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森さんのエントリ、多分、僕は本来、出なきゃいけないはずの研究会の話題だったで一言。そして、hamachanが昔の僕のコメントも引いてるので。

実践的に言ったらね、職業訓練派がやらなきゃいけないことは二つですよ。僕は萬年先生が立派な研究者、職業訓練の実践者で、そして職業訓練に携わる人たちを愛する事この上なく深いことを重々承知しているけれども、あえて言います。萬年先生の議論は実践的に職業訓練擁護の議論として弱い。なんで弱いかといえば、それは批判相手の論点を見ていないで、自分の思いだけを語っているからです。

まず、職業訓練大学校が追い詰められたときの論点は、1)訓練したことと違う進路に行っているじゃないか、ということで、2)ゆえに、わざわざ職業訓練大学校で教える必要はないでしょ、ということだった。1)は事実なので否定しがたい。2)は解釈なので反論が可能である。

で、この2)の点に二つの点からアプローチする必要がある。第一に、いわゆる職業陶冶論。職業訓練を通じて人間形成にとてもいいということ。ここは中学校にあわなくて皆勤した子の話なんかがあてはまる。第二に、ある職種の初期訓練を受けることで、実は他の職種を歩んでいく上でも重要な技能(あるいは矢野先生流に学習習慣のようなものを想定してもいい)が身に付きますよ、といえばいい。これは理論的には人的資本論と内部労働市場論の応用で簡単に説明できる。すなわち、トレード型の内部労働市場を想定して、そこから職種特殊技能と一般技能の二種類を想定する。職業訓練を通じて身につくのは職種特殊技能だけではなく、一般技能でもある、と主張すればいいのです。この点を強調するためには、職業訓練経験者でその職種以外の道を歩み、かつ訓練経験がその後の人生の成功に結び付いた者の成功事例を語らせればいい。ここを丁寧に論じることが出来れば、広田照幸の議論など結果的に簡単に論破できる。広田の枠組みに乗って反論すると、1つの職業に限定されるという前提に立つわけだから、1)の指摘に反論できず、その時点で終了。

それから、訓練内容に関するところでいうと、今は製造業だけでない、カリキュラムも数多くあるので、身体を動かすという点を強調することが職業訓練の良さを主張するという目的に於いて、上策かどうか微妙なところ。たとえば、コミュニケーション・スキルといっても内容は曖昧なものではなく(新井先生に説明されたけど細かいことは忘れた)、結構、実践的なプログラムもあり、そういうものの良さは身体論と結びつけるには多分、ワンクッションいる(不可能なわけではないと思う)。ありていにいえば、汎用性を狭める可能性があるのだ。

それでもいい、身体を使うという点で押して行くとしたら、これは教育学のある種の本流、すなわち新教育の発想に近いという観点から攻めるべきだろう。この点を強調して、部分的に共闘できるところは手を結んだ方がいい。運動論的な観点から実践的にいえば、齋藤孝さんともカタリバさんとも組める。運動論的な実践という点ではまったく頼りないけれども、澤田さんや森さんとも組めるはず。ただ、数年前から同じところをグルグル迷走している印象なので、お二人が理論的な援軍になり得るかどうかも実は結構微妙(ごめんなさい、もう包括的な決定版が書かれていて、僕がフォローしていない可能性もあります)。

ただ、今、キャリア教育が非常に注目されている。学校教育におけるキャリア教育という点で言うと、大学だけが特異で、中等教育(高校)までは実は発達心理学ベースの教育学というこれまたひとつの重要な潮流の本筋の変態なので、ここに食い込みながら攻めていくことも可能である。そうすると、小学校から抑えられる。これは新教育型の話とも近いし、また、職業や社会との接点ということからも、とても職業訓練に近いのである。

大学のキャリア教育が特異であるという点から、hamachanの資格化問題の話、それから実は職業訓練の民間委託で起こった問題などに深く切り込んでいくこともできるが、たぶん、ここまでで既に話が相当に難しくなっているはずなので、それは気が向いたらやりましょう。時間ないし。

ちなみに、ここで語ってる職業訓練は短期訓練の話じゃないですよ。それはやっぱり即効性が必要だと思う。
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