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火曜日の労働環境論の講義で、大学生の就職問題を話そうと思って、関連文献の読み返しをしている。その中で、前に目を通したことがあるはずなんだが、改めてそうなんだよなと思ったのが居神浩「ノンエリート大学生に伝えるべきこと」であった。この論文の素晴らしいところはいくつもあると思うけれども、私が今回、もっともそうなんだよなと思ったのはタイトルにした「異議を申し立てる力」である。実は最近、私はまったく違う二つの経験から、この問題が重要だなと感じていたからである。

一つは、非常勤先の学生さん、どこの学校で話をしていても同じように感じている。最近、初めて私のテストで異議申し立てをして来た学生がいて、単に成績の見直しを迫るのではなく、自分は自分なりに勉強して来てクリアできたと思った、何が悪かったのか教えてほしいというので、とても感激した。テストの異議申し立てがあると、教員は動揺することも多いと思うが、自分なりに勉強して来て出来たと主張できる学生との対峙は喜びである。その結果いかんを問わず、立派であると言わざるを得ない。ただ、このようなケースは稀である。

もう一つは、支援に来ている沿岸で感じることである。行政の対応、その他、みんな、不満はたくさんある。でも、それをうまく異議を申し立てる術を知らない。申し立てない理由は、学生とは違うけれども、技術として異議を申し立てることがある、ということをやはり知らない。

さて、理由は別にして、異議を申し立てることが出来る、ということをどうやったら伝えることが出来るかのだろうか。私は権利教育というのは筋が悪いと思っている。そんな生存権ギリギリのところまで追い詰められてから戦かうのではなく、もっと交渉するということをちゃんと日常的な行為として身につけるべきだと思う。それがないと、結局、窮鼠猫を噛むみたいな話になり、追い詰められて一寸の虫にも五分の魂があることを見せつけたいという運びになる。それではまったく生産的ではない。ただの百姓一揆である。

しかし、交渉を教えるのもまた難儀である。実際、やってみせるのが一番の教材ではあるのだが、それを目の前で見ても、何も感じられない人もいる。それは前提として、自分がやってもダメだということがある。ここではたしかに居神さんが書いているように、自信の回復が必要なんだろうなと思う。でも、これ、結局、カウンセリングの領域に近い。ということは、これやったらNGというのはあるけど、これさえやっておけばOKというのはない、ということなんだな。結局、対機説法という当たり前の結論に落ち着く。そりゃ、そうなんだけどさ。

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