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論文を書き終えたら、前のテーマについての関心が一時的にですが、急速に萎んでしまいました(笑)。本当は一橋スクールの社会政策論なんかを勉強したことを整理しておきたかったんだけど、それはまたの機会にしましょう。

さて、そんなこんなで、ボーっとしている間に、濱口先生の新著『新しい労働社会』が出版されましたね。一昨日からゆっくり途切れ途切れ読んでみました。知らないことも書いてあって、勉強にもなったりました。ただ、大石玄さんの書評では「読みやすいし、分かりやすい」と評価されていたんですが、私は全体の感想として、難しいなと感じました。しかし、今日は論点を絞って、第4章で提案されていることについての反対意見を書きたいと思います。

私はそもそも労働組合の形態としてユニオン・ショップに反対です。理想主義と言われようが、原理主義といわれようが、労働組合の理想は労働者の自主的活動にあると考えているからです。ただし、その組織形態が産業別だろうが、職種別だろうが、企業別だろうが、何れでも構いません。それは経済体制(ないし産業構造)によって適切な形態は異なると考えるからです。

とはいえ、もう少し実践的な観点から議論しないと話し合う余地が生まれないのでプラクティカルな面を述べます。労せず組合員を確保できるのは、組織化活動という貴重な教育機会を放棄することを意味します。組織化活動を教育機会というと、違和感があるかもしれません。実際、組織化活動のやり方もそれぞれ違うでしょう。しかし、ここでは、誰かになぜ労働組合が必要か喋ることが労働組合のアイデンティティを確認することに繋がるということを指摘しておきたいと思います。組合員自身が労働組合の必要を自ら認識する意義があるのです。

周知のように、日本の労働組合には根本的に組合活動の停滞、組織率の低下という問題が存在しています(日本だけに限りませんが)。その中で後継者をどのように育てていくかという問題があります。もちろん、それにはしかるべき教科書の必要性などいろいろなことが指摘できるでしょう。また、組織化の経験だけで十分などというつもりもありません。しかし、貴重な機会の一つであることは間違いありません。私はUIゼンセン同盟の強さの一つは、組織化を重視する方針にあると思っています。

誤解しないでいただきたいのは、非正規労働者を組織化すべきという結論自体は私も同じです。ただし、私は断然、中村圭介流の古風な産業民主主義を支持します。すなわち、非正規労働者を組織することが全員の利益になるのだ、という認識を普及すべきだと考えます。

私が問題提起したいのは、いったい、新しい労働者組織を作って、誰が運用していくのか?ということです。言い換えれば、リーダーをどうやって育てるのか?ということです。現実的には、濱口案が実現すれば、既存の組合のリーダーの力が必要になるはずですが、何れにせよ労働者代表組織観を変えてもらわなければならない。それはどうやってやるのか?ということです。

それから、戦時期についての位置づけは、私と濱口先生では少し違います。実は、戦争が始まるまでは、言われるほど工職の壁は決定的なものではなかったと思っています。たしかに、職員層と工員層という形で括って比較すると、格差がありました。しかし、そこに注目すると、問題の本質を見誤ります。戦時統制で問題になったのは工員層内格差です。処遇面だって下層職員より熟練工の方がよかったと思いますよ。逆に、工員層と職員層の境界領域は相当にグレーな部分があった。だからこそ、統制が始まった初期に工員と職員の統制をあまりバラバラにやるなという苦情が何度も出ているのです。

日本では戦前から熟練工には熟練工の発言権がある程度あったと思います。実は資料的に残らないのでなかなか明らかに出来ないのですが、戦前には重役に機密費が与えられ、そのなかから熟練工への特別報酬を支給することが広くありました。会計上は労務費扱いじゃないでしょうね。そして、しばしば重役から職工に至るまで派閥が出来ることがありました。そういうのは争議が起こったときに、社内派閥の対立を利用する戦術として表に出てきます。そういう事情ですから、実際に本当のトップ熟練工がどれだけ豊かであったかはよくわからないのです。

ついでに言っておきますが、時間給(時給の意味)から月給への移行というのは誤りです。そもそも、戦前の時間給(時間に応じて払われる賃金)の主流は日給であって、時給ではありません。しかし、何より重要なのは請負給です。戦前の賃金制度についてはいろいろ議論があるのですが、もっとも象徴的に理解できるというより、当時の工員月給制の象徴的存在であった万年筆のパイロット社を紹介しましょう。パイロット社は1920年代に既に工員の月給制度を敷いていたので、月給制を普及させたい当局(厚生省の一部)には都合がよかったのでしょう。そのパイロット社における月給制の導入は請負給・日給制から月給制への移行でした。そのときに問題になったのは工員層の格差の縮小、すなわち、熟練工の取り分が減るということでした。歴史的な知識としては、日給と請負給の関係を理解する必要がありますが、それでもあえて象徴的に言いたいのならば、請負給から月給制へ、という方が正確でしょう。出来高給でない職工及び下層職員に限定すれば、日給から月給へといっても大丈夫です。

ただし、重要なことは、厚生省が月給の導入を主導しようしたときに、その政策意図に「社会政策的賃金」という明確な生活保証的な意義があった点です。なぜ、これが重要かといえば、戦後の社会保障ないし福祉国家化との関係を考えるときに、ここに注目することで一つの源流となっているからです。まぁ、それはおいておきましょう。

何れにせよ、私は工職格差を埋めた、産業報国会と企業別組合という位置づけはしません。戦争によって生活危機がかなりの上位の職員層まで及んだこと、それから、高等教育におけるマルクス主義の後光、そういったもので工職混合組合は実現したと推測しています。

以上の理由から、私はラディカルな労働者代表制の確立には反対です。教育は百年の計ですから、今すぐに苦しむ人たちを救うことは出来ないかもしれませんが、中長期的にはそちらの方がよいでしょう。また、短期的にも組合の管理職教育が失敗すれば、意外と効率性もよくない危険があるのです。

というわけで、186ページの挑発にわざと乗ってみました。

久しぶりに書いたので、前はですます調で書いていなかったことを忘れていました。また、そのうちに戻すと思います。
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