書きかけてたエントリ。面倒臭くなって放っておいたのですが、濱口先生の「「マージナル大学」の社会的意義」とピッタリ合うので、お蔵出しします。

ここ数回の研究会に参加して考えていることがある。それはおそらく関係者はみんな(たぶん、何十年も前から)感じていることだと思うが、大学を一枚岩に捉えてはいけないということである。その含意は二つある。一つは90年代のゆとり教育よりはるか前から学習時間が減って、全力で受験勉強をせず、適当な努力で適当な大学に入っているという学生がいるため、大学内で学生の能力の分散が激しくなっていることだ(天野先生の『試験と学歴』を参照)。偏差値50以下(というのが、どういう基準でいわれるかわからないが)の学校にもとても優秀な学生がおり、二極化している。もうひとつは、二極化のもう一つの極、すなわち出来ない学生である。そういう子たちの中には、単に相対的に計算能力が低いとか論理能力が低いとかいうレベルを超えて、学習障害をもっている者もいる。そういう子たちに居場所を提供しているという意味では、学校は既に教義の意味で福祉施設としての機能を果たしているのである。だが、残念ながら一時的なシェルター以上の役割はほとんど果たしていない(学位を与える場合も多いが、それ以上のことではない)。

たぶん、本音ではみんな分かっているだろう。だが、同時に多くの人はそれを認めたがらないだろう。まず、学校では自分の学校の質に関わるので、体面上認めがたい。第二に、親はしばしば自分の子どもの学習障害を認めたがらない。これは親本人も含めて社会的な偏見があるからである。結局、大学がそういう問題を認めて、それに対応する主体であろうとするならば、それはスティグマを引き受けることになる。その覚悟があるかどうか迫るなどというのは青臭い議論である。そういう制約条件を前提にして、その中で何をやるかである。刑務所、学校、工場、病院というのはよくセットで取り上げられるが、工場はともかく、刑務所や病院だけでなく、学校も実に福祉機能を担っているということになる。刑務所については浜井浩一先生の本に詳しい。病院についてはどの本がよいか分からないが、高齢者のたまり場としての病院はもう完全に福祉機能を果たしているといえるだろう。工場も昔は福祉機能を担っていたが(そして、それこそが私の博論のテーマの一つ!)、いまや完全にそれは機能しなくなっている。

と、ここまで書いてあったのですが、誤解のないように書いておきましょう。たぶん、今は昔ほど偏差値があんまり学力の能力分布の代理指標になってくれない。ノビシロはあるけど、そこそこしか勉強してこなかったという優秀な子たちはちゃんと方向付けされると「へぇ勉強ってこんなに面白いんだ」とそれなりに勉強します。ついでに上の学校みたいにプライドが高くないから、鼻もちならないなんてこともないですし、気持ちもいいです。そういう子たちが底辺の子たちと一緒にいるんですね。だからね、正確に表現すなら、中堅以下の、定員を集めるのに困っている大学は、マージナルな層を抱えていると見るべきではないでしょうか。そもそも、そんな数字を大学が出してくれるわけないですし、境界線上は判定が難しいですから、実証なんて望むべくもありませんよ。

そして、少なからぬ大学教員および職員は一生懸命、彼らを教えています。なんでこんなことまでと文句を言いながらもやっている方もいますし、黙々と取り組んでいる方もいます。口だけの方ももちろん・・・。

問題としては中学から高校へ先送りされたものが、終に大学までやってきたということでしょう。でも、ここにひょっとしたら、可能性があるかもしれません。高校までは基本的に先生が全部やるんです(最近はスクールカウンセラーとかもいますが)。それに比べると、大学は先生と職員が分業します。職員間も分業間の連携です。いろんな違った立場からいろんな人が見るというのはポテンシャルあると思うんです。それにそういう中で、本来は優秀な学生って本当に宝になるんじゃないかな。あ、もちろん、取引費用というか、管理費用発生しますから、人間関係が殺伐としてたりとかだと学生もろとも沈没しますけどね。ブラック大学ブラック学部。

これ、底辺大学の問題だと思っている人がいるかもしれませんね。でも、東大だって1割以下かもしれないけど、メンタル面に問題、抱えている人いるわけですよ。あの安田講堂に相談所が入っていて、そこはそれなりに忙しいんです。そういう意味じゃ、程度の問題で上位校だって同じ問題を抱えているでしょう。ただ、そういう問題意識から取り上げられて、対策を打つという風になっていないだけで。でも、やっぱり1割から2割を超えるとなると、取り組まなきゃならないことも変わってきますよ、きっと。だから、底辺高校問題とはちょっと位相が違うと思います。私はよく分からないけど、高校の場合、学区制とか絡んでるわけでしょ。大学はそんなもんないもの。にもかかわらず、自生的にそうなったというところが面白いといえば面白い。
スポンサーサイト
皆さま、お久しぶりです。いろいろと公募関係の書類を書いていたり、業務の進め方を考えていたり、研究会に出ていたり、バタバタしつつ、twitterなんてものを始めちゃったら、ついにブログまで書かなくなっちゃった。あ、でも、来月は『社会政策』に論文が出ますから、まったく書いてないわけじゃないので、そこんとこはよろしくお願いします。また、近くになったら宣伝します。

