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この前の「刑務官の待遇改善のための労使関係論」を書いたら、濱口先生が取り上げてくださり、そこで黒川さんがコメントをくださったのですが、忙しかったのでそのままになっていました。いまさら、古い記事にコメントするのもどうかと思ったので、こちらで取り上げます。

多分、消防士のくだりを読んでいると、私が労働三権を上から与えたって意味がないという趣旨のことを書いて、団結への意識の低さを指摘したことが気に障られたのかもしれません。杞憂だったらいいんですが、もしそうだったら、この点については最初に謝ります。申し訳ありません。

ただ、全体としては黒川さんの意見にはガッカリです。おそらく根本的に私と何かを考える姿勢が違うと思うのですが、理論的に考えるのと、現実を変えるために策を練るのは全く違うという点を意識なさっていない。現実に策を練る場合にもっとも大事なことは、ボトルネックがどこかを見極めて、それを打破するにはどうすべきか、という点に絞って問題を考えていくという姿勢です。黒川さんの意見には現実を変えようという意識はまったくなく私の意見が現実にはまったく役に立たないだろうと述べるに留まっています。具体的に申し上げれば「公務員人件費を削減しろ抑制しろ、増税はまかりならんという政治的制約」がボトルネックだとお考えなら、だから、お前の意見はおとぎ話だというのではなくて、自分でそれを打破する策を考えて見てください、ということなのです。そういうのがないと本当に不毛なんですよ。

もし、私が本気で策を練るとしたら、当然のことながら、現場がどうなっているか話を聞きに行きますし、最終的にどうなったらいいかは途中で議論して、それを世に問うかもしれませんが、実際に実行に移すための手段は途中では語らないか、直近のことしか語らないでしょう。ですから、ここから述べることは一般論です。これを題材にそれぞれ考えていただきたい。

まず、団結をして何をするのか、あるいは交渉として何が必要なのか、ということがあります。何かいろいろな意味で私と前提が違うような気がしてきて心配なんですが、労使交渉の意味を文字通り労働者側と使用者側の交渉ないし取引きなどと考えていないでしょうか。使用者側と言ったって、使用者は往々にして権限を委譲された末端の管理職なんです。両方あわせて現場といえるでしょう。労使交渉のエネルギーを梃子にして組織の上やときによっては世論さえも動かしていく。実際、使用者側としてテーブルに着く方からしても、普通の組織構造では通らない意見を労使交渉を契機に認めさせていくという利用法は存在するわけです。そのために何ができるかです。

私としては苦情処理委員会であろうと、組合であろうと、その原初的形態の勉強会であっても、構わないと思うのですが、問題はそこで何を論じるべきかということです。現場に必要な仕事とそれにどれだけの人数(労働力)が掛るかを積み上げです。これだけの人を揃えないと刑務所は回らないよということを明らかにする。そこまで準備できたら、明示的に主張するか否かは戦術によるにせよ、それを根拠に少なくともこの文脈では「公務員削減」は無茶であるということを言えるわけです。もっとも、今だったらもっとも有効な戦術は苦情処理委員会や労組ではなく、事業仕訳けを逆用するのも手ですね。世間的にも注目を集めやすい。前のエントリを書いたときは頭が硬かったな。

次はタイミングですね。

私が前の記事を書いた段階では何もなかったので、まずはその時点で考えていたことを書きます。たとえば、ストを打つということです。争議権がないじゃないかですか。それはそうですね。でも、少し考えてみましょう。ここ数年間で印象に残っているストは何でしょうか。私の中では2008年の漁業と2004年のプロ野球です。両方1日しかやらなかった。それもやる前からストをやる事実上の意味はほとんどなかったんです。でも、彼らは実行した。社会にこういう問題があるよと訴えるために。原油の高騰はまったく消費者にも政府にも直接、責任はない。そんなことは漁業関係者だって分かっていた。みんな、あのストの前から連日ニュースで魚を食べるのが難しくなるかもしれないという話が流されていて関心を持っていたところ、やっぱり苦しいんだということを改めて認識したわけです。この場合、彼らはある程度、同情を獲得していた。また、プロ野球のストは、90年代にアメリカで行われ、ファン離れを加速してしまった苦い経験があるので、非常に苦渋の選択でした。あのときの古田さんは明らかにやりたくないんだ、だけど、やらなきゃならないんだということを上手にアピールしました。その結果、あれによるファン離れは起きなかった。何が言いたいかというと、これらは問題があることを訴える手段なんです。刑務官は本来、ストを起こすべきではない立場にある。しかし、にもかかわらず、ここで訴えなければならない、という文脈だとかえって争議権なんかない方がいい。もちろん、実際、本格的に1日ストを打ったら大変でしょうから、治安維持が出来るギリギリの範囲で、部分的に何かの業務をやらない、という形で十分です。それで十分に社会の関心を集めることが出来るでしょう。プロ野球の例も正にそうでしたが、彼らは決して自分の職業に対するプロ意識を持っていない人ではない、ということをぜひ覚えておいてください。

何れにせよ、このような社会的関心を打つためのストをもし打つならば、その後、何を勝ち取らなければならないか、事前に十分な準備が必要でしょう。これこそが労組でも、苦情処理委員会でも、勉強会でもいいですが、そういうところでやるべきことなんです。チャンスはそう何度も来るわけではない。だから、波が来たらそれに乗る必要があります。

私は数日前にと書きましたが、この数日間で状況が変わりました。それは言うまでもなく千葉法相の死刑廃止論の話です。私が上に書いたストはあくまでも社会的関心を集めるのが目的です。ですから、別に争議でなくとも、社会的関心を集める波が来たら、それに乗っかればいい。というか、ストなんかやらなくてよければやらない方がいいんです。もし事前に私が書いたような線でもっと緻密に戦術を練っていたとしても、この千載一遇のチャンスに全部をご破算にしまえばいい。この間、ジャーナリストの江川昭子さんが死刑廃止反対論をツイッター上で呟いておられましたが、彼女の論拠はまさに死刑を廃止して刑務所が回るのかを起点にしていました(ちなみに、私自身の立場はどちらでもありません。少なくとも団藤先生の本が積読のうちは決められないのです)。が、残念ながら彼女が呟いても、社会的を動かすほどの影響力はない。ただ、下準備は作られています。本当はここに乗っかって、死刑廃止と絡めて刑務所の運営をどうするかの議論を喚起させるというのは一つの有効な戦術であるはずです。そのときにその根拠地が必要だったということなのです。

