濱口先生からお答えをいただいていたのですが、週末から今週は風邪を引いてしまい、ブログを更新できませんでした。申し訳ないです。

今回のやりとりで私が勉強になったのは、この理念型が単純な社会学的(社会科学的といってもいいですが)観察によって形成されるものと、法における規範を組み込んだ規範理論の二種類があるということです。私の場合、これをほとんど同一視していたのは、私自身の感覚がコモンローをバックグラウンドにしているためだと思います。古い古い自然法を前提に法の発見をしていくシステムであるところのコモンローでは、法=規範そのものであり、かつそれは神様によって作られている、ないし神様そのものなので、それ自体は争う余地がなく、あとは人間がそれを発掘して行くということになります。おそらく抽象的に究極的に言えば、規範=正義=法=神は一つになるはずです。ただ、エールリッヒが言うように、こういう仕組みを持ってるのは現在、コモンローだけなのです。しかも、その英米法圏でさえも、立法による正義というのが近代以降重要になってきているわけです。

それがないところの規範理論はどうするか、というと、やっぱり社会に求めるしかないんですね。でも、それはフリーハンドで手に入るわけではない。だから、社会そのものを観察する力を培わなければならない。そこで求められたのが「法解釈学」と比せられる「社会科学としての法」であったわけです。これは言ってみれば法社会学といってもよいのではないでしょうか。これを輸入したのは末弘厳太郎で、その次の世代であるところの我妻栄も1920年代にアメリカで社会学を勉強しています。最初に私が名前を出した西村信雄も、雇用関係における身元保証というところから「継続的保証」という理論を作り、それを一般化させた知る人ぞ知る大学者ですが、晩年には「法解釈学」ばかりやっているのではダメで、私法分野で「社会科学としての法」をやらなければならない、ということを主張していました(『個人法と団体法』の座談会)。

濱口さんは今回の本を労働法と労使関係論を繋ぎ合わせる必要があるという問題意識で書かれたわけですが、以上のような前提を踏まえて言えば、それも全部トータルで法学でやってください、と思わなくもない。法社会学をベースにした労働法をしっかり確立させるということでしょう(もちろん、末弘厳太郎以下、これが豊富な研究蓄積を残しているわけですが)。ただ、労働に関する法社会学が独立した成果を持っているかどうかというと、私の知る限りでは少し心許ないという気もするんです。実は、濱口さんが最初の方のやり取りであげられていた、菅野先生の『雇用社会の法』は問題意識としてはそれをなさろうとしたわけですが、その雇用社会認識はほとんど労使関係研究および産業社会学(稲上先生)に負っているように見える。

産業社会学というのは戦前から尾高邦雄の職業社会学のようなものはありますが、基本的に戦後始まります。途中、間宏が経営社会学を提唱した時期もありましたが、今は労働社会学と呼ばれている分野とほぼ重なっているはずです(詳しくは知りませんが、学会としては労働社会学会ですね)。ただ、その初期においてはかなり労働問題研究、氏原正治郎や藤田若雄の影響を受けているはずです。というのも、お互い講座派という共通基盤がありましたから、成果の融通もやりやすかったのでしょう。

濱口先生は私のことを社会政策学徒と呼んでくださって、私もそれが気に言っていたので、あえて言いませんでしたが、これまで議論してきたことは社会政策とか労働問題研究の枠組みで考えるよりも、繰り返しになりますが、全部法学内で何とかしてくれ的なことなわけです。産業社会学や労使関係研究から独立した分野として、労働の法社会学を確立させてくれ、ということなのです。そうして、我々隣接分野の人間はそうした分野の成果から痛切に新しい刺激を学びたいのです。

なお、濱口さんは最初の「金子良事さんの拙著評」で、

> その一つの帰結が、中小企業における「生ける労働法」の存立構造の二重性です。一方では伝統的な法社会学的認識や金子さんが例に出す中小企業の親父さんの「人情話」のような、古典的近代法と対比される伝統的前近代的共同体的縁故的「メンバーシップ」感覚によって特徴づけられるとともに

