2010年05月30日 (日)
明日の理論科研の全体会での宿題(森班長からの依頼)。そもそもはいろんな角度からつっ込みどころがあるから、議論が活発になるだろうという広田先生の発案。この本は民主党のスズカンこと鈴木寛文部科学副大臣とゆとり教育で勇名を馳せた寺脇研氏の対談。それにしても、教育の人はみんな自分のことを語りたがるんだな(笑)。ちなみに、私は政治的にはニュートラルで、ぜひ民主党がいいとも思わないし、ぜひ自民党がいいとも思わない。いい政策を出せば、その限りでは党派を超えて応援すべきだと考えている。
スズカンと寺脇さんはカタリバ大学の同志でもあるらしい。教育理念や何かでは結構通じるものがあるのだろう。理念、思想のレベルでは、私は彼らが考えている方向に大きな違和感を持っていないし、大筋では結構であるとさえ思う。ただし、その改革の進め方、現状認識の仕方は、これがアジビラであることを差し引いても、というか、もっと根本的なレベルでダメだと思う。それは80年代以降のポストモダン思想の流れの浅薄さと軌を一にしているような気がする。
大雑把に問題を指摘すると、大枠で進歩史観を取っていることがあげられる。進歩史観のいかがわしさというのは、自分達は新しいからよくて、それが分からないやつらは古いからダメだという発想に結びつきやすいことだ。実際、この本で述べられている二つのパターンは、工場型から劇場型へというテーゼとモダンからポストモダンであり、いたるところで工場型思考から抜け出ていないなどという表現が出てきている。そして、残念なのは、工場型という理屈が、通俗的な大量生産概念を一歩も抜け出ておらず、したがって、非常にチャップリン的であり、実際の工場システムの進展とはかけ離れているということである。しかし、こうした理解に見られる特徴は、ただ残念というだけではなく、非常に根本的なレベルで教育改革を混乱に陥れかねない、その予兆であるように思われるのである。
あえて意地悪く言えば、右か左かの当てはめの挑発にのらないのは結構だが、工場型か劇場型か、近代型かポスト近代型かという当てはめはそれとどの程度違うのだろうか?人に当てはめられるのは嫌だけど、自分たちは同じように他人を当てはめるのは構わないのか。ダブル・スタンダードといわずして何と言おう。
端的に言って「工場型」という理解は、家内工業の発展形態である集団作業場レベルの話である。それは現代でもなくなったわけではないが、近代以前からある形態である。工場が非常に単純な仕事しかやっていない、あるいは、職務分析に帰すような単純作業に解体できるという理解は根本的に間違っている。工場制度に関する最初の本格的な考察をしたのはバベッジとユアである。ユアはむしろエンジニアによる技術革新を重視している。近代工場のモデルは19世紀を通じて紡績工場であった。それは一言で言えば、装置産業である。だからこそ、マルクスは機械に従属する労働、いわゆる労働疎外を問題にしたのである。しかし、結局、熟練(最近の言葉で言えば技能)は現在に至るまで消滅することはなく、その内容を変化させただけである。この「工場型」の理解は19世紀末から20世紀初頭の文明批評にでも出てくる通俗レベルではないか。そして、こうした複雑さを理解していないことは「管理」の意味を全く解しないということとほぼ等しい。十分な訓練を受ける機会を与えられない非正規だけで、工場が回ってるとでも思っているのだろうか?
一番の疑問は、そんなに自発が好きなら、なぜ研修というのか。あえて挑発的に言えば、教員資格など全部、廃棄してしまえばいいじゃないか。カタリバ大学のボランティアたちの教育力を高く評価するというのは、私は正しい道だと思うが、そういう機会を専門職大学院における研修制度の充実という形で上から与えるというのは、曽野綾子が唱えた奉仕の義務化と同じではないのか。はっきり言って、理念と政策が矛盾しているのである。別にそのこと自体は取り立てて特別なことではないが、理念が大事だと言って理念を大いに啓蒙しておいて、やっていることは理念と必ずしも一致していないのである。つまり、二人が語る理念をもっともよく実現するためには、カタリバ大学の教育ボランティアに教員資格を発行すればいいのである。何も現行の教員資格の改良に拘る必要などないのである。これは実は彼らの理念からすれば、まったく矛盾していない。教育が学校教育だけで済んでいた時代は学校の中で教師を育てればよかったが、社会教育も重要になるということになると、別に教師は学校以外から調達してもいい。ダブルメジャーで教育を絡ませる必要さえもない。
本来、専門職というのはその技能の専門性によって成立しているものなのである。しかし、現状の日本の教員資格は必ずしもそのような専門性の保証になっていない。鈴木さんが指摘するように、緩くていくらでも取れるからである。にもかかわらず、資格がなければ教員が出来ないというのは、正規の徒弟制度を経ていないで徒弟になるのは違法である、というくらいの意味しかないではないか。普通の職業であったら、市場原理が働くのでアウトサイダーを雇用するところが出てくる。しかし、教育市場ではそれが出来ていない。なぜなら、国家統制が効いているからである。要するに、ギルドの正当性を国家が担保しているのである。だが、国家自体がどのように正当性を担保し続けることが出来るのか、という点については誰も言っていない。
古くは、臨時工から本工の登用、今風に言えば、非正規から正規への登用といったように、教育ボランティアから正規教員を登用するのは、教員資格という縛りを外せば、労務管理的には非常に現実的、かついい制度である。一月未満の教育実習を経ただけの新米教員よりも、数年単位で一緒に働き、人柄も信用できるということになれば、それだけで教員に値するではないか。もう少し、現実的なことをいえば、いきなり正規採用とすることは出来なくても、それまでのキャリアが信頼に値するものと判断されれば、教員資格がなくとも臨時教員として働くことを許可し(その判定は教育現場である学校の裁量)、さらに、たとえば3年間、問題なければ、資格なしで正規教員への登用を許可、さらに正規採用後、2年勤務で普通の教員資格(別の学校でもいきなり正規に教壇に立つことが保証される)が自動的に附与されるという風にすればいい。これさえもあえて資格に拘るならばの話である。
このような案を書くと、現場の教師に対する攻撃であると早とちりする方もいらっしゃるかもしれないが、話はまったく逆である。今までは何の根拠もなく現場の教師が攻撃されてきたのであって、資格もなく横一線になったら、そのときにこそ蓄積されてきた経験の差が彼らこそ教育に本当に必要な存在であることを示してくれるだろう。
それに私は揚げ足取りだけでこんなことを書いているわけではない。彼らが言うように、教育者が「ティーチャー」であるより、「エデュケーター」であるように役割を転換していくならば、それは「メンター」や「セラピスト」という側面を強くせざるを得ない。そうであるならば、セラピストの資格が百花繚乱の態をなしている現状をよく考えるべきである。多様性を許容するということは、標準化の逆であり、したがって、教員の資格が混乱していく方が自然なのである。それを国家が統制するならば、それこそ富国強兵時代の、彼らが言うところの「工場型」発想である。
それにしても完全に自由なコミュニティ・スクールの運営を任すプロフェッショナルを専門職大学院で作るというのは人材育成としてはとても筋が悪いプランではないか。その目的でやるならば、現場経験10年程度の優秀な教員に1年、出来れば2年の監督者教育(再訓練ともいう)を受ける機会を与える方がよい。その教育の場は国内の大学でもいいが、そういうプロフェッショナルを育てるコミュニティ・スクールでもいいし、海外の大学でもいい。もちろん、給与保証、学費免除である。
というわけで、明日のレジュメにしなきゃ。3行くらいでいいか。
追記
あ、そうそう、この本では、民主党が大正デモクラシーから昭和初期の軍国時代への流れと同じ道に行くのを食い止めたというようなことを書いてあったが、その昭和初期に国会で統帥権干犯を主張し、軍部の暴走をリードした代議士の名前が書いていなかったので、念のために記しておこう。
鳩山一郎。
スズカンと寺脇さんはカタリバ大学の同志でもあるらしい。教育理念や何かでは結構通じるものがあるのだろう。理念、思想のレベルでは、私は彼らが考えている方向に大きな違和感を持っていないし、大筋では結構であるとさえ思う。ただし、その改革の進め方、現状認識の仕方は、これがアジビラであることを差し引いても、というか、もっと根本的なレベルでダメだと思う。それは80年代以降のポストモダン思想の流れの浅薄さと軌を一にしているような気がする。
大雑把に問題を指摘すると、大枠で進歩史観を取っていることがあげられる。進歩史観のいかがわしさというのは、自分達は新しいからよくて、それが分からないやつらは古いからダメだという発想に結びつきやすいことだ。実際、この本で述べられている二つのパターンは、工場型から劇場型へというテーゼとモダンからポストモダンであり、いたるところで工場型思考から抜け出ていないなどという表現が出てきている。そして、残念なのは、工場型という理屈が、通俗的な大量生産概念を一歩も抜け出ておらず、したがって、非常にチャップリン的であり、実際の工場システムの進展とはかけ離れているということである。しかし、こうした理解に見られる特徴は、ただ残念というだけではなく、非常に根本的なレベルで教育改革を混乱に陥れかねない、その予兆であるように思われるのである。
あえて意地悪く言えば、右か左かの当てはめの挑発にのらないのは結構だが、工場型か劇場型か、近代型かポスト近代型かという当てはめはそれとどの程度違うのだろうか?人に当てはめられるのは嫌だけど、自分たちは同じように他人を当てはめるのは構わないのか。ダブル・スタンダードといわずして何と言おう。
端的に言って「工場型」という理解は、家内工業の発展形態である集団作業場レベルの話である。それは現代でもなくなったわけではないが、近代以前からある形態である。工場が非常に単純な仕事しかやっていない、あるいは、職務分析に帰すような単純作業に解体できるという理解は根本的に間違っている。工場制度に関する最初の本格的な考察をしたのはバベッジとユアである。ユアはむしろエンジニアによる技術革新を重視している。近代工場のモデルは19世紀を通じて紡績工場であった。それは一言で言えば、装置産業である。だからこそ、マルクスは機械に従属する労働、いわゆる労働疎外を問題にしたのである。しかし、結局、熟練(最近の言葉で言えば技能)は現在に至るまで消滅することはなく、その内容を変化させただけである。この「工場型」の理解は19世紀末から20世紀初頭の文明批評にでも出てくる通俗レベルではないか。そして、こうした複雑さを理解していないことは「管理」の意味を全く解しないということとほぼ等しい。十分な訓練を受ける機会を与えられない非正規だけで、工場が回ってるとでも思っているのだろうか?
