孫田先生が8月の末に亡くなりました。ある日、孫田先生から直筆の死亡通知が届きました。最後まで律儀で、細やかな心遣いが伝わってくる文面と、あの青い万年筆はまぎれもなく懐かしい先生のそれでした。

孫田先生にはここ10年くらいお世話になりました。直接的に講義やゼミを受けたわけではないですが、金子美雄文書の現物を前に、あれは2006年でしたか、毎日のように早稲田の図書館で説明を受けていたのですから、他の人には得がたい教えを受けたわけで、そういう意味では私は最後の弟子を名乗ってもいいかもしれません。アカデミックの狭い世界では師弟関係というのは、指導教官と学生という形が一般的で、その限りでは私は森建資先生の弟子なのですが、森先生以外にも決定的に影響を受けたのは、孫田先生であり、小池和男先生なのです。

孫田先生は新聞記者を志して早稲田に入られたわけですが、終生、早稲田を愛していらっしゃいました。塩沢昌貞の銅像の前で戦前の社会政策に貢献したことを教わったり(塩沢はコモンズと同じくイリーの弟子です)、北澤新次郎や間宏先生のこともよく話されていました。そういえば、大隈重信の話はされなかったですね(大隈は明治中期に社会政策導入にも貢献しています)。その在学中に繰り上げ卒業という形で戦争に行き、帰ってきて中央労働学園の研究部に入学します。ここで佐々木孝男さんと出会うのです(この話は前にも書きました)。このとき、佐々木さんとともに一緒だったのが総評の調査部長だった小島健司さんで、三人で大橋静市先生に師事します。そして、佐々木先生と孫田先生は、大橋先生の元部下であった金子美雄さんの元で3年間、修業するように指示されるのです。

本というのは一回出版してしまえば、読んでいただいた読者の皆さんのものですから、どういう読み方が正解であるということはありません。ただ、あえて私自身の気持ちを告白すれば、『日本の賃金を歴史から考える』の第7章は、志半ばで亡くなった連合総研初代所長の佐々木孝男さんへのオマージュのつもりで書きました。あの章は政労使の三者構成を重視する私の労使関係観を描いたものです。孫田先生からはすぐにお手紙をいただいて、佐々木先生のことを書いたことへの感謝の言葉が綴られていました。ただし、その後、直にお会いしたときに、生産性基準原理はもともと60年代の最初にある組合がやっていて、佐々木先生の独創ではないと教えていただきました(その組合の名前を失念してしまいました!東京○○だったような。。。)。

孫田先生が晩年、賃金について繰り返し述べられていたのは、生活賃金という発想がなくなってしまったということでした。何度もこの点は強調されています。私も実はあの本の中で、暫定的な回答さえも示すことが出来ませんでした。私自身、あれを書いた時点ではどこから取り組んでいいのか分からなかったというところがあります。ただ一つだけ言えるのは、生活賃金という枠組みから我々が考えていく、労使双方の課題はもはやかつての電産型賃金のような議論ではないということです。

この問題には大きく二つの軸があるでしょう。一つは、最低生活費を保証する社会保障(ないし社会福祉)と賃金のミックスを考えること。これは最低賃金と生活保護の関係、あるいは一人親一人子どもモデルというような議論などが含まれます。これは理論的にはそんなに難しくなくて、藤原千紗さんの論文や三山雅子さんの論文などに基本的な論点は整理し尽くされています。ただし、実際にどうすればよいのかということはかなり難しい。国、地域、企業、労働組合等、それぞれのやれること、やるべきことはたくさんあります。

