今日は毎月やっている復興支援の会合に出て来た。お話しされたのは12月に1週間ボランティアに行ってきたという方で、内容自体には新しい知見はないのだが、すごく新鮮さを感じた。プロのボランティアの方ではなく、こういう普通の方の話をもっと広くいろんなところでみんなに聞かせたい、という意見が初参加の方から出た。実は質疑応答のところで、僕も現地の状況を説明したりしたのだが、そういうところでも違いを感じられたのだと思う。仲間の小松さんと話をしていて「僕らいつの間にか忘れてる気持ちがありましたね」というようなことを語った。

そんなことをフェイスブックに書こうと思っていたら、去年、考えてたことを思い出した。復興支援に最初に参加した頃はちょうど緊急支援の局面が終わる頃だったので、僕は避難所も知らない。そのとき感じたのは、神戸の経験をしたボランティアたちの圧倒的な能力だった。そして、神戸の震災を研究して来た人たちの経験だった。今回の震災と神戸の震災は全く違う側面と同じ側面がある。たとえば、震災をきっかけに初めてボランティア活動に参加したという人が多数いたことである。神戸のときはそれがNPOの時代の幕開けだという風に思われた節がある。実際はそうならなかったが、そういう風が吹いたのはたしかだった。そして、今回の大震災でも同じようなことが起こった。だから、それぞれ支援活動を通じて、同じような体験をするんだけれども、タイミングが違うとその体験は少しずつ違う独自の意味を持っていて、それが重なっていることは重要かもしれないというようなことを議論してた。誰かと笑。

震災から1年は長かった。いろんなタイミングで支援に入った人がいる。そして、志半ばで支援から降りてしまった人もいる。今日はフェイスブックでそういう方の経験談が語られていた。そのこと自体にはあまり感慨はない。でも、いろんなタイミングで、いろんな人が関わっているというのは、ある意味で新しく、僕が初期に感じたことが起こっているのかもしれないと感じた。ものすごいスペシャリストだけが素晴らしいのではなく、いろいろなレベル(層)の人がなだらかに存在しているということが実は大切なのだ。支援も途中で苦しくなったら、休めばいい。その間、他の誰かがやってくれるかもしれない。力が戻ってきたら、また戻ればいい。

いつの間にか全く支援活動から関わってない人から見ると、僕は随分、支援活動をやっていると見えるらしい。僕自身は大したことをやっているわけではなくて、ただ状況を分析する能力があるから(これは今まで学問的研鑽で培ってきた)、実際、やっていることよりもすごいことを経験して来たかのように錯覚されやすいだけだ。僕の中では原則的に自分の活動が十分だとも不足しているとも思っていない。僕は他人から自分の行動をどう評価されても自分の中に確固たる基準があるので別にブレないが、ただ他人が僕の話を聞いてどう感じるかは大事だなと今さら気付いた。支援に関して絶対的な活動量と質で言えば、池ノ谷伸吾に敵う人は一人もいないと僕は思う。いつも全力で走ってる伸吾さんの姿を見ると、ときどき自分がたるんでるなと反省することはあるけれども笑、それによって僕の根本の考え方が変わるわけではない。伸吾さんは伸吾さんで完璧ではないし、だからこそ、僕自身の役割もある。それはこれを読んでいる方、一人ひとりにあるはずだ。そのそれぞれ違った形が折り重なって多様性があることこそ、未来への可能性なのである。

ただ、実際には支援という形はもう少し多様化していった方がいいのだが、そのあたりのことはまた、別エントリに書くことにしよう。
スポンサーサイト
hamachanから久しぶりにコメントを頂いたので、ちょっと考えてみたいと思います。瀧川先生の書いてらっしゃることはすごく分かる部分もあるんですが、私が強調したい点は少しズレています。

問題意識としては、いわゆる日本的雇用というものがどこから来たのか、ということがあります。この日本的雇用というのは大企業のものです。で、これは有名な商家起源説と武家起源説があります。私は今まで両方の説に捨てがたい魅力を感じていたんですが、その折衷として奉公制度を重視しようと思ったのです。

まだカステルの本をちゃんと読んでないので、それを読んでから書くべきなのですが、あの本を全部、読み切る自信はないので、差し当たり書いておきます。ポイントは近世社会から近代に移るとき、近世の諸制度をどのように近代に接続したのか、あるいはしなかったのか、なのです。そういう意味で「奉公」という言葉が持っていたプラスのイメージも重視したいのです。とはいえ、「奉公」には同時にマイナスのイメージが伴っていたことも無視は出来ません。実際の雇用関係、たとえば住み込みなどは、Alwaysのロクちゃんのように幸福なケースはおそらく稀であったと思われるからです。

