そろそろ後期の授業(労働経済論)が始まるので、その下準備をと思い、経済学全般の議論を勉強しなおすことにした。労働経済論というのは厄介な科目で、非常にシンプルに近経・非近経の二つに分ければ、非近経ということになるだろうか。もうちょっと大まかに言えば、制度派といえるだろう。ある意味では何でもありなのだ。最近まではこっちの系統は異端ということになっていた。そういうわけで、数週間前に本屋に行ってみたところ、こんな本があった。

入門 制度経済学入門 制度経済学
(2007/04)
ベルナール シャバンス

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出版元のナカニシヤ出版の紹介文からとりあえず、目次を引っ張ってきた。

<目 次>

日本語版への序文:経済理論の制度主義的転回はあるのか

序章 経済学における制度主義の系譜

I 制度主義の元祖
 1.シュモラーとドイツ歴史学派
 2.ヴェブレンの進化論的制度主義
 3.ハミルトン:制度派経済学
 4.コモンズ:組織と制度
 5.ポランニーと制度化過程としての経済

II オーストリア学派とオルド自由主義
 1.メンガー:有機的アプローチと実用主義的アプローチ
 2.ハイエクにおける秩序とルール
 3.オイケンとオルド自由主義

III 新制度派経済学
 1.ウィリアムソンとガバナンス・メカニズム
 2.ノース:フォーマルな制度とインフォーマルな制度
 3.ゲーム理論と比較制度分析

IV 現代ヨーロッパの諸学派
 1.レギュラシオン理論:歴史的なマクロ経済学
 2.コンヴァンシオンの経済学:ルールを解釈する
 3.ホジソンと旧制度派経済学の刷新

V 制度主義の統一性と多様性
 1.主要な共通テーマ
 2.著しい多様性
 3.理論的差異
 4.限定的な対象、一般的な理論 

何が感激したかって、この本、実に150ページなのだ。よくこれだけの内容をこの分量に盛り込み、値段を2000円(+税)に抑えた。この心意気は見事だといわざるを得ない。また、キーワードについてカッコで括った簡単な訳注が添えられているのも嬉しい。さらに、最後に文献案内がある(これで十分だとは思わないけれども、その心配りは心憎い)。

この本の特徴は何と言っても目配りが広いところであろう。いわゆる旧制度学派(Ⅰ)と新制度学派(Ⅱ)だけじゃなく、ヨーロッパの制度学派(Ⅲ、Ⅳ)についての記述があることも嬉しい。正直に言えば、私は新制度学派と比較制度学派がどう違うのかよく分からなかった、というより、まったく知らなかったことが分かった。そういう意味でも有難い本であった。

ただ、今回、これを読み通して、つくづく思ったのは制度学派って難しいんだなということだった。端的に言うと、目次をもう一度見て欲しい。これと例えば、『マンキュー入門経済学』や『ステイグリッツ入門経済学(第3版)』と比べてみよう。この本の章立てが個人名ないし学派別になっているのに対し、近経の両者にはそういうものはなく、すべて論点で整理されている。別にどちらがよいというわけではないが、制度学派はそれだけ統一されていない、ということだ。実際、この本でも論じられている統一性は三つだけである。すなわち、制度を扱うこと、変化(プロセス等)、創発性である。この他にも、よく論じられるものとして、たとえば「法」「慣習」「進化(多分、元々はevolutionなので展開でもよい)」などがあるが、これらはそれぞれの論者によって捉え方が異なるため、一様に定義するのは難しい。

一様に定義できないというのは、案外厄介である。アカデミックなレベルで、ああでもない、こうでもないと悩むのはよいことだ。もちろん、それを総体としての制度学派のルーズさと非難することも出来るが、逆に学問としての発展可能性の豊穣さともいえるからである。だが、これを入門レベルで教えるとなると話は別だ。学び手が困惑するのが目に浮かぶ。頭が痛い。10回くらい読み倒せば、分かるようになる・・・ような気はするが、講義には向かない。まして、労働経済論には細部は要らない、ということにしておこう。やっぱり、自分でレジュメを作らなきゃダメだな。

