今日は純粋な解説です。一連の私たちのエントリは労働問題研究者っぽい前提を置いて語られていているので、若干、分かりにくいのではないだろうかという疑いがあります。まして、濱口先生は陰に陽に現実を動かすために、ときにこちらが驚くほどストレートに意見を開陳され、ときには煙幕を張るというようなことをなさいますので、なかなか真意を掴みにくいだろうと心配にもなります。そこで、余計なお世話とは知りながら、濱口先生の考えていらっしゃることを整理し、実はそれがとても真っ当な議論なのだということを確認したいと思います。

まず、前提として押さえていただきたいのは、濱口先生は労働の実践家・研究者でありますが、より広く社会政策・社会保障の領域まで視野に収めて、構想を組み立てられています(これはhamachanブログをご覧の方には自明のことでしょう)。ですが、これは最後のところで、非常に重要なポイントになってきますから、よく覚えておいていただきたいと思います。では、濱口先生の構想を見ていきましょう。

私の見るところ、濱口先生の考え方が非常に端的に表れているのは「ジョブ型正社員に関するメモ」というエントリです。実は、ここで議論されていることを理解できないと、濱口先生がなぜ(マージナル)大学に職業的レリバンスのある教育を!と主張されているのか、その本当の意味が見えてこないと思います。ちゃんと、リンク先に飛んで復習してから、戻ってきてくださいよ。

戦後すぐから日本批判の好きな左翼研究者が主張してきたのは日本資本主義の後進性でした。年功賃金批判も、職務給が導入できなかったことへの批判も、まさに日本が前近代的残滓(専門用語で半封建性といいます)を引きずっているからだというのが彼らの立脚点でした。しかし、それが高度成長を遂げて、ジャパン・アズ・ナンバーワン(これ昔の有名な流行本のタイトルなんですよ)の時代になると、急速に説得力を失っていきます。ですが、さかいさん風に言うならば有効な「話法」は豊富に蓄積されたわけです。なぜ、そんなことになったのかといえば、後進性という立脚点を別にして、管理技術という面では彼らはやはり正確に本質的な問題を掴んでいたからでしょう。それは今でも学ぶ価値があるものなのです。普通に労働問題研究の文脈で考えれば、「ジョブ型」というのはこの線で考えられるべきものなのです。本田由紀さんの議論もこちらの影響がどちらかと言えば強い。

もし、そういう「ジョブ型」の世界にしたいと考えるならば、日本の雇用慣行を全部ひっくり返す必要がある。労働市場を大きく変えなきゃいけない。私が以前に書いたのは、ジョブ型のクラフト労働市場を確立させないで、職業的レリバンスなどというのは詐欺に等しい、ということでした。逆に言うと、エスタブリッシュされた専門職が成立する世界(教職、弁護士など)ではこの理屈は成立するんですね。でも、一般の企業全体をこういう風に変えろというのは現実的かどうか。基本的に職務(給)を確立すれば、物事がうまくいくと考えているような方々はいやぜひそうすべきだという立場だと理解してよいでしょう。これに対して、私は「変えるべき必要はない」という意見と「変わるわけはない」という意見を二つ持っています。たぶん、濱口先生も同じでしょう。

ん?同じ?

ここはとても重要なポイントなので、しっかりついてきてくださいよ。なんなら、前のリンク先をもう一回読んでください。なぜ、そうなるか書いてありますから。濱口先生は「メンバーシップ型正社員」(という不正確な表現は私は使いたくないのですが)をそのまま維持しながら、「ジョブ型正社員」を最下層に作れと二枚腰で考えられているんですね。ここが現実的なところなんです。

実は、私がクラフト云々といったところは、上層部分でメンバーシップ型をジョブ型にしたいならば、クラフト市場を確立すべきだという話なんですね。ところが、濱口先生はここは変えないでいい、下を変えるべきだといっている。ここで、私がこのエントリの序盤にあえて「ジョブ型」と書いて、「ジョブ型正社員」と書かなかったことに注意してほしいと思います。実は、下層部分は『新しい労働社会』風にいえば、「ジョブ型」社会(一応、欧米)であろうが「メンバーシップ型」社会であろうが「ジョブ型」なんです。だから、そういう意味では最初から日本は単純な「メンバーシップ型」社会ではなく、「メンバーシップ型」+「ジョブ型」社会と理解した方がよいのです。ここまで理解できると『新しい労働社会』よりもうちょっとアドバンスクラスに進級です。この下層「ジョブ型」クラスでは、賃金は時間給であれ、出来高給であれ、仕事に対して払われると考えられています。

