と和田先生の本の表紙はディエゴ・リヴェラの壁画で対になっている。デトロイト美術館の南壁と北壁である。これはwikiのディエゴ・リヴェラの項目で全体像を見ることが出来る。両方、選択したのは和田先生ご自身で、ディエゴの絵には深い意味があるらしいのだが、残念ながら私には説明能力がない。

ものづくりの寓話 -フォードからトヨタへ-ものづくりの寓話 -フォードからトヨタへ-
(2009/08/10)
和田 一夫

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ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何かザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か
(2001/05/18)
エリヤフ ゴールドラット

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アメリカン・システムから大量生産へ 1800‐1932アメリカン・システムから大量生産へ 1800‐1932
(1998/11)
デーヴィッド・A. ハウンシェル

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安原さんにトラックバックと記事をかいていただきました。ありがとうございます。かえって、いろいろなお話を聞けて興味深かったです。さて、まだ、濱口先生から出された最後の宿題、武藤山治が残っています。これを片付けちゃいましょう。

私は武藤山治が偉大な経営者であることは疑いませんが、神戸の桑原さんみたいに彼がNO.1だとまでは思いません。鐘紡内でも多分、工場管理については藤正純が上です。鐘紡の温情主義は別に和田・武藤から始まったわけではなく、中上川や朝吹英二、特に朝吹さんからそうだったわけです。朝吹さんは大正初期まで財界のトップファイブに入る人気者です。和田さんも武藤さんも当時はまだ、話にならない。和田、藤のよき理解者でもあった。和田さんは大正中期のわずか数年、武藤さんは和田さん死後、本格的に政治活動をやりだします。ちなみに、武藤さんの仕事のうちで、社会政策的にもっとも意味があるのは共済組合じゃなくて、軍人恩給です。鐘紡の共済組合に拘るのは、古き社会政策=労働問題パラダイムに引っ張られすぎた見解です。

鐘紡も武藤さんも有名だったけど、昔の新日鉄や今のトヨタみたいな感じでは必ずしもなかった。有力企業の一つという感じでした。海外で有名になったのはILO効果です。あれは紡聯で相談して武藤さんを代表にしたんだけど、結果的には和田さんが行った方がよかった。なんでかっていうと、ILO会議のときに、向こうで富士紡の職工がネガティブキャンペーンをしたんで、武藤さんは非常に憤慨した。でも、和田さんだったら、自分ところの職工だから、一喝して終わりでしょう。和田豊治という人は、職工から役員にいたるまで絶大な人気を誇っていました。もちろん、労働問題の歴史をやっている方はご存知だと思いますが、ILO第一回会議は労働代表でもめました。職工にも言いたい思いはあるし、企業のネガティブキャンペーンが正しいかどうかは別にして、労働代表に関しては政府(農商務省)より圧倒的に正しい。ちなみに、和田さんは武藤さんを選出する政府側委員でした。ですから形式的に武藤さんを指名したのは和田さんです。

大原さんも地元では絶大な影響力を持っていたし、その後、彼が作った労研は全国的に影響力を持つに至りますが、1920年代には中央に対する影響力はあんまりなかった。実は、そういう意味では、武藤さんと大原さんはとても似ている。当時、武藤さんは鐘紡からあんまり出てこない人だと思われていた。武藤さんは硬派なので、正面突破の人です。健康保険のときも、健康保険よりもしっかりやってる共済組合はそれで代替させてもいいだろうと怒ってました。でも、これは政治的には敗北。その後、先ほど書いた例の軍人恩給なんかを成立させていく。

ちなみに、武藤さんは鐘紡を退職するときに多額の退職金、3万円だったかなを貰います。当時としても相当に批判された。鐘紡に対する彼の功績から考えれば妥当だという人と、いや雇用も拡大させていないなかでそれは貰いすぎだろうという批判があった。ただ、おそらくこのカネは政治資金だったと思います。どうも普選が実現したということで、大正デモクラシーを高く評価するのが一種の常識ですが、短期的には普選は事態を悪化させた。つまり、それまでは基本的には制限選挙ですから、選挙権を持っている人も少なかったのに比べて、要するに、実弾が大量に必要になったということです。武藤さんが実弾を使ったかどうかは分かりませんが、政治にかかる金の相場が一気に上がったことは推測されます。私利私欲のために使おうと思ったわけではないでしょう。

結局、武藤さんの記事を書きながら、思ったことは、経営史を展開させるにせよ、労働史(ないし労務管理史)を展開させるにせよ、時期によっては相当程度、政治史を踏まえる必要がある。いわんや、社会政策の場合をやです。

そうそう、武藤さんはキリスト教徒でしたね。ただ、私は武藤さんの場合、キリスト教とどう結びつけるのか分かりません。ただ、見ている印象では、キリスト教である必要があったのかな、という感じではあります。武藤さんにはパーソナルな経緯でキリスト教になられたんでしょうけれども、もし、他の経緯で他の宗教に帰依されても、あるいは、まったく宗教に帰依されなくても、同じようになったんじゃないかという気がします。彼は徹頭徹尾、算盤を弾ける人です。緻密に計算できるし、自分の行動原理をしっかり持っている。その行動原理の一部にキリスト教(ないしそれを巡る人間関係も含めて)は大いに関係しているでしょうけれども、その全部を説明できるとは思えません。とりあえず、あんまり、キリスト教の信仰の方面から説明する必要はないんじゃないかなというのが私の印象です。

武藤さんは全集も出ているんですが、あまりよい研究がないんですよね。何冊か出ているのは読みましたが、私には何にも残りませんでした。ちなみに、鐘紡は業績的には日本の製造業で間違いなくナンバーワンであった会社で、科学的管理法を先駆的に取り入れたり、先進的な労務管理制度をやったりと、簡単な事実は知られています。ところが、まともな研究がほとんどない。ほとんどないという意味は「この研究は紡績一企業を扱っているけれども、すごく面白いから、ぜひ読んでみてよ。きっと役に立つよ」あるいは「日本の紡績を語るにはこの鐘紡研究をまず読まなきゃダメだよ」と他の隣接分野の人に勧められるものがないということです。それでも鐘紡の生産システムに興味がある方は、藤正純さんの回顧録を読んでみてください。

大原さんとの関係でいうと、宇野利右衛門をどう理解するかが重要なポイントになるような気がします。宇野は富士紡にはほとんど入ってなかった。多分、関西を中心にしていたので、影響力は及ばなかったんでしょう。ただ、彼はクラボウや鐘紡には関係しているし、大阪で方面委員をやった小河滋次郎の雑誌で書いている。パイオニア的な仕事は間宏先生がなさったけど、それをどう掘り下げるのかという課題は大きなものとして残っていると思います。