次は森先生の雇用関係論について書きたいと思っていたのだが、森先生の議論はいきなり読んでも決して分かりやすいものではない。必ずしも叙述が難しいというのではなく、森先生の考え方がかなり独創的な枠組みによって書かれていること、また、イギリス法の考え方に馴染みが薄いこと、この二つが原因だろう。まずは周辺の部分から少しずつお話しておこう。

普通、西洋の法は英米法と大陸法という分類がされている。単純化して言うと、19世紀前半のヨーロッパ大陸はローマ法の継受を行い,ローマ法典の中にすべての法が書き込まれているという考え方であった。これに対して、イングランドではローマ法を継受せず、ゲルマン法の伝統を引き継いだために、法がすべて成文化されているとは考えられていなかった。実際、イギリスには今も成文憲法がない。こうした二つの特徴を対照的に表現する言葉がある。すなわち、「法による支配」と「法の支配」である。前者が大陸法、後者が英米法の考え方である。

この性格の違いから法律家の仕事の前提も大きく異なることになった。もちろん、法律家である以上、どちらにとっても先例は重要だ。しかし、大陸の法律家たちがローマ法の中にそれを探すのに対し、イギリスの法律家たちは判例や法律書の中にまず、既に発見された法がないか探し、見つからない場合は新たに事例の中に法を探したのである。といっても、これはかなりカリチュアライズ化された解釈で、実際には大陸の法律家たちも判例を重視しないで、ローマ法だけを重視したというわけではないだろう。

森先生のお仕事は、したがって、法律書や判例を中心にして、雇用関係の法(law=法則)がどのようにイギリスで発見されてきたかを明らかにしたものといえる。私の解釈では、雇用関係の生成は雇用関係の法の発見史である。そういう発見のプロセスを見ることによって、どのように「雇用関係の法」が形作られていったのかを追ったのである。

その際、注意しておきたいのは、慣習及び慣行はまだ法ではないということだ。精確に言えば、慣習の中に法が隠されている可能性はある。しかし、慣習そのものを全部、法というわけにはいかない。あえて分かりやすく言えば、慣習から抽出したエッセンスは(慣習)法と呼べるだろう。もうちょっと難しく言えば、慣習は法源たりうるが、法そのものではない、というところだろうか。もちろん、法の判定の仕方は議論の余地があり、だからこそ、解釈をめぐって、法律書などで議論が展開されるわけである。しかし、そうした議論は、こうした法の発見という伝統を共有した上で、行われていたのである。

『雇用関係の生成』を引きながら、雇用関係と雇用慣行を区別していない人は、「要するに、分かっていないのだ」と自動的に判定することにしている。

と書いて、私こそ間違っていたら、かなりショックだが(笑)。
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さわさんからコメントを頂き、いろいろと考えてみたけれども、現代の社会でもトレードとか、プロフェッションがなくなったわけではなく、むしろ、それ以外の「市民」というような評価軸が重要になってきたのではないか、と思えてきた。

たとえば、カウンセラーの国家資格化についての運動を展開している人たちがいる。国家資格化が達成されると、社会的認知度があがり、社会的権威があがる。そういう意味では、今でも、専門職の資格というのは決定的に重要な意味を持っている。

実際にはよく知らないけれども、私の印象の中のイギリスは不思議な国で、プロフェッショナルを重んじる半面、アマチュアリズムも大事にする。プロということに対する敬意とアマチュアに対する敬意が並立する。日本ではアマチュアというと一段下に見られがちだが、向こうではアマチュアの独創的な視点を公平に評価するのではないだろうか。そういう世界では、トレード的な世界が崩れにくいような気がする。

1950年代ごろには労働組合の一つの理想はトレード組合であった。それがない日本は遅れていると考えられてきた。しかし、実際にはトレードの伝統こそが旧世界を継承していたようである。二村先生はこのトレードユニオンの伝統がないことが、日本の企業別組合を生んだという説を唱えた。この説は一般に結構、浸透しているらしい。そうすると、日本はトレードの感覚の薄い国だったのだろうか。

そこで思い出したのだが、T.H.マーシャルの「職人的世界」から「市民的世界」へという構想を日本でおそらくは別の文脈から東條由紀彦さんが論じているということだ。東條さんは、日本にもトレードのようなものはあったと主張している。たしか、1880年代から90年代にかけてはそういうものを壊した明治政府のやり方に反対しているものもあったような気がするし、他にも友子はその典型的な事例ではないかと思う。だが、全体的にはいまだ証拠不足の感がなきにしもあらずで、その点では二村先生の批判もむべなるかなという気がする。