さて、例の「非教育の論理懇親会」あたりから、というか、本当のことを言うと、博論の一部で藤本隆宏先生と小池先生の議論を使いながら論じてたりもするんですが、技能についての話を考える機会がバーっとありました。この前の理論科研の矢野先生へのコメントで書いた「人間力戦略研究会ってひょっとしたらいいんじゃないか」については、あっという間に皆から詰めて仕舞われた次第でございます。なんというか、こちらも詰めて考えられていないし、あんなにみんなが「人間力」に迷惑しているとは知らなかったし。ここ数日は森班長殿と戸高七奈さんとツイートでやりとりしていて、きっと行きつく先は同じであろうと、思っています。

ざっくりと私の個人的印象ですが、学校知だとか(そんなもん社会科学の概念としてはどうしようもなくて、ツイッターはお遊びですから別に構わない)そのあたりで考えようとしていることって、意外と私たち労働(あるいは技能形成)の領域とも近いんじゃないかなと思ったりしています。それは言い換えれば、学校で身につけることだって、社会に出たって役に立つということなんです。非常に単純にいえば、読み書き算盤ですね。ここまで否定する人はいない。ただ、学校知で語りたいことはもっと広いでしょう。

私が技能形成論で考えたいたのは、形式知と非形式知をまずは区別しよう。そして、非形式知であっても、完全にブラックボックスじゃなくて、なんとなく現場の人は一挙手一投足のアルゴリズムまでは解析できなくとも、ああやればこうなる、くらいの緩い管理は出来るし、現にやってるだろう、ということでした。こういう場合、私は論理仮説的に考えていくから、一方の極に完全に形式化された知を置いて、もう一方の極に形式化されることは絶対にない知を置くんですね。そうそして、すべての知はこの間にある。もちろん、本当はその間の判定こそが知りたいところであり、分類が難しいわけです。

たとえば、ここ数日、試験知が役に立つか、というようなことを議論していたわけです。森さんと私はたぶん、役立つと思ってる。私なんかは非常に単純に天野郁夫先生の試験化した社会を想定して、学校出たって試験が続く社会になってんだから、学校で受けた試験のトレーニング(あるいは自分で身に付けたスキル)って役立つでしょ、という論理なんです。じゃ、ここでの試験知ってなんですか、ということになると分からない。高校の国語でやった漢字のテストが採用試験の常識問題で出たとしたら、これは役立ってるといえる(笑)。非常に即物的な形式知ね。

でも、矢野先生の議論になると、もうちょっと汎用性がある話になる。「学ぶ習慣」みたいなものは学校、出ても役立つんだよ、と。習慣?ハビット?ハビトゥス?ハビトゥス、いただきました、みたいな感じですかね。すみません、ネタです。これはもうある意味では形式知を超えている。前に濱口先生が矢野先生に専門教育の意義を言う時に「いやなんでもいいんです、じゃそれぞれの専門分野のレーゾンデートルを示しにくいから、まずいんじゃないの?(大意)」と突っ込まれてましたが、まさに形式知ではないんですね。強いて言えば、形式知そのものじゃなくて、それを獲得するプロセスを重視した議論になっている。何かの知識を獲得するプロセス、ということになってくると、非常にプリミティブなレベルで認知心理学、そしてそれをベースにした教育心理学とも領域が重なってくる。で、ごりごり押し込んでいくと、この領域での狭い意味で実証、ということになって、手も足も動かなくなるでしょう。

で、技能形成論では、と、考えてみると、また時間が掛かりそうだから、また近いうちに考えてみたいと思います。ということで、たぶん、続きます。
さて後半も第2段、今日で終わりですよ。ここで論点に挙がったのは、職業訓練が産業から独立して成立し得るかどうかという問題である。

ここで私の左から数えて4人目に座ってらした方(斎藤先生と院生の間)が、いやそんなこといったって日本には現に産業があって、中小企業をはじめとしてそこで働いている人がいるんだから、そういうところから考えなければダメじゃないか、という非常に重要な問題提起をされた。

この問題提起に対してその重要性を改めて強調しつつ、私はいつも喋ってることを繰り返した。もともと、明治以来、繊維の産地では徐々に地元の力で産業を作っていった。そうして、そういう中からたとえば足利がよい例だが、自分のところに繊維の専門学校を作っていった。しかし、そうやって全国にできた繊維の専門学校は戦後、大学に組み入れられ、繊維としての看板を下ろさなければならなかった。たとえば、東京農工大。あそこはもともと繊維学部であったが、工学部に鞍替えし、今や繊維の学科はない。ちなみに、繊維専門学校の母体が試験場であることは意外に多い。そういうわけで、産業構造の転換をどう考えるかということが重要である、ということである。そして、現場ではどうなのか高橋さんに振ったわけである。

