キャリアデザイン学会の事務局から今度、出版される日本キャリアデザイン学会監修『キャリア研究を学ぶ25冊を読む』泉文堂をお送りいただいた。去年の10月、ちょうど博論が佳境に入りかかっている頃に原稿を書いた。この本は、学際的な領域であるキャリア研究において、研究者がしばしば自分の専門以外、何を読んでいいのか分からないことも多いので、そのときの指針となるものを目指したものである。25冊(+2冊)の解説書になっている。私が担当したのは間先生の『経済大国を作り上げた思想』である。

私がこの仕事を引き受けたのは浮世のいろいろの義理・人情もあるのだが(迷ったのは博論の繁忙期だったので)、長いこと間宏先生の仕事について文章を書きたいという思いを持っていたからだ。間先生の本を高く評価する人も、低く評価する人もいる。私にはその何れを聞いても、間先生の仕事の意義が十分に理解されていないのではないかと感じてきた。

間先生は若い頃に書かれた『日本労務管理史研究』で声価を獲得した。この本は労務管理史の古典であり、おそらく兵藤先生の『日本における労資関係の展開』と並んで、もっとも読まれた本である。この二つの本は最初の通史であり、その後も通史の代表作であり続けている。だが、黎明期の作品であるが故に、数多くの異分野の先行研究の成果を取り込みすぎている。したがって、そういう部分を選り分けていくと、オリジナルな部分は意外と少ない。間先生の議論の核は明らかに藤田年功説によっている。

間先生の歴史研究で白眉は『日本における労使協調の底流』である。この本は宇野利右衛門を徹底的に調査した本である。今のように書籍データが電子化されているとその恩恵は理解しにくくなってしまったが、この頃、宇野の著作物を目録にした功績は大きい。その後、杉原薫先生が少し目録を付け足したが、大した論点は何一つ付け加えていない。歴史研究の上で、やっぱり一次史料を読むことは決定的な意味をもっているのだが、二次資料には二次資料のよさがある。だが、二次資料、特に雑誌類等は数で勝負しないといけない。その労力が間先生は抜きん出ているのだ。

間先生は段々と書かれるものが深くなるタイプの学者で、地道な蓄積で得た知見を新しい本に反映させていった。その意味では後期の作品ほど味わい深くなっている。間先生がご自分のオリジナルな理論的な考え方を提示されたのは『経営社会学』である。この本は学生・社会人向けのテキストだが、一つ前のエントリで書いた小島さんと同じく、間先生もテキストだから手を抜く人ではなかった。そういえば、私の記憶がたしかならば、河西先生の『日本の労働社会学』の中で、間先生から若い頃はテキストを書くなという警告を与えられたと記されていたように思う。それと考えあわせるならば、かなりキャリアの後半になって教科書を書いたということだろうか。

以上のことを本当はきちんと間先生の議論に即して文章にしたいとずっと思っていたのだが、今回は編集委員会からのリクエスト、紙幅の都合、私の時間的制約など複合的な要因があって、そこまでは叶わなかった。残念である。

間先生は今年8月にお亡くなりになられた。
いつか本物の追悼文を書き、その偉大さを後世に伝えたい。合掌。
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小島寛之さんの『使える!経済学の考え方』を読んで、石川経夫先生の『所得と富』を初めて読んだときと同じ印象を持った。『所得と富』の第2章を読んだとき、その内容が説得的であるとは思わなかったし、本全体の内容はほとんど理解できなかったけれども、この問題に対して真摯に向き合う石川先生の姿勢は伝わってきた。石川先生のお弟子さんといえば、いろいろな方がいらっしゃるだろうけれども、こういう根幹を引き継いだのは小島さんなんじゃないかという気がした。何ともバランスの悪い本だが、そここそがこの本の魅力なのかもしれない。

私自身は初歩的な数学的思考くらいは頭の中では使うが、基本的には数学を駆使して論文を書こうなどとは思わないし、そもそも出来ない。とはいえ、もちろん、数学が有効なツールであることくらいは認識している。だが、第1章を読むと、あんまり数学的手法が魅力的に思えてこない。非常に残念なことだ。正直、初めて読む著者の本でこの部分とあとがきだけを立ち読みしたら、買わなかっただろう。小島さんは魅力的に数学を語る名手だが、数学が他の手段より優れている、ということを語るのは下手だ。

小島さんの基本メッセージの一つである、日常語に感情を込めてしまうというのは、私にはどうも自戒の念もこめられている言葉のように思えた。たしかに、小島さん個人というより、日本人全体にもそういう傾向はあるのかもしれないが、もしそうだとしても、原因は名著『理科系の作文技術』で指摘されているように、初等教育の作文指導で事実と意見を峻別する訓練が徹底されていないことだ思う。実際、数学を使わずとも、法学や哲学を使って個人の感情を排除して思考することは可能である。要するに、それが出来ないのは功夫が足りないのだ。