一番の疑問は、そんなに自発が好きなら、なぜ研修というのか。あえて挑発的に言えば、教員資格など全部、廃棄してしまえばいいじゃないか。カタリバ大学のボランティアたちの教育力を高く評価するというのは、私は正しい道だと思うが、そういう機会を専門職大学院における研修制度の充実という形で上から与えるというのは、曽野綾子が唱えた奉仕の義務化と同じではないのか。はっきり言って、理念と政策が矛盾しているのである。別にそのこと自体は取り立てて特別なことではないが、理念が大事だと言って理念を大いに啓蒙しておいて、やっていることは理念と必ずしも一致していないのである。つまり、二人が語る理念をもっともよく実現するためには、カタリバ大学の教育ボランティアに教員資格を発行すればいいのである。何も現行の教員資格の改良に拘る必要などないのである。これは実は彼らの理念からすれば、まったく矛盾していない。教育が学校教育だけで済んでいた時代は学校の中で教師を育てればよかったが、社会教育も重要になるということになると、別に教師は学校以外から調達してもいい。ダブルメジャーで教育を絡ませる必要さえもない。
本来、専門職というのはその技能の専門性によって成立しているものなのである。しかし、現状の日本の教員資格は必ずしもそのような専門性の保証になっていない。鈴木さんが指摘するように、緩くていくらでも取れるからである。にもかかわらず、資格がなければ教員が出来ないというのは、正規の徒弟制度を経ていないで徒弟になるのは違法である、というくらいの意味しかないではないか。普通の職業であったら、市場原理が働くのでアウトサイダーを雇用するところが出てくる。しかし、教育市場ではそれが出来ていない。なぜなら、国家統制が効いているからである。要するに、ギルドの正当性を国家が担保しているのである。だが、国家自体がどのように正当性を担保し続けることが出来るのか、という点については誰も言っていない。
古くは、臨時工から本工の登用、今風に言えば、非正規から正規への登用といったように、教育ボランティアから正規教員を登用するのは、教員資格という縛りを外せば、労務管理的には非常に現実的、かついい制度である。一月未満の教育実習を経ただけの新米教員よりも、数年単位で一緒に働き、人柄も信用できるということになれば、それだけで教員に値するではないか。もう少し、現実的なことをいえば、いきなり正規採用とすることは出来なくても、それまでのキャリアが信頼に値するものと判断されれば、教員資格がなくとも臨時教員として働くことを許可し(その判定は教育現場である学校の裁量)、さらに、たとえば3年間、問題なければ、資格なしで正規教員への登用を許可、さらに正規採用後、2年勤務で普通の教員資格(別の学校でもいきなり正規に教壇に立つことが保証される)が自動的に附与されるという風にすればいい。これさえもあえて資格に拘るならばの話である。
このような案を書くと、現場の教師に対する攻撃であると早とちりする方もいらっしゃるかもしれないが、話はまったく逆である。今までは何の根拠もなく現場の教師が攻撃されてきたのであって、資格もなく横一線になったら、そのときにこそ蓄積されてきた経験の差が彼らこそ教育に本当に必要な存在であることを示してくれるだろう。
それに私は揚げ足取りだけでこんなことを書いているわけではない。彼らが言うように、教育者が「ティーチャー」であるより、「エデュケーター」であるように役割を転換していくならば、それは「メンター」や「セラピスト」という側面を強くせざるを得ない。そうであるならば、セラピストの資格が百花繚乱の態をなしている現状をよく考えるべきである。多様性を許容するということは、標準化の逆であり、したがって、教員の資格が混乱していく方が自然なのである。それを国家が統制するならば、それこそ富国強兵時代の、彼らが言うところの「工場型」発想である。
それにしても完全に自由なコミュニティ・スクールの運営を任すプロフェッショナルを専門職大学院で作るというのは人材育成としてはとても筋が悪いプランではないか。その目的でやるならば、現場経験10年程度の優秀な教員に1年、出来れば2年の監督者教育(再訓練ともいう)を受ける機会を与える方がよい。その教育の場は国内の大学でもいいが、そういうプロフェッショナルを育てるコミュニティ・スクールでもいいし、海外の大学でもいい。もちろん、給与保証、学費免除である。
というわけで、明日のレジュメにしなきゃ。3行くらいでいいか。
追記
あ、そうそう、この本では、民主党が大正デモクラシーから昭和初期の軍国時代への流れと同じ道に行くのを食い止めたというようなことを書いてあったが、その昭和初期に国会で統帥権干犯を主張し、軍部の暴走をリードした代議士の名前が書いていなかったので、念のために記しておこう。
鳩山一郎。
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2010年05月28日 (金)
田中先生から反論をいただきました。有難うございます。ただし、お気遣いは無用です。
根幹のところの「教育を受ける権利」を「学習権」に変えるという問題ですが、私も変えた方がいいと思います。でも、そのことと「教育」という言葉全体がよくないという話とは次元がやや異なるのです。ただ、あえていえば「学習」は学習者に焦点が当る言葉です。私は人生、森羅万象、学ぶ対象であると思っているので、わざわざ法律で定めてもらう必要は感じません。学ぶ機会はいくらでもあるんです。ですから、学習権とは一体どこにポイントがあるのか分かりませんが、それ自体は結構な考えだと思います。義務教育はそれとは別に定めればいい。この点は私の考えは民主党案と近いです。ただ、職業訓練であれ、普通教育であれ、特定の教えるべき内容を持った人との関係の中で何かを学ぶという点でいえば、学習だけでは足りないのです。
田中先生は教育の名前のもとで無私の精神で頑張っていらっしゃる方の存在を認めています。でも、そういう教育関係者は田中先生の議論を聞いて、自分達の仲間だと感じるでしょうか。教育=強制で動いている人と立派な教育をやっている人といったいどちらが多いと考えるべきなんでしょうか。あえて、私は学者の端くれであることを捨てていいますが、後者が多いと信じます。信仰告白と思ってくれても構いません。非常にプラクティカルに考えれば、教育という言葉を廃棄することは、産湯とともに赤子を流すことになるだろうと思います。だから、反対です。
ただ、例の「コンクリートから子どもへ」という意味の分からないタイトルの本に対しては明日か、明後日エントリを書きますが、この中で非常に寺脇さんが非常にいいことを言っている。研修というのは教師の学習権の保証なんだということです。ま、でも、温情主義でも何でも、強制と自発は簡単に意味がひっくり返りますから、研修だって長いこと日教組が反対してきたように管理(言葉としては統制の方が正確ですが)の道具になりかねない。ですから、注意は必要ですが、学習権という言葉は魅力的です。
気をつけないといけないのは、先ほど述べたように、教える者という視点が非常に後景に退いてしまう。これは問題なんですね。この点は苅谷剛彦先生が奥さんと大村はま先生で書いた『教えることの復権』をぜひ参照していただきたいと思います。苅谷先生の議論はとても重要です。先だって森さんが自分自身のシラバスと試験問題を公開して職業的意義を問うたように、苅谷先生もご自分がどのような理念でゼミを運営しているかを述べています(正確には過去形にすべきですが)。
話を単純にしていえば、完全に自発性を重んじる教育は可能なのかと問いたいと思います。まず、自発重視の教育は明らかに教える側のスキルが高くないと出来ない。実は苅谷さんが急進的な教育改革を冷ややかに見ておられたのはまさにこの点なんですね。いったい、どうやって急に教師にそんな能力を身につけさせるのか?という話です。昔、平泉対渡部の英語教育論争があったとき、渡部昇一さんが最後に突きつけた疑問は、いったいそんな能力の英語教師をどこから調達するのか?という問題でした。この問いに平泉さんは答えられなかった。苅谷さんは渡部昇一さんよりも相手に敬意をもって語られていますが、根本は同じ問題ですね。カリフォルニアの失敗例の話も、理念や内容が悪いといっているんではなくて、おそらく、どっちだといえば、賛成とおっしゃるかもしれません。ただし、成功させるための条件が厳しすぎ、そのボトルネックをクリアする道筋が見えないで改革に突っ込むのは反対、というわけです。まったく現実的な処方箋です。苅谷先生はそういうところに視点がいかないのは、ある意味では子ども中心に展開してきた議論と関係していると考えていらっしゃるのでしょう。そして、その議論と初期学習権の概念の台頭は密接に関連していたと私は思います(教育関連の方、間違ってたら指摘してください)。それから程なくしてか、ほぼ同時にか生涯学習の議論が存在するわけです。
それから「存在証明」という言葉を使ったのは失敗でした。あれはアイデンティティの意味で使ったんですが、存在証明だとなぜ職業訓練が社会的に必要かという意味に取れますね。
> 不登校者が職業訓練を受けて社会で活躍しているだけで、高校中退者が職業訓練をうけて仕事に励んでいるだけで、失業者が職業訓練を受けて再就職できているだけで、在職労働者が職業訓練を受けて仕事に自信を持てただけで、職業訓練の意義は充分であろう。それ以上の職業訓練の存在証明がいるのだろうか。
私から見ると、田中先生が書かれていることは当たり前であって、このレベルでの職業訓練の意義なんてものは議論するまでもないという判断です。世間一般に対しては常識として知っておけといいたいレベルです。逆に言うと、外部からしか職業訓練を知らない私でも分かってしまう話なのです。そうではなくて、やはり職業訓練の中身を知る田中先生をはじめとする皆さんにこそ、職業訓練や職業教育が他の教育、あるいは企業内訓練とも異なるアドバンテージを持っているんだということを語って欲しいんです。特に不登校の生徒を立派に育成する。これはまさに人格の完成への第一歩に違いない。そのメカニズムをもっと知りたい。田中先生は「手に職」という話から説明されているけれども、もっと違う何かがあるんじゃないか、そう思うわけです。ですが、これは私が田中先生の議論をまだ十分に勉強していない、という側面もかなりあります。すみません。
労働まわりの話は実は途中、書いたんですが、あまりにも論点が拡散するので、別に保存して置いてあります。寺小屋論と実業教育まわりのことと絡めて書きます。しばらくお待ちください。ただ労働権の話は私は人権という考え方そのものがよいのか悪いのか、「法の支配」「法による支配」「法治国家」との関連で答えが出ていないので、ちょっとお応えできないかもしれません。
最後に「職業訓練を受けて今の俺がある」という人がいないというのは極論です。私が以前、ネット上で職業訓練のことを調べたときには何人か職業訓練を受けた誇りを書いていらっしゃる方がやはりいらっしゃいました。声高に叫ぶのではなく、そういう風に静かに語られることこそ、職業訓練・職業教育の誇りではないでしょうか。もちろん、田中先生が職業訓練受難の今、そのような声が響き渡らないことを忸怩たる思いでいらっしゃることも承知しております。私のような者が書くのが僭越なことは十二分に承知しておりますが、田中先生からそのような言葉が出ては先生の教えを受けた方々、それから職業訓練を受けた方々は悲しまれることと存じます。あえて諫言申し上げる次第です。
根幹のところの「教育を受ける権利」を「学習権」に変えるという問題ですが、私も変えた方がいいと思います。でも、そのことと「教育」という言葉全体がよくないという話とは次元がやや異なるのです。ただ、あえていえば「学習」は学習者に焦点が当る言葉です。私は人生、森羅万象、学ぶ対象であると思っているので、わざわざ法律で定めてもらう必要は感じません。学ぶ機会はいくらでもあるんです。ですから、学習権とは一体どこにポイントがあるのか分かりませんが、それ自体は結構な考えだと思います。義務教育はそれとは別に定めればいい。この点は私の考えは民主党案と近いです。ただ、職業訓練であれ、普通教育であれ、特定の教えるべき内容を持った人との関係の中で何かを学ぶという点でいえば、学習だけでは足りないのです。
田中先生は教育の名前のもとで無私の精神で頑張っていらっしゃる方の存在を認めています。でも、そういう教育関係者は田中先生の議論を聞いて、自分達の仲間だと感じるでしょうか。教育=強制で動いている人と立派な教育をやっている人といったいどちらが多いと考えるべきなんでしょうか。あえて、私は学者の端くれであることを捨てていいますが、後者が多いと信じます。信仰告白と思ってくれても構いません。非常にプラクティカルに考えれば、教育という言葉を廃棄することは、産湯とともに赤子を流すことになるだろうと思います。だから、反対です。
ただ、例の「コンクリートから子どもへ」という意味の分からないタイトルの本に対しては明日か、明後日エントリを書きますが、この中で非常に寺脇さんが非常にいいことを言っている。研修というのは教師の学習権の保証なんだということです。ま、でも、温情主義でも何でも、強制と自発は簡単に意味がひっくり返りますから、研修だって長いこと日教組が反対してきたように管理(言葉としては統制の方が正確ですが)の道具になりかねない。ですから、注意は必要ですが、学習権という言葉は魅力的です。