と、ここまで来て、これを書いていいのかどうか迷った。ご迷惑がかかると申し訳ないので、発言者をぼかしながら、やや抽象的に書くことにしよう。当日はもっと具体的なレベルで熱い議論が交わされた。

論点になったのは企業誘致と職業訓練を結びつけるとしたら、公共職業訓練はどうあるべきか、というような点である。実はこれは前半から少し議論に出ていて、企業内訓練であったら、現に働いている場でどういう人が必要か分かるので、訓練プログラムを立てやすい。それに対して、公共職業訓練の場合、目標点をどこに置くのか、もっと平たく言えば、何をやるべきなのかが難しいという意見がどなたからか出ていた。この話の途中で、私が一応、経済畑なのでということで、理論的には一般熟練と企業特殊熟練があり、現実にはそれが明確に分けられるわけではないけれども、一般熟練が7,8割でしょう、という説明を加えた。

大前提というか基本的な建前だと思うが、公共職業訓練は一社のために行うわけにはいかない、という意見が出た。これに対し、職業訓練は一社に労働力を提供するためにやっているわけではなく、労働者に技能を身につけさせるためにやっているんだ、その結果、一社しかそこになく、そこに雇われて暮らせていけるならば、それでいいではないか、という意見が出た。私も、日銀や野村證券ではないけれども、人材供給会社(日銀は民間会社じゃないけど)というような、内部養成が原則なんだけど、スピンアウトもするし、それが次の場所で活躍するというようなパターンもあるのだから、ある産業集積のコアの大企業を中心に職業訓練を作っても、必ずしもその企業でしか働けないというわけでなく、むしろ中小企業にも恩恵を与える道があるのではないか、ということを話した。もはや何でもあり、言うだけである。

このあたりでタイムアップ。実に後半その1、その2の内容はすべてわずか2時間の中で議論された事柄である。よく考えたら、日本産業教育学会のメンバーが結構、揃っていたにもかかわらず、私はほとんど自分が興味がある方向へ勝手に話を進めてしまった。知らないとは恐ろしいことである。私としてはかなり手ごたえがあって、よい研究会だと思ったので、三回くらい萬年先生になんとか研究会が続けられないだろうかとお願いをしたので、皆さん、今後の展開に乞うご期待!
なんか今、宿題を与えられているような妙な気分である。『滝山コミューン』を読んで、自分の小学校時代を思い出そうとしたが、こと宿題に関してはやらない子であり、クラスの黒板には忘れ物の多さにおいて3位以下を圧倒的に引き離して1位、2位争いをしていた。私の記憶の中では、私自身も嫌な奴であったが、そんな黒板に書かせる担任も相当に嫌な女であった。そんなわけで、このあたりで研究会記録はとりあえず、お休みしよう。

『滝山コミューン』とは秀逸すぎるネーミングである。だが、あまりに本質を表す名詞は、その的確さで人々を魅了し、そして、魅了された人々の手によって本質から引き離されていく。『滝山コミューン』もそうかもしれない。私はこれを読んで、原武史という稀有な歴史家にこの作品を書かせたただ一点において、滝山コミューンは歴史的な存在価値がたしかにあったのだ、と思ったくらいである。それくらい素晴らしい。さらに、東急文化圏に30年以上住む私には、鉄道が(彼の人生をかけた)趣味である以上に、重要な意味を持っていることが実感として納得できた。彼は鉄道を軸に風土を語っている。そして、それは都市圏に住む者にとっては常識的感覚なのである。鉄道マニアでも何でもない私があえて鉄道の記述を重視する所以である。

まぁ、しかし、私の琴線に触れたのは、女性を中心とした文化であった、という記述である。つまり、1930年代ごろに家計調査の研究が進み、ある種のモデル家族という概念を作りあげていく。そうして出来たのが日本式福祉国家であるが、それは言うまでもなく、働いて稼いでくるお父さんと家を守るお母さんと子どもを基本単位とした社会保障制度である。要するに、日本的経営や日本的労務管理などでお父さんたちが脚光を浴びていたときに、お母さんたちが何をしていたのかという問いにある一定の答えを提出している。もちろん、私もこうした記述を直ちに現代日本女性史のすべてだとは思わないが、クリティカルな何かを描いていることは否定できない。これが全体の中でどういう位置づけを占めていたのかを探求できれば、女性運動や社会教育における女性教育などがなぜ暗礁に乗り上げたのかが分かるかもしれない。そして、この問題は私の研究所での仕事とダイレクトにつながってくるはずである。

