今日から三日間、靖国神社の参道で、さくらフェスティバルをやっています。私はその中でも一押しなのが釜石からやって来た「桜牡蠣」です。これは本当に美味しい。他にも宮城石巻やその他、被災地以外からもブースがたくさん出ていますが、釜石の「桜牡蠣」は一押しです。500円、2個は原価を考えたら、破格ですよ。すごく食べやすいですね。蒸してあるので牡蠣独特の臭みが抑えられている。しかし、風味はちゃんと残っている。これは絶妙です。二つというのも、ちょうどいいと思います。牡蠣汁は暑かったから、食べませんでした。。。

私の中では釜石の美味しいお店は「Hamayui」と「駅前食堂」、次点で「なにわ屋」さんです。とくに、hamayuiはちょっと抜けています。そのhamayuiの三塚さんファミリーなんですよ、桜牡蠣の仕掛け人。

hamayuiはどんどんメニューも開発し、味もとにかく美味しい。サービスもいい。お母さんのキャラがすごくいい。明日、明後日もいらしているので、話してみるとお勧めです。値段は一番高いハンバーグセットが1200円、大体、700~800円くらい。東京で言えば、神保町のランチと同じくらいの価格幅ですが、まあ、たぶん、hamayuiを超えるところはないでしょうね。移転する前の「七條」と比べて、メニューの多さでは負けるものの、味、付け合せはほぼ引き分け(種類は七條ですが、hamayuiは旬のもので信じられないくらい美味しい付け合せがでます)、スイーツは圧倒的にhamayuiです。釜石まで行って食べてみてくださいね。

ちなみに、町の洋食屋の横綱と言ってもいい「南海」は味で言うと、「駅前食堂」とほぼ互角ではないかと思います。まあ「駅前食堂」は中華料理ベースですし、ジャンルが違うので比べがたいですが、町の定食屋というジャンルでいうと、ほぼ同じクラスだと言えます。なお、私は大学生から今に至るまで17年くらい「南海」に通い続けています。中華しばりで御茶の水の「やまだ」と比較したら、完全に「駅前食堂」に軍配です。私が宮城よりも釜石に通う理由の大きな一つは朝、高速バスで到着したとき、ここで食べられるからです。もし「駅前食堂」がなかったら、たぶん、こんなに長続きしなかったと思います。その駅前食堂に勝てるかもというのが、hamayuiなのです。

三塚さんは水産のプロなんです。だから、素材をよく知っている。それが強みです。震災の年から私は多くの復興支援のイベントに出て、いろんなものを食べて来ましたから、どれくらいのものかはよく分かります。ああいう屋台のお店って雰囲気でそこそこ美味しい気がするんだけど、桜牡蠣はそういうことではないですね。ちょっと図抜けている。被災地とか釜石とか、そういう看板はなくても、質で勝負できます。

ただ、それを伝える術があんまりないんですよね。私はブースの前にしばらく立って様子を見ていたんだけど、なかなかよい方法が思いつきませんでした。こんなところで、この値段でこんな美味しいものが食べられるの!?という驚きの味です。結局、食べてみるしかないんだけど、試食というわけにいかないもんな。私は物産ブースの手伝いもやってきましたけど、やっぱり、試食があるとないとでは人が止まるかどうか違うんですね。

三陸の海のあの豊かさは実際に行ってみないと分かりません。そんなの伝えられないよね。向こうの人はそれが当たり前だと思っているから、特に表現する言葉はないし。くどくど説明しても仕方ない。

とにかく桜牡蠣、食べてみて!

あと、何気に秋田・五城目町の野菜は安くてお勧めです。五城目の朝市と同じ値段で売っちゃダメでしょうと突っ込みをいれたくなりますが、あんまり儲ける気ないんですね。たぶん、都内でどれだけ野菜が高騰しているかもご存じないんですね。ただただお得です。もうないかもしれないけど。
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今日は兵頭淳史先生のお誘いで、関東社会労働問題研究会に参加しました。下山先生含め、自分より知識も経験もある労使関係のプロ研究者の前で、特に不得手の戦後の議論は冷や汗ものでした。でも、ひとつひとつの議論はとても勉強になりました。ありがとうございます。

兵頭さんの戦後の公務員労働をどう捉えるかについての論点、2.1ゼネストを画期とするのか否か、賃金交渉としての評価について、さすがにプロです。同じく下山先生の1940年代の生活賃金についての突っ込み、芹澤さんの1975所得政策の終焉についての千葉さんの議論などは、マニアックだけど、かなり面白い話だったんじゃないかと思います。

