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市原博さんから論文を2本、送っていただいた。1本は『産業革命と企業経営』ミネルヴァ書房、所収の「人的資源の形成と身分制度」、もう1本は「職務能力開発と身分制度」『歴史と経済』第203号、2009年4月である。私の独断と偏見によれば、市原さんは日本の労働史の中心である。したがって、この論文は今の日本の労働史研究の水準である、という説明だけで納得して欲しいところだが、いくらなんでもそれでは不親切だから少し解説しておこう。

この二つの論文のモチーフは、タイトルから分かるとおり「身分制度」である。身分制度の研究は、労働の分野では氏原正治郎がちょっと言及して、藤田若雄が大々的に研究した。藤田の研究を重視しているのは森建資先生を例外としてここ数年前までほぼいなかった。ただ、私も含めて東大を中心に森先生の影響を受けた少数の人間はもちろん、藤田若雄を勉強している。なお、間宏『日本労務管理史研究』における終身雇用の議論などは藤田の影響を受けているので、とりあえず間宏からしか労務管理史を勉強すればよいと考える不勉強な研究者、ないし間の議論は日本的経営論の中で広く受容されていたので、そういう経路を通じてこの議論に親しんでいるいわば専門外の人々も、間接的に藤田らの影響を受けているといえるだろう。

もう少し、研究史的な含蓄を言えば、氏原、藤田らは講座派に属する。講座派の歴史系の人々は、日本の後進性を明らかにするという課題を背負っていたため、彼らの研究はその特殊性を明らかにすべく日本社会の研究に向った。皮肉なことだが、単純な枠組みが与えられたために、事実発掘は進んだ。今では彼らの原点の問題意識をそのまま受け継ぐ必要はないだろうけれども、諸先達が蓄積した考証の山は、日本の社会史研究の誇るべき財産として残されている。

何度か前のエントリで、私は嫌いだと述べた竹内洋の研究だが、あの『日本のメリトクラシー』が衝撃的に受け止められていたというのはおそらく動かしがたい事実である。労働史を含む労働問題研究が本来だったらやるべき研究をやられてしまったということである。もう一つ、菅山真次、苅谷剛彦、石田浩の職安研究も労働との境界の本だった(教育社会学と社会階層論との境界でもあるが)。1990年代というのは教育社会学が労働の領域を超えてやってきた時代ともいえるだろう(とどめは広田先生の一連の研究である)。菅山さんや市原さんが興味関心を持っていたことが学歴身分という考え方で、これまた、教育社会学の泰斗、天野郁夫大先生の研究をみな、参考にしている。どうして教育社会学と労働史が近い関係にあったのか、ここまで並べておけば説明の必要もあるまい。

それから、1990年代にはホワイトカラー研究が少しずつ始まった。労働史の分野でも米川伸一先生あたりを走りとして、2000年以降は随分と増えてきた(もともと、上級層の研究は経営史研究のひとつの分野としてある)。市原さんも下層技術者と職工の関係などに関心をもって研究されてきた。そして、そのときの一つの鍵が学歴身分社会という、この20数年間、教育社会学が蓄積してきた成果なのである。

この基本線を軸に、人事関連の一次史料を読み込み、それを丁寧に紹介されている。したがって、学説史を踏まえている点、一次史料を使っている点、おまけにそのことで読みにくくなっていない点など、総合的に考えて、この論文は現在の日本の労働史の一つの水準であると言わざるを得ない。

客観的に研究動向の中でこの論文を位置づけるとすれば、ざっとこんなところになるだろうけれども、私個人の印象ではちょっと教育社会学や社会階層論に引っ張られているなあと感じた。ちょっと危うい。そんなに職工って上昇志向のある人ばかりだったの?というのが教育社会学などに対して、私の一貫して持っている疑問だが、これは何れブログという形ではなく、論じるべき課題だろうなあと今はまだ、ボンヤリ考えている。
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私の大学院最後の年に東大に内地留学していた時里さんから論文をいただいた。筑紫女学園の紀要に書かれたもので、お話を伺っていた通り、企業内福祉のことを扱われている。時里さんは本来、メチャクチャ手堅いプロの考証史家であるけれども、今回の論文はおそらく、頭を整理するという意味で、一区切りとして書かれたものだなと感じた。ただ残念ながらまだ道半ばで、十分とはいえない。

といっても、これは対象そのものが難しい。企業福祉はとにかく難しい。私も学部生の頃から興味を持って、そんなものはなくてもいいといわれながら、結局、博士論文にも入れたが、十分、考えが詰められたかと問われれば、お恥ずかしい限りである。だから、とても同情する。時里さんが企業福祉の語義の変遷から検討せざるを得なかった必然性も私にはよく分かる。よく分かるけれども、おそらく、誰も理解してくれないだろうということもよく知っている(笑)。

今、社会政策は労働政策と社会福祉政策の両輪が必要だということが言われているが、企業内福祉こそこの二つを繋ぐミッシングリンクだと思う。そういえば最近、誰かがそのことを指摘されていたような気もするが、忘れてしまった。誰だったかな。

ところで、この論文は事実発掘的な部分は少ないが、それでも重要な発見がある。それは職員の娯楽施設からの影響で労働者用の施設も作られた、と指摘されている点である。実は私の論証は職員の複利施設の位置づけが弱い。あるのは知っていたし、重要だとも思うが、紡績は優先順位として職工が先であったので、ほとんど紹介しなかった。紡績は女工が寄宿舎で暮らしていたため、生活規律問題が割と早くから重要な課題になっていたから、このあたりは社会政策ともフィットしやすい。しかし、歴史的事実としては時里さんの指摘されている、職員の娯楽施設の存在とどう考えていくかは、非常に重要なテーマだろうと思う。これはこの次、議論する日までの宿題にしよう。