独り言はこのくらいにして、一応、望蜀の念を言うと、この本にバーナード、サイモン(それぞれをくっつけずに別々に)の位置づけ、複雑系経済学の話があるともっとよかった。バーナードはともかく、サイモンはキーパーソンとして所々、出てくる。また、複雑系の話は2段落(注1+本文1?)くらいで軽く触れられている。どちらもクリティカルな内容なのだが、圧縮されていて、もうちょっと詳しく著者の見解を知りたい。それから、バーナードのフォーマル/インフォーマル・オーガニゼーションという考え方はかなり親和性がある筈だ(が、これは1段落くらいでいいかも)。ここを繋げてくれると、経営学ともブリッジしやすくなったのでは、という気がしている。

それから、日本で制度学派を勉強するには、宇野理論を知っていた方がよいと思う。誰かがこの本に10ページくらいで解説を付け足してくれると、大変、役立つ(実際は無理だが)。宇野派は今やいろんな立場の人がいっぱいいて、何を最初に読めばいいか、ナビしてくれる人がいないと分からん。私は幸いにして時代遅れの先輩がいたので助かった(笑)。宇野原論くらいを読んでおけばいいという人もいるが、宇野原論はそんな簡単に読める本(文章?)ではないし、それだけじゃその後の議論も終えないので、やっぱりダイジェストが欲しいところだ。欲を言えば、日高先生くらい分かりやすく、洒脱な感じで。

そうそう、話は飛ぶが、新制度学派の教科書は長い間、ミルグローム=ロバーツの『組織の経済学』と言われていたけれども、私だったら菊澤研宗『組織の経済学入門』有斐閣、2006年がお勧めだ。著者自身が仰られるように、『組織の経済学』の入門にもなる。第一、『組織の経済学』は厚い(厚さの割には安いが、ちょっと高い)。私は菊澤先生を直接存じ上げないが、前に『市場と財務の相互作用論』を図書館から借り出してきて読んでみたところ、ちゃんと(昔は輝いていて、その当時誰も振り返らなくなりつつあった)「ドイツ経営経済学」を引き継ぎ、そこに自分のポジションを築いた上で、飛躍していこうという姿勢に共感した(野心的な認知論みたいな話も、その心意気は大変、気持ちよかった)。以来、批判的に『組織の経済学』を摂取されて、ついには読みやすく、3000円以内の入門書を出された。こんなのおまけのような話だが、そのプロセスも素晴らしいと思う。

内容についてはいずれ、また。
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前にティトマスの例の戦時期の社会政策の話を読んでいたとき、第一次大戦の空爆の経験があるとはいえ、やっぱり決定的に日本とは違って、空爆予想ということをやっていたんだなとつくづく感心したことがある。たまたま、OR(オペレーショナル・リサーチ)の本を開いたら、防空委員会の話が書いてあって、これか!と思った。というか、両方知ってたのに、結びつくことに気づかなかったのは迂闊だった。一応、メモしておこう。

生産と福祉の領域で管理技術としては繋がるのかどうか怪しいけれども、ひとつの交錯した例として。もっとも、予想された病床数は結局、必ずしも当らなかったらしい。無理だよな。
安原さんにトラックバックと記事をかいていただきました。ありがとうございます。かえって、いろいろなお話を聞けて興味深かったです。さて、まだ、濱口先生から出された最後の宿題、武藤山治が残っています。これを片付けちゃいましょう。