気をつけないといけないのは、先ほど述べたように、教える者という視点が非常に後景に退いてしまう。これは問題なんですね。この点は苅谷剛彦先生が奥さんと大村はま先生で書いた『教えることの復権』をぜひ参照していただきたいと思います。苅谷先生の議論はとても重要です。先だって森さんが自分自身のシラバスと試験問題を公開して職業的意義を問うたように、苅谷先生もご自分がどのような理念でゼミを運営しているかを述べています(正確には過去形にすべきですが)。
話を単純にしていえば、完全に自発性を重んじる教育は可能なのかと問いたいと思います。まず、自発重視の教育は明らかに教える側のスキルが高くないと出来ない。実は苅谷さんが急進的な教育改革を冷ややかに見ておられたのはまさにこの点なんですね。いったい、どうやって急に教師にそんな能力を身につけさせるのか?という話です。昔、平泉対渡部の英語教育論争があったとき、渡部昇一さんが最後に突きつけた疑問は、いったいそんな能力の英語教師をどこから調達するのか?という問題でした。この問いに平泉さんは答えられなかった。苅谷さんは渡部昇一さんよりも相手に敬意をもって語られていますが、根本は同じ問題ですね。カリフォルニアの失敗例の話も、理念や内容が悪いといっているんではなくて、おそらく、どっちだといえば、賛成とおっしゃるかもしれません。ただし、成功させるための条件が厳しすぎ、そのボトルネックをクリアする道筋が見えないで改革に突っ込むのは反対、というわけです。まったく現実的な処方箋です。苅谷先生はそういうところに視点がいかないのは、ある意味では子ども中心に展開してきた議論と関係していると考えていらっしゃるのでしょう。そして、その議論と初期学習権の概念の台頭は密接に関連していたと私は思います(教育関連の方、間違ってたら指摘してください)。それから程なくしてか、ほぼ同時にか生涯学習の議論が存在するわけです。
それから「存在証明」という言葉を使ったのは失敗でした。あれはアイデンティティの意味で使ったんですが、存在証明だとなぜ職業訓練が社会的に必要かという意味に取れますね。
> 不登校者が職業訓練を受けて社会で活躍しているだけで、高校中退者が職業訓練をうけて仕事に励んでいるだけで、失業者が職業訓練を受けて再就職できているだけで、在職労働者が職業訓練を受けて仕事に自信を持てただけで、職業訓練の意義は充分であろう。それ以上の職業訓練の存在証明がいるのだろうか。
私から見ると、田中先生が書かれていることは当たり前であって、このレベルでの職業訓練の意義なんてものは議論するまでもないという判断です。世間一般に対しては常識として知っておけといいたいレベルです。逆に言うと、外部からしか職業訓練を知らない私でも分かってしまう話なのです。そうではなくて、やはり職業訓練の中身を知る田中先生をはじめとする皆さんにこそ、職業訓練や職業教育が他の教育、あるいは企業内訓練とも異なるアドバンテージを持っているんだということを語って欲しいんです。特に不登校の生徒を立派に育成する。これはまさに人格の完成への第一歩に違いない。そのメカニズムをもっと知りたい。田中先生は「手に職」という話から説明されているけれども、もっと違う何かがあるんじゃないか、そう思うわけです。ですが、これは私が田中先生の議論をまだ十分に勉強していない、という側面もかなりあります。すみません。
労働まわりの話は実は途中、書いたんですが、あまりにも論点が拡散するので、別に保存して置いてあります。寺小屋論と実業教育まわりのことと絡めて書きます。しばらくお待ちください。ただ労働権の話は私は人権という考え方そのものがよいのか悪いのか、「法の支配」「法による支配」「法治国家」との関連で答えが出ていないので、ちょっとお応えできないかもしれません。
最後に「職業訓練を受けて今の俺がある」という人がいないというのは極論です。私が以前、ネット上で職業訓練のことを調べたときには何人か職業訓練を受けた誇りを書いていらっしゃる方がやはりいらっしゃいました。声高に叫ぶのではなく、そういう風に静かに語られることこそ、職業訓練・職業教育の誇りではないでしょうか。もちろん、田中先生が職業訓練受難の今、そのような声が響き渡らないことを忸怩たる思いでいらっしゃることも承知しております。私のような者が書くのが僭越なことは十二分に承知しておりますが、田中先生からそのような言葉が出ては先生の教えを受けた方々、それから職業訓練を受けた方々は悲しまれることと存じます。あえて諫言申し上げる次第です。
2010年05月26日 (水)
というか、日曜日の課題図書を買いに行っただけですが・・・。面白そうな本がたくさん並んでいたので、メモしてきました。
まずは通史から。
通史はいろいろあるんですが、ここらあたりは面白そう。海後・寺崎師弟コンビの作品。
今、理論科研歴史班でやっている課題にとって重要そうな本は、
不明になっていますが、寺崎編です。ここは絶対に抑える必要がありますね。総力戦体制と戦後教育の連続性をどう捉えるかは重要な論点です。そして、飯吉本は経済団体と教育の関係で、これは教育そのものより産業界、とりわけ人材開発、労務管理についてのサイドストーリーとして面白そうです。当然ながら、今度の清水の議論なんかとも繋がってくるでしょう。
それからAmazonでなぜかでないけど、久保義三『新版昭和教育史』東信堂もすごい。厚い。とにかく厚い。それから、職業訓練、実業教育の歴史を知るためにはこれが必須。
これまた厚い。
それから戦前の研究でも面白そうなのはたくさんありました。ここでも数回書いている地方改良運動についてはこんな文献があった。とりあえず、目配りして勉強するにはよさそう。また、研究所にも社会教育については旧女子研時代の本がたくさんあったので、それで勉強すればいいや。
その他、これは絶対に大事なのは、
日本の学校制度の成り立ちを知る上で必読文献と思われます。
その他に一応、福祉との関連で面白そうなのは、この文献ですね。
これは宗教とのかかわりで一度、頭に入れておく必要がありそうです。
それから変り種としては、
教員処分というのは着眼がものすごくいい。戦前の人事労務管理の処遇で罰則って必ずしもマイナス評価とは限らないですからね、教員はどうだったのか、興味深いです。ただ、支配構造とか言われると一抹の不安が。
おまけ。アメリカにおける人格教育の歴史の本。
それにしてもよさそうな最近の本はみんな厚い。すげぇ密度の実証、読むのがしんどそう。それにしても、今まで読んできた教育社会学の本で、こういう本の名前があまり出てこなかったのは何でだろう?出て来たのに気付かなかっただけかな。
まずは通史から。
![]() | 教科書でみる近現代日本の教育 (1999/05) 海後 宗臣寺崎 昌男 商品詳細を見る |
通史はいろいろあるんですが、ここらあたりは面白そう。海後・寺崎師弟コンビの作品。
今、理論科研歴史班でやっている課題にとって重要そうな本は、
![]() | 総力戦体制と教育―皇国民「錬成」の理念と実践 (1987/03) 不明 商品詳細を見る |
![]() | 戦後日本産業界の大学教育要求―経済団体の教育言説と現代の教養論 (2008/03) 飯吉 弘子 商品詳細を見る |
不明になっていますが、寺崎編です。ここは絶対に抑える必要がありますね。総力戦体制と戦後教育の連続性をどう捉えるかは重要な論点です。そして、飯吉本は経済団体と教育の関係で、これは教育そのものより産業界、とりわけ人材開発、労務管理についてのサイドストーリーとして面白そうです。当然ながら、今度の清水の議論なんかとも繋がってくるでしょう。
それからAmazonでなぜかでないけど、久保義三『新版昭和教育史』東信堂もすごい。厚い。とにかく厚い。それから、職業訓練、実業教育の歴史を知るためにはこれが必須。
![]() | 昭和技術教育史 (1998/08) 清原 道寿 商品詳細を見る |
これまた厚い。
それから戦前の研究でも面白そうなのはたくさんありました。ここでも数回書いている地方改良運動についてはこんな文献があった。とりあえず、目配りして勉強するにはよさそう。また、研究所にも社会教育については旧女子研時代の本がたくさんあったので、それで勉強すればいいや。
![]() | 近代日本社会教育の成立 (2004/12) 松田 武雄 商品詳細を見る |
その他、これは絶対に大事なのは、
![]() | 近代日本黎明期における「就学告諭」の研究 (2008/03) 荒井 明夫 商品詳細を見る |
日本の学校制度の成り立ちを知る上で必読文献と思われます。
その他に一応、福祉との関連で面白そうなのは、この文献ですね。
![]() | 明治初期の福祉と教育―慈善学校の歴史 (2008/09) 戸田 金一 商品詳細を見る |
これは宗教とのかかわりで一度、頭に入れておく必要がありそうです。
それから変り種としては、
![]() | 日本近代公教育の支配装置―教員処分体制の形成と展開をめぐって (2003/10) 岡村 達雄 商品詳細を見る |
教員処分というのは着眼がものすごくいい。戦前の人事労務管理の処遇で罰則って必ずしもマイナス評価とは限らないですからね、教員はどうだったのか、興味深いです。ただ、支配構造とか言われると一抹の不安が。
おまけ。アメリカにおける人格教育の歴史の本。
![]() | 人格形成概念の誕生―近代アメリカの教育概念史 (2005/11) 田中 智志 商品詳細を見る |
それにしてもよさそうな最近の本はみんな厚い。すげぇ密度の実証
2010年05月24日 (月)
田中萬年先生から著書『教育と学校をめぐる三大誤解』と『働くための学習』をいただいた。一度、田中先生の議論を勉強したいと考えていたので、この一週間、この二冊を真剣に読んだ。しかし、私にはやはり「非教育」の論理というのは、論理として成立していないし、職業訓練及び職業教育の地位を向上させる、という大戦略への戦術としてもあまりうまくないと思っている。
この二冊の中の白眉は『教育と学校をめぐる三大誤解』における「教育」の形成過程についての考証であろう。私は残念ながら、この考証が正しいかどうか、判定する能力はないが、とても面白く読んだ。ここは田中先生のこの部分の考証を全面的に信頼した上で、以下の批判を書きたいと思う。
まず、田中先生ご自身の考証にあるように、言葉は変化するものである。したがって、「教育」の語源に問題があっても、現在の教育がその語源からの縛りを受けているということにはならない。事実、言葉としては「教育」に職業教育を含めるのは、教育学系の人以外にとっては違和感を覚えることもないだろう。むしろ、普通の人は一条校という区分さえ知らないので、みんな同じ学校だと思っている。お恥ずかしい話だが、私は一条校という言葉を知らなかったので、わざわざググッたくらいである。そんなに世間一般の常識でもないだろうと思っている。私はたまたま、労働分野にいたので、職業訓練大学校の所管が厚生労働省であることを知っていたが(ちなみに、防衛大学校が防衛省の所管であることはも知っていたが)、そんな区別を知っている人もあまりいないだろう。
さらに、あるべき教育概念として「キョウイク」を使っているのは何とも奇異な感じがする。田中先生はそれをエルゴナジーとして切り替えられ、職業訓練を根幹に置いていらっしゃられるが、もし「教育」を全廃したいのならば、上位概念として「キョウイク」を使うのはおかしな話である。漢字をカナにすればよいという問題ではないだろう。
田中先生はeducationが本来、開発の意味であり、日本語の教育には強制のニュアンスが含まれるという点で、これを回避すべきであると主張されている。そして、重点は「教える」ことではなく、学ぶ者の「学習」に置かれる。おそらく田中先生が意図されている教師とはメンターのようなものであろう。それはそれでいいけれども、強制がいいか自発がいいかは、一般論でいえば、真実はその中間にありであって、もうちょっと具体的にはケースバイケースであると思う。というのも、教わったり、アドバイスを受ける側は、そのときにはその意味が理解できなくとも、それを強制的にやらされる中で、そのアドバイスの真意を理解できるようになることがあるからだ(ということを私は先週、学生に課したレポートから教わった。そういわれればそうだよな)。実際、そのときは反撥していても、あとでは有難かったという経験は誰しもあるのではないか。とりわけ企業内の新人研修や職業訓練などに該当するものが、強制を伴わないわけがないし、逆にそれが全くなければ上手く行かないだろう。教わる側の自発性を重んじるのは、理念としては魅力的であるが、むしろ、重要なことは教える側が強制を行使するときに、その影響力の大きさに自覚を持つか否かではないかと私は思う。それは職業訓練でも、普通教育でも、企業内訓練でも、同じことだろう。
もう一つ、やや田中先生に誤解があるような気がするのは、普通教育における身体性の重要さである。もちろん、ここでの意味は体育という狭い意味ではない。身体性の重要さは大村はま先生も書かれていたし、例のプロ教師の諏訪先生も書かれていた。ただし、たとえば齋藤孝さんのように明示的に国語は体育だ!という形でカリキュラムの中に組み込むというのはたしかに稀かもしれない。その点、職業訓練、とりわけ製造業に関するそれの中では、実習がカリキュラムの一つとして重要な意味を持っており、この点では優位性があるといえるだろう。だが、それは重要ではあるけれども、あくまで職業教育の一部であって、たとえば、システム技術者になるためのカリキュラムに、普通教育と比べて身体性についての圧倒的優位性があるかどうかは疑問が残る。
