意外と読んでいる人が多いそうなので、更新することにします。

午前中はゴードン先生の本の検討会でした。菅山さん、私、石塚さんの三人の報告です。基本的にぶっつけ本番です。菅山さんの話を聞きながら、届いた石塚さんのフル・ペーパーを読み、話の内容を組み立てました。ちょっと分かりにくいところもあったかもしれませんが、結果的に現状を考えるのに重要な論点、それから今後考えて行くべき論点は結構、出揃ったのではないかと思っています。ただ会場自体はお陰様で入れない方も出るくらい盛況だったんですが、議論には残念ながらなりませんでしたね。

一応、昨日、書いたことについていえば、私は官僚・労働・経営の三者を重視する視点は継承すべきであるが、それならば、戦時期以外の時期についても、官僚の役割を考えた方が良い、ということでした。特に、地方改良運動や産業合理化運動は重要でしょうということです。ただ、あんまり反応はなかったなあ。

菅山さんが話されている中で、学校のロジックというものを考え直すべきだという話が出ていました。これはそもそも広田先生のところの理論科研で菅山さんと苅谷さんに来てもらって議論したときに出た話で、私はロマン主義だと思ってますけど、学校独自のロジックを考えるべきであるというのは、基本的に賛成です。このあたりのことは『就社社会の誕生』の書評の最後にちらっと書いておきましたが、本当のことを言うと、菅山さんがこうした制度のことをどれくらい意識していたかはよく分かりません。これは昔、理論科研を一生懸命やっていた初期の頃、ブログでもちょっと議論した清水義弘をどう読むかという問題とも関連してますね。

この辺りのことは、職業教育ともセットにする形で、何か歴史的な研究を分科会でやりたいですね。ちょうど稲葉さんが夏くらいに話をしてくれるということなので、とりあえず、それを期待して待っておきましょう。二宮さん、萬年先生あたりが候補かなあ。職業訓練関係でも佐々木輝雄・田中萬年の系譜を継ぐ30・40代くらいの人がいると今後とも有難いんだけど。

午後は少し遅れてから障害者雇用政策のセクションに行きました。この分野は本当に面白い。社会政策の今と過去とそういう面白い論点が全部、詰まっている。この障害者雇用政策こそは今、学会で共通して議論すべき問題ではないかと思います。ただ、ちょっと今回の学会に参加して感じたんですが、今はちょうど過渡期なのか、議論が低調だった。それから質疑応答で質問してもなかなか通じない。全体的に異種格闘技的な議論の経験が足りないのではないかと思います。これは非常に憂うべき傾向だと思います。でも、同時に社会政策学会は議論が苦手だけれども、いわゆる社会的弱者と呼ばれる人たちに寄り添う形で、本当にコツコツと事実ベースの議論を積み重ねてきている人が沢山いる。そして、かつての空理空論が華やかに戦わされていたときでも、謙虚にひっそりと研究が積み重ねられてきた。それこそが学会の財産になっている。そういうところがあります。だから、議論があまり得手でないというのは必ずしも悪いこととは限らない。でも、建設的にいろいろな分野を横断していくということは必要だろうと思います。今回の障害者雇用政策のセッションは、非典型労働部会と総合福祉部会の総合で、その意味ではその試みの一歩と言えるでしょう。でも、ちょっと話が通じなかったのは残念でした。

私が発言したのは、障害者の労務管理が発達して、その障害を個性的な武器として仕事管理が出来るという手法が定着して行ったら、これを保護するというロジックは成立しなくなるのではないか、ということです。また、別の言い方をすると、社会的包摂が貫徹して、いわゆるノーマライゼーションが進んでしまえば、これを保護するロジックは成立しなくなる。今はそういうことはまだ実現していないけれども、目指すべき方向にある、その二つの矛盾する関係をどう考えていますかということでした。あんまり伝わらなかったなあ。

なんかときどき、労働法が労働者保護法ではなくて、労使対等でその上で、社会正義を守るという理念で作られているのが分かってないんじゃないかという気がする。実際には保護は重要なんだけど、理念的にはなかなか難しい問題があるので、そう容易に保護という視点を打ち出すのはなかなかためらわれるはずなんです。でも、今日の議論で保護という言葉が迷いなく使われていて、それはそれで気持ち良いなあとも思いました。多分、このあたりの議論が社会政策の本流という風に私が感じたのも、案外、こんなところにあったのかもしれません。

