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萬年先生からふたたび、リプライをいただきました。ただ、教育と職業訓練を同じ土俵に乗せる前に、もう一段前に、実業教育と普通教育を同一のラインに乗せるということが必要になります。

これはなかなか根深い問題でして、なぜこんなに戦後は普通教育全盛になったのか、という問題があります。その潮流の始まりは、第一次世界大戦だと思うのですが、もっとすぐ終わると思っていたドイツの戦争がこんなに長引いた原因は教育制度が優秀だったからに違いないということで、アメリカなども実はドイツの教育をまねて教育制度を変えます。それから、第一次世界大戦の大きな変化は徴兵制度です。徴兵制度でじつは教育を受けていない人が大量に発見されます。それでアメリカなどはアメリカナイゼーションという無邪気なことをやるわけです。もちろん、思想的に辿って行けば、もっと先駆的な事例はいくらでもありますが、マスとして、教育が問題になって行くのはこの時期で、普通教育、とりわけ義務教育をどうするかということが各国で問題になります。

日本では義務教育はようやく明治の終わりに4年から6年に延ばしたところで、これを各国の教育改革の水準並みにするかどうかは1920年代前後のホット・トピックでありました。その際、8年にするか、そのうちわけを初等教育8年にするのか、初等教育6年+中等教育2年にするのか、など様々な議論がありました。そして、吉田熊次などは普通選挙と関連付けて18歳までを本当は義務教育にした方がよいというような考えでした。

普通教育といっても、じつは1920年前後は普通教育自体もいろいろ揺れ動いている時期でした。この頃、実業補習教育の補習教育(普通教育部分)の方から、公民教育が盛んになり(今の市民教育)、これが普選の実施と相まって、普通教育に跳ね返っていくということがありました。1930年代から1950年代までは勤労青年の青年学校が高く評価されていました。それは食べていくには働かざるを得ない若者が、それでも勉強したいという向学心をもって勉強するんですから、それが社会的地位に結びつかないとはいえ、ちゃんとわかっている人は尊敬していました。そして、彼らをどうするかが大きな問題であったのです。

実業教育が戦後、軽視されていくのは、一には戦時中の産業戦士育成と結びついたからです。それが戦後の平和運動や平和教育の流れから反撥を受け、さらには、政府と企業を独占資本と一括する粗雑な階級的教育観によって実業教育はいよいよ嫌われていくわけです。教育研究界隈の人には怒られるかもしれませんが、私はその大きな流れを作った一人に宗像誠也をあげたいと思います。宗像は戦時中は体制側に付いていましたが、戦後、反省して教育運動にも深くコミットした人物です。私はその戦時翼賛体制に協力したことを糾弾するつもりもありませんし、本人は戦後、本当に反省したつもりなんでしょう。しかし、彼の教育運動におけるパンフレットを読むと、ああ運動に飲まれてスピーカーになる人なんだなあと感じます。清水幾太郎もそうですが、根本のところで変わってないんですね。ただ、宗像にしろ、清水にしろ、学術的著作の評価はまた別にすべきでしょう。いわゆる「知識人」としての態度です。

戦後の教育改革の中核にいた、そして、我らが大原社会問題研究所の大先輩でもある森戸辰男は、実業教育と普通教育を自由に往来できる制度を作りたかった。この思想が発展して、四六答申ではさらに普通科のなかの複数コース、学校を超えた移動などを促進するというアイディアがあります(大学では単位互換は少しずつ出ていますね)。

野村正實さんが昔書かれた回想にもありますが、実業教育は本当に戦後、ひどい仕打ちを社会から受けてきた。この問題はジョブ型社会の基盤がないという濱口先生との議論ともつながってきます。職業訓練はある意味、さらにその下に見られてきたというのが現状です。

ただし、私が大学生だったころ、大学でさえも勉強熱心な学生は実業志向があり、資格試験を目指す人が増えて来ました。その結果、ダブル・スクールが流行ったわけですが、今や大学は予備校から講義を買って、自分の大学で開講したりしています。外注することで、ある意味、本体を守っているわけです。数年前、本田由紀さんや濱口さんが宣伝していた教育の職業的レリバンスの話はここら辺の流れと絡んでくるわけです。ただ、その反対の教養教育的なニーズがあるかどうかと問われれば、それはあると思いますよ、割と。そのニーズを作れるかどうかは一にも二にも、大学の先生がすごいとか面白いとか思われる話をするしかないと思いますが。数年前の私はこれを絶対に死守すべきだと力んでいましたが、大人になったので、なるようになるし、景気が良くなったら、実業志向、キャリア志向は多少、薄れるだろうと思っています。結構なことです。

職業訓練の前に、教育の中で「職業」や「仕事」とどう向き合うかという話があります。その情勢もここ2013年に大きく変わってきたと思います。首都圏青年ユニオンだとか、POSSEだとか、そういう若い元気な人たちが盛り立てて来て、ついに昨年、ブラック企業が社会問題化されました。私はこれが一つの極点だったと思っているので、反転していくと思います(これは易の原理ですね。陰極まれば陽に転ず、です)。労働教育に注目が集まったのもそうだし、ワークルール検定なんかもその一つですね。逆に、これから現実の悲惨さを訴えるこの手の運動は元のマイナー化していくでしょう。私は昔、キャリア教育が隆盛なのは就職が低調だからで、景気が良くなったらたちまち顧みられなくなると予言しておきましたが、たぶん、今年あたりからそうなるでしょう。結構なことです。