公務員の削減は自民党時代からずっと重要なトピックだったけど、自民党のときには警察官を増やさせることができたでしょう?もっとも、本当に治安が悪化しているのかという問題があって、不安に煽られた作られたそういう極めて怪しい認識を背景に警察官を増やしてしまったこと自体がよかったのかどうかは議論の余地があるけれども「公務員人件費を削減しろ抑制しろ、増税はまかりならんという政治的制約」であってもやれることはいくらでもあるんです。本当のボトルネックはそれをひっくり返すだけの緻密な戦術と戦略があるかどうか、そして、それを実行に移すだけの勇気があるかどうかにかかっているのではないでしょうか。

なお、念のために言っておきますが、ここに書いてあることはすべて一つの(質の低い)シュミレーションに過ぎません。実際に策を練るにあたっては誰が信用に値し、どこでどのタイミングで行動を起こすか等も具体的に考えていく必要があります。ですから、どんだけ議論を積み重ねても、こんなネット上で議論できること、すなわち、公にしても構わないレベルの議論は机上の空論に過ぎないんです。

ちなみに、こういう問題を考えるときには労使関係論の教科書なんか読んでも全くダメで、読むなら山本周五郎の『樅の木は残った』新潮文庫に限ります。
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前に安原宏美さんから紹介されて浜井宏一さんの著書を何冊か読んだので、刑務所には興味を持っています。社会政策は警察と福祉がセットであったポリツァイを忘れてはならないというのが私のテーゼなので。

江川昭子さんと中村哲治議員のツイートのやりとりに割って入ったんですが、労使関係にかかわる問題で、そんなに複雑なことではないと思うので、簡単に書いておきます。

議論の発端は刑務官の労働条件を向上させるために、江川さんが労働三権のうち、団結権だけは与えたらどうかと問題提起をされ、中村議員からは治安職種に労働三権を与えるのは難しいので、政務三役が政府内でしっかり交渉することが重要と答えられたわけです。そこに@kogemayoさんが、国によっては警察にスト権を与えているところもあると突っ込まれ、江川さん(@amneris84)が返答され、kogemayoさんがそれに対して答えられたツイートです。

労組って、その組織の労働者のためだけじゃなく、その組織を中から監視するものとしても存在意義があるんですけどね。確かに公務員の組合は腐りやすいのは事実とはいえ QT @amneris84 日本では、争議権を与えることには肯定的な国民は少ないような気がする

面白いといっては不謹慎ですが、重要な問題なので、考えてみましょう(こんなことをやってる場合ではないけれど)。珍しく私の意見です。

私はこの間、江川さんに要求を知りたいなら、団結権じゃなくて、団体交渉権を与えるべきとつぶやき、中村議員には「労働三権という形でなくとも、苦情処理委員会のようなフォーマルな形で、事実上の団体交渉を実現させるのは制度上、可能なはず。政務三役は組織内でまとめられたその成果を政府内で交渉すればいい。政務三役に白紙委任なんて出来ない」とつぶやいておきました。

現実的にいえば、団結権・団体交渉権を与えるというのは、あまりよい案ではありません。やや身も蓋もない言い方をすれば、運動には勘違いも必要で、とにかく熱(エネルギー)がないといけません。今、労働運動にそれだけの力を起こすことは出来ません。第一、そんなに刑務所が福祉施設化している現状で、彼らは外国人(凶悪犯罪者じゃなくて、コミュニケーションがうまく出来れば、犯罪者にならなくてすんだような人たち)に対応したり、とにかく業務量が増えています。そこに組合運動を新たに起こすエネルギーはなかなかないでしょう。

次に、スト権ですが、これもあまり意味がないでしょう。ストというのは最終的に交渉と結びつかないと意味がないのです。不満が爆発して暴れたいというだけのストは普通、山猫ストといって、メンバーの中から自然発生的に生じるものであって、禁止しようが起きるときは起きます。でも、この場合、権利として認めたからといって、そんなことは起こらないでしょう。となると、団体交渉がうまくいかなかったときの切り札としてのスト権ということでしょうね。これを与えたところで事態は解決しないでしょう。正味のところ、既存の労働組合でさえも大きなストを長らく打っていないので、組織内でのストのノウハウの継承が難しくなっています。というか、そもそもなんでストを打つのか後進の世代には理解しづらくなっている。こういう時代的背景のなかで、ポンと労働三権を与えますと言ったって、何かが動きだすとも思えないんです。

加えて、中村議員が言うように、政治的にはこんなことを言い出したら、国会が割れるように反対意見が出るでしょう。なんだか分からない/理解できない問題には人は過剰反応を起こすし、ただ昔もめたんだからきっと重要な問題に違いないと理解できる範囲で理解しちゃうでしょう。私は今、書いたように、少なくとも現時点ではどちらでも変わらないと思いますが、まぁ、いったん法律にしちゃうと将来的には何があるか分かりません。ということで、こんなベネフィットが少なく無駄なコストばかりが高い施策はやめた方がいいでしょう。

普通の労使関係においては、労使が対立的と考えられて、一番にどっちが取るか問題ばかりが注目されがちなんですが、その他に、それぞれが同じ機能をめぐって競争するという側面があることを忘れてはなりません。具体的には福利厚生の大部分は歴史的には組合がやっていたものを企業が用意するようになっていったのです。労使対立的に捉える立場からはこれをウェルフェア・オフェンシブといいます。つまり、福祉攻勢で組合活動を骨抜きにしようとしているというわけです。が、ここではそんなことはどうでもよく、要するに、企業側と組合側の活動には機能的に代替可能な領域があることを確認したいのです。逆に、人事についても、組合が人事権に影響を与えるような場合、第二人事部と言われたりしますよね。

