2014年02月20日 (木)
昨年、賃金の本を出したおかげで、今年の春闘についての記事をいくつか依頼されました。基本的に私は現状がどうなっているかということにあまり興味がなかったのですが、さすがに少しアンテナを張って、世の中の動向を観察しました。春闘について私が主張していることは、1)労使協調で賃金アップ、2)賃金を費用より投資と考えるという視点の転換、の二点です。それは大きくいって、90年代から近年に至るまでの人を使い倒すという流れを反転させなければならない、という思いで言い続けています。
でも、それでは組合はそうした主張をしてこなかったかと問われれば、まったくそんなことありません。連合は昨年も人財投資という言葉で人への投資を訴えていました。ただ、私は数年前、某産別にいったときに感じた違和感を思い出しました。まったく正しいんだけれども、そこで出されていた高付加価値人材のような、なんとも安っぽいコンサルタントのような売り言葉の軽さが頭から離れません。そのとき、その組合は非正規のことをほとんど取り組んでいなかったせいもあり、組合はもうダメなんだなと思ったものです。人財投資という言葉も同じような軽薄さを感じます。私自身は人材育成、人材投資、すべて人材で通します。人事労務管理の雑誌を読んで、素晴らしい先進的な事例だって、人財なんて言葉、使ってませんよ。重要なのは内容です。
そんなことより、今年は非正規の問題解決の声が聞こえて来るのが気になります。今年の春闘については、どれだけ勝ち取れるか分かりませんが、少なくとも現場からは賃上げの声が上がり、むしろ指導層の方が後手に回った感があります。私自身は非正規の格差是正を春闘で実現するのは難しいので、まずは費用よりも投資の側面にスポットライトを当てるべきだという主張をしてきました。でも、非正規の格差是正の声が結構、響いています。その功績はやはり、ブラック企業という言葉を訴えてきた今野君たちにあるのではないかと思います。
しかし、同時に出版物として純粋に考えた場合、ブラック企業ものはほぼバブルの様相を呈してきている、というのが私の実感です。まあ、これだけ現場がひどいことについては、屋上屋を重ねるというか、まあ、ひどい話はいくらでも出て来るでしょう。でも、それだけでは飽きが来るので、なんらかのプラスアルファがないといけない。でも、それは難しいことなんです。もうあと数か月で、このバブルは終わりを迎えるでしょう。この時期によいものも出るでしょう。ただ、盛衰は必ずあるのです(そういう感覚は小西甚一『日本文藝史』で培いました)。
でも、私はそれは決して悪いことだとは思いません。一つはこれが反転の兆しなのではないか、という気がするのです。社会全体がひどい労働条件に気付き、それはいくらなんでもまずいよね、という流れになれば、あとは自然と反転が起こると思います。そうすると、本は売れなくなるかもしれないけれども、事態は好転です。非正規の格差是正はここ10数年来、言われてきたことですが、今年の賃上げのチャンスに、そういうことを主張する産別や組合がいること自体なかなか心強い。それもこうした現象の一環ではないかとも思うのです。
でも、それでは組合はそうした主張をしてこなかったかと問われれば、まったくそんなことありません。連合は昨年も人財投資という言葉で人への投資を訴えていました。ただ、私は数年前、某産別にいったときに感じた違和感を思い出しました。まったく正しいんだけれども、そこで出されていた高付加価値人材のような、なんとも安っぽいコンサルタントのような売り言葉の軽さが頭から離れません。そのとき、その組合は非正規のことをほとんど取り組んでいなかったせいもあり、組合はもうダメなんだなと思ったものです。人財投資という言葉も同じような軽薄さを感じます。私自身は人材育成、人材投資、すべて人材で通します。人事労務管理の雑誌を読んで、素晴らしい先進的な事例だって、人財なんて言葉、使ってませんよ。重要なのは内容です。
そんなことより、今年は非正規の問題解決の声が聞こえて来るのが気になります。今年の春闘については、どれだけ勝ち取れるか分かりませんが、少なくとも現場からは賃上げの声が上がり、むしろ指導層の方が後手に回った感があります。私自身は非正規の格差是正を春闘で実現するのは難しいので、まずは費用よりも投資の側面にスポットライトを当てるべきだという主張をしてきました。でも、非正規の格差是正の声が結構、響いています。その功績はやはり、ブラック企業という言葉を訴えてきた今野君たちにあるのではないかと思います。
しかし、同時に出版物として純粋に考えた場合、ブラック企業ものはほぼバブルの様相を呈してきている、というのが私の実感です。まあ、これだけ現場がひどいことについては、屋上屋を重ねるというか、まあ、ひどい話はいくらでも出て来るでしょう。でも、それだけでは飽きが来るので、なんらかのプラスアルファがないといけない。でも、それは難しいことなんです。もうあと数か月で、このバブルは終わりを迎えるでしょう。この時期によいものも出るでしょう。ただ、盛衰は必ずあるのです(そういう感覚は小西甚一『日本文藝史』で培いました)。
でも、私はそれは決して悪いことだとは思いません。一つはこれが反転の兆しなのではないか、という気がするのです。社会全体がひどい労働条件に気付き、それはいくらなんでもまずいよね、という流れになれば、あとは自然と反転が起こると思います。そうすると、本は売れなくなるかもしれないけれども、事態は好転です。非正規の格差是正はここ10数年来、言われてきたことですが、今年の賃上げのチャンスに、そういうことを主張する産別や組合がいること自体なかなか心強い。それもこうした現象の一環ではないかとも思うのです。
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2014年02月18日 (火)
つらつらと、稲葉さんの「「労使関係論」とは何だったのか」とは何だったのか読み返しているうちに、中西先生なんだなあという漠然とした感想を持ちました。私も基本的には国家論は大事だとは思うのですが、現在の趨勢を見ていると、手垢のついた福祉国家論を繰り返すだけのレベルでは、現代の問題に応えることは出来ないということだけは明らかなように思います。私は前にも書きましたが、一橋・成城スクールの国家論を高く買っているのですが、それを超えるものもなければ、それと対峙するものもない、という非常に寒い状況です。それにイギリスだって、T.H.マーシャルやハルシーを読めば、一つの国家論ですよ。でも、そういうものと四つに組んだ国家論というのは、あんまり知らないんですね。私は昔から国際比較に対する懐疑派なんですが、外形的にだけとりあえず、数値を比較しようという便宜主義が嫌いということに尽きます。でも、人文社会科学の基本的な方法として比較が重要であることは大前提だと思っています。
国家論もまた、一つ二つの国とのディープな比較研究が必要だと思います。ただ、この比較は明示的に出ていなくてもよい。具体的にどういう事かと言えば、自国での問題意識を持ちながら、他国(この場合、日本)を研究する外国人研究者の視点は自ずと国際比較の視座を備えているでしょう。逆に、外国研究をやっていた日本人が日本の研究を始めると、同じような現象が起きるのではないか、という期待もありますが、ほとんど期待はずれです。その理由は何かというと、多くの人が外国語よりも日本語の資料が読むことの容易さに堕落するのです。資料読みは日本語が出来れば出来るというようなものではありませんが、そのレベルの研究者が多いのも残念ながら事実です。もちろん、例外もあって、高橋克嘉先生のイギリス研究は、日本の問題を前提に置きながら、同時代の小池先生の研究を批判的に検討し、イギリスの問題を読み解くという素晴らしい例でした。
で、もう一つ稲葉さんの論稿を読みながら思ったのは、あんまり先行研究を一生懸命読み込み過ぎると、ダメだなということでした。というか、正確に言うと、ある時代に書かれた先行研究はその時代の問題意識を反映しているのです。だから、それは現代とは異なっているという意味です。だから、そうした研究は歴史資料という視点からも読み込みながら、相対化して、さらに現代の問題意識から照射するという作業が必要になります。これも10何年やってきて、ようやく最近、そういうことかと分かりました。
今、社会政策論を考えるにあたっては、明示的に出すかどうかは別として、日本の「社会」をどう捉えるか、「国家」をどう捉えるか、ということは避けて通れませんね。「社会」も「国家」から独立していませんから。私は稲葉さんとは違って、一般論としての国家論を進めることにはあまり興味がなく(抽象性の高い国家論自体には興味はありますが、自分でやる気はないという意味)、やはり、明治以来の日本国家を考えたいと思っています。そうなると、明治維新から世紀転換期くらいまでは準備期間で、明治30年代からかなと考えています。私は日本史の人たちが最新で言う日露戦争も総力戦に近い意味を持っていたというテーゼを重視していて、そこから高度成長までを一つの時期として捉え、その後の時代ということで現代までを考えたいと今のところは思っています。
労働問題研究は私はもうとりあえずの義理は果たした気持ちなので、あとは社会運動の歴史を労働運動をいったん切り離して考えてみるということが必要かなと思います。震災以降のNPOなどの動きも含めて。あとは国際運動的な側面も必要ですね。とくに社会運動の方は、開発国への援助、NGO関係などとの関連も押さえたいところです。その延長線上に宗教も考えざるを得ないでしょうね。まあ、吉田久一先生も最後は仏教に行ったし。ただ、ここは大谷さん、黒崎さんや稲葉圭信さんたちの一流の研究蓄積があるので(震災以降、精力的)、吉田先生よりは私たちの方が有利ですね。
でも、一本くらいは思想的なものも整理するために書かないとダメかな。
国家論もまた、一つ二つの国とのディープな比較研究が必要だと思います。ただ、この比較は明示的に出ていなくてもよい。具体的にどういう事かと言えば、自国での問題意識を持ちながら、他国(この場合、日本)を研究する外国人研究者の視点は自ずと国際比較の視座を備えているでしょう。逆に、外国研究をやっていた日本人が日本の研究を始めると、同じような現象が起きるのではないか、という期待もありますが、ほとんど期待はずれです。その理由は何かというと、多くの人が外国語よりも日本語の資料が読むことの容易さに堕落するのです。資料読みは日本語が出来れば出来るというようなものではありませんが、そのレベルの研究者が多いのも残念ながら事実です。もちろん、例外もあって、高橋克嘉先生のイギリス研究は、日本の問題を前提に置きながら、同時代の小池先生の研究を批判的に検討し、イギリスの問題を読み解くという素晴らしい例でした。
で、もう一つ稲葉さんの論稿を読みながら思ったのは、あんまり先行研究を一生懸命読み込み過ぎると、ダメだなということでした。というか、正確に言うと、ある時代に書かれた先行研究はその時代の問題意識を反映しているのです。だから、それは現代とは異なっているという意味です。だから、そうした研究は歴史資料という視点からも読み込みながら、相対化して、さらに現代の問題意識から照射するという作業が必要になります。これも10何年やってきて、ようやく最近、そういうことかと分かりました。