私は武藤山治が偉大な経営者であることは疑いませんが、神戸の桑原さんみたいに彼がNO.1だとまでは思いません。鐘紡内でも多分、工場管理については藤正純が上です。鐘紡の温情主義は別に和田・武藤から始まったわけではなく、中上川や朝吹英二、特に朝吹さんからそうだったわけです。朝吹さんは大正初期まで財界のトップファイブに入る人気者です。和田さんも武藤さんも当時はまだ、話にならない。和田、藤のよき理解者でもあった。和田さんは大正中期のわずか数年、武藤さんは和田さん死後、本格的に政治活動をやりだします。ちなみに、武藤さんの仕事のうちで、社会政策的にもっとも意味があるのは共済組合じゃなくて、軍人恩給です。鐘紡の共済組合に拘るのは、古き社会政策=労働問題パラダイムに引っ張られすぎた見解です。

鐘紡も武藤さんも有名だったけど、昔の新日鉄や今のトヨタみたいな感じでは必ずしもなかった。有力企業の一つという感じでした。海外で有名になったのはILO効果です。あれは紡聯で相談して武藤さんを代表にしたんだけど、結果的には和田さんが行った方がよかった。なんでかっていうと、ILO会議のときに、向こうで富士紡の職工がネガティブキャンペーンをしたんで、武藤さんは非常に憤慨した。でも、和田さんだったら、自分ところの職工だから、一喝して終わりでしょう。和田豊治という人は、職工から役員にいたるまで絶大な人気を誇っていました。もちろん、労働問題の歴史をやっている方はご存知だと思いますが、ILO第一回会議は労働代表でもめました。職工にも言いたい思いはあるし、企業のネガティブキャンペーンが正しいかどうかは別にして、労働代表に関しては政府(農商務省)より圧倒的に正しい。ちなみに、和田さんは武藤さんを選出する政府側委員でした。ですから形式的に武藤さんを指名したのは和田さんです。

大原さんも地元では絶大な影響力を持っていたし、その後、彼が作った労研は全国的に影響力を持つに至りますが、1920年代には中央に対する影響力はあんまりなかった。実は、そういう意味では、武藤さんと大原さんはとても似ている。当時、武藤さんは鐘紡からあんまり出てこない人だと思われていた。武藤さんは硬派なので、正面突破の人です。健康保険のときも、健康保険よりもしっかりやってる共済組合はそれで代替させてもいいだろうと怒ってました。でも、これは政治的には敗北。その後、先ほど書いた例の軍人恩給なんかを成立させていく。

ちなみに、武藤さんは鐘紡を退職するときに多額の退職金、3万円だったかなを貰います。当時としても相当に批判された。鐘紡に対する彼の功績から考えれば妥当だという人と、いや雇用も拡大させていないなかでそれは貰いすぎだろうという批判があった。ただ、おそらくこのカネは政治資金だったと思います。どうも普選が実現したということで、大正デモクラシーを高く評価するのが一種の常識ですが、短期的には普選は事態を悪化させた。つまり、それまでは基本的には制限選挙ですから、選挙権を持っている人も少なかったのに比べて、要するに、実弾が大量に必要になったということです。武藤さんが実弾を使ったかどうかは分かりませんが、政治にかかる金の相場が一気に上がったことは推測されます。私利私欲のために使おうと思ったわけではないでしょう。

結局、武藤さんの記事を書きながら、思ったことは、経営史を展開させるにせよ、労働史(ないし労務管理史)を展開させるにせよ、時期によっては相当程度、政治史を踏まえる必要がある。いわんや、社会政策の場合をやです。

そうそう、武藤さんはキリスト教徒でしたね。ただ、私は武藤さんの場合、キリスト教とどう結びつけるのか分かりません。ただ、見ている印象では、キリスト教である必要があったのかな、という感じではあります。武藤さんにはパーソナルな経緯でキリスト教になられたんでしょうけれども、もし、他の経緯で他の宗教に帰依されても、あるいは、まったく宗教に帰依されなくても、同じようになったんじゃないかという気がします。彼は徹頭徹尾、算盤を弾ける人です。緻密に計算できるし、自分の行動原理をしっかり持っている。その行動原理の一部にキリスト教(ないしそれを巡る人間関係も含めて)は大いに関係しているでしょうけれども、その全部を説明できるとは思えません。とりあえず、あんまり、キリスト教の信仰の方面から説明する必要はないんじゃないかなというのが私の印象です。