原さんの対談『団地の時代』も読んでみよう。
前半は研究会全体の雰囲気と参加者を知ることに終始したといってよい。休憩時間に仙台からいらした高橋さんに声をかけていただいた。彼もまた、後半、地方の現場で実践をしている立場から重要な一人になるのだが、何人か地方から駆け付けてくださった中から私が彼をメインに振ったのは、ただ名前と顔とやっている事がその場で一致したという理由による(ただ、高橋さんの登場は次回になりました)。といっても、私が覚えられるのは1日、2、3人だが。後半は私がほとんど仕切った。班長の命令というのは半分くらいは冗談だが、私がそうせざるを得なかった理由をここで少しずつ明らかにしたい。

後半は我々が寄せた批評の説明をせよということだったので、数人が話をした。申し訳ないが、このときは私は自分で何を書いたかを思い出すため、自分の文章を読んでいて、誰が何を喋ったか覚えていない。私の提出した論点は、1初等教育は児童労働からの解放という点で強制教育であり、その必要性を否定するのは難しい。2キリスト教を背景にした陶冶論をどう理解するか。3熟練工を中心に論を構成していいのか、という問題提起である。

最初に反応してくださったのは佐々木先生で、その趣旨は私の理解した限りでは以下のようなものだった。一般陶冶論がキリスト教の文脈で触れられているかどうかは分らないが、むしろ職業陶冶論では触れられている。一般陶冶の方でキリスト教が一見、出てこないように見えるのは、彼らにとってそれが自明のことでわざわざ断るまでもなく、それを論じているという可能性もある。いずれにせよそれを確認するには膨大な考証(という言葉は使わなかったが)が必要になる。これに対する私の答えは、今から思い返すとよくもまぁこんな失礼なことを言ったと思うのだが、「キリスト教が背景にあってそれにどういう意味があったのか歴史的に検証することは学問としてはとても意味のあることだ。しかし、キリスト教というバックグラウンドがないこの日本で職業訓練論の意義を訴えていくためには別建ての論理が必要であろう」というようなことであったと思われる。

なんか再現するのは無理っぽいので、ここからは対立した議論自体を復元しよう。口火となったのは萬年先生から実務家としての立場からの発言を求められた石井潔氏である。企業での20年以上の教育経験があるという。石井さんの議論の趣旨は、そもそも日本の経済構造が変わって、職人的熟練工が働ける場所は減ってきているので、そういうところは今では稀有である、それなのに職人論ばかりをやるのはおかしい、今求められているのはホワイトカラーを育てることで、そこで重要なことはコミュニケーション能力である、といった塩梅。そこでいくつかの基準をあることに触れられ、例として目を見て話すということを出された。

これに対し、私は「営業の仕事なんか飛び込みでやるというイメージが一方であるんですが、そういうものは具体的に伝達可能な形でプログラム化できるんでしょうか」と質問した。答えは「出来る」ということで、具体的なお話をして下さったが、このやりとりは最初から内容よりも議論のレベルを具体的事例に近づけるための布石だったので、私が欲しかった答えは「出来る」という点に尽きていた。十二分に成功である。

ここからコミュニケーション能力の話がいろいろと出るのだが、新井吾朗さんが実践者の立場からいろいろと述べられた。つづめて言えば、コミュニケーション能力というのも、切り詰めていけば、プログラム化できるのだというのである。そこで展開されたコミュニケーション論の話も面白いが、私が紹介すると不正確になる可能性があるので、そこはあきらめておく。ぜひ、新井さんの指導案論を読んでおいてほしい。

お二人の意見をまとめて、私が「コミュニケーション能力が存在しないという学者は要するに物事を知らないだけなんだということが分かりました」と感想を述べたら、班長がそういうことを言っているのは本田由紀さんで、そういえばなんか、批判しながらも擁護してたな。ちなみに、私は別に本田さんを意図して言ったわけではない。半分は本音で、もう半分はリップサービスである。ところが、である。ここから里見先生がまた、本質的に重要な問題提起をされたのである。

里見先生はコミュニケーション能力がプログラム化される得るのかという点に疑問を挟まれ、自分は大きい方針は決めても、その細かい内容まで決めない、そんなことは学生(たち)と直接、交流するなかで作られていくもので、それをコントロールしようと思っても出来ないと思う、ということを述べられた。この点において実は非常に演劇的なのである。脚本さえあれば全部、同じ芝居になるのか、というのと同じことだからである。そう、研究会もライブなんです(Ustreamにすればいいじゃん、という説はあるけど)。ここで私はわざと図式的に整理した。訓練の中で到達目標を設定して身につけられる能力と、そういうのを超えて身につける能力が二種類存在するということですね、と。ただ、このときに前者が結果を重視し、後者がプロセスを重視するとしたため、この点で新井さんに反論された。

実は新井さんの議論は非常に重要で、要するにコミュニケーション能力を作るといっても、プロセスを重視しないわけではなくて、そこには自由度を持たせているんだ、という話である。ここはぜひ誤解ないようにされたいと思う。私はこれを聞いていて、新井さんが考えている方法は原理的にはハーバードのビジネススクールのケース・スタディと同じだなと感じていた。あれは歴史的には法学部の判例研究をモデルに1950年代に作られたものだが・・・などと書いていると、いつまでも終わらないので、省略。