そのものずばりの法社会学という表現も並べておりますし、「生ける(労働)法」はご存じの方はご存じと思いますが、法社会学の最重要ワードなわけで、いつもながらに全部、御承知なわけでありました。

あ、ついでにとても重要なことを言いますが、本当は判例法理の後ろにある規範理論(今のところ実在しない)を構築して行く段階で、正義とは何か、ということを議論しないと現実には意味がないわけで、今はやりのロールズを読んでも、古典のハートを読んでもいいですが(というか読んだ方がいいですが)、そのレベルで議論して新しい何かを提供できる人は相当に優秀でないと難しい、ということを嫌がらせ的に書いておきましょう。個人的な独断と偏見ですが、もっとも優秀な理論家は、自分と違う情報ソースを持つベタな事実をたくさん知っている調査研究者や歴史研究者と容易に対話し、そこから新しい刺激を受けて自分の理論を深めていかれるように思います。
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濱口先生にまたまたリプライをいただきました。ありがとうございます。というか、随分と重要なところまで引き出してきたので、皆さんにもシェアできていただける内容になってきていると思います。これをよく読んでからもう一回、心して『日本の雇用と労働法』を読んでくださいね。

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多分、今回もそうですが、別に濱口先生と私の間には、こうやってやり取りする中で、いろんな刺激を受ける方が出てくれば、もうちょっと砕けて言えば「面白いじゃん」と思ってより多くの関心を持ってもらうというのが狙い、というより願いです。

> とりわけ労働法において極めて重要な役割を果たしている判例法理を、必ずしも明示すらされていないそれ自体の内在的なロジックである現実社会のありように沿って解説しているわけではない、と、少なくとも私は感じています。

ここは非常に重要なポイントです。濱口先生自身がこの本と補完的と仰っていた水町『労働法入門』岩波新書の第2章は法源という形でやや詳しく解説してあります。厳密に言うと、水町先生ご自身が書いていらっしゃるように、強行法規によって保障されている就業規則や労働協約を法源として別立てするのはまずいかもしれないですが、運用上はこの強行法規、労働協約、就業規則、労働契約という優先順位は決定的に重要です。本当にここは素晴らしい解説です。

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結論から言うと、法源についての考え方がよく分からないと肝がよく分からないのではないか、ということになります。労働法との関係で、濱口さんが言うように社会学が必要になりますということは、ここの法源という考え方をよく学ぶという意味があります。ですから、もし既に勉強されてきたというわけでなく、労働法について勉強したい方は、水町先生の本を読んでから、濱口先生の本を読むと見えてくると思います。

もう少し言うと、メンバーシップ契約とジョブ契約の対比は、欧米と日本の比較というよりも、判例法理と民法の比較という形で捉えた方がスッキリしたんです。あまりはっきり書きませんでしたが、前から問題だと思っていたのは、たとえば日本のことしか勉強していない人が書くんならいいんです。でも、濱口さんはそうじゃない。EUの労働法政策を専門的に勉強もされ、専門書も出しているし、社会的声価もその点から得られている。そういう人がヨーロッパの現実はこうであるといえば、初学者は信じてしまいますよ。そうして、もちろん、資格社会のドイツのように、現実的にそれを支持する材料も存在します。しかし、従来の枠組みではなく、イノベーティブなことに取り組む人たちはジョブ型では収まりきらない。そんなことは当然、濱口先生は御承知だし、向こうの事情をよく知らない私でも、この分野のアカデミックなトレーニングを受けていれば、論理的に考えてこういうこともあるだろうなという予測を立てられます。私が訓練過程で身につけたのがウェーバーの理念型の発想法です。でも、少なくとも素人の方たちが理念型の発想を常識として身につけているとは期待できない。それはどういうことかというと、批判的に読めないことを意味します。どうなるかといえば、結果的に濱口先生の専門家的権威に乗っかるわけです。だから、そこのところは本当に怖い。