にもかかわらず、武士階級というのは江戸時代を通じて、社会の美徳というか、そういう規範を作りだしていたことを私は重視したい。福沢諭吉が批判したように厳然たる身分社会でありながら、ある種の価値観が階級を超えて共有されていたということは大きいのではないかと思います。その一つが「奉公」制度ではないかと思っているのです。で、この「奉公」のイメージはやはり武家の御恩と奉公です。

このことと日本の勤勉思想というのはおそらく結びついている。それは象徴的には石門心学に見られるような、ある意味では階級を肯定しながら、その階級を超えたそれぞれの生き方を肯定的に見られるところに繋がっていく。これは明治30年代以降、ある意味では再発見されていくわけです。それは報徳思想(二宮尊徳)を媒介に地方改良運動へと流れ込み、国民的教化に結びついていく。同時に、企業の労務管理思想の中にも浸透して行く。

実はこういう規範とは別のものが職場を支配していた。それは職人の系譜を引く職工の文化です。多分、これは私の勘では1950年代くらいまで続きました。ところが、これを工職混合と「技術革新(言葉そのものの意味ではなく、思想としての技術革新)」が相俟って、次第に職員の方の規範に変えて行った。この変化と能率給から定額給(いわゆる年功賃金)へという流れはパラレルです。

この間、大正時代などはある種、職工文化がもてはやされた後、けなされて行くんですね。それはある種の刹那主義です。そのプロセスの中で重要だったのが勤勉思想です。分かりやすく言うと、将来のためにはちゃんと貯金しなさい、そのためには倹約しなさい、という発想です。これは明治30年前後から求められていました。その結果の郵便制度でもあるのです。

なぜ、日本がブルーとホワイトが決定的に分裂しなかったか、というところに、こういう根深い文化的な共有できるものがあったのではないか、というのが私の仮説です。何も実証してませんが。どうせ書いても、ほとんどの人は分かんないだろうから、適当に書いておきます。

ちなみに、瀧川説への私の反応は近世以前は関係なし、です。カステルも中世以降(近世)から近代への変化の中で捉えているでしょう。スティグマを貼られたという状態とはやはり日本は違うと思うのですが、どうでしょう。なお、この価値観の違いは、経済学の労働=苦役という発想への日本人の違和感とも関連します。もっとも、それが悪い方に暴発すれば、働き過ぎという方に向かっていくわけですが。
今、賃金の入門書を書いているところなのだが、扱いに困るのが小池先生の議論である。みんな、知的熟練にばかり注目するが、小池先生の議論の中で知的熟練は必ずしも一番重要とは言えない。先生ご自身も一番の自信作と仰るのは『日本の賃金交渉』であり、これは企業封鎖的労働市場と呼ばれていた当時の常識を引っくり返し、企業間の連携などで事実上、産別が賃金水準を作っていることを実証したものである。佐野陽子先生たちの慶応グループ(ボスは辻村江太郎)となさった『賃金交渉の行動科学』では「産業間賃金波及をめぐる諸見解」「産業を超えた賃金波及」を書かれている。以上のことを踏まえると、小池先生の議論が内部労働市場論や企業内の狭い範囲だけで語られるのはとても違和感がある。

というよりも、小池先生のパースペクティブを大企業の狭い範囲に限って理解するのは非常なる誤解である。それを知るためには『仕事の経済学』でも「基礎理論と段階論」の章を理解する必要がある。でも、これを読んでも詳しいことはよく分からないから『賃金』を読まなければならない。小池先生は若いときに宇野経済学を使っていたのに後に近代経済学に移って行ったと誤解している人に偶に出会うことがあるが、先生ご自身はその大きいフレームワークをほとんど変えていないと思う。

「基礎理論と段階論」は言うまでもなく、かつての「原理論」「段階論」「現状分析」の前二者に当たる。ただ、小池先生が採用したのはこの枠組みだけであって、段階論における時期区分などは名称において宇野経済学のそれを援用しているけれども、その区分をする基準はオリジナルである(枠組みだけ使うのは山本潔先生も同じであった)。それは最初から技能(かつては熟練)育成の方法であり、19世紀のクラフト型、20世紀の大企業型という想定があった。問題は『賃金』のときには「原理論」から順番に説明されていたので、もっとも抽象度の高いところから、徐々に具体性の高いところをカバーするようになっていったのだが、『仕事の経済学』では具体的な話と理論の関係がよく交叉するので、見通しが悪い(先生ご本人にもお話ししたところ、本人には分からないとのことだった)。もっぱら大企業の工場労働者を対象にしたのは、それが20世紀を代表するタイプだという暗黙の前提がある。そこに反論を立ててもよいが、もし段階論に乗っかるのならば、私はこの点は特に問題ないように思う。ただし、私は段階論という発想自体が歴史の扱い方としてあまり好きではない。宇野理論的な言い方だったら、歴史研究は現状分析の歴史部門で十分である。

