同僚の米山忠寛さんから論文「戦時体制論」をいただく。ありがとうございます。米山さんは4月に『昭和立憲制の再建』を刊行されたばかり。やはり、実証的な研究が一息つくと、こういう大きな見取り図を考える時期が来るんだなという感想。

内容については、戦時期の考察なんだが、私は佐藤成基さんの『国家の社会学』やゾンバルトの『戦争と資本主義』のように、総力戦というよりも、戦争をめぐって諸制度が整えられるという側面の方が重要なような気がしている。

政党と官僚との間の問題は、官僚の科学志向と、政治家には後藤新平のような例外を除いてついに科学的思考が定着しなかったこと(というより、今もしておらず、なおひどくなっている!)を一枚、噛ませる必要がある。1910年代からシンクタンクが作られ始めて、昭和研究会や国策研究会なんかも登場する。これはなぜ日本では欧米に比べて政策科学が十分に実際の政策に役立てられていないのかということとも関連するだろう。

米山さんの研究とは関係ないけど、私はやっぱり、戦争に負けたということが大きいと思っていて、今までは「転向」とか、戦後は進歩的なことを言っていても戦時期にこんなことを言っていたぞというような糾弾をしたり、そんな感じで知識人・学者は語られて来たんだけれども、そんなことよりも、内容が対極的でも、発想の仕方が変わらないことなんかを明らかにする必要があるように思う。たとえば、宗像誠也とか。それに、戦時中の家族主義イデオロギー(皇国観)って実際には近代主義の擬態だったりすることもある(戦時の日本的賃金論はよい例)。あと、これって「転向」者にも適用できる。たとえば、清水幾太郎とか。清水は研究はともかく、左にも右にもアジテートして人を迷わせたという意味で、非常に罪深い存在だと個人的には思う。

ちなみに、私は日本が福祉国家として遅れたという言説にもすごく疑問を持っている。日本が福祉国家として不十分であるというのは、基本的に高度成長期を通じて、経済成長ほどに福祉は改善していないという実感から来るもので、ベヴァリッジの福祉国家構想の核である社会保険+完全雇用+公的扶助と考えた場合、皆年金制度や職安行政(完全雇用と関連)を見ても、かなり成功させてしまったと言ってもよいだろう。もちろん、そのことが単純に良かったとか、日本が優れているという話をしているわけではない。結果だけ言うと、日本は社会権の考え方などが大きく遅れを取ってしまっていて(たぶん、移民問題を本格的に経験しなかったからだが)、むしろ根本的に課題が多い。社会政策を研究している人は本当に痛感してると思うが、日本はベヴァリッジ風のなまけものにはスティグマを与えるべきだという価値観が未だに根強い。日本で思想潮流を難しいわな。

エントリが論文の内容とあまり関係なくて、ごめんなさい。頭の整理にはなりました。
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学祭の法政大学多摩キャンパスに降り立ち、ひたすら図書館にこもってました。今日、読んでいたのは、鈴木栄太郎の『日本農村社会学原理』と『都市社会学原理』、それから奥井復太郎『現代大都市論』、その他関連文献。いやあ、昔の人はすごいなあ。

戦前、柳田や熊楠の民俗学や、法社会学・法制史、社会学の実態調査が1920、30年代に蓄積されていった。鈴木がこの本を出した1940年は、そうした成果を、アメリカのシカゴ大学の都市社会学やrurban sociology(都鄙農村社会学、ruralとurbanの合成造語)を横目に見ながら、理論的に整理する必要があったのだろう。これは富永健一が指摘した通り、今風に言えば、中範囲の理論ということになる。たぶん、その後の日本の農村の展開などを踏まえると、このタイミングで書かれなければ、書かれることがなかった名著だろう。ただ、当然と言えば当然だが、鈴木はこの農村社会学原理の発見にかなり囚われた、と思う。こういう言い方は身もふたもないけれども、彼の都市社会学はかなり篤実な研究だが、その根本においてどうしても農村社会学を転倒させた、とみられるところがある。

今となっては思い出せないが、私は都市と農村ということに院生時代から興味だけは持っていた。持っていたけれども、今日になって初めてこれを読んだということは、都市社会学も農村社会学も本格的には勉強していない。せいぜい有賀喜左衛門を読んだくらいだ。ああ、思い出した。雇用関係の歴史を勉強するので、法社会学や法制史の文献を少しかじったことがあったんだった。段々、思い出した。昨日の研究会で名前を出したくて忘れていた中川善之助。『民法風土記』は面白かったなあ。

話を戻して、鈴木栄太郎の自然村の概念は、共同体論の粋だろう。読んで驚いたが、ものすごい理論的な概念なのね。冗談で言えば、マニュ論争で、労農派が正しかったことが立証できれば、自然村をひっくり返せるのかも(笑)。

しかし、都市は分からない。もう少ししたら、関一と井上友一の再考を含めて、奥井に戻って来ないとダメだな。それはそうと、小松隆二先生の奥井社会政策論はやや贔屓の引き倒しだと思う。戦前はむしろ、労使関係に限定しない方が社会政策としては主流、それはたとえば、社会政策体系なんかを見てみると、明らか。これは内務省地方局の勝利。みんなが思っているように、社会局じゃない。そのもっと前の地方局。しかし、それも今から考えると、社会政策=労働問題と固定化されないようにするカモフラージュだったのかも。このあたりはよく分からない。大正5年くらいから内務省あたりですごいルーズになんでも社会政策と呼び始めたというのは、神戸正雄のどこかのエッセイに書いてあった。彼は救済事業調査会の委員でもあるし、そういうところに近い人だったと思う。