今、社会政策論を考えるにあたっては、明示的に出すかどうかは別として、日本の「社会」をどう捉えるか、「国家」をどう捉えるか、ということは避けて通れませんね。「社会」も「国家」から独立していませんから。私は稲葉さんとは違って、一般論としての国家論を進めることにはあまり興味がなく(抽象性の高い国家論自体には興味はありますが、自分でやる気はないという意味)、やはり、明治以来の日本国家を考えたいと思っています。そうなると、明治維新から世紀転換期くらいまでは準備期間で、明治30年代からかなと考えています。私は日本史の人たちが最新で言う日露戦争も総力戦に近い意味を持っていたというテーゼを重視していて、そこから高度成長までを一つの時期として捉え、その後の時代ということで現代までを考えたいと今のところは思っています。
労働問題研究は私はもうとりあえずの義理は果たした気持ちなので、あとは社会運動の歴史を労働運動をいったん切り離して考えてみるということが必要かなと思います。震災以降のNPOなどの動きも含めて。あとは国際運動的な側面も必要ですね。とくに社会運動の方は、開発国への援助、NGO関係などとの関連も押さえたいところです。その延長線上に宗教も考えざるを得ないでしょうね。まあ、吉田久一先生も最後は仏教に行ったし。ただ、ここは大谷さん、黒崎さんや稲葉圭信さんたちの一流の研究蓄積があるので(震災以降、精力的)、吉田先生よりは私たちの方が有利ですね。
でも、一本くらいは思想的なものも整理するために書かないとダメかな。
2014年02月17日 (月)
釜石から帰って来るので、持っていった本もなんか読む気分じゃないしと思って、シープラザに入っている古本屋さんの親書を眺めて、稲垣良典先生の本を買いました。これは大当たりでした。
稲垣先生と言えば、トマス・アクィナスの研究者として有名ですが、この本は1971年、先生が43歳のときに書かれたもののようです。1970年代当時の世相において、カトリシズムがどのような意義を持つのか、最新の動向も踏まえながら、まさに思想=実践的な立場から書かれています。私の独断と偏見で言えば、近代のキリスト教は二回、大きな転機を迎えています。第一に、19世紀末、レオ13世が「レルーム・ノヴァールム」と呼ばれる回勅を出したときで、これはキリスト教が社会問題への認識を示し、同時に積極的に取り組む姿勢を打ち出したものとして有名です(もちろん、いわゆる社会問題には以前から取り組んでいたわけですが)。第二に、1960年代前半に開かれた第二バチカン公会議です。これはカトリックが異教徒を「真理を探究する存在」として認めた画期的な会議として知られています。稲垣先生はまさに、この会議を30代、ちょうど私と同じ年齢の頃に迎えられたんですね。学者としてはまさに青年期にあたるわけです。
そして、1971年といえば、国内の情勢では後から考えれば退潮に入り始めたとはいえ、学生運動なども含めてマルクス主義がまだまだ元気なときです。思想で言えば、サルトルもそうですが、現象学なども出ていますね。この本でもフッサールが注目されています。また、高度成長が終わりに近づき、経済成長は所得の増加ほど福祉の増加をもたらしていないということ、それから公害を中心に環境問題が生まれ、「科学」への期待もある程度、落ち着いた時期です。こうしたカトリックの転換、科学主義の一段落、マルクス主義、思想が元気であった時期、そして、稲垣先生ご自身の青春時代が重なり合って、この本は他にあり得ない絶妙な一冊になったのだと感じました。今でも読まれるべきだと思います。ロールズの正義論もこの年ですねえ。
この本を勧める理由は、日本ではキリスト教研究がプロテスタントに偏っている、という現実があります。伝統的に知識階級とプロテスタント、とりわけ内村鑑三一派の結びつきが強かったこと、そして、彼らが社会運動と少なからず関係を持ったこと、社会運動と労働運動が戦前以来、関係を持っていたこと、それらが「抵抗」というキーワードで結びつきやすかったことなどをもって、それらが日本国内ではメイン・ストリームでした。日本でもカトリックがなかったわけではなくて、たとえば、岩下壮一の『カトリックの信仰』もあります。でも岩下神父は一般受けするような本をいっぱい書いたわけではありません。ちなみに、『カトリックの信仰』はよい本だし、勉強したい人にはカテキズム(公共要理)と並んで勧めるところですが、あの厚さの本は誰にでも気軽に勧められるというようなものではありません。それでも、戦後の教育基本法を作った田中耕太郎は岩下神父を代父としていますし、そのカトリック思想は教育基本法にも継承されました。なお、ついでにいいますが、90年代から保守の教育思想の代表のように言われた、つくる会はいろいろな意味で残念な結果になりましたが、今の会長杉原誠四郎さんの仕事の一つは、この田中のカトリック臭を抜いて、なんとか宗教的な道徳を教育のなかに戻そうという試みであり、とても重要な価値を持っていたので、変な運動に入り込まれ、大変に残念です。あとは、一般的には遠藤周作が有名ですね。でも、遠藤周作を通じてカトリックを理解するのは、あまりオーソドキシーではないので、遠藤周作に親しむの良いと思いますが、カトリックの勉強するのには向かないでしょう。
まあ、そういう事情の中で、カトリックをなぜ学ばなければならないか、というのは、まずヨーロッパの福祉国家その他、特に人権思想などの哲学的背景を知るために、基礎教養だと思うからです。それはちょうど、日本語において基礎教養として仏教用語を勉強した方がよいというのと同じです。そして、同じ程度に必要でありながら、実践されていませんねえ。そういうのが共有されると、私のような門外漢も勉強し易い本に簡単にたどり着けるので、助かるんですが。
個人的には、超越を基盤にするという発想(ここから派生して現象学を改めて勉強したくなりました)、それから、自然法の普遍の部分(超越)と可変する部分という区分けの仕方、マルクス主義をあわせ鏡とすることで歴史主義の意義などについて興味深く読みました。あと、面白いのは、人間は他の動物に比べて独力で生きていくのが出来ないので、社会を形成すると考えるのではなく(動物も社会を形成しているというのは生物学が発展した今日では常識ですが、昔は知られていませんでした)、自己の充足、豊かさ、完全性ゆえに共同体を形成するという発想ですね。そのあふれ出る豊かさを神愛=カリタスと呼ぶそうです。へえ、です。
労働問題の方からも考えたいことがたくさん、つまっていたんですが、ここまで書いたら(中身にほとんど入っていない!)、上野についてしまいました。降りる準備しなきゃ。続きはそのうち、書くかもしれません。
稲垣先生と言えば、トマス・アクィナスの研究者として有名ですが、この本は1971年、先生が43歳のときに書かれたもののようです。1970年代当時の世相において、カトリシズムがどのような意義を持つのか、最新の動向も踏まえながら、まさに思想=実践的な立場から書かれています。私の独断と偏見で言えば、近代のキリスト教は二回、大きな転機を迎えています。第一に、19世紀末、レオ13世が「レルーム・ノヴァールム」と呼ばれる回勅を出したときで、これはキリスト教が社会問題への認識を示し、同時に積極的に取り組む姿勢を打ち出したものとして有名です(もちろん、いわゆる社会問題には以前から取り組んでいたわけですが)。第二に、1960年代前半に開かれた第二バチカン公会議です。これはカトリックが異教徒を「真理を探究する存在」として認めた画期的な会議として知られています。稲垣先生はまさに、この会議を30代、ちょうど私と同じ年齢の頃に迎えられたんですね。学者としてはまさに青年期にあたるわけです。
そして、1971年といえば、国内の情勢では後から考えれば退潮に入り始めたとはいえ、学生運動なども含めてマルクス主義がまだまだ元気なときです。思想で言えば、サルトルもそうですが、現象学なども出ていますね。この本でもフッサールが注目されています。また、高度成長が終わりに近づき、経済成長は所得の増加ほど福祉の増加をもたらしていないということ、それから公害を中心に環境問題が生まれ、「科学」への期待もある程度、落ち着いた時期です。こうしたカトリックの転換、科学主義の一段落、マルクス主義、思想が元気であった時期、そして、稲垣先生ご自身の青春時代が重なり合って、この本は他にあり得ない絶妙な一冊になったのだと感じました。今でも読まれるべきだと思います。ロールズの正義論もこの年ですねえ。
この本を勧める理由は、日本ではキリスト教研究がプロテスタントに偏っている、という現実があります。伝統的に知識階級とプロテスタント、とりわけ内村鑑三一派の結びつきが強かったこと、そして、彼らが社会運動と少なからず関係を持ったこと、社会運動と労働運動が戦前以来、関係を持っていたこと、それらが「抵抗」というキーワードで結びつきやすかったことなどをもって、それらが日本国内ではメイン・ストリームでした。日本でもカトリックがなかったわけではなくて、たとえば、岩下壮一の『カトリックの信仰』もあります。でも岩下神父は一般受けするような本をいっぱい書いたわけではありません。ちなみに、『カトリックの信仰』はよい本だし、勉強したい人にはカテキズム(公共要理)と並んで勧めるところですが、あの厚さの本は誰にでも気軽に勧められるというようなものではありません。それでも、戦後の教育基本法を作った田中耕太郎は岩下神父を代父としていますし、そのカトリック思想は教育基本法にも継承されました。なお、ついでにいいますが、90年代から保守の教育思想の代表のように言われた、つくる会はいろいろな意味で残念な結果になりましたが、今の会長杉原誠四郎さんの仕事の一つは、この田中のカトリック臭を抜いて、なんとか宗教的な道徳を教育のなかに戻そうという試みであり、とても重要な価値を持っていたので、変な運動に入り込まれ、大変に残念です。あとは、一般的には遠藤周作が有名ですね。でも、遠藤周作を通じてカトリックを理解するのは、あまりオーソドキシーではないので、遠藤周作に親しむの良いと思いますが、カトリックの勉強するのには向かないでしょう。
まあ、そういう事情の中で、カトリックをなぜ学ばなければならないか、というのは、まずヨーロッパの福祉国家その他、特に人権思想などの哲学的背景を知るために、基礎教養だと思うからです。それはちょうど、日本語において基礎教養として仏教用語を勉強した方がよいというのと同じです。そして、同じ程度に必要でありながら、実践されていませんねえ。そういうのが共有されると、私のような門外漢も勉強し易い本に簡単にたどり着けるので、助かるんですが。
個人的には、超越を基盤にするという発想(ここから派生して現象学を改めて勉強したくなりました)、それから、自然法の普遍の部分(超越)と可変する部分という区分けの仕方、マルクス主義をあわせ鏡とすることで歴史主義の意義などについて興味深く読みました。あと、面白いのは、人間は他の動物に比べて独力で生きていくのが出来ないので、社会を形成すると考えるのではなく(動物も社会を形成しているというのは生物学が発展した今日では常識ですが、昔は知られていませんでした)、自己の充足、豊かさ、完全性ゆえに共同体を形成するという発想ですね。そのあふれ出る豊かさを神愛=カリタスと呼ぶそうです。へえ、です。
労働問題の方からも考えたいことがたくさん、つまっていたんですが、ここまで書いたら(中身にほとんど入っていない!)、上野についてしまいました。降りる準備しなきゃ。続きはそのうち、書くかもしれません。
2014年02月14日 (金)