ところが、まったく実証的な根拠があっていうわけではないけれども、私自身はというと、この見立ては正しいのではないかと直感的に考えている。昔、なんかのエッセイで最近は顔でその人の職業を判断することが難しくなったというようなことを読んだことがあるような記憶があるが、定かではない。ただ、こういうことは一般にもよく言われそうだ。現代でも自分の仕事を最大のアイデンティティとする人は多いだろうが、それが他人には見えにくくなったということだろうか。とにかく、そういうあやふやな根拠しかないが、しかし、何か重要な問題だと思う。とはいえ、考えても謎が深まるばかりだ。

その次に出てきたものを「市民社会」と理解してよいかどうかは判断の分かれるところだろう。私は「市民社会」という言い方を非常に警戒している。正直、何を意味するのかよく分からない。だが、「市民」という概念自体が重要なことはなんとなく分かるので、このこともまた、継続して考えることにしよう。
禹さんの本には独特の読みにくさがある。今から振り返ってみると、ようやく私にも禹さんがやろうと思っていたことがおぼろげながら、分かってきた。ただし、禹さん自身も必ずしもちゃんと、意識化して言葉に出来なかった。件の研究会の発言をもとに少し再構成してみよう。

禹さんは、「身分」は普通言われているような、フォーマルなものを想定している。たとえば、ホワイトカラー、ブルーカラー、昔で言えば、傭人・雇員などである。この各身分を細かく割ったものが資格となる。だから、禹さんにとっては「身分」ははっきりしている。しかし、「取引」については何かまだすわりが悪くて、良い言葉があれば、取り替えたいと仰っている。

私自身はこのときから、禹さんは「身分」の中にインフォーマルな意味も含ませたのではないか、と考えていたのだが、それは違う、フォーマルな意味だと仰られた。実はこの禹さんの発言の前に、市原さんから「重要なのはメンバーシップなのでしょう」という振りがあった。

ここが重要なポイントだが、おそらく、禹さんは「身分」そのものではなく、メンバーシップを承認されることによって得られる「権利」の問題を論じていたのだと思う。ある種の資格(身分)を獲得することによって、それに伴う「権利」を得るということはよくあることだ。面白いことに、この資格の問題と権利の問題はしばしば混同されてきた。たとえば、T.H.マーシャルのcitizenshipは昔は市民権と訳されてきたが、最近では単にカタカナでシチズンシップと訳されているし、三部作を訳された岡田先生も晩年は「市民資格」という訳を使われるようになった(なお他にも「市民性」という訳語を使う人もいる)。マーシャルは市民権(civil right)のなかで20世紀以降に発達してきた社会権の問題をシチズンシップという大きなパースペクティブの中で議論しているのだ。

非常に分かりやすく言ってしまえば、この従業員であるという属性によって付与される「権利」の内容が、フォーマル・インフォーマルを問わず労使交渉によって伸縮自在、というのがポイントである。禹さんご自身がどれくらい意識的にそうされたか分からないが、メンバーシップの問題に主な関心があったため、タイトルには「労使」よりも「雇用」に焦点が当っている。ただ、ここが微妙で、雇用”関係”ではなく雇用”慣行”というところが面白い。実際の分析では、その”慣行”を決める労使交渉がメインである。その限りにおいては、立教の井上先生が辛らつな書評で、従来の労使関係分析の手法に比べ何が新しいのか、わざわざ言葉を変える意味があったのかと疑問を呈されたのも、ある意味、正鵠を射ていたといえよう。

この慣行ならびに慣習の意味を考えるには、森先生の雇用関係論を取り上げる必要があるのだが、このブログを始めた当初に書いたとおり、私の見る限りしっかり摂取されているとは言いがたい。

ちなみに、この「権利」の問題を論じた人がただ一人だけいる。すなわち、トマス・C・スミス先生である。ただ、私が知っている限りだと、『日本における社会史の伝統と創造』に収められた二本の論文は本当に画期的なのだが、あまりその画期性が共有されているとは思えない。今のままではただ名著であるという声価だけが確立して存在し、本自体は神棚に飾られるだけに終わってしまうような気がしてならない。
東大経済に今はもうない15室と呼ばれる部屋があって、私はその最後の世代に属する。というのも、経済棟の改築によって、部屋番号が変わり、今は434(424?)室になっているからだ。

