というわけで、急きょ予定を変更して三山さんたちの報告ではなく、首藤さんの論文を使って、今日は解説しました。結果的に言うと、失敗だったかなあ。講義の質としては悪くなかったと思うけど、三山さんの報告の方が質がよいからそれを扱った方がいいかなと思います。それは最初から分かっていたことなんだけど、なんで首藤さんの論文をわざわざ取り上げたかというと、これが多分学会でジェンダー系の労働研究をやっている研究水準だというのが私の見立てです。この程度です。でも、この水準を理解したところに、三山さんのあえて「平等じゃないんだ、自由だ」という深い深い魂の叫びの意味を感じ取れるとも思うのです。だから、あえてこれを取り上げてみました。

さて、その三山さんたちの論文というのは三山雅子報告、水野由香コメント「昇進しない女達に自由と保障を-能力主義的選別と女性労働者」『職場の人権』です(手元に雑誌がないので、正確な出典が分かりません、誰かご教示ください)。熊沢誠先生肝いりの「職場の人権」研究会を採録したものです。首藤さんの論文は『社会政策』第5巻第1号、2013年です。今日はせっかくだから首藤さんの論文を批判しましょうかね。ご本人の嫌がる顔が目に浮かぶようです。ごめんなさい、首藤さん。

首藤さんの論文を読んで、弱点は小池理論にあまりにもよりすぎているということです。首藤さん自身は職務給を主張していて、その批判対象として職能資格論を取り上げていて、その理論的な背景が小池先生の議論にあるからです。この場合の小池理論というのは、1977年の『職場の労働組合と参加』で明らかにされた、日本のブルーカラーはアメリカのブルーカラーと比べて仕事の経験の幅が広いということです。小池先生はこれをやや拡張させて『仕事の経済学』の中で職能資格制度を説明しています。

小池理論というのは万能ではなく、基本的にブルーカラーについての説明するための議論です。組織の経済学にも結果的に引き取られていくけれども、管理ということを言葉にしたのはドリンジャー・ピオリの内部労働市場論ですが、彼らの議論はじつはよく内容がよく分からない。小池先生の議論はそこのところをキャリアの組み方で説明しています。これが本当の小池理論の核だと思います。もちろん、不確実性の話などは、ホワイトカラーにも適用できるといわれることもありますし(むしろ、そっちの方がすわりがいいんじゃないかという意見さえもあります)、小池先生ご自身もそういう説明をされていますが、基本的にトップ層については同じようには考えていらっしゃらない。そこには出世の運のようなものも入ってくるからです。技能論は大事なんだけど、万能ではない。

ちなみに、私はホワイトカラーのキャリアについてはシグナリング理論の応用の方がうまくいくんじゃないかなと考えています。だって、ブルーカラーのようにジョブ・ラダーになってないもの。そうなると、前の仕事での評価、たとえばこれだけ大変なプロジェクトをこなしたんだから、次のプロジェクトもやってくれるだろう、というような。その方が大事だと思います。

首藤さんの議論は、基本的に技能形成論で、職能資格給から職務給に変えることが実は合理性があるのではないかという問題設定だと言えましょう(もちろん、変わる可能性はほぼないという見通しです)。本当は職能資格給も職務分析やらなきゃいけないけど、やらないでも出来ないことはない。でも、職務給は絶対ダメですね。そうなってくると、ポイントは職務分析のコストを誰が払うのか。職務分析が経営手法の一つとしてペイすると思われた時代は会社が負担するでしょう。でも、費用対効果がよいかといえば、必ずしもそう言えない。そうじゃないとするならば、これは組合や労働者自身がやる必要があるんです。そこまでやるか。

今日の講義でも説明したんですが、日本型福祉社会は企業と国家が作った面ももちろんあるんですが、何より組合だと私は考えています。60年代まで賃上げはベースアップだった。これが段々個別労働賃金要求になってくる。これはモデル賃金ですからね、とても家族賃金とマッチする。労働の方をなんとかしなきゃならないんじゃないかな。そうすると、経営も変わっていけると思うんですね。

まあ、でも、三山さんの家族崩壊リスク論の方がすごいよな。
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学会誌「社会政策」の最新号が送られて来たので、さらっと目を通す。私の独断と偏見で言うと、読むべき価値があるものは小林彰「「新しい公共」と社会福祉法人の役割」、田村豊「スウェーデン型組織の成り立ちと構造」、訓覇法子「職業教育改革にみる就労ラインの修正」、田中夏子「イタリアにおける「補完性原理」受容のプロセス」と各書評である。私にとっての次点は橋本理「日本における非営利組織論の諸相」で、こういう交通整理はあると便利だなという感じである。

小林論文は現実の複雑さをきちんと描いているので、それだけで読む価値がある。今回の号は全体的に中間団体の重要性には気付いているようだが、参考になるなと思えたのはこの小林論文だけである。

田村論文は自動車産業の労使関係・労務管理の文献としては必読である。ただ、個別論文として抜群の分析力を発揮しているものの、製造業が産業を代表しなくなった現代において、労使関係が社会政策においてどのような意義があるのか不明瞭であるという一点は、他の多くの労使関係研究と同じでいつも通り留保しておきたい。