職業教育の意義が重要であるという議論を説得的に展開するならば、理念ではなく、やはり具体的なレベルで論じた方がよいだろう。その一つのプランは生涯教育→生涯学習の議論をもっと徹底的に重視することである。この議論自体はもう数十年の歴史があるわけだが、ますます社会に出た人を取り込むという方向になるだろう。普通教育の論者は学校論者だから、子ども論が好きである。しかし、生涯学習論を重視するのであれば、子ども論は必須ではないし、かえって足かせになる可能性さえある。この点では、職業ライフを考えている職業訓練、職業教育は優位である。大学などではライフプランまでなかなか念頭においていないだろう。
「人格の完成」はもともとキリスト教から出て来た概念だが、我々日本人にとっては仏教で理解する方が馴染みやすいかもしれない。すなわち、解脱である。だが、そのような完成された人格の教師など、私は一人も出会ったことはない。「人格の完成」は究極の目標とする分にはよいが、所詮はお題目でしかない。したがって、これを教育実践の根本原理に置く事は非常に困難な道であるといわざるを得ない。そもそも解脱を果たした釈迦本人でさえ、縁なき衆生は度し難しといってすべての人を正しい方向に導けないことを嘆いているのである。いわんや我々凡人をや、である。「人格」を市民だとか、大人だとか、その程度のレベルで不正確に理解して考えると、教育は完成し得るものかもしれないが、もし私の述べた究極の目標として理解するならば、教育はベストウェイを常に模索としているという意味においてではなく、実際に目標を到達し得ないという意味において、未完であり、おまけに、金輪際、完成する見込みもほとんどないのである。
そうすると、現実的な目標はもう少しレベルを落とした方がよいだろう。たとえば、社会人として、あるいは職業人としてのスタートラインに立てる状態で送り出し、また、いったん社会に出た人たちがより自分の人生(職業ライフ、プライベートライフともに)を豊かに出来る手助けをすることである。後者の点ではやはり、何よりもノウハウの点において職業訓練、職業教育の方が一歩、有利ではないだろうか。ただし、この点をあまり強調しすぎるのも、微妙である。要するに、その職業訓練以外の分野に就職して、中には立派な活躍をしている人もいるので、こういう方たちを掬いとる議論が展開できずに袋小路に陥ってしまう。このあたりの理論的構成は考え直す必要があるだろう。
ちなみに、大学でも職業的意義ある講義が出来るんだという考え方もある。実際、森直人さんの本田由紀批判はまさにその極北である。だが、本田さんに学者としてではなく、教師として要求しているというのはこれは明らかにレトリックである。森さんは謙虚な方なのでみなまで言っていないが、要するに、こんなカリキュラムを組めるのは少なくともその当該分野についての自分なりの専門的蓄積がないと出来ないのである。したがって、その水準をクリアするためには、学者としての能力を当然要求されるのである。こんな学力水準を相場とするならば、少なくとも人文社会科学系について、大学は既に成立しておらず、そもそも昔から成立していなかったのではないか、という疑いが個人的にはなきにしもあらずである。森さんの言っていることはメチャクチャ過激で、自分の講義について具体例を示せないのは教育社会学の学者としての能力がないといっているに等しい。
大学と深い関係のない方には分かりにくいが、一般に大学の先生の中で研究をやっていない人は教育を実践しているという点で免罪される。そういう奇妙なロジックが存在する。森さんのレトリックはそれを逆手にとっている。しかもご丁寧に教育社会学における本田さんの位置づけをとりあえず高く評価した上で、この論理を使っている。行間を読まないで素直に読めば、あれ?と思うだろう。学者として要求しないの意味はおそらく、学者としての水準をクリアしているから問題にしないということではない。したがって、このレトリックには二重の意図が隠されていて、答えないのは教師としてどうなのかという意味であり、答えられないのは学者としてどうなのかという意味なのである。当然、答えないの中には、答えられないが含まれるのである。げに一番真摯な批判者は一番有難い存在であり、同時に一番恐ろしくもある。
なんで、わざわざ森さんを引き合いに出したかと言うと、専門教育に職業的レリバンスを実装させることは可能であることを示すと同時に、その実現の困難さを表しているからである。森さんがこんなとんでもないことをやってのけたのは、第一に学生への愛情(つまり、こんなしんどいことをやろうと考える胆力)、第二に(本人が満足しないにせよ)学者としての能力、第三にもともと学生さんが自分の職業的イメージを比較的、強く持っている、というような条件が重なったからである。要するに、何を言いたいかといえば、大学の講義で職業的レリバンスなんていったって難しいよね、ということである。
既存の「教育」概念を批判するのは奇道である。学問的裏づけをもって職業訓練・職業教育の存在証明を示すことこそが正道である。それをするだけの材料や条件は十二分にあるように思うのだが、まだ果たされていない。私がもし職業教育ないし職業訓練の実態をよく知っていたら。まことに力及ばず無念である。
この二冊の中の白眉は『教育と学校をめぐる三大誤解』における「教育」の形成過程についての考証であろう。私は残念ながら、この考証が正しいかどうか、判定する能力はないが、とても面白く読んだ。ここは田中先生のこの部分の考証を全面的に信頼した上で、以下の批判を書きたいと思う。
まず、田中先生ご自身の考証にあるように、言葉は変化するものである。したがって、「教育」の語源に問題があっても、現在の教育がその語源からの縛りを受けているということにはならない。事実、言葉としては「教育」に職業教育を含めるのは、教育学系の人以外にとっては違和感を覚えることもないだろう。むしろ、普通の人は一条校という区分さえ知らないので、みんな同じ学校だと思っている。お恥ずかしい話だが、私は一条校という言葉を知らなかったので、わざわざググッたくらいである。そんなに世間一般の常識でもないだろうと思っている。私はたまたま、労働分野にいたので、職業訓練大学校の所管が厚生労働省であることを知っていたが(ちなみに、防衛大学校が防衛省の所管であることはも知っていたが)、そんな区別を知っている人もあまりいないだろう。
さらに、あるべき教育概念として「キョウイク」を使っているのは何とも奇異な感じがする。田中先生はそれをエルゴナジーとして切り替えられ、職業訓練を根幹に置いていらっしゃられるが、もし「教育」を全廃したいのならば、上位概念として「キョウイク」を使うのはおかしな話である。漢字をカナにすればよいという問題ではないだろう。
田中先生はeducationが本来、開発の意味であり、日本語の教育には強制のニュアンスが含まれるという点で、これを回避すべきであると主張されている。そして、重点は「教える」ことではなく、学ぶ者の「学習」に置かれる。おそらく田中先生が意図されている教師とはメンターのようなものであろう。それはそれでいいけれども、強制がいいか自発がいいかは、一般論でいえば、真実はその中間にありであって、もうちょっと具体的にはケースバイケースであると思う。というのも、教わったり、アドバイスを受ける側は、そのときにはその意味が理解できなくとも、それを強制的にやらされる中で、そのアドバイスの真意を理解できるようになることがあるからだ(ということを私は先週、学生に課したレポートから教わった。そういわれればそうだよな)。実際、そのときは反撥していても、あとでは有難かったという経験は誰しもあるのではないか。とりわけ企業内の新人研修や職業訓練などに該当するものが、強制を伴わないわけがないし、逆にそれが全くなければ上手く行かないだろう。教わる側の自発性を重んじるのは、理念としては魅力的であるが、むしろ、重要なことは教える側が強制を行使するときに、その影響力の大きさに自覚を持つか否かではないかと私は思う。それは職業訓練でも、普通教育でも、企業内訓練でも、同じことだろう。
もう一つ、やや田中先生に誤解があるような気がするのは、普通教育における身体性の重要さである。もちろん、ここでの意味は体育という狭い意味ではない。身体性の重要さは大村はま先生も書かれていたし、例のプロ教師の諏訪先生も書かれていた。ただし、たとえば齋藤孝さんのように明示的に国語は体育だ!という形でカリキュラムの中に組み込むというのはたしかに稀かもしれない。その点、職業訓練、とりわけ製造業に関するそれの中では、実習がカリキュラムの一つとして重要な意味を持っており、この点では優位性があるといえるだろう。だが、それは重要ではあるけれども、あくまで職業教育の一部であって、たとえば、システム技術者になるためのカリキュラムに、普通教育と比べて身体性についての圧倒的優位性があるかどうかは疑問が残る。
職業教育の意義が重要であるという議論を説得的に展開するならば、理念ではなく、やはり具体的なレベルで論じた方がよいだろう。その一つのプランは生涯教育→生涯学習の議論をもっと徹底的に重視することである。この議論自体はもう数十年の歴史があるわけだが、ますます社会に出た人を取り込むという方向になるだろう。普通教育の論者は学校論者だから、子ども論が好きである。しかし、生涯学習論を重視するのであれば、子ども論は必須ではないし、かえって足かせになる可能性さえある。この点では、職業ライフを考えている職業訓練、職業教育は優位である。大学などではライフプランまでなかなか念頭においていないだろう。
「人格の完成」はもともとキリスト教から出て来た概念だが、我々日本人にとっては仏教で理解する方が馴染みやすいかもしれない。すなわち、解脱である。だが、そのような完成された人格の教師など、私は一人も出会ったことはない。「人格の完成」は究極の目標とする分にはよいが、所詮はお題目でしかない。したがって、これを教育実践の根本原理に置く事は非常に困難な道であるといわざるを得ない。そもそも解脱を果たした釈迦本人でさえ、縁なき衆生は度し難しといってすべての人を正しい方向に導けないことを嘆いているのである。いわんや我々凡人をや、である。「人格」を市民だとか、大人だとか、その程度のレベルで不正確に理解して考えると、教育は完成し得るものかもしれないが、もし私の述べた究極の目標として理解するならば、教育はベストウェイを常に模索としているという意味においてではなく、実際に目標を到達し得ないという意味において、未完であり、おまけに、金輪際、完成する見込みもほとんどないのである。
そうすると、現実的な目標はもう少しレベルを落とした方がよいだろう。たとえば、社会人として、あるいは職業人としてのスタートラインに立てる状態で送り出し、また、いったん社会に出た人たちがより自分の人生(職業ライフ、プライベートライフともに)を豊かに出来る手助けをすることである。後者の点ではやはり、何よりもノウハウの点において職業訓練、職業教育の方が一歩、有利ではないだろうか。ただし、この点をあまり強調しすぎるのも、微妙である。要するに、その職業訓練以外の分野に就職して、中には立派な活躍をしている人もいるので、こういう方たちを掬いとる議論が展開できずに袋小路に陥ってしまう。このあたりの理論的構成は考え直す必要があるだろう。
ちなみに、大学でも職業的意義ある講義が出来るんだという考え方もある。実際、森直人さんの本田由紀批判はまさにその極北である。だが、本田さんに学者としてではなく、教師として要求しているというのはこれは明らかにレトリックである。森さんは謙虚な方なのでみなまで言っていないが、要するに、こんなカリキュラムを組めるのは少なくともその当該分野についての自分なりの専門的蓄積がないと出来ないのである。したがって、その水準をクリアするためには、学者としての能力を当然要求されるのである。こんな学力水準を相場とするならば、少なくとも人文社会科学系について、大学は既に成立しておらず、そもそも昔から成立していなかったのではないか、という疑いが個人的にはなきにしもあらずである。森さんの言っていることはメチャクチャ過激で、自分の講義について具体例を示せないのは教育社会学の学者としての能力がないといっているに等しい。
大学と深い関係のない方には分かりにくいが、一般に大学の先生の中で研究をやっていない人は教育を実践しているという点で免罪される。そういう奇妙なロジックが存在する。森さんのレトリックはそれを逆手にとっている。しかもご丁寧に教育社会学における本田さんの位置づけをとりあえず高く評価した上で、この論理を使っている。行間を読まないで素直に読めば、あれ?と思うだろう。学者として要求しないの意味はおそらく、学者としての水準をクリアしているから問題にしないということではない。したがって、このレトリックには二重の意図が隠されていて、答えないのは教師としてどうなのかという意味であり、答えられないのは学者としてどうなのかという意味なのである。当然、答えないの中には、答えられないが含まれるのである。げに一番真摯な批判者は一番有難い存在であり、同時に一番恐ろしくもある。