外部の方のためにご説明すると、東大の大学院では、院生が自分の専攻の自主ゼミを選択し、その自主ゼミ単位で部屋が割り振られている。私が読んだ自治会の昔の資料から推測すると、一昔前までは、部屋と自主ゼミが一致せず、というか、本当の意味で自主ゼミが研究や勉強する主体として機能していた頃は、部屋と自主ゼミが完全には一致してなかったらしい。おそらく自主ゼミが形骸化して、部屋割りの事務的な機能だけが残ったんだろう。多分、昔もあったと思うけれども、自主ゼミという形式的なものではなく、有志のメンバーが集まる勉強会は今でも行われているはずだ(労働はないけど)。

私が入った年は岡田真理子さん(現、和歌山大学)が新人の私のために読書会をやってくださって、おそらく、それが15室関連での本格的な勉強会としては最後のものになった。というか、書いていて思い出したのは、あれは今、一橋の猪飼さんがサバティカルだった佐口先生を巻き込んでやろうと言い出して、実際、先生に参加してもらった会もあったにもかかわらず、当の本人は一度も来ないので、岡田さんが責任をもって取りまとめていた、というのが真相だったかもしれない。

岡田さんが私の4つ上で、その2つ上が猪飼さん、それから埼玉大学の禹さんが同期だったと思う。その禹さんはこの世代近辺以降の15室の人たちの中ではボス的な存在である。というか、このことを書きたいために、余計なことを随分、書いてしまった。

その禹さんの博士論文が『「身分」の取引と日本の雇用慣行』である。この本は主として、戦前の国鉄の労使関係について書かれたものである。実は、法政の梅崎修さんが中心になってやっている労働史史料研究会(?)というマニアックな研究会があって、2006年1月27日に駿河台大学の市原博さん、梅崎さん、私で禹さんに国鉄の史料の話を伺ったことがある。そのときに、少しこの本の話題が議論にあがった。この研究会は自由なもので、参加者は大体知り合いだから、自由にいろいろ話せるのだ。

この研究会の最初の方の話は一応、「労働史史料研究会オーラル・ヒストリー」として活字の報告書になっていて、その初志が貫徹されていれば、全国の図書館に入っているはずだ。ただ、OPACにあんまり登録されてないのかもしれない(東大経済には梅崎さんに言われて、私が仲介して今までのオーラル・ヒストリーを全部入れたので、入ってるはずだけど、登録されてない)。ちなみに、梅崎さんは知る人ぞ知る労働史のオーラル・ヒストリーの中心的なオルガナイザー。その一端を大原の雑誌に「労働研究とオーラルヒストリー」として書かれている。

内輪話になってしまったので、次に改めて禹さんの本の話をします。
今更、こんな話をするのも野暮というか、ほぼ常識に属することだと私は信じているのだが、もともと日本語の「労使関係」という言葉は、上司と部下の関係に等しい。というのも、戦時期から各種統制の不合理からブルーカラーとホワイトカラーの労務管理上の統一が進み、両者の融合化が進んだ。そこで労働基準法では、周知の通り、ホワイトカラーもあわせて対象とすることになった。そのときに困ったのが、ホワイトカラーの名称である。

戦前は一般には労資関係における「労」は職工のことであり、「資」は職員以上と考えられていた。職員層にあえて労働者という言葉を使う場合は、「知的」という接頭辞がついた。これは理論的にそうなったのではなく、「労」の意味が最初に定着して、自然と慣習的にそうなったのだろう。しかし、今度は「労」の中に、ホワイトカラーを含めなければいけない。そこで考え出されたのが「使(用者)」という魔法の言葉である。非常に単純化して、比喩的に言えば、上司として扱われるときは「使用者」、被用者として扱われるときは「労働者」という階層の人たちを作り出したのである。このことを確認したい人は実際に労働基準法の第9条及び第10条に当られるとよいだろう。

一応、念のために断っておくが、私が言いたいのは実務的な問題ではない。当たり前だが、実際の社会秩序は(省令等も含めた)各種法律と判例法によって成立している。したがって、それを無視した議論は意味がない。一つ一つの判例を検討した上で、その法的な論理構成がどのように問題があるのか、というレベルから議論しないと話にならないと思っている。そのような作業はもちろん大切な仕事だが、当面の私の任ではない。