ということは、組合側からうまくいかないときは経営側、この場合、行政側で代替的制度を作っちゃえばいい。これが私の意見です。科学的管理法が発展したアメリカで、労働組合を敵視し、排除した企業がどんどん導入した手法、これは苦情処理委員会です。要するに、労働者の不満を吸い上げる機能ですね。苦情といっても単に不満を解消するというカウンセリングとして使うのではなく、今日の企業がカスタマー・センターに寄せられた客からの苦情を新商品の開発のネタとして戦略的に使うように、もっと組織改善に使えるはずなんです。少なくとも理論的には。もちろん、運用上はもっと実態を知らないと何とも言えません。ちなみに、こげぱんさんが言うように、労組はよい意味でも悪い意味でも組織内を第三者的な目で観察するという機能があり得ます。が、それも苦情処理委員会の運用次第で何とかなるでしょう。私が経営側から行けと書いている理由は、ただでさえ忙しいんだから待遇改善は業務の中でやらせろ、ということも含まれています。

この機能を政務官が全部、担うというのは非現実的ですね。彼らはもちろん当事者としてそういう中に加わり、いったん自分も含めて決めたことを、中村議員のいうように外と交渉してくるべき存在です。

労使関係論が頭に入っている人ならば、この程度の思考実験としてはあり得る話だと思います。でも、未だに労働三権が魔法の杖のように考えている人が意外といるんですよね、実際のところ、研究者の中にも。50年くらい前だったらいいですけど、2010年になってそのレベルでしか物事を考えられないようでは困ったものです。

でも、教育ブログっぽくなりつつあったので、ちょうどよかったです。まぁ、教育の話も続けていくと、最後は社会政策的視点つながってきますけどね。
8月7日の検討会に寄稿した書評です。萬年先生のところで言及されていたやつです。

非「教育」と強制の論理
編著者の田中萬年氏は職業訓練論の第一人者であり,また同時に現役の実践者である。田中氏の問題意識は,職業訓練ないし職業教育が普通教育に比べて不当に低く評価されてきた状況を改善しようという点にあるように見受けられる。もし非「教育」の論理のうちに単に社会科学的な考証という意味以上に,こうした現状を打破するための実践的性格が込められているとするならば,その試みは幾つかの意味で失敗に終わっていると言わざるを得ない。私はこの文章を田中説の批判者として,同時に田中氏と志を同じくする者として書きたいと思う。

第一に,「教育」という言葉の起源に「強制」の意義があろうとなかろうとその言葉が未来永劫,その意味を失わないとは言えない。田中氏自身も別の著書では「文学」の語義が江戸時代と現在では違うことを考証されている。現代的な意味で「教育」に問題があるというならば,現に我々が使っている「教育」の用法を考証し,それが「強制」から離れられないことを証明する必要がある。だが,こうした手続きは行われていない。

第二に,田中氏はEducationを「教育」と誤解したという日本の特殊事情が現在の教育の荒廃を導いたかの如く論じられているが,この議論を前提とすれば,第2章で里見実氏が紹介されているジョン・ホルトがなぜ『Educationに代わって』という書名を掲げなければならなかったのかを説明できないだろう。このことは田中氏が論じようとしている現象が日本語か英語かという次元で説明され得ないことを示唆している。田中氏の立論に拠れば,欧米に非教育の論理が存在したことを喜ぶべきではなく,逆に非教育以外の論理が欧米に存在することに驚かなくてはならない。もしEducationの裡に田中氏が主張する「教育」と同じ強制性が存在するならば,Educationの原義から「教育」を排除する論理は成立しないのである。私は「教育」と銘打とうが「支援」と呼ぼうが,実践的にはそれらの営みにおいて「強制性」を排除することなど出来ないと考えている。それでも,もし多くの人がそう受け取るのであるならば,私自身は教育という言葉に必然的に強制性が伴うとは感じないが,言葉自体を廃棄すべきよりも強制性を伴わない実践によってその意味を忘却させることの方が建設的であろう。

第三に,田中氏の堀尾輝久氏への批判は必ずしも的を射ていない。この点は第6章で宮坂広作氏が論じている通りである。もっと強調して言えば,堀尾氏が『現代教育の思想と構造』所収の論文以来主張してきた学習権や「教育への権利」は田中氏の主張にきわめて近い(『人権としての教育』第1章,岩波書店を参照。初出は1976年)。だからこそ,田中氏は正確に普通教育を重視してきた堀尾氏との異同を明確にし,以て職業訓練ないし職業教育のアイデンティティを主張すべきであった。惜しむらくはその橋頭保たるべきエルゴナジーの概念,すなわちペタゴジー(子どもを導く学)とアンドラゴジー(大人を導く学)を統合させようとする試みこそが,勝田守一氏の影響を受けながらペタゴジーに傾斜した堀尾氏の議論への最大の批判になっているにもかかわらず,田中氏は論点として十分に深めていない。

第四に,教育権,すなわち教育を受ける権利よりも学習権がよいとは少なくとも歴史を振り返る限り,簡単には言えない。まず,議論の出発点として佐々木輝雄氏が職業訓練の機能を行政的な観点から見事に分類した三類型を確認したい。すなわち,1新しい技術に触れさせるべしという商工派(商工・通産行政),2最低限の生活保証を得る手段を与えるべしという民生労働派(社会・厚生行政),3教育そのものであるという教育派(文部行政)である。実際には,それぞれが重なり合う性格を持っており,さらに佐々木氏は経路依存性によって県別にその濃淡が違う点を論じている。教育における強制性を考える際に重要な論点は?の文部行政よりも2の社会厚生行政という福祉的視点である。

歴史的にみると「教育を受ける権利」は児童労働への対抗として出てきた。児童労働も徒弟制度のようにその後の職人としてのキャリアへの準備期間であればいいが,今風に言うと,一部の非正規社員のように高度な技能を身につけるための教育機会や訓練機会が与えられているとは限らない,交換可能な消耗品としての労働力機能でしかなかった。言うまでもないが,技能はただ働けば身に付くというものではない。言うまでもなく仕事の内実が重要である。こうした状況を踏まえて,児童に対する普通教育=義務教育の出自を見出したのが堀尾氏の『現代教育の思想と構造』第1部の議論であり,イギリスのワークハウスに職業訓練の出自を見出した佐々木輝雄氏の『技術教育の成立』であった。そこでは国家ないし社会が子どもたちを消耗的な児童労働から強制的に開放して教育を与えるためにの社会秩序の維持という論理が必要であったのであるとされたのである。この場合の対立軸は国家ないし社会と親である。

