川崎臨港バス労組が36年ぶりのストライキを打ったということで、先週、話題になった。神奈川新聞の記事がある。実は、このストライキは数十年経った後、歴史的なストライキとして記憶される可能性があるのではないかと思っている。それは何よりこのストライキが自分たちの労働条件を問題にしただけでなく、その後ろにある乗客の安全確保を訴えたという点において、公共の正義に適っているからである。私は普段、よほどのことがない限り、具体的な事実をもって正義であるなどと判定することはない。しかし、あえてこのストライキが今後の正しい方向を示していると断言したい。

今年(2016年)の1月、軽井沢スキーバスの転落事故が起きた。若い大学生15人が死亡したこと、そのうち、娘を失った一人のお父さんの毅然とした態度がひどく印象的な事件だった。この事件の背景には、会社側の杜撰な労働安全を含む労務管理があり、事件後、国土交通省の立ち入り検査や行政処分を受けていたことも明らかになった。ここで我々が学んだことは、会社側の労務管理が、単に労働者の命を奪うだけでなく、消費者(乗客)の命をも奪うということであった。

ストライキが悪のように語られたのは、1975年のスト権ストが一つの転換点で、国労が自分たちの権利を主張するためだけにストライキを打ったこと、この事件を契機に、中曽根康弘が国労・総評潰しを企図して80年代には臨調と並行して、国労の悪宣伝を広めたためである。総評内では、ストライキをやらない少数派鉄鋼と、それ以外という路線対立という側面もあった。だが、一番は当時の官公労は非常に強く、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、スト権ストの直前まで公共部門の労働基本権の回復はそう遠くなかったと思う。ただ、その反面、75年時点で国労に驕りがあったのも事実で、スト権ストは民間労組の協力を仰がないで単独で行われた。これに総評内の私鉄総連、全電通が怒ったのも当たり前であり、身内を固められないストライキが世間の評価を勝ち取れるわけもなかった。しかし、私は政治とは冷酷なものだと思っているし、自民党と革新陣営は敵だと認識していたわけだから、別に当時の自民党のプロパガンダが法を犯していたとしても、私はそれを悪だというつもりはない。

ストライキが風物詩のように行われた時代が去り、ストライキが異常な事態のように考えられるときがやって来た。念のために確認しておくが、ストライキは今でも労使交渉における最後の切り札である。基本的人権として保障されているからではない。いわんや労働者が弱者であるから基本的人権として保護されているわけではない。世界の労働者が労働運動の成果として歴史的に勝ち取ってきたのである(ちなみに、まだ認められていない国やILOの権利によって守られている国も少なくない)。ストライキ権が付与されているとはどういうことか。ストライキによる損害賠償が認められないということである。連合成立に際して、参加を決めた動労への損害賠償は取り下げられ、最後まで岩井一門のリードによって特攻した国労はその損害賠償支払いによって国労会館を失った。きわめて政治的問題である。

ストライキ権については、過去のエントリで書いた。その際、当時連合総研(今はJCM?本拠はJAM)の市川さんからコメントをいただき、それに対してリプライを書いた。ILOで労働者代表として戦ってきた市川さんとのやりとりはすごく重要なので、あえてもう一度、ここに紹介しておきたい。

ストライキの重要性が忘れられた現代の日本において、それを喚起させたのは2004年のプロ野球のストライキである。日本のプロ野球史上、唯一のストライキであり、結果的に、選手側が主張した12球団維持が通った。このときは近鉄とオリックスの合併によって12球団制度が維持されなくなることが争点で、ストライキの期間をどうするのか、無期限にするのかどうかという議論も出たそうだが、結果的には2日だけだった。言うまでもなく、ファンのことを配慮したからである。テレビ越しにも当時の古田敦也選手会長が相当タフな交渉に臨んでいるんだなというのはその表情から察せられた。ファンも選手たちを支援した。