実際の言葉は論理的に確定していくわけではないので、理論的につじつまが合わなかろうが、別に差支えない。むしろ、そのこと自体が歴史研究にとっては研究対象である。慣習的使用法と論理的使用法のズレの意味、すなわち、論理的に合わないにもかかわらず、その言葉によって何を人々が表現しようとしたのかを探索することはとても重要だ。

現在、労使関係を聞いて直ちに思い浮かぶのは、普通の語感だと、集団労使関係のイメージではないだろうか。「労使」という言葉の使い方は労使交渉と結びつきやすいし、労使関係という言葉はindustrial relationsの訳としても定着している。もちろん、もともとの上司と部下の関係、ないし、会社と被用者の関係は個別労使関係として残っている。

個人の問題と集団の問題をどう考えるのか、ということは雇用関係と労使関係を考える際に、非常に重要な視点であり、しばしば研究者も混乱に陥ってきた(ないし陥りがちだった)、と私は秘かに思っている。このあたりのことから話を進めて行こう。
濱口先生のブログで紹介していただきました。ありがとうございます。濱口先生のブログを読んでいる知り合いは驚くほどの人数ですので、この場を借りてご挨拶と近況報告を申し上げます。

本来は真先に論文をお渡しすべき方々に、まだお渡ししていないどころか、ご報告さえもしていない場合もございます。まことにすみません。義理と人情を重んじる労問研ではあり得ないことであると承知しておりますが、主として経済的な理由でお配りできませんでした。この場を借りてお詫び申し上げます。

数年来、書いていた博士論文を今年三月末に書き上げました。審査は森建資先生、武田晴人先生、佐口和郎先生、小野塚知二先生、粕谷誠先生でした。直に審査所見もネット上で読めるようになると思います(私も読んでいません)。リポジトリの論文本体と博士論文の評価が連動していないのは何とも不自由ですね。

今は浪人で、聖学院大学で非常勤の社会政策と秋から労働経済論を教えています。それから、去年少し教えていた子たちからのリクエストで、いったん馘首(?)された東京商科学院専門学校で、7月から経営学に関することを数回、教えることになりました。

最初、経営学検定対応で雇われたにもかかわらず、私はこの資格は彼らにはいらないと主張していたので、打ち切りになるのは当たり前なのですが、後悔はしていません。私が受け持った夜間の子たちは、働きながら生活を切り詰めて学校に通っており、彼らにとっては検定代も死活問題です。しかし、検定については私の専門の労務管理まわりだけでも内容がメチャクチャであり、そう感じていながら、それを勧めるのはさすがに出来ませんでした。現在は夜間では扱わず、昼間ではやっていると思います。

昼間の検定試験の授業を担当している先生は、私にもよくしてくださり、いろいろと教えてくださいました。何度もお話をしました。その先生がモチベーションの箇所で内発的動機の話をすると、学生が喜ぶし、目を輝かせて聞くよという話をされておりました。資格試験といっても、その資格の内容そのものだけが必ずしも重要なわけではなく、資格試験を取るプロセス自体に意味を持たせることも出来るということがよく伝わってきました。

ことほどさように、東京商科学院専門学校はスタッフの先生方が学生のことをよく考えていらっしゃって、一人ひとりの事情もよく把握し、きめ細かいケアをしていらっしゃいます。私たち非常勤の話もよく聞いてくださいます。逆に、非常勤の先生方の中にも学生のことをしっかり見ている方もいらっしゃいました。

話が大幅に脱線しましたが、研究は博士論文の中の材料を使いながら、社会政策について考えています。また、武田晴人先生が主査で、リーダーが池元有一さん(国学院)のプロジェクトの一環で秋の経営史学会のパネル報告をします。他にもいくつか抱えているテーマはあるんですが、それは追々。

このブログは、面白くても論文には書けないようなことや、考えておきたい論点の備忘録代わりに書いていきたいと思います。

今後ともよろしくお願いします。

金子良事
リポジトリに登録されました。

戦前期,富士瓦斯紡績における労務管理制度の形成過程

少しずつ、博士論文でやりたかったこと、やれなかったことなんかも書いていこうと思います。まだFC2のシステムに慣れてないので、どうやってカスタマイズすればいいか、よく分かっていないのですが、そのうちに、横からリンクできるようにします。