たとえば、こういう風に整理したらどうでしょうか。

1 労働慣行=現実
2 判例法理≒現実?
3 理念型(メンバーシップ契約)≒社会科学的な中間理論(判例法理のさらに背後にあるもの)
 ⇔
4 民法の契約原則=理念として導入されたジョブ契約理念
(労働三法以下は話がまたややこしいので、端折ります)

濱口先生がいう「現実」というのは1から3です。それと対比する形で4があります。濱口先生の本を読むと、おそらく1から3の部分をセットで捉えて4と対比されていることは理解できるでしょう。でも、1から3の抽象レベルが異なっているということはなかなか分からない。だから、もうメンバーシップ契約は理念型という形で、これは現実じゃなくて、理論なんですよということをはっきりさせた方がいい。少なくとも「現実の三段階」のような形でコラムにでもヒントがあった方がよかったと思います。それに2から3への移行は現実を材料とした中間理論の構築ですから、完全に書き手(研究者)の解釈になるので、必然的にこれは学問的に批判されるリスクを負わざるを得ない。リスクと書いたのはそういう意味です。

この区別がないと、ヨーロッパの現実についての先の誤解が生まれかねません。コモンズは労働契約は不断に更新されるということを言っていたと思いますが(すみません、出典は調べていません)、これは彼の地における黙示契約の存在を示唆していると言えるでしょう(追記:コモンズはアメリカです)。

日本についても「メンバーシップだけじゃ切れないよ、ジョブもあるんだよ」ということは、私も前に書きましたし、濱口先生もブログのどこかで書かれていましたが(更新が早いので見逃した方もいらっしゃるでしょう)、キャリアが固定されている層はジョブ型だよということなんです。私が最初の書評(二つ前のエントリ)で次のように書きました。

> それから、判例法理は大企業中心に作られていったという基本認識があります。その点は間違っていない。でも、それって中小企業のことをすっ飛ばしているよね、というところになる(これは『新しい労働社会』が出た時に少し議論したことがあります)。もちろん、それは濱口さんもよく分かっていて、だから、女性労働、非正規労働、中小企業をⅤ章で「周辺と外部」という形で切り分けて、説明している。この切り分け方は前著よりも非常にすっきり理解しやすくなった点です。

この大企業のコア部分とそれ以外の関係は、分かっている人には目次の構成で一目瞭然ですが、皆さんはどうでしたでしょうか?あんまり意識しなかったのではないでしょうか。

とはいえ、ひどい人になると、労働三法(今なら+労働契約法)他、関連の制定法だけ勉強すればいいと誤解してたりするので、民法が大事、判例法が大事という原理原則がなぜそうなのか理解しやすいだけでも、濱口先生の本も水町先生の本も有り難いものです。これは比喩ではなく、本当の意味でのチャート式、たとえば社労士のテキストでは分かんないことです。
濱口先生にアンサーエントリをいただきました。ありがとうございます。私も色々と考えを深めることが出来ました。

私の書き方が悪かったのと、少し考えが足りなかったせいで、ちょっとした誤解を与えてしまいました。チャート式が嫌いというのは、それはそうなんですが、別に不要であるという意味ではありません。ただ、今回の社会政策・労働問題チャート式への不満は内容がやや古いということです。逆に言うと、これはこの分野が学問的にほとんど見るべき進展を見せずに、停滞していることを意味しているのでしょう。それならば、むしろ、その責任は濱口さんではなく、教科書を書くと言って書かない某S先生に全部押し付けたいところですが、私も含めて学会員は等しく少なくともその一端を担うべきでしょう。

ただ、チャート式の存在意義の話とは別に、入門書でメンバーシップ契約という単純な理念型を使うことについて、私は『新しい労働社会』から懐疑的です。同じく教科書として書かれた『労働法政策』は内容の詳細さからいってもさすがに東大法学部の学生相手ですから初学者から中級者向きとはいえ、一生懸命読めば、実はそんなに難しくない(と私は思います)。そういう意味では『新しい労働社会』以降のある種の冒険が私には失敗しているように思えるということです。