訓覇論文はまだ、一回では咀嚼しきれていないが、学校教育・職業訓練・専門職教育などの領域に関心がある人は必読である。スウェーデンの事例だが、この問題を考えるのに非常に示唆を与えると思う。これはそのうち、時間があったら、丁寧に読み返したい。この論文を素材に読書会をやってもいいくらいである。

田中論文は分かりやすいが、学術的深みがどれくらいあるのかと問われると、一瞬、答えに窮する。イタリアの事例は単純に知らなかったので面白かったというだけかもしれない。紙幅の都合で簡単に書いてあるので、もう少し詳しい話を読みたいという気もする。

「社会政策」は専門ジャーナルというよりは、インターディシプリナーな学会の特徴として、他領域の人の研究を知るための雑誌という性格を持っているようである。そう考えれば、なぜわざわざ教科書にでも書いてあるような内容を書き連ねているのかが分かる。他領域の教科書を読む労を省いてくれているのだろう。逆に言うと、専門ジャーナルのような敷居の高さはないので、誰でも読むことが出来る。首藤若菜「男性稼ぎ主モデルと女性労働」などは常識的で何の面白さもないが、学部の講義の材料に使うのには助かる素材だと思う。
杉田菜穂さんから新著をいただきました。ありがとうございます。

実は原稿の段階で読ませていただいていたのですが、もう二稿かなんかだったので、コメントもできずという状態でした。しかし、あらためて読み通してみると、また違った印象がありますね。今回の本で杉田さんは半歩上のレベルにあがったと私は見ています。もう半歩、抜け出せないのは、あまり彼女が方法的な問題に意識的でないというところです。その弱点が彼女の議論の弱さでもあり、なかなか理解しにくくなっている所以でもあります。しかし、現時点で日本の社会政策の歴史を描いた本としてナンバーワンであると断言しましょう。ただし、菅山さんやゴードン先生のときと違って、そう簡単にこの評価が同意を得られるとは思っていません。その理由は、あまりにもオリジナリティが高いので、多くの人、とくに社会政策まわりの人はきっと理解できないだろうなと思うからです。学派にも興亡があり、ゴードンさんも菅山さんもある意味、あがりのところにいる人です。でも、杉田さんは完全にフロントランナーです。

日本の社会政策といったときに、基本はローレンツ・シュタインから入るべきだと思うんです。シュタインの原著を読んだわけではないので、あまり偉そうなことは言えないのですが、シュタインには国家学がバックボーンにあって、その周囲に社会学(彼はその創始者の一人と言われる)、経済学、そして応用経済学がある。彼の定義によれば、社会政策は応用経済学の一領域です。社会政策論のときはあまり出てこないんですが、実は彼の根本には社会有機体説がある。そして、後藤新平なども共有していた。今回の本で杉田さんが人口政策論を入り口と出口において、優性学を媒介に、家政学、社会衛生学などに入って行ったのを読んで、いきなりその核心にアクセスしたなと驚きました。すごいことですよ。杉田さんの場合、方法論に弱いのはたしかに弱点なんだけど、個人的にはその空気を読まないで、どんどん自分の世界で核心に迫っちゃう感じが、いかにも杉田さんらしくて私は好きです。このまま走り抜けて欲しい。

今回の本は第1部がとにかく圧巻。第2部以降は前の本と同じく、おや?というところもあるけれども、ところどころ面白い材料も提供されています。大河内批判とか書いてますが、あんまりこだわりはないので、あっさり社会学的社会政策という枠組みも超えてっちゃいましたね。社会政策関係の学者が読むより、稲葉圭信さんとか、大谷栄一さんあたりが読んだら、生産的な面白い議論が出来そう。次に行きつく先はそこだと思います。
澤田稔さんから『デモクラティック・スクール』をいただきました。ありがとうございます。


デモクラティック・スクール 力のある教育とは何かデモクラティック・スクール 力のある教育とは何か
(2013/10/05)
不明

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週末の岩手への旅ではこの本を持っていて、少しだけ目を通しました。が、とても、すぐに書評を書けるような代物ではないなと思い、ちょっと気が重かったのですが、とてもよい本であることは間違いないです。しつこいくらい解説が書いてあって、うるさいなあと思いつつも、読んでみると、分かっていそうだったり、分かっているつもりであるようなところで、こちらの理解不足を痛感させられることが多々ありそうです。まあ、この献身的な姿勢に澤田さんは根っからの教育さんなんだなあと感心することしきりでした。受け手に分かってもらおうとする努力、これは私には決定的に足りません。

批判派という言葉は久しぶりに聞きましたが、この本を読んでいると、アメリカではちゃんと思想があって、運動があるんだなあということを感じました。日本で批判派というと、基本的にマルクス系の左派のイメージなわけですが、もっとファンダメンタルなものですね。分野によっては学問としてしっかりしたものもありますが、運動になると、どうしても情緒に流れるきらいがある。私はその感情に溺れて、情緒に訴える感じが嫌いなわけです。

何はともあれ、これは少し時間をかけて読みたい本だなあと思いました。10月末から11月に入ってからかな。澤田さん、ありがとうございました!!