guriko_さんが1か月ほど前に『日本の賃金を歴史から考える』を取り上げて下さって、私も紹介したいなとは思っていたのですが、問題が非常に難しい、そういうところなので、なかなか手を付けることが出来ませんでした。でも、マシナリさんもそうですが、guriko_さんも、実際に働いている現場で持っている問題意識をこうして深めて下さるのを見ると、本当に著者冥利に尽きます。そのために、書いたんですから。もう本当に快心です。
「日本の賃金を歴史から考える」を読んでみた。
「日本の賃金を歴史から考える」を読んでみた。<その2>
実はこの一か月の間で、三回ほど、この問題に触発される会話がありました。一つは、先日の教員労働の組合の議論を聞いていたとき、教育運動と労働運動との兼ね合いが議論をされていて、ここで議論されていることは、感情労働全般に当てはまるなあという風に考えていました。簡単に言うと、優先事項を対象である子どもに置くのか、それとも働いている自分たちに置くのか、という議論です。guriko_さんの職業であるスクールカウンセラーは、教員とソーシャル・ワーカーの中間に立っている仕事だともいえます。なお、guriko_さん自身が書かれた「スクールカウンセラーに必要なこと」というのはとても参考になる記事だと思いますので、リンクを貼っておきます。ぜひ、関心ある方はご一読ください。
もう一つは、某有名若手労働雑誌に掲載される(正式に書いていいかどうか分からないですが)予定の対談をしたときに、やはりトレードの話をしました。そして、今日、その話をしながら、日本のビジネス業界の仕組みをトレード型に変えるなんていうことは現実的ではないよね、という話をしていました。それはそのときもお話ししたんですが、私は一貫して、そういうことを話してきました。
日本には職業教育がない、という話がありました。そのときに話をしたのは、ヨーロッパの場合、そもそも初等教育が整備されたのが1910年代、第一次世界大戦前後で、労働者の教育要求という形を取っていました。第一次大戦の労働攻勢と無関係ではないのです。また、体制側も徴兵制度をやって、もっと教育を普及させなければならない、という問題意識を持ったのです。とくにアメリカは移民労働者に対して、アメリカナイゼーションというきわめておせっかいな形での教育の必要が認識されていきました。だから、教育と労働運動がもともと近しいのです。これに対して、日本では義務教育は20世紀の冒頭にはほぼ完備されました。とくに費用の面で、日清戦争の賠償金で国庫負担に転換したのです。これは文部官僚であった澤柳政太郎の仕事です。ちなみに、この澤柳は1920年代まで教育分野のエースでした。もし、この人が10年長生きしていたら、日本の教育は変わっていたかもしれません。なぜなら、この当時、文部省の中心は岡田良平で、澤柳とはライバルでした。岡田はもともと教育に体育的なもの、とりわけ軍隊式訓練を取り入れることに熱心でした。そして、軍縮で予算が削られる軍隊に対して、退役軍人を学校教育で受け入れるという魅力的な方針を打ち出し、その反動で教育費を増額させたのでした。澤柳は当時、民間に下野していて、帝国教育会の会長で、岡田批判の急先鋒でした。まあ、職業教育が根付かない、というより廃れて行ったのは、岡田や澤柳も中心だった臨時教育会議のあたりで、工業分野で実務よりも理論研究を優先するという方針が採られたこともすごく効いてるのですが、そのあたりは別の話なので今日は割愛。
いずれにせよ、トレードって根深いよね、という話です。guriko_さんも触れていますが、イギリスのトレード・ユニオンというのはその昔、業界団体的な性格を持っていました。それが徐々に労働組合になっていく。この問題で面白い事例があります。なぜ日教組が労働組合だけでなく、業界団体的な役割を期待されたか、すなわち帝国教育会を解散して、その財産を継承したのか、という問題に迫る話です。だって、神田に日本教育会館ってあるでしょ?あれは帝国教育会の持ち物ですよ、もともと。労働会館では全然ありません。それは戦前から継承され戦後の教育運動のバックボーンになった教育思想(新教育系)と非常に関係があるんですが、その点はまだ研究を深めてないので省略。でも、ここはすごい重要な鉱脈だと思いますよ。いつもの研究会は反応が悪いので、もう言いません。
話がそれましたた。トレードを大事に育てていくには、業界団体(職能団体といってもいいですが)をどう育てていくか、という問題と切り離せないんですね。感情労働ということで、まあ、たしかにその多くは女性が担っていたということで、きわめてジェンダーが関わっているんですが、教員もそうですからね、ジェンダーだけとは言い切れないんですよ。私がボランティア(およびその背後では福祉系の一部のメンタリティ)を批判した論点とも関係してきます。自己犠牲してでも対象を優先する、という話です。自分でやっている場合と、さらにそれを誰かに利用されている場合とあって、特に後者は「やりがい搾取」という話です。とにかく、この問題はちゃんと考えなきゃいけないですね。
具体的な業界で言うと、保育、教育、福祉、医療、それから心理でしょうか。いずれもこれからの時代、これらを社会の中で育てていくことが出来なければ、社会は停滞するという大事なものです。そして、これらの職業は技能を図りがたいという独特の難しさがあるんですが、その点ではサービス産業にも通じる。日本社会、ひいては世界全体でも、解決策を考えなければならないかなり普遍的な問題です。私は勉強が足りないので、あくまで問題の所在を示しただけで、今のところ、全然、具体的な処方箋を書くだけの知識が足りません。でも、そのうち、考えなければならない問題ですね。
「日本の賃金を歴史から考える」を読んでみた。
「日本の賃金を歴史から考える」を読んでみた。<その2>
実はこの一か月の間で、三回ほど、この問題に触発される会話がありました。一つは、先日の教員労働の組合の議論を聞いていたとき、教育運動と労働運動との兼ね合いが議論をされていて、ここで議論されていることは、感情労働全般に当てはまるなあという風に考えていました。簡単に言うと、優先事項を対象である子どもに置くのか、それとも働いている自分たちに置くのか、という議論です。guriko_さんの職業であるスクールカウンセラーは、教員とソーシャル・ワーカーの中間に立っている仕事だともいえます。なお、guriko_さん自身が書かれた「スクールカウンセラーに必要なこと」というのはとても参考になる記事だと思いますので、リンクを貼っておきます。ぜひ、関心ある方はご一読ください。
もう一つは、某有名若手労働雑誌に掲載される(正式に書いていいかどうか分からないですが)予定の対談をしたときに、やはりトレードの話をしました。そして、今日、その話をしながら、日本のビジネス業界の仕組みをトレード型に変えるなんていうことは現実的ではないよね、という話をしていました。それはそのときもお話ししたんですが、私は一貫して、そういうことを話してきました。
日本には職業教育がない、という話がありました。そのときに話をしたのは、ヨーロッパの場合、そもそも初等教育が整備されたのが1910年代、第一次世界大戦前後で、労働者の教育要求という形を取っていました。第一次大戦の労働攻勢と無関係ではないのです。また、体制側も徴兵制度をやって、もっと教育を普及させなければならない、という問題意識を持ったのです。とくにアメリカは移民労働者に対して、アメリカナイゼーションというきわめておせっかいな形での教育の必要が認識されていきました。だから、教育と労働運動がもともと近しいのです。これに対して、日本では義務教育は20世紀の冒頭にはほぼ完備されました。とくに費用の面で、日清戦争の賠償金で国庫負担に転換したのです。これは文部官僚であった澤柳政太郎の仕事です。ちなみに、この澤柳は1920年代まで教育分野のエースでした。もし、この人が10年長生きしていたら、日本の教育は変わっていたかもしれません。なぜなら、この当時、文部省の中心は岡田良平で、澤柳とはライバルでした。岡田はもともと教育に体育的なもの、とりわけ軍隊式訓練を取り入れることに熱心でした。そして、軍縮で予算が削られる軍隊に対して、退役軍人を学校教育で受け入れるという魅力的な方針を打ち出し、その反動で教育費を増額させたのでした。澤柳は当時、民間に下野していて、帝国教育会の会長で、岡田批判の急先鋒でした。まあ、職業教育が根付かない、というより廃れて行ったのは、岡田や澤柳も中心だった臨時教育会議のあたりで、工業分野で実務よりも理論研究を優先するという方針が採られたこともすごく効いてるのですが、そのあたりは別の話なので今日は割愛。
いずれにせよ、トレードって根深いよね、という話です。guriko_さんも触れていますが、イギリスのトレード・ユニオンというのはその昔、業界団体的な性格を持っていました。それが徐々に労働組合になっていく。この問題で面白い事例があります。なぜ日教組が労働組合だけでなく、業界団体的な役割を期待されたか、すなわち帝国教育会を解散して、その財産を継承したのか、という問題に迫る話です。だって、神田に日本教育会館ってあるでしょ?あれは帝国教育会の持ち物ですよ、もともと。労働会館では全然ありません。それは戦前から継承され戦後の教育運動のバックボーンになった教育思想(新教育系)と非常に関係があるんですが、その点はまだ研究を深めてないので省略。でも、ここはすごい重要な鉱脈だと思いますよ。いつもの研究会は反応が悪いので、もう言いません。
話がそれましたた。トレードを大事に育てていくには、業界団体(職能団体といってもいいですが)をどう育てていくか、という問題と切り離せないんですね。感情労働ということで、まあ、たしかにその多くは女性が担っていたということで、きわめてジェンダーが関わっているんですが、教員もそうですからね、ジェンダーだけとは言い切れないんですよ。私がボランティア(およびその背後では福祉系の一部のメンタリティ)を批判した論点とも関係してきます。自己犠牲してでも対象を優先する、という話です。自分でやっている場合と、さらにそれを誰かに利用されている場合とあって、特に後者は「やりがい搾取」という話です。とにかく、この問題はちゃんと考えなきゃいけないですね。
具体的な業界で言うと、保育、教育、福祉、医療、それから心理でしょうか。いずれもこれからの時代、これらを社会の中で育てていくことが出来なければ、社会は停滞するという大事なものです。そして、これらの職業は技能を図りがたいという独特の難しさがあるんですが、その点ではサービス産業にも通じる。日本社会、ひいては世界全体でも、解決策を考えなければならないかなり普遍的な問題です。私は勉強が足りないので、あくまで問題の所在を示しただけで、今のところ、全然、具体的な処方箋を書くだけの知識が足りません。でも、そのうち、考えなければならない問題ですね。
2014年02月12日 (水)
連合総研のDIOの今月号が発行されました。濱口さんが早くも紹介されているのですが、私は違ったところで、龍井さんの巻頭言を紹介します。この短い文章は春闘と賃金交渉を理解するために、とてもよい材料です。
春闘はバラバラに行われていた賃金交渉を春に集約するために、当時のナショナル・センターだった総評が編み出した労使交渉の手法でした。そこでは、大手→中小→関連産業といった波及が期待されていました。昨年度、コンビニ業界が幸先のよいスタートを切りながら、それを波及に持っていけなかった。これは労働界の深刻な問題を抱えています。