なんで、わざわざ森さんを引き合いに出したかと言うと、専門教育に職業的レリバンスを実装させることは可能であることを示すと同時に、その実現の困難さを表しているからである。森さんがこんなとんでもないことをやってのけたのは、第一に学生への愛情(つまり、こんなしんどいことをやろうと考える胆力)、第二に(本人が満足しないにせよ)学者としての能力、第三にもともと学生さんが自分の職業的イメージを比較的、強く持っている、というような条件が重なったからである。要するに、何を言いたいかといえば、大学の講義で職業的レリバンスなんていったって難しいよね、ということである。
既存の「教育」概念を批判するのは奇道である。学問的裏づけをもって職業訓練・職業教育の存在証明を示すことこそが正道である。それをするだけの材料や条件は十二分にあるように思うのだが、まだ果たされていない。私がもし職業教育ないし職業訓練の実態をよく知っていたら。まことに力及ばず無念である。
2010年05月17日 (月)
昨日、予習したスミスの読書会に出てきました。なんというか、ものすごい会でした。2時間ほどみな喋りたいことを喋って、1時間ほどは少し反省して(?)次回以降の方向を考えたという感じでしょうか。規範理論班から宮寺先生、現代社会班からイギリス史の岩下さんを加え、さらに稲葉さんも参戦されました。歴史班では私が好き勝手に喋り過ぎた感は否めず、あまり反省していませんが、反省が必要かもしれません。
実況中継的に言えば、森さんと吉田さんがレジュメに沿ってお話されて、その後はフリーディスカッションでした。その場でもその後も言わなかったですが、吉田さんがスミスを評価するときに「すごい作業量」という点に触れていたのを聞いて、やっぱり歴史の人は分野が違っても同じなんだなと感じました。まず信用するか否かは作業量(笑)。それにしても、誰もが実況中継を諦めるほど、話が拡散しました。収拾させる気もなかったというところでしょうか。
理論科研全体のことを考えると、宮寺先生が規範班からいらして、様々な議論を振ってくださったのは大変、有難かったと思います。先生からは、思想をやっていると現代思想から直輸入で現在の社会構想を考える傾向があるけれども、徳川時代から現在に続いている日本的な固有性は何かという問題提起がありました。これはスミスの権利論の日英米比較を受けての話です。そこから、そもそも大陸法と英米法は違うし、英米だけでいいのかというような議論を私が出したら、それを受けて稲葉さんからアメリカはコンスティチューション・ローを最初に作ったし、いろいろな意味で特別という話を出されました。それにしても、イロコイの話を出したとき、打てば響くように返されたのには驚きました。でも、おそらくイロコイの話は他の人があまり議論していないので、多分、色物ではない、まともな研究ではありそうだけれども、稲葉さんも私もまだちょっとどう捉えてよいのかすわりが悪いという感じでしょうか。
岩下さんからスミスはE・P・トムソン批判を念頭においているが、トムソンの初期工場の時代に労働者階級が出来たという話は今は見直されてきているというご指摘がありました。どういう風に見直されているかといえば、それは一部の労働貴族みたいな話ではないか、という感じだそうです(うろ覚えですみません)。実証的な作業としては、組織のコアになる部分を扱っているけれども、それで全体が見えるのかという問題は残っている、と私も話しました。この点に関連してもう一つ、宮寺先生から出された問題で重要なのは、面白いエピソードが綴られているけれども、これは本当に繋がっているのか、ということでした。この点は稲葉さんが、経済史等の研究成果をお話されて、そういうバックグラウンドがあれば、繋げて読むことは可能だというフォローをされました。ただし、宮寺先生の批判は社会史研究の本質的な問題を突いています。
我々歴史の人間がその研究を信用するか否かは、作業の量と質、のような気がします。はっきりいえば、考証レベルの工夫などはいくらでもあり得るのですが、それ以前に前提として、誠実に作業しているかどうかをやはり歴史を勉強した人間は見ると思います。その基準で行けば、少なくともスミスの研究に文句はありません。にもかかわらず、話が大きいだけにアナザーストーリーもあり得たのではないか、という疑問は出てきます。そこで完全に不毛な議論にしないために、とりあえずの足場を確保しておくという必要があるのですが、その一つの方法が稲葉さんのフォローと見ることも出来るでしょう。私個人は歴史には断絶と連続の両側面があって、先行研究の立ち位置によって、強調の度合いが変わってこざるを得ない、と考えています。
教育と労働の肌合いの差、というのは、細かいところでお互いに感じることが出来たような気もします。稲葉さんや私からすると、戦時労働から戦後への歴史はまだ信頼できる通史と呼べるようなものが出されていない、というのは常識です。が、教育社会学の歴史の方ではとりあえずの説明が出来ている?そうです。この点はカルチャーショックだったようです。私には、教育は労働と違って、ひとつの制度を変更すると、その影響がすごい大きい、というような話が印象的でした。宮寺先生の小学校体験のお話も面白かった(笑)。
そうそう、大正期というのは、労働の世界では戦争の影響で組合の発言権が強くなり、それによって様々なことが変わっていく大変革期であるわけですが、その一方で教育分野でも新教育運動(大正自由教育運動)が起こってくる。で、宮寺先生はデューイ来日、日本を諦め、中国に渡っていった、そんな話を紹介され、それと日本の西洋概念の受容過程との関係を問題提起されたんですが、結局、そこは詰められなかった。また、この時代をどう捉えるか、ということも議論が不十分でしたね。仕方ないけど、話が大きすぎるので。
そういえば、中西先生の影響力の話を少し稲葉さんと議論しましたが、小谷さんのお名前を出し忘れ、したがって、必然的に「レールム・ノヴァールム」の存在もすっかり忘れてました。日本の道徳問題を考える際に、西洋を比較軸として出すならば、これを忘れてはなりませんでしたが、何をボーっとしていたんだろう。
書き忘れたことも多いかもしれませんが、とりあえず、このあたりで。ちなみに、私から出した問題提起はあげてません。当たり前ですが、私の中で新鮮味がないからです。さて、次回はいよいよ戦後の教育社会学、清水義弘に入っていきます。どうなるか乞うご期待。
実況中継的に言えば、森さんと吉田さんがレジュメに沿ってお話されて、その後はフリーディスカッションでした。その場でもその後も言わなかったですが、吉田さんがスミスを評価するときに「すごい作業量」という点に触れていたのを聞いて、やっぱり歴史の人は分野が違っても同じなんだなと感じました。まず信用するか否かは作業量(笑)。それにしても、誰もが実況中継を諦めるほど、話が拡散しました。収拾させる気もなかったというところでしょうか。
理論科研全体のことを考えると、宮寺先生が規範班からいらして、様々な議論を振ってくださったのは大変、有難かったと思います。先生からは、思想をやっていると現代思想から直輸入で現在の社会構想を考える傾向があるけれども、徳川時代から現在に続いている日本的な固有性は何かという問題提起がありました。これはスミスの権利論の日英米比較を受けての話です。そこから、そもそも大陸法と英米法は違うし、英米だけでいいのかというような議論を私が出したら、それを受けて稲葉さんからアメリカはコンスティチューション・ローを最初に作ったし、いろいろな意味で特別という話を出されました。それにしても、イロコイの話を出したとき、打てば響くように返されたのには驚きました。でも、おそらくイロコイの話は他の人があまり議論していないので、多分、色物ではない、まともな研究ではありそうだけれども、稲葉さんも私もまだちょっとどう捉えてよいのかすわりが悪いという感じでしょうか。
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岩下さんからスミスはE・P・トムソン批判を念頭においているが、トムソンの初期工場の時代に労働者階級が出来たという話は今は見直されてきているというご指摘がありました。どういう風に見直されているかといえば、それは一部の労働貴族みたいな話ではないか、という感じだそうです(うろ覚えですみません)。実証的な作業としては、組織のコアになる部分を扱っているけれども、それで全体が見えるのかという問題は残っている、と私も話しました。この点に関連してもう一つ、宮寺先生から出された問題で重要なのは、面白いエピソードが綴られているけれども、これは本当に繋がっているのか、ということでした。この点は稲葉さんが、経済史等の研究成果をお話されて、そういうバックグラウンドがあれば、繋げて読むことは可能だというフォローをされました。ただし、宮寺先生の批判は社会史研究の本質的な問題を突いています。
我々歴史の人間がその研究を信用するか否かは、作業の量と質、のような気がします。はっきりいえば、考証レベルの工夫などはいくらでもあり得るのですが、それ以前に前提として、誠実に作業しているかどうかをやはり歴史を勉強した人間は見ると思います。その基準で行けば、少なくともスミスの研究に文句はありません。にもかかわらず、話が大きいだけにアナザーストーリーもあり得たのではないか、という疑問は出てきます。そこで完全に不毛な議論にしないために、とりあえずの足場を確保しておくという必要があるのですが、その一つの方法が稲葉さんのフォローと見ることも出来るでしょう。私個人は歴史には断絶と連続の両側面があって、先行研究の立ち位置によって、強調の度合いが変わってこざるを得ない、と考えています。
教育と労働の肌合いの差、というのは、細かいところでお互いに感じることが出来たような気もします。稲葉さんや私からすると、戦時労働から戦後への歴史はまだ信頼できる通史と呼べるようなものが出されていない、というのは常識です。が、教育社会学の歴史の方ではとりあえずの説明が出来ている?そうです。この点はカルチャーショックだったようです。私には、教育は労働と違って、ひとつの制度を変更すると、その影響がすごい大きい、というような話が印象的でした。宮寺先生の小学校体験のお話も面白かった(笑)。
そうそう、大正期というのは、労働の世界では戦争の影響で組合の発言権が強くなり、それによって様々なことが変わっていく大変革期であるわけですが、その一方で教育分野でも新教育運動(大正自由教育運動)が起こってくる。で、宮寺先生はデューイ来日、日本を諦め、中国に渡っていった、そんな話を紹介され、それと日本の西洋概念の受容過程との関係を問題提起されたんですが、結局、そこは詰められなかった。また、この時代をどう捉えるか、ということも議論が不十分でしたね。仕方ないけど、話が大きすぎるので。
そういえば、中西先生の影響力の話を少し稲葉さんと議論しましたが、小谷さんのお名前を出し忘れ、したがって、必然的に「レールム・ノヴァールム」の存在もすっかり忘れてました。日本の道徳問題を考える際に、西洋を比較軸として出すならば、これを忘れてはなりませんでしたが、何をボーっとしていたんだろう。
書き忘れたことも多いかもしれませんが、とりあえず、このあたりで。ちなみに、私から出した問題提起はあげてません。当たり前ですが、私の中で新鮮味がないからです。さて、次回はいよいよ戦後の教育社会学、清水義弘に入っていきます。どうなるか乞うご期待。
2010年05月16日 (日)
明日の歴史班研究会の予習として久しぶりにスミスを読む。何度読んでもトマス・C・スミスはすごい。改めてその構想力の大きさに感じ入った次第である。ちなみに、ここに書いても、明日のレジュメは切らないので、関係者の皆さん、悪しからずよろしくお願いします。
序章で本人が書いている通り、この本の大きいテーマは日本の近代化がいかに達成されたのかである。スミス本人の歴史観は大きく言って、江戸時代に明治以降の日本の近代化が準備されていた、といってよいだろう。私も大枠ではこの意見に賛成である。
今回、読み直して得心したのはスミスがヴェーバーの官僚制論を下敷きにしていることである。具体的には、第5章の武士階級が農村から切り離され、その結果、官僚化し、必然的にメリトクラシーが出てくるというロジックである。こういう現象が進展すると、大名家そのものよりも実務を担当する武士の方が重要になる。トクヴィルの絶対王政下の官僚制の観察に似ている。また、スミスの議論と関連する本として笠谷和比古の『主君「押込」の構造』があげられるだろう(講談社学術文庫に入った)。スミスの武士論は第5章から第7章で読める。私が官僚化を重視するのは、武士の官僚化が必然的に、その事務の相手方の一部にも官僚化を促すと考えられるからである。その一つの具体例は農村の富裕層に年貢に関わる事務手続きのノウハウが蓄積されることである。この点で第2章の記述が示唆的である。また、商人たちと取引することでもやはり同じことが起きよう。
ただし、よく考えなければならない点は、官僚制論の中でヴェーバーが指摘した非人格的性質の理解である。この場合、対比語は「人格」であろう。ただし、ここで気をつけておく必要があるのは、スミスの考えている非人格的性質はある組織の中で「属人」的評価がなされないということではない。むしろ、力点はある組織の中の属人的評価が他の所属組織(家格、社会的身分など)に規定されないということにある。したがって、その組織限りでの個人ごとのメリット評価は、通常の言葉でいうところの身分制度を打ち壊していくものということが出来る。逆に言うと、スミスはこの問題には触れていないが、学校という別組織の属性が次の組織でのキャリアを決めていくという点を強調するならば、学歴社会を新しい身分社会と捉える古典的な議論は立派に成立するのである。しかし、その問題は差当り、スミスを考える際にはどうでもいい、ないし、重要度が低いように私には思える。
