2011年05月22日 (日)
今日は社会政策学会の初日。朝はMIS(Minimum Income Standards)の報告を聞きに行った。その方法は斬新で、研究者だけでなく、その地域に暮らす市民がその地域で暮らしていくために最低必要な消費を決めていくというものである。一つ一つのプロセスを丁寧に説明して下さるので、とても参考になった。ただ、これに限らず、最低生活の設定は、一つの方式を絶対視するのではなく、どれにも利点と限界があるのだから、複数の方法の調査を行うことが重要だ、ということを岩田正美先生は何度か仰っていた。
午後の共通論題「変化する教育訓練とキャリア形成」はあまりに内容が酷かった。佐藤厚報告は企業が訓練に掛ける費用(時間も含めて)が減っていて、それを補う職業訓練や学校の役割が重要という話であったが、学会の共通論題でわざわざ報告する必要があるかどうかは謎。そんなの誰でも知ってるよ、というレベル。続いての浦坂純子報告は無残。某教育社会学のM氏によれば、教育社会学であればこんなものは許されない、修論以前のレベルとのことであった。キャリア教育、職業教育の深まりもないし、前に私が濱口さんに対して、そもそも大学生の就職問題は不景気なことが問題であり、学校の教育内容云々とは関係ない、ということをブログにも書いたが、本田由紀さんはじめ、大学関係者が一番、迷走してはいけないパターンである。というか、本田さんの議論を経済系の労働をやっていて真面目に継承しようとする人がいることに驚いた。三番目の平沼高報告は、歴史的な経緯を復習するにはよかったが、萬年先生の昔の本を勉強しなきゃなと思う程度であった。ほとんど本質的な議論がなく、私はもっぱら読書をしていた。
懇親会のときに聞いた話だと、そもそも産業労働部会で去年、同じ問題を扱っており、そういう成果を踏まえないでやるのはいかがなものか、という意見があった。まったくその通りで、去年の産業労働部会の報告の方が遥かに質が高く、今回はそこから後退したと言わざるを得なかった。あとは、紙を使ったフロアからの質問について、質問者およびその所属を言わないで回答し、かつフロアからの質問は時間の関係で取り上げないという対応を採ったが、これに対する不満の声も出ていた。私としてはそもそもあのレベルの内容に質問をする意欲があった人がそれなりにいたことに驚いたが、それはここだけの話しにしておこう。
職業訓練は大事なのだが、ああいう風に扱われると、かえってなぜ大事かということがぼやけてしまう。あれでは啓蒙にもならない。企業が訓練への費用を減らしていることは、私の直観では労働強化に繋がっているのであり、多分、金額的なコストより時間的なコストの問題が大きいと思う。もし、そうであれば、訓練費を投じなくなったから、他が代替するなどというプランは筋が悪い。そもそも技能(ないし能力)という点でいえば、職業訓練の多くは入職レベルの技能を身につけるところに力点が置かれるべきであろう。これこそが普通教育と違う点である。ただ、本当はそこからもう一段、掘り下げる必要がある。大学の教育については矢野先生が学習の習慣仮説を立てられたが、同じように学習プロセスに注目して、職業訓練を捉え直す必要がある。すなわち、職業に必要な技能を学ぶというプロセスを経験することが、その後、働き始めてから新たに自分の能力開発をする際にどれだけ寄与するか、ということを仮説、ないし事例でもいいから検討する必要があるということだ。とにかく、中身の話をしなくては話にならない。
本当は歴史的にみると、教育改革以降の思想的変遷を検討する必要がある。森戸や田中などの学識経験者を中心に作られていった敗戦後の教育基本法の思想が、いかに文部省と労働省の役所の壁に阻まれて、あるいは教育学部系の一部の学者の既得権益のせいで、教育を学校という狭い枠組みのなかに閉じ込められていったのかという点を検討しなくてはならない。その文脈で四六答申までの流れ、それから生涯教育の流れを理解すべきだろう。歴史感覚がないのは困ったものだ。
総会では学会誌の改革の話が出ていて、あまりにも内容がひどいので、私は意見を言った。そもそも若手を育成するというけれども、抜きずりはないし、発行されてからWEBで公開(しかも有料)まで2年経過を待つということだが若手の2年がどれほど重いか分かってるのか、おまけに査読レベルもひどい、いったい本気で育成する気があるのかという内容である。懇親会で久本先生に非礼をお詫びしたところ、あのくらいのことはもっと言っていいし、むしろ日頃から意見を寄せろと逆に言われてしまった。久本先生は震災についても社会政策学会として何か学術的に提言していきたいので、知恵を結集して欲しいという趣旨のことを総会と懇親会のときに仰っていた。率直に一人で何でも出すなどということは出来ないが、学会内にそういう知恵が存在するという信頼に立っていた。まったく労使関係的に考えても正論であり、要するに、建設的な意見を出すことが最優先である。
懇親会では佐々木輝雄さんの話題になった。前にブログで紹介したこともあり、それで読んでくれたという人もあった。北大の上原さんは読むべき研究ということを認めながら、検討が必要というようなことを仰っていた。詳しくは聞かなかったのでひょっとしたら私の理解が間違っている可能性もあるが、佐々木先生の基盤がイギリスのワークハウスの歴史研究にあり、そのモチーフが他の研究にも影響しているので、そういう意味で再検討が必要ということかもしれない。明日、もし、学会に行けたら、聞いてみよう。
