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歴史班の次回課題は清水義弘を読むということらしい。それで少しずつ読み始めている。とりあえずの論点としては、二宮さんがあげている、政策科学としての教育社会学の位置づけ、とりわけ実践的性格をどう理解するか、という点にあるだろう。だが、清水の書いたものに即して言うと、この問題の立て方はいささかミスリーディングになりかねないという印象を持っている。

根本的に理解する必要があるのは、清水義弘は教育社会学者としてスタートしたわけではなく、社会学から教育社会学に入ってきたということである。その含意は「教育」関連学問の外からの目を少なくともキャリアのスタートではかなり持っていたことにある。清水が克服したかったことは教育の神秘化である。ここに二つの立場があってややこしくなる。第一に教育の場合、実践=現場で教えるという考え方があって、それはそれで重要なんだけれども、経験がすべてだという話になると、学問の入る余地がない。そこで客観的にアプローチする方法があり得るんだというのが清水の立場である。教育の神秘化は現代でもいたるところで行われていると思うが、さりとてそれが主流ということはなく、清水のような立場の方が一般的と言えるだろう。第二に、にもかかわらず、清水は傍観者的な立場からではなく、実践を重視する。具体的には政策への介入である。

二宮さんはここに非常に反撥していらっしゃるわけだが、私としては清水の立場はきわめて良心的だと思っている。そのことを説明するには清水の教育計画論をしっかりと押さえる必要がある。が、私の見るところ、そのために必要な文献はUP選書や編著の『教育計画』ではなく『二十年後の教育と経済』とりわけⅠではないかと思う。ちなみに、UP選書は1960年代中ごろの創刊であって『現代日本の教育』はもともと公刊されていたものを後からラインナップの一つに加えたものであった。そして、この本にはこれが『二十年後の教育と経済』の続きであることがはっきり書かれている。というわけで、二宮さんの文献の選び方も私には謎である。ちなみに、私は大河内・清水編『教育改革の課題』をあげ、これがマスト文献になっているのだが、これは清水論文のみを読むためではなく、清水以外の中で清水を考えたかったから、丸々一冊をあげたのである。清水を読むということであれば、当然、考え方も変わってくる。政策科学論争及び教育計画を考えるのであれば、当然、1950年代後半から1960年代前半がまずは重要と考えるべきではないだろうか。ただし、これは意見の相違であって、まことの問題はサイレント・マジョリティである。

私は経済計画との関連から清水は教育計画ということを言っているのかと思い、実際、そう読み取れるところもあるのだが、もっとも根本のところはそうではないらしい。清水の大きい現実的な問題関心は時代認識と表裏一体である。すなわち、戦後の教育改革でいっきに学校教育の規模が拡大し、そのために質の低下を余儀なくされた。しかし、それは教育の機会均等という教育基本法の理念からすれば、問題はあるにしても、高く評価されるべき現象である。ただし、問題点は何かというと、まず量の拡大(数)に重点が置かれたため、質の問題が後回しになってしまったことである。質の問題には今後どういう風にすべきかというビジョンが必要だが、それが欠けていた。産業に従属せずに教育が独立の立場を保つためには、むしろ積極的に教育のビジョンを打ち出すべきである。まことにもっともだという他ない。

では、具体的な考えのポイントはどこかといえば、教育の機会均等である。ただし、清水のいう教育の機会均等は教育基本法の正しい理解であり、すなわち、学校教育だけに限定されたものではない。むしろ、清水は職業教育や企業における教育の意義を重視している。生涯学習という言葉は1960年前後にはまだキーワードとしては使われていないが、アイディアとしては相当に重視されている。しかし、それは今述べた立場からすれば、当然の論理的帰結であろう。これから高等教育の議論も読む必要があるが、この視点はおそらくバックボーンになっている。

だが、そうした反面、1960年代の教育社会学には創業期の不幸な状況があった。たとえば、社会学で自立してやっていけないような落ちこぼれがやってきて、教育社会学と何の関係もない研究をやるという話だ。このあたりの私の認識は「『教育社会学研究』に見る教育社会学史」に尽きる。そうした中で、あえて挑発的にいえば不幸にもかつて清水が批判した学校教育のみを中心に据えることで、教育社会学は他領域から参照されるほどの水準に洗練されてきたといえるのかもしれない。少なくとも、労働分野で参照されてきた天野郁夫、竹内洋、広田照幸らの研究成果に期待されたことはまさに学校をどう理解するかという問題関心への答えであったと思う。ちなみに、竹内以前にも労働分野に踏み入れた研究者もいる。たとえば、麻生誠のホワイトカラー研究がそうである。ただし、ホワイトカラー研究は労働の分野でも90年代に入ってから本格的に始まったので、麻生の研究は圧倒的少数のものにしか言及されなかった。しかし、だからこその理論科研と言えるのかもしれない。

清水の書いたものの中で面白かったのは教員研修がもともと占領軍によってもたらされたという話である。もしそうであるならば、1950年代に通産省、労働省を中心に監督者(再)訓練が喧伝された話と同じ文脈で捉えることができる(少なくとも清水自身はそのことを分かって書いている)。私は46答申の関係でもともと高等教育から出た教員研修がいまや中等教育・初等教育に拡がっていると思っっていたのだが、別の文脈で考え直す必要があるかもしれない。

あ、もう一つ、書いておきたいのは、清水義弘の学校教育中心主義批判は批判のための論理ではない、と私は感じたことである。当時の言葉でいう勤労青年に対して正当な社会的評価、そして、適切な教育(学習)機会を与えるという問題関心がはっきり彼の言説を支えている。

というわけで、続く。たぶん。
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