ハッキリ言って、安部首相の危険性よりも組合の賃金交渉メカニズムの機能不全の方が、わが国のマクロ経済的には大問題です。何とかしないといけないですね。
ただ、毛塚先生、松村先生、安先生の論稿を読みながら、つくづく日本を対象とした労使関係研究の弱体化を思いました。この内容は素晴らしいんですよ。でも、問題意識の作り方がどうしても、国際比較とか日本の現状のちょっとしたつけたりみたいになってしまう。これは、組合や日本を対象とした労使関係研究者が、現状の問題を鋭く分析したものを出して、そういう問題意識に答えるように、外国研究者が向こうの事例を紹介する、という形が理想です。1970年代くらいまではそれが出来ていました。小池先生や熊沢先生のような、両方向のスターもいました。
日本の労使関係は各方面で立て直しを迫られているように思います。もちろん、我々、研究者も含めて。
春闘はバラバラに行われていた賃金交渉を春に集約するために、当時のナショナル・センターだった総評が編み出した労使交渉の手法でした。そこでは、大手→中小→関連産業といった波及が期待されていました。昨年度、コンビニ業界が幸先のよいスタートを切りながら、それを波及に持っていけなかった。これは労働界の深刻な問題を抱えています。
ハッキリ言って、安部首相の危険性よりも組合の賃金交渉メカニズムの機能不全の方が、わが国のマクロ経済的には大問題です。何とかしないといけないですね。
ただ、毛塚先生、松村先生、安先生の論稿を読みながら、つくづく日本を対象とした労使関係研究の弱体化を思いました。この内容は素晴らしいんですよ。でも、問題意識の作り方がどうしても、国際比較とか日本の現状のちょっとしたつけたりみたいになってしまう。これは、組合や日本を対象とした労使関係研究者が、現状の問題を鋭く分析したものを出して、そういう問題意識に答えるように、外国研究者が向こうの事例を紹介する、という形が理想です。1970年代くらいまではそれが出来ていました。小池先生や熊沢先生のような、両方向のスターもいました。
日本の労使関係は各方面で立て直しを迫られているように思います。もちろん、我々、研究者も含めて。
2014年02月12日 (水)
POSSEのお二人から新著『ブラック企業VSモンスター消費者』をいただきました。ありがとうございます。消費者にスポットライトを当てたのは正解だと思います。ちょくちょく倫理の問題が出て来て、CSRの話なんかもあります。原理的に突き詰めて行けば、フェアートレードですね。
巻末に鼎談が載っていますが、鼎談とか対談は時事的な問題を扱うときには結構、いいと思います。昔はよくあったんですけど、ここ20年くらいの書物は少ない印象でしたが、リバイバルしてるんですかね。この前の東海林さんの本もそうだったけど、今野君にはどんどん広めてほしいなあと思っています。
結論をざっくりいうと、ディーセント・ワークとフェア・トレードの二つが大事ということなんです。生協を扱ったのはよかったけれども、生協も組合も共産党との関係があるから、そこを触れるともっとドロドロだよね、本当は、と思いました。あと、やっぱり現場の話はお家芸ですね。ただ、あんまり現場のリアルを伝えすぎると一般には向かないし、かといって読み慣れて来た読者には物足りないし、そのあたりのさじ加減は難しいな、と感じました。
重要な問題ですけど、学問的にこのあたりを詰めていくのは大変だな。まだまだ追いついてないですね。
巻末に鼎談が載っていますが、鼎談とか対談は時事的な問題を扱うときには結構、いいと思います。昔はよくあったんですけど、ここ20年くらいの書物は少ない印象でしたが、リバイバルしてるんですかね。この前の東海林さんの本もそうだったけど、今野君にはどんどん広めてほしいなあと思っています。
結論をざっくりいうと、ディーセント・ワークとフェア・トレードの二つが大事ということなんです。生協を扱ったのはよかったけれども、生協も組合も共産党との関係があるから、そこを触れるともっとドロドロだよね、本当は、と思いました。あと、やっぱり現場の話はお家芸ですね。ただ、あんまり現場のリアルを伝えすぎると一般には向かないし、かといって読み慣れて来た読者には物足りないし、そのあたりのさじ加減は難しいな、と感じました。
重要な問題ですけど、学問的にこのあたりを詰めていくのは大変だな。まだまだ追いついてないですね。
2014年02月11日 (火)
一週間前にフェイスブックで次のようなメッセージを書きました。
すぐに支援仲間の方で、福島三春シェルターに週末にボランティアに行った方からご連絡をいただきました。今、震災、原発ではぐれて保護された犬猫たちのシェルターを閉鎖しようとしている。その犬やネコたちの行先を探してほしいということでした。
ことの起こりは、環境省が外からの福島のペットが可哀想だという声に押され、無理やり2012年に300匹以上の猫を保護したことに始まったそうです。半分野生化したペットはかえって保護すると可哀想だという意見もあったのですが、最終的に保護されたそうです。彼らは病気にかかっていたり、人になかなかなつかなかったり、そういう状態ですから、当初は引き取り手もいなかったそうです。
一年前にレポートを書かれた方のブログのリンクを貼っておきます。この時点で200頭以上の猫と、70頭の犬がいたのに、今では猫105頭、犬10頭までになっているようです(福島動物救護本部)。全国で多くのペットが殺処分されている中、この子たちはこんなに愛情をかけてもらって幸せかもしれません。可哀想だからでももちろんいいですが、これだけ愛されている子たちをどなたかご縁のある方が家族に加えていただけたら、それはとても仕合わせなことだと思います。もし関心のある方に心当たりがおありでしたら、情報を広めてくださると幸いです。どうぞよろしくお願いします。
問い合わせ先 福島県動物救護本部
http://www.fuku-kyugo-honbu.org/

正直言って、震災のあとの被災地のことを誰かに訴え続けなければならないということはない。関西以西は言うまでもなく、東京だって多くは他人事だし、そういう人たちに何をいっても届くわけではない。縁無き衆生は度し難しであるし、その人たちを啓蒙しようとするのもまた、単なる傲岸の誹りは免れないだろう。それでも、まだ何らかの関心を持っているけれども、何もできない、少しでも状況を知りたいという人があれば、お話しすることはやぶさかではない。
あえてこうして不特定多数に情報を発信しているのは、現地の友人に知らせるため、心折れそうになりながらも支援活動を続けている仲間にエールを送るため、誰だか分からないけれども、関心を持っている人に伝えるためである。誰だか分からないから、一応、誰でも見れるようにしている。
すぐに支援仲間の方で、福島三春シェルターに週末にボランティアに行った方からご連絡をいただきました。今、震災、原発ではぐれて保護された犬猫たちのシェルターを閉鎖しようとしている。その犬やネコたちの行先を探してほしいということでした。
ことの起こりは、環境省が外からの福島のペットが可哀想だという声に押され、無理やり2012年に300匹以上の猫を保護したことに始まったそうです。半分野生化したペットはかえって保護すると可哀想だという意見もあったのですが、最終的に保護されたそうです。彼らは病気にかかっていたり、人になかなかなつかなかったり、そういう状態ですから、当初は引き取り手もいなかったそうです。
一年前にレポートを書かれた方のブログのリンクを貼っておきます。この時点で200頭以上の猫と、70頭の犬がいたのに、今では猫105頭、犬10頭までになっているようです(福島動物救護本部)。全国で多くのペットが殺処分されている中、この子たちはこんなに愛情をかけてもらって幸せかもしれません。可哀想だからでももちろんいいですが、これだけ愛されている子たちをどなたかご縁のある方が家族に加えていただけたら、それはとても仕合わせなことだと思います。もし関心のある方に心当たりがおありでしたら、情報を広めてくださると幸いです。どうぞよろしくお願いします。
問い合わせ先 福島県動物救護本部
http://www.fuku-kyugo-honbu.org/

2014年02月10日 (月)
昨日締切であった大槌町の復興基本計画についてパブリックコメントを書いてメールで提出しました。パブリックコメントなので、公表します。内容そのものというより、なぜこの基本計画に足りない点があるのか背景を書き、それを補うためには、どのような施策が必要かを書きました。
基本計画の前提にある問題
大槌町の復興計画に全部賛成するわけではないけれども、2012年5月に示された大槌町東日本大震災津波復興計画実施計画に比べて、今回提示されている改定素案は格段にグレードアップしている。とくに、住民からの意見の吸い上げが住民復興協議会のみであったのに対し、各種の分科会を開くことによって、新しい経路を築き上げたことは評価されるべきだろう。私自身、実際の参加者からは必ずしも肯定的な意見を聞いたわけではなく、どちらかと言うと、否定的な意見を聞いていた。その運営の仕方、あるいはまとめ方、そこからさらに基本計画に練り上げる、そうしたプロセスが不十分であるという不満はあるかもしれない。しかし、前回の計画に比べて、改良された点は高く評価されなければならない。その上で、今後、この計画を実現していくためにも、いくつかの問題点を指摘せざるを得ないだろう。
大槌町で起っている問題は、誰かが利権のために動かしているといった分かりやすい話が脚光を浴びやすいため、どの町でも共通するような背後にあるメカニズムまで注目されることは少ないと思われる。そのために、町民からは行政の一部や町会議員の一部が利益誘導をしているために復興が進まないという批判がある。しかし、仮にもしそうしたことが実際に行われていたとしても、それは復興が進まない一番の大きな原因ではない。もっと根本的な難しさがある。
一般に、日本の政策決定プロセスは、中央から地方へと流れていく。今、この主な流れを図示すると、
中央省庁(いわゆる霞が関)および委員会 ― 諮問 → 審議会 → 審議会専門委員会(あるいは特別委員会)→ 審議会 ― 答申 → 中央省庁 → 基本計画 → 県庁 → 基礎自治体 → 地域
となる。県庁でも審議会が開かれることがあるが、同じ繰り返しなので省略する。大槌町の分科会というのは、中央の政策決定プロセスにおける審議会と同じ機能が期待されている。戦略会議、各分科会の運営の仕方に批判が集まるのは、通常、基礎自治体レベルではこうしたスケールでの政策決定プロセスを経験したことがないからで、町長はじめ町役場を批判することは必ずしも的を射ていない。加藤町長はじめ町役場の方が生き残っていたとしても、震災直後の最初期の混乱は避けられたかもしれないが、2012年以降の政策決定プロセスでは同じようなことが起こっていたと考えられる。
大槌町を中央省庁の政策決定プロセスと比較した場合、戦略会議が審議会、分科会が審議会内の特別委員会にあたるが、その運用の仕方は大きく異なる。普通、審議会の特別委員会は審議会構成者の中から何人かの委員が選ばれて、具体的な問題を協議し、中央省庁が提出した案を検討したり、新しい案を提出したりしたあとに、審議会全体にかけて、中央省庁の政策にフィードバックさせる。これに対し、大槌町の場合、戦略会議と分科会では構成員が異なり、したがって、分科会は審議会そのものの機能と、具体的な分野が充てられているという意味において、審議会の特別委員会のような機能が与えられている。本来は、戦略会議の中に特別委員会を設け、さらに分科会の中に特別委員会を設けるという方が生産的であるが、実際には委員を引き受けている町民がこれ以上の時間を割くのは困難であろう。現状はこの専門委員会のやるべき仕事を総合政策が行っているが、大学などに協力を依頼すればよい。そうでなければ、取りまとめを行うことは出来ない。通常、こうしたことは基礎自治体では困難だが、今の大槌町の状態であれば不可能ではない。