それにしても、新井さんが「身につけてほしい能力」が明確に提示されれば、それを身につけさせるプログラムを必ず作ってみせると断言されたときには正直、心の底から感動した。その覚悟は職業訓練を背負って立つものの気迫を感じさせるに十分なものであった。だが、私は二つの点で反論した。

第一に、学校というのはそれ自体が学びをするシステムでたとえば友達や教師などと触れ合うことで社会性を学ぶなどという科目の成績に入ってこない部分で身につけるものがある。能力として顕在化されたものの効用のみを訴えることは、職業訓練において、たとえば田中萬年先生がいつもあげられる、普通教育では適応できなかったのに皆勤で通した子の例のように、貴重なプラスアルファを零れ落してしまうことになる。だから、科目以外にどういうメリットがあるのか、私にはわからないけれども、それはぜひ訴えていってほしい。

第二に、設定目標が欲しいというが、設定目標を明確化するプロセスから職業訓練は積極的に関わるべきだ、といった。つまり、コミュニケーション能力のところで、石井さんがソフトウェアの話を出されていたので、それに乗っかったのだが、ソフトウェア開発では顧客の要求の確定をするためにある種のコンサルのような仕事が必要になる、と。ここから話はじゃあ、実際のニーズって何だという話に展開していくのだが、その前にここまでの話を整理しよう。

読んでいて気付かれたと思うが、ここでもっとも対立しているのは新井さんと里見先生である。そして、萬年先生の非教育の立場は里見先生に近い。新井さんははっきりと萬年先生の議論への反論も述べられていた(というか、彼が最初に発した言葉がその点であった)。萬年先生もまず、彼を説得しなければならない、ということを非常に意識されているようであった。能力は作れると断言した石井さんの立場は実は論理的には新井さんに近いのだが、その内容を聞いていると、里見先生と新井さんの中間に位置することが分かる。プログラムの基準自体がかなりの部分、経験的に作られるという側面があるからである。二つの対立まではわかりやすかったと思うが、この鼎立状態はどれくらい意識されていたであろうか。

微妙に話の順番とか記憶違いでずれている可能性があります。そして、班長の予言どおり、第三部に続きます、と言いたいところだが、モチベーションが下がってきたので、どうなるか不明。

追記:すみません。前の記事の新井さんのお名前と今回の石井潔さんのお名前がそれぞれ間違っていました。訂正させていただきます。ありがとうございます、萬年先生。
土曜日に行われた「非教育の論理懇談会」は久しぶりに楽しい研究会であった。そういえば、懇親会で班長とは誰なのですか、と聞かれてしまったので、改めてご紹介しておこう。私は何を隠そう廣田照幸を御大将とする通称、理論科研(いや、正式名称を知らないだけだけど)の歴史班に属しており、私の上司が森直人・班長なのである。本当は他にも二つの班があって、それぞれ班長がいるのだが、誰が班長か忘れてしまった・・・。まぁ、自分の班以外は実力者の名前だけ知っていればいいので。そのほかの方たちは面白おかしく紹介できるネタが溜った時点で紹介していこう。

土曜日は13時過ぎの急な班長からのツイートで始まった。「大事になっている」と。一瞬、なんのフリか考えたが、暑いので残念なことにオチが思いつかないまま、入口が一つしかない会場の建物へ。そこには奇妙な矢印が書かれた「非教育懇談会」の案内図があったので、会場の周りを一周歩き、振り出しに戻った。会場では既に円卓に机が並べ替えられて、一人ひとりの自己紹介の途中であった。「え?半からじゃないの?」と思ったが、粛々と会が進んでいくので、段々、これだったら三省堂で涼まずに早く来ればよかったと後悔し始めていた。同時に班長がつぶやいたことの意味がようやく了解された。後から分かったことだが、自己紹介は萬年先生が親睦のために発案されたようだ。

前半は自己紹介に加えて、各々がいくつか喋りたいことを喋るという形でなし崩しに始まった。途中、何が語られているのか了解しがたい場面も多々見られ、今、メモを確認したところ、やっぱりよく分かってなかったということが確認できた。前半は一通り、執筆者が自己紹介を兼ねて、執筆の背景を語られたり、意図を語られたり、それはそれで面白かった。個人的には渡辺さんの個人的キャリアのお話が興味深かったが、この研究会全体の流れを大きく作ったのは佐々木先生である。私なりに簡単にデフォルトすると、職業訓練というのは綺麗ごとで彩られていなくて、非常に合理性を追求している、ということであった。この時点では合理性の話はまだ研究会全体の中で具体的なイメージとして共有されていなかったのだが、そこはさすがにプロの集まりである。後半はしっかり話が具体的になっていく。

