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分業と残業時間の関係というエントリの中で『日本の賃金を歴史から考える』が参照されています。こういう利用のされ方はとても嬉しいです。ありがとうございます。

このエントリは日本の働き方の核心を捉えていると思います。仕事の量が1.5倍になっても、誰かが出来なくなったときにカバーできるように、ローテーションを組む。

こういう仕事の仕方は、良い面もあると思うのだが、少なくとも残業について言えば、長時間化させている張本人と考えられるのではないだろうか。また、「休めない(有給休暇の取得率が悪い)」状況をつくりだしているのも間違いないと思う。


まさにですね。

もともと、これはブルーカラーの人材育成の話で、過度の分業はダメだというのが日本では一貫していたんですね。そうはいっても熟練工を育てるのは時間がかかるから、特定化(専門化)して未熟練工でも出来るようにしないとダメだ、というのが戦時中にも海軍工廠の技師で能率連合会(戦時中に合併して日本能率協会になります)の会長だった波多野貞夫なんかが一生懸命訴えていましたが、それでもなかなか通らなかったんですね。客観的に言えば、あのときが一番、変わり得る可能性があったと思います。なぜなら、当時、賃金は出来高で、しかも単価はうなぎのぼり。そういう状況では熟練工は少し働いたらあとは遊んで暮らします。だから、この時期、すごい労働力不足で稼働率が問題になるんですが、それは二つに選り分けられて、単純に人が足りないのと、在籍してるけど、出勤してくれないということだったんです。波多野の議論はこれを打開するために、簡単に人材育成をして対応するしかないじゃないか、というものでした。

でも、この仕事の切り分けは難しい。ちなみに、雇用じゃなくて、外注にしてうまくいかなくなるのは、この分業下手と密接に関連していますね。仕事編成の仕方ですね。このエントリでは、ご自分の仕事経験から書かれているので、すごく参考になりますよ。
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盟友のマシナリさんがブログに『日本の賃金を歴史から考える』の紹介文を書いて下さいました。ありがとうございます。最初に、

本書を貫くのは「賃金」ではありますが、その算定根拠、決定過程、企業内での実施状況やそれを取り巻く労働運動や経営者側の取組、さらにそれを実効あらしめようとする政府の施策が、主に明治時代以降の近代日本の歴史に沿って描かれていくため、見通しやすく読み進めることができます。もちろん、日本の労務管理がイギリスやアメリカで発展してきた賃金決定の考え方を取り入れてきたという国際的な視野も含まれていて、これだけコンパクトにまとめられた金子先生の業績は、初の単著でありながら「名著」と評されるのも宜なるかなと。


と簡単に特徴をまとめていただいた後に、生活給の歴史に触れられて、74-76頁を引きながら、

社会としての生産性を向上させるためにはその構成員の生産性を上げなければならないというのが社会改良主義で、それは実は生活改良を通じた生活給ともつながっていたわけです。というか、戦前の昭和初期までにはこうした議論に到達していたということにこそ注目すべきで、最近の賃上げをめぐる議論を拝見していると激しい周回遅れ感を感じてしまいます。


とまとめられています。ここはある意味では本書の核心です。ところで、家計調査も最近、組合ではやられなくなったという話もあり、困難な時代になって来ました。ちなみに、この両立をもっともはっきり目指していたのが戦前の総同盟なんですね。関東大震災後の総同盟は共産主義と決別し、現実主義を打ち出してから、はっきりと能率向上に協力を示すようになります。これは世界の組合の中でも先進的だったと言えるでしょう。

次にプロフェッション論のところから、私が経済学の財の希少性だけでは、ソーシャルワーカーや介護士、保育士が高度な技術を持っていながら、低賃金であることを説明できないとしているところを引き、次のようにまとめられています。

賃金が労使交渉だけで決まるわけでありませんし、そもそもその財源をどのように調達するのかというのがいわゆる「パイの大きさ」に大きく左右されることからいえば、公務労働によってまかなわれる介護職や保育士が低賃金に据え置かれていることは、結局社会がその程度の評価しか与えていないということの裏返しでもあります。


これは公務員の立場、すなわち予算の配分という観点からはそうでしょう。ただし、ここには雇主側の「支払能力」の問題と、働き手側の「頑迷なるボランティア精神」で論じた自己犠牲の気持ちという厄介な問題があります。

最後に核心である賃金政策と所得政策に入って行きます。ここは本書の中でももっとも難しいところだったと思うのですが、代替されたのは所得政策と賃金政策というより、たぶん、平均賃金を開発した賃金政策が、春闘を中心とした賃金交渉で機能充足したという風に書いた方が正確でしょう。賃金交渉に任せたがゆえに、支払い能力に帰してしまうの当然の帰結と評価されます。