次のプロセスで、町レベルで実現しなければならないことは、中央の設定した政策(計画)にあわせる形で、政策を策定しなければならない(作文)。もちろん、中央でも地方ごとに事情が違うのは分かっているので、融通が利くように抽象的な文言で基本計画が作られている。これに沿う形で各種の基本計画は作るが、実際の運用で多少の自由がないわけではない(文書の解釈の仕方)。ということは、抽象的な文言の背景を理解した上で、自分たちが実現したい政策を書く。これが出来ると、予算を獲得することが出来る。少なくとも、予算が出せるような仕組みは中央省庁の役人が言うように用意されている。8ページに「関連計画との整合性」が書かれているのはこのためである。これはこの枠組みで予算を取ってくることが出来るという意味である。ふるさと納税などの制度を利用して独自財源を増やす試みを模索するか、寄付金(投資金)を募ってこれを利用する仕組みを制度化して、回すように出来ないならば、こうした形式を変えることは出来ない。いずれにせよ、復興事業が終了した時点での、それ以外での財源をどのように調達するか、あるいは産業を起こして税金を確保するなどの計画がまったくない。これでは数年のうちに行政破綻せざるを得ないだろう。
この中央から地方ではなく、地域→地方→地方への逆コースが認められるのは防災計画であり、これは2013年6月に規則が変更になって、地域で作った防災計画を基本計画に反映させることが出来るようになった。こうした仕組みを戦略的に使う必要がある。
分科会、地域復興協議会と基本計画の評価
今回の基本計画が改善された最大のポイントは町内の企業、社会福祉法人、NPOなどの声を広く受けいれた点にあると考えられる。基本計画の中では複数提出された意見の中から町の行政として重視すべきことに重みづけがされている(15ページ)。しかし、町全体がどのような方向を目指していくのかということと、これらの見解がどのように有機的に連関させるのかという点は充分に明らかにされているとは言えない。こうした調整は現状では総合政策部が担っているが、今の体制のままでは数年後の計画を実現していくのは難しい。それは多くの主要部分を応援職員が担当しているからである。この解決策については後で触れる。
新設された分科会と従来の地域復興協議会の関係が必ずしも明らかではない。基本計画のなかでは仮設住宅などの新しいコミュニティの存在を指摘しながら、それらとどのような関係を構築していくのか明らかではない。また、安渡地区では震災前から公民館の活動が盛んで、コミュニティの結節点になっており、復興計画の中でもその役割が重視されているが、行政内での担当部署である生涯学習課が地域・コミュニティ分科会に参加していない点も疑問が残る(テーマ別分科会の開催経緯と主な意見、4ページ)。
とりわけ、教育・分科会の中で活動の核となる場所として公民館・集会所が重視されていることを考えると、そうしたテーマはどこに何を置くかという点で空間環境基盤(土地利用)と関係するし、コミュニティのニーズをどのように吸い上げるのかという問題という意味で社会生活基盤と関係し、町外へのアピールという意味では経済産業基盤の復興方針の中にある②の戦略的展開と関係している。しかし、現在の基本計画では全部が並列して書かれているだけであり、それぞれが有機的に連関していない。
大槌町だけでなく、行政は基本的に機能別に編成されているのは当然であり、巷間で言われるような,それを縦割りであると批判するのはあまり適切ではない。これは今後の進め方の中で、空間環境基盤、社会生活基盤、経済産業基盤、教育文化基盤で共通する内容をどのように協力させ、あるいはよりよくするために競合させるのかといった方法を考えなければならない。今の時点では分科会別に共有すべきテーマがバラバラに出ている。それはひとえに現在は総合政策部の機能にかかっているが、この出された内容を統合する役割が期待されるが、現時点での基本計画ではそこまで到達しているとは言えない。一応、45-49頁の連携型プロジェクトという形で記されており、将来的な展開の可能性には配慮されている点は公平に評価したい。しかし、全体の確固たる方針というところまでは到達しているとは言えないだろう。
地域復興協議会その他の参加者と意見交換して来たなかで、町行政が住民を分断するためにさまざまな会を作っているのではないかという議論をしたことがあるが、基本計画を縦覧する限り、そうした考えは杞憂であった。今の問題は個別論点をどのように統合して町全体の方針とするのかという方策がまだ不十分であるというだけである。ただ、個々の問題は復興だけでなく、震災以前からの大槌町、ひいては地方の基礎自治体が抱える問題でもあり、震災から三年の間でここまで到達したのは高く評価されるべきである。
継続的な基本計画を実行する体制づくり
復興計画を実現していくためには、数十年かけて考えなければならない。まず、産業担当の副町長が変わった時点で、引き継ぎが十分に機能しておらず、2012年度に進めた話が後退するということが多く起った。応援職員に協力を頼む以上、引き継ぎの問題は深刻だが、同じ自治体、とりわけ基礎自治体の上にある県庁出身者同士の人事異動で起った問題である点において、何よりも深刻であると言わざるを得ない。端的に言って、県庁に期待できないということである。また、総合政策部は設立された2012年は県庁からの出向者である部長を置きながら、何もできなかった。2013年度以降、結果を残したのは遠方からの応援職員の力である。
2012年に私も協力して和RING-PROJECTは町内全域を対象にしたアンケートを実施した。事前の協力関係を作る時間がなかったため、町役場とは一緒に出来なかったが、アンケートの集計作業その他において町民、学識関係者と協力体制を作った。とりわけ、こうしたアンケートを専門にする東京大学の経済学部スタッフの二人から町行政と協力関係が必要であるというアドバイスがあり、総合政策部部長には今後、同様のアンケートを行う際には二人も含めて協力を申し出ており、その約束を交わしたが、2013年度の町役場の意向調査は我々が作成したアンケートをほぼ利用したにもかかわらず、 そうした約束は果たされなかった。
意向調査については何人かの町民から何の意味があるのかという意見をもらったが、この時期に同様のアンケートを行う意味はまったくなかったと言える。独自に行うのはもちろん町役場の自由だが、前のものをほとんど流用して、しかも時機を逸した意向調査を行ったことについては公式に見解を聞きたいところである。これらの情報が総合政策部内で共有されていないとしたら、それはひとえに部長の責任である。私が県庁の方とお話をした限りでは、県庁にも優秀な方はいらっしゃると思うのだが、現時点での政策結果を見る限り、主要ポストに外れ人材を3人連続して送り込まれており、大槌町にとっては岩手県庁の人材はリスク要因になっている。
大槌町内のプロパー職員への風当たりは内外で非常に強いが、加藤町長のもとでここ数年間、新しい試みがなされていたとはいえ、一般的に考えて、予算規模がこれだけ膨れ上がった時点で、今まで経験していた以上の未曾有のスキルが要求されているのは否定できない。また、そうした事情を踏まえたうえで、あるいは私が上に書いた行政のプロセスを理解した上で、彼らを責める町民は少ないのではないかと思う。また、亡くなった町役場の精鋭と比較され、そういう意味でも現在のプロパー職員は必要以上に町民からの非難を受けて来たと言えるだろう。実際に倒れている方も何人もいるわけだし,これ以上の負担をかけるのは気の毒である。
一案として,重要な仕事を応援職員に任せて、継続的に町づくりをする体制を構築する必要がある。これは一見、非常識な発想だが、非現実的ではないと考える。今までは支援という形で入ってきたが、それだけではこの体制を維持するのは難しいだろう。もっと戦略的に大幅な権限移譲することで、通常では考えられない裁量の仕事経験を積ませること自体を売りにする(もちろん、全員が素人では困るが、派遣された若い職員が他の自治体からは派遣されたスペシャリストと一緒に仕事をすることで得るものは大きいだろう)。派遣が終ったあとの派遣元自治体に還元される。この方法だと、最初からそういう前提での計画になるので、プロパー職員に大きな負担やプレッシャーをかける必要はない。その代わり、町の中枢部にあるヘッドクォーター的なところが、きちんと仕事を外注できなければならない。現在は総合政策が担当しているが、その中核は応援職員である。応援職員一人一人は長期で滞在するわけではないし、またそもそもプロパー職員もローテーションで異動するので、この役割は10年単位で仕事が可能な東大が責任をもって果たすしかないだろう。このヘッドクォーターは派遣元自治体と担当する仕事内容を派遣職員のキャリア形成についても打合せをしなければならない。
逆に、交換研修ということで、プロパー職員が町を出て他の基礎自治体で経験を積むことも考えてもよいだろう。受入先自治体にとっては受入も支援になるし、付き合いの密な町内で町役場の職員という立場で過ごすきつさから解放されることで、メンタル・ヘルスの観点からも一定の効果があると期待される。また、一定期間で帰って来られることも重要である。これは役場から提案することが難しければ、労働組合からの提案という形を取るというのが無難だろう。いずれにせよ、このままではプロパー職員は途中で壊れてしまう人を出し続けなければならなくなってしまう。
加えて次の問題は中核人材の引退である。たとえば、総務部長やメディア・コモンズの担当課長は来年度で最後である。復興が十年、二十年続いていくとなると、こうした世代間継承の問題は避けられない。全員が参加する必要はないが、事業の継続性を考え、民間に降りた後でも復興に携われる可能性を残しておいた方が良い。
町外との継続的な関係をどう構築するかという戦略眼の欠如
町役場だけでなく、NPOその他もそうだが、震災以降、大槌町は多大な支援を受けた。もちろん、個人的には継続的な付き合いもあるが、これを長期的に戦略的にどういう風にしていくべきなのかという視点が基本計画からは欠落している。ここにおいては相手方の応援職員や私も含めた支援者も当事者である。
問題の性質が困難であることを承知で指摘するが、基本計画改定素案にある「若者・よそ者」の具体像がない。私の見立てでは、今のままでは大槌に未練があって出て行った人しか転出者は帰って来ない。ここに期待するのは現実的ではない。一番、大槌に来てくれる可能性があるのは支援者として一度縁をもって、そのまま大槌への思いを持っている人。二番目は、大槌で新しい試みや新しい体験が出来ることを期待する人。大槌が嫌で出て行った人は、その嫌な記憶よりも、新しい大槌がよいと思ってくれなければ、戻って来ない分、ハードルがあがっている。中長期的に定住者を増やすのは必要な戦略だが、短期的には定住者を増やすのはなかなか難しい。住居の問題があるからである。先に述べた応援職員を中核にするというプランは一つだが、これは期間限定でもある一定期間、定住する人間を増やすことにもつながっている。