武藤さんは全集も出ているんですが、あまりよい研究がないんですよね。何冊か出ているのは読みましたが、私には何にも残りませんでした。ちなみに、鐘紡は業績的には日本の製造業で間違いなくナンバーワンであった会社で、科学的管理法を先駆的に取り入れたり、先進的な労務管理制度をやったりと、簡単な事実は知られています。ところが、まともな研究がほとんどない。ほとんどないという意味は「この研究は紡績一企業を扱っているけれども、すごく面白いから、ぜひ読んでみてよ。きっと役に立つよ」あるいは「日本の紡績を語るにはこの鐘紡研究をまず読まなきゃダメだよ」と他の隣接分野の人に勧められるものがないということです。それでも鐘紡の生産システムに興味がある方は、藤正純さんの回顧録を読んでみてください。

大原さんとの関係でいうと、宇野利右衛門をどう理解するかが重要なポイントになるような気がします。宇野は富士紡にはほとんど入ってなかった。多分、関西を中心にしていたので、影響力は及ばなかったんでしょう。ただ、彼はクラボウや鐘紡には関係しているし、大阪で方面委員をやった小河滋次郎の雑誌で書いている。パイオニア的な仕事は間宏先生がなさったけど、それをどう掘り下げるのかという課題は大きなものとして残っていると思います。
次は大原さんの話を書きましょう。

私も実は倉敷のアイビースクエアに行ったことあります。そこでクラボウの人に資料の状態なんかを御伺いしました。ご親切にいろいろ教わりました。そのときは博論が出来ていなかったので手が出なかったのと、こりゃ、大変なことが出来そうだ、ということが分かったものの、どうやればいいのか分からなかったので、そのままになっています。

私もあの美観地区すごい好きで、歩くの楽しいですね。私は美術館に行くと一日でも眺めているタイプなので、多分、ずっと居られます。一緒に行った人には呆れられたし(笑)。そして、紡績の史料館を1時間以上、見てるのは私だけだと思います。

で、大原孫三郎さんは二つ注意しておくべき点があります。まず、彼はいわゆる地方名望家と理解する必要があります。今風に言えば、地元の名士ですが、江戸時代まではそういう人たちは公的役割を担っており、それが今でも引き継がれているところがある。そう大原家はちょっとお上的な意味を持っています。その意味を考えて見ましょう。

よく江戸時代は公私が未分離であったといわれます。こっからは私の勘ですが、たしかに今の基準では公私未分離であったといえるものの、別の基準があったんじゃないか。それは神様も含めた世間という世界と世俗的な世界です。この場合、神様は唯一神ではありません。日本の八百万の神様。仏教だったら眷属とか、キリスト教でいえば天使とか、そういう次元のものたちが含まれます。パブリックの考え方が近代西洋と全然、違うんですね。そのあたりを切り込もうとしたのが晩年の阿部謹也先生で、ただし、絶対的に時間が足りなかった。世間関連の本は面白いものの、掘り下げ不足です。要職につかれてましたから、残念ながら仕方ないですね。いずれにしても、パブリックの問題はこういうことも考えていかないと行けない。でも、あんまりちゃんと考えられてないと思います。

なんで、こういう労働問題と関係ないことを書くかというと、大原さんの信仰をどう考えるかということとも絡んでくるからです。これが二つ目の注意すべきこと。私にとってすごい印象的なのは大原さんは若いときは放蕩もんだったことです。いわゆる聖人に数えられる人たちは金持ちも多くて、この世の富と権力を知り尽くした上で、宗教生活に入っていく人がいくという黄金パターンがある。たとえば、キリスト教でいえば聖フランチェスコ、最近だったらガンジー、それから仏陀。ただし、大原さんは仏教で言うところの在家ですから、そういう方向に行かなくてもいい。ただ、児島虎次郎への献身ぶりや何かからは、よい意味での金持ちの行動原理を感じます。