もう一つは、賃金水準が低くないケースで、賃金カーブと生活が全然無関係になってしまっているなかで、どのように賃金と生活の関係を考えるかです。どういうことかというと、企業が従業員の生活内容についてあれこれ考えるのは、現代では生活が苦しい正社員が一定程度出てきたときなので、それがなければ、基本的にはそんなに考えないということなのです。言い換えれば、大企業などで十分満足できる水準で賃金が支払われているところは、生活費以上払っているという理由で、生活と賃金を考えなくてよいということなのです。しかし、これから介護などのケアの問題を考えていくと、賃金だけではなく、様々な労働条件の複合解を模索していかなければならないという状況です。福利厚生や賃金、社会保障を含めた再検討ということになるでしょう。逆に言えば、日本的福祉システムなどに安住せずに、企業の労使関係、労務管理のなかから、社会保障へ提言していくということも重要になるでしょう。たぶん、最大の鍵は、労働時間で、ありていに言えば、ワーク・ライフ・バランスなのですが、これまた難しい。ただ、昔の専業主婦が家庭の万般をやって、夫は会社にフルコミットするというのはシステムとして維持しがたいので、規制という考え方ではなく、どうガバナンスするかということが企業にとっても重要になるでしょう。ちなみに、なぜ維持できないかというと、介護の問題が大きいです。一番分かりやすいのは独身男性一人のケース。これは配偶者によるケアを期待できません。次に、兄弟がいない一人っ子夫婦の場合、両親が同じ地域に住んでいればいいですが、都会で出会って結婚したりすると、そういうわけにはいかないですよね。夫両親、妻両親、本人家族がバラバラに住んでいたら、妻だけでケアを担いきれないのは物理的に必然です。こんな例はいくらでも考えられます。ただ、これは高度成長期以降の労働移動や企業に転勤の自由裁量を大きく認めてきた帰結でもあるのです。

結局、ここ数年、考えてきたことは、孫田先生が最後に問題提起されていたことを、私なりに受け止めた帰結のような気もします。そうやって動き出したことは少しずついろんな人を巻き込んで行き、そして、今度は私を通じて誰かにまた違った形で、しかし、本質的な部分もたしかに伝達されて行く。春闘復活から二年、あと数年が勝負です。
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Web雑誌のTraceさんに取材をいただきまして、「お給料のヒミツ」という記事がこの前、公開になりました。なかなか論文だとテーマにすることが難しいものですが、ライターさんの手を経ていますので、ずっと平易で分かりやすいものになっているのではないかと思います。

『日本の賃金を歴史から考える』のメイン・テーマの一つとして、プロパガンダということがあります。読者に訴えかけるものは、私が書くものでも例外ではありません(学術論文は違います。自分のために書くので)。この記事構成も少し気を遣ったのは、昔のお給料ってこうでよかったねという話を書きながら、それだけでは日本はやっぱりよかったみたいな話にならないようにと、あとで賃金制度は各国でお互い学習し合って進化しているということを入れた点です。この話は2ページ目に書かれていて、私が紹介した和田豊治の話とも共通しています。もし、日本の賃金に特徴があるとすれば、習俗的なレベルで信仰と結びついていたことではないかと思います。論文にしにくいというのは、これはデータの採りようがないので、意識調査も難しいのではないかと思うからです。

その一方で最近の若い人は給料をもらう事に対する感謝が足りないということを、組合の方からも人事の方からも聞きます。それはどういうことかというと、自分ができる仕事以上の給料を要求して当然だと思っているということのようです。私は二極化していて、こうして法外な(?)要求する人と、まったく不当の賃金でも沈黙してしまう人がいるのではないかと感じていて、おそらく後者が多いだろうと予想しています。モンスター・ペアレントやクレーマーなどと同じで、声が大きい人が目立つから、その人たちを代表のように感じることが多いだろうとも思います。まあ、賃金交渉もやらなかったわけですし、成果主義で賃金は仕事の成果だと教えてるんですから、それはそうなるのは当たり前ですね。

日本の賃金が欧米と比べて違う点があるとするならば、それは意外とこういうところだったのではないかと思います。歴史の浅いアメリカはともかくヨーロッパも古い時代はあったのではないかと想像していますが、調べるだけの余力はないのであくまで想像です。

さて、ゴードンさんからいただいた書評のなかで、私が「日本的労務管理」というものは戦時中からのものとしているが、それ以前も「日本的」と意識していたのではないかというご指摘を受けて、さらにその例証としてシンガーミシンの事例を提示されました。ここらあたりは方法論を明らかにしなかったので、分かりにくかったと思うのですが、私はあの4章は賃金思想史のつもりで書いたのです。その含意は、実態と思想はズレがある、ということです。