数学(ないしモデル)を使う利点は問題がクリアになることだろう。小島さんの本にもこの思想は貫かれている。そうしたメリットはわざわざ冗長な説明がなくても、この本を熟読玩味すれば、よく分かることだと思う。ちなみに、私にはまったく理解できないことなのだが、世の中には完全情報が非現実的だといって経済学を否定する人がいる。完全情報はあくまで仮定であり、現実に情報の非対称性(という言葉は後に出来た概念だが)が機能していると考えるからこそ、これを定義によって制御するのだ。その重要性に気づいてさえいないのであれば、制御する必要性などどこからも生まれないではないか。しかし、小島さんの本はそもそも、そういう当たり前のレベルの議論に紙幅を費やさない。この本はそういうレベルを超越している。

数学やモデルを使う研究のよいところは、そのエッセンスが継承されやすいことだ。この違いが顕著に出るのはアマルティア・センの扱い方だろう。小島さんはセンの議論を単なる思想として扱うことを潔しとせず、理論家として遇することに徹する。つまり、センの議論はアローの社会選択論を下敷きにして、その上に様々な理論を構築されている。まったく当然の方法である。というか、この本を先に読んでいれば、何も鈴村・後藤『アマルティア・セン』を苦労して読む必要はなかった。先に読んだから理解しやすかったという側面も大いにありそうだが、門外漢には小島本で十分だとも思った。逆にいうと、センを論じるときはこの本のレベルは最低限踏まえて欲しい水準だとも思う。今後、社会政策、福祉関連の研究者でセンを引き合いに出す人と議論するときには、小島本をどう評価するかか、読んでなければ社会選択論との関係をどう理解するか、聞いてみることにしよう。

この本の魅力は、数学的思考を前面に出すことで、逆説的に経済学のいかがわしさを伝えていることだろう。私はすぐに答えを求める優等生タイプの思考法が嫌いなので、こういういかがわしさは大歓迎だ。実は思想がアヤフヤだとかいいながら、小島得意の手法は、数学と思想の結婚生活を魅力的に語ることなのだ。私の言うことを疑う人がいたら、ハルサーニの生い立ちを論じている箇所、センのベンガル大飢饉の話、等が単に読者を飽きさせないための演出かどうか、じっくり確認していただけばよい。付け加えて言えば、自身の原体験をここまで書いているのも同じように意味があることなのだ。

この本はたしかに厚生経済学の入門書的な役割を担っているのだが、単に読者の理解を促すという意味で新設である以上に、ある危険な感じを匂わせている。昔、谷崎の文章読本を丸谷才一が論じたときに、現役作家の野望みたいなものが織り込まれていると書き込んだことがあったが(そして、そう論じた丸谷自身の文章読本が多分にそういう性格を持っていたと思うが)、小島の本は「初心者に最初のところを分かりやすく書きました」というような態ではなく、谷崎と同じように現役の経済学者として自分はこういうことを考えているというところまで踏み込んで書いてある。そして、それを初学者に伝えようとしている。かつて小西甚一は古文の参考書を書くにあたって、この本は平易に書いたが、学術的水準を一ミリも下げていないというような趣旨のことを記した。小島本は同じ心意気で書かれている。

追記1
彼のブログに書いてある、代替医療を前近代と混同する見解は根本的に間違っている。代替医療は補完医療とも呼ばれ、文字通りある意味で近代医学の行き詰まりを補完するために生まれた医療である。だから、あえて分かりやすく言えば、ポスト近代医学である。おそらく、小島さんが言いたいのはあやしげな民間療法であろう。たしかに、代替医療の中にはあやしげな民間医療を含める定義もあるが、重要なことは代替医療が器官別に細分化した近代医療に対し、東洋医学的な全体思想を汲みとった医療を目指した点にある。だからこそ、西洋医学と代替医療をあわせた統合医療やホリスティック医療といった方向が模索され始めているのである(日本では少ないが)。もっとも、近代の科学は数学偏重であったから、思想のような怪しいものも明示的に取り入れて、経済学の体系を構築していくんだという意気込みであれば、平仄のぴたりと合った垢抜けた比喩といえよう。

追記2
タイトルはミスリーディングで、たしかに前著の確率的思考は使えるものだったが、今回の経済学は大して使えないだろう。あるいは、使えるようにカスタマイズするには読者一人ひとりの努力が必要だと言い換えても良い。
経営史学会の報告準備のためしばらく忙しかったのだが、そのうち、自分がブログをやっていたことさえ忘れてしまっていた。また、少しずつ書いていきたい。