このところ、T・H・マーシャルの論文集を読んでいたのだが、彼の歴史認識は正しいと言わざるを得ないと思えてきた。一つは、原理的な平等志向の成長という視点である。彼は社会福祉の背景にこの原理を捉えている。もう一つは、職人的世界から市民資格的世界への移行である。言い換えれば、トレードからシチズンということだろうか。これも非常にビビッドな視点である。もちろん、こうした傾向がよいというわけではない。ただ、起こってきた事実を確認するとき、たしかに、こういう側面があったことは認めざるを得ないと思うのである。

もう一つ、別の観点から問題を指摘しておこう。マーシャル自身がこうした平等性を重視する社会福祉を社会に認知させる大きな力そのものであったことである。ピンカーがいかにマーシャルの価値中立的な立場を強調しようと、大きな枠組みの中では、マーシャルの学説が社会学・社会福祉学を社会に認知させ、社会福祉を推進力になってきたことは否定すべくもない。本人の意図がどうであろうと、結果だけを見れば、マーシャルは政治的な影響力をもったのである。ただし、私はそれがよいとも悪いとも思わない。今はまだそれを判断できるほど、材料が揃っていない。

ともあれ、マーシャルの職人的世界から市民資格的世界という歴史把握が正しいとするならば、20世紀初頭のアメリカに端を発し、戦後の占領政策で日本に持ち込まれ、現在もなお勢力を保っている専門職化志向というのは、こうした時代の流れに逆行するものであったのかもしれない。

欧米においてプロフェッショナリズムが根強く息づいているのは、当然、歴史的な蓄積があり、現在も継続している。然るに、日本の近時の傾向を見ると、専門職の希釈化が行われているように見える。それもビジネスの分野以外においてである。伝統的なプロフェッションといえば、医者・法曹家・学者・宗教家である。まず、医者(ないし医療関係者)に対してはインフォームド・コンセントという形で、医者の単独判断よりも患者の判断を参加させることの重要性が主張されている。法曹家については、司法試験改革と裁判員制度だろう。学者については、もともと専門性の怪しい領域ではあったが、1960年代の学生運動によって社会的権威が失墜した(それでもまだ高いが)。言うまでもなく、これには大学の大衆化という現象が密接に関係している。この傾向は現在に至るまで続いている。宗教家については、I'm not religious but spiritualに象徴されるように、1960年代の欧米における東洋思想受容を軸に、日本でも再び、そうした自分の経験を重視する考えが徐々に出てきている。また、トランスパーソナル心理学やターミナル・ケアといった医療領域からの接近も許している(もっとも、宗教者は歴史的にどんどん専門性を様々な職種に奪われていったのだが)。

実践的な観点から考えて、専門職化という方向が正しいのか、誤っているのかを判断する力は私にはない。シチズンシップと専門職の関係は何れ考えてみたい論点である。
一つの本で大きな流れを作ってしまうものがときにある。伊丹敬之・加護野忠男『ゼミナール経営学入門』日本経済新聞社もその一冊ではないかと私は考えている。この本の何が新しいかといえば、経営戦略論・経営組織論をパンッ!と前面に持ってきたことだろう。

もちろん、経営組織論自体は比較的現代のものを取り上げても、ファヨールやバーナードといった古典とされているものもある。それから、経営戦略論の起源を言うのは私には難しいけれども、一つは事業部制から戦略への視点を出したチャンドラーだろうか(彼は経営史家である)。にもかかわらず、やっぱりこの本は革命的だったといわざるを得ないと思っている。

日本の経営学のメインストリームはおそらく、二つであったと思われる。一つは、経営工学系のテイラー(ないし能率技師)から人間関係学派に流れていくもの。人間関係学派自体、テイラーのカウンターパートとして出現したというよりも、今でも根強く残る、心理学系研究の一派と考えた方が良いだろう。今でも経営学にとって、心理学は大事な隣接分野で、マズローの欲求五段階説くらいはどの教科書でも出てくるし、ここ30年くらいで発展してきたリーダーシップ論も広い意味では心理学と関係があるといってよいだろう。

もう一つは、商学の流れで、これは大雑把に言ってしまえば、簿記や会計を軸としていた。伊丹・加護野教科書できれいに何も書いていないのはこの点であり、そこがこの本のもっとも革新的なところだと私は秘かに考えている。私自身は簿記2級を取得して、1級にあと数点で合格というところまでいって、やめてしまった他、生産管理と関係がある管理会計について多少の勉強をした程度だ。しかし、その程度でもはっきり言って、会計は面白い分野だと思う。

