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森班長(以下、紛らわしいので班長)と稲葉さんが立て続けに刺激的なエントリを書かれたので、それに便乗しましょ。稲葉さんの森重雄批判は面白い。面白いんだが、何か違うという感じを持っている。森論文を読んだら、やっぱり、近代教育をどうやって西洋から摂取したのか、その輸入元の西洋では近代教育がどのような経緯で輸入されたときの状態になっていたのか、という問題意識が強い。

一番の問題点は子どもが基軸になっている点だと思う。まず、やっぱりなぜ学校に子どもを放り込むのか、という点が目につきやすい。これは堀尾御大のテーゼが分かりやすいが、子どもの教育から労働者教育という発展経路が想定されている。たぶん、アリエスを引いている点で、森さんも近いと思う。で、そこでは何が目指されたかというと、やっぱり倫理、徳だよね、という話になっている。

ただ、日本の場合、条件が少し違うだろう。そもそもなぜ教育勅語を出さなければならなかったのかといえば、倫理とか徳とか規範を作ろうという意識が弱いままに学校システムを構築したからである。だから、功利主義の伝道者、福沢諭吉が批判するところの儒教の看板を代えて教育勅語を作る必要があった。そのときに憲法の問題、特に国家有機体説だとか、自然法の継受だとか、そういう問題が絡んでくる。その文脈を無視して天皇の問題を考えてもあまり意味がないだろうと思う。もう一つはオカルト的な側面からも考察する必要があるが、これはちょっと私には今のところ、見通しがない。ただ、宗教をどう考えるかは避けては通れない問題である。

明治以来の教育は基本的には国家に有用な人材を作ることであり、工部大学校は技術者を養成するところであり、東大法学部は官吏を養成するところに他ならなかった。問題意識としてはそこが先にあって、後は西洋の真似をしていったという風に理解すべきだろうと思う。やや遅れて、教養教育ないし普通教育が加えられていったと理解すべきだろう。そして、旧制高校でファッショナブルなキリスト教を中心とした教養教育は、ときには労働者の憧れにもなりながら、しかし、ただ軽薄なだけではなく、たしかに教育基本法という形で結実した。労働者の憧れなどのあたりを理解するためには近代日本文学史の意義づけを必要とするだろう。あえて言うならば、おそらく大正期以降のエリートたちは儒教的なバックグラウンドよりも旧制高校的なキリスト教文化こそが思想的バックボーンであり、その意味でこれを教育勅語体制などと総括するのは間違っている。

時代を少し戻そう。明治30年代はまだ義務教育も完全に普及していなかった。特に女子では。ちょうど、日露戦後始まったのが感化救済事業と地方改良運動、すなわち日本近代の社会教育の本流である。ここに青年団、修養団も全部飲みこまれていくのである。これらの運動の中で立派な人や村などが顕彰されていく。何が言いたいかというと、徳、倫理と呼ばれるものは小学校からではなく、まず大人から作られ始めたということである。そして、初期においては報徳思想に見られるように、極めて復古的色彩も含まれていた。この雑多煮が面白いところである。既存の名士たちも社会教育における教師としてこの運動に参加したのである。その地盤があって、小学校も巻き込まれていくのである。これが小学校だけであったら、とても受け入れられなかったであろう。

ただ、国家主導とはいえ、これらの運動は当初、非常にデモクラティックな性格を持っていた。最後までよく翼賛会に反対したのは右翼と目されていた田沢である。これが1920年代にかけて引っくり返っていく。この流れの背後には当然、社会主義(ないし共産主義)が存在する。ヨーロッパではカトリックは反共組織として保守的な社民主義の中心になっていくが、日本にはその地盤はなかった。せいぜいが貧弱な社会事業の担い手と青臭い理想主義の旧制高校くらいである。あるいは、内村のようないかに生きるかといったある種の道思想に近く、組織とは重点が違う方向への発展がみられた。戦前カトリックのエースはおそらく岩下壮一だが、彼もやはり病人の看護という実践に向かい、病死した。その意味でも組織としての宗教を考える必要がある。

とにもかくにも、こうした国家主導の社会教育が、1920年代の平和政策(軍縮)への反動を梃子に大不況を経て軍国主義化していく。それに対する反撥が丸山真男にあり、大塚久雄にもあった。そして、それを受け継いだ堀尾にもあったというべきであろう。そこで教育行政からの独立としての教育権の考え方が重要になるし、内外事項の区分の話も重視されるのだ。

何が言いたいかというと、よい教育の話と学校システムの話には距離があること。特に、日本の場合、よい教育話を考えるとき、とりわけ戦前については社会教育が重要であること、である。よき教育については、もう一つ重要な論点があるんだけど、まぁ、それは追々。

ちなみに、班長の話に付け加えておくと、高度成長期以降、我々の世代になるまでは大学生の就職難はこんなに問題でなかったから、職業的レリバンスなどというお題目も唱えられなかったが、やっぱり戦前の大不況時代は知的労働者用の職業紹介(あるいは職業訓練)が存在したのである。
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これは拾い物でした。猪飼聖紀『合理の熱気球』四海書房、1991年です。タイトル通り、日本の科学的管理法を知るためにはこの本に当たるのがよいでしょう。思わぬ収穫に評価がインフレしている可能性はありますが、私の感覚だと佐々木聡、奥田健二、原輝史(編著)、裴富吉、高橋衛、野田信夫といった科学的管理法研究よりもこちらの方が面白い。もちろん、それぞれ立場もあるんですが。

この本は荒木東一郎という民間コンサルタントに光を当て、その生涯を描いたものです。よく勉強して書いてあるし、遺族や元部下などへの取材も相当に綿密にやられたんでしょう。荒木東一郎の名前は日本における科学的管理法の歴史を研究してきた人ならば、名前は知っていると思いますが、上野なんかに比べてあまり注目度が高いとは言えなかったんです。やっぱり上野は産能大学を残しているし、あそこに上野陽一文庫もあります。それに上野陽一については斎藤毅憲の素晴らしい伝記が書かれている。

単純に驚いたのは、東条英機に向って「アメリカと戦争をやっても負けるからそんなこと考えてないだろうな」と確認したり、戦時中は空襲をあまりにも正確に予測したためスパイ容疑で獄中につながれていたにもかかわらず、戦後は山下大将の助命運動をやってマッカーサーを批判し、逆にマッカーサーから認められるなど、とにかくその怪男児ぶりです。

上野と荒木の関係もこの本を読んでスッと入ってきました。実は1930年代の能率技師たちの立ち位置というのは重要だと思うんですが、そこらあたりもよく分かりましたね。ちなみに、研究上、空白地帯になっているのは、荒木東一郎とそれから海軍の波多野貞夫です。波多野も面白い人でご子息が歴史学者で晩年に伝記を執筆する準備をなさっていたそうですが、惜しくも亡くなられてしまいました。ちなみに、波多野精一がお兄さんなんですね。

すみません。すっかり内容の紹介になってない。でも、この分野はこの時代の経営史、労働史を考えたい人には必読ですよ。お姉さんの郁子の話も面白いです。これは女性史的に意味あります(第2章)。

とにかく筆者の筆力には驚かされました。ぜひお勧めです。