今回の経営史学会では長島修先生の報告が最大の収穫であった。報告の内容は官営八幡製鉄の研究体制について。軸は二つあったと思う。技術者の上部の人たちが研究開発をしていく中で研究所を作っていく。最初は周囲から工程の一部の試験科みたいなもので十分と考えられ、実際、創立初期の研究所には試験研究の役割を担わされていたが、徐々に独自の研究する機関として成立していく。第二に、技術者の中間層から宿老(職員待遇の職工)を含めた人たちによる独自の研究活動と、その成果を発表する場所として『製鉄研究』(今の新日鐵技報)が作られたことがあげられる。面白かったのは『製鉄研究』が『鉄と鋼』という業界紙から合併を求められたときに、断ったという話である。理由は、我々は現場で考えて、一から自分たちの手で雑誌を作ったという矜持があるので、そんなエライ人たちの世話にはならんというわけだ。

実は、これは私が考えていることとも非常に密接に関係している。今回の報告は「新日鐵の生産管理システム」でどのようにオンライン・コンピュータ化を実現したか、その意味を明らかにすることであったが、そもそもコンピュータ化を作り上げることが出来た仕組みは何か?という前提自体を捉えたいというのが私の問題意識だ。その一つのポイントがホワイトからブルーまでの一体化した協力体制である。

今でこそ、我々は日本の鉄鋼業が少なくとも技術面で世界のトップに君臨していることを常識のように知っている。1970年代からずっとその地位を維持してきたからである。しかし、それ以前、1960年代初頭の世界の鉄鋼業を当時の目で眺めてみると、技術的にはアメリカやソ連、ドイツを中心としたヨーロッパが大きな存在として君臨していた。その先進諸国に先駆けて日本はオンライン化を先進的に開発してしまった。鉄鋼業のコンピュータ化の歴史においては、イギリスのスペンサー製鉄所が1960年代初頭にコンピュータ化構想を発表しており、世界的に有名であった。日本鉄鋼業の驚くべきは、別に新日鐵(というより、60年代は八幡)だけでなく、他の高炉メーカー、富士(もう一つの新日鐵)、住金、川崎、鋼管、日新も1960年代後半から70年代にかけてほぼ同時にコンピュータ化を成し遂げていったことにある。

しかし、私がそういう主張をすると、新たな疑問が出てくると思う。なぜ、新日鐵ないし八幡なのか?その理由は二つある。実はメインのコンピュータ化については、八幡、特に君津が先進的になったのは偶然としかいいようがない。いや、もう少し精確にいうならば、タイミングがよかったのだ。50年代後半から70年代中ごろにかけて日本では新しい製鉄所が建築されたが、その建築のタイミングとコンピュータ技術(特にハードウェア)の発展のタイミングが君津ではバッチリだった。逆にいうと、鋼管福山、川鉄水島、富士名古屋もほんの1年でも建設が遅かったら、また、事態は変わっていたかもしれない。実際、富士製鉄では名古屋を優先的に作るために大分の建設をストップしていたが、結果的には、八幡と合併後に本格的にプロジェクトが動きだしたため、大分では富士だけでなく、八幡の技術の粋も結集させた最新鋭のコンピュータシステムを実現することができた。実際、大分の初期開発に携わった人たちに「天・地・人」に恵まれたという実感の回想がある。逆に、名古屋はコンピュータ化が遅れた。富士では広畑が先で、名古屋ではその経験を踏まえて開発が行われることになる。まぁ、そういう細かい違いはいくらでもあるのだが、全体的には各企業はかなり横一線という感じで捉えた方が良い。その前提の上で、やっぱり君津のAOLはすごいよね、ということなのだ。

もう一つは、よく言われるように戸畑製造所の管理体制である。労働で鉄鋼を研究している人で戸畑管理方式という言葉を知らない者はいない。実際、鉄鋼を専門としていなかった私でさえも言葉だけは知っていた(もっとも私は森先生の弟子なので当たり前だが)。一般には、労務管理的には作業長制度とラインスタッフ制度の導入、そして労使関係的にはいわゆる「青空の見える労務管理」の実現で有名だ。一応の暫定的結論だけいうと、私は「青空の見える労務管理」をそんなに重視しておらず、作業長制度とラインスタッフ制度を重視している。まだ、研究中なので具体的には確定した形でいえないが、いわゆるIEをどういう風に摂取したかが決定的に重要になるだろう。しかし、これはそもそもIEをどう考えるかというところから考えるべき大きなテーマなのでまた別に、語ることにしよう。