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昨日、いつものコミッション21というライオンズクラブの有志の方が集まっている勉強会に出席して、ようやく伸吾さんをみんなに紹介することが出来た。その帰り、伸吾さんの車で夜の東京を見て、渋谷だったり、赤坂だったり、六本木だったり、の活気のなさを見てきた。伸吾さんいわく、みんなおしゃれをする余裕さえもなくなった、とのことだった。時代の流れは確実に変わりつつある。

近頃、ツイッターのTLを眺めていると、よくデモの話を聞く。脱原発のデモは今までのデモの常識を変えてしまった。いや、正確には労働運動も何も知らない世代に、新しい時代のデモを見せたのだと思う。それは言葉で表現することがとても難しい。それはきっと米騒動を見た人たちが感じたような原体験を、きっと僕たちもしているんだろうと思う。短期的には、今の段階ではまだ、脱原発デモは成功しないだろう。傍観者的で申し訳ないが、この脱原発デモがどれだけ成果をあげないまま、継続させることが出来るのか、とても関心を持っている。

というのも、結局、今回の脱原発デモは原発そのものをめぐることよりも、多くの人に祝祭を与えた、という意味の方が大きいと思うからだ。そして、その影響はきっと方々でのデモに、一つ一つは小さな規模であったとしても、参加者の心に灯された火を消すことなく、少しずつ広まっている。

震災が起こって、従来からNPOやNGO活動をしている団体の存在を多くの人は初めて知った。そして、少なくとも僕は、社会政策という社会問題に近い分野を研究していながら、その実態にほとんど興味を持っていなかった。正直に言えば、今もそんなに熱心にそれらの活動を調べるほどの情熱は持っていない。にもかかわらず、そうした団体の少なからぬ情報が流れてくる。何かがつながったのだ。震災で起こった原発事故。それに端を発する脱原発運動。今度は逆流して社会運動に影響を与えるのだろうか。

社会運動は昔から貧乏くさい。今の活動もそんなに予算があるとは思えない。だからこそ、デモは今の時代の流行になり得るのではないか、という気がしている。ツイッターで気軽に繋がって、問題意識を刺激し合えたら、気軽に出かける。ちょっとした友達の噂話みたいな気軽さで、町の中からそういう話題が聞こえてきたら、日本社会はきっと今とは姿を変えているだろう。今でさえきっと日本は変わり始めている。
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T.H.マーシャルに「社会構造と社会政策との関連における専門職業主義(professionalism)の最近の歴史」という面白い論文がある。マーシャルの議論も面白いのだが、そこにアダム・スミスの引用がなされていたので、これは面白いということで、さっそく、国富論を引いてみた。

Fourthly, The wages of labour vary according to the small or great trust which must be reposed in the workmen.

The wages of goldsmiths and jewellers are every-where superior to those of many other workmen, not only of equal, but of much superior ingenuity; on account of the precious materials with which they are intrusted.

We trust our health to the physician; our fortune and sometimes our life and reputation to the lawyer and attorney. Such confidence could not safely be reposed in people of a very mean or low condition. Their reward must be such, therefore, as may give them that rank in the society which so important a trust requires. The long time and the great expence which must be laid out in their education, when combined with this circumstance, necessarily enhance still further the price of their labour.


スミスは基本的に労働の価値というのを非常に重視した人である。だから、マルクスの労働価値説のもとにもなっている。ここではそんなこととは関係ない話で、世の中にはいろんな賃金が存在してるかを説明している。スミスは信用(trsut)の大小が賃金額の幅を作っているという。適当に端折りながら、部分訳してみると、

高価な物質を任せられる金物細工師や宝石屋には高い賃金が支払われる。また、医者や弁護士に高い信用を与える。それは彼らの仕事の方法や労働条件が悪いからという理由でそうなのではない。社会においてそれくらいの信用が要求されるほど重要だと格付けされる、そういう報酬でなければならないのである。長い時間と莫大な支出を伴う教育に身を置くことと、こうした状況が結びついて、彼らの労働の価格はさらに引き上げられる必要があるのである。

こんな感じかな。で、スミスは別の個所でこの教育について触れているが、その説明も面白い。熟練工には徒弟に出せば、必ず技能を身につけて熟練工になれるけれども、専門職はそうじゃない。20人に1人しか金を取れるようにならない。だから、報酬が高くても、それは失敗した人の分まで受け取ってるのであって、社会全体のその仕事の価値から考えれば不当ではない、と説明する。ある意味、専門職はリスクテイクだから、賃金が高いというのである。

成功するかしないか分からない教育に長い時間と莫大な費用を投下するので、成功した場合、報酬が高い。

これ18世紀のイギリスの話で、現代の日本とはまったく関係ないですよ。