この(「メンバーシップ型」+「ジョブ型」社会)という基本枠組みを理解した上で、下層「ジョブ型」に注目しましょう。濱口先生のポイントは、現在、非正規であるところの下層「ジョブ型」を新しいカテゴリとして「ジョブ型正社員」にしようというのです。この制度を当世風のワークライフバランスで薔薇色に化粧することもできますが、本質的には雇用による社会保障ですよ。事実、濱口先生は「ジョブ型正社員」に対して企業の生活保障を期待していない。その代わり、国家による社会保障の枠組みを考えなきゃなりませんね、と提言している。リンク先の(4)はそういう意味です。

こうした提案の背景には、戦後日本の福祉国家が「メンバーシップ型正社員」を標準として作られてきたという歴史認識があって、これではもたないということなのでしょう。ちなみに、「メンバーシップ型正社員」を「ジョブ型」に変えるということは、社会保障の基本的枠組みを全部組み替えざるを得ないことを意味します。基本給はテクニカルにはいろんな保険の基準に使われてますしね。変えたい人は本来、ここまでパッケージで考えてくれないと話にならないんです。とはいうものの、もちろん「メンバーシップ型正社員」と「ジョブ型正社員」の相乗りという形にしておけば、社内トーナメントで「ジョブ型正社員」から「メンバーシップ型正社員」に転換するチャンスはあるかもしれません。放っておいても企業は優秀な人材を遊ばせておくわけありませんから、必ずそうするでしょう。しかし、あえて自然によくなることは濱口先生にとっては口出す必要ないんですね。でも、相乗りということで決して閉じていない。

この「ジョブ型正社員」への入り口として、職業的レリバンス論が意味を持ってくるわけです。私は何度か職業訓練あるいは職業教育といったって、エントリ・レベルしか出来ないと強調してきました。でも、濱口先生の職業的レリバンス論はそれで十分なんですね。エントリ・レベルだけは最低限満たしている、と。マージナル大学でしっかり学位を取得することはその最低限のシグナリングになるべきだという論理になってくるわけです。ようやく繋がりました。そういう意味では一流大学や中堅大学でさえ、正面切っては仰いませんが、最初から濱口先生のターゲットになってないんです。

「ジョブ型正社員」というアイディアは久本先生の多様な正社員論ももちろん踏まえていると思うけれども、よほど現実的で筋がいいと思います。ですが、それでも現実的には実現させていくのは難しい。問題領域があるということを認識してもらうだけでも困難でしょう。そういう意味で、必ずしも教育の職業的レリバンス論とセットで出されないんですね。それは戦術としては当然でしょう。

で、仮にここで解説してきたことを「職業的レリバンス+ジョブ型正社員」構想と呼ぶならば、ようやくこの構想が現実的な政策としてよいか悪いかという議論に入っていけることになりました。というわけで、一応、舞台を整えてみました。森班長の次の主演俳優、募集中です。
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濱口先生から前のエントリを紹介していただいたのですが、後半の論旨がやや誤解が入っているというか、意図的にそうされているのかな、という感じがして、真意がどうも掴めない。

私はあえて言えば、偏差値が低い大学でも優秀な子はそれなりに就職を見つけていると思うので、その点はあまり心配していません。そりゃ名の通った一流大企業には行けないかもしれませんが(行く子もいますよ)、別にいいじゃないですか、それでも立派に働いて生活が成り立てば。偏差値が低くても、ちゃんと就職活動をやっている子の内定率がいい大学ってありますよ。宣伝していいかどうか聞いてないので、あえて名前も数値も出しませんが。そういう意味ではちゃんと本人を見てくれなんて言いません。ちゃんと会社によってはある程度、評価してもらえていると思うので。

濱口先生の言っていることは今回はちょっと違和感を覚えます。理論的に考えれば、学校で習った内容がすべて職業的意義で説明できるものであるとき、学校のカリキュラムの質とその習得度を順番に並べればよい、ということでしょう。それにプラスして歴史的価値みたいなもので差が不可避的につく。そうなったら、それこそ下の学校の学生には逆転の余地なんかないじゃないですか。それに学校で完璧な職業的意義のある教育(訓練)を施しさえすれば、就職できない人がいなくなるというんでしょうか。それとも就職できなかったら「労働市場の需給の問題であることがはっきりしている。君の人間力(あるいは職務能力)が問題だったわけじゃないんだ」とでもいうんですか。それくらいなら、今でも言えそうですよ。基本的にマクロで見れば、人的資源論より景気循環と労働市場の需給の問題だと思いますから。私は経済政策を提言するほど実情に詳しくありませんが、景気回復の方がクリティカルだと考えてます。実際、リーマンショック前は内定率が回復の兆しを見せていたし、そのあとは悪くなってるじゃないですか。それにマージナル大学とレッテルを貼られた学校の、実はマージナルではない学生が門前払いをみんな食らってたら、内定率がゼロじゃないと平仄が合いません。