結論として、分かりやすいように易しく書いた、と主観的には思っていたのですが、そんなことはない、ということだけは認めざるを得ないなあ、と思いました。もっとアウェー感があるのかなと思ってましたが、そんなことなく、温かい雰囲気の中でやらせていただきました。

次は戦後の労使関係を勉強して、これをまとめないといけないなあと思いました。私は別に完璧な研究者でいようとは思っていないので、そこそこで面白い論点が揃ったらまとめて、みんなの活発な議論を喚起出来たらと思います。まあ、私が書くより、兵頭さんが書いてくれれば、私も社会政策の歴史をまとめられるから良いのに、と思わないでもないのですが、それは私だけじゃなくて、みなさんの後押しが必要でしょう。みなさんも兵頭先生に書いて下さいとリクエストしてみてください。
ふと、まさかそんなことはないよな、と思いながら、ひょっとしたら、誤解されている方もいるのかなと思い、ちょっと恐れながら、このエントリを書いています。それは何かというと、内部労働市場の理解です。内部労働市場論というのはドリンジャーとピオレの本で初めて提唱されるんですが、そのアイディアにはふたつの源泉があります。ひとつは、いわゆる旧制度学派で、彼らの直接師匠であるダンロップやカーの議論があります。彼らはダンロップの習慣という概念をひとつの重要な要素として取り上げています。もうひとつは、彼らはその当時、最新だったゲーリー・ベッカーの人的資本論を入れました。この人的資本論を投入したところが、いろいろな混乱の元になっています(ちなみにいうと、小池先生の『仕事の経済学』でも同じことが起きた)。で、そんなことないよなは、内部労働市場論と人的資本論(とくに企業特殊熟練)をセットで考えるのをデフォルトとするという考えです。

そんなことないですからね。その後、経済学の世界では技能と賃金の関係を必ずしも対応させて説明するという方向はマイノリティになりました。今はどちらかというと、情報の経済学などが段々、広まってきています。そこらへんのところが分かるように、私は『日本の賃金を歴史から考える』第6章のコラムを書いたつもりなんですが、あんまり伝わってないのかな。6章は不完全ではありますが、経済学的な考え方をできるだけ紹介したいという意図もあったのです。

一般に原典を読み返すというのは、とても良いことですが、研究というのは、その後進展するので、それを踏まえないで、原典だけ読むというのはアウトなのです。企業特殊熟練以外の説明の仕方も出ています。これは歴史を見るときにもいえることなんですね。たとえば、科学的管理法について知りたい方がいらしたとします。そのとき、原典を調べてみようと思い、テイラーの本を読むのは良いです。でも、科学的管理法は1920年代からもう既に1910年代の議論などは超えて、たとえば原価計算と簿記が結びついて管理会計のようなものを生んでいきます。さらには、マーケティング分野へも拡張していきます。そういうことを踏まえて考えたとき、テイラーの原典だけを読んで、科学的管理法を理解している人は完全にアウトなのです。もうひとつのよくある例を書きます。法律の勉強をするときに条文だけ読んでもダメです。専門家がどう解釈しているのかという判例、およびその批判をちゃんと読まないと、これまたアウトなのです。同じように、ある思想家の研究で、その全集だけ読む行き方も私はアウトだと思っています。それはその人の前の時代の常識、それをどう超えようとしたか、あるいは同時代の人がどう取り組んでいたのか、そうしたことがトータルで見えていないと、?ということなのです。この思想家研究の行き方で成功するのは天才だけです。なぜ、成功するかといえば、別にその思想家のことを研究するのではなく、その思想家をダシに自分の言いたいこと、考えたいことを語っているだけだからです。せいぜいその思想家は話の枕にすぎないのです。

私は勉強するにも省エネすることを否定しません。しかし、引用もそうですが、省エネはその省き方で本当の実力をいかんなく示してしまいます。
春闘は昨日、大手一斉回答が出揃った。日産は満額、トヨタは月例賃金は少し低めだったが、一時金の方は満額回答で答えた。しかし、私は昨日の一連の回答を見ていて、一番、心強く思ったのはスズキの回答である。他社に比べて賃金を上げられなかったことに対し謝罪しただけでなく、さらに役員報酬をカットしたからである。