その大原さんが大原社研を作り、労研を作った。ただし、念のために言っておくと、信心深い大原さんが科学の研究所を作ったのは不思議でもなんでもない。科学と宗教が対立すると考えるのははっきり言って教養が足りないだけです。そこが分からないと、信仰と思想信条を区別できなくなってしまう。西洋の場合、背景には哲学をバックボーンとした神学の伝統があるわけです。そういう神学的脆弱さが、私は左翼的キリスト教徒という不思議な、しかし、今にも繋がる人たちを生み出したのではないかと感じています。こういう宗教と思想の問題は経営思想史、社会思想史上、絶対に誰かがやらなきゃならない。由井先生はキリスト教ではなく、禅思想との関係からですが、やっぱりこういう領域を論じてらっしゃる。それから、先だって亡くなられた間宏先生も晩年は中牧弘允さんの研究をお引きになられて、そういう問題に関心を持っていらっしゃった。隅谷先生のキリスト教研究も結局頓挫しちゃった。難しいですね。

直接、関連しませんが、多分、大原さんの奥様かお母様が「倉敷の繁栄があるのは女工さんたちの御蔭で、そのことを忘れてはならない」ということを仰ってたと聞いたことがあります。おそらくこれは想像ですが、営業的に成長していくと、すべてが自分たちの手柄と考える輩がいて、そのことに対しておっしゃられたんだろうと思います。もちろん、大原さんも信仰とは別にそういう思いもあっただろうと推測しますが、やっぱり名望家という点は外せない。件の女性(母上か奥様)も昔だったら、雇主が被用者を食わせるという感覚だったけれども、女工さんに食べさせてもらってるんだという意識が強かったんでしょう。

ちなみに、労研はその後、戦時期から戦後にかけて生活給思想を支えます。そういえば、生活給思想も電産からと誤解している人がいるので、その点は何れ書きましょう。ただ、研究者でも知らない人がいるので、困ったものです。

個人的には、岡山は特別だなという印象を持っています。本当はチャンスがあったら、岡山の地場的な研究をやりたいところです。岡山は宇野弘蔵はじめとした左の学者も沢山輩出しているし、黒住教が始まったところでもある。それから、石井十次という社会事業でも面白い対象がある。豊富な材料がありそうです。
では、第二段。

そうそう、女工哀史については前に「細井和喜蔵「女工哀史」をめぐるエトセトラ」を書いたので、そちらを読んで頂ければと思います。

大正時代には労働者に対してひどい扱いをしている企業があったこともたしかです。ただ、その一方で家族主義的なものを標榜して、先進的な企業ありました。もちろん、家族主義ってのは行き過ぎると近江絹糸みたいになっちゃうんですが、世界中で福利厚生を充実させてきたところは「家族」を標榜してきたのも動かしがたい事実です。近江絹糸とその他の先進的企業の違いの一つは、オープンさがあげられるのかな。結構、よいところで相場が出来る。逆にいうと、企業の労務管理って結構、そのときどきの流行に乗っているだけというものもあるので、昔の方がよかったのに、ということもママあります。

で、今は英雄視されている石原修さんの「女工と結核」という本があります。当時から紡績に行くと結核になる人が多い、身持ちが崩れる、健康を損ねて子どもを産むのに支障が出る、とか、まことしやかに言われていました。身持ちが崩れるは事実です。労務管理者も困っていたけど、諦めているところがあった。これと関係しますが、子どもを産む人も多かった。で、あれ?紡績で働くと子どもを産むのが難しくなるというけど、どういうことなんだ?と1920年頃に調査した桂さんは書いています。

