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安原さんにトラックバックと記事をかいていただきました。ありがとうございます。かえって、いろいろなお話を聞けて興味深かったです。さて、まだ、濱口先生から出された最後の宿題、武藤山治が残っています。これを片付けちゃいましょう。

私は武藤山治が偉大な経営者であることは疑いませんが、神戸の桑原さんみたいに彼がNO.1だとまでは思いません。鐘紡内でも多分、工場管理については藤正純が上です。鐘紡の温情主義は別に和田・武藤から始まったわけではなく、中上川や朝吹英二、特に朝吹さんからそうだったわけです。朝吹さんは大正初期まで財界のトップファイブに入る人気者です。和田さんも武藤さんも当時はまだ、話にならない。和田、藤のよき理解者でもあった。和田さんは大正中期のわずか数年、武藤さんは和田さん死後、本格的に政治活動をやりだします。ちなみに、武藤さんの仕事のうちで、社会政策的にもっとも意味があるのは共済組合じゃなくて、軍人恩給です。鐘紡の共済組合に拘るのは、古き社会政策=労働問題パラダイムに引っ張られすぎた見解です。

鐘紡も武藤さんも有名だったけど、昔の新日鉄や今のトヨタみたいな感じでは必ずしもなかった。有力企業の一つという感じでした。海外で有名になったのはILO効果です。あれは紡聯で相談して武藤さんを代表にしたんだけど、結果的には和田さんが行った方がよかった。なんでかっていうと、ILO会議のときに、向こうで富士紡の職工がネガティブキャンペーンをしたんで、武藤さんは非常に憤慨した。でも、和田さんだったら、自分ところの職工だから、一喝して終わりでしょう。和田豊治という人は、職工から役員にいたるまで絶大な人気を誇っていました。もちろん、労働問題の歴史をやっている方はご存知だと思いますが、ILO第一回会議は労働代表でもめました。職工にも言いたい思いはあるし、企業のネガティブキャンペーンが正しいかどうかは別にして、労働代表に関しては政府(農商務省)より圧倒的に正しい。ちなみに、和田さんは武藤さんを選出する政府側委員でした。ですから形式的に武藤さんを指名したのは和田さんです。

大原さんも地元では絶大な影響力を持っていたし、その後、彼が作った労研は全国的に影響力を持つに至りますが、1920年代には中央に対する影響力はあんまりなかった。実は、そういう意味では、武藤さんと大原さんはとても似ている。当時、武藤さんは鐘紡からあんまり出てこない人だと思われていた。武藤さんは硬派なので、正面突破の人です。健康保険のときも、健康保険よりもしっかりやってる共済組合はそれで代替させてもいいだろうと怒ってました。でも、これは政治的には敗北。その後、先ほど書いた例の軍人恩給なんかを成立させていく。

ちなみに、武藤さんは鐘紡を退職するときに多額の退職金、3万円だったかなを貰います。当時としても相当に批判された。鐘紡に対する彼の功績から考えれば妥当だという人と、いや雇用も拡大させていないなかでそれは貰いすぎだろうという批判があった。ただ、おそらくこのカネは政治資金だったと思います。どうも普選が実現したということで、大正デモクラシーを高く評価するのが一種の常識ですが、短期的には普選は事態を悪化させた。つまり、それまでは基本的には制限選挙ですから、選挙権を持っている人も少なかったのに比べて、要するに、実弾が大量に必要になったということです。武藤さんが実弾を使ったかどうかは分かりませんが、政治にかかる金の相場が一気に上がったことは推測されます。私利私欲のために使おうと思ったわけではないでしょう。

結局、武藤さんの記事を書きながら、思ったことは、経営史を展開させるにせよ、労働史(ないし労務管理史)を展開させるにせよ、時期によっては相当程度、政治史を踏まえる必要がある。いわんや、社会政策の場合をやです。

そうそう、武藤さんはキリスト教徒でしたね。ただ、私は武藤さんの場合、キリスト教とどう結びつけるのか分かりません。ただ、見ている印象では、キリスト教である必要があったのかな、という感じではあります。武藤さんにはパーソナルな経緯でキリスト教になられたんでしょうけれども、もし、他の経緯で他の宗教に帰依されても、あるいは、まったく宗教に帰依されなくても、同じようになったんじゃないかという気がします。彼は徹頭徹尾、算盤を弾ける人です。緻密に計算できるし、自分の行動原理をしっかり持っている。その行動原理の一部にキリスト教(ないしそれを巡る人間関係も含めて)は大いに関係しているでしょうけれども、その全部を説明できるとは思えません。とりあえず、あんまり、キリスト教の信仰の方面から説明する必要はないんじゃないかなというのが私の印象です。

武藤さんは全集も出ているんですが、あまりよい研究がないんですよね。何冊か出ているのは読みましたが、私には何にも残りませんでした。ちなみに、鐘紡は業績的には日本の製造業で間違いなくナンバーワンであった会社で、科学的管理法を先駆的に取り入れたり、先進的な労務管理制度をやったりと、簡単な事実は知られています。ところが、まともな研究がほとんどない。ほとんどないという意味は「この研究は紡績一企業を扱っているけれども、すごく面白いから、ぜひ読んでみてよ。きっと役に立つよ」あるいは「日本の紡績を語るにはこの鐘紡研究をまず読まなきゃダメだよ」と他の隣接分野の人に勧められるものがないということです。それでも鐘紡の生産システムに興味がある方は、藤正純さんの回顧録を読んでみてください。

