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先週の講義の中で雇用関係における生活規範の話をしました。普通の人は日本的雇用システム論から入るのが常道でしょうけれども、私の場合、森建資先生の『雇用関係の生成』から入りました。森先生の『雇用関係の生成』は面白いですよ。私の博士論文、第1章のモチーフはこれを日本で当てはめて考えると、どうなるかということにありました。審査ではここだけ理論的で、バランスが悪いということを指摘されましたが、原理的にどうしても考えたいところでもありました。私の理解が正しいかどうか未だに心配なんですが、森先生の議論であれば、労働サービスと報酬(金銭以外でも構わない)の交換関係において必ずしも必要条件とは思われない、指揮命令権と生活保証のセットが過去の慣習法から説明され得ます。結局、これが小池先生の議論を学部で聞いた時以来、私がこだわってきた生活と仕事の二つの関係についての一つの解の方向だったんだなと思いました。私の労働経済論は奴隷制から話が始まり、次の回で森先生の雇用関係論、それから私が考えた近代的組織における雇用の議論に展開していきます。こんな構成で喋ってるのは私だけでしょう(笑)。

前回の講義の内容を簡単に紹介しますと、江戸時代までの雇用関係(請負にあらず)というのは、どちらかというと期間が数年に定められた雇用契約で、かつ住み込みが圧倒的でした。だから、その期間の衣食住は保証されていました。ちなみに「お仕着せがましい」という言葉がありますが、「仕着せ」とは雇用先(古い言葉では奉公先)から供与される服のことを意味していました。ところが、明治以降になると、新しい産業が勃興して、雇用機会が増えます。これによって、周りの短期的な労働条件もあがります。たとえば、農村では年単位で拘束する年期雇いなど出来なくなって、日雇に切り替わるなどという例が見られます。また、それまでは給料をほとんど支払わなかった家事奉公人(今で言う家政婦さんですね)もまわりに紡績工場が出来ると賃金が支払われるようになります。賃金が支払われるようになってくるとどうなるか?これは簡単にいえば、自分たちで家計管理をしっかりして、生活管理しなきゃならなくなってくるわけです(もちろん、それ以前もあるんですよ)。ちなみに、寄宿舎に入っているような人たちは会社が面倒を見てくれます。

家計って、今もそうですけど、昔もメチャクチャ多様なんですよ。当たり前だけど、その家、その家で違う。簡単に定型化できない。だから、そんなところをきちんと保証、あるいは管理していくなんてことは、管理技法という点から考えると極めて困難であると言わざるを得ない。これが私が最初に書いた経営史学の論文のメッセージでした。それでも、辛うじて生活保証を守るために大正期に出てきたものが二つあった。

一つは、高野岩三郎博士が始めた家計調査です。これによって初めてデータとして家計が分かるようになってきた。多様ではあるんだけど、いくつかパターン化できるようにはなってきた。たとえば、酒を飲み過ぎてる家は赤字とか(笑)、急な冠婚葬祭は赤字の元とかね。

もう一つは、団体交渉です。これは局地的にはそれ以前からありましたけど、このあたりから企業によっては出てきた。会社側がまとめられなかったら、労働者側からまとまってボイスするしかない。当然ですよね。この場合もやっぱり戦争がポイントで、第一次大戦の影響でインフレが起きると、労働者は全員生活が苦しくなった。それでボイスというのがリアリティを持ってくるんですね。ちなみに、団体交渉は今、皆さんがイメージされるものとは限らず、争議を通じての交渉なんかも含みます。この争議を通じてのボイスの議論は古典的にはホブズボームがいわゆるラッダイト運動について書いた論文で論じてますね。

それはともかく、大雑把ではありますが、明治中期ごろから大正期まではやっぱり制度の移行期で、生活保証についての空白期間であったといえるかもしれません。もちろん、個々のケースは別で、江戸時代以来の奉公の風習が戦後まで残っていたケースも結構ありますから、まったく生活保証がなかったわけじゃないですよ。

ちなみに、この家計調査と団体交渉、深く結び付いていきます。なぜなら、家計調査に全面協力したのが何を隠そう友愛会(後の総同盟)であり、彼らは日本で初めて生活賃金を要求していくからです。なお、私の講義の試験で日本の生活賃金について電産型賃金だけしか語らなかったら容赦なくバツです。いや、そんな難しい問題、出さないけどね。
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