そして「政府によって所得(現金給付だけではなく現物給付を含みます)を補填する所得再分配政策の必要性が改めて確認できるのではないか」と感想を述べられています。これを書きながら、本書に書き漏らしたけど、そういえば、雇用調整金も賃金政策だよね、と思い出しましたが、ここでのポイントは現物給付でしょう。これは教育バウチャーのようなものではなく、もっと物的なものも含まれると思います。

それにしても、この長文の紹介を、一度、ブラウザがクラッシュして消えてしまった後にもう一回、書いて下さったとのこと。大変だったと思います。本当に頭が下がります。ありがとうございました。
ちょっとフライングなのですが、来月号で私の『日本の賃金を歴史から考える』を連合総研の早川さんが紹介して下さるそうなんです。その原稿を濱口先生のブログのコメント欄に書かれていて、ただ一つ気になる点があったので、今日はその点について少しお話ししておきたいと思います。

まず、皆さんがあまりご存じないかもしれないんですが、いわゆる「近経」と呼ばれる主流派経済学は、戦後の日本では傍流でした。その傍流を育ててきたのが金子美雄を総帥とするいわゆる金子グループです。金子グループは、理論的に最高レベルの孫田良平、佐々木孝男といった人から、民間企業の奥田健二、丹生谷龍といった人がとりあえず知られていると思います。賃金コンサルタントとして楠田丘や弥富賢之といった人もここに連なります。ただし、彼らは学術的グループではない。学術的な成果としては昭和同人会の名前で出している『わが国賃金構造の史的考察』や『我国完全雇用の意義と対策』などがありますが、何といっても重要なのは『日本労働運動史料』の第10巻、労働統計です。これは大河内一男先生が中心にフォード財団が資金を出した戦後最大のプロジェクトですが、この第10巻の事実上の編纂を金子さんから任されたのが孫田良平先生です。このプロジェクトを通じて、日本では一橋大学、慶応大学といったところの近代経済学の流れと連携が出来たと言われています。

孫田先生も佐々木先生も官庁統計のプロフェッショナルです。なにせ自分たちで作っていたわけですし、さらに歴史的なことも深めて研究されている。そういう立場から学者を啓蒙して行こうという意図を持っていた。孫田先生が折に触れておっしゃるんですが、佐々木先生と孫田先生はじつは中央労働学園の研究科(今の大学院)の同期で、大橋静市先生に習った。大橋先生は金子さんの厚生省賃金統制時代の上司で、先生が「金子のもとで3年間、修行してくるように」といって二人を送り出したそうです。だから、「佐々木君は労働者の味方だよ」と孫田先生はいつも仰っていました。だから、佐々木先生はいくつもの話を全部蹴って、連合総研を作って、その初代所長になった。でも、あまりに早くに亡くなられてしまった(師匠の金子さんより先に早く亡くなられています)。佐々木先生がもう10年長くご存命だったら、もう少し事態は違ったかもしれません。労使関係と労働経済を繋ぐ人材が育っていたかもしれません。

もう一つは労使関係と労働経済を繋ぐという対話を積極的に行ってこなかった。その意味で圧倒的な影響力を持っていたのは小池和男先生です。今、関西労働研究会という近代経済学の研究会がありますが、これの創始者も小池先生でした。でも、その後の世代はそういう対話の機会を作ってこなかった。1990年代前半までの労働経済学の教科書を見ると、労使関係のことがきちんと書いてあります。でも、今はそういうのがなくなってしまった。私は対話のための努力をして来なかったんだと思っています。私も頭で考えていたときは、近代経済学は初歩のコースワークが大変だし、その間、異分野の人と対話するというのは難しいと思っていました。でも、実際、議論してみたら、そんなことなかった。やろうと思えばできるなと思います。もちろん、こちらも最低限、組織の経済学などは理解する必要がありますが。

良くも悪くも今や近代経済学は多数派です。たしかに、思想信条とか理解し得ないというよりも、普通に会話が成立しないのではないかという意味で、中にはひどい人に出会ったこともありますが、そうでない人もたくさん、います。若い世代は対話可能だと思います。あとはお互い、どれくらい歩み寄るかでしょう。むしろ、近代経済学の人が対話をしたいと言ったときに、その相手側の労使関係の研究者がどれだけいるのか、ということになるとそちらの方が正直、心細いと思います。目下の一番の問題はそこです。これは仁田道夫先生がよくおっしゃられていたように、組合運動の退潮とも無関係ではないと思います。労使関係がなければ、労使関係研究者は研究しようがないのです。でも、そのことが労働経済学に悪影響を与えたのは間違いないと思います。あと、私から見ると、近経は難しい数学とか使うので、そこでコンプレックスを感じるのか、ちゃんと理解してないのに批判する研究者をよく見かけました。あれは謎の現象です。ああいうのはよくないですね。

で、これを書いた後、昨日、連合総研に行って来たんですが、少しずつ組合の方と勉強会をしたり、そういうようなことを重ねるしかないなあと思いました。