今月の頭に6大学合同のゼミ合宿なるものにコメンテーターとして呼ばれ、学生の報告にコメントして参りました。行く前から学生が優秀だという話は聞いていたけれども、実際、優秀でした。正直、驚きました。私のコメントの姿勢は出来るだけ学生の皆さんのよいところを探してそれを褒めるというのが原則ですが、もっとも内容のレベルが高かった埼玉大(禹さんのゼミ)の報告にだけは厳しいコメントをしました。

正直に白状しますと、彼らに向かって言った二つ目のコメント、聴衆を見て、分かる言葉で語りかけなければならない、というのは私にこそ必要な言葉です。ただ、彼らには学部レベルの報告としてこれ以上、どこにも文句のつけようがなかった。いや、多分、そのあたりの労使関係研究者だって、これだけの多様な領域を考えるというのは難しいでしょう。それくらいのレベルでした。もし、内容からコメントするならば、完全に学術的な論争になってしまう(彼らというより、禹さんとの(笑))。それはあの場でやるべきではなかったというのが私の判断です。けれども、多分、その内容の高度さゆえに、他の学校の学生たちはほとんど理解できていなかったと思います。それを相手の勉強が足りないと思ってはいけない。そういう相手に分かるようにプレゼンすることの方が社会に出たら重要です。正論だけど、自分で出来ていないことを注意するのは辛いですね。

全体を通して総合的にみると、質疑応答で討論の能力がもっとも秀でていたのは彼らです(個別には他の学校にもすごい子たちがいましたが)。だからこそ、言わなければならなかったのです。大学で培った議論の能力は決して誰かを攻撃するために身につけるものではない、ということを伝えたかったのです。夕食の時にその話をした子は分かってくれました。そういう観点でみると、福島大の女の子二人は優秀でした。もちろん、ディベートとは何かという共通了解があれば話は別ですが、普通、そんなものは期待できないし、社会に出ればおそらくもっと期待できない(笑)。そういう中で重要なのは相手の議論を捩じ伏せる攻撃力だけではなく、相手の言っていることとの相違点を明らかにする根気です。前提条件が違えば、一見同じ問題を議論しているようでも、正反対の結論が出てくるなんてことはよくあることです。内容のレベルよりもそういう基本的な姿勢を学ぶことの方が大学時代には重要な気がします。

私のコメントの後、禹さんが全体にコメントしてくださいました。私の埼玉大へのコメントのもう一つは、君たちの報告はよく勉強したことは分かるが、ただそれだけで面白くないというものでした。何が問題か分からない。現代のどういう問題と結びつくのか、あるいは、自分のどういう問題と結びつくのかでもいいから、そういう問題意識がないと訴えたいことが分からないと言ったのです。禹さんは私のコメントに対して、彼らを弁護してあげたいお気持ちもあったのだと思いますが、歴史を勉強する意味には、自分という枠を超えて考える意味がある、という趣旨のことを仰いました。私もその限りでは反対しません。しかし、やはり歴史を勉強するときには現代との対話が私にとって第一に来ます。

昔、文学部出身の経済史の先輩が現代へのインプリケーションがないと歴史研究ではないのか、という趣旨のことをよく愚痴っていました。私もその思いは分かるんです。歴史研究では単に新しい事実発掘が重要な場合がある。もちろん、その先には新しい論点がある。しかし、その論文内ではまだそこまで論じる証拠が足りないかもしれない。そういうことはあり得ると思うのです。どちらかというと、私も昔はこちらの立場に共感していました。

ただ歴史研究は現代の出来事を観察している自分と切り離せない、だからこそ何度でも書き換えられるんだという趣旨のことを森建資先生はよく仰っていました。同じ趣旨を丁寧に説明しているのが私の記憶では名著『歴史とは何か』岩波新書のカーです。また、武田晴人先生の研究史整理の講義からはその時代時代の問題意識が研究の視点に影響を与えているということを実地で教わりました。そういう経験から振り返ってみると、やはり、現代の自分という問題意識は重要です。もちろん、ここでいう自分は生活実感レベルには留まっていません。