職業訓練はこの波の中で、どう手を打っていけばよいでしょうか。チャンスはまだいろいろ、あると思います。ただ、教育も頼りにならないというのが実際のところです。学校の先生たちは労働条件がどんどん悪くなっていきますし、社会から非難される度合いはたぶん、職業訓練どころではないですよ。ある意味、職業訓練から教育を救っていく、というくらいの大転換がないと、事態は変革して行かないかもしれません。それくらい構造的には教育も職業訓練も膠着しているように思います。それから、職業教育って基本は地方が重要なフィールドなわけですよ。地方再生ということと、職業訓練や教育の再生も一緒にやらないといけないですね。そういう意味では、越川求さんの『戦後日本における地域教育計画の研究』なんかはすごく、これから重要な研究になると思っています。

ちなみに、私がここで書いた問題意識は今のところ、誰とも共有されていません。いませんが、今後の東北再生なども全部、こういうこともふまえて考えてますよ。
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濱口先生から職務分析をいつか来た失敗した道だというリプライをいただきました。そして、共同幻想は私のミスで、共同主観でした。申し訳ありません。本田由紀先生からも「職務分析をしなくても、「納得」を得やすい職務はあると思う」というコメントもいただいておりますし、じつは昨日、組合関係の方と議論したときも、職務分析をやらなくてもいけるという意見をいただきました。

私が職務分析が肝であるというのは、共同主観の作り方にかかわるところで、職務分析によって正当性を与えようという発想です。しかし、それをやらなくても、納得が出来る「職」が作れれば、それはそれでよいのです(それでも、時間・動作研究まで徹底しなくてよいですが、ある程度のレベルの職務分析は必要でしょう)。

ただ、おそらく、私も濱口先生も多分、本格的にジョブ型社会を作ろうとするならば、その主体は政府ではなく、つまり政策ではなく、労働組合が中心になって取り組まなければならない、というところは意見が一致するのではないかと思います。

もちろん、その本格的な移行前に、中高年の受け皿になる「ジョブ」を作らなければならない。というのが、濱口先生の主張でしょう。私はそれに対しては、その制度の特性を理解すれば(というのはどの制度もそうですが)、労働者の利益になるものの、それを作るインセンティブは企業にはないと思います。あとは散々、議論されてきて、濱口先生も慎重に議論しなければならないと述べられている「解雇しやすい正社員」として理解されて、利用されていくという可能性があります。せっかく春闘以降、労働毀損の流れが反転しかかっているのに、その流れに棹差しかねません。

結局、法で規定されたにしても、それを利用する人がどれだけいるかです。利用資格を有するか否かではなく、利用資格があることを理解し、それを実際に利用する人です。それは意外と難しい壁です。新しい制度を作るときは、それを布教するためのキャンペーンを張らなければならない。あえていえば、労働再教育でしょうか。この見通しを作らない限り、政策は絵に描いた餅になってしまいます。政策というのは、みなさんが思っている以上によいものがいっぱいあり、行政の人もそれを利用して欲しいと思っているけれども、利用されないものが少なくないのです。今の情勢では、そこの戦略まで考えなければならないのではないか、と思います。そうでなければ、本当に解雇の都合の良いように利用されて終わるでしょう。なぜなら、その方が共同主観を作りやすいからです。

一般的に言うと、経済合理性がどれだけあるかということが重要で、非正規社員の基幹化(量ではなくて、質の面で)を媒介に、限定正社員が生まれてくるというのが唯一、説得力のある意向でしょう。これは研究者ではそれこそ本田一成さんが一貫して主張されてきたことですが、学者の主張とは関係なく、現実的にもそういう労務管理が進まざるを得なくなっています。ただし、雇用ポートフォリオが徹底している企業では進みません。では、基幹化でない形の「ジョブ型正社員」があり得るのか。ワークライフバランスなどで押せるのか。

ワークライフバランスを育児ではなく、介護で押すというのは佐藤博樹先生グループの正しい戦略だと思いますが、これもまた道半ばで、共同主観を作って行く土台としてはまだ弱いだろうと思います。ただし、これは生活から切り込んでいく戦術で、メンバーシップ型の補完戦略ですから、この佐藤路線が社会的に浸透すれば、筋はすごくいい。実際、大企業で代わりのいない中高年の基幹層が介護で辞めてしまうというケースがあり、この対応策を真剣に考えているところもあるといいます。でも、私が人から話を聞く限りでは、まだ始まったばかりで、自分たちの問題として社会的に広まるのは先のことでしょう。

