週末に歴史班の研究会があり、その第一部が菅山さんの本の検討で、不肖私も報告させていただきました。第二部報告の森さんがA4で8枚、それから第三部報告の院生の堤さんが10枚、という、その数字を聞いたときは、こいつらおかしいすごい熱心だなぁと思いましたが、私のレジュメは1枚、それに先日の書評です。全体的には書評の解説です。後から分かりましたが、御両人ともそれだけ苅谷先生への愛情が深いということでした。

菅山先生ご本人と議論しましたが、私にとっては取り立てて驚くようなことはありませんでした。ただ、コミュニケーションを取れたことは大事だし、何より菅山さんも制度学派なんだなとしみじみ感じ入りはしましたが、それは感傷のようなものです。誰だかにもっと激しいバトルのような展開になると思っていたけれども意外だったと言われましたが、最近の私はそういうエネルギーの無駄遣いはしないのです(堕落したという評価は甘んじて受けましょう)。実際、労働史研究の知り合いというのは、今、コミュニティの人数も少ないですし、結構、共通了解が出来ていて、それぞれが深めあっている、というようなところでしょうか。新しい世代だと、私と同じなのは榎さんですけれども、彼女との間にもかなり共通了解が多いんですよ。特に企業内福祉の在り方とかね。その共通了解と云うのは、多分、イデオロギー対立がなくて、事実の探求と方法の共有が出来ているということでしょうかね。

私の疑問は、この本全体は大企業の雇用モデルを扱っているのに、職安の対象は中小企業がメインでしょ?それはちょっとずれてませんか、ということでした。菅山さんはその点を認めながら、一回出来あがった全国的な制度の枠組みの中に、大企業もやがて包摂されていくという意味で、大きい制度が大事だという趣旨を説明をされました。これがやり切りているかどうかは、意地悪く詮索すれば、出来ていないというか、これは書かれていない、想像力の世界です。で、想像力と書くと、悪口を書いていると早とちりをする方もいらっしゃるかもしれませんが、ここではプラスに受け止めています。全部実証(考証)だけで書くことは出来ない。その後ろに何らかのストーリーがないと、全体の軸は描けません。でも、こればっかりは推測するしかないから、最終的には本人に確認するしかないですね。それを聞いて、アイディアとしては説得的だったということです。だから、分からないことを確認したので、話はそこでおしまい。後はお互いの知っていることの事実確認です。私が持っていた労働市場の歴史のイメージと菅山先生と苅谷先生のお持ちのイメージはそんなにズレてなかったですね。

合宿では苅谷節を久しぶりにお伺いしましたが、とても楽しかったです。ただ、苅谷先生からブログに書くなよと言われているので(笑)、というか、よくよく考えると、その予防線は森さんのせいではないか、と思わなくもないですが、具体的なことは控えましょう。ただ、苅谷先生のお話しを伺いながら、この人は本当の政治を知っている人だなと感じ入りました。本当の政治というのは、お題目ではなく、実効を伴うという意味です。というか、苅谷先生はサントリーのときにお会いしてもいますが、著作を通じて私が想像していた背景のストーリーと、ご自身の口から発せられるストーリーの間にそんなに大きなズレはなかったです。

本当はね、苅谷先生より森さんの方が問題なんですよ。苅谷さんの『教育と平等』は一般的な二項対立を枕に持ってきて、徐々にその間のグレーゾーンを書き込んで行くという手の込んだもので、実はこの手法は前から変わらない。ところが、エピゴーネンたちは苅谷さんを一方の軸、たとえばカリフォルニアの実験を相対化しようとしている点を捉えて、個性化教育反対かのように受け止めて行く。森さんはそのエピゴーネンを批判しているわけだけれども、それは逆に森さん自身が個性化教育賛成の陣営に過ぎないことを明らかにしているだけであり、議論の構図としてはその二項対立を利用して、むしろ強化している。それは根幹のところで、苅谷先生から学問的に後退しています。ただ、政治的に、運動的に実践を鼓舞し、援けるという意味では正しいと思いますよ。仮想敵を作って、それを批判するという手法は、読んだ人を分かった気にさせやすいからね。まぁ、もっとも森さん自身はこれはあくまで派生的に出てきて、本当はもっと先のことを考えていることもはっきり伺えたので、森さんの研究は今後大いに期待できます。その研究が出た時、彼がなぜ歴史班の班長なのか、その本当の意味を誰もが知ることになるでしょう。皆さん、ぜひ注目してくださいね。