なお、ひと際、異彩を放っていたのが里見先生のお話で、なかなか味わい深いのだが、再現できないのは残念だ。おそらく先生の頭の中には演劇論があって、いや、論ではなく、演劇観があって、それを前提にいろいろな問題を提出されている。里見先生に限って言えば、テキストで再現できないこと自体が実は彼の立場を本質的に表現している。その意味も後半のやりとりの中で明らかになるだろう。

一通り、話が終わった後で司会の萬年先生から質問の呼びかけがあり、誰も語りたがらないところに、班長が口火を切った。それは非常に具体的なもので教育実践記録があるのかないのかというものであった。最初のうち「やまびこ学校」の話などを出しながら、学校教育畑の現場のイメージに基づいて、同じようなものが職業訓練の現場にあるのかないのかという問いであった。なかなか意図が伝わらず、最初、ないのではないか、という話だったのだが、その様子を聞いた某氏が「これだけ現場を知っている方々がいて具体的な話を聞き出せないお前の質問の仕方が悪い(大意)」と言い出し、私は久しぶりにアカデミックな世界でしかおそらく見かけることのできない稀有な人格を備えた人物に出会えたと感じたことであった、マル。そこで新井さん(職業能力開発大学校)が助け船を出してくれて、個人毎のものだがと断った上で、1訓練日誌のようなもの、2訓練でどれだけ能力が伸びたかの記録、3訓練の新しい方式の趣旨が存在することを教えてくださった。もちろん、これらを使ってよりよい訓練方式が日々、探求されているわけである。新井吾朗さんは後半の主役の一人であり、非常に注目すべき人物であるから、皆様、よくよく名前を御記憶ください。

では、次回は休み時間を挟んでいよいよ後半戦です。
金曜日の研究会でいろいろな意見が交わされたが、私にとっては何とも虚しいものであった。いや、正確にはより新鮮な知識を手に入れることはできたし、そこで交わされた議論は真摯なものであった。何より今後の理論科研に寄与するところもきっと少なくないのだろう。しかし、報告者が紹介する経済産業省や大蔵省、財界、文科省の意見を聞いていると、あまりに分析力の足りない下らない議論のように思えてならなかった。教育を学校や文科省の閉じられたところだけを扱っていればいいと思っていてはダメだというのは、我々歴史班がここ数カ月積み重ねてきた議論なので、それ自体は反対しない。しかし、その枠組みが岩井先生の資本主義の段階論ではどうしようもない。なお、これはご本人の前で飲み会の時に言ってある。まぁ、もっとも岩井先生は素人だから別に構わないのだが、ご本人はそれも分かった上で使っている。それはちょっと困ったことだ。

私は在籍最後の年の夏学期に岩井先生の講義を受けた。彼はよく好んで思考実験ということを言っていた。実際の歴史を語っているわけではなく、ある種の中間理論、理念型で語っていた。そういう説明がミスリーディングな局面もあると思うし、他の学生がどう思ったかは知らないけれども、彼自身が好んだ「思考実験」に関する限りはとても有意義であった。複雑な現実を理解するためには、時間軸を入れるという工夫が役に立つこともあるだろう。

産業資本主義に代表される大量生産の時代は、象徴的には規格品の大量供給であろうと思う。それはそれで間違っていないのだが、歴史的には一貫してブランド(商標)は重要であったし、もっと抽象的にいえば、信用の象徴でもあるという意味において、経済活動のアンカーの一つでさえあった。たとえば、日本経済史では10年くらい前、試験場のような品質を保証する中間組織の存在が少し注目された時期があった。私が勉強した繊維産業ではかつて楫西光速がその晩年に、問屋による目利き機能が近代工場制で生産された糸や織物を育てたという趣旨のことを1950年代や1960年代から話していた。どうでもいいが、楫西先生は労農派で、最後はどうやっても日本資本主義は没落することにならないといけないのだが、彼の論理は資本が過剰になって、多角化進出して失敗するというものだった。それで一国の資本主義を語るのは難しいが、企業の盛衰としては面白い仮説かもしれない。もっとも、潰れたのはカネボウだけで、それも別に多角化の帰結ではないが。

ちょっと横道に逸れてしまったが、私が言いたいことは、モノと知識のように截然とは分けられない、という単純なことである。これほど簡単なことで随分のことがわかるのだ。ブランドに伴う信用は商業資本主義時代からずっと重要なのである。日本が今では職業訓練論だけが一生懸命展開しているような熟練工を重視するところから、最初にテイクオフしようとしたのは蔵前職工学校が東工大になったときである。これは大正時代の話である。経験よりも理論が重視された。これと同じことは1960年代以降の鉄鋼業でも起こった。労働の世界では有名な話で、熟練工はただカンとコツだけが重要なのではなく、それを客観的に説明できることが求められるようになった。そのことによって彼らのノウハウは数十年かけてコンピュータの中に入れられるようになり、また、問題(ボトルネック)の所在を明らかにすることにも役立った。明らかにされた問題の解決策を皆で探ることこそ改善活動である。そうして、彼らがこのような新しい能力を求められたのは技術革新に対応するためであった。技術革新の原語はイノベーションである。言っていることは、昔と変わらないのである。