結核になる人が多いというのは、半分は事実でしょう。ただし、それが紡績工場に行くからなのか、都会(ないし工場地帯)に行くからなのかはよく分かりません。というのも、空気の綺麗な田舎の人は当然、一般的には免疫も弱いでしょうからね。紡績は田舎の人が都会に出てくる最初のルートという意味合いもあったので、微妙なところです。

深夜業反対の理由は、第一は要するに、外国と戦って勝てないだろう、という経済的なものですが、もう一つ興味深いのは、生活管理上の問題です。東京紡績が尼崎紡績に合併されるときに日清紡に移った宮島さんは、深夜業やったときと休ませたとき、実は深夜業をやった方が体調を崩さなくて済むんだ、という実験結果を出しています。だから、急激に生活リズムを変えることは、かえって労働者の健康によくなかった。少なくとも、深夜業廃止をソフトランディングさせる方法を各社、模索していたわけです。(ちなみにに尼崎紡績と摂津紡績と合併して、現在のユニチカ、大日本紡績ができます。戦後に日紡に名称変更、その貝塚工場は東洋の魔女で有名ですね)

深夜業廃止はみんな、頑迷な人たちが開明された出来事として、薔薇色に語られることが多いのですが、短期的には労働者に非常に損であったと思います。まず、紡績では科学的管理法の研究が進んで、人を減らすという条件が整いつつあった。そして、大不況です。軒なみ職がなくなっちゃった。今のこの時代に、それをよかったね、というのはあまりにもおめでたいでしょう。

私は石原さんのあの発表の仕方は拙劣だったし、少なくとも官庁内ではもっと根回しすべきだったと思います。それがジャーナリズムで持てはやされて、そのまま、現在の人も信じられている。このあたりこそ、政策はすべからくプロパガンダ的性格を帯びざるを得ないと私がいう所以です。石原さんはその後、英雄視されますからいいですけど、実際、残務整理をした官庁の人たちがいるわけです。彼らのことを語らなくていいのか、と思いますね。

思い出したので、付け加えておくと、組合法についてもちゃんと考えて欲しいことがあります。戦前、たしかに組合法が通らなかったのですが、それは主に財界が反対したからです。彼らはあんまり監督的な組合法に反対でした。戦時中、日本の敗戦を見越した厚生省官僚、具体的に名前を言えば冨樫さんですが、そういう廃棄された法案のいくつかをもとに組合法を書き上げます。それが占領軍に入れられて、組合法は成立します。が、ご存知の通り、今の組合法はさらに抜本的に書き換えられますよね。その間の変化をどう解釈するか、きちんと整理して考えなきゃいけない。まぁ、私は時間がないので、検証しませんが、そういう疑問を持っているということだけは書いておきましょう。

ちなみに、戦前財界で組合法反対の中心は藤原銀次郎です。藤原は王子製紙の経営者で家族主義で有名でしたが、同社が戦後、解体されて出てくるのが十条製紙。戦後の労務管理史を勉強して、十条製紙を知らないのはもぐりです。それから、藤原は財界では宮島さんのボス。いうまでもなく、宮島さんの後継者が櫻田武さんですね。というわけで、繋がってます。
では、濱口先生からお声が掛かったので、語ってみましょう(笑)。

細かい歴史的な話をする前に、社会保障という観点からあの本を捉えるというのは、現代的なトピックとしてはもっとも大事な視点だと思います。私も最初に読んだとき、第3章を読み終わった時点でそう思ってました。なんでそう思ったかというのは、端的に言うと、勘なんですが、ただ、根拠がまったくないわけではない。でも、説明すると長いから、スルー。でも、本当は社会保障の話を誰か専門家の方に膨らませて欲しいなぁと思っています。