私も含めて多くの支援者との間で関係を作ったが,これを継続的なものにしていくためには,相手方のことを勉強する必要もあり,なかなか難しい。とくに,町行政の場合,公式,非公式を問わず多くの支援者との交流があり,それを整理するだけでも莫大な作業になる。とはいえ,組織同士の継続的な付き合いをどのようにするのかということは重要な問題である。上で応援職員の派遣元自治体との関係を書いたのもそうした意図があってのことである。また,震災前から交流があり,フォートブラッグとの関係は継続した方が良い。大槌町ではこの事業があったために,英語を喋ることが出来る人も結構いるし,このまま放置するのはもったいない。こうした事業が町の教育文化基盤でまったく触れられていないのは残念である。
もう一つ,町外との関係では,支援というギフトエコノミーの観点だけでなく,通常の産業関係でも考える必要がある。大槌町内だけで経済を回すのは困難であり,町外とどのような関係を作って行くのかということを考えた方が良い。場合によってはサテライト・オフィスのような拠点を首都圏などに設ける必要があるだろう。それについては五城目町の姉妹都市である千代田区は協力体制にあるので,そうしたところに協力を依頼することも考えられる。町外での継続的な営業活動も大槌町として重要である。
より詳細な個別論点について
個別論点については,具体的にどうやって進めるのかという疑問点もあるが,それは単に私が知らないだけかもしれない可能性もあるので,詳しくは触れない。ただし,いろいろ出された意見を並べるだけではなくもう少し精査する必要はあるだろう。これは町役場の責任で行うのは難しいかもしれないが,私が提案した分科会や戦略会議のなかに特別委員会を作って諮問するといった方法もある。
町民のなかには,2012年の和RING-PROJECTのアンケートでは,町民に一々お伺いを立てるのではなく,町長に覚悟を決めて進めて行けという意見があった。今までの意見の聞き方が十分であったとは思わないけれども,他自治体に比べれば大槌町は基本計画改定素案に反映させるだけの回路を少なくとも開いた。その町長の決断は間違っていなかったと考える。それには新たに調整のための負担がかかり、実際に総合政策部スタッフがご苦労なさったわけだが、あえてその方法を選んだことは高く評価されるべきである。とりわけ,2011年から数多く開かれたおらが大槌夢広場関係者が取り仕切ったまちづくりワークショップに比べて,総合政策部が中心になってからはるかに一回ずつのワークショップはレベルがあがった。それは先端のまちづくりワークショップなどを経験し,かつ勉強しているからだと思われる。そうしたものが継続されることを今後も期待したい。
基本計画の前提にある問題
大槌町の復興計画に全部賛成するわけではないけれども、2012年5月に示された大槌町東日本大震災津波復興計画実施計画に比べて、今回提示されている改定素案は格段にグレードアップしている。とくに、住民からの意見の吸い上げが住民復興協議会のみであったのに対し、各種の分科会を開くことによって、新しい経路を築き上げたことは評価されるべきだろう。私自身、実際の参加者からは必ずしも肯定的な意見を聞いたわけではなく、どちらかと言うと、否定的な意見を聞いていた。その運営の仕方、あるいはまとめ方、そこからさらに基本計画に練り上げる、そうしたプロセスが不十分であるという不満はあるかもしれない。しかし、前回の計画に比べて、改良された点は高く評価されなければならない。その上で、今後、この計画を実現していくためにも、いくつかの問題点を指摘せざるを得ないだろう。
大槌町で起っている問題は、誰かが利権のために動かしているといった分かりやすい話が脚光を浴びやすいため、どの町でも共通するような背後にあるメカニズムまで注目されることは少ないと思われる。そのために、町民からは行政の一部や町会議員の一部が利益誘導をしているために復興が進まないという批判がある。しかし、仮にもしそうしたことが実際に行われていたとしても、それは復興が進まない一番の大きな原因ではない。もっと根本的な難しさがある。
一般に、日本の政策決定プロセスは、中央から地方へと流れていく。今、この主な流れを図示すると、
中央省庁(いわゆる霞が関)および委員会 ― 諮問 → 審議会 → 審議会専門委員会(あるいは特別委員会)→ 審議会 ― 答申 → 中央省庁 → 基本計画 → 県庁 → 基礎自治体 → 地域
となる。県庁でも審議会が開かれることがあるが、同じ繰り返しなので省略する。大槌町の分科会というのは、中央の政策決定プロセスにおける審議会と同じ機能が期待されている。戦略会議、各分科会の運営の仕方に批判が集まるのは、通常、基礎自治体レベルではこうしたスケールでの政策決定プロセスを経験したことがないからで、町長はじめ町役場を批判することは必ずしも的を射ていない。加藤町長はじめ町役場の方が生き残っていたとしても、震災直後の最初期の混乱は避けられたかもしれないが、2012年以降の政策決定プロセスでは同じようなことが起こっていたと考えられる。
大槌町を中央省庁の政策決定プロセスと比較した場合、戦略会議が審議会、分科会が審議会内の特別委員会にあたるが、その運用の仕方は大きく異なる。普通、審議会の特別委員会は審議会構成者の中から何人かの委員が選ばれて、具体的な問題を協議し、中央省庁が提出した案を検討したり、新しい案を提出したりしたあとに、審議会全体にかけて、中央省庁の政策にフィードバックさせる。これに対し、大槌町の場合、戦略会議と分科会では構成員が異なり、したがって、分科会は審議会そのものの機能と、具体的な分野が充てられているという意味において、審議会の特別委員会のような機能が与えられている。本来は、戦略会議の中に特別委員会を設け、さらに分科会の中に特別委員会を設けるという方が生産的であるが、実際には委員を引き受けている町民がこれ以上の時間を割くのは困難であろう。現状はこの専門委員会のやるべき仕事を総合政策が行っているが、大学などに協力を依頼すればよい。そうでなければ、取りまとめを行うことは出来ない。通常、こうしたことは基礎自治体では困難だが、今の大槌町の状態であれば不可能ではない。
次のプロセスで、町レベルで実現しなければならないことは、中央の設定した政策(計画)にあわせる形で、政策を策定しなければならない(作文)。もちろん、中央でも地方ごとに事情が違うのは分かっているので、融通が利くように抽象的な文言で基本計画が作られている。これに沿う形で各種の基本計画は作るが、実際の運用で多少の自由がないわけではない(文書の解釈の仕方)。ということは、抽象的な文言の背景を理解した上で、自分たちが実現したい政策を書く。これが出来ると、予算を獲得することが出来る。少なくとも、予算が出せるような仕組みは中央省庁の役人が言うように用意されている。8ページに「関連計画との整合性」が書かれているのはこのためである。これはこの枠組みで予算を取ってくることが出来るという意味である。ふるさと納税などの制度を利用して独自財源を増やす試みを模索するか、寄付金(投資金)を募ってこれを利用する仕組みを制度化して、回すように出来ないならば、こうした形式を変えることは出来ない。いずれにせよ、復興事業が終了した時点での、それ以外での財源をどのように調達するか、あるいは産業を起こして税金を確保するなどの計画がまったくない。これでは数年のうちに行政破綻せざるを得ないだろう。
この中央から地方ではなく、地域→地方→地方への逆コースが認められるのは防災計画であり、これは2013年6月に規則が変更になって、地域で作った防災計画を基本計画に反映させることが出来るようになった。こうした仕組みを戦略的に使う必要がある。
分科会、地域復興協議会と基本計画の評価
今回の基本計画が改善された最大のポイントは町内の企業、社会福祉法人、NPOなどの声を広く受けいれた点にあると考えられる。基本計画の中では複数提出された意見の中から町の行政として重視すべきことに重みづけがされている(15ページ)。しかし、町全体がどのような方向を目指していくのかということと、これらの見解がどのように有機的に連関させるのかという点は充分に明らかにされているとは言えない。こうした調整は現状では総合政策部が担っているが、今の体制のままでは数年後の計画を実現していくのは難しい。それは多くの主要部分を応援職員が担当しているからである。この解決策については後で触れる。
新設された分科会と従来の地域復興協議会の関係が必ずしも明らかではない。基本計画のなかでは仮設住宅などの新しいコミュニティの存在を指摘しながら、それらとどのような関係を構築していくのか明らかではない。また、安渡地区では震災前から公民館の活動が盛んで、コミュニティの結節点になっており、復興計画の中でもその役割が重視されているが、行政内での担当部署である生涯学習課が地域・コミュニティ分科会に参加していない点も疑問が残る(テーマ別分科会の開催経緯と主な意見、4ページ)。
とりわけ、教育・分科会の中で活動の核となる場所として公民館・集会所が重視されていることを考えると、そうしたテーマはどこに何を置くかという点で空間環境基盤(土地利用)と関係するし、コミュニティのニーズをどのように吸い上げるのかという問題という意味で社会生活基盤と関係し、町外へのアピールという意味では経済産業基盤の復興方針の中にある②の戦略的展開と関係している。しかし、現在の基本計画では全部が並列して書かれているだけであり、それぞれが有機的に連関していない。
大槌町だけでなく、行政は基本的に機能別に編成されているのは当然であり、巷間で言われるような,それを縦割りであると批判するのはあまり適切ではない。これは今後の進め方の中で、空間環境基盤、社会生活基盤、経済産業基盤、教育文化基盤で共通する内容をどのように協力させ、あるいはよりよくするために競合させるのかといった方法を考えなければならない。今の時点では分科会別に共有すべきテーマがバラバラに出ている。それはひとえに現在は総合政策部の機能にかかっているが、この出された内容を統合する役割が期待されるが、現時点での基本計画ではそこまで到達しているとは言えない。一応、45-49頁の連携型プロジェクトという形で記されており、将来的な展開の可能性には配慮されている点は公平に評価したい。しかし、全体の確固たる方針というところまでは到達しているとは言えないだろう。
地域復興協議会その他の参加者と意見交換して来たなかで、町行政が住民を分断するためにさまざまな会を作っているのではないかという議論をしたことがあるが、基本計画を縦覧する限り、そうした考えは杞憂であった。今の問題は個別論点をどのように統合して町全体の方針とするのかという方策がまだ不十分であるというだけである。ただ、個々の問題は復興だけでなく、震災以前からの大槌町、ひいては地方の基礎自治体が抱える問題でもあり、震災から三年の間でここまで到達したのは高く評価されるべきである。
継続的な基本計画を実行する体制づくり
復興計画を実現していくためには、数十年かけて考えなければならない。まず、産業担当の副町長が変わった時点で、引き継ぎが十分に機能しておらず、2012年度に進めた話が後退するということが多く起った。応援職員に協力を頼む以上、引き継ぎの問題は深刻だが、同じ自治体、とりわけ基礎自治体の上にある県庁出身者同士の人事異動で起った問題である点において、何よりも深刻であると言わざるを得ない。端的に言って、県庁に期待できないということである。また、総合政策部は設立された2012年は県庁からの出向者である部長を置きながら、何もできなかった。2013年度以降、結果を残したのは遠方からの応援職員の力である。