さて、「職」の共同主観をどこで担保しましょうか。久々で言い忘れましたが、濱口先生と私以外の、読んでる皆さんも早川さんみたいに考えてくださいね。ハンドルネームで構いませんので、コメントしてください。ここでも、濱口先生の記事でもいいので。
田中先生からリプライをいただきましたので、少し書いておきたいと思います。公的職業訓練の問題の難しさは、職業訓練そのものが迫害されてきたということと、公的の部分、すなわち、政府の公共部門ゆえに批判を浴びやすい、そして、言挙げしにくいという二重の意味があります。

訓練大学校以前の問題、とくに公共部門が取り壊されて、民間委託になっている、という問題があります。そして、その先の専門学校と公共職業訓練とどちらの質がよいのかという根本的な問題と、公的であるがゆえに言挙げしにくい、そういう構造があります。そういう意味ではたしかに、田中先生もそうですが、濱口先生も公務員擁護を中心に論を立てるのは難しいと思います。脊髄反射的に、政府がやるより、民間会社がやった方がよいのだ、というプロパガンダがあります。

ハローワークは民間の人材派遣会社との競合に押され、公共職業訓練は民間の専門学校に押されているという状況です。根深い問題です。どこから切り開いたらいいでしょうねえ。


濱口先生から共同幻想なんだから、細かい実態よりも「肝は納得」というリプライをいただきました。濱口先生のように分かってて言うのは別に構わないんですが、結局、労働問題の専門家があまり魅力的な分かりやすい本を書かないため、事実上は濱口先生の本が啓蒙的役割を大分果たしているので、そういう層にはきちんとしたことをお伝えしないといけないとも思うのです。

私の基本的な考え方を説明しますが、「肝は納得」というのは変わりません。しかし、納得させようにも、日本にはそういう地盤がないんだから、ひとつひとつ積み上げてくしかないではないか、という立場です。その一つが職務分析だということです。重要なのは職務分析が大事だという考えを共有してもらうことで(そこは「肝は納得」なのです)、大事だけど、やっていないという人を増やすことです。濱口先生も分かっていて、私の書いた後半部分の「職」の話をわざと引用されないし、hayachanこと早川さんのコメント内容にも反応されないんだと思いますが。

私が濱口先生にお伺いしたいのは、ただ一点、じゃあ、どうやってその共同幻想を作るんですか?ということです。その答えがなければ、政策提言としてはまったく空想的だという他ありません。メンバーシップ型を批判することは、というか、より一般論化していうと、Aを否定しても、Bを説明することにはならないのです。ジョブ型という共同幻想をどう作るか、ということがまったく分かりません。私はトレードという基盤のない日本では職務分析から始めるしかないと言っているのです。分からないものは納得できません。

職務内容について「共同幻想」として一括りにするのも、あまりよくないと思います。いずれ、近いうちに本になりますが、濱口先生が昔、広田照幸先生の主催する研究会で報告されて、私はリプライを担当したことがあります。そのときも実は濱口先生の職業訓練論は必ずしも職業訓練派の味方にならないよ、ということを書きました。そのとき、東大の小玉先生がお相手でしたが、よほど小玉先生の方がまっすぐに職業訓練の擁護をしていました。それに対して批判していたのは広田先生です。職業訓練派は、学校教育よりも実社会に出たときに役に立つ職務能力が身につくことが売りなわけですから、その一線を幻想としてしまっては立つ瀬がないのです。そのときもこの点を書いてあります。

ついでながら、職業訓練派の中核の一人は間違いなく田中萬年先生だと思うのですが、私は田中先生の戦略には疑問を持っています。どう考えても本田由紀さんと組んで頑張った方がいいのに、いつまでもナイーブな「教育」批判を続けるのは得策ではありません。「教育」にも「education」にも「生徒の力を引き出す」と「管理する」の両方の意味でつかわれることがあるのに、それを最初の時期や特定の用法だけで、本質を捕まえたかのような議論をするのは間違っている、というのが私の意見です。これは前にも書いたのでこれ以上は繰り返しません。ただ田中先生がご尽力したおかげで、我々も今、読むことが出来る佐々木先生の最後の講演に立ち返り、どうしたら職業訓練を拡げることが出来るかという実践的な一点に集中すべきではないかと思います。

なお、濱口先生が職業訓練派の味方にもならないと私が述べても、先生が職業訓練の重要性を軽視しているわけではありません。むしろ、逆です。実際、職業訓練に関しては「政策戦略」でさえない小手先の戦術で、「学校Ⅲ」を取り上げて職業訓練が社会的に見直されてきているという風に書いてありますが、しかし、それならばなぜあのすばらしい映画が公開された後、職業訓練大学校の相模原キャンパスは閉鎖の憂き目を見なければならなかったのでしょうか。現実は職業訓練派に厳しい。さらに、民間重視のせいで公共事業として持てなくなって、胡散臭い専門学校に委託で出すというメチャクチャなことになってるわけです。