それこそ日本が欧米と違うという点については和田の論文もそうですし、明治時代からもちろん認識されていました。しかも、系譜的に言うと、和田は北海道炭礦汽船(北炭)の磯村豊太郎の盟友で、和田が唱えた日本的労使一体の考え方は北海道で会社組合として結実しました。その人事が戦後、日経連で活躍した前田一です。ただ、1920年代の会社組合はアメリカでもよく見られたもので、特に日本的ではないですが、この時期のモダニズム(共産主義革命などを含む)への反感とともに日本の伝統と結びつけられやすかったのです。この会社組合と1925年に石川島造船から始まった日本主義組合が合流してさらにいろんな人が乗っかって産業報国会になります。この産報が途中で変質して「新体制」を担う代表のように捉えられるのです。ここまで来て初めてプロパガンダとしての「日本的労務管理」ということが大々的に言われるようになります。それが講座派の議論などと相まってアベグレンに繋がっていくということなのです。ですから、それまでもあるのですが、外国との違いを意識せざるを得なかった人たちはマイノリティだったと思います。

そして、私は実態の方については1940年代説を採っていません。それはゴードン先生の『日本労使関係史』の書評でも書いたとおり、ゴードン=菅山の1950年代説に私も同意しています。ただ、ここでのポイントはそれはブルーカラーの話で、シンガーミシンはホワイトの話だということです。ホワイトの研究はそれ自体が近年、始まったばかりですし、まだまだ国際比較という段階には来ていないでしょう。私は労使関係というのは、少なくとも今まではローカルな部分が大きいと思うので、それは日本は日本、アメリカはアメリカ、ドイツはドイツなどと各国ないしさらに細かい地域ごとで特徴があると考えています。とはいえ、退職金(ホワイトカラー、ブルーはまた別)と賞与金は日本に特徴的な慣行だっただろうと思いますが、たしかめてみないと何ともいえません。
昨日、東京労働大学の石田光男先生の講義を受けて来ました。報酬管理なんですが、ほとんど賃金管理で、すごく謎でした。ちなみに、私は佐藤厚さんの講義だけ五城目に行ってて欠席しましたが、初めて途中で帰る人を見ました。7,8人は途中で帰ってしまったのではないでしょうか。二人の男の人たちはついていけない(分からない)という趣旨のことを話していました。私は刺激をもらったので、よかったのですが、あまりにもマニアック過ぎる気が・・・

イギリス調査の話はたしかに単純に面白かったのですが、現状調査というのは切ないなあとも感じました。80年代のイギリス調査と90年代のアメリカ調査と00年代の日本調査を比較して国際比較になるのかという単純な疑問もあります。もちろん、個々人の出来る研究は限りがありますから、致し方ないことではありますが、時に追われるというのは切ないなと感じました。技術革新がありますからね。

内容は、いつもの賃金管理と仕事管理は一体でなければならない、という話と、結論はPDCAを回さなければならない、という話でした。

私には内容的にいくつかの疑問がありました。まず、とても狭く言って、賃金管理という観点でみたときに、人口ピラミッドの問題を考えなくてよいのか、ということです。たとえば、ある年に採用した人が多数の後、しばらく採用を控え、数年前から少しずつ採用を再開した企業があります。大量採用した年の層が全員、仕事が出来れば不満はありませんが、出来る人と出来ない人の処遇差が少なく、かつ自分たちより処遇がよい人たちを見て、若手が不満に思えば、そこで成果主義をいれる契機になります。そういう人口ピラミッドのバランスの話がまったくない。