プロ野球のような人気スポーツでないため、今回の川崎臨港バスのストライキは世間の同情どころか、関心さえも集めていない。正直、利用者にもあらかじめの理解を得ることは出来ていないだろう。記事のインタビューを読めば、迷いながらの苦渋の決断の末に行われたストライキであることは伝わってくるし、そのような真心にもとづく行動は、私のような現場に立つわけではない外部の賢しらな意見などから自由な方がよい。だが、ストライキというのは、労使間だけでその勝敗が決まるわけではない。団体交渉はたしかに労使だけで決まるが、ストライキになって、労使以外に影響を及ぼすようになると、その勝敗には世間の流れが大きく影響してくる。だから、世論形成はかつてはストライキの常套手段であった。

今はやり方によってはチャンスである。なぜなら、川崎臨港バス労組が提起した、厳しい労働条件によって消費者(乗客)の安全が脅かされるという問題は、まさに政府が進めている「働き方改革」の直球真ん中である。このストライキは世の中のよい流れに乗っていると言える。だから、話の持って行き方によっては、電通と並んで働き方改革の目玉になり得る。連合は5年ぶりに自民党と政策協議を行っていて、ある意味ではこういう事例をうまく取り込むことによって、イニシアティブを示すことが出来るはずだ。ここが勝負所だという戦略眼に期待したい。

・・・けれども、このニュースペーパー動画を見ると、頭がクラクラしてきて、連合が世論形成をするなど夢にも思えない。これ、炎上してもおかしくないと思うのだが、浸透してなさ過ぎて、誰も気がつかず、炎上さえしないのではないか。組織のどのレベルでOKを出したのか確認したいし、これからは連合関係者に会うたびに一人一人この動画を見たことがあるのか確認し、その上でどう思うか聞いてまわりたいくらいだが、情報宣伝において、連合はエキタスやシールズにさえ遙か後塵を拝していると言わざるを得ない。

先日、長時間労働の労働相談を連合は行った。それ自体は素晴らしい。その翌日、ツイッターで「#もしも定時で帰られたら」を告知した。それを情報労連の対馬洋平さんの個人アカウントが、エキタスの「#最低賃金1500円になったら」と一緒に広めることを提案、エキタスアカウントもすぐにこれに反応してちょっとした広がりを見せた。この秋からハッシュタグを使って問題提起するようになったのは素晴らしい。しかし、順序が逆であろう。どう考えても、こういう事前の周知をした上で、キャンペーンを打った方が労働相談に多くの人に参加してもらう上でも、さらには連合の活動を周知する上でも良かっただろう。この段落で私はそんなに無茶なことを言っただろうか。2016年現在ではほぼ常識的に考えられることを書いているだけだと思うのだが。
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情報労連の機関誌『REPORT』の特集「産業別労組の次なる可能性」にインタビュー記事「産業別最低賃金の可能性」が掲載されました。思いのほか、よい特集になっていたので、ご紹介します。既に濱口先生が紹介されています。

単に書きました、と言わずに、インタビュー記事ですと断ったのは、お題は産別最賃の話をしてくれ、ということだったのですが、わりとあちこち飛びながら一時間くらい話した内容をインタビューされた方が整理されて、それに手を加えて書いたからです。事実上、構成はその彼が考えてくれたのです。

個人的に興味深いなと思ったのは、まったく打合せしてなかったのですが、驚くほど濱口先生の原稿とすごく平仄が合っていましたね。最低賃金の細かい説明は濱口先生の原稿を読んでから、私の原稿を読んでいただけると理解しやすいかなと思います。最賃の中で産業別最賃に焦点を当てるのは珍しいですね。ちなみに、濱口先生がおっしゃる「リアルな政治感覚」と私が最後に書いた「戦略的な提案」はほぼ同じ趣旨です。

篠田先生の原稿が産別と地域を問題にしています。実は私の原稿には最初は入れてくれてあったのですが、他の個所の説明を増やすために削ってしまった話があって、それが産別と地域に関連する変化球的な話でした。今の産別は昔のような単純な単産ではなく、意識的にゼンセンのように多角化しているところもありますが、その産別に所属する人の縁で組織化したりしてそのままそこに所属するというようなケースで違った産業の組合が入る場合もあります。もう思い切って、人の融通などを含めて大手産別同士で連携した方が良いのではないかということを喋っていたのです。中野組織対策局長の原稿の中で、具体的な「組織診断表」の話が出ていますが、各産別でやっているこういう工夫を座談会とかで話したりする企画も読んでみたいなと思います。それも中央じゃなくて、どこか特定地域における各産別支部がどう工夫しているのか、現場と中央の関係ももちろん出てくるとは思いますが、地域色が出てくる感じのやつがいいですね。