このブログは社会政策・労働問題研究(の歴史分析)と銘打っている以上、読んでくださる方の中には福祉関係の方もいらっしゃるかもしれないので、もうちょっと詳しくお話したい。哲学や福祉をやっている人の中には、マネーを汚いもののように考えている人がおり、会計学どころか、経営学といっただけで、「金勘定でしょう」といわれることがある。しかし、そのような視野狭窄な立場はもったいない。私の独断と偏見では、会計とは技術でもあるのだが、何よりも思想である。いかに費用を捉まえるかというのは、企業活動で何が問題かを発見する試みであるともいえるのである。そういう意味では、会計思想の展開は大げさにいえば、経営思想の展開でもあるのだ。何より、経営体(ないし組織)を運営するというのはお金が掛かるのだから、もちろん、経営学的な視点で考える必要が出てくる。福祉の世界で、メアリー・リッチモンドといえば、ソーシャル・ワークを専門職化させた研究で有名だが、彼女でさえも当時、専業従事者としてお金を受け取ることへの批判があったという。海外でも日本でもお金を受け取らないボランティアの尊さという価値観は根強いものがある。

この伊丹・加護野パラダイムは非常に端的に言えば、ヒト・モノ・カネのうち、ヒトに焦点を強く当てて経営学を論じたものと考えられそうだ。そこが原点にあって、組織論にも繋がる。そして、チャンドラーではないけれども、組織論は戦略論とも結びついている。この枠組みだったら、社会福祉関係とも対話可能な内容が実は多く含まれている。バーナードやドラッカーも基本的には私的営利企業を対象にしたが、そこから公的組織やNGOやNPOのような組織にも関心を持っていた。ただ、あまりその方面を本格的に論じたとはいえない。

そうした中で、例外的なのはメアリー・パーカー・フォレットである。彼女は政治学者であり、専門的な経営学の論文を書いたわけではなかったが、死後、経営学に関連する講演が整理されて、出版されたので、日本では長く経営学の古典という扱いを受けてきた。彼女は学者だけでなく、ソーシャル・ワーカーでもあった。つまり、どちらかと言うと、普通の経営学者とは反対方向の道を歩んできたことになる。しかし、いずれにせよ、そこには共通する対話可能な領域が残されている。
ネットを彷徨っていたら、「社会政策の歴史社会学 : 明治期から1980年代に焦点を当てて」という論文に当った。危惧していたことが実際に起こり始めている。困ったことだ。

一応、本名で書いているので、私が困ったと思った点を二つ、具体的にあげておくことにしよう。第一に、学説史の理解。ちゃんと大河内先生を読んで理解しているとは思えない。いきなり武川さんの議論から始まってる。第二に、歴史研究の割には歴史の本格的な研究を読んでいない。司馬遼太郎の前に、下田平先生、菅沼先生、加瀬先生を読んで欲しい。福祉系に目を転じると、百瀬さんの『日本福祉制度史』は、たしかに参照すべき、面白い視点がたくさんあるよい本だ。だが、それにしても、福祉系の歴史研究で吉田久一大先生があがってないのはちょっと考えられないだろう。誰が取り組むんでも、社会事業史研究において吉田久一は超えるべき壁である。その緊張感がないのは何ともがっかりだ。

実際にお会いしたことないけども、私は長野大学の野口友紀子さんの研究に注目している。彼女の「社会事業史にみる「社会政策代替説」と大河内理論 : 新たな社会事業史の可能性」における吉田久一批判は大事なことを言ってる。・・・ちなみに、最近、ネットで読めるようになったのね。私は全部、苦労してコピーして回ったけどさ。なんか悔しい。でも、リンクはちゃんと貼っておこう。

個人的には偉大な先行研究者を無批判に崇拝することは研究者であることを放棄するに等しいと考えている。昔、何かのエッセイで、テレビ中継の囲碁ファンという言い方が引っかかる。なぜなら、自分も含めてそれを見る人たちは実際に指すからだ、と書いてあった。それと全く同じことで、卑しくも研究に携わるのならば、結果的に超えられるかどうかは別としても、そこを目指す心意気をもって研究することこそが大切だと思う。