こうした考えを簡単にデフォルメしよう。親が子どもを酷使した結果,子どもたちが社会の秩序を壊すような行動を起こすようになると,社会のその他の構成員は迷惑を被るので,国家や社会はその予防策として教育すべきである。現代ではその教育を担うのが学校である。

近代になって人権思想が発展すると,社会秩序維持のためではなく,児童労働から解放され,教育を受ける権利は子ども本人がもともと所有しているものであると考えられるようになった。この場合,労働と教育が対立的である理由は子どもが自分の意思で労働に従事していない点に集約できる。田中氏の主張するように学習権という視点からは子どもと大人を区別する必要は生まれないが,強制力を伴う学校システムを否定することがよいか,義務教育の福祉的機能を切り捨ててよいか,改めて問い直すべきであろう。自主と強制をアプリオリに善悪に分ける二元論はあまりにナイーブ過ぎる。

なお,戦後の「教育の機会均等」が学校教育に拘る必要がないことは,職業訓練研究の文脈では佐々木輝雄氏が指摘したが,実は海後宗臣氏などの教育学者も同じような問題意識を持っていたし,海後の問題意識は教育社会学の立ち上げの原動力となったとさえ言える。当然ながら職業訓練を含む一条校以外の教育施設を義務教育として認めるという考え方は成立し得るだろう。だが,たとえば徒弟制度もその中に含めるとなると,話は厄介である。OJTが職業訓練において重要なカリキュラムの一つであることはドイツをモデルとしたデュアルシステムを持ち出すまでもなく自明であるが,現今のインターンシップにおいてその狙いとは別に学生を無料働きさせるために利用する不逞の輩が存在するように,労働と教育を密接に結びつけることには制度運用上のリスクが伴うのである(もっとも学校には別種のリスクが存在するが)。子どもと大人とを統合するエルゴナジーの理念は,学校を卒業した後も学習が継続することを意識させる限りにおいて有効だが,その半面,見えなくなるものもあると意識しておく必要がある。強制力を放棄することによって,学習を支援しない性格を持った労働から子どもたちを守れなくても構わないのであろうか。戦後改革の中で徒弟制度が忌み嫌われたのは単なる偏見だけではなく,それなりの理由があったのである。

陶冶論が示唆するもの
佐々木輝雄氏の分類を参照しつつ,本書の議論を振り返るならば,第6章の宮坂氏と第7章の佐々木英一氏の論考は原理的なレベルから職業訓練(ないし職業教育)を正当に位置づける点において,論点?を深めたということが出来る。その方法は遠くヨーロッパ中世にまで及ぶ一般教養陶冶論と職業陶冶論との対比からの示唆を得ることであった。ただ,田中氏の論考が天皇制国家という左翼用語によって教育勅語の意味がを紋切り型に低く評価しているのは残念である。教育勅語成立の文脈には,明治期前半に欧米から輸入したペスタロッチやヘルバルト主義の教育手法が,陶冶論のようなキリスト教が育んできた思想抜きで,手法としてのみ摂取されたため,思想部分の補完が儒教に求められたことを理解する必要がある。そのことと昭和以降,立憲君主制が崩壊し,教育勅語が悪用されてきた歴史は別の論点として考えなければならない。

何れにせよ,戦後の教育基本法の「人格の完成」は儒教をベースにした教育勅語に対して田中耕太郎をはじめとしてキリスト教思想の顕現であるという点において,両者が一時的に並立していたにもかかわらず,その出自の性格を異にするものであった。その意味でヨーロッパ・キリスト教文化圏の歴史を踏まえた宮坂氏と佐々木氏の陶冶論は,杉原誠四郎『教育基本法の成立』と並んで,「人格の完成」概念の理解に重要な示唆を与えるものであろう。

陶冶論は最終的に人間を超えるものまで視野に収めているが,普通教育であれ職業教育であれ,実際にはそこまで踏み込まず,通俗的な意味で人間形成を考えておけば十分であろう。この次元において,第8章で渡邊顕治氏が論じた領域とさらにその先,すなわち職業訓練と発達心理学をベースにした発達教育学の異同を解明するといった広大なフロンティアが開けているように思われる。より具体的にいえば,カリキュラムレベルから徐々に抽象度をあげていった比較が望ましいだろう。

職人あるいは熟練工論としての職業訓練論を超えた新しい地平へ
日本の職業訓練はその歴史的経緯から第二次産業の人材,特に熟練工の育成が重視されてきた。そのため,職業訓練論においても熟練工育成論の影響が色濃い。本書の中でも渡邊氏が職人論を展開し,第3章の木下氏も大工の西岡常一の経験談から学習を考察している。だが,技能形成論の観点から考えると,熟練工のカンとコツの育成から職業訓練論を展開するのは二つの点で問題がある。

第一に,求められる熟練工の技能がかつてのカンとコツ以上に客観的な形で相手に説明できるものへと変わってきたということがある。しかし,それは熟練工の役割が縮小されたことを必ずしも意味せず,場合によっては今まで技術者以上が携わっていた新商品開発などで発言できるなどの機会が開かれる。熟練工に求められるのはもはや自分一人の腕だけではなく,技術者との対話など多彩である。以上は労使関係研究がこの50年以上現状分析を積み重ねることで明らかにしてきた時代の変遷の姿である。もちろん,究極的にはポランニーの暗黙知のように,言語化できない領域が存在することは否定すべくもない。しかし,そこに拘れば定義により職業訓練の内実は何も説明できないであろう。