懇親会の後の二次会は15室の先輩方と飲みに行った。思い出話の中にそれぞれの研究の原点のような話をうかがって、熱い夜であった。ああ、この時間に寝たら、明日は確実に遅刻である。
午後の共通論題「変化する教育訓練とキャリア形成」はあまりに内容が酷かった。佐藤厚報告は企業が訓練に掛ける費用(時間も含めて)が減っていて、それを補う職業訓練や学校の役割が重要という話であったが、学会の共通論題でわざわざ報告する必要があるかどうかは謎。そんなの誰でも知ってるよ、というレベル。続いての浦坂純子報告は無残。某教育社会学のM氏によれば、教育社会学であればこんなものは許されない、修論以前のレベルとのことであった。キャリア教育、職業教育の深まりもないし、前に私が濱口さんに対して、そもそも大学生の就職問題は不景気なことが問題であり、学校の教育内容云々とは関係ない、ということをブログにも書いたが、本田由紀さんはじめ、大学関係者が一番、迷走してはいけないパターンである。というか、本田さんの議論を経済系の労働をやっていて真面目に継承しようとする人がいることに驚いた。三番目の平沼高報告は、歴史的な経緯を復習するにはよかったが、萬年先生の昔の本を勉強しなきゃなと思う程度であった。ほとんど本質的な議論がなく、私はもっぱら読書をしていた。
懇親会のときに聞いた話だと、そもそも産業労働部会で去年、同じ問題を扱っており、そういう成果を踏まえないでやるのはいかがなものか、という意見があった。まったくその通りで、去年の産業労働部会の報告の方が遥かに質が高く、今回はそこから後退したと言わざるを得なかった。あとは、紙を使ったフロアからの質問について、質問者およびその所属を言わないで回答し、かつフロアからの質問は時間の関係で取り上げないという対応を採ったが、これに対する不満の声も出ていた。私としてはそもそもあのレベルの内容に質問をする意欲があった人がそれなりにいたことに驚いたが、それはここだけの話しにしておこう。
職業訓練は大事なのだが、ああいう風に扱われると、かえってなぜ大事かということがぼやけてしまう。あれでは啓蒙にもならない。企業が訓練への費用を減らしていることは、私の直観では労働強化に繋がっているのであり、多分、金額的なコストより時間的なコストの問題が大きいと思う。もし、そうであれば、訓練費を投じなくなったから、他が代替するなどというプランは筋が悪い。そもそも技能(ないし能力)という点でいえば、職業訓練の多くは入職レベルの技能を身につけるところに力点が置かれるべきであろう。これこそが普通教育と違う点である。ただ、本当はそこからもう一段、掘り下げる必要がある。大学の教育については矢野先生が学習の習慣仮説を立てられたが、同じように学習プロセスに注目して、職業訓練を捉え直す必要がある。すなわち、職業に必要な技能を学ぶというプロセスを経験することが、その後、働き始めてから新たに自分の能力開発をする際にどれだけ寄与するか、ということを仮説、ないし事例でもいいから検討する必要があるということだ。とにかく、中身の話をしなくては話にならない。
本当は歴史的にみると、教育改革以降の思想的変遷を検討する必要がある。森戸や田中などの学識経験者を中心に作られていった敗戦後の教育基本法の思想が、いかに文部省と労働省の役所の壁に阻まれて、あるいは教育学部系の一部の学者の既得権益のせいで、教育を学校という狭い枠組みのなかに閉じ込められていったのかという点を検討しなくてはならない。その文脈で四六答申までの流れ、それから生涯教育の流れを理解すべきだろう。歴史感覚がないのは困ったものだ。
総会では学会誌の改革の話が出ていて、あまりにも内容がひどいので、私は意見を言った。そもそも若手を育成するというけれども、抜きずりはないし、発行されてからWEBで公開(しかも有料)まで2年経過を待つということだが若手の2年がどれほど重いか分かってるのか、おまけに査読レベルもひどい、いったい本気で育成する気があるのかという内容である。懇親会で久本先生に非礼をお詫びしたところ、あのくらいのことはもっと言っていいし、むしろ日頃から意見を寄せろと逆に言われてしまった。久本先生は震災についても社会政策学会として何か学術的に提言していきたいので、知恵を結集して欲しいという趣旨のことを総会と懇親会のときに仰っていた。率直に一人で何でも出すなどということは出来ないが、学会内にそういう知恵が存在するという信頼に立っていた。まったく労使関係的に考えても正論であり、要するに、建設的な意見を出すことが最優先である。
懇親会では佐々木輝雄さんの話題になった。前にブログで紹介したこともあり、それで読んでくれたという人もあった。北大の上原さんは読むべき研究ということを認めながら、検討が必要というようなことを仰っていた。詳しくは聞かなかったのでひょっとしたら私の理解が間違っている可能性もあるが、佐々木先生の基盤がイギリスのワークハウスの歴史研究にあり、そのモチーフが他の研究にも影響しているので、そういう意味で再検討が必要ということかもしれない。明日、もし、学会に行けたら、聞いてみよう。
懇親会の後の二次会は15室の先輩方と飲みに行った。思い出話の中にそれぞれの研究の原点のような話をうかがって、熱い夜であった。ああ、この時間に寝たら、明日は確実に遅刻である。
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