つぎに、報酬管理ということを考えるときに、賃金だけでよいのか、ということがあります。石田先生の話は賃金の決め方(必ずしも水準ではない)でインセンティブを与え、それがPDCA(改善)を保証するという話ですが、アメリカの人的資源管理研究では、個別の制度ではなく、いくつかの革新的な制度(発言できる機会を与えるとか、福利厚生の充実など)を実施しているところが成績がよい、という研究があります(これは割と共有されている)。また、ミルコビッチのコンペンセーション(アメリカのスタンダードなテキストです)でも、報酬は賃金だけではなく、様々なものがあります。web上にテキストがあったので、貼っておきます。5頁の図1.2をみてください。これで言えば、賃金とはcash compensationのところだけです。

これもまた、思いつきなんですが、基本的に歴史で説明できると思うんですね。アメリカもイギリスも基本的にトレードをジョブに再編したんだなあという印象です。日本はある意味、労務管理がものすごい発達していた。第二次大戦の頃、本当に各工場で共通する労務管理を出来ていたのは紡績と製糸(片倉とかグンゼ)くらいです。それはたくさん工場を持っていましたから。あとは鉄鋼ですが、日本製鉄は少なくとも1939年の時点では共通する労務管理はなかった。これは戦時中にそれこそ、産報のなかで、産報と対抗する意味もあって、発達していくという面がありました。でも、それ以外であったのかなあ。次に、戦後の企業別組合といっても、そのほとんどが事業所別組合です。それはそれだけ工場をもっているような大企業以外、事業所組合の連携の企業別組合になり得ませんから。

日本の組合運動を考えるとき、その始まりから1975年までは基本的にナショナルセンターが強いんですね。戦後の組合運動は誤解を恐れずに言えば、企業別組合とナショナル・センターや産別の戦いでもあった。これは本部と支部の戦いという意味もあったと思います。産別レベルでは、全繊が東洋紡や鐘紡と戦います。東洋紡は当時の労務管理制度では日本の一番ですし、鐘紡は50年代までは日本のNO.1企業です。それでも戦うんだから、全繊はすごい。あとは鉄鋼ですね。鉄鋼は鉄鋼労連をめぐって総評と八幡というか宮田で争うわけです。ただ、これは私の印象では、インテリとたたき上げの戦いだったと思っています。少なくとも宮田さんの回顧録を見ると、そこにアイデンティティがある。難しいことは分からないし、間違ってるかもしれないけど、とにかく自分たち労働者が書かなきゃダメなんだ、といって支持を集めるわけです。この論理にはインテリは逆立ちしたって勝てない。勝てるとしたら、とにかくみんなの意見を聞いて回っていて、それで文書を作るという実績がないと無理です。そんなこと言ったって、あいつは俺たちの言うこと、聞いてくれてたよ、となれば逆転の芽はありますが、それは歴史的にはなかったし、時間がかかりますからね、不可能に近いですよ。

結局、日本の賃金は今まで年功賃金で内部労働市場の論理で決まっていたというようなことが言われますが、それは物事の半分で、その残りの半分は春闘で業界相場というものが出来ていたということがあります。市場化の流れというのは、ある意味、そういう市場機能が効かなくなったこととも軌を一にしているように思います。ただし、成果主義=目標管理という議論を聞くことが少なくないんですが、目標管理自体は経済学ではなく、心理学のなかの発達心理学的な発想であって、個人の成長を促すものというところがもとです。で、この前、組合の方たちの話を伺っていて感じたのは、目標管理自体が悪いのではなく、忙しい中で、上司(とくに現場)が部下を面接して目標設定と到達確認をする時間がなく、やっているところとそうでないところで、公平性が保てない、という話なんですね。うまくやれば、苦情処理と同じように労使コミュニケーションのツールにもなり得ます。ただ、問題点がそこにあるならば、作っていく傍から技術革新で改訂をしなければならなくなって放棄した職務分析のような、いつか来た道になるのでは、と思っています。

組合の話に戻すと、総評は左派の太田薫を見ていても、ちゃんと戦前の右派・総同盟の伝統を受け継ぎ独自に発展させたんですが、連合はそういう意味ではまったくダメですね。なんでダメなのかは研究する価値があると思いますが。企業別組合ではない視点から、あるいは、それを相対化する視点で、ちゃんと労使関係史を書かないと、本当に日本の組合活動は厳しいなあと思います。