あとは二日目に塩崎さんに相当、失礼なことを聞いてしまいました。教育社会学は天野先生言うところの「辺境性」を持っていたというけれども、実は教育学も戦前はそうで、内容を見たら、今でも心理学(発達心理学)、政治学ないし哲学(自由と平等)、社会福祉などからの借りものが多く、独自のディシプリンといえるものが確立しているとは思えない。教育学はいつから何の根拠があってディシプリンがあるかのように振舞うのですか、と。この点については塩崎さんからのリプライよりも苅谷先生が示唆された教員養成をする東大の教育学部を作ったことの話が面白かった。なるほど、資格試験化すると、既得権益化して、学問が荒廃するんだなと、かなり勝手に解釈して納得してしまいました。まぁ、当り前ですわ。学問は正解が見つからないことに耐え、それを探求することですが、試験は分かったことにした正解を用意することにほかなりません。だから、正解を本当の正解だとしか理解できない人は・・・。

眠くなってきたので、今日はここでお開きです。一部、話を面白くするために、多少、盛りましたが、そのあたりは気にしないでください。
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金曜日の研究会でいろいろな意見が交わされたが、私にとっては何とも虚しいものであった。いや、正確にはより新鮮な知識を手に入れることはできたし、そこで交わされた議論は真摯なものであった。何より今後の理論科研に寄与するところもきっと少なくないのだろう。しかし、報告者が紹介する経済産業省や大蔵省、財界、文科省の意見を聞いていると、あまりに分析力の足りない下らない議論のように思えてならなかった。教育を学校や文科省の閉じられたところだけを扱っていればいいと思っていてはダメだというのは、我々歴史班がここ数カ月積み重ねてきた議論なので、それ自体は反対しない。しかし、その枠組みが岩井先生の資本主義の段階論ではどうしようもない。なお、これはご本人の前で飲み会の時に言ってある。まぁ、もっとも岩井先生は素人だから別に構わないのだが、ご本人はそれも分かった上で使っている。それはちょっと困ったことだ。

私は在籍最後の年の夏学期に岩井先生の講義を受けた。彼はよく好んで思考実験ということを言っていた。実際の歴史を語っているわけではなく、ある種の中間理論、理念型で語っていた。そういう説明がミスリーディングな局面もあると思うし、他の学生がどう思ったかは知らないけれども、彼自身が好んだ「思考実験」に関する限りはとても有意義であった。複雑な現実を理解するためには、時間軸を入れるという工夫が役に立つこともあるだろう。

産業資本主義に代表される大量生産の時代は、象徴的には規格品の大量供給であろうと思う。それはそれで間違っていないのだが、歴史的には一貫してブランド(商標)は重要であったし、もっと抽象的にいえば、信用の象徴でもあるという意味において、経済活動のアンカーの一つでさえあった。たとえば、日本経済史では10年くらい前、試験場のような品質を保証する中間組織の存在が少し注目された時期があった。私が勉強した繊維産業ではかつて楫西光速がその晩年に、問屋による目利き機能が近代工場制で生産された糸や織物を育てたという趣旨のことを1950年代や1960年代から話していた。どうでもいいが、楫西先生は労農派で、最後はどうやっても日本資本主義は没落することにならないといけないのだが、彼の論理は資本が過剰になって、多角化進出して失敗するというものだった。それで一国の資本主義を語るのは難しいが、企業の盛衰としては面白い仮説かもしれない。もっとも、潰れたのはカネボウだけで、それも別に多角化の帰結ではないが。