1950年代の日本はアメリカやヨーロッパという自分とは異なる国々の生産システムを学び、それによって技術革新を遂げてきた。愚かな人々はこれを単純なキャッチアップと見るだろうけれども、そうではない。たとえば、1910年代から1920年代にかけて大きく発展した科学的管理法があるけれども、その受容の仕方は国によって一様でなく、それぞれの国でその後、発展してきた。その多様性を勉強してきたことが重要なのである。実際、日本がアメリカに行っても、この面ではおたくの方が優れているじゃないかというコメントを返されることもあった。あえて具体例を出すと、鉄鋼業では統計技法の研究は日本の方がアメリカより進んでいたのである。今度は逆に、アメリカが日本を学ぶようになる。いや、アメリカだけではなく、世界中が日本に注目した時代があった。重要なのは、日本が上かどうかなどという下らないことではなく、もうある程度以上のレベルに達した国々では、どこで進んだ革新が行われるかわからないと観念して、驕らずに革新を学ぶことである。それはどの国でも同じことだ。

文科省が学校という枠組みでしかものを考えられず、それに対して経産省ほかはもっとトータルに社会を考えているという。しかし、私の見るところ、それさえ不十分であって、さらにいえば、高度成長期の議論を部分的に焼きなおしただけで、本質的な深まりがない。昨今は日本人の構想力が足りないという話が実しやかに語られるし、そういう側面があることも否定しないが、おそらくそうではなくて、そういう構想を持つものを潰しがちなのである。また、46答申の頃まではそれが正しいかどうかは措いても、はっきりとしたビジョンがあったと思う。私は学力が低下していることにはそんなに危機感を持っていないが、それ以上にリーダーたちの見通しの近視眼的な傾向はとても憂いている。特にかつては官僚がビジョンを作っていたのに対し、日本人はそれを叩き潰す方向に進んでいる。それでもいいが、オルタナティブがない破壊は極めて危険である。

それにしても、率直なところ、この程度のものをトータルに批判できないようであれば、文科省に任せるのも頼りないが、教育学者(プロパーではなかったけれども)に任せるのも極めて危うい、という感がなきにしもあらずである。対案なき批判は意味がないのである。もっとも、名著『仕事と日本人』の著者だったら絶対に全部聞き終わった時点で「お前がやれ」といわれるに決まっているのだが、御大将は「これから、一緒に作ろう」とおっしゃられた。しかし、そんなの描いても就職できないので、今のところモチベーションはあまり湧かず。恒産なければ恒心なしなのであります。

それにしても、やっぱり新自由主義はバズワードなのね。
濱口先生からお叱りを受けました。ただ、争議権を持っていないことは百も承知です。そういう意味でストを打つのは犯罪行為であり、それを煽っているじゃないかと言われれば、刑務所が回らなくなるということに対して、そこまでの危機意識を持って考えなければならないと考えたとお答えするしかありません。戦前だったら治安維持法に引っ掛かるでしょう。ただ、丁寧に読んでいただければ分かりますが、これはあくまで最悪のシナリオの一つであって、私の議論全体の中では部分でしかないし、これを廃棄しても私の考え自体は成立します。というか、廃棄する条件が出来たから、書いたのです。それでも無責任の誹りは甘んじて受けます。

勝手なことを言えば、濱口先生には公務員法制という枠組みからだけではなく、もう一歩踏み込んで内在的に根本的なレベルまで批判して欲しかったです。濱口さんから批判されたら、あまりそれ以上の厳しい批判を期待できなくなってしまいます。私の議論にはその論理の中だけで、もっと致命的な欠陥があるのです。その欠陥とは、たとえ争議自体が一瞬で実害がなかったとしても、法を犯すという行為に及ぶことで、受刑者が納得するのか、それによって治安が毀れるのではないか、という論点です。もしこの後半部分まで突っ込まれれば、私には返す言葉もありません。刑務所や警察(消防等も含まれますが)は絶対に社会に必要であり、そのために重要な責任を負っています。そして、その構造上、ストが起こるようではいけない(外国では警察、軍、消防のストがあるわけですが)。この点についてはよくよく念を押す必要があったと反省しております。逆にいえば、争議権を与えていない彼らに対して、その高い職業意識に頼るのではなく、絶対にストライキを起こさせない環境を用意することは政府および国民に課せられた課題であると思います。