なお、産別間連携の論点を深めていくと、そもそも産業をどう括るのかというような、あるいは地域をどこで線引きするのかというような話につながってきて、それは読む人が読めば一発で分かりますが、最低賃金の枠組みそのものの問い直しも含まれるのです。ただ、それにはより大きな、地方自治をどうするのか(道州制を含めて広域自治体)という問題も視野に入れた戦略が必要で、そこまでは今回の特集では求められていないので、現実的に何が出来るかという観点からの話になっています。

しかし、こんなに大枠の話ばかり考えてもダメですね。もっとも、根幹の考察をしているのが津富宏先生の原稿です。ここでは市民運動という立ち位置での就労支援と労働運動との距離が印象深く語られています。

私もこれについての解決策というのは考えたことがあって、それは組合の人がこうした市民活動にボランティアとして参加するということです。実は東日本大震災の後、ボランティア活動が活発になって、結局、これは被災地以外でも同じことが出来ると早い段階で気が付いたので、地域でのボランティア活動に展開できないかということで、ちょうど静岡が予定地でしたが、何人かに相談したことがあります。その頃は私も一年のほとんど東北に行っていたので、実現することも出来なかったのですが、アイディアとしては悪くなかったと思います。

ここでの私のアイディアは津富さんとはまったく逆で、肝は労働組合を労働の専門集団として遇さないということにつきます。まずは一からボランティアとしてスタートする。そうやって活動していくなかで、自分たちの立場や専門性を利用してどういう風な活動ができるのかということを考えていくきっかけにする。実は、労働組合というのは、労働にかかわる本職の仕事以外でも、意外と社会運動をしています。ですから、その候補先として、こういうことを考えるのも別におかしなことではないはずです。そして、私はこうした活動は社会運動としての労働運動の原点を見つめ直す、もっといえば、ともすれば日常の業務が単なるこなすべき仕事になりがちな現在の労働運動再生への希望になり得るだろうと期待しています。

なんで課題の共通化ではなく、まず経験してもらうということを書いたかというと、なかなか専門性の高い相手のスキルや持っている人脈などはよく分からない。そうであれば、本人たちに考えてもらう他ないわけです。もちろん、論理的には逆のパターンもあるわけですが、あまり現実的ではない。これは経済的、人的な余裕の差でもあります。

運動論としては、呉さんの韓国労働運動の原稿は重要で、なかなか示唆に富みます。ただし、これはあくまで労働運動論であり、現役の組合の人が読んで、刺激を受けるという類のもので、韓国に倣って同じようなことが出来るかといえば、それはあまり現実的ではないでしょう。弾圧のなかを戦い抜いてきた強さというのは、逆説的ですが、弾圧なしでは身に付き得ません。そのために、弾圧が重要なのかというのは非常に根本的な問題で、私は実はこの問題についてかつてある左の組合の方に質問を投げかけたことがあります。

曰く、組合運動のなかに労働問題だけでなく、それを超えるものが必要であるという主張は分かった。しかし、今回、平和運動がこれだけ盛り上がったのは明らかに安倍政権になったからで、そういう運動は敵を常に必要とするのではないか。もし、その敵がいない場合、そうした平和運動を組合運動の軸としてよいのか、と。そのときはあまり納得のいく答えは返って来ませんでした。ぜひ、皆さんにも考えていただきたいテーマです。
皆さん、周知の通り、9月21日に近鉄駅ホームで乗客対応をしていた車掌が線路上に逃走、その後、高架下に飛び降りた事件が起こりました。この事件に関連して、SNS上では車掌を守ろうという動きが出てきており、ついさっき、私も回ってきたChange.orgの電気技師KENTAROさんが呼びかけたまずは処分を白紙撤回して事実調査をという請願書に署名したばかりである。この署名が実務上、意味があるのかどうかは定かではない。少なくとも、近鉄は処分を「検討する」と言っているだけで、「実行する」と言っているわけではない。ということは、もともと事実調査をした上で処分したであろうことは容易に想像できる。

