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今日は終日、都立図書館にこもってました。いろいろ、勉強していたのですが、最初は竹中恵美子先生の全集を読んでいました。ただ、結論から言うと、いろんな意味でなかなか難しいなと感じました。

実は、昨日、ウィメンズプラザで読もうと思って行ってみたんですが、見事に全集が置いてませんでした。たぶん、予算がないんでしょうね。切ない。そこに置いてあったのが『竹中恵美子の女性労働研究50年』という本です。結果から言うと、全集ではなくて、この本から読んでよかったと思いました。なかなかのめぐりあわせです。なんでこの本を読んでよかったと思ったのかと言われると、一つは全集の方にも書いてあるんですが、この本自体が全集のきっかけになったんですね。そして、もう一つ、この本は半分くらいは運動で実勢に竹中先生に関わった女性たちが回想を書いていて、それが結果的に竹中先生の価値を高めていると思います。伍賀偕子さんの文章も良かったな。いろいろ大阪の戦後労働運動の歴史を勉強させてもらいました。

伍賀さんには以前、エル・ライブラリーのブログで私の本を紹介していただいて、さらには勉強会でご一緒しました。質問の時間のとき、男女の賃金格差のことを少し発言されて、やりとりをしたことが印象に残っています。私に主義主張があるとすれば「中庸」しかないので、どちらかの立場を強調するということはありません。伍賀さんはもちろんそれも分かった上で、もう少し踏み込んで書いて欲しかったと控え目におっしゃいました。だから、もし伍賀さんやその仲間たちの文章を読んでいなかったら、私が竹中先生の文章を読むという気持ちも多分、異なっていたでしょう。しかし、教師として偉大であるということと、研究への評価とは私の中ではまったく別次元の話です。

結論から言ってしまえば、今、竹中恵美子著作集で読むべきものはほとんどない、というのが私の印象でした。それは竹中先生の研究の価値がないと言っているわけではありません。研究書をもとにしている1巻、2巻は今でも相当にレベルが高い。しかし、それは相当に当時の研究を勉強されていることから来ていて、敗戦後から60年代にかけての労働問題研究の研究史をきちんと勉強していない人にはほとんど理解できないでしょう。その意味で、若い人には勧めません。もし本気で勉強したいのならば、まず『文献研究日本の労働問題増補版』総合労働研究所、1971年や中西洋『増補日本における「社会政策」・「労働問題」研究』東大出版会、1982年に出てくる研究動向を押さえる必要があります。しかし、これは東大に偏っていますから、その他に藤林敬三に始まる慶応グループ(西川俊作、佐野陽子ら)の労働市場研究、吉村励の研究、下山房雄『日本賃金学説史』、小池和男の60年代までの仕事(あえて東大グループに入れません)などの専門領域の他に、マルクス経済学や当時の宇野経済学の基本的知識は必要でしょう。ただ、そういうものを一通り、勉強してきて、あえて言いますが、そのほとんどはアウト・オブ・デートです。それくらい時代が変わっているのです。

ただ、学問として竹中理論(と言えるものがあるかどうかは謎ですが)を勉強するならば、これらの作業は必須でしょうね。少なくとも、竹中先生は若いときのこういう研鑽で自分の学問的な基盤を作っています。その上で、60年代以降のラディカル・フェミニズムやマルクス主義フェミニズムの影響、同時代の労働組合運動の影響を受けて、その後の議論を積み重ねています。ですから、そうした背景を勉強しないと、そもそものスタートラインにつけないと思います。その作業を今、やる必要があるのかと問われたら、私は別にいいんじゃない?とお答えします。そのときどきに書かれたものは、その当時のことを知るためには重要な研究でしょう。特に、7巻の「1980年代マルクス主義フェミニズムについて」「新しい労働分析概念と社会システムの再構築」は重要な論文でしょう。

竹中先生の功績の中で、おそらく考える必要があるのは、資本制社会ということと、近代の家族(家父長制)の原理を同一線上に捉えたことの意義でしょう。女性の問題は家族の先にあった。アンペイド・ワークの問題もここに接続しています。それは二つの点で意味がないわけではありません。一つは、経済的な論理で統一的に問題を考えたこと。そして、もう一つは、経済的な論理に乗っかって運動的な提言が出来ることです。しかし、限界も大きい。そもそもこれが理論的に考えられたこと。1960年代までだったら、そうした姿勢でも構わなかったでしょう。ただ、現在は実証的な研究をちゃんと参照する必要があります。その当時からあるものとしては、有賀喜左衛門の家族研究、最近では近代日本の家族制度が作られたものとして、戸籍制度自体の研究も進んでいます。これらを入れたらどういう枠組みになるんでしょうか。総じていえば、資本の側からの捉え方であって、逆側からの視点が弱いですね。たとえば、家族研究の他に、慶応の生活構造グループのような視点も必要でしょう。しかし、家族研究、生活研究を潜り抜けて、もう一度、戻って来て、竹中理論を鍛え直す必要があるのかと考えると、竹中先生が60年代にそうしたように、現代にあうように自分たちで考えた方がよいのではないか、と思いますね。そのためには、哲学、政治学(あるいは政治思想)、社会学などをもっと貪欲に取り込む必要があるでしょう。

さて、次はどこに向いますかね。
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