と、こんな風に「自分」にこだわると、そのうち、哲学的な迷宮に入り込んでしまうわけですが、歴史研究者には素晴らしい本を書いてくださった方がいます。それが表題の本です。多くの方はご存じだと思いますが、阿部謹也先生の書かれた歴史入門書です。ちくま文庫に入っています。これは百聞は一見に如かず、真面目に歴史を考えたい方にはお勧めの一冊です。
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以前、講義で喋るので濱口先生の『新しい労働社会』を読み返していたんですが、改めて、もっとも大事なことを論じ忘れていたなと思い出しました。そもそも、去年の夏にあの本が出ていた頃は、中村圭介先生の御本なども出ていて、労使関係に何とか関心を持ってもらうことが大事だというのがマイブームでして、それに乗っかってエントリを書いて、少しやりとりをしたという次第であります。しかし、多分、濱口先生のあの本のもっともコアな部分は実はあんまり論じられなかったのではないかとふと思ったのです。

私はあの本を読んだとき、「いのち」という言葉が随分出てくるので、驚いたというか、虚を衝かれた新鮮な感じがしました。ちょうど鳩山前首相が演説で使って話題にもなりましたが、あれはおそらく山本孝史議員の影響でしょう。でも、なんか「いのち」が妙な印象を残していて語りにくかったなぁという気もします。

濱口先生は戦前の政策もきちんと心得ていらっしゃるし、おそらく厚労省の中にそういう伝統が脈々と受け継がれていて(と信じたいところですが)、とにかく労働者保護というコアがよく骨身に沁みていらっしゃる。ですが、現実の政策は「保護」という観点からどんどん離れていってしまった。そのもっとも最初は実は労働基準法を作るときだった。あの法律はもともとは労働保護法となるはずだったんですが、たしか総同盟の誰かが、おそらく松岡か西尾だと思いますが、保護はやめてくれと申し入れをして、「労働基準法」の名称になったんです。戦後、すぐのあの時期に「保護」より「権利」を重視したかった心情を持っていたことはよく分かります。時代は天皇制から民主主義だと思われていました。それでも、言葉が変わったとしても、同時代の人は「保護」ということの重要性をすぐに忘れたわけではありませんでした。しかし、徐々に忘れられていってしまった。私は今、研究所でやっている研究から、それは一つ女性政策と関係があるのではないかと思っています。その転換は直接的には1985年に成立した男女雇用機会均等法です。俗っぽくいえば、市民社会的平等と家父長的保護は相容れない。実は労働保護の歴史は工場法以来、母性保護、母体保護として女性とともにありました。その意味では、女性政策は重要なんですね。それが男女雇用機会均等法で思想的に大転換してしまった。戦前の歴史を知る私は、あれだけ先人が苦労して認めさせた深夜労働の禁止を、糾弾して解消させてしまうことには複雑な思いがあるわけです。もちろん、保護が全部消えていくわけじゃありません。今だって続いています。でも、やはり思想的には大きな転換であったという思いは否定できません。

今回の濱口先生の「いのち」は「保護」を超えてもっとぎりぎりの根幹まで詰めていってます。「権利」も勝ち取るものであったときは輝いていましたが、いったん、手に入れたら、それをモチベーションに動くのは難しい。そういう意味では、プラグマティックに能動的獲得を前提とする「権利」に重点を置くことがよかったのかどうか、微妙なところかもしれません。

普通の人が「ワークライフバランス」を学んで、これを正社員の長時間労働の問題に結び付けることは容易ではありません。もちろん、論理的には繋がっていきますよ。女性の労働問題が家庭生活と切り離されないならば、必然的に表裏一体の形でその配偶者の男性の労働問題と結びついています。念のために言えば、間宏先生なんかはこうした問題に関心を持たれていらっしゃいました。

今は「規制」という言葉に置き換えられてしまいますが、労働政策の本質の一つは間違いなく「保護」です。どうしても「権利」という言葉を使いたければ、「権利の回復」と読み変えてもいい。しかし、どう言い方を変えたところで強制力を伴う権力を使って、権利を回復させるんですから、その機能は明らかに「保護」です。考えてみれば、法律の強制力で新労働者組織を作るのもまた「保護」ですよ。私はあのとき、それは「過保護」であって、組合の非常にプリミティブな機能を破壊しかねないと反撥したんですが、まぁ、なんだかパターナリズムに反抗する子どものような構図でしたね。戦前の労働組合を最後まで守ろうとした社民主義の総同盟がパターナリズムを潔しとしないのは当然でした。

私は別にどちらがいいというつもりはありません。真実はその中間にあるのでしょう。一番大事なのは現実感覚に基づくバランスの問題とでも言うべきでしょうか。