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過去ログを読んで思い出したんですが、経営史学会でもひょっとしたら喋ったかもしれません。世界で初めての厚板工場の生産管理オンラインは八幡製鐵君津製鉄所ではなく、川崎製鉄水島製鉄所です。1967年12月のことです。君津は数ヶ月後です。実際はほぼ同時期に開発していたわけですが、事実は事実です。君津のIBMの話は有名ですが、水島は日本電気(NEC)がやりました。

水島製鉄所が有名になっていない理由はいろいろ考えられますが、ここで書いていいのかどうか分からないので、おいておきます。正直にいうと、私は資料的にもあの時点で気づいているべきでした。ただ、君津が世界初であるという説明をしているのも結構あるんですね。『わが国における厚板技術史』という日本鉄鋼協会が出した本、特に、各製鉄所の過去の主要人物が書いているものなので、おそらく決定版に近い。そこでも水島第一厚板が世界初と書いてあります。なお、川鉄はJFEのホームページに行くと技報が読めます。ただし、日本鋼管のものは古いものは読めません。本当は八幡の製鉄研究が全部読めるようになると大変、助ります。

本当に失礼しました。

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皆さん、ご無沙汰しております。12月末締切りの原稿に追われており、更新が滞っておりました。まだ、終わってないので、状況は微妙に変わっていないけれども、最初の一本はもうすぐ終わるし、残り一本は・・・きっと、何とかなるだろう。何より、今日はもう論文を書くテンションじゃないので。

愛する母校法政二高の先生からOB講演(経営学部進学予定者)を年明けにやってくれと頼まれた。高校生に何を話せばいいのか。相場というものをある程度、知っておく必要があるなと思って、濱口先生も紹介しておられたし、本田由紀さんの『教育の職業的意義』を手に取った。職業レリバンス論の論客女王という話だ。

元気な本だった。それにしても本田さんは謎である。最後のところで「私は教育社会学を専門とする者であり、社会的な問題状況をデータによって示すことはできても、それらの問題に対して教育の分野で対処するための具体的なカリキュラムや教育方法を、仔細に提示できるわけではない。それゆえ、この本で主張されている「教育の職業的意義」や「柔軟な専門性」などの概念も、私が批判している「キャリア教育」や「人間力」と同様に、抽象的で曖昧なものにすぎないという印象を読者に与えるかもしれない。それを思うと苦しい」と書いているので、自分が処方箋をしっかり提出していないことを十分承知しているし、率直にそれが非常に苦しいと告白している。別に芝居でもないだろう。何が彼女をここまで駆り立てるのだろうか。

内容についてどこがおかしいか、一々、書くつもりもないけれども、濱口さんの議論を誤解して流布されたら困る典型だとも思うので、その点だけは説明しとこう。メンバーシップ型というのは採用されて最初、経理に回されるか、営業に回されるか、人事に回されるか、分からないということを言っているのであって、各部署でやっている仕事内容が定まっていないということではない。もちろん、突発的な事柄で仕事が増えることはあるだろうけれども、それはどこの国でも同じことだろう。しかし、日本でも営業の仕事は営業である。ただ、二つの型の違いは、ジョブ型であれば、生産現場一筋だった人が数年、営業を経験させられる、というようなことが起こらないというだけに過ぎない。賃金が職務給であろうが何だろうが関係ない。生産現場に勤務するときは生産現場の職務給を貰って、営業を担当するときは営業の職務給を貰うことは可能だが、それではジョブ型が想定する意味でのジョブはまったく確立されていない。言い換えれば、ジョブ型を確立させずに、職務給を普及することは費用対効果を考えなければ可能だということである。本田さんの主張したいことにそって書くならば、批判すべきは総合決定給である基本給であって、職務給か職能資格給かなどは末の議論である。

私は本田さんほどラディカルに考えるつもりはないが、教育における職業レリバンスの問題は重要なトピックだと思っている(だから、手に取ったんだろう?というつっ込みは却下)。だが、第1章と第2章の認識を読む限り、職業レリバンス論の障害になっているのは本田さん自身ではないかという疑いをぬぐうことが出来なかった。残念である。もっとも、アジテーションは過激な方が効くから、そういう意味ではこれくらいでいいのかもしれない。

さて、私は床しき守旧派であるから、教育の本道は相変わらず人格の陶冶であると思っている。当世風に言えば、教師の人間力ということになるだろうか。職業レリバンスも大事だが、どうしてもなければならないとは思わない。ケース・バイ・ケースである。私は学問的にはまったくこの本はダメだと思うが、皮肉なことに、本田さんの嫌いな人間力、つまり何かしら今の教育システムないし教育社会に閉塞感を覚える若者たちへの真摯な姿勢という点において、この本は輝きを放っているように感じられてならない。具体的な処方箋がなく、歴史認識も全くダメであっても、なおかつ人々を惹きつけてやまない。凡人に出来る業ではない。人間力といわずに何と言おう。

追記

論客じゃなくて、女王でしたね。訂正です。

追記2

稲葉さんからご指摘いただいた点「二つの型の違いは、ジョブ型であれば、」を付け足しました。すみません。なぜか意識が飛んでました。