チャート式で勉強することの意義は、当該分野について体系的な知識を獲得するということであって、その内容を薄めることではありません。この点については、小西甚一先生がたしか古文の参考書で明確に書いてあります。平易に書いたけれども、1ミリも学問的水準を下げてない、と。もちろん、それが困難なことはよく分かっています(し、そういうものならば喜んで読みます)。だから、個別論点の上層に単純な理念型を置くことのリスクは問われるべきですし、逆に言えば、その理念型を設定するというのは、極めて学問的に深い行為のはずなんです。まして、初学者はそれを批判的に読む能力がないわけですから。だからこそ、私は日本的雇用=メンバーシップ契約論に焦点を絞って反論したんです。

私自身に社会政策学徒という言葉を使っていただいて大変光栄なんですが、社会政策学徒というのは今ではほとんどいません。少なくとも新しい世代で労使関係研究者、制度学派的労働経済学者というのは辛うじて再生産されているかもしれませんが、それも少数派ですし、ましてそこから社会福祉領域をカバーするような研究者は若手ではほとんどいないんじゃないでしょうか。逆に、福祉の方たちは労使関係に暗いし、社会政策学徒と思っていないでしょう。後は武川さんたちのようなイギリス流ソーシャル・ポリシー学派がいますが、彼らには私の前エントリも、濱口さんのエントリの「身分から契約へ」「契約から身分へ」「身分から契約へ」などというテーゼも、理解してもらえるとは期待しておりません(本当は「シチズンシップ(市民権)」を考えるときに決定的に重要ですけどね)。むしろ、法律の解釈だけでなく、法学をちゃんと勉強した人にこそ分かってもらえると思っています。というか、私の書評は濱口先生本人に向けて書いたものであって、まぁいろんな捻じれがあることを知っている人にはああそうだったと思い出していただく程度で、後の核心の部分は濱口先生に伝わればいいんですよ。

「契約」と「身分」の揺れの話はなかなか拡がりを持っていますね。個人→団体→個人と関心の変遷を示唆しています。この点は水町先生の入門書を読んで非常に刺激を受けました。我妻先生の大論文が書かれた1920年代というのは、個人から団体(法人)へという時代でした。経済学の世界では1932年のバーリー&ミーンズの本によって所有と経営の分離が発見されたと思っている人もいるかもしれませんが、そんなものは法学の世界では1920年代、早ければ1910年代から議論されているんです。だから、企業論は当時のホットトピックなんです。ただ、レンジを拡げると、書かれなかった第三部は企業論もそうなんだけど、組合も含めた法人論になったかもしれない。企業論自体は西山忠範や奥村宏といった人に引き継がれましたが、組合論になるとどうかな。同じ水準のものがあるのかな(不勉強ですみません)。何れにせよ、我妻先生が続きを完成させていたら読みたかったなぁ。そして、現代(団体→個人)はまた、別の枠組みで語られなければならないですね。ちなみに、入学者はいいですが、さすがに出るときまで我妻論文は読んで欲しいものです。

団結の力というのは労働運動に関して言えば、1940年代がピークで後は下っていくのみです。それは左翼が三池、スト権スト、国労で三度の敗戦をして、どんどん弱体化していったことからも分かります。ただ、安保だとか、学生運動だとかの社会運動ということで言うと、もう少し後においてもいいかもしれません。ちなみに、そういう点から言うと、1975年が国際婦人年でそこから10年間は女性運動が盛んになり、85年の均等法に繋がります。なかなか興味深いです。その女性の社会参加=社会教育運動が段々その頃から下火になってくる、というのも極めて面白い現象ですが、このあたりのことはそのうち、考えましょう。