スミスの議論にもし、問題点があるとしたら、彼の分析対象の多くが社会(における)組織の中の枢要な部分を担う人々であることかもしれない。つまり、武士にしても、農家にしても、商人にしても、実際に彼らの生業を動かしていく主要な部分に光が当っているのである。それはある意味では実証手続き上、当然のことでもある。
だが、そのためにもっとも違和感を覚える点もある。具体的にはE.P.トムソンの有名な時間論文への反論になっている第9章である。その意味を説明するには、そもそもトムソンの議論が古典的なマルクスの議論をどれだけ超えているのか、という点に立ち戻って考える必要があるのかもしれない。私の印象では産業化初期の工場では、日本でもイギリスでも、必ずしもチャップリン的な規律ある時間管理が貫徹されていない。なぜなら、そこでいう多くの工場は、マルクス経済学用語でいうところの工場制手工業であったりするので、機械制大工場段階ではないのである。機械制大工場では機械体系が成立することによって労働が機械に規定される形で行われるので、人間の判断する余地が狭くなっていってしまう、と普通は考えられてきた。労働規律も機械に規定されるのである。俗に言う労働疎外論である。こういう見解をマテリアルな次元から解放し、思想や人々の規範にまで拡大しようとしたのがいわゆるマルクス主義社会史であり、トムソンはまさにその代表選手の一人であったといってよいだろう。初期の工場はアメリカでもイギリスでもドイツでも、もちろん、日本でも見られた、親方請負制のように、いわゆる労働者の裁量の余地は意外と大きかった。そこでの職長は彼らなりの方法で時間管理も行うだろうし、それは農村の指導者が志向していたことと似ていたかもしれない。だが、一般に信じられる単調な仕事を繰り返し行うという意味での労働(時間)規律と同一視できるだろうか。この意味での規律を身につけるには、やはり、近世とは切り離された形で労務管理が必要であったのである。トムソンの議論が日本には必ずしも当てはまらないということを論じるために、かえって彼が作った枠組みに引っ張られてしまったのだろう。
そして、もう一つ、スミスがインプリシットに、しかし、おそらくは意識して論じているのは日本における「公共性」の問題である。ここに踏み込めないと、自然法との対比、近代立憲君主制国家、恩恵の権利の意味などなど、解き明かすことが出来ないであろう。しかし・・・、問題の大きさと眠さから考えて、このあたりで諦めよう。
ちなみに、レジュメを切らない理由は、教育制度との関係で論点を作るのが差当り面倒だからである。その場の流れの中であわせていこう。
序章で本人が書いている通り、この本の大きいテーマは日本の近代化がいかに達成されたのかである。スミス本人の歴史観は大きく言って、江戸時代に明治以降の日本の近代化が準備されていた、といってよいだろう。私も大枠ではこの意見に賛成である。
今回、読み直して得心したのはスミスがヴェーバーの官僚制論を下敷きにしていることである。具体的には、第5章の武士階級が農村から切り離され、その結果、官僚化し、必然的にメリトクラシーが出てくるというロジックである。こういう現象が進展すると、大名家そのものよりも実務を担当する武士の方が重要になる。トクヴィルの絶対王政下の官僚制の観察に似ている。また、スミスの議論と関連する本として笠谷和比古の『主君「押込」の構造』があげられるだろう(講談社学術文庫に入った)。スミスの武士論は第5章から第7章で読める。私が官僚化を重視するのは、武士の官僚化が必然的に、その事務の相手方の一部にも官僚化を促すと考えられるからである。その一つの具体例は農村の富裕層に年貢に関わる事務手続きのノウハウが蓄積されることである。この点で第2章の記述が示唆的である。また、商人たちと取引することでもやはり同じことが起きよう。
ただし、よく考えなければならない点は、官僚制論の中でヴェーバーが指摘した非人格的性質の理解である。この場合、対比語は「人格」であろう。ただし、ここで気をつけておく必要があるのは、スミスの考えている非人格的性質はある組織の中で「属人」的評価がなされないということではない。むしろ、力点はある組織の中の属人的評価が他の所属組織(家格、社会的身分など)に規定されないということにある。したがって、その組織限りでの個人ごとのメリット評価は、通常の言葉でいうところの身分制度を打ち壊していくものということが出来る。逆に言うと、スミスはこの問題には触れていないが、学校という別組織の属性が次の組織でのキャリアを決めていくという点を強調するならば、学歴社会を新しい身分社会と捉える古典的な議論は立派に成立するのである。しかし、その問題は差当り、スミスを考える際にはどうでもいい、ないし、重要度が低いように私には思える。
スミスの議論にもし、問題点があるとしたら、彼の分析対象の多くが社会(における)組織の中の枢要な部分を担う人々であることかもしれない。つまり、武士にしても、農家にしても、商人にしても、実際に彼らの生業を動かしていく主要な部分に光が当っているのである。それはある意味では実証手続き上、当然のことでもある。
だが、そのためにもっとも違和感を覚える点もある。具体的にはE.P.トムソンの有名な時間論文への反論になっている第9章である。その意味を説明するには、そもそもトムソンの議論が古典的なマルクスの議論をどれだけ超えているのか、という点に立ち戻って考える必要があるのかもしれない。私の印象では産業化初期の工場では、日本でもイギリスでも、必ずしもチャップリン的な規律ある時間管理が貫徹されていない。なぜなら、そこでいう多くの工場は、マルクス経済学用語でいうところの工場制手工業であったりするので、機械制大工場段階ではないのである。機械制大工場では機械体系が成立することによって労働が機械に規定される形で行われるので、人間の判断する余地が狭くなっていってしまう、と普通は考えられてきた。労働規律も機械に規定されるのである。俗に言う労働疎外論である。こういう見解をマテリアルな次元から解放し、思想や人々の規範にまで拡大しようとしたのがいわゆるマルクス主義社会史であり、トムソンはまさにその代表選手の一人であったといってよいだろう。初期の工場はアメリカでもイギリスでもドイツでも、もちろん、日本でも見られた、親方請負制のように、いわゆる労働者の裁量の余地は意外と大きかった。そこでの職長は彼らなりの方法で時間管理も行うだろうし、それは農村の指導者が志向していたことと似ていたかもしれない。だが、一般に信じられる単調な仕事を繰り返し行うという意味での労働(時間)規律と同一視できるだろうか。この意味での規律を身につけるには、やはり、近世とは切り離された形で労務管理が必要であったのである。トムソンの議論が日本には必ずしも当てはまらないということを論じるために、かえって彼が作った枠組みに引っ張られてしまったのだろう。
そして、もう一つ、スミスがインプリシットに、しかし、おそらくは意識して論じているのは日本における「公共性」の問題である。ここに踏み込めないと、自然法との対比、近代立憲君主制国家、恩恵の権利の意味などなど、解き明かすことが出来ないであろう。しかし・・・、問題の大きさと眠さから考えて、このあたりで諦めよう。
ちなみに、レジュメを切らない理由は、教育制度との関係で論点を作るのが差当り面倒だからである。その場の流れの中であわせていこう。
2010年05月13日 (木)
今週に入ってどうやら、アスペルガー症候群の話に縁があるらしく、職場でも何度か話題になり、そして、濱口さんのブログでも話題になっている。というか、月曜に聞いた話、新書とは聞いてたけど、こんなところでネタ元が分かるとは(驚)。この引用箇所とまったく同じ話でした。
歴史研究者として言うと、濱口さんがご紹介されたお二人は単純に事実をご存じないんだろうなという感じがあるので、念のためにその点について書いておきます。濱口さんが書かれている日本型雇用システムというのはかなり労働研究オリエンテッド、ブルーカラーに傾いた理解による議論です。専門的に言えば、氏原正治郎=兵藤という研究者のルートですね。でも、一般に日本的経営と言われてきた日本企業の特徴はむしろ「熟議による民主主義」なんです。そう、稟議制度です。これは室町時代に遡ることが出来るといわれていますが、真偽のほどはよく分かりません。ただ、気をつけていただきたいのは、稟議制度は全然、ペーパーレスではありません。
また、日本は世界でももっとも徹底的に職務分析をやった国の一つです。少なくとも、1910年代にあそこまで徹底して時間・動作研究をやったのは日本の紡績以外になかった。それから、戦後は自動車や鉄鋼でもやられますね。でも、中小企業ではあまりやられていない。その点は昔から問題視されてきたけれども、測定コストなどを考えたら、規模の経済が効かないとペイしないんですよね。この点はよくよく知っておいて欲しいところです。
その一方で「日本では空気が物事を決めていく」というのは亡くなった山本七平さんの有名な議論です。丸山真男の無責任体制論を一歩深めた議論です。山本さんは日本では文章で書いてあっても信用しない、実際、企業には定款があるけれども、従業員の中にそれを読んだことのある人はいない、そういう印象的な書き出しから始めます。これ自体は今から見るとレトリックだと思うけど、山本七平の著作は今でも考える価値のあるものが多いと思います。ただし、誤解のないように言っておきますと、アメリカでも紙に書いたもの以外で物事が決まることはあるんですよ。ビハインド・ザ・カーテンというやつですね。それにプロテスタントの山本さんの議論の有名なものに、西洋では聖書を文字通り読むけれども、日本では行間を読むというものがあります。後半はたしかにそうかもしれないけど、西洋にもそういう人はいるんじゃない、という気がします。
2000年代に入って、KYなどの言葉に象徴されるように、にわかに「空気」という言葉が再び注目されています。最近、読んだ本の中では藤川大祐『ケータイ世界の子どもたち』講談社現代新書で触れられていた同調圧力という考え方が興味深かったです。集団の中で多くの人の考えや行動に同調させる社会的圧力のことだそうです。ただ、近年の同調圧力と森直人さんが研究されている個性化教育との関連がどの程度あるのか、あるいはないのか、そのあたりも興味深いです。
以上は半分くらい、研究者として見ると、という話です。
それとは別に「熟議による民主主義」という考え方は大事だと思います。これはおそらく、アーノルド・ミンデルの深層民主主義という議論を下敷きにしているんでしょう。ミンデルはMITで物理学を修めた後、ユング研究所で分析心理学を学んでいった人です。彼自身はユングを突き抜けていって、奥さんのエイミーと一緒に世界中を駆け回りながら、プロセス指向心理学というものを開きました。福祉系でこういうことに関心がある方は、ぜひここのワールドワークの話をお読みになるといいでしょう。ただ、科学的思考から離れられなかったり、思想から入りたい方はいきなり入ると間違いなく拒否反応を起こしますので、もう少し回り道をする必要がありそうです。じゃあ、どういう道を行けばいいのかという話になりますが、この話を研究者モードですると長くなるので、それはそのうち(ということにしましょう)。
こんなのばっかりですが。
歴史研究者として言うと、濱口さんがご紹介されたお二人は単純に事実をご存じないんだろうなという感じがあるので、念のためにその点について書いておきます。濱口さんが書かれている日本型雇用システムというのはかなり労働研究オリエンテッド、ブルーカラーに傾いた理解による議論です。専門的に言えば、氏原正治郎=兵藤という研究者のルートですね。でも、一般に日本的経営と言われてきた日本企業の特徴はむしろ「熟議による民主主義」なんです。そう、稟議制度です。これは室町時代に遡ることが出来るといわれていますが、真偽のほどはよく分かりません。ただ、気をつけていただきたいのは、稟議制度は全然、ペーパーレスではありません。
また、日本は世界でももっとも徹底的に職務分析をやった国の一つです。少なくとも、1910年代にあそこまで徹底して時間・動作研究をやったのは日本の紡績以外になかった。それから、戦後は自動車や鉄鋼でもやられますね。でも、中小企業ではあまりやられていない。その点は昔から問題視されてきたけれども、測定コストなどを考えたら、規模の経済が効かないとペイしないんですよね。この点はよくよく知っておいて欲しいところです。
その一方で「日本では空気が物事を決めていく」というのは亡くなった山本七平さんの有名な議論です。丸山真男の無責任体制論を一歩深めた議論です。山本さんは日本では文章で書いてあっても信用しない、実際、企業には定款があるけれども、従業員の中にそれを読んだことのある人はいない、そういう印象的な書き出しから始めます。これ自体は今から見るとレトリックだと思うけど、山本七平の著作は今でも考える価値のあるものが多いと思います。ただし、誤解のないように言っておきますと、アメリカでも紙に書いたもの以外で物事が決まることはあるんですよ。ビハインド・ザ・カーテンというやつですね。それにプロテスタントの山本さんの議論の有名なものに、西洋では聖書を文字通り読むけれども、日本では行間を読むというものがあります。後半はたしかにそうかもしれないけど、西洋にもそういう人はいるんじゃない、という気がします。