その後は首藤若菜さんの組合の議論を途中まで聞きました。始まる前に、首藤さんの報告をブログに書こうと思って来ましたといったら、心から嫌そうな顔でやめてよと言われましたが(笑)。ただ、途中で退席したのは別のセッションを見たかったのと、ペーパーと報告が素晴らしかったので、その時点で重要な問題はほぼ理解できたからです。首藤さんの報告は、グローバル展開する自動車企業の労働条件の変化と組合の対応で、私も常々、組合はその活動をグローバル化せざるを得ないと思っていたので、本当に勉強になりました。というか、相変わらず、丁寧な事実調べでした。

首藤さんの報告を後に、木下順さんの「井上友一」報告を聞きました。相変わらず序説で、いつまで経っても本論に入らない。そうなんだろうなと思って行ったら、やっぱりそうでした。思わず、来たるべき本論と今の議論の関係を説明してくださいと質問してしまいましたが、あとで複数の方からあれはずっと序説だよ、と窘められてしまいました。ただ、このときに話した都市社会政策が重要だよね、という話は玉井先生と後で確認しました。

あのときの質問で意味が解らなかった方もいると思いますが、憲政と民政の話で重要なのは後藤新平なんですよ。なぜなら、そのキー人物は社会政策の創始者であるシュタインです。彼は伊藤博文や金子堅太郎の師匠であり、明治憲法の生みの親です。そして、後藤は彼の社会政策を独学で学んだ。その一部が窪田に引き継がれ、後藤自身も台湾を統治し、満州で満鉄の調査団を作り、東京市長として震災以降の復興をリードしたんです。まさに、民政の重要人物です。

その後の杉田菜穂さんの報告は、人口政策については調べてあると思うんだけど、なぜ今、社会政策本質論争なのかよく分からない。説明を聞いてもよく分からないし、玉井先生のフォローの説明を聞くとなおさら分からない。ただ、今日の話を聞いている中で、大河内先生の学説はともかく、ありとあらゆる委員会に出ていたそういう活動は現在の社会政策を考える上で研究に値するだろうということは改めて感じました。ただ、終わってから話すと杉田さんも玉井さんもいい人だったなあ。

最後の三富先生の報告は、笹谷さんという方への告発論文。徹底的な考証型の研究者を本気で怒らせたら、もうどうしようもない。個人的には社会政策学会の健全なところだなと思いましたが、怖いなあ。
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そう言えば、いつもだったら、社会政策学会のレポートを書くのですが、例年、そんなことをやっているのをすっかり忘れてまして、今日は出席はしていましたが、源氏物語の本を読んでました。楽しみにされていた方、すみません。

今年の学会はほとんど学問的な話をしませんでした。唯一の面白い議論は、懇親会で高知県立大学の青木さんと50年代の八幡の青空の見える労務管理、工場長の話をしたことでしょうか。要するに、工場長は標準原価が導入されてしまったので、それまでの秘儀であった予算づくりが全部、明らかになってしまい、現場の力が吸い上げられた点が大きい変革であった、という話をしたら、でも、標準原価はその後現場の計画値、目標管理に揺り戻しがあるという点を指摘されました。でも、たぶん、それは運用上の問題で、はっきり数値化されている時点で逆コースではない、という風にお話ししたら、それはそうだね、という話になりました。なかなか重要な問題だと思います。別に許可を取っていないけど、意外に重要な議論だと思うので、シェアしておきましょう。

それはそうと、今日は初めての告知です。明日はゴードン先生の『日本労使関係史』の合評会をやります。場所は青山学院大学です。報告のメンバーは菅山真次さん、石塚史樹さん、それから私の三人です。そして、討論者は訳者の二村先生。菅山さんはレジュメ、石塚さんは途中原稿をそれぞれ読ませていただいていますが、割と面白いセッションになるんじゃないかなと我ながら思っています。フロアにはおそらく、市原博さんや吉田誠さんが参加してくださると思いますし、なかなかうるさい豪華メンバーが集まるんじゃないでしょうか。

私のフル・ペーパーは後で公開してもいいんですが、ブログや書評に書いたことも踏まえてはいるものの、さすがに新しい論点も入れてます。それは1970年代と1910年代の異同をどう理解するかという話です。それってどういうことなの?というのは明日のお楽しみということで。