電気技師KENTAROさんは本名かどうか分からないが、場合によっては本名が明らかになるだろう。そういうリスクを犯して、彼は仲間である鉄道労働者一人のために行動を起こしている。その行動が有効かどうかではない。私は彼の勇気に心から賛同するのである。しかし、私は運動家ではないので、ここでこれを読んでいる皆さんに、ぜひ一緒に賛同しようと呼びかけるつもりはない。ここでは別の角度からこの問題を考察したい。それは労働組合とは何かという問題である。

近鉄には企業内労組があって、それは上部団体として私鉄総連に加盟している。私鉄総連は連合に加盟している。私は少なくとも即日、これらの組合は企業側に勤務条件その他の事情の徹底調査の要求およびもし当該職員の勤務状態に、労働安全衛生上の問題があった場合には徹底的に彼を守るという意思表示を大々的にマスコミを通じて発表するべきであったと思う。それがこのスピード時代でのあるべき組織対応というものである。

なぜか。普通の企業はここ十数年でネットにおけるクレームなどに対応するために組織編成をせざるを得なかった。それをしなければあっという間に炎上して大打撃を受けてしまうからである。だが、おそらく近鉄労組、私鉄総連、連合がそのような危険にさらされることはないだろう。なぜなら、最初から期待されていないからである。それこそが最大の危機である。

今回のネット上の動きでは、この車掌の働き方に対しての同情が根底にあって、だからこそこれだけのムーブメントになっていると考えられる。こうしたムーブメントが大きくなって近鉄本社に直接、声が届くようになれば、近鉄は当然、そうした声を踏まえて、事後処理を考えることになる。逆に言えば、その声なくしては近鉄もそのような対応を出来ないのである。労働者に同情し、会社に働きかけて彼を守ろうとする多くの者の気持ち、これを連帯と呼ばずしてなんと呼ぼう。はっきり言えば、このもっとも臨界的な危機的状況を、組合抜きで、しかも連合がいつも作ろうと号令をかけているところの連帯の力で乗り切ってしまうかもしれないのである。その輪の中に組合が入れていない、ということは、根幹の存立基盤を揺るがす大問題である。

今回の一連の事件が処分という形にせよ、あるいは別の方にせよ、収束してしまえば、その後、労働組合は何も痛むところはないだろう。このような突発的な事件以外にも、労働組合が日常的にこなさなければならない仕事はたくさんある。だから、私は労働組合不要論を打つわけではない。しかし、こうした突発的な事件にどう対応するかはその組織の地力が出るといってよい。

このような自殺未遂を起こすまでに至った当該車掌は、このままでは処分がなかったとしても、気持ちの上でも、そう簡単に業務に戻れるとは思えない。そこにサポートは必要だろう。必要なサポートは現にあるし、そこに組織が参加する余地は大きく残されている。だが、現時点では労働組合は、名もなき市井の人たちの連帯に大きく水をあけられている。最初の一手はこの時点で打っていないということは失敗したのである。判断のスピードが求められるのは企業だけではない。あらゆる組織が同じ世界に生きている。

とはいえ、SNSによる突発的な連帯は持続するのは困難である。ここから組織としてどう巻き返すことが出来るか、そこに労働組合としての真価が問われる。ここに具体的な名前をあげた組合以外にも、こうした事件を通じて、このような危機感を持たなければ、遅かれ早かれ、組合という組織は組織率を落とし続け、衰退していく運命にあると言わざるを得ないのである。

POSSE31号、いただきました。いつもありがとうございます。

今回の特集は、同一労働同一賃金、各政党に意見を聞くというのが目玉です。これを読んでいると、与党である自民党と公明党を含め、大きく言っていることが違うという感じはありませんね。正直、民進党より自民党の方が安心して見られる感じがある。ここまで労働問題に理解を示すとなると、組合は本丸の労働運動で、自民党と戦うというのは言いにくくなる。かじ取りの難しいところでしょう。