第二に,職業訓練から供給される人材を必要とするのは第二次産業だけではない。産業の変動によって求められるのは常に新しいタイプの労働力である。労働力という言葉を忌避するならば,新しい職種と言い換えてもよい。具体的に例を挙げれば,第三次産業のプログラマや介護職だろうか。職業訓練も時代の変遷に対応し,設置されたコースは人気を博している。企業(介護の場合、病院やNPO等)が産業の主要な担い手であることは間違いないが,ステークホルダーも重要な役割を担い,企業等と同様の課題に直面してきた。たとえば,大手紡績企業は軒並み多角化したが,労働組合のゼンセン同盟はそれ以上に多角化に成功した。そして,繊維系の旧実業学校も戦後大学の工学部に組み込まれるなどして,化学分野等に進出してきた。職業訓練や職業教育も同様に守備範囲を少しずつ移動させる。もし,以上で述べた観察が事実であるならば,職業訓練論は第二次産業の熟練工育成論だけではもはや不十分である。そして,同時にそれは職業陶冶論にもある種の新しいフェーズを付け加えることを要求するだろう。なお,この論点は先の佐々木氏の分類に従えば,1を応用したものである。

本書は職業訓練論と教育学の対話が始められた大切な一歩である。しかし,私は非「教育」の論理には職業訓練論として深めるべき余地があまり残されていないように思う。その理由は上で述べてきたとおりだが,端的に言うと,職業訓練だけの特徴を説明していないからである。あえて職業訓練論は佐々木輝雄に帰るべきだと考える次第である。
濱口先生は最後の段落で微妙に誤解されている。そこにジェネレーションギャップを感じた(笑)。私の場合、忘れているのではなく、そもそも知らない。1978年生まれなので。私にとっては1960年代も明治時代も同じく歴史の中の出来事。もちろん、それは今と関係ないという意味ではないが。ま、何れにせよそんなことはどうでもよい。

最近の我々は職業訓練がひどい扱いを受けてきたということに重心を掛け過ぎてきた。1970年以降はあらゆる段階の学校教育もほとんど褒められたことがない。メインストリームであったが故にそのバッシングの浴び方も職業訓練よりもひどかったかもしれない(ただし、無視されるよりはいい、といつ考え方も成立する)。このことを一応、念頭に置いておいた方がよい。

このあたりのことを考えていくと、おそらく実業教育と職業訓練の関係を整理する必要があるように思える。私は大企業時代というより、今も昔も日本は中小企業が大半なので、むしろ普通教育全盛になったのはなぜか、あるいは大企業時代と錯覚したのは何か(二重構造論の煽りもあったような気がするが)という観点から考えていく必要があるように思う。

熟練工を作ろうという実業教育の系譜は、遥か明治時代には東京職工学校や工手学校がある。これが東工大へと転換するのは一つには大正時代だが、こういうニーズがまったくなくなったわけではない。たしかに、公的職業訓練の福祉的役割はあるのだが、それとは別に熟練工を作るという役割も担っていた。その意味で私も熟練工を作っている時代にはまだ経済成長を支えていたという意識を持てただろうという趣旨のことを書いた。企業は一貫して1960年代まで職業教育に期待していた。これに抵抗したのは教育学者を筆頭として、現場の普通教育に携わる教師たち、生徒の親などである。そうした現象はかなりの部分、教育社会学的に説明がつく。

ということで、ここから班長の独壇場である。さあ、舞台は整った。
萬年先生が前に書いた「工場法、旋回の内実」を紹介してくださったが、こんなにもツーカーで分かりあえるものかという驚きと、少しの違和感が残った。時間がないときは人は合理主義者にならざるを得ないので、違和感の方だけ書いて、材料を提供したい。

といっても、本当に大したことではなく、私は日本で職業訓練が冷遇されているのは、稲葉さんのようにその対象が学校・企業というルートからこぼれ落ちる人を対象にしていると考えるのではなく、トレードおよびプロフェッショナリズムが定着していないからだと考えている。というか、江戸時代にはトレードに近いものがあったのだが、明治にはこれを軒並み毀してしまった。学校システムはその後の秩序を新たに構築するものである。調べてみないと何とも言えないが、西洋の職業訓練は一応、過去からの連続性を少なくとも精神的には保っているような気がする(根拠なし)。たとえば、ドイツのマイスターへの敬意はそういうことなしには説明できない。日本の場合、これまた、根拠なく言うが、職人は職人でも最高位の名人になると、何でも極めて神様になってしまう。分かりやすい極端な例を出せば中島敦の『名人伝』。弓の名人だったのに極めすぎて弓が何の道具か忘れちゃう。こうなったら、どの職種かはあんまり問題ではなくなる。それはそれでいい。ただ、この極端な名人志向には、かつて百目鬼恭三郎という朝日新聞にいた鬼のような書評家が、一芸で何かを成し遂げた人に森羅万象なんでも意見を求めるのは日本人の悪い癖と一刀両断していた(ちなみに、このとき切られていたのは数学の広中先生の教育論だった気がする)。そういう側面もあることも否定できない。

それにしても専門職への侮蔑はひどい。「さよなら、図書館。アタシは幸せだったかもしれません。」を涙なしには読めなかった。図書館司書だけではない。文書館を大事にしないのも許せない。専門職があろうことか偏狭な人たちと理解されるとはどういうことか。非正規でしか処遇されないとはどういうことか。社会教育に道徳はいらないから、図書館、博物館、文書館の啓蒙活動をやってくれ。おそらく介護職についても同じことが言えるだろう。

職業訓練は基本的にトレードレベルでのプロ(少なくともエントリ・レベル)を作り出す役割を担っている。しかし、その先のトレード自体が尊敬されていなければ、出口に明るい未来はない。この点ではかつての熟練工はよかった。製造業の熟練工は工場労働者として馬鹿にする人、卑下する人などはいたとしても、日本経済を支えていることを否定する人はいなかった。歴史的にではなく、現在生きる我々の課題としての職業訓練は、きっと働くということの意義さえも問い直さざるを得ない問題を内包している。佐々木先生が「僕達の職業訓練」と語ることが出来たのは、そういう観点から考えてもきわめて味わい深いことのように思われるのである。
森班長(以下、紛らわしいので班長)と稲葉さんが立て続けに刺激的なエントリを書かれたので、それに便乗しましょ。稲葉さんの森重雄批判は面白い。面白いんだが、何か違うという感じを持っている。森論文を読んだら、やっぱり、近代教育をどうやって西洋から摂取したのか、その輸入元の西洋では近代教育がどのような経緯で輸入されたときの状態になっていたのか、という問題意識が強い。