後、ブラック企業を近代と脱近代の文脈だけで捉えるのは誤りです。もちろん、そういう側面もあるでしょうが、元々住込み奉公というのは昔(前近代)から苛酷なのです。「ALWAYS」は2000年代だから描けるので、1980年代には「おしん」だったんです。昔は労働の歴史を描く人たちはそういう残酷物語ばかり書いたものです。現代の人にそういう思いを伝えなきゃいけないなどという使命感は持ち合わせていませんが(どちらかと言うと、専門の内容を話すと「女工哀史ですね」などという挨拶をされて、一々そこから説明してきたので)、先達の研究(および素晴らしいルポ)の蓄積というものもありますので。ここは主としてKousyouさんに向けて(笑)。

参考
Kousyoublog 暗黒企業の原初形態
私が前に書いたエントリ もう一つの女工の歴史
を両方、読んで、バランスをとりつつ、楽しんでいただければ。
濱口さんの『日本の雇用と労働法』日経文庫を何度かざっと読みながら、何ともいいようのない違和感があったので、改めて『新しい労働社会』岩波新書と『労働法政策』ミネルヴァ書房を比較しつつ、水町先生の『労働法入門』や野川先生の『労働法』などを横目にみながら、改めて日本の雇用と労使関係ということを考えることにしましょう。結局、何が違和感を覚えるかといえば、私は徹頭徹尾チャート式が嫌い、テストもテスト勉強も嫌いということに行きつくことが分かりました。

私自身が労使関係を教えるときは、将来学生が働いて問題に直面したときに簡単に諦めずに、誰か(労政事務所だったり、それこそPOSSEさんだったり)に相談するという手段があるということ、これを理解してもらうところを最低水準と考えています。もちろん、それ以上になぜ組合が出現してきたのかとか、集団的労使関係はなぜ重要なのか、というような話もしますが、これを理解するには二重の意味で難しいんです。単純に、労使関係というのは個別にせよ集団にせよ「交渉」という意味での「政治」が重要なわけですが、私の独断と偏見で結論から言うと、「政治」的感覚が分かるかどうかは才能です。別にそれがあったからといって人生が幸せになるわけでもないし、むしろ苦悩が深まるように思うので、なくても特に気にする必要はありません。第二点、そうは言っても、経験からそういう感覚をある程度、身につけることは出来るのですが、産業社会に出ていない段階ではそういう経験が少ないでしょうから、学生にこの点を期待するのは難しいという事情もあります。加えて、同じ交渉の場面に立ちあわせていても、全然、そういう駆け引きに気付かない人もいるので、経験して政治的感覚を養うということ自体にそもそもある程度の素養がいるわけです。そんなわけで、私は体系を理解してもらうことよりも、片言隻句から何かを感じとってもらう(あるいは将来、思い出してくれる)方を重視しています。

濱口さんの狙いは、労働法的な世界と労使関係的な世界の両方の入り口を見せよう、そして、出来ればその両方に入っていくとこれからなおいい、ということを伝えることにあると思います。その試みは皆さんの好意的な反応をみると、まずまず成功しているように思います。でも、入門書としては危険な香りがします。その根幹は、現代日本のもろもろのシステムが大企業を中心として作られたことによって、今まではうまく回っていたけれども、これがうまく行かなくなってきたから、何とか変える仕組みを考えないといけない、という問題意識が背後に隠されているところでしょうかね。そういう点から言うと『新しい労働社会』『日本の雇用と労働法』に比べて、『労働法政策』は素直な本です。もっとも、冒頭の歴史認識はかなり野心的だけど、そう断ってありますから、問題なしです。

ああ、そういうことか、ということで気が付いたんですが、実は日本的雇用には何重にも捻じれがあるんです。それを皆さん整理していないから訳が分からないことになっている。日本と欧米を対比的に考えるのは、要するに、明治時代は先進欧米諸国(一等国!)との対比でしばしば自己認識していたから。EU専門にしている濱口さんが欧米だって一枚岩ではないのを知らないわけがないけれども、この本でも枠組みはこれを利用していますね。いずれにせよ、濱口さん以外でもいろんな様々な議論の底流には、日本対欧米、先進(≒近代)対後進(≒前近代、ないし半封建)という図式が根を張っています。最初は日本対欧米という図式に先進対後進をあてはめていたので、欧米=先進対日本=後進で、非常にシンプルだったのです。