2012年に私も協力して和RING-PROJECTは町内全域を対象にしたアンケートを実施した。事前の協力関係を作る時間がなかったため、町役場とは一緒に出来なかったが、アンケートの集計作業その他において町民、学識関係者と協力体制を作った。とりわけ、こうしたアンケートを専門にする東京大学の経済学部スタッフの二人から町行政と協力関係が必要であるというアドバイスがあり、総合政策部部長には今後、同様のアンケートを行う際には二人も含めて協力を申し出ており、その約束を交わしたが、2013年度の町役場の意向調査は我々が作成したアンケートをほぼ利用したにもかかわらず、 そうした約束は果たされなかった。
意向調査については何人かの町民から何の意味があるのかという意見をもらったが、この時期に同様のアンケートを行う意味はまったくなかったと言える。独自に行うのはもちろん町役場の自由だが、前のものをほとんど流用して、しかも時機を逸した意向調査を行ったことについては公式に見解を聞きたいところである。これらの情報が総合政策部内で共有されていないとしたら、それはひとえに部長の責任である。私が県庁の方とお話をした限りでは、県庁にも優秀な方はいらっしゃると思うのだが、現時点での政策結果を見る限り、主要ポストに外れ人材を3人連続して送り込まれており、大槌町にとっては岩手県庁の人材はリスク要因になっている。
大槌町内のプロパー職員への風当たりは内外で非常に強いが、加藤町長のもとでここ数年間、新しい試みがなされていたとはいえ、一般的に考えて、予算規模がこれだけ膨れ上がった時点で、今まで経験していた以上の未曾有のスキルが要求されているのは否定できない。また、そうした事情を踏まえたうえで、あるいは私が上に書いた行政のプロセスを理解した上で、彼らを責める町民は少ないのではないかと思う。また、亡くなった町役場の精鋭と比較され、そういう意味でも現在のプロパー職員は必要以上に町民からの非難を受けて来たと言えるだろう。実際に倒れている方も何人もいるわけだし,これ以上の負担をかけるのは気の毒である。
一案として,重要な仕事を応援職員に任せて、継続的に町づくりをする体制を構築する必要がある。これは一見、非常識な発想だが、非現実的ではないと考える。今までは支援という形で入ってきたが、それだけではこの体制を維持するのは難しいだろう。もっと戦略的に大幅な権限移譲することで、通常では考えられない裁量の仕事経験を積ませること自体を売りにする(もちろん、全員が素人では困るが、派遣された若い職員が他の自治体からは派遣されたスペシャリストと一緒に仕事をすることで得るものは大きいだろう)。派遣が終ったあとの派遣元自治体に還元される。この方法だと、最初からそういう前提での計画になるので、プロパー職員に大きな負担やプレッシャーをかける必要はない。その代わり、町の中枢部にあるヘッドクォーター的なところが、きちんと仕事を外注できなければならない。現在は総合政策が担当しているが、その中核は応援職員である。応援職員一人一人は長期で滞在するわけではないし、またそもそもプロパー職員もローテーションで異動するので、この役割は10年単位で仕事が可能な東大が責任をもって果たすしかないだろう。このヘッドクォーターは派遣元自治体と担当する仕事内容を派遣職員のキャリア形成についても打合せをしなければならない。
逆に、交換研修ということで、プロパー職員が町を出て他の基礎自治体で経験を積むことも考えてもよいだろう。受入先自治体にとっては受入も支援になるし、付き合いの密な町内で町役場の職員という立場で過ごすきつさから解放されることで、メンタル・ヘルスの観点からも一定の効果があると期待される。また、一定期間で帰って来られることも重要である。これは役場から提案することが難しければ、労働組合からの提案という形を取るというのが無難だろう。いずれにせよ、このままではプロパー職員は途中で壊れてしまう人を出し続けなければならなくなってしまう。
加えて次の問題は中核人材の引退である。たとえば、総務部長やメディア・コモンズの担当課長は来年度で最後である。復興が十年、二十年続いていくとなると、こうした世代間継承の問題は避けられない。全員が参加する必要はないが、事業の継続性を考え、民間に降りた後でも復興に携われる可能性を残しておいた方が良い。
町外との継続的な関係をどう構築するかという戦略眼の欠如
町役場だけでなく、NPOその他もそうだが、震災以降、大槌町は多大な支援を受けた。もちろん、個人的には継続的な付き合いもあるが、これを長期的に戦略的にどういう風にしていくべきなのかという視点が基本計画からは欠落している。ここにおいては相手方の応援職員や私も含めた支援者も当事者である。
問題の性質が困難であることを承知で指摘するが、基本計画改定素案にある「若者・よそ者」の具体像がない。私の見立てでは、今のままでは大槌に未練があって出て行った人しか転出者は帰って来ない。ここに期待するのは現実的ではない。一番、大槌に来てくれる可能性があるのは支援者として一度縁をもって、そのまま大槌への思いを持っている人。二番目は、大槌で新しい試みや新しい体験が出来ることを期待する人。大槌が嫌で出て行った人は、その嫌な記憶よりも、新しい大槌がよいと思ってくれなければ、戻って来ない分、ハードルがあがっている。中長期的に定住者を増やすのは必要な戦略だが、短期的には定住者を増やすのはなかなか難しい。住居の問題があるからである。先に述べた応援職員を中核にするというプランは一つだが、これは期間限定でもある一定期間、定住する人間を増やすことにもつながっている。
私も含めて多くの支援者との間で関係を作ったが,これを継続的なものにしていくためには,相手方のことを勉強する必要もあり,なかなか難しい。とくに,町行政の場合,公式,非公式を問わず多くの支援者との交流があり,それを整理するだけでも莫大な作業になる。とはいえ,組織同士の継続的な付き合いをどのようにするのかということは重要な問題である。上で応援職員の派遣元自治体との関係を書いたのもそうした意図があってのことである。また,震災前から交流があり,フォートブラッグとの関係は継続した方が良い。大槌町ではこの事業があったために,英語を喋ることが出来る人も結構いるし,このまま放置するのはもったいない。こうした事業が町の教育文化基盤でまったく触れられていないのは残念である。
もう一つ,町外との関係では,支援というギフトエコノミーの観点だけでなく,通常の産業関係でも考える必要がある。大槌町内だけで経済を回すのは困難であり,町外とどのような関係を作って行くのかということを考えた方が良い。場合によってはサテライト・オフィスのような拠点を首都圏などに設ける必要があるだろう。それについては五城目町の姉妹都市である千代田区は協力体制にあるので,そうしたところに協力を依頼することも考えられる。町外での継続的な営業活動も大槌町として重要である。
より詳細な個別論点について
個別論点については,具体的にどうやって進めるのかという疑問点もあるが,それは単に私が知らないだけかもしれない可能性もあるので,詳しくは触れない。ただし,いろいろ出された意見を並べるだけではなくもう少し精査する必要はあるだろう。これは町役場の責任で行うのは難しいかもしれないが,私が提案した分科会や戦略会議のなかに特別委員会を作って諮問するといった方法もある。
町民のなかには,2012年の和RING-PROJECTのアンケートでは,町民に一々お伺いを立てるのではなく,町長に覚悟を決めて進めて行けという意見があった。今までの意見の聞き方が十分であったとは思わないけれども,他自治体に比べれば大槌町は基本計画改定素案に反映させるだけの回路を少なくとも開いた。その町長の決断は間違っていなかったと考える。それには新たに調整のための負担がかかり、実際に総合政策部スタッフがご苦労なさったわけだが、あえてその方法を選んだことは高く評価されるべきである。とりわけ,2011年から数多く開かれたおらが大槌夢広場関係者が取り仕切ったまちづくりワークショップに比べて,総合政策部が中心になってからはるかに一回ずつのワークショップはレベルがあがった。それは先端のまちづくりワークショップなどを経験し,かつ勉強しているからだと思われる。そうしたものが継続されることを今後も期待したい。
2014年02月07日 (金)
今日、情報労連さんで講演して来て、最後の質疑応答の中で重要な質問をいただきました。組合では人が大事だと思って、投資を強調するようにしたいけれども、労働者自身が自分たちが費用であるという認識が浸透している、これを打開するにはどうすればいいか、という質問でした。私は答えられませんでした。ただ、それは組合だけではない、教育の現場でも同じです。だから、私も処方箋が欲しい。結局、一人ずつ、こうやって質問をしていただいて、それをこういう風に対話すれば、それを聞いて何かを感じたここにいらっしゃる方々がそれを広めてくれるかもしれない。そうやって少しずつ、広げていくしかないのではないか、とお答えしました。そうお答えしたけれども、私自身、満足できていなくて、帰り路、歩きながらずっと、この問題を考えていました。そして、この問題を考える一端になるヒントを帰る直前にいただきました。それは投資も最後までいったら、投資ということではダメですよね、ということです。
問題がどこにあるのかが本(もと)であるならば、それを解決するためにどう伝えるべきなのかは末の議論です。でも、この場合、末の議論が重要でないということではまったくない。同じように重要です。これは、今に始まったわけではなく、昔のお坊さんたちは厳しい修行をして真理を探究したわけですけれども、それをそのまま一般大衆に伝えることは難しい。でも、伝えたい。そのための言葉を方便といいました。方便は方便で重要なわけです。
昔、立教の井上先生と初めてお会いして飲んでいるときに、学問は真理を探究するものだという観点から何かの研究を批判したら、宇野派かと言われ、うん、君の言っていることは分かる、分かるけれども、僕らは今日、初めて会ったんだぞ、と言われたのを思い出しました(笑)。でも、学問は本来、本(もと)を探究する営みだと思っています。でも、実践家は末を求めている。正確には本を踏まえた、末を求めている。本当はそこに答えなければならないわけです。
私がこの春闘を通じて、メッセージはシンプルに、賃金は費用ではなく投資という側面があることを発するべきだと主張しています。それは根本的には、90年代、正規も非正規もあわせて人を大事にしなかった。その価値観を再転換させなければならない、という問題意識があるわけです。だから、まずは投資、人的投資ということを強調しています。でも、それでは足りないんですね。投資では最後まで行けませんね、という言葉は沁みます。