職業訓練派のやるべきことは、具体的なスキルの習得という利点、その学習過程を通じて獲得するものの普遍性の二つの点を明確に主張することだと思います。それは少なくとも日本の学校教育は、生活重視なので、実践において生徒の身体性ということと教科教育が重なっており、そことも関連します。かつて実業補習教育が公民教育を開いたように、職業訓練派がそこを突破してくれると、民間塾のノウハウに学校の先生も対抗できるわけです。しかし、そこではあくまで「具体的な実践」が重要なわけで、決して「共同幻想」が重要ではないのです。

誰もそういうことを書かないならば、紙面さえいただければ、私が書きますよ。明日あたりに小池先生の議論について説明したいと思います。濱口先生の議論との関係で言うならば、肝は早い選抜か、遅い選抜なのです。
『日本の雇用と中高年』それから『若者と雇用』の二冊の本は人口ピラミッド問題をどう考えるかということが決定的に重要だと思います。経済学においてはじつは人口論は重要な役割を果たして来ました。それは主としてマクロな領域ですが、こと雇用社会ということであれば、国全体の人口問題とは別に、ミクロの企業レベルの人口ピラミッドの問題も考える必要があります。ざっくりした勘でいいますが、新卒一括採用が軸の日本企業ではたぶん、企業の場合、景気や業績と連動しているはずです。

この前、組合の方からうかがって、ああそうかと思ったのは、90年代に成果主義を入れたのは若手社員から中高年社員との処遇格差を是正してほしいという要求に押される形で、実現したというお話を聞いたときでした。その企業の場合、成果主義といっても、まさに年功賃金から年功性を差し引いたという意味合いが強かったようですが、企業内ではこうした世代間の問題は重要であると思います。当たり前ですが、大手の労使関係がしっかりしているところは、人事と組合で相談して改革している場合も多いんですね。

その一方で、濱口先生がおっしゃる世代論は不毛だというのももっともなんです。若者が悪い、中高年が悪い、というのはたいてい、周りに思い当たる人がいるから(?)、妙に説得力がある。でも、マクロに広げて考えられるの?と立ち止まって考えてみたら、なかなか難しいところもありますね。人口論をちゃんと底に入れると、きっとこの問題の奥行きが出てくるんだろうなと思います。

ところで、この人口問題は私にとって鬼門で、本当によく分からない。なぜ分からないかといえば、ちゃんと勉強してないからだとは思うんですが、どこから手を付けていいか全然、見えないんですよね。一応、最近では杉田菜穂さんのご研究がありますが、彼女の問題意識からすれば、当然とはいえ社会学に偏りすぎてしまっている。あとは速水先生たち慶応ファミリーの偉大なる歴史人口学もあります。でも、あそこから政策へは私は飛べないんです。あと、何と言っても、河野稠果『人口学への招待』中公新書というとびきりの入門書があり、国立社会保障・人口問題研究所は紀要を古いやつからみんな、公開している。これだけの条件があってもピントが合わないというのは、よっぽど私は向かないんだろう。正直、家族の問題は実感もないし、よく分からないので、ここはとりあえず誰かにお任せします。

研究所に資料を収集しに行ったら、濱口先生から『日本の雇用と中高年』をお送りいただきました。ありがとうございます。早速、帰ってこの本を読んでみましたが、私が理解していたレベルの濱口先生の立論よりも、はるかに根が深いレベルの議論になっています。よい悪いということは別にして。というか、これを書いている途中でアマゾンからも届きました。

しかし、最近の濱口先生の本は、というか、前からそうでしたけど、読み切りにくいですねえ。現実の政策過程、とりわけ過去、現在、未来を通貫する方向性、学術的な成果などを取り込む濱口先生の立ち位置というのはすごいなあと素直に思います。

メンバーシップ型という理念型とジョブ型という理念型とで描いていて、これはある意味、切れ味がよかったのですが、その分だけ複雑な問題が見えにくくなっているかなとも感じています。というのは、濱口先生自身は分かっていらっしゃるので、ちゃんと本の中に書いていらっしゃるのですが、ジョブ型にも様々なフェーズがあります。

たとえば、今回の本のテーマから言えば、日本的雇用システムを相対化しなければならない、ということが大きなテーマになっています。小池理論を全否定するのは行き過ぎですが、中高年の首切りについて説明できない、というのは半分くらいはその通りですね。で、メンバーシップで抱えきれないんだから、ジョブ型をうまく入れて複線型にしようというのがメインの主張だと思います。思いますというのは、それ以外のこともたくさん書いてあるからです。

それ以外のこともたくさん書いてありますのうちの一つは、女性パートの基幹化とジョブ型正社員の話です。ただ、これをリードして来たのは本田一成さんで、本田さんの議論はどちらかというと小池理論ですよ。仕事内容も量的にも基幹化しているのに、処遇だけをあげないのはあり得ないということです。実際、本田さんの説かどうかは別にして、フルメンバーシップ型の正社員とは別の正社員制度を作っているところはあります。しかし、これは素直にいって、経済合理性にかなっているから、そうなるのだと思います。