ちょっと横道に逸れてしまったが、私が言いたいことは、モノと知識のように截然とは分けられない、という単純なことである。これほど簡単なことで随分のことがわかるのだ。ブランドに伴う信用は商業資本主義時代からずっと重要なのである。日本が今では職業訓練論だけが一生懸命展開しているような熟練工を重視するところから、最初にテイクオフしようとしたのは蔵前職工学校が東工大になったときである。これは大正時代の話である。経験よりも理論が重視された。これと同じことは1960年代以降の鉄鋼業でも起こった。労働の世界では有名な話で、熟練工はただカンとコツだけが重要なのではなく、それを客観的に説明できることが求められるようになった。そのことによって彼らのノウハウは数十年かけてコンピュータの中に入れられるようになり、また、問題(ボトルネック)の所在を明らかにすることにも役立った。明らかにされた問題の解決策を皆で探ることこそ改善活動である。そうして、彼らがこのような新しい能力を求められたのは技術革新に対応するためであった。技術革新の原語はイノベーションである。言っていることは、昔と変わらないのである。

1950年代の日本はアメリカやヨーロッパという自分とは異なる国々の生産システムを学び、それによって技術革新を遂げてきた。愚かな人々はこれを単純なキャッチアップと見るだろうけれども、そうではない。たとえば、1910年代から1920年代にかけて大きく発展した科学的管理法があるけれども、その受容の仕方は国によって一様でなく、それぞれの国でその後、発展してきた。その多様性を勉強してきたことが重要なのである。実際、日本がアメリカに行っても、この面ではおたくの方が優れているじゃないかというコメントを返されることもあった。あえて具体例を出すと、鉄鋼業では統計技法の研究は日本の方がアメリカより進んでいたのである。今度は逆に、アメリカが日本を学ぶようになる。いや、アメリカだけではなく、世界中が日本に注目した時代があった。重要なのは、日本が上かどうかなどという下らないことではなく、もうある程度以上のレベルに達した国々では、どこで進んだ革新が行われるかわからないと観念して、驕らずに革新を学ぶことである。それはどの国でも同じことだ。

文科省が学校という枠組みでしかものを考えられず、それに対して経産省ほかはもっとトータルに社会を考えているという。しかし、私の見るところ、それさえ不十分であって、さらにいえば、高度成長期の議論を部分的に焼きなおしただけで、本質的な深まりがない。昨今は日本人の構想力が足りないという話が実しやかに語られるし、そういう側面があることも否定しないが、おそらくそうではなくて、そういう構想を持つものを潰しがちなのである。また、46答申の頃まではそれが正しいかどうかは措いても、はっきりとしたビジョンがあったと思う。私は学力が低下していることにはそんなに危機感を持っていないが、それ以上にリーダーたちの見通しの近視眼的な傾向はとても憂いている。特にかつては官僚がビジョンを作っていたのに対し、日本人はそれを叩き潰す方向に進んでいる。それでもいいが、オルタナティブがない破壊は極めて危険である。

それにしても、率直なところ、この程度のものをトータルに批判できないようであれば、文科省に任せるのも頼りないが、教育学者(プロパーではなかったけれども)に任せるのも極めて危うい、という感がなきにしもあらずである。対案なき批判は意味がないのである。もっとも、名著『仕事と日本人』の著者だったら絶対に全部聞き終わった時点で「お前がやれ」といわれるに決まっているのだが、御大将は「これから、一緒に作ろう」とおっしゃられた。しかし、そんなの描いても就職できないので、今のところモチベーションはあまり湧かず。恒産なければ恒心なしなのであります。