2000年代に入って、KYなどの言葉に象徴されるように、にわかに「空気」という言葉が再び注目されています。最近、読んだ本の中では藤川大祐『ケータイ世界の子どもたち』講談社現代新書で触れられていた同調圧力という考え方が興味深かったです。集団の中で多くの人の考えや行動に同調させる社会的圧力のことだそうです。ただ、近年の同調圧力と森直人さんが研究されている個性化教育との関連がどの程度あるのか、あるいはないのか、そのあたりも興味深いです。
以上は半分くらい、研究者として見ると、という話です。
それとは別に「熟議による民主主義」という考え方は大事だと思います。これはおそらく、アーノルド・ミンデルの深層民主主義という議論を下敷きにしているんでしょう。ミンデルはMITで物理学を修めた後、ユング研究所で分析心理学を学んでいった人です。彼自身はユングを突き抜けていって、奥さんのエイミーと一緒に世界中を駆け回りながら、プロセス指向心理学というものを開きました。福祉系でこういうことに関心がある方は、ぜひここのワールドワークの話をお読みになるといいでしょう。ただ、科学的思考から離れられなかったり、思想から入りたい方はいきなり入ると間違いなく拒否反応を起こしますので、もう少し回り道をする必要がありそうです。じゃあ、どういう道を行けばいいのかという話になりますが、この話を研究者モードですると長くなるので、それはそのうち(ということにしましょう)。
こんなのばっかりですが。
![]() | ケータイ世界の子どもたち (講談社現代新書 1944) (2008/05/20) 藤川 大祐 商品詳細を見る |
2010年05月12日 (水)
というべきかどうか分からないけど、一応、書いておきます。忘れないように。
日本の生活指導の源流は報徳思想にあります。有名な二宮尊徳です。ですが、普及させたのは本人ではなく、岡田一家です。彼らは日本の青年団を作った源流と言ってもいい。
研究史的には宮地正人先生の『日露戦後政治史の研究』なのはこの時代の歴史を勉強したものには常識でしょう。ここでは地方改良運動にも焦点が当っているんですね。そして、これが青年団→新体制→産業報国会の系譜に流れていく。そのことを批判的に捉えている傾向があります。でも、これを上回るものってあんまりないんです。偉大な先行研究が出ちゃうと、後続は挑みにくいです、たしかに。ただ、教育史の中でも、おそらくこの青年団の運動は注目する必要がありますし、左派的な解釈の中では宮地先生と共通する問題意識を持っていた方は少なくないはずです。そして、それはかなりの程度、当っている、と私は思います。
最近の研究者でここらあたりを掘り下げているのが木下順さんです(本当は先生と呼ぶべきかもしれませんが、なんとなく近い関係なので「さん」づけで)。木下さんとは何年か前にサシで飲みながら、このあたりのことを議論したことがあるんですが、実は私は今でも木下さんの考えているところがよく分からないんです。井上友一に注目されたり、神社局に注目されたり、田沢義鋪に注目されたり、その着眼には私も勉強させてもらってきたし、その意味で学恩もあるわけですが、肝心のところの解釈がなぜか分かり合えてない感じなんですね。でも、聞いたとき、あるいは(書かれたものを)読んだときはバラバラだと思っていたことが後で繋がっていることに気付く、そんな経験もよくあるので、私にとっては謎の研究者です。そう考えていくと、この前の大原の論文は何か枠組みを作ろうと苦心されているのかもしれないけれど、かえって既存の研究に縛られて、木下さん独自の発想の面白さが出てない印象でした。
それはともかく地方改良運動ですね。地方改良運動は地方改革だったんですが、お金がなかったせいもあって、結局キャンペーンになってしまったところがある。そこで初期に影響を与えたのが報徳運動なんですね。これは内務省の中枢に一木喜徳郎がいたからです。一木は東大を出て留学して法科大学の教授もやりますが、初等教育は父親の私塾なんですね。もちろん、二宮の影響を受けている。後に井上が地方改良運動の中心になっていきますが、一木の方が年次が上なので方針はこちらが優先。事実、井上もかなり報徳運動に関わっています。地方改良運動が報徳運動と離れていくのは大正半ばと研究史上では言われています。機関紙の『斯民』を読むとそのことがよく分かる。
この内務省の動きに文部省も呼応するわけです。私は最初、浅はかにも当時の文部省が三流官庁だからそうなのかと思っていましたが、さにあらず(ちなみに、自他共に認める一流は内務省だけでした)。文部省には岡田良平がいたわけです。すなわち、一木の兄です。彼もやはり父親の私塾で教育を受けている。岡田兄弟は非常に出世して、両方ともに文部大臣をやっている。特に、岡田文部大臣の第二期は青年団との絡みでいろいろ重要な感じがするので、調べる必要があると考えてます。
青年団は田沢系と報徳系では大分違いそうです。ちなみに、田沢は協調会でも枢要な地位を一時期占めており、当時は右派と見做されていましたが、最後まで軍部に反対し、大政翼賛会にも入っていません。あまり言われないことですが、総同盟や大日本国防婦人会なんかもそうで、新体制に最後まで反対したのは(社民)右派なんですね。そこは左派評価に微妙に捩れがあるかもしれません。
ここから教育内容と結びつくはず…なんですが、なんか眠くなってきたのでやめにします。すみません。
日本の生活指導の源流は報徳思想にあります。有名な二宮尊徳です。ですが、普及させたのは本人ではなく、岡田一家です。彼らは日本の青年団を作った源流と言ってもいい。
研究史的には宮地正人先生の『日露戦後政治史の研究』なのはこの時代の歴史を勉強したものには常識でしょう。ここでは地方改良運動にも焦点が当っているんですね。そして、これが青年団→新体制→産業報国会の系譜に流れていく。そのことを批判的に捉えている傾向があります。でも、これを上回るものってあんまりないんです。偉大な先行研究が出ちゃうと、後続は挑みにくいです、たしかに。ただ、教育史の中でも、おそらくこの青年団の運動は注目する必要がありますし、左派的な解釈の中では宮地先生と共通する問題意識を持っていた方は少なくないはずです。そして、それはかなりの程度、当っている、と私は思います。
最近の研究者でここらあたりを掘り下げているのが木下順さんです(本当は先生と呼ぶべきかもしれませんが、なんとなく近い関係なので「さん」づけで)。木下さんとは何年か前にサシで飲みながら、このあたりのことを議論したことがあるんですが、実は私は今でも木下さんの考えているところがよく分からないんです。井上友一に注目されたり、神社局に注目されたり、田沢義鋪に注目されたり、その着眼には私も勉強させてもらってきたし、その意味で学恩もあるわけですが、肝心のところの解釈がなぜか分かり合えてない感じなんですね。でも、聞いたとき、あるいは(書かれたものを)読んだときはバラバラだと思っていたことが後で繋がっていることに気付く、そんな経験もよくあるので、私にとっては謎の研究者です。そう考えていくと、この前の大原の論文は何か枠組みを作ろうと苦心されているのかもしれないけれど、かえって既存の研究に縛られて、木下さん独自の発想の面白さが出てない印象でした。
それはともかく地方改良運動ですね。地方改良運動は地方改革だったんですが、お金がなかったせいもあって、結局キャンペーンになってしまったところがある。そこで初期に影響を与えたのが報徳運動なんですね。これは内務省の中枢に一木喜徳郎がいたからです。一木は東大を出て留学して法科大学の教授もやりますが、初等教育は父親の私塾なんですね。もちろん、二宮の影響を受けている。後に井上が地方改良運動の中心になっていきますが、一木の方が年次が上なので方針はこちらが優先。事実、井上もかなり報徳運動に関わっています。地方改良運動が報徳運動と離れていくのは大正半ばと研究史上では言われています。機関紙の『斯民』を読むとそのことがよく分かる。
この内務省の動きに文部省も呼応するわけです。私は最初、浅はかにも当時の文部省が三流官庁だからそうなのかと思っていましたが、さにあらず(ちなみに、自他共に認める一流は内務省だけでした)。文部省には岡田良平がいたわけです。すなわち、一木の兄です。彼もやはり父親の私塾で教育を受けている。岡田兄弟は非常に出世して、両方ともに文部大臣をやっている。特に、岡田文部大臣の第二期は青年団との絡みでいろいろ重要な感じがするので、調べる必要があると考えてます。
青年団は田沢系と報徳系では大分違いそうです。ちなみに、田沢は協調会でも枢要な地位を一時期占めており、当時は右派と見做されていましたが、最後まで軍部に反対し、大政翼賛会にも入っていません。あまり言われないことですが、総同盟や大日本国防婦人会なんかもそうで、新体制に最後まで反対したのは(社民)右派なんですね。そこは左派評価に微妙に捩れがあるかもしれません。
ここから教育内容と結びつくはず…なんですが、なんか眠くなってきたのでやめにします。すみません。
2010年05月10日 (月)
田中萬年先生が「労働」と「勤労」について森戸の意見を紹介してくださっている。森戸の意見は半分くらいは当たっていると思うが、半分くらいは不正確であるような気もするので、いくつか関連する話を紹介したい。
まず、前提として、労資という言葉で含意される「労」は戦前、ほぼ工場労働者であったと考えてよい。労資対立的というのは、一般的に職工対会社であり、もう少し具体的に言えば、職工対職員(管理者)である。職員の中には、もちろん、交渉に立つ前のラダーの人もいるし、そもそもそんなところまでラダーが伸びない給仕のような人たちもいる。だが、彼らは工場労働者(の中心的な人たち)よりもボイスの力が弱いので、戦前も戦後も関心が払われることが少なかった。戦後については津田眞澂先生のデビュー作、『労働問題と労務管理』の中にあるエピソードが象徴的である。
歴史的に見てとりわけ注目すべきなのは、労働運動がほとんど工場労働者とともにあったことである(学卒者も重要な役割を果たしたが、彼らはほとんど専従であろう)。戦前にもホワイトカラーの組合活動はあるにはあったが、有名なのがいくつかあるだけに過ぎない。工場労働者と職員を比較すると、職員の方が上であったと考えられがちだが、実際には工場労働者の上位層は下層職員よりも給料がよかったし(ただし、命の危険を伴うこともあったが)、多分、エラかったと思われる。エラかったの意味は、大きい顔を出来る、というほどのことである。しかも、下層職員はそういう境遇であったにもかかわらず、声をあげる拠点があまりなかったので、社会労働行政も後手に回なっていた。たとえば、失業対策も遅れるし、健康保険がホワイトカラーもカバーされるようになるのは戦時中である。
「勤労」という言葉が特に重視され始めたのはおそらく1942年ごろの近衛新体制以降であろう(いや、ちゃんと調べるべきだが)。実は、この当時の賃金行政は、職工が厚生省、職員が大蔵省と分かれていた。しかし、職工と職員の間のグレーゾーンが結構、広範に存在しており、このような分断された労働行政は会社の労務管理を混乱させた。だから、統制が始まって直ぐの時期から主として事務上の理由によって、大きくデフォルメしていうと、両者に妙な線引きをして扱ってくれるな、という要求が出されていた(実際はもっとマイルド)。時期が時期であったために、戦争遂行のため国家が第一義とされ、その名において様々な主張がなされたが、実態レベルでも戦時期にホワイトカラーとブルーカラーの接近が起こったのである。そのために、両者を包括する新しい言葉が必要となってきたのである。
森戸は以上のようなことをおそらくは承知した上で、精神労働、筋肉労働で使い分けてるんだから、「労働」で大丈夫だし、その方が時勢に合っていると述べているのである。しかし、別に日本主義者でなくとも、戦後のある時期まで単に労働者といえば、工場労働者(ないし筋肉労働者)のイメージが強く残っていたし、今でも社会的なイメージとして残っているといえば残っている。その意味では「勤労」を使うという主張もそんなにおかしくもないのである。
もちろん、現代から見ると「労働」でよいじゃないかという考えも出てくるだろう。しかし、そこに至る過程で「労働基準法」が果たした役割は計り知れないほど大きいと言わざるを得ない。現代では、おそらく一般的常識としては、労働者は管理者になっていない人であり、周知のように、この定義は「労働基準法」のものである(本当は管理職も状況によっては労働者になるのだが)。この画期的な変更に寄与したのが「使用者」という言葉の発明であることを知る人は少ない(・・・かどうか、はよく分からない)。何れにせよ、「労働者」概念を拡げるまでにはそれなりの年月が掛かったのである。ただし、当時から使い続ければ、森戸のいうように、結果的には労働でよかったといえるかもしれない。その点では、森戸の読みは先見の明があった。
ちなみに、「労働」という言葉がもっとも輝いた時期は日本では1910年代と敗戦直後であって、その一瞬が強烈であればあるほど、どうしてもその後光は薄れていくのである。
私はこの場合、労働でも勤労でもどちらでもよいと思うが、○○という言葉は不適切であるから使ってはいけないという発想については、容易に言葉狩りに繋がりやすいので、その言葉がどんな意味と背景を持っているにせよ、研究者としては警戒すべきであると考えている。