さて、瑣末な話ですが、一応説明しておきましょう。私が本田由紀さんをきつく批判しているのは、職務給と職能資格給を対立的に捉えて議論している点です。職能資格給は本給と連動して成立しているんだから、彼女の論旨を展開するためには賃金の決め方において査定で決まる基本給こそ批判しなきゃならない。この査定方式を周知の通り、小池和男先生は高く評価されていますし、同じような認識の方も少なくない。ですが、当然、昔から制度自体の批判者はいて、少なくともかつて小池先生の論敵だった左翼系の賃金研究者はきちんとこの点を指摘してきたわけです。それは最低限、踏まえるべきではないかということなのです。労働問題の専門家でないのだから仕方ない、と当初は思っていましたが、本田さんが頻繁に引いている乾先生の著書ではこの点が正確に指摘されていますから、それも通用しませんね。基本給がクリティカルだということが分からない人に「日本的雇用システム」論について理解も正当な意味での批判もできるわけないじゃないですか。

たとえば、彼女が主張している「柔軟な専門性」というのは、正に日本的雇用システムの中でこそ実現してきた仕組みです。要するに、メインの仕事があって、ある程度、それが出来るようになった時点で、関連する隣接業務を経験させると、そのメインの仕事(の理解)にもよい影響があるという話でしょう。1980年代に日本の製造業のパフォーマンスを見て、それはいいと海外でも認識されるようになって、Job Broadeningがいいんだということがアメリカの人事労務管理系の論文なんかでも指摘されるようになったと思いますが、あえて分かりやすくいえば、彼らは職務給で処遇する世界が障害になっていて、それをどう乗り越えようかと工夫しているわけです。柔軟な専門性というのは、全然逆の文脈で出てくるべき話なんですよ。

こういう細かい話とは別に、私は「職業的意義」論はエスタブリッシュされた専門職以外では幻想だと考えているので、深いレベルで濱口先生が主張したい方向(?)と対立があるのは間違いありません。そのことは認めておいた方が旗色鮮明になって便利なのかな。ただ、私の理解では濱口先生は現実がそんなに劇的に変わらないことを織り込み済みで、それでも多少ベクトルを変えるために極端なことを主張する必要があるという極めてブラグマティックな立場なのだと思っています。

とはいえ、基本的には学説としてはどちらの立場でもいいわけですよ。ただ、本田由紀さんに限って言えば、まず前提的な認識レベルのところが怪しいから、上で指摘したようなベクトルの正反対な話を同時に主張していて、何を言ってるんだかわけが分からないことになっている。私にはコアがどこかなんてとてもじゃないけど読み取れないし、読み取ろうという気もないです。真剣に検討すべきレベルに達していないというのが私の見解です。言い換えれば、職務を企業を超えた形で確立させようという立場も学問的には当然あり得ますが、それならそれでもう少し理論構成をしっかりしないと、同じ土俵に立って議論なんて出来ないのです。

もし、教育の分野でこういう問題に関心があって勉強したい人がいたら、私とは全く別の立場ですが、乾彰夫先生の『日本の教育と企業社会』を勧めます。濃縮された文章なのですぐに理解するのは難しいですが、ノートを取って何度も繰り返し読めば、少なくとも一つの一貫した視座は得られます。この文脈では、一応、振られたのであえてもう一回書きますが、本田由紀さんの『教育の職業的意義』は勧められません。本当に勉強したい方は乾先生の本を読んでください。ただ、教育分野と企業分野の接続は森直人さんが最近、興味を持っているようですが、私の知る限りまだ成功しているというわけにはいきません。乾先生もこの接続部分は弱いと思います。ただ、この場合の「弱い」の表現には学問的に批判して、いろんな人が問題を共有して克服して行く価値があるという意味を込めています。

もうひとつ、おまけに本田さんを批判すべき点をあげるとするならば、森さんが以前、書かれたエントリに尽きます(ただし、長文注意!)。私とは違って森さんは教育社会学の中から真面目に検討されています。森さんの本田さん批判を私なりにデフォルメすると、職業的意義が大事だという以上、その模範を示してみよ。少なくともオレはオレなりにそういうのが大事だと思ってるから、これだけ工夫してやってるぜ。それが出来ないのは教育者としてどうなのか?ということです(注:森さんはこんなに品の悪い言い方はなさいませんので、リンク先を読んでください)。自分も同じ立場にあるのに、他人にはそれをやってないじゃないかと批判して、自分も出来なくて苦しいじゃ通らないでしょ。ちなみに、森さんのも教職というエスタブリッシュされた専門職での話だから出来たんでしょうというのが私の理解です。

ちなみに、私は職業訓練は重要だと思っているので、何度も佐々木輝雄・田中萬年コンビを取り上げています。関連エントリをあげておきます。

田中萬年先生の非教育の論理について
ちなみに、ここでは先に引いた森さんの議論のレトリックも解説しています。

佐々木輝雄論についてはこちら