それにしても、やっぱり新自由主義はバズワードなのね。
森班長がMLで私の問いかけにお答えしてくださいました。厳密に言うと、メーリングリストも含めたメールの内容に言及するのはよくないのですが、私はぜひ多くの人に共有してもらいたいし、一応、何でも勝手にやってくださいと前にコメントいただいてますから、出来る限り継続してここで書きたいと思います。

まず、誤解のないように書いておきますと、私は何も講座を全部読もうなどということは提案していません。ただし、戦後教育史を書き換えるという広田先生のリクエストにもし応える気があるとするならば、最終的にはあくまで大田堯編のあの本ではなく、例の講座と対峙すべきだろうとは思います。たぶん、デフォルトの知識としても必要なことがたくさんあるような気がしますし。ただ、『講座戦後日本の教育改革』などは部分的に読むというのでも全然、ありだと思います。たとえば、第1巻をとりあえず読むとかね。この理論科研とは関係なく、日本教育史を勉強するためには海後宗臣著の第1部の第1章の捉え方は必読だと思いますよ。

それはともかく、とりあえず、一冊の本を読んで、見通しをつけるという戦略はありです。そして、その一冊として『戦後日本教育史』を読むというのは一つの選択です。ただ、そのあとに堀尾輝久『現代教育の思想と構造』を読むという目論見があるならば、順番は入れ替えた方がいい。『戦後日本教育史』は複層的な本だからです。じゃあ、まずは『現代教育の思想と構造』をとりあえず読めばいいのかというと、それじゃあまり深まらないでしょう。やっぱり、差し当たり学説史的にどう位置づけるのか、当時の歴史的な意義と限界をどう考えるのかという二つの点から接近するならば、一冊だけでは不足だと思います。

まず、デフォルトとして、堀尾自身が戦後教育学の総括をする上で、自分が第三世代であり、先行する世代の諸研究との関係をしっかり総括する必要があると述べていることは拳拳服膺すべきでしょう(「私の仕事」)。それから、この課題にこたえるためにも、勝田と堀尾の違いを論じている黒崎勲の論考も参照すべきだと思います。具体的には『教育学としての教育行政=制度研究』の第1部です(第2部の第1章も加えてもいいかもしれません)。その後は、ここから勝田守一や上原専禄、あるいは兼子仁や宗像誠也に展開していくのもありですし、個人的には「教育の機会均等」をめぐって今、熱い佐々木輝雄の議論や杉原誠四郎の教育基本法関連の研究も検討すべきだとは思います。しかも、杉原さんの場合、法学的な本や宗教教育もあり、実はこれらの論点はすべて堀尾の議論と比較しながら考えることの出来る論点です。

ちなみに、私はあえて「先行研究」として扱うと言わず「学説史研究」と書きました。「先行研究」として読むというには複層的な意味があると思いますが、もう一つだけあげるとすれば、方法でしょう。私は堀尾の本を読み始めてすぐにアリエスとフーコーを連想しました。偶々ですが、先ほどあげた堀尾先生の回想に二人の名前が出ており、1960年時点ではすでにアリエスを読んでいて影響を受けたことが書いてありました。フーコーについては『監獄の誕生』で有名になったパノプティコンの話を堀尾先生が先に書いていた点、それからフーコーの歴史観が間違っていると指摘されています。フーコーの歴史観が間違っているというのは私もありそうな話だと思いますが、では堀尾先生が正しいのかというと、それはそれで疑っています。そして、その疑いは二人の方法の共通性に向いているのです。疑いと書いたの検証能力がないからです。