さて、ではそろそろ、雑談の方に。いろんな話があるから、全部拾えるかどうか分かりませんが。

まず、世間で誤解があるのは財界のイメージです。昔の財界にはいわゆる「人物」が何人かいました。が、その話はひとまず措いておいて、財界人というのはおしなべて、今も昔も現実感覚があるんです。そこへ行くと、官僚には三つのタイプがある。現実感覚のある人、机の上だけで物事が分かると思っている人、本当に机の上で分かっちゃう人(人からの報告を聞いたりして)。なんで、こんなことを言うかというと、明治の官僚はまず、調査をすべきだとは考えなかった。当時の所管官庁は農商務省ですが、そのなかで調査を重視すべしというのは「興業意見」を書いた前田正名一派です。でも、明治20年代後半の工場法をいざ作ろうという段になったら、もう省内での争いに負けて外野にいた。で、「実業之日本」なんかで啓蒙活動をやっていたのです。だから、農商務省は調査やる気なんかなかった。

その当時、まだ財界クラブはなかったし、業界団体も、今なお名前を変えない硬派(?)な大日本蚕糸会、それから大日本紡績聯盟くらいでした。前者は啓蒙プラス研究をやる団体ですね。紡聯はもともと商人の集まりですから、利益(調整)団体だったので、立派にそういうことを議論できる土台があった。紡聯の連中は「いきなり法律作るんじゃなくて、まずは調査をやってくれ」と要求し、自分たちも実際に調査してるんですね。それが「紡績職工事情調査概要報告書」です。職工事情のように情緒的な部分が少ないのでよい調査だと思ってます。職工事情は調査方法も牧歌的だしね。なお、両方、近代デジタルライブラリーで読めますよ。

農商務省もじゃあ、調査をやろうということにはなったんだけど、人がいない。そこで呼ばれてきたのが窪田静太郎です。窪田は後藤新平に薫陶を受けた衛生局のエース、社会事業史・社会福祉史をやっている人なら誰でも知っています。もし、聞いてみて知らないようだったら、よっぽど勘が悪いので、他のことを聞くのもやめた方がいいでしょう。それくらいの人物です。彼が親友の桑田熊蔵なんかを引き込むんですね。工場法を作ったのは岡実と言われていますが、実際に基盤を作ったのは窪田たちだった。後に、窪田はそういう回想を座談会か対談で喋ってます(窪田静太郎集のどこかにあるはずです)。よほど自負があったのでしょう。工場法の土台がどう出来ていったか詳しく知りたい方は下田平先生の「明治労働政策思想の形成」をぜひ読んでください。

財界というより、工場法が遅れたのは日露戦争ですね。これはどちらかというと、ロシアのせいです。戦争のせいで国勢調査も中止になった。ただし、後藤が民政官だった台湾だけやった。このときの調査は今でも台湾の民俗史では貴重な財産です。李登輝さんはそこをよく分かっているんでしょうね。やっぱり教養があります。でも後藤新平の話は今日は割愛。

明治40年代に入ると、繊維業界は調整に入ります。このとき、反対したのは中小です。大企業はむしろ、やって欲しいと思っていた。これは単純に労働市場における立場の違いです。要するに、大工場をいくつも持っている会社はあまりあこぎなことをやっていると持たない。だから、安定的に労働者を供給してくれる地域とは出来れば仲良くしたい。大企業は性質の悪い工場のせいで募集地で迷惑を蒙ったというだけでなく、もっと端的に自分のところから労働者を奪われたりしましたからね。とはいえ、有名な企業の職員であることで偉くなったと錯覚して、悪いことをするやつもいる。それは今も昔も変わりません。

ただ、紡績業の皆さん、制定法でいろんな慣習を変えることにはきわめて警戒した。制定法が慣習を壊すときは、よい慣習か悪い慣習か区別しないですから、ある意味では真っ当な意見だったと思います。