一番の問題点は子どもが基軸になっている点だと思う。まず、やっぱりなぜ学校に子どもを放り込むのか、という点が目につきやすい。これは堀尾御大のテーゼが分かりやすいが、子どもの教育から労働者教育という発展経路が想定されている。たぶん、アリエスを引いている点で、森さんも近いと思う。で、そこでは何が目指されたかというと、やっぱり倫理、徳だよね、という話になっている。

ただ、日本の場合、条件が少し違うだろう。そもそもなぜ教育勅語を出さなければならなかったのかといえば、倫理とか徳とか規範を作ろうという意識が弱いままに学校システムを構築したからである。だから、功利主義の伝道者、福沢諭吉が批判するところの儒教の看板を代えて教育勅語を作る必要があった。そのときに憲法の問題、特に国家有機体説だとか、自然法の継受だとか、そういう問題が絡んでくる。その文脈を無視して天皇の問題を考えてもあまり意味がないだろうと思う。もう一つはオカルト的な側面からも考察する必要があるが、これはちょっと私には今のところ、見通しがない。ただ、宗教をどう考えるかは避けては通れない問題である。

明治以来の教育は基本的には国家に有用な人材を作ることであり、工部大学校は技術者を養成するところであり、東大法学部は官吏を養成するところに他ならなかった。問題意識としてはそこが先にあって、後は西洋の真似をしていったという風に理解すべきだろうと思う。やや遅れて、教養教育ないし普通教育が加えられていったと理解すべきだろう。そして、旧制高校でファッショナブルなキリスト教を中心とした教養教育は、ときには労働者の憧れにもなりながら、しかし、ただ軽薄なだけではなく、たしかに教育基本法という形で結実した。労働者の憧れなどのあたりを理解するためには近代日本文学史の意義づけを必要とするだろう。あえて言うならば、おそらく大正期以降のエリートたちは儒教的なバックグラウンドよりも旧制高校的なキリスト教文化こそが思想的バックボーンであり、その意味でこれを教育勅語体制などと総括するのは間違っている。

時代を少し戻そう。明治30年代はまだ義務教育も完全に普及していなかった。特に女子では。ちょうど、日露戦後始まったのが感化救済事業と地方改良運動、すなわち日本近代の社会教育の本流である。ここに青年団、修養団も全部飲みこまれていくのである。これらの運動の中で立派な人や村などが顕彰されていく。何が言いたいかというと、徳、倫理と呼ばれるものは小学校からではなく、まず大人から作られ始めたということである。そして、初期においては報徳思想に見られるように、極めて復古的色彩も含まれていた。この雑多煮が面白いところである。既存の名士たちも社会教育における教師としてこの運動に参加したのである。その地盤があって、小学校も巻き込まれていくのである。これが小学校だけであったら、とても受け入れられなかったであろう。

ただ、国家主導とはいえ、これらの運動は当初、非常にデモクラティックな性格を持っていた。最後までよく翼賛会に反対したのは右翼と目されていた田沢である。これが1920年代にかけて引っくり返っていく。この流れの背後には当然、社会主義(ないし共産主義)が存在する。ヨーロッパではカトリックは反共組織として保守的な社民主義の中心になっていくが、日本にはその地盤はなかった。せいぜいが貧弱な社会事業の担い手と青臭い理想主義の旧制高校くらいである。あるいは、内村のようないかに生きるかといったある種の道思想に近く、組織とは重点が違う方向への発展がみられた。戦前カトリックのエースはおそらく岩下壮一だが、彼もやはり病人の看護という実践に向かい、病死した。その意味でも組織としての宗教を考える必要がある。

とにもかくにも、こうした国家主導の社会教育が、1920年代の平和政策(軍縮)への反動を梃子に大不況を経て軍国主義化していく。それに対する反撥が丸山真男にあり、大塚久雄にもあった。そして、それを受け継いだ堀尾にもあったというべきであろう。そこで教育行政からの独立としての教育権の考え方が重要になるし、内外事項の区分の話も重視されるのだ。

何が言いたいかというと、よい教育の話と学校システムの話には距離があること。特に、日本の場合、よい教育話を考えるとき、とりわけ戦前については社会教育が重要であること、である。よき教育については、もう一つ重要な論点があるんだけど、まぁ、それは追々。

ちなみに、班長の話に付け加えておくと、高度成長期以降、我々の世代になるまでは大学生の就職難はこんなに問題でなかったから、職業的レリバンスなどというお題目も唱えられなかったが、やっぱり戦前の大不況時代は知的労働者用の職業紹介(あるいは職業訓練)が存在したのである。
これは拾い物でした。猪飼聖紀『合理の熱気球』四海書房、1991年です。タイトル通り、日本の科学的管理法を知るためにはこの本に当たるのがよいでしょう。思わぬ収穫に評価がインフレしている可能性はありますが、私の感覚だと佐々木聡、奥田健二、原輝史(編著)、裴富吉、高橋衛、野田信夫といった科学的管理法研究よりもこちらの方が面白い。もちろん、それぞれ立場もあるんですが。

この本は荒木東一郎という民間コンサルタントに光を当て、その生涯を描いたものです。よく勉強して書いてあるし、遺族や元部下などへの取材も相当に綿密にやられたんでしょう。荒木東一郎の名前は日本における科学的管理法の歴史を研究してきた人ならば、名前は知っていると思いますが、上野なんかに比べてあまり注目度が高いとは言えなかったんです。やっぱり上野は産能大学を残しているし、あそこに上野陽一文庫もあります。それに上野陽一については斎藤毅憲の素晴らしい伝記が書かれている。

単純に驚いたのは、東条英機に向って「アメリカと戦争をやっても負けるからそんなこと考えてないだろうな」と確認したり、戦時中は空襲をあまりにも正確に予測したためスパイ容疑で獄中につながれていたにもかかわらず、戦後は山下大将の助命運動をやってマッカーサーを批判し、逆にマッカーサーから認められるなど、とにかくその怪男児ぶりです。