堀尾先生は勝田守一の弟子でもあるのですが、それ以前に丸山真男の弟子でもあります。丸山、堀尾、フーコーに共通するもの。一言でいえば、解き明かしたい現在の事象のルーツ探しです。カーがいうように、歴史とは現代との対話であるという側面があることは私も否定しません。ですが、資料そのものではなく、資料の中に(自分が見たい)現在だけを読み込んでしまうのは危険です。というか、私の友人は資料を考えて読んではだめで、キーワードを見つけてしまうと、それだけを検索して資料を読んで他の事が入ってこなくなると言っていました。そこまでは極端だとしても、大雑把にいうと、思想史研究であっても公刊されている読みやすいものだけを取り上げるのではなく、雑誌、書簡、日記等を使った手堅い考証(いわゆる実証研究)をベースにした研究もできます。そして、その結果、現在との連続性を検証するのもいいでしょう。学問的に厳密さを求めていくとしたら、本当は方法的には丸山真男の議論を考証というレベルから批判している人たちの議論も参考になるかもしれません。我々としては堀尾の議論が福祉国家を始めとする近代の国家論にも及んでいる以上、西洋法制史の基礎的知識はデフォルトで必要ですし、希望としては木村周市朗らの一橋グループの議論も踏まえておいて欲しいです。ちょっときついかなと思わないでもないですが、教育と福祉の関係を考えたいとおっしゃっていた方も多かったので、それをやりたかったら仕方ないかな。もちろん、佐々木輝雄第1巻と比較して読むというのも一つの方法です(次回以降)。

もうひとつ、実は共通点があります。それは思想に内在する実践理論としての性格です。ま、でもそこまで掘り下げなくていいでしょう。ちなみに、堀尾の議論は1960年代までは有効だったが、1970年代以降の新しい動きには対応できないという批判は、ほとんど彼の研究を何も理解していないと思われますので、無視してよろしいかと思います。

結論、堀尾『現代教育の思想と構造』、堀尾回顧論文、黒崎『教育学としての教育行政=研究』第1部。
余裕があれば 『概説西洋法制史』

乾さんは彼自身のオリジナルな話があまりないので、読まなくていいと考えています。むしろ、一元的能力主義の話もおそらくアイディアは堀尾の公教育の一元化論にその源があるので、そこを外さなければ、というか、その点で佐々木先生の研究と比較できれば、そちらの方が有意義だと思います。

それよりも寺崎先生を取り上げる必要があるんじゃないでしょうか。ご存じのとおり、寺崎先生は天野、潮木ら教育社会学の大御所たちとも一緒に研究されてきたので、ぜひ高等教育関係の方からそのあたりの文献の提案をお任せしたいところです。1993年の大学史研究の天野コメント(読んでないですが)とかはやっぱりおさえておくポイントでしょうか。その一方で、高等教育以外の海後先生関係のお仕事の方もおそらく重要です。『戦後日本教育史』の教育改革まわりを書いているのも寺崎先生です。

論点はそのうちに書くかもしれません。というか、素人が書いているので、間違いがあったらどんどん指摘してください。お願いします。
理論科研歴史班の内輪ネタです。どうも森班長を中心として稲葉さんまで巻き込んでちょっとした佐々木輝雄(ないし田中萬年先生)ブームが起きています。そもそも、佐々木輝雄に注目すべきだと言い出したのも、大沢『イギリス社会政策史』と比べて格が違いすぎると言ったのも私なんで、その責任の一端は間違いなくあるわけですが、ここは歴史班の現状を考えて「まあ待て」と言いたいと思います。

火曜日と水曜日に教育史関係の本を図書館で少し漁ってきたんですが、大田堯編『戦後日本教育史』をスタンダードに持ってくるのは間違いで、それを言うなら『日本近代教育百年史』ではないかと今のところ思っています。加えて、戦後については『講座戦後日本の教育改革』全10巻を外すわけにはいかない(ただ、海後先生はアメリカ側の資料を使っていないので、80年代以降の研究で補う必要があります)。私の見るところ、やはり戦後の近代(を対象としたという意味)教育史学を構築したのは海後宗臣であって、海後グループはとにかく斬新な研究を世に送り出してきた。教育勅語、井上毅、臨時教育会議、そして戦後の教育改革。どれも必読でしょう。