もう一つは大企業と中小企業という対立軸もあります。これは古くは二重構造論と言われていました。この構造的な問題は日本資本主義論争前夜、すなわち1920年代にはもう議論されていました。ここからはイデオロギーが関わってくるんですが、高橋亀吉なんかは当時の日本の大企業、主として世界でも勝っていた紡績業が企業としても先進的であることはよく分かっていたし、実際にそう主張していたんです。ところが、それは少数派だった。その高橋でさえも日本の社会的な貧しさは農村と中小工業にあるということを言っていたんです。このときは、日本=後進、欧米=先進という図式からはむしろ、日本的特徴は中小工業およびそれを温存する二重構造に見ることがとても自然でした。

世は進み、高度成長を超えてオイルショックを世界の中でも比較的上手に乗り越えると、一気に日本企業が注目を浴びます。労働の分野で言えば、小池和男先生ですが、小池先生は1950年代から日本最先進国論者という少数派。これはむしろレイト・カマー・セオリーです(この名前は多分ドーアです)。この議論はざっくり言うと、後進国は先進国が実験的に経験してきた良い点、悪い点を後ろから学べるので、タイムラグの後、一気にトップランナーになれるという話です。ただし、後進であれば何でもいいわけじゃない。小池先生の議論が重要なのは、これは文化論じゃなくて、もっと普遍的に合理的に説明できるんだということです。リチャード・フリーマンという労使関係研究者が脱神話化(de-mistify)と小池先生の仕事を評価したのもそういう背景があったからです。何れにせよここらあたりになると既に図式的な理解をするには、話がややこしくなってくる。濱口さんがイデオロギーじゃないと言えるのは、こういう合理的説明作法を十二分に踏まえているからですよ。濱口さんの議論は、こういうことを表に出していないし、説明する必要もないんです。

ただ、それとは別に日本の労働法を見るときの対立軸は、民法の雇用契約原理(ジョブ契約)対日本の実態(メンバーシップ契約)です。この対立軸は理念対現実に置き換えることが出来るわけです。ここで一応注意しておくと、「現実」というワードそのものが図式的に理解できますよ、ということです。ここに気がつかなければ、メンバーシップ契約は現実そのものじゃなくて、理念型なんですよ、という意味がまったく理解できません。濱口さんと実際お会いして議論した時の印象ですが、濱口さんは実在論の立場じゃないんですね。哲学的に。だから、むしろそこは多かれ少なかれ、人間の議論は理念型的に成らざるを得ない、と考えているような気がします。それはそれで一理あるし、前提だから書かれていない。というか、書く必要もない。

それから、判例法理は大企業中心に作られていったという基本認識があります。その点は間違っていない。でも、それって中小企業のことをすっ飛ばしているよね、というところになる(これは『新しい労働社会』が出た時に少し議論したことがあります)。もちろん、それは濱口さんもよく分かっていて、だから、女性労働、非正規労働、中小企業をⅤ章で「周辺と外部」という形で切り分けて、説明している。この切り分け方は前著よりも非常にすっきり理解しやすくなった点です。しかし、翻って欧米対日本の雇用関係の対比ってそれで切り分けちゃっていいの?という思いがあります。

というのも、この前、あるところで話を聞いたときに、ある中小企業に関連する面白い話を聞いて、そのとき、はっと思ったのです。その話というのは、訓練生をインターンシップで中小企業のおやじさんに預けたところ、情が移って、終了時に「先生、本当は一人しかいらないけれども、ここまで一緒にやってきた片方だけを切ることは出来ないから、両方採るよ」ということになったそうで、こういう家族主義が日本的経営ですよ、というんです。これはかなり縁故採用的感覚です。大企業も皆無じゃないでしょうけれども、大勢は縁故採用からレッテル(学歴)採用へというのは大正以来あるわけです。