日本でも明治期に株式会社制度が出来た頃は、従業員が利益の成果を受け取るという慣習はなく、株主の配当、および経営者への報酬が大きかった。というのも、その当時、株式会社制度によって資金調達の道が開かれた恩恵を受けて、もっとも工場が建てられたのは紡績だが、建ててはみたものの経営がうまく行かなくないところも少なくなかった。そこで成功したマネジャーと職工に至るまでの部下を呼び寄せ、再建を行うということが一般的であった。そのため、経営者には成功報酬が与えられるのは当然だった。同時に、リスクを負うために、一定数の株式を持たなければならなかった。

その頃の日本はアメリカと同じく経営者が高額報酬を受け取る社会になる可能性が高かった。その流れを変えたのが、温情主義経営者と言われた人たちである。彼らは成果を自分のものだけにするのを潔しとしなかった。そのため、最初は明治40年前後に賞与制度での分配という形で分け与えるようになった。それまでも、実は賞与を支払う慣行が多くの会社であった。しかし、これは今のボーナスとはまったく意味が異なる。というのも、江戸時代は月例賃金による支払いではなく、現金給与が半期に一回、それから年季明け(あるいは始まり)に一括して支払われるという慣習があったからである。だから、中元と歳暮に賞与が出たのである。支払われてはいたが、それは利益とは連動していなかった。

これを利益分配という形で一般に広めたのは富士紡である。この制度はもともとアメリカ発である。富士紡で後に社長になる和田豊治は前職の三井時代にアメリカに視察に行き、この制度を学んできている。和田が入れたのは賞与金の5分を株主配当、5分を職員賞与、5分を職工賞与にすることを定款に書き入れさせた。このとき、彼は受け入れられなかったら、自分は辞めるといって、関係者を困らせた。そのうち、最初に作られた会社が十数年経つと、生え抜きで役員に内部昇進できる人材が育ってきた。そのようにして、従業員にも分配する思想が広まって行ったのである。日本でも初めからこのような伝統があったわけではない。彼らはこうした新しい試みを、日本的な伝統として根付かせたいと考えたのである。

ある世代以降の方と話をすると、みんな、日本企業が人を育てようとしていた時代のことを懐かしく思い出す。それを忘れたのはバブルとその後の1990年代以降のリストラ、そして2000年代以降の惨状である。大げさでなく、今、いろいろなことを思い出さなければ、近代日本の先人たちが築いてきた、本当に大事な財産を我々は失ってしまう。そういう意味でも私はこの春闘に注目していた。

スズキの回答は額よりも、人を毀損して当たり前のブラック企業的風潮とは一線を画し、少なくとも従業員を大事にするという古き良き日本の経営者の倫理を示そうとした点に意義があるといえるだろう。逆説的だが、満額支払われてしまうと、ああ調子が良いんだなで終わってしまう。しかし、苦しい中で少しでも支払いたいという姿勢を打ち出したところに、昨年までとは潮目が変わったことを読みとることが出来る。反転は成ったと言えるだろう。次は、再反転しないように、継続的な体制を作って行かなければならない。これはあくまで始まりに過ぎない。
POSSEの事務局長川村遼平君から『若者を殺し続けるブラック企業の構造』をいただきました。ありがとうございます。一読して、私も濱口さんと似たような感想を持ちました。というのも、この本のテーマは労働時間の問題であり、それはブラック企業と呼ばれる、ややもすると、人を毀損すること自体を自己目的とした組織とは別で、何かを成し遂げるために知らず知らず働かせる、いわゆる日本型雇用、というより、日本全体の問題なのです。そうなってくると、ブラック企業という問題を切り口にするのはどうかなと思うのです。

流行語というのは難しくて、いくつもの意味が付与されていきます。もう先に言葉だけが人口に膾炙して、あとから意味を勝手にみんなが足していく。そうなってくると、一つの潮目を作るという役割にはよいけれども、継続的にその問題を考えるにあたっては、かえって適さないという状況が出てくると思います。「ブラック企業」という言葉の場合、流行語大賞になり、旬は過ぎて、一つの役割を果たしました。そういう意味で、ブラック企業論は今、転換点にあるのではないかと思います。

本自体は丁寧に書かれていて、良書です。今野君の本が売れっ子になってから雑になってるのと比べると、文章もはるかに丁寧に書かれており、さらに労働時間に関する主要な論点は抑えられているように思います。狭い過労死や労働時間に関心を持っている方には便利でしょうし、それから、いったんこのサイクルに入って働き出すと、冷静に本を読む時間もありませんから、これから働く前の学生にはとくに読んでもらいたい一冊です。