これから個別の研究はじっくり読んで行こうと思っていますが、海後グループの問題意識はやはりフォーマルな組織、たとえば教育行政に焦点が当たっていたように思います。そこには、明治以降の政府が教育に対して圧倒的に影響を与えてきたという史実(ないし研究対象の性格)から来る必然性と、しかし、だからこそ、そうした枠組みに(半ば以上意図的に)縛られてしまうという限界も存在していたように感じています。その間隙を縫って出てきたのが、左翼グループで、ありていにいえば、左翼的にしか社会を語るすべを持っていなかったとも言えます。そうなった歴史的文脈は考える必要があるでしょう。特に社会科学全体、それから歴史学の流行というか傾向と言いましょうか、それは当然押さえておくべきでしょう。

そして、もし堀尾輝久を読むならば、『講座戦後日本の教育改革』の第二巻を亡くなった勝田の代わりに共著で書いていますし、大田堯編の件の本も第4章を執筆しているので、そういう歴史認識、あるいは歴史研究が彼の理論とどのように結びついているのか、といったところまで掘り下げれば、もう文句なく我々歴史班が取り上げる意味を主張できると思います。たとえば労働運動の観点からみると、なぜ国民運動なのか?とかですね。国家的統制を嫌った総評は不思議なことに、春闘にせよ、教育運動にせよ、国民○○が大好きでした。彼らは連合の設立とともに歴史の中心から退場するわけですが、後世の我々から見ると、そういう国民○○という誇大妄想的呼びかけ自体が謎であり、歴史の研究対象であるように思います。その中で国民教育運動を捉えてみる。もちろん、教育学部関係者からはもっと教育史や教育社会学に内在的な形での問題提起を期待しています。何れにせよ、このような試みは理論科研全体の目的である理論と歴史の対話にも近づいていくはずです。今回の清水義弘もやはり、伏線としては1970年代の転換を考えるという話があり、それにおそらく関わったであろう人物として注目すべきだという問題意識がある程度、共有されていたと思いますので、やはり課題を示す以上は何らかのそういう問題意識を提示して欲しいところです。

ところで、前にも書きましたが、海後先生は日本における教育社会学の父でもあります。事実、おそらくは最初の講座教育社会学の共編者にもなっています。そうすると、教育史の中に教育社会学的な発想がなかったというのはどうも本当かいなと私は極めて怪しんでいます。少なくとも然るべき人はその重要性を認識していたんじゃないでしょうか。たとえば、『講座日本教育史』の中で寺崎先生は社会史の重要性、それから教育社会学的アプローチが必要だということを述べています。だから、あえて戯画的にいいますと、つまらない先行世代への対抗意識でブルデューをコピペしている場合ではなく、教育史のこういう問題意識と接合すればよかったのではないかと、傍から見ていると、とても強く感じました。

率直に言うと、今の全体の議論レベルを聞いている限りでは、現段階で職業教育に入り込んでも失敗するだろうという見通しを持っています。佐々木先生のような巨人に対するには何らかの足がかりがなくては無理です。残念ながら、それがあるとはとても思えない。専門を異にした研究交流をする場合、教育関連の研究者には最低限、教育史全体の中での(学校をベースにした)産業教育史をどう位置づけるかについて自分なりの見解を持っていることを期待します。そうした認識がベースにあれば、佐々木先生がやったように組合の労働者教育の話やその他のことも俯瞰することが出来るでしょう。逆に言うと、それがなければ、一緒に職業教育の文献を読むメリットをほとんど感じられません。私自身は明治以来の社会厚生行政の大まかな流れ、それから労働運動の流れといったところが頭に入ってますので、それを参照枠として提供できるだろうと思っています。でも、正直にいえば、そうした接近方法をいくら考えても、まだ私には佐々木先生を読み切る自信はありません。いずれにせよ、我々は不勉強な院生が「こんな機会でもないと読まないから読書会をやろう」的残念な研究会をやっているわけではないので、そろそろそれぞれの強みを出していってもよいのではと思っています。