この話をすると、多分、いやいや、採用というのはある種の「官能」なんだといういつもの話を持ち出されるでしょうけれども、じゃあ、その採用方法って、大企業という仕組みが必要とした雇用システムの合理性から説明できるの?っていうと、少なくとも、このインターンシップの話はそうじゃない。そうすると、疑問は日本の雇用原理を組織へのメンバーシップ契約で説明すること自体にあります。まぁ、疑似家族のメンバーシップだと言われれば、そうかもしれませんが。

で、それも全部、分かってるよというのが、労務賃貸借と「奉公」というコーヒーブレイクなんです。そこでさりげなく末弘厳太郎が重要かもしれないねって書いてある。ズルい(笑)。これ読んで分かる人は、最初から分かっている人だけでしょう。ちなみに、法学の世界ではメインの有名な「身分から契約へ」というテーゼが合って、これを図式的に言うと、契約=近代(先進)対身分=前近代(後進)に言いかえることが出来て、この方程式も頭に入っていると、このエントリの上の方の議論とも平仄が合ってくるわけです。

何れにせよ、このコラム、本文よりも難しいし、身分法で押して行くと、本文のロジックと齟齬が出かねない。大体、身分法重視は東大労問研の中でも少数派で森建資先生と私くらい。他の人は分かってても書いてません。ちなみに、身元保証が大事だと言っているのも私くらいです。この辺の素材でもうちょっと詰めて考えられそうですね。ところで、西村信雄先生の議論って法学分野だとどれくらい検討されてるのか、どなたか教えていただければ幸いです。
著者であるPOSSEの今野さんと川村さんから『ブラック企業に負けない』旬報社をいただきました。ありがとうございます。就活中の大学生はもちろん、大学の就活関連の部署(キャリア支援課等)、それから高校までの進路指導する先生方は必読でしょう。ただし、1-5章まで読めば十分です。

ブラック企業に負けないブラック企業に負けない
(2011/09/26)
NPO法人 POSSE、今野 晴貴 他

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この本はいわゆるマニュアル本です。といったら、けなし言葉と受け取る人がいるかもしれないけれども、そうじゃないんです。これはとてもよいマニュアル本です。よいという意味は二つあります。具体的に何をどうすればいいかということがちゃんと書いてある。もうひとつは、単なるノウハウにとどまらず、そのメカニズムをきちんと考察しています。古い言い方だと、底が入っている、というのでしょうか。

個人的に一番、驚き、かつ納得したのは自己分析のアリ地獄です。キャリアカウンセリングで立派に仕事をなさっている方もいらっしゃるのも知っていますが、日本からカウンセラーがいなくなったら、世の中はよくなるのではないかという風に思ってしまいます。ある種の弱っている相手に高圧的に接する、そのときに専門職としての権威が効果的に作用する。恐ろしいことです。たしかに、臨床心理士をはじめ、国家資格化することで、その職種の労働条件が上がるという面はあります。それはそれで必要なことです。しかし、その一方で、権威化すると、その権威に寄り掛かって一部で堕落して行く人たちがいるのも当然の成り行きです。この本の中ではブラック企業に味方する社労士や弁護士も登場します。専門家に弄ばれないためには、信用できる専門家を見つけておくか(これは問題が起こる以前は難しいですね。そもそも関わらないので)、ある程度の基本的リテラシーを身につけないとならないということです。

いつも闘う意識を持つようにするなんて、しんどくて嫌ですよね。でも、そういう状況になったら、ちゃんと闘わなきゃならない。そのための最低限の知識の伝授は学校教育に期待してもいいかもしれません。ということで、急遽、労使関係論の中に少し組み込んで、伝えたいと思います。

キャリア系の本や就活本はあまたありますが、私はその中でもっとも良質な一冊だと思います。心理学系のキャリア本を読む前に絶対にこっちを読んでください。もう一度、強くお勧めしておきます。