上野と荒木の関係もこの本を読んでスッと入ってきました。実は1930年代の能率技師たちの立ち位置というのは重要だと思うんですが、そこらあたりもよく分かりましたね。ちなみに、研究上、空白地帯になっているのは、荒木東一郎とそれから海軍の波多野貞夫です。波多野も面白い人でご子息が歴史学者で晩年に伝記を執筆する準備をなさっていたそうですが、惜しくも亡くなられてしまいました。ちなみに、波多野精一がお兄さんなんですね。

すみません。すっかり内容の紹介になってない。でも、この分野はこの時代の経営史、労働史を考えたい人には必読ですよ。お姉さんの郁子の話も面白いです。これは女性史的に意味あります(第2章)。

とにかく筆者の筆力には驚かされました。ぜひお勧めです。
森さんがせっかく紹介してくれたんで、「何となく工場法が作られた経緯を思い出」す経緯を簡単に説明します。そもそも、工場法って何?という方もいらっしゃると思いますが、これは今の労働基準法の戦前版です。説明しだすと、いろいろと違いはありますが、基本的に工場労働者、それも女性と子どもを保護することをメインに作られた法律です。

その工場法が公布されたのは明治44(1911)年です。ですが、これは日露戦争(明治38年)の影響で遅れてしまいこの時期にずれ込んだんですが、基本的には20年代から30年代前半にかけてほぼ原案を作り上げていったんです。細かいことは忘れたんですが、工場法はもともと工場主の監督、労働者の監督がメインだったんですね。なんでかというと、当時、工場は次なる社会不安のもとになるんじゃないかという恐怖があった。一応、幕末の混乱は明治10年の西南戦争で終わるんですが、マルクスのように煽る人たちもいるし、ヨーロッパの方では工場がやばいことになってるらしい、という認識があって、このまま西洋化して経済が発展してきたら、当然、日本でも同じことが起こるだろう、そうすると、次は労働者をなんとかしなきゃいかん、という考えが俄かに出てくるんです。本当はそれに先立って鉱山の方で、社会問題化した事件があって、これが鉱業法に労働者保護規定が盛り込まれるというところまで展開していきました。工場法はそれを受けてのことなんですね。

ところが、法律を作る段階で実業界、いやもっと正確に言うと、紡績業から待ったが掛った。なぜ紡績業から待ったが掛ったかといえば、当該産業が女性やこの当時は幼少の子どもを使っているところもあったので、ダイレクトに規制を受ける産業だったから、というのが普通に考えられる答えでしょう。しかし、実際には、この当時、業界団体は蚕糸業と紡績しかなかった。そういう意味で、労働問題にきちんと発言できる基盤を持っていたのは彼らだけだったんです。蚕糸業の団体も今も続いていますが、これは品質チェックに特化していて、政治的な動きをするという感じではない。だから、実業界で政府から工場法の諮問を受けた具体的には商工会議所と紡績、蚕糸の業界団体だけなんですよ。そのあと、日本工業倶楽部が強くなっていきますけど、これは大正の半ばに作られていきます。

で、この今に続く紡績の業界団体。今は日本紡績協会(紡協と略します)、かつての大日本紡績聯盟(紡聯)です。彼らはいったい何をいったのか。いきなり、外国の、もっと具体的にいえばドイツの営業条例あたりを直訳しないで、まずは日本の現状がどうなってるかちゃんと調べろ、と要求したわけです。そして、彼ら自身も明治41年に「紡績職工事情調査概要報告書」をまとめるわけです。政府側、というか農商務省は基本的に、現状を調べて政策を作りこもうじゃないかという前田正名がこの時期にはもう既に失脚していますので、調べる人がいない。そこで内務省衛生局の窪田静太郎が農商務省に出向という形で、彼がトップになって調査を行います。世に言う「職工事情」です。ちなみに、職工事情より紡績職工事情調査概要報告書の方が出来がいいです。ただし、後者は紡績だけですけどね。両方とも近代デジタルライブラリーで読めますので、検索してみてください。

この調査の過程で、労働者を規制するよりも、彼女たち(女工さんがメインだったので)にはそんな元気はない。むしろ保護することが先決だという話になっていくわけです。これが工場法をめぐって政策が旋回していくという話です。

ちなみに、規制の話も一方で残って、悪名高き治安警察法第25条になっていきます。が、それはまた別のお話です。
と、エントリを別に立てるほどのことはないのだが・・・。

体育会系の学生の処遇をどうするか、ということはしばしば議論になる。私の見るところ、二分される。とにかく自分が勉強してきた人たちは彼らに冷たい。だから何?という感じである。私は基本的には体育会系を高く評価しているし、どちらかというと甘い。客観的にみると、きちんと結果を出しているようなところは、ある意味では職業訓練と同じである。プロやノンプロであっても、彼らはスポーツで身を立てようとしている。少なくともそこを目指している。その点では意識が高いといえる。また、チームでやらなければならないという点において、昔からよく言われるように、ある種の社会訓練を受けているといえる。

が、今回、テストだけ受けて、その答案に言い訳を書いてくる体育会系については基本的に厳しく対応する予定である。内容が悪いからではない。むしろ、経営学の字面を追うより、部活の方がよいかもしれない。しかし、基本的に出席必須の授業で、出席できないならば、事前連絡、事後連絡が必要であり、そういう正式な手続きを踏まないということは私への礼を失している。トヨタの運動部に入って、会社の業務でこんなことしたら認められるわけがない。したがって、このまま甘い顔をするわけには行かない。
今日でようやくのこと、前期の講義が終わった。それぞれ、どうだっただろうか。手ごたえはあっただろうか。学部の方針により出席を取るということなので、その最低条件をクリアさえしたものにとっては私の講義は楽勝科目であったろう(まだ成績は出してないけど)。就職活動中の4年生には出席不足分の救済措置を施したが、2,3年生については問答無用である。