私の考えるところ、森班長のように新たにパースペクティブを描いてみて、それについてみんながいろいろ質問をしたりして、議論を温めてみるか、あるいは従来の研究史の文脈の意義と限界を徹底的に読み込むか、道は二つしかないんじゃないでしょうか。いずれにせよ、一度、いかにも教育史ないし教育学といったところと対峙すべき時期も来ているように思います。そういうところをくぐってから佐々木輝雄に戻っていく方がよいように感じています。
と書いても、何を記録していいか分からず。飲み会は面白かったが、研究会はあんまり面白くなかったような気がする。気がするというのは、4割くらいしか聞いていなかったからだ。というわけで、これは完全に私の備忘録&感想記であって、研究会の記録にはならない。午前中の現代社会班の議論はわざわざ教育プロパーのところで聞きたい話でもなかったので適当にスルーして、午後のために温存していた。

午後から広田・武石論文を読んで討論なのだが、議論が余りにもつまらなかったので、途中寝てしまった。というわけで、森さんと違い一日の半分くらいは寝ていたので、体力的には大丈夫。ただ、自分で発言するところだけは発言したので、一応の任は果たした(というのは勝手な理屈だが)。なお、広田論文というのはこれのこと。

広田先生の分析視角は労働の人間からすると、常識に属する話だ。実際の政策決定過程に寄与したプレイヤーとその背後にある彼らが持つイデオロギーについてうまく絵を描こうという話である。この論文については森さんのまとめが面白いインプリケーションを持っていて、こういう研究が出ることで運動や実践が政策として実現していかないのは決してその理念が間違っていたからではなく、別のロジックが働いていると理解でき、自分達は間違っていたと卑下せずに自信を持てる、ということらしい。自分を卑下せず自信を持つのは結構なことだが、ヤレヤレという気分がないでもない。

私はこの論文を読んだとき、政策を実現させるために誰のところをノックすればいいのか、分かりやすくするための見取り図なのかと思ったので、そう聞いてみたところ、そういうことではないらしい。後半になって、真面目に研究者モードで確認したのは、イデオロギーというのにもいくらかの層があって、現実は非常に下らないレベルで動いていく、たとえば、学力低下論争はどうなるのか、という疑問を出した。広田先生は学力低下論争自体は政策にインパクトを与えていない所以を具体的に説明してくださったが、私の方からも一応、そこから方法として、学力低下論争もいろんなレベルで受け取られ、現実は往々にして単純な二項対立くらいで理解されるのが大勢で、その大勢が世論を動かし、あるいは、その世論を利用して別の政策を通す道具として使うということが考えられる、ということを申し上げた。世間一般で華々しく議論されていることと、舞台裏で進んでいる事態の関係を捉えるのは、門外漢ないし一般の読者をターゲットにするときには必要だろう。ただ、広田先生は全体的に具体的なレベルで議論して欲しいという希望を持っていたそうである。が、それは無理だろう。知っている事実量が豊富でなければ、そういう議論は展開できない。それは最初から私には無理だった。

午後の後半からは例のコンクリート本。私の批判点は前エントリに尽きてる。それにしても稲葉さんはよほど腹に据えかねたらしい。私はそうではなく通産官僚の劣化が激しいと感じた。スズカンは情報通信産業政策に携わってきたのだが、護送船団方式からの脱却などと平気で言う。かつての電子計算機産業をテイクオフしたときの立役者、平松守彦と比べて何と言うビジョンのなさだろう。とは思うが、経済政策、産業政策はとりあえず、関係ないのでいいや。私はわりと広田先生が言うようにスズカンあなどり難しと思った。だから、前エントリを読んでいただければ分かると思うが、内在的に読み込んで、批判したつもりである。

すみません、ここまで月曜日に書きかけていたんですが、もう、何があったか忘れちゃったので、このままあげておきます。漸次、どなたかフォローしてください。飲み会に若者に発言せよ、と説教したことだけは覚えてますが・・・。読んでたら、ぜひ、次からは発言するように(笑)。