ジョブ型社会論の話を読んでいて、素朴に思うんですが、肝は職務分析なんですよ。それを誰がやるんですか、ということです。職務分析はもともと人事管理の手法として登場した訳ですが、戦後はヨーロッパ、そしてその影響を受けた日本の組合側の方でもやりました。今では男女間賃金格差を解消する一つの方法論として注目されていますが、基本原理は同じです。これは同一労働同一賃金というのが原則としてあって、同一労働とは何かを確定させるときに、職務分析を行うんです。その結果、著しい差があるときはその格差を是正するように求める、という運びになります。

日本で職能資格給が普及したと言われていますが、それも程度差で、実際には本来の職能資格給制度ではなく、従来の年功賃金のような運用が行われたということがあります。その意味では年功賃金と職能資格給制度を同一視するのはあながち間違っていないとも言えます。で、この職能資格給がなぜ形骸化したのかといえば、職務分析が必ずしもうまく行かなかったということがあります。これは職務給を導入しようとしたときにも同じことが起こりましたが、大企業でよほど緻密な人をそろえていない限り、職務分析をやり切らないんですよ、複雑すぎて。じつは、90年代の成果主義導入でも同じようなことが起きていて、その一つは目標管理をやり切らない。目標管理では、上司が部下と話をして目標を定めて、それがどれくらい到達しているのか、していないのか、していないならば、問題はどこにあるのかなどということを面談しなければならないんですが、人事部と組合がそれをやろうと決めても、現場の管理者層のなかにはどうしても忙しくて後回しにされてしまう。そういう問題があります。だから、ジョブ型社会に移行するにあたって重要な職務分析にかかる観測コストを誰が負担するのかということが問題になります。

職務分析は、仕事のやり方を整理整頓するという効用があります。ですから、エントリーレベルの仕事を身につけるためには効果があります。その他、たとえば戦時期のように需要が急に増えて仕事のやり方がメチャクチャに増えてしまったときには、リスタートするために整理整頓するという効果があります。ですが、生産管理(プロジェクト管理でもいいですが)が行き届いているような職場では職務分析が既に今、行われていないならば、新たに行うインセンティブはありません。そして、皮肉なことにそういう職場こそ、職務分析を実行する力を持っているわけです。

組合側はといえば、そのメリットは同一労働同一賃金で格差を是正するということ。それから、昔ながらの業界である賃金水準を維持するというメリットはあります。ただ、職にまで落とし込んで行くと比較も技術的に難しいかもしれませんし、そこまで精度の高い比較は測定以上に困難です。出来る能力がないとは思いませんが、やはりコストは莫大になります。それを超えて行くには「連帯」意識しかありませんが、これほど高い実務能力が必要とされる根気を要する仕事は情熱だけではなんともなりません。

そうすると、次善策として、タスク分析たる職務分析はそこまで厳密にやるのは諦めて、大まかにタスクを括って「職」を作ってしまうという方法が考えられます。しかし、これが通用するのは西洋のように、ある程度「職業」という感覚に対する信頼がないと難しいのです。日本社会は残念ながら、これを作るのに失敗してしまいました。これは濱口先生が話すような企業社会という狭い枠ではなくて、もっと社会全体に関わる根幹の話になりますが、歴史から語っていると、長くなるので割愛しましょう。

ただ、日本社会が「職業」を重視する社会を作るのに失敗した例をあげることは簡単に出来ます。教育職、保育士、医者(特に勤務医)、介護福祉士、臨床心理士、図書館司書、ソーシャルワーカーなどです。近年では弁護士や会計士も加えてもよいかもしれません。彼らはいずれも高い技能を必要とされる職業でありながら、必ずしもよい労働条件を勝ち取っていません(職業全体がそうであるものと、一部がそうなっている場合と両方ですが)。いずれの仕事も今も将来も社会にとって大事な仕事です。今回の本には出て来ませんが、濱口先生のブログの方にはこういう問題も出て来ます。この根幹の部分から考えないといけないんです。同時に製造業をベースに構築された日本的雇用システム論という枠組みで議論するから、メンバーシップ型とジョブ型という話になるんじゃないかなというのもちょっと感じています。

先ほども書きましたが、私は採算で考えたら、職務分析は合わない局面がたくさんあると考えています。それでも欧米社会がそれを成し遂げて来たのは、たぶん、彼らが啓蒙主義の時代をくぐり抜けて来たからだと思います。そういう条件のない日本でどうやってそれを実現しましょう。

とりあえず、ジョブ型社会について書くと予告したので書いてみました。他にも思いついた論点を少し広げて書いてみます。

それにしても、小池先生の理論って政策と全然、関係ないと思っていたんですが、なんでそんなに影響力があったんだろう。先生自身は政策策定に携わられたりしたけれども、理論的には労使関係論、労働経済論を社会政策から決定的に切り離したという風に思っていたので、そこがえらく不思議な感じでした。
そうか、そもそも私が勘違いしていたんですね。ごめんなさい。出来たではなく、広まったでした。読み返して、ようやく気づきました。

この前のエントリは、濱口先生も禹さんも戦時期に定期昇給が広まったという話で、私はこれに対して戦時期に賃金制度が変わって、定期昇給が広まったという証拠はない、といっているのです。初任給+定期昇給=年功賃金が想定しているのは、定額賃金制度なんですが、これが戦時期に広まったということはないだろう、ということなんですね。