ああ、そうそう。この時代は渋沢じゃないけど、みんないろんな業界と繋がっているから、主要な人たちは本拠地を別に持っていたとしても、何らかの形で繊維業界と繋がってたんです。たとえば、森村市左衛門は商社(森村商事)、陶器(ノリタケ)ですが、富士紡の主要株主でキーパーソンでした。

書きすぎたので、そのうち、続きます。
稲葉さんところのエントリ(職場というマジックワード/パスワード)にコメントしようとしたけど、入力欄が見にくいので、こっちでエントリを立てることにしました。せっかくですから、少し詳しく書いときましょ。

この話、私も森先生から直接、構想の段階でお話を聞いたし、そのときも申し上げたんですが、経営学関係の人はそもそもそんな枠に捉われてなかったと思います。具体例として『現代技術と企業労働』という論文集をあげてみましょう。この本は石田和夫・大橋昭一編となっていますが、執筆者を拝見すると西日本の批判派経営学の方たちです。あまりにも個別論文の差があるので、とりあえずどれだけ実証的かという点を今、措くならば、この本は技術者・労働者を含めた全企業を視野に収めて研究しています。

批判派経営学という言葉に馴染みのない方もいらっしゃると思いますので、一応説明しますと、経営学におけるマルクス派です。戦後の代表的論者をあげるとすれば、古林喜楽先生でしょう。古林先生の賃金論は名著と言われていますが、私はあんまり買いません。しかし、私は文章が好きで、全集も持っています。ただ、あまりに前に読んだので内容をまったく覚えていませんが(汗)。

労働問題研究という言葉は、東大の身内を表すようで、私自身はあまり好きじゃないし、事実、労働に関する研究をやっていたのは東大関係者に限られるわけじゃありません。ただ、私が数人からうかがった印象では、不世出の高宮誠を例外としてあまり古い経営学の研究に高い評価ないし関心を与えている方はいませんでした(森先生はこの数人に含まれていません)。

もうちょっと東大出身者の研究に内在的に見てみましょうか。たとえば、小池先生の『職場の労働組合と参加』は中では事業所単位、部門単位を分けて、書かれています。この本の中では、管理ルールを上から附与する『経営』と慣行によってルールを作り上げる場としての『職場』を対比して描いています。ちなみに、アメリカ鉄鋼業でのインタビュー対象者は労務課長、労務係長、工場別組合の半専従の執行委員となっていますから、森先生の「職長(作業長)といった第一線の監督者に率いられた職場単位に目を向けて」という批判は該当しません。

念のために、もう一人、あげておきますが、中村圭介先生の『日本の職場と生産システム』は技術者レベルの仕事内容も分析しています。小池先生は一緒に調査をしたことがないという意味でも氏原先生の直系ではありませんが、中村先生は間違いなく氏原先生のお弟子さんです。あんまり、系譜論をやっても生産的ではないと思いますが、野次馬的関心を持つ方もいらっしゃるかもしれないので、書いておきます。

中村先生の場合の「職場」は氏原先生の使い方と違いますね。多分、古い「職場」は「作業組織」に読み替えることが出来ると思います。中村先生が対象にされてる「作業組織論」はいわゆるタビストック学派の考えがネタ元です。これはもともと炭坑の技術の機械化が人々の組織行動にどう影響を齎すかというところからスタートしている。中村先生の研究史批判を約めて言うと、作業組織(技術、社会)という関数に、管理という変数を一個はっきり加えろ、ということです。この場合、技術者が工場で働いている日本では、当然、彼らも職場のプレイヤーに入るわけです。製造業を対象として諸研究においては、職場はオフィスの反対概念という程度でしょうか。語感としては「もの(製品)を造っている現場」に近いのかもしれませんね。

というわけで、私はあんまり興味がありませんが、このあたりを整理すれば、まぁ、適当に決着が付くんじゃないでしょうか。ちなみに、当然、参照すべき研究は他にもあるでしょうけれども、偶々、この二冊は私の目の前の本棚の取りやすいところにあっただけで、他意はありません。