大原さんとの関係でいうと、宇野利右衛門をどう理解するかが重要なポイントになるような気がします。宇野は富士紡にはほとんど入ってなかった。多分、関西を中心にしていたので、影響力は及ばなかったんでしょう。ただ、彼はクラボウや鐘紡には関係しているし、大阪で方面委員をやった小河滋次郎の雑誌で書いている。パイオニア的な仕事は間宏先生がなさったけど、それをどう掘り下げるのかという課題は大きなものとして残っていると思います。
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次は大原さんの話を書きましょう。

私も実は倉敷のアイビースクエアに行ったことあります。そこでクラボウの人に資料の状態なんかを御伺いしました。ご親切にいろいろ教わりました。そのときは博論が出来ていなかったので手が出なかったのと、こりゃ、大変なことが出来そうだ、ということが分かったものの、どうやればいいのか分からなかったので、そのままになっています。

私もあの美観地区すごい好きで、歩くの楽しいですね。私は美術館に行くと一日でも眺めているタイプなので、多分、ずっと居られます。一緒に行った人には呆れられたし(笑)。そして、紡績の史料館を1時間以上、見てるのは私だけだと思います。

で、大原孫三郎さんは二つ注意しておくべき点があります。まず、彼はいわゆる地方名望家と理解する必要があります。今風に言えば、地元の名士ですが、江戸時代まではそういう人たちは公的役割を担っており、それが今でも引き継がれているところがある。そう大原家はちょっとお上的な意味を持っています。その意味を考えて見ましょう。

よく江戸時代は公私が未分離であったといわれます。こっからは私の勘ですが、たしかに今の基準では公私未分離であったといえるものの、別の基準があったんじゃないか。それは神様も含めた世間という世界と世俗的な世界です。この場合、神様は唯一神ではありません。日本の八百万の神様。仏教だったら眷属とか、キリスト教でいえば天使とか、そういう次元のものたちが含まれます。パブリックの考え方が近代西洋と全然、違うんですね。そのあたりを切り込もうとしたのが晩年の阿部謹也先生で、ただし、絶対的に時間が足りなかった。世間関連の本は面白いものの、掘り下げ不足です。要職につかれてましたから、残念ながら仕方ないですね。いずれにしても、パブリックの問題はこういうことも考えていかないと行けない。でも、あんまりちゃんと考えられてないと思います。

なんで、こういう労働問題と関係ないことを書くかというと、大原さんの信仰をどう考えるかということとも絡んでくるからです。これが二つ目の注意すべきこと。私にとってすごい印象的なのは大原さんは若いときは放蕩もんだったことです。いわゆる聖人に数えられる人たちは金持ちも多くて、この世の富と権力を知り尽くした上で、宗教生活に入っていく人がいくという黄金パターンがある。たとえば、キリスト教でいえば聖フランチェスコ、最近だったらガンジー、それから仏陀。ただし、大原さんは仏教で言うところの在家ですから、そういう方向に行かなくてもいい。ただ、児島虎次郎への献身ぶりや何かからは、よい意味での金持ちの行動原理を感じます。

その大原さんが大原社研を作り、労研を作った。ただし、念のために言っておくと、信心深い大原さんが科学の研究所を作ったのは不思議でもなんでもない。科学と宗教が対立すると考えるのははっきり言って教養が足りないだけです。そこが分からないと、信仰と思想信条を区別できなくなってしまう。西洋の場合、背景には哲学をバックボーンとした神学の伝統があるわけです。そういう神学的脆弱さが、私は左翼的キリスト教徒という不思議な、しかし、今にも繋がる人たちを生み出したのではないかと感じています。こういう宗教と思想の問題は経営思想史、社会思想史上、絶対に誰かがやらなきゃならない。由井先生はキリスト教ではなく、禅思想との関係からですが、やっぱりこういう領域を論じてらっしゃる。それから、先だって亡くなられた間宏先生も晩年は中牧弘允さんの研究をお引きになられて、そういう問題に関心を持っていらっしゃった。隅谷先生のキリスト教研究も結局頓挫しちゃった。難しいですね。

直接、関連しませんが、多分、大原さんの奥様かお母様が「倉敷の繁栄があるのは女工さんたちの御蔭で、そのことを忘れてはならない」ということを仰ってたと聞いたことがあります。おそらくこれは想像ですが、営業的に成長していくと、すべてが自分たちの手柄と考える輩がいて、そのことに対しておっしゃられたんだろうと思います。もちろん、大原さんも信仰とは別にそういう思いもあっただろうと推測しますが、やっぱり名望家という点は外せない。件の女性(母上か奥様)も昔だったら、雇主が被用者を食わせるという感覚だったけれども、女工さんに食べさせてもらってるんだという意識が強かったんでしょう。

ちなみに、労研はその後、戦時期から戦後にかけて生活給思想を支えます。そういえば、生活給思想も電産からと誤解している人がいるので、その点は何れ書きましょう。ただ、研究者でも知らない人がいるので、困ったものです。

個人的には、岡山は特別だなという印象を持っています。本当はチャンスがあったら、岡山の地場的な研究をやりたいところです。岡山は宇野弘蔵はじめとした左の学者も沢山輩出しているし、黒住教が始まったところでもある。それから、石井十次という社会事業でも面白い対象がある。豊富な材料がありそうです。