ただ、請負賃金以外の定額賃金は戦前からあるにはあって、そこでの運用は不明なんです。中小でも意外と定期昇給があったところもあるんではないかと思います。とくに、紡績の中小企業なんかは持っていたと思いますね。あれは足止め策として始まったものですから。

少なくとも、戦時統制のなかに制度的に定期昇給の拡散を後押しするような仕組みはなかった、というのが私の見解です。ただ、定期昇給が増えたという統計的なデータがあれば別ですが、私は少なくともそういうものは思い当たらない、ということです。

結局、孫田良平グループ説をどう考えるのかということかもしれません。金子美雄グループとあえて書かなかったのは、金子さん自身は戦時期のことをわずかな例外を除いて書いていないし、記憶が鮮明過ぎるから、客観化が難しいとされていたそうなので。

濱口先生は謙遜されて30年も前の知識とおっしゃりますが、実際は新しい研究も目を通されているので、それ以降、あまり議論が進んでいないというのが実際のところなのです。労働史の方もたまには華々しい論争をやった方がいいですよねえ。なんだか悲しくなりますね。

局地戦をやっているようで、じつはこの話はメンバーシップ型社会という概念と、とても関連深いのです。ですが、もうちょっと深い話は濱口先生の『中高年』が届いてからにしましょう。濱口先生、失礼しました。
濱口先生からお叱りのエントリをいただいたのですが、いくつかの点で疑問がありますので、書いておきます。まず、定期昇給が新規一括採用とほぼ同時期の第一次世界大戦の時期に出現した方というのはよく分かりません。誰の説かにわかに思い出せないのですが、私が見た限りでは、明治30年代の紡績会社の資料にも「定期昇給」という言葉はあります。ありますが、これは一般に公開された資料ではないので、措いておきます。紡績職工については明治時代から定期昇給があったのは定説です。これは中小でもあったんじゃないかなと思います。それから、日本鉄道の職員の給与を眺めていても、定期昇給はあったと思うんだけどな。あとは中西洋先生の長崎造船の研究を見ても、職工も含めて定期的な昇給があったことは推測されています。

それと、私はよく知らなかったのですが、戦時期に中小企業で定期昇給が広がったというのが通説なんですね。恥ずかしながら、ちょっとどういう資料を見れば、そういったことが確認できるのか、にわかに分かりません。わずかに分かりそうなのは解散する直前の総同盟の機関紙か何かですかね。戦時期の資料では「中央賃金委員会議事録」というのがあるんですが、このなかにたしか中小企業だったと思いますが、生活を考えて年寄には賃金を多めにするという年功的慣行があるというようなことが書いてありました(手元にないので確認できないのですが)。とはいえ、昇給がどのような方法でどういったタイミングで行われていたのかを知る資料はないんです。案外、中小でも戦前にもあったかもしれませんよ。

とりあえず、濱口先生の論点と関わるところで言うと、

1) 新規一括採用と定期昇給は多分、あんまり関係ない。
2) 定期昇給がどれくらい広まっていたのか、あるいはいなかったのか分からない。

というのが私の暫定的な見解です。ただ、明治の資料の印象だと意外とあったのかなとも思います。

戦時賃金統制では、1939年の賃金臨時措置令において賃金増額はいかんと言っていますが、1939年9月18日時点で既に定められていた基準でならば、昇給は認められていました。これは生活給思想とまったく関係ありません。

賃金臨時措置令では「基本給」と「賃金基準」の二つを見なければなりません。原典にあたって検討したいという篤学の士は『九・一八停止令』をどうぞ。面倒ですが、カナを平仮名にかえて、漢字も少し平仮名にして引用しましょう。基本給の定義は「定額賃金における定額給または請負賃金における保証給もしくは単位時間給」で、賃金基準というのは「奨励加給、手当、実物給与もしくは命令をもって定むる賞与以外の賞与または請負賃金制における請負単価、請負時間、歩合もしくは算定方法」を意味します。これを読んで、直ちに全部理解できるのはちゃんと古典的なテキストから賃金の勉強をした人だけです。

その前に大前提なんですが、賃金臨時措置令で上げていいと許可しているのは個人の能率が上がった場合、それを反映させないのは生産政策としても不合理だから、上げてもよろしいといっているのであって、戦後のベースアップの代替策として賃金カーブ維持分という意味での定期昇給とはまったく意味が異なります。念のため。

ざっくり言って、「定額賃金における定額給」というのがおそらく現代の皆さんが想像される基本給です。単位時間給は普通の時給です。それから、請負賃金というのは出来高給のことです。請負賃金における保証給というのは、入りたてで仕事がうまく出来ない人に最低限、これだけは保証しようということで1920年代に始まった制度ですが、徒弟賃金より低い。なぜなら、これは出来高給で稼ぐ分とトータルでの賃金だからです。あまりに出来ない人を救済しようという仕組みなので、熟練工にはあんまり関係ない。「奨励加給から賞与」まではざっくり無視していいです(厳密に言うと、このうちのいくばくかを「定額賃金における定額給」に含めた額が現在の基本給です)。で、問題は請負賃金なんですね。これも単価から何から変えてはいけないと言っています。これも腕が上がったら変更していいと言っています(11条)。定額賃金は一般的に年功的運用になりがちですが、請負賃金はそうではありません。年功賃金=初任給+定期昇給に変わっていったというならば、請負賃金から定額賃金に変わっていったということを示さなければなりません。しかし、賃金臨時措置令や賃金統制令の中にはそのような変化を促す仕組みは組み込まれていません。