以上の位置づけを前提にして大企業の工場労働者の話を考える必要がある。小池先生ご自身は人的資本論を援用して知的熟練を説明されたが、私はその真骨頂はむしろ、内部労働市場論に共鳴すると思っている。ピオレたちの内部労働市場論はそんなにオリジナリティはない。それに先行するカーやダンロップ(彼らの師匠)がいるからだ。小池先生はダンロップのジョブ・ラダー仮説の方が御自分より少し早かったが、彼らの議論は同時期には知らず、後から読んだので、影響は受けていなかったと仰った(本当はダンロップの書評、というか紹介論文が古い経営志林に書かれていて、それが家の部屋のどこかに眠っているはずなのだが、発見できなかった)。先生がピオレたちを評価するのは数多くの企業を調査したという点に掛かっていて、『仕事の経済学』でもその点を高く評価されている。理論的には、人的資本論とダンロップの慣習説に乗っているのだが、具体的に何かというと、機械のクセとかの話になる。でも、ここらあたりはアメリカの製造業ブルーカラーを対象としていたから、当然なのかなとも思う(先任権はアメリカ独自の強力な慣習だもの)。一応、その定義でドーリンジャーとピオレは「管理」ということを言っているのだが、あんまりアメリカではそれがビビットに響かない。むしろ、日本を対象にした小池先生がキャリアの組み方を問題にしたことの方が大きい意味がある。この点は文献的にはKoike, Kazuo, "Skill Formation Systems in the U.S. and Japan: A Comparative Study," in Aoki, Masahiko ed., The Economic Analysis of the Japanese Firm, ELSEVIER SCIENCE PUBLISHERS B.V., Amsterdam, 1984がもっともよいと思っている。何れにせよ、小池先生のキャリアの組み方論の方が彼らが言う「管理」をうまくあらわしている。ただ、これは賃金と切り離して考える事が出来る。

本当に厄介なのは人的資本論とのかかわりである。人的資本論は右肩上がりの賃金カーブを説明する理屈なので、賃金と関係が深い。一般熟練とか、企業熟練とか、単純に言われているが、問題はそんなことよりも、前提として賃金と限界生産性が一致するという前提である。これは現実をある局面から理解するための道具=理論としてはいいし、こういう理論の発展のさせ方は先人の業績を深化させているという点で理想的である(暗黙の契約理論や情報の非対称性などは今度は人的資本論を梃子に別の展開をさせており、これはこれで素晴らしい)。だが、現実を説明するにはあまりにも頼りない。日本の大企業の賃金は賃金体系という名前がピッタリ合うように、複雑に構成されているからである。それまで問題なかったのは、個人の賃金よりも、全体の賃金水準、すなわち、賃金率を対象にしていたからである。実証的には、技能が問題になった瞬間、ミクロな個人の話になるから、そうなると賃金率は使えない。うーん、難しい。

ちなみに、野村先生は仕事表の実在を問題にしたが、私はそんなことよりも仕事表が実際の賃金にどの程度、フィードバックされているのかという点の証明が遥かに難しいと思う。トヨタはたしかに能率給部分(名前は今は違うと思うが)が昔から根強く残っており、それはそれで良いのだが、問題はそれとは別に基本給があることで、その中にも査定でこの仕事表を利用すれば、入り込むだろうけれども、全体的には基本給の決定プロセスを明らかにするのは困難を極める。ここをどう考えるかは悩ましい。

一日、簡単に書こう簡単に書こうと努力をしてきたので、ここではもう難しくても構わない、という気持ちで書いている。だから「原理論」も「段階論」も「現状分析」も説明しない。本にも絶対に入れない。私はその昔、古谷さんというマニアックな先輩がいたので、その胸を借りて随分、宇野経済学の論文や本を読んだが、今さら、それが現代の読者にとって意味があることだとは思わない。それでも理解したいと思ったら、全体がなかなか精妙に出来あがっているので、とにかく日高普『経済学』あたりで全体像を掴まないといけない。それは忙しい現代の読者には不親切だろう。というか、このエントリも入門書には無理だよな。頭が痛いところだ。