もう一つ付け加えておくと、1920年代に共産党によって作られた天皇制という言葉、およびそれをご丁寧にも護持しようとした国家社会主義の右翼勢力は、明治日本が作った近代立憲君主制をまったく理解できていなかったと私は考えている。だからこそ、天皇機関説の美濃部を糾弾するなどという愚かなことをしても、自分達が正しいと信じて疑わないのである。この話はそのうち、と言いたいところだが、面倒そうなので、しないかもしれない。
まず、前提として、労資という言葉で含意される「労」は戦前、ほぼ工場労働者であったと考えてよい。労資対立的というのは、一般的に職工対会社であり、もう少し具体的に言えば、職工対職員(管理者)である。職員の中には、もちろん、交渉に立つ前のラダーの人もいるし、そもそもそんなところまでラダーが伸びない給仕のような人たちもいる。だが、彼らは工場労働者(の中心的な人たち)よりもボイスの力が弱いので、戦前も戦後も関心が払われることが少なかった。戦後については津田眞澂先生のデビュー作、『労働問題と労務管理』の中にあるエピソードが象徴的である。
歴史的に見てとりわけ注目すべきなのは、労働運動がほとんど工場労働者とともにあったことである(学卒者も重要な役割を果たしたが、彼らはほとんど専従であろう)。戦前にもホワイトカラーの組合活動はあるにはあったが、有名なのがいくつかあるだけに過ぎない。工場労働者と職員を比較すると、職員の方が上であったと考えられがちだが、実際には工場労働者の上位層は下層職員よりも給料がよかったし(ただし、命の危険を伴うこともあったが)、多分、エラかったと思われる。エラかったの意味は、大きい顔を出来る、というほどのことである。しかも、下層職員はそういう境遇であったにもかかわらず、声をあげる拠点があまりなかったので、社会労働行政も後手に回なっていた。たとえば、失業対策も遅れるし、健康保険がホワイトカラーもカバーされるようになるのは戦時中である。
「勤労」という言葉が特に重視され始めたのはおそらく1942年ごろの近衛新体制以降であろう(いや、ちゃんと調べるべきだが)。実は、この当時の賃金行政は、職工が厚生省、職員が大蔵省と分かれていた。しかし、職工と職員の間のグレーゾーンが結構、広範に存在しており、このような分断された労働行政は会社の労務管理を混乱させた。だから、統制が始まって直ぐの時期から主として事務上の理由によって、大きくデフォルメしていうと、両者に妙な線引きをして扱ってくれるな、という要求が出されていた(実際はもっとマイルド)。時期が時期であったために、戦争遂行のため国家が第一義とされ、その名において様々な主張がなされたが、実態レベルでも戦時期にホワイトカラーとブルーカラーの接近が起こったのである。そのために、両者を包括する新しい言葉が必要となってきたのである。
森戸は以上のようなことをおそらくは承知した上で、精神労働、筋肉労働で使い分けてるんだから、「労働」で大丈夫だし、その方が時勢に合っていると述べているのである。しかし、別に日本主義者でなくとも、戦後のある時期まで単に労働者といえば、工場労働者(ないし筋肉労働者)のイメージが強く残っていたし、今でも社会的なイメージとして残っているといえば残っている。その意味では「勤労」を使うという主張もそんなにおかしくもないのである。
もちろん、現代から見ると「労働」でよいじゃないかという考えも出てくるだろう。しかし、そこに至る過程で「労働基準法」が果たした役割は計り知れないほど大きいと言わざるを得ない。現代では、おそらく一般的常識としては、労働者は管理者になっていない人であり、周知のように、この定義は「労働基準法」のものである(本当は管理職も状況によっては労働者になるのだが)。この画期的な変更に寄与したのが「使用者」という言葉の発明であることを知る人は少ない(・・・かどうか、はよく分からない)。何れにせよ、「労働者」概念を拡げるまでにはそれなりの年月が掛かったのである。ただし、当時から使い続ければ、森戸のいうように、結果的には労働でよかったといえるかもしれない。その点では、森戸の読みは先見の明があった。
ちなみに、「労働」という言葉がもっとも輝いた時期は日本では1910年代と敗戦直後であって、その一瞬が強烈であればあるほど、どうしてもその後光は薄れていくのである。
私はこの場合、労働でも勤労でもどちらでもよいと思うが、○○という言葉は不適切であるから使ってはいけないという発想については、容易に言葉狩りに繋がりやすいので、その言葉がどんな意味と背景を持っているにせよ、研究者としては警戒すべきであると考えている。
もう一つ付け加えておくと、1920年代に共産党によって作られた天皇制という言葉、およびそれをご丁寧にも護持しようとした国家社会主義の右翼勢力は、明治日本が作った近代立憲君主制をまったく理解できていなかったと私は考えている。だからこそ、天皇機関説の美濃部を糾弾するなどという愚かなことをしても、自分達が正しいと信じて疑わないのである。この話はそのうち、と言いたいところだが、面倒そうなので、しないかもしれない。
2010年05月08日 (土)
前のエントリで私が書いた、
を森さんが拾ってくれました(ねじれの補足)。しかし、適当に書いただけなのに、そんなに実証的に(?)リアルに語られるくらい当っているらしいとは驚きです(苦笑)。私が揶揄したのは、むしろ前者です。後者は論理の必然からそうなるというだけに過ぎませんでした。というか、森さん、通り一本、渡ってくればよかったのに。その頃の労働はおそらく近年では(といってももう随分前ですが)、議論するにはかなりのタレントが揃っていたと思います。残念。埼玉の禹さんとか、福島の熊沢さんとか、信州の井上さんとか、岩手の藤原さんとか、一橋の猪飼さんとか。本当はもうちょっといらっしゃるんですが、以上は学会で大体、お会いするメンバーで、多分、書いても怒られない方々です。
労働部門にポストモダンの波がやってこなかったのは、これも人物で説明できます(笑)。熊沢誠先生という大スターがいらしたからです。別にカタカナが混じった厚い本を読まなくとも、みんな、お話を聞きたい欲求を解消できたわけですね。あとはちょっと人気は落ちますが、栗田先生の『日本の労働社会』でしょうか。マニアは石田光男先生の『賃金の社会科学』と『仕事の社会科学』も好きかもしれません。かつて日本の文学青年には左翼が多く、右の人よりも柔らかい読みやすい文章を書いた(そのもう片方で中西先生のような、お世辞にも読みやすいとは言えない文章をお書きになる方がいらした)。というか、ある時期までの日本の近代文学の主要な部分をプロレタリア文学が支えたという事情もあるので、そのあたりの特殊事情が大きいんじゃないでしょうか。何しろ読み口はいいし、分かった気分に浸れます。ただ同じ左といっても、熊沢さんは相当に厳しい批判の矢面に立ってきました。それはかつてタレントが豊富であった時代の左派的労働研究者の健全さであったかもしれません(あれ、これやばいかな)。現在、左系にめぼしい人がいないのは労働も同じじゃないでしょうか。中西先生や二村先生のように、その立場を肯定するか否かは問わず、とにかく勉強してみたいと思わせるアトラクティブな人は私の知る限りではいません。
それはともかく、理論科研のあまりの壮大さに驚きました。ただし、断層はあくまで左派の人たちの内輪の問題であって、だからこそ、私は左派運動これでいいの?と揶揄したわけですが、それは全体の中の部分なので、おそらく理論科研はそんな狭いレベルではダメだと考えています。ちなみに、気を遣っていただいて恐縮なんですが、この研究全体が労働研究に資するかどうかなど、きわめてどうでもいい問題です。と、書くと、じゃ、なんで参加してるんだろう?と思われるでしょう。それは秘密です(笑)。
多分、森さん、段々、眠くなってきたんだと思いますが(笑)、主観的にはこの二つは別です。森戸さんに注目するのは、かつて戦時統制の資料を読んでいたときに培った「政策研究は結局、人で決まっている」という勘が経験上ありまして、多分、25年近くも中枢にいた人はきっと大事だろう、と。それだけの理由です。杉原さんについて注目しなければならないと思うのは法に対する洞察で、おそらくこれが「人格」に注目する観点と重なっています。私の過去エントリでいえば吉田耕太郎論文メモです。そういう意味では、杉原さんは実際に政策形成に影響を与えた登場人物の発言などを追っていますが、私はそれ以上のもの、まさに規範理論に関わる領域についても彼の著作に期待しています。そして、その観点は「個人」よりもそれを超える領域=秩序を捉えています。杉原さんについてはもう少し勉強した時点で書きます。おそらく、それが田中先生が書かれている「非教育」の論理の問題提起に対する答えにもなってくるんだろうと思います。ただ、自然法やコモンローの考え方は絶望的に人に分かってもらうのが難しいんですよね。
わずか10年ちょっとの間で忘れ去られたということでしょうか。しかし、こういうことを踏まえないで議論するというのは、意図してやっているならば、伝統的左派運動への裏切りであり、意図せずにやっているならば、深刻な学力低下と言わざるを得ません。
を森さんが拾ってくれました(ねじれの補足)。しかし、適当に書いただけなのに、そんなに実証的に(?)リアルに語られるくらい当っているらしいとは驚きです(苦笑)。私が揶揄したのは、むしろ前者です。後者は論理の必然からそうなるというだけに過ぎませんでした。というか、森さん、通り一本、渡ってくればよかったのに。その頃の労働はおそらく近年では(といってももう随分前ですが)、議論するにはかなりのタレントが揃っていたと思います。残念。埼玉の禹さんとか、福島の熊沢さんとか、信州の井上さんとか、岩手の藤原さんとか、一橋の猪飼さんとか。本当はもうちょっといらっしゃるんですが、以上は学会で大体、お会いするメンバーで、多分、書いても怒られない方々です。
だからこそ,この共同研究だということです。教育研究と労働研究とでは,この間の知的な「断層」と呼ばれるものの深甚さには大きな違いがあるかもしれないとは思うのですが,教育研究における“議論の足場の再構築”に関与していただくことは,おそらく労働研究にとっても無駄ではなかろう,と。
労働部門にポストモダンの波がやってこなかったのは、これも人物で説明できます(笑)。熊沢誠先生という大スターがいらしたからです。別にカタカナが混じった厚い本を読まなくとも、みんな、お話を聞きたい欲求を解消できたわけですね。あとはちょっと人気は落ちますが、栗田先生の『日本の労働社会』でしょうか。マニアは石田光男先生の『賃金の社会科学』と『仕事の社会科学』も好きかもしれません。かつて日本の文学青年には左翼が多く、右の人よりも柔らかい読みやすい文章を書いた(そのもう片方で中西先生のような、お世辞にも読みやすいとは言えない文章をお書きになる方がいらした)。というか、ある時期までの日本の近代文学の主要な部分をプロレタリア文学が支えたという事情もあるので、そのあたりの特殊事情が大きいんじゃないでしょうか。何しろ読み口はいいし、分かった気分に浸れます。ただ同じ左といっても、熊沢さんは相当に厳しい批判の矢面に立ってきました。それはかつてタレントが豊富であった時代の左派的労働研究者の健全さであったかもしれません(あれ、これやばいかな)。現在、左系にめぼしい人がいないのは労働も同じじゃないでしょうか。中西先生や二村先生のように、その立場を肯定するか否かは問わず、とにかく勉強してみたいと思わせるアトラクティブな人は私の知る限りではいません。
それはともかく、理論科研のあまりの壮大さに驚きました。ただし、断層はあくまで左派の人たちの内輪の問題であって、だからこそ、私は左派運動これでいいの?と揶揄したわけですが、それは全体の中の部分なので、おそらく理論科研はそんな狭いレベルではダメだと考えています。ちなみに、気を遣っていただいて恐縮なんですが、この研究全体が労働研究に資するかどうかなど、きわめてどうでもいい問題です。と、書くと、じゃ、なんで参加してるんだろう?と思われるでしょう。それは秘密です(笑)。
たぶん,「森戸辰男」に注目する視点と,「杉原誠四郎」さんへのこの評価というのは同根ですね(←決めつけ)。
多分、森さん、段々、眠くなってきたんだと思いますが(笑)、主観的にはこの二つは別です。森戸さんに注目するのは、かつて戦時統制の資料を読んでいたときに培った「政策研究は結局、人で決まっている」という勘が経験上ありまして、多分、25年近くも中枢にいた人はきっと大事だろう、と。それだけの理由です。杉原さんについて注目しなければならないと思うのは法に対する洞察で、おそらくこれが「人格」に注目する観点と重なっています。私の過去エントリでいえば吉田耕太郎論文メモです。そういう意味では、杉原さんは実際に政策形成に影響を与えた登場人物の発言などを追っていますが、私はそれ以上のもの、まさに規範理論に関わる領域についても彼の著作に期待しています。そして、その観点は「個人」よりもそれを超える領域=秩序を捉えています。杉原さんについてはもう少し勉強した時点で書きます。おそらく、それが田中先生が書かれている「非教育」の論理の問題提起に対する答えにもなってくるんだろうと思います。ただ、自然法やコモンローの考え方は絶望的に人に分かってもらうのが難しいんですよね。