賃金臨時措置令は時限立法ですから、その後、第二次賃金統制令が出来ます。そこで総額制限方式が出ます。総額制限方式というのは戦後の「ベース」のことで、平均賃金を変えてはいかんという原則です。むしろ、総額制限方式は厚生省による賃金制度介入の否定の意思の表れです。

濱口先生がおっしゃる生活給思想としては「標準賃金」が一応ありますが、当時から実行力がないのにどういう意味があるのかと言われており、厚生省の役人の答弁は方針です、ということでした。この後、「賃金形態ニ関スル指導方針」というものを出して、厚生省はコンサルのようなことをやります。この「指導方針」はたしかに請負賃金よりも定額賃金への移行を促していました。ただ、厚生省のコンサルによって賃金制度を変えた企業はほんのわずかです。ですから「戦時賃金統制は、この生活給思想に基づいて実施されたものです」(『若者と雇用』87頁)と言われると、そんなことはないということなのです。ちなみに、1930年代の人事担当者たちは出来高給か職務給を工夫して改良したいと考えていました。

ここから先は説明するのがしんどいので、戦時賃金統制について知りたい方は、人に分かってもらいたいという気持ちが欠けていて申し訳ない作品ですが、昔書いた「戦時賃金統制における賃金制度」をご覧ください。

ちなみに、請負賃金(出来高給)が消えていくのは戦後のことです。これがなぜ起こったのかはよく分かりません。いろんな研究者と議論したことはありますが、答えは知りません。ただ、今の私は、インフレで賃金制度が改訂されまくるから、出来るだけシンプルな定額賃金(月給)に収斂したのかなと想像しています。ここのところに関心がある方は『日本の賃金を歴史から考える』の第5章がそのテーマですので、ご一読をお願いします。最後、宣伝で、すみません。


日本の賃金を歴史から考える日本の賃金を歴史から考える
(2013/11/01)
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濱口先生の『若者と労働』を読んでいて、あらためて「就社」社会ということに思いを馳せたわけですが、私から見ると、菅山さんの本はすごく重要な問題提起をしているんだけど、あと一歩というところもあります。それがじつはゴードンさんの本ともつながり、延いては濱口先生の歴史認識にも関わって来ます。

まず、重要なテーゼは「ホワイトカラーとブルーカラーの融合」ですが、これが1950年代に実現されて行ったという見解についてはいいでしょう。そして、ほぼ同時期に、「就社」社会の仕組みである新規一括採用が実現されて行ったということも問題ないと思います。さて、ここからがつっこみどころなんですが、日本的雇用システムというのは、年功賃金、終身雇用、企業別組合といわれ、これは基本的に大企業、それも製造業のシステムと理解されて来ました。菅山さんの認識もそこのところでは同じなんですが、じつは彼が一生懸命、実証している「就社」社会が実現して行くプロセスは、むしろ大企業ではなく、中小企業を対象とした集団就職であったりするわけです。だから、ここにはズレがある。私は菅山さん本人に聞いたんですが、一応、大企業を中核に出来たシステムが伝播するという意味で大企業が重要だという、この種の批判が起こったときのテンプレートでお答えいただきました。

濱口先生が若者雇用政策は、中卒や高卒だったという点とも関連しますが、ぶっちゃっけ、ジョブ型とかメンバーシップ型とか関係ないんですよ。日本がこういうシステムを作ったのは、農村社会から工業社会への人の移動させる仕組みなんです。だから、欧米のように、日本に比べてゆっくりとシステムを作った社会ならばまだしも、日本のように急速に制度を作った国では、ジョブ型なんていっている暇がなかったんです。

もうひとつ、1950年に焦点を当てたことで見えにくくなっていますが、ホワイトとブルーの新卒一括採用は起源が違います。だって、冷静に考えてみて下さい。ホワイトの大卒新卒一括採用がその起源ならば、若者雇用政策が中学、高校を卒業した人を対象にしていたなんてのはおかしな話です。大学生だって、1930年の「大学を出たけれど」以来、不景気になるたびに就職問題はあったんです。大学生が問題にならなかったのは数が少なかったからです。労働問題はブルーカラーオリエンテェッドでしたし、労働政策もそうだったと思います。