事前にほぼ問題を教えてあるので、テストはそれだけ出来ればよい。語句問題の解答は教えたが、論述(語句説明)は文章にせず骨組みだけ板書して、説明をしただけなので、そこは学生が考えることになっている。といっても、まあ予想通り、おそらく誰か中心の子か、グループがやったものを何人かが参照したものと思われる。サイモンの限定的合理性仮説が経済学が前提とする経済人仮説に対してどのような意味を持っているのかという問題はみんな同じ答えで、きれいに全滅であった。世の心ある先生方はこのような学生たちを嘆かれるかもしれないが、私はとても安心した。

実際のところ、出来る子は放っておいても出来るし、出来ない子はモチベーション管理(カウンセリング、学習の支援!)をしないと出来ない。しかし、そこまで一つの講義で細かく見ることは出来ない。では、その子たちの到達目標はどこらへんに置くべきか。私は仲間と協力し合うことでもいいと思っている。社会科学については新書レベルの本を読みかじった程度では気休め程度にしかならない。まして、自分で洞察したのではなく、他人の本から得た知識を振り回すだけであれば、これはもはや有害である。そういうレベルの研究者もたくさんいるし、実際に見てもきたが、私の教育でそんな人間を世に送り出すようであったら、世間様に対して申し訳が立たない。ぎりぎり決着のところ、自分一人で本を読んで勉強した人間より、自分の分からないことを誰かと協力してやれる人間の方がよい。そして、それを実践するのは本人が意識しなくても、私が何度も講義で強調してきた、組織で働くことの根本、協働の第一歩なのである。インターネットから自分だけネタを探してくるのはあまり感心しないが、仲間うちで相談することは結構である。

私から見ると、流行りの学者の説に乗っかることと、学生のコピペの間に境界線はない(あえて言えば、学生諸君も出典を示せばいいが)。もし完全にコピペがダメだというならば、学者の資格も全員同じにするがいい。たちまち、社会科学系の学会の多くは立ち行かなくなるのではないか。もちろん、現実主義者の私はそんなことをするのがいいと思っているわけではない。

普通に考えて、短期の試験および単位の成績は要領の良いものが得をし、要領が悪いものが損をする仕組みである。が、過去の私自身がそうであったように要領の良い学生というものは教師がそう易々とコントロールできるものではない。彼らは最小限の努力で最大の成果をあげる術を心得ており、向こうの方が一枚も二枚も上手である。実は、こちらがペーパーテストを難しくして、しかし、何とか学生を助けてあげたくて精妙な形でヒントを出そうとすると、もっとも得をするのは彼らである。本当は救ってあげたい子たちには残念ながらサインが届かない。

覚えるタイプの試験で難易度をあげた場合の予想成績分布は、トップ5%が真面目に授業を受け、勉強も熱心に行った学生、次の20%くらいには真面目に取り組んだけど、ちょっと些細な勘違いがいくつかある子、そしてここに要領組が食い込んでくる。彼らを排除することは出来ない。ここから下はコツコツ組と要領組が混然となる。そして、最下層には要領組が姿を消している(そんなところにいるようでは、要領がよいとはいえない)。

優秀な要領組の優位性を飛ばすには、テストで正解することを容易にさせ、格差を縮減するに如くはない。弊害はやや二番手クラスの要領組も上位に顔を出してくることだが、それは止むを得ない。それよりも頑張っても合格当落線上の学生を引き上げることが出来るメリットが大きい。今はGPAなどという愚かなシステムを使って成績をつけるので、60点がボーダーラインになっている。ガチでやると彼らは儚く散ることになる。そして、最悪なのは自分たちが出来なかったことを、やっぱり、あの先生の授業は自分たちの頭では難しかったと総括してしまうことである。まったく危険である。今回は私の希望するところまではほぼ拾えた。

問題は単位が取れるラインには当然ながらいるが、問題を簡単にして格差の縮減を狙ったため、要領組はまとめて上位に顔を出し、自分でコツコツ考えて勉強した子が中堅かやや下になってしまう。しかし、これは数として非常に少ない。数人である。

ちなみに、私はどの講義でも最初のガイダンスに大学の講義との付き合い方を説明する。まず、最初にテストの点数を取ることと、勉強は異なることから入る。この時点で問題を予め教えることを予告し、それだけを対応すれば単位の獲得が容易だと説明し、そんなものは本物ではないと話す。ただし、本当の勉強は本人がやりたいときになって始めればいいと話す。馬を水辺に連れてくることは出来ても、水を飲ますことは出来ない。

基本的にどんな科目を受け持っても、出来るだけ幅広い範囲のことを浅く広く教えようと思っている。看板(担当科目)は様々でその都度濃淡の差はつけるが、ニッチな学問の話ではなく産業社会(経済社会といってもいいけど)を理解するように歴史を織り交ぜながらいろいろ話をする。経営学にせよ、労働経済(労使関係)にせよ、社会政策にせよ、そういう認識はいずれも重要である。だが、これらの話は8割方、忘れて帰ってもらっても構わないし、理解できなくても構わない。ただ、その中で少しでも引っかかるものがあれば十分である。そこから次の難しい本にチャレンジしてくれれば、もう何も言うことはない。僥倖である。以上を重視しているため、もちろん、あのテストに漂う独特なある種、厳粛な時空間は大事だとも思うのだが、教育上の理由からは私はテストをほとんど重視していない。実際、テストなどというものは詰まらないものだということも公言する。

とはいえ、もしそんなことが分かっていたとしてもも、要領がよいためにそんなに勉強していない人間よりも、一生懸命やった自分の方が成績が悪ければ、落ち込むこともあるだろう。ここは出来る限りフォローしたい。本当に難しいが、感想等で何かしらのきっかけがあれば、コメントという形で学生に簡単な手紙を書いて(今回はこれから書きます)、事務を通じて渡してもらう(つもり、まだ今回は相談してないけど)。そして、そういう子はそういう子で自分なりの考えを書いているので、対応可能な場合がある。また、数も限られているのも大きい。この場合、事務方が学生思いかどうかが分かれ道だが、私の教えている学校は幸い、何れもその点では信頼できるところであった。ここまでで通常の形であれば、対応できるのだが、今回は別枠があった。体育会系である。

眠くなったので、続きは明日。もうすでに長い。