人に投資するという考え方は、それこそ古くからありますけれども、人的投資という言葉を普及させたのは、ゲーリー・ベッカーの人的資本論だと思います。学説史的に言っても、コモンズも19世紀に短い論文で既に同じ概念を話していますが、学者の世界でもほとんど知られていないでしょう。そのベッカーがこの概念を教育に適用したとき、アメリカでも大激論を引き起こした。神聖な教育という営みに何という冒涜なのか、と。ベッカーはもちろん、教育が経済学だけで分析しきれると思ったわけではなく、その一部分を切り取って見せただけでした。それはいかにも20世紀の社会科学者らしい振る舞いでした。個人的なことを言えば、私はきれいごとばかり言う教育学者の大半が嫌いです。もちろん、海後宗臣や澤柳政太郎のように尊敬すべき人がいるのも分かっています。でも、概して自分のことを棚に上げてきれいごとをいう気持ちの悪い人が多い。それに比べれば、ベッカーの方がはるかにさわやかだし、好ましいと思って来ました。でも、それは同時にひょっとしたら、パンドラの箱を開けてしまったのかもしれないとも今になって思います。言うまでもなく、費用対効果は投資と切り離せない概念だからです。もちろん、それは人を大事にするというメッセージの方便なんだけれども、本質的には問題をはらんでいるかもしれない。とはいえ、一足とびにはいけないので、費用から投資への転換、それから投資という言葉を使わなくても人を大事にするという価値観まで持っていかなければならない。でも、だからこそ、毒を含んだプロパガンダであるということは意識して使って行かなければならないんですね。
教育社会学のなかではメリトクラシーという言葉で一括されてしまうのですが、本当に、近代の学校社会って、そういう観点で語ってしまってよいのか、という疑問が私にはあります。それが大きく変わるのは1960年代ではなかったかとも思うのです。研究的に言えば、大河内さんらの「人的資源」概念を輸入した教育社会学の清水義弘をどう評価するのかという問題に繋がりそうな気もしますが、私はむしろ、予備校の転換が大きいと思っています。その頃までの予備校は塾の伝統を引き継いでいました。江戸時代までの教育は、先生個人があって、その先生に教わりたいというものが根強くありました。だから、明治時代の履歴書を読むと、〇〇先生に師事して漢文を二年間習う、というようなものが出て来ます。今も神田にある正則学園高等学校がありますが、この学校はもともと斎藤秀三郎が開いた正則英語学校でした。明治時代、東大の学生は英語学者としての斎藤の見識と評判に魅かれ、英語を学ぶためには、正則英語学校に通ったのです。そういう塾的な気風が残っていたのです。予備校は今でも名物講師がいて、一時期は学校よりも塾の方が教え方がよい、というようなことさえまことしやかに語られていました。でも、基本的には、1970年代から「偏差値」が入り、状況を変えて行ったのです。受験勉強の効率化が、IT(コンピュータ)技術に支えられて進んで行ったのです(本当はここら辺を学校、予備校の関係も含めて丁寧に描かないといけません)。
多くの社会に出た方は理解されていないですが、学校というのは企業以上に効率を追求するところになってしまいました。この前、高等教育で起っている現象はすべて需給関係で説明できると言ったら「いや待て、でも俺たちが学生募集に行っているのもそうか。それにしてもお前がそんなこと、言うとは思わなかった」と言われましたが、90年代規制緩和で大学の数は増えるし、少子高齢化で学生の数は減る。学生数を確保するために、大学は入試を簡易化するのだから、学生に対して勉強へのインセンティブを与えるのが難しくなるのは当然です。そういう行動は経営体としては正しいかもしれないけれども、社会全体、とりわけ教育機関として見たとき、倫理的によいのかと問われるべき問題です。誤解を恐れずに言えば、かつての高校卒業レベルまでの能力をその過程で身につけることが出来なかった子のために親心で進学させるというケースが増えています。そして、大学もそれを顧客にしている。だから、もっているのです。大学は半分以上は福祉施設だよという所以です。
ぶっちゃけって言えば、私は自分が面白いと思ったこともないものを誰かに教えちゃダメだと思うんですよね。これはどれだけいるか分かりませんが、数学や国語をなんで勉強するのか説明できない人間に教われば、勉強なんて楽しいと思えるはずはない。それでは本来、労役たる児童労働からの解放を目指した学校が、ただの教役(キリスト用語ではなくて、労役と対比した造語です)になってしまう。それじゃ、ブラック企業でアルバイトをして毀損されていくのと大して変わらないわけです。
近年、濱口さんあたりが労働教育が必要だということを主張されて来ました。私もそれは大切だと思います。方便のレベルでは。だって、本当に社会に放り出されて、ちゃんと救われる道があるのに、それを知らないで、可愛い教え子が壊されていくのは忍びない。でも、本当に、それだけで大丈夫なんだろうか。もっと根本のところで、社会が変質してしまったのではないか。まだ、私にはその本質はつかめていません。でも、それを掴んだ上でなければ、自分を毀損していく若者を救うことは出来ないのではないかとだけは感じています。
問題がどこにあるのかが本(もと)であるならば、それを解決するためにどう伝えるべきなのかは末の議論です。でも、この場合、末の議論が重要でないということではまったくない。同じように重要です。これは、今に始まったわけではなく、昔のお坊さんたちは厳しい修行をして真理を探究したわけですけれども、それをそのまま一般大衆に伝えることは難しい。でも、伝えたい。そのための言葉を方便といいました。方便は方便で重要なわけです。
昔、立教の井上先生と初めてお会いして飲んでいるときに、学問は真理を探究するものだという観点から何かの研究を批判したら、宇野派かと言われ、うん、君の言っていることは分かる、分かるけれども、僕らは今日、初めて会ったんだぞ、と言われたのを思い出しました(笑)。でも、学問は本来、本(もと)を探究する営みだと思っています。でも、実践家は末を求めている。正確には本を踏まえた、末を求めている。本当はそこに答えなければならないわけです。
私がこの春闘を通じて、メッセージはシンプルに、賃金は費用ではなく投資という側面があることを発するべきだと主張しています。それは根本的には、90年代、正規も非正規もあわせて人を大事にしなかった。その価値観を再転換させなければならない、という問題意識があるわけです。だから、まずは投資、人的投資ということを強調しています。でも、それでは足りないんですね。投資では最後まで行けませんね、という言葉は沁みます。
人に投資するという考え方は、それこそ古くからありますけれども、人的投資という言葉を普及させたのは、ゲーリー・ベッカーの人的資本論だと思います。学説史的に言っても、コモンズも19世紀に短い論文で既に同じ概念を話していますが、学者の世界でもほとんど知られていないでしょう。そのベッカーがこの概念を教育に適用したとき、アメリカでも大激論を引き起こした。神聖な教育という営みに何という冒涜なのか、と。ベッカーはもちろん、教育が経済学だけで分析しきれると思ったわけではなく、その一部分を切り取って見せただけでした。それはいかにも20世紀の社会科学者らしい振る舞いでした。個人的なことを言えば、私はきれいごとばかり言う教育学者の大半が嫌いです。もちろん、海後宗臣や澤柳政太郎のように尊敬すべき人がいるのも分かっています。でも、概して自分のことを棚に上げてきれいごとをいう気持ちの悪い人が多い。それに比べれば、ベッカーの方がはるかにさわやかだし、好ましいと思って来ました。でも、それは同時にひょっとしたら、パンドラの箱を開けてしまったのかもしれないとも今になって思います。言うまでもなく、費用対効果は投資と切り離せない概念だからです。もちろん、それは人を大事にするというメッセージの方便なんだけれども、本質的には問題をはらんでいるかもしれない。とはいえ、一足とびにはいけないので、費用から投資への転換、それから投資という言葉を使わなくても人を大事にするという価値観まで持っていかなければならない。でも、だからこそ、毒を含んだプロパガンダであるということは意識して使って行かなければならないんですね。
教育社会学のなかではメリトクラシーという言葉で一括されてしまうのですが、本当に、近代の学校社会って、そういう観点で語ってしまってよいのか、という疑問が私にはあります。それが大きく変わるのは1960年代ではなかったかとも思うのです。研究的に言えば、大河内さんらの「人的資源」概念を輸入した教育社会学の清水義弘をどう評価するのかという問題に繋がりそうな気もしますが、私はむしろ、予備校の転換が大きいと思っています。その頃までの予備校は塾の伝統を引き継いでいました。江戸時代までの教育は、先生個人があって、その先生に教わりたいというものが根強くありました。だから、明治時代の履歴書を読むと、〇〇先生に師事して漢文を二年間習う、というようなものが出て来ます。今も神田にある正則学園高等学校がありますが、この学校はもともと斎藤秀三郎が開いた正則英語学校でした。明治時代、東大の学生は英語学者としての斎藤の見識と評判に魅かれ、英語を学ぶためには、正則英語学校に通ったのです。そういう塾的な気風が残っていたのです。予備校は今でも名物講師がいて、一時期は学校よりも塾の方が教え方がよい、というようなことさえまことしやかに語られていました。でも、基本的には、1970年代から「偏差値」が入り、状況を変えて行ったのです。受験勉強の効率化が、IT(コンピュータ)技術に支えられて進んで行ったのです(本当はここら辺を学校、予備校の関係も含めて丁寧に描かないといけません)。
多くの社会に出た方は理解されていないですが、学校というのは企業以上に効率を追求するところになってしまいました。この前、高等教育で起っている現象はすべて需給関係で説明できると言ったら「いや待て、でも俺たちが学生募集に行っているのもそうか。それにしてもお前がそんなこと、言うとは思わなかった」と言われましたが、90年代規制緩和で大学の数は増えるし、少子高齢化で学生の数は減る。学生数を確保するために、大学は入試を簡易化するのだから、学生に対して勉強へのインセンティブを与えるのが難しくなるのは当然です。そういう行動は経営体としては正しいかもしれないけれども、社会全体、とりわけ教育機関として見たとき、倫理的によいのかと問われるべき問題です。誤解を恐れずに言えば、かつての高校卒業レベルまでの能力をその過程で身につけることが出来なかった子のために親心で進学させるというケースが増えています。そして、大学もそれを顧客にしている。だから、もっているのです。大学は半分以上は福祉施設だよという所以です。
ぶっちゃけって言えば、私は自分が面白いと思ったこともないものを誰かに教えちゃダメだと思うんですよね。これはどれだけいるか分かりませんが、数学や国語をなんで勉強するのか説明できない人間に教われば、勉強なんて楽しいと思えるはずはない。それでは本来、労役たる児童労働からの解放を目指した学校が、ただの教役(キリスト用語ではなくて、労役と対比した造語です)になってしまう。それじゃ、ブラック企業でアルバイトをして毀損されていくのと大して変わらないわけです。
近年、濱口さんあたりが労働教育が必要だということを主張されて来ました。私もそれは大切だと思います。方便のレベルでは。だって、本当に社会に放り出されて、ちゃんと救われる道があるのに、それを知らないで、可愛い教え子が壊されていくのは忍びない。でも、本当に、それだけで大丈夫なんだろうか。もっと根本のところで、社会が変質してしまったのではないか。まだ、私にはその本質はつかめていません。でも、それを掴んだ上でなければ、自分を毀損していく若者を救うことは出来ないのではないかとだけは感じています。
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