じつは1950年代から高校全入という運動はありました。それが70年代に実現して行きます。でも、これにはある種の教育学的な背景もあり、18歳までを義務教育(すなわち児童労働からの解放)にしようという発想が1920年代からあったわけです。たとえば、吉田熊次という人はそういうことを言っています。だから、義務教育が6年から9年に延び、そこから高校全入までは一つの流れです。それと高等教育、大学教育は本来、違った。ところが、1990年代に大学進学率が延びてしまった。私はこれは文科省の省益を優先した政策の結果だと思いますが、それによって日本はメチャクチャになってしまったし、大学教育もメチャクチャになってしまっていると思います。その結果、厚労省も若者の雇用政策を打たなければならなくなったということだと思います。

まあ、話を戻しますが、ブルーカラーの一括採用はやはり戦前にさかのぼります。これは紡績業が早くて、1910年代に小学校卒業生の一括採用を始めます。たぶん、起源としてはこちらの方がはるかに重要です。ただ、菅山さんは重工業しかやっていないから、ここはよく知らないんです。まあ、ここを書いて行くと、それはお前がやるべき仕事だろうという話になるので、もう切り上げますが、学校と企業の結びつき、職安、それから募集人の関係は労働市場政策を考える際に肝になると思います。そりゃ、私しか書けないのは知っていますが、発表媒体もないし、それをわざわざ探すのも面倒なので。

もうちょっと補足して書くと、大学というのは、日本でもかなり職業志向で作られたんですが、この大正時代からスタッフ(大学の先生)たちの履歴・経験も含めて実践的な要素が薄れて行きます。そのタイミングで拡大して、新規一括採用になったんですね。このへんのことはちゃんと考えなきゃダメでしょう。ここで示唆深かったのが清水唯一朗さんの『近代日本の官僚』ですね。あと、天野先生の『大学の誕生』と『高等教育の時代』を読み直さないと。

まあ、1920年代からアメリカで始まった人的資源政策、戦時期の日本の労働政策(労働力移動政策)との関係(ここらへんは菅山さんも触れています)、それから清水義弘の1950年代から60年代の政策との関係、労働政策と教育政策のこの二つをあわせて、60年代くらいまで総括しないとダメだろうなと思います。

あと、私はこういう社会論を語る人の多くが大卒であることも、ものごとの偏りを生み出しているように思います。よい悪いではなくて。

というわけで、今日のメモは終わり。2、3ヶ月しっかり勉強したら、形になるんじゃないかな。誰かやってくれないかな。教育社会学の仕事なんじゃないか、という気がするんですがね。
今年は博士論文を整理したいと思って、研究史整理に取りかかろうとしているのですが、これがまた難儀です。なんといっても、書いた時点と今では私自身も全然違います。何が違うかといえば、社会福祉、教育、宗教にかかわる関連領域の勉強が進みました。専門でも、産業報国会を書いたことで、宿題だった企業別組合の起源をどう解き明かすかという問題には、解決の道筋が出来ました。これには労働運動史を勉強しなければならないのですが、それは追々ということにしましょう。

復習の過程で、二村先生の尾高『職人の世界・工場の世界』の書評にあたりました。尾高先生のこの本は実証的におや?というところもあるんですが、それよりも資料がない分野を果敢に攻めた点を多くの人は評価しています。私も大学院時代、谷本雅之先生のゼミでこの本を読みました。そのとき、谷本先生も面白いとおっしゃっていたように思います。

この二村書評の中で、すごいなあと思ったのは、

本書が冒頭で設定した課題に答えるには、社史はあまり役に立つ材料ではなさそうだ、というのが率直な印象であった。「職人の技能はどの程度職工に伝えられたのか」といった問題の解明に、社史の伝える情報量は限られ、その信頼度も高いものではない。日本の職人や〈職人的労働者〉についての研究を前進させるには、本書などをてがかりに、もっと個別事例についての新たな資料を発掘すると同時に、限られた資料から必要な情報を読みとる方法を鍛える必要があろう。もっとも、これを確認しえただけでも本書の意義は小さくはない。市販されていない出版物を大量に集め、大冊の社史を630点余も読むことは、誰でも出来るというわけではない。

という個所です。

昔はすごいこと言うなあと思って読んでいたんですが、自分でも研究を進めて、それから書評を書いたりしていると、この書評のすごさが分かります。当たり前ですが、二村先生はどの資料がどれくらい使えるものかというものをすべて検討しながら、読み進めているんですね。で、この表現に驚くんですが、本当に驚くべきなのは章ごとの要約のところで、内容はそれこそひと段落(ないし一行)、あとは資料の検討がされています。

この本は実はそんなに新資料を使っていない。それこそ『東京名工鑑』は今や近代デジタルライブラリーでも読めるくらいです。そして、二村先生もこの時点で既知と書いています。でも、プラスアルファの分析が面白いと評価されてるんですね。そんななかで、作業量としてははるかに膨大な社史の検討はざっくり切り捨ててる。切り捨ててるんだけど、その確認作業自体が重要であると書いているのは本当のことです。昔、読んだとき、この確認自体が大事という意味まではちゃんと読み取れなかった。

二村先生は二年くらい前から交流的な意味での研究活動はなさっていませんが、本当に残念です(ゴードン書評は唯一の例外でしょう)。いつもお会いするたびに、勉強させていただいてましたから。