次は、求人詐欺の問題。求人票の問題は、今野さんが「ブラック企業」を問題にした当初から指摘していて、それこそ固定残業代の話を書かれていたけれども、POSSEはここ最近、この問題に集中していますね。いろいろな座談会も面白いんだけれども、飯田泰之さんが寄稿しているのも面白いです。そして、この飯田さんが指摘している優良企業は規制してもらっても困らないし、むしろ、規制された方が得るところが大きい、というのは重要な視点です。工場法のころから言われている社会政策のクラシカルな話ですが。

教職員の部活問題もいいテーマですね。昨日、たまたま連合のホームページを見ていて、教育改革の提言を見つけました。内容的には、そんなにケチをつけるようなものでもない、というか、連合って銘打ってなければ、どこの誰が書いたか分からないような文書です。ここで引っかかったのは、提言6の「教職員のやりがい・働きがいを高める」というところで、詳しく中を見ていくと、ガバナンスの話なんですよ。しかも、これ全部、実現したら、労働強化になります。ステークホルダーを増やした民主主義というのはそういうものです。もっと、労働問題に絞って、たとえば、労働時間からアプローチしていくというのも一つの手です。そう考えていたところだったので、部活問題は面白い話題でした。ただ、これを簡単に一律規制すればいいのか、というと、そうでもないところが難しいですが。

今回は、ブラック企業、貧困の現場報告は、連載ですからありますけど、全体的には持続的な労使関係をどう構築していくのかというテーマになっています。POSSEが変わってきたのか、社会が変わってきたのか、いずれにせよ、大きい変化です(POSSEが変えた、という部分も大きくあります、もちろん)。数年前だったら、声をあげてもいいんだ!というところだったと思うのですが、声をあげて良くなった!という話がポツポツ出てきていて、こういうことの積み重ねが本当に希望になって行くんだと感じました。
図説労働の論点』旬報社を著者(兵頭淳史さんかな?)からいただきました。ありがとうございます。

7人の著者(うち、4人が編者)によって個別のトピックが6ページずつくらいで書いてあります。目次は版元のホームページにわりと詳しくのっていますし、表紙にキーワードをのせているのも、ビジュアルとともに内容を表していてなかなかいいです。

ワークルールをわりと大きく扱っているのは珍しいですが、旬報社がワークルール検定を広めようとしていますから、当然と言えば、当然です。ただ、割と、この短い文章のなかで、こうすべきだという提言や、著書の意見がだいたんに語られているところもあり、そういうところは個人的にひっかかりました。ただし、神部さんの「若者たちとユニオン」のように、一つの運動家の立場からの意見というのが明確に分かるものは、中途半端に傍観するものより、こういう方がいいんでしょう。とはいえ、労使関係のところが「くみあい」と異なる「ユニオン」という立場を前面に押し出して書かれている点はやや奇妙な感じがしました。

左派か右派かという区分よりも、労働の暗部に焦点を当てるのか、光の部分にも焦点を当てるのかといったバランスで考えると、本書は圧倒的に暗部に焦点を当てています。その具体的な解決法というのは、まさにこの中では「若者たちとユニオン」のところだと思うのですが、それならば、いっそのこと、もっと運動的な観点からのものとして読みたかったな、と思いました。というか、逆に言うと、学生・社会人必読!と銘打たれているのですが、私からすると、どこに訴求しているのか、わかりにくかったです。

たとえば、第3章の「ワークルール」では、賃金(反対給付)の問題と労働時間の問題をセットで考えなくていいの?もし考える必要があれば、どうつなげる必要があるのか、といったような横の関係が知りたい。もちろん、同じ章でワークルール、労働時間、賃金の問題が扱われているので、そこが関係していることは意識されているわけですが、項目ごとのつながりがよく分からないのは残念です。じゃあ、現場で運動的な視点ではどう考えるのか。そんなことが知りたかったですね。

それと男女の賃金格差の問題、同一労働同一賃金の問題は、遠藤公嗣さんのような職務分析派と職務分析は限定的だから水準に焦点を当てるケア付き無所有者の生活モデルという三山雅子さんの議論も紹介して欲しかったです。というか、そこだけでもいいくらいです。男女差別問題は。と言い出したら、きりがないので、このあたりで。