まとまらないけど、もともと、このブログはそういうところなので。
遅まきながら竹内先生の丸山論を読んだ。素晴らしい本だった。私は正直、戦後の教養主義の洗礼を受けた、竹内先生のあとがきの言葉でいう大衆エリート、それから学生運動の人たちとの距離感がよく分からない。ただ、この本を読んで、一つのヒントは何となくもらったなという気がしている。

『教養主義の没落』もそうだが、この本でも竹内先生の原体験がいたるところで、語られている。実はこの事実は非常に重要な意味を持っている。明治以来の教養主義は、姿かたちはいろいろと変化させてきても、実践という性格を色濃く継承してきた。それはあるときは西田幾多郎に見られるような座禅であったり、また、あるときはマルクスの影響を受けた各種の運動であったりした。つまり、客観的に教養主義を語るということは、教養主義者であることを放棄するに等しいのである。そういう意味では、竹内先生の姿勢は真に教養主義的である。

もう一つ、この本における竹内先生の真骨頂は、あとがきでさらっと書かれた「若い世代の読者のためにも、分かりやすい論述を心がけた」というところにある。なぜか?

実は223ページから3ページにわたって竹内先生は世代境界闘争を論じている。丸山が旧自由主義者と自らを断絶させたように、吉本隆明は花田清輝や丸山真男と自らの世代をくっきりと区切った。そういうことが明快に論じられているのだ。私から見ると、二度の大戦を通じて世界的な大変動の中で、どこか旧世代との連続性を否定する必然性があったように思える。しかし、竹内先生自身は違う。徹底的に丸山を分析し、その欠点ももちろん把握した上で、そうならざるを得なかった時代の必然性等を多面的に提示する。そして、その方法は丸山真男から初めて学んだ知識社会学の手法なのだ。批判的継承である。次の(次の?)世代の我々にとっては一つの見本である。

だが、個人的にはやっぱり合わない。親子ほどの世代差があるというのも大きな理由だが、やはり私は人格形成という面では完全に法政なので、エリート感覚がどうも合わない気がする。ちなみに、どうでもいいが、私は本当に竹内先生の娘さんと同学年である。

ここで論じたことと関係ないが、丸山真男を考える上での補助線として鈴木直『輸入学問の功罪』ちくま新書も参考になるかもしれない。どっちもAmazonの書評がよいので、リンクを貼っときます。

丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム (中公新書)丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム (中公新書)
(2005/11)
竹内 洋

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輸入学問の功罪―この翻訳わかりますか? (ちくま新書)輸入学問の功罪―この翻訳わかりますか? (ちくま新書)
(2007/01)
鈴木 直

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先日、有賀喜左衛門と一緒に買ったのが北澤新次郎先生の自伝『歴史の歯車』である。北澤先生は今ではすっかり、忘れられているが、かつて労働外交で洋行した鈴木文治の代役で友愛会の会長代理を務めたり、かの建設者同盟の後見役を務めたりした。早稲田大学商学部の創立メンバーでもある。

その北澤先生はジョン・ホップキンス大学で学位を取られたが、その口頭試問の描写がとても興味深いものであった。学位論文が通ると、その後に口頭試問になる。しかし、口頭試問をパスするには、平素親しく聴講している先生方の経済学一般の問題の他に、法律、政治の関連科目の教授や、一般常識を試す目的で文学部の教授の質問に応えなくてはならない。北澤先生は文学部の一教授から「ブラウニングの詩を読んで一貫する思想は何か」と問われ、「それはヒューマニズムの思想です」と答えたところ、ニヤニヤ笑いながら「それでよろしい」と言われたと書かれている。このエピソードから実際にどれほど高い知識水準が要求されたかは心許ない気もするけれども、描かれているのは明らかにリベラル・アーツを重んじる伝統の姿そのものだろう。

ハロッドが経済学における文学の必要を述べたのは有名な話だが(違う?)、北澤先生の本には労働経済(ないし日本では社会政策)に関わる我々にとっても興味深いエピソードがある。北澤先生がマスターを修められたノース・カロライナ大学の経済学部長レーパーは、経済学の専門学科を少なくし、英詩、英散文等を余計に取り英語の実力をつけようとした北澤先生に、こうアドバイスしたそうである。

経済学はこれからゆっくりやることにして、ノース・カロライナ大学にいるときぐらいは英文学の勉強に多くの時間をとるとよい。そうすれば語学も上手になるし、文章もうまくなる。現にアメリカでもイリー教授などは、経済学者ではあるが非常によい文章を書いている。これは英文学の素養があるからだ

北澤先生はこの教訓が後に役立ったので、早稲田でも簿記、経営学や経済学の前に文学をすこしやらせたほうがよいと提言されたことがあったらしい。ちなみに、イリーは今では知る人も少なくなったが、コモンズの労働分野における先生の一人で、ウィスコンシン・スクールの源流の一人でもある。英語だが、紹介サイトにリンクしておく。古い人だから、E-textも大分、読めるはずだ。

今は大学の性格も変わってしまったし、学問も細分化しており、教養を修めるのも大変だ。アメリカだって同じようには行かないだろう。いわんや日本をやである(そもそも大学設立の経緯が違う)。たとえば、今、丸山真男を読んで日本思想を語ることが出来るなどと言い出したら、それこそ勉強不足も甚だしいと言われるだろう。当然のことながら、各分野での実証研究は方法的にも、事実発掘においても格段に進んでいる。今は佐藤弘夫編『概説日本思想史』ミネルヴァ書房などの素晴らしい概説書も出ている。しかし、この本を知らなかったからといって別に何と言うこともない。これだけの点数が出版されている時代に全方位的にアンテナを張って、良書をあまねくキャッチするなんて夢のまた夢でしかない。なお、私見によれば、丸山はむしろ、戦後のある時代を読み解く研究対象として相変わらず重要な位置を占めている。

今は昔の夢物語。