ストライキそのものを歴史的に考えてみると、民間の労働者だって犯罪すれすれ、あるいは犯罪そのものに手を染めて争議を起こし、やがて争議権が確立してきたという経緯があります。労働史に詳しくない方はご存じないかもしれませんが、昔の争議というのは、鉄砲や大砲まで持ってくるということだってよくありましたし、場合によっては人も死にました(これは外国でもそうです)。戦後は周知のとおり、普通の労働者には争議権が認められています。戦前も大正期には常識的な範囲では容認しました(胸先三寸のきわめて恣意的な基準ですが)。ただ、明治くらいだとかなりきつく統制しようとしていました。だから、運動によって権利を勝ち取っていくという側面もあるわけで、スト権ストについても、それ自体がよかったかどうかの評価は別にして、一応、そういうアクションが起こったことに対する筋の通った説明は可能でしょう。違法行為だからダメというだけでは、労使関係史の文脈から考えると不十分ではないでしょうか(ただし、こちらを先に書かず、私が自分の議論の欠陥をわざわざ上で書いた意図を汲んでいただきたいと思います)。

なぜ公務員に争議権が認められないかといえば、その最大の根拠は職務の公共性と人事院(による代償措置としての勧告)です。日本の戦後史の中では、公務員や公共企業体の従業員が労働者としての権利を行使しようとして、それが職務の公共性を侵害してきた(かどうかは解釈が入るので、詳細な検証が必要でしょうが、ここでは一応、理屈として受け取ってください)。この文脈だからこそ、職務の公共性、すなわち公共の福祉の維持(あるいは他人の権利を侵害しない)が個人の権利に優先するという理屈が立ちました。少なくとも国鉄が止まったら、普通の人は困ったわけです。しかし、私の意図したストライキの要求の根幹は、あくまで公共性のある職務を維持することが困難な状況に対しての打開策であって、そのための改善策として具体的には労働改善を付帯的に位置づけてあります。人を削られたら困るとか、業務が増えたのにそれに応じて人が増えないのは困る、などといろいろなケースがあるでしょう。

人事院はたしかに労働基本権制約の代わりに労働条件を勧告する機能を持っていますが、民間用語で言うところの経営参加までやってくれるわけではありません。というか、人事院のページをさらっと見てきたんですが、私にはどこの組織が要員管理について公務員の代わりに発言してくれるか理解できませんでした。民間企業でしたら団体交渉で非常に重要なトピックになると思います。たとえば、慣行として組織内での発言の機会はあるのかもしれません。団体交渉権の中には経営のチェック機能も場合によっては含まれると思うのですが、人事院は人減らし政策によって労働条件が悪くなることへの勧告はしているんでしょうか。歴史的には、戦後直後、生活を維持するために給与水準の決定はクリティカルなトピックでしたよ。でも、今は人員削減でしょう。公共性のある職務を持続して提供できるかどうかの瀬戸際です。素人目で人事院の政策を見ると、人事行政を通じた国家戦略という観点が見当たりませんでした。どこに書いてあるのでしょうか。人事院が団体交渉権の機能を果たせていないならば、公共性のある職務遂行を持続するために、労働基本権を全部、返してもらうしかないでしょう。争議権は団体交渉権をより強固にする意味もあるのです。もはやこれは刑務官だけにとどまる話ではありません。

私の意見を整理し直すと、
1 公共性を持った業務遂行にどれだけの人数が必要かを下からの積み上げによって提示する。
2 そのためには、労組がダメならそれ以外の代替的機関を組織内(あるいは労組)に作る必要がある。
2.1 チェック機能として原則全部公開。あるいは第三者を入れる。
2.1.2 私は全部、公開がよいと思う。
3 以上の施策を実行するためには、上の条件が満たされないことで刑務所も含めて公共性のある業務が回らない可能性を社会的に周知し、出来れば世論を形成する。
3.1 hamachanブログやジャーナリストを通じた呼びかけだけで関心が集まればそれでもいい。
3.2 ストライキはリスクの大きい最終手段。実施には厳しい条件が必要。
いったん始まったら統制は困難という側面も考慮が必要。
3.2.1 労働者の権利獲得ではなく、あくまで公共性を持った職務遂行の条件整備を最終目的とする。
3.2.2 やるとしても絶対短期、1日以内。どの職種も。
 * 世論を敵に回す可能性があったら、全部中止。
4 1と2の成果を実際の政策に反映させるルートを作る。

まず何らかの変化、それは社会的な環境の変化でもいいし、公務員バッシングとそれに乗じた(あるいは煽って作った)公務員制度改革、こういったものに対して、現場がどう変わるのかあるいは変わったのかを明らかにする必要があります。それは現場からしか分かってこないことです(この場合の現場には公共サービスの利用者も含めます)。それを吸い上げる機能が必要です。もし、公務員の手を借りないで、政治家がこれを全部、責任を持ってやるならば、今の人数の倍いても足りないんじゃないでしょうか。単純に言って、公務員を信用しないということは監視コストがかかるということです。ちなみに、3の部分は修正してありますが、以前のプランだと1,2の準備をしておいて、関心を集めた瞬間にそこでの協議事項を通す、というものでした。

なお、私の意見が役に立つと思ってませんが・・・。内容に自信をもって書いているわけではない、という意味です。