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第7弾です。

①戦前、戦中ブルーカラーの賃金の所轄官庁は厚生省、ホワイトカラーの給与の所轄官庁は大蔵省であり根拠となる法律も賃金統制令と会社経理統制令と別々であったのはなぜか

戦後、というか、現在もそうですが、労働者と管理者という区分があります。これは指揮命令をする側なのか、あるいはされる側なのかという区分です。戦前は、資本(現代で言えば会社の経営)側と労働側という区分で、ホワイトカラーは無条件で経営側と見られました。戦時期は企業の利益までもコントロール(統制)するという発想でしたので、会社経理等統制令で、ホワイトカラーはこちらでカバーされていました。これに対してブルーカラーは従来の厚生省(今の厚生労働省)が所轄であったわけです。ただ、最後の最後で厚生省に全部、移管されます。

②国家資格があるにもかかわらず保育士など低賃金のままであるという問題が解消されていかない原因はなにか

一に支払い能力ですね。二に労働者側の待遇改善の意欲が低いことですね。とくに、ケアと呼ばれるサービスを提供する業種では、お金のことを言うのをタブー視する風潮があり、待遇改善を言いづらい状況があります。第三に、そうした閉塞状況を打破する外圧、たとえば社会がこれを改善しよう動くこと、がまったくないためです。

③日本は大企業より中小企業が多く存在する国であるのに大企業では福利厚生が充実しているのに対して中小企業ではそれが難しいのはなぜか

常識的には大企業の方が体力があるからというのが一つの答えでしょう。ただ、福利厚生制度というのは規模の経済が働くのです。これは保険の原理と同じです。ですから、たくさんの人を雇っている大企業の方が福利厚生制度を整備するインセンティブが高いのです。

④賃金が支払われる方法は現在では日給、月給、時給制のほかにあるのか

コミッションと呼ばれるような歩合制もあります。また、年俸もありますね。ただ、年俸制度でも労働基準法は月ごとに支払うことを義務づけていますから、年に一回や二回という支払い方はアウトです。ただ、この月給制のなかに、いろんな項目(銘柄)があり、それが複雑なんですよ。

⑤上記の質問は職種や業界によってある程度決められているのか

仕事内容に規定される部分もありますから、自然と似たような制度を選ぶということはありますが、基本的には各社ごとにカスタマイズされます。あと、有名な大企業が新しい制度を入れると、業界を超えて、マネするという現象が起こることがあります。

⑥企業の中に会社に対して賃金や賞与金の交渉を行う労働組合はいつごろから存在しているのか

ほとんどは戦後からですが、1910年代後半の争議で労働組合が関与していたものでは、賃金を問題にしているところがありますね。たとえば、京都の奥村電機争議というのもあります。組合は友愛会(その後、総同盟に改称)でした。ただ、改革の際に、労働組合に会社側から諮問するというようなことは戦前はほとんどなかったのではないかと思います。東京製綱などはやっていたかもしれません。

⑦上記の質問は大企業や中小企業のどんな会社にも必ずあるものなのか
⑧上記の質問に対してどんな人間が配属されるのか

上記の質問がどれを指しているのか分からないので、推測で話します。労働組合のない会社もたくさんありますし、ちゃんとした労使協議、団体交渉の機能を利用できるような企業は多分、少数派です。どこにどんな人間が配属されるのかは会社ごと、あるいはその担当部署、個人などによって異なると思いますので、一概には言えないですよ。

⑨米国や欧州などの他の先進国と日本の賃金の支払われ方の違いについて、月給制が多いのかなど

他国についてはよく知りません。アメリカなどは関口先生に聞くといいでしょう。ただ、一般的に他国を見るときは、ブルーカラーとホワイトカラーを別々に考えた方がよいでしょう。日本もある時期までそうでしたが、1950年代くらいからかなり制度的にも近接しました。国もそうですが、細かく見て行くと、企業ごとにも相当違いますよ。

11 日本は未だ終身雇用制の会社が多いと思うが米国や欧州など他国と比べどうなのか

これはもう濱口先生の本を読んで、勉強しましょう。


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さて、第6弾です。

1 日本的賃金というと年功賃金を連想するが、最近では実力主義といったような、勤続年数に関係なく仕事能力に応じて給料を払うところもある。今後どちらの方が浸透していくのだろうか。

気持ちは分かりますが、実際はそういう風に単純に、どちらからどちらということにはなりません。まず、確認ですが、年功賃金といっても、今までの年功賃金にもいくつものパターンがあります。たとえば、戦後の物価上昇への対応としての昇給という性格が強く残っていて、あまり査定によって差をつけるこなかった場合。それから職能資格制度をかなりきっちり運用して、評価制度を厳しく行っている場合などがあります。逆に実力主義や成果主義といっても、実際は職能資格制度をちゃんと入れようみたいな場合もあります。そうなってくると、年功賃金から成果主義(実力主義でもいいですが)へと言っても、A社で年功賃金といっている制度がB社では成果主義だったというようなケースだって大げさに言えばあるんですよ。ですから、ケースをいっぱい見るしかないんですね。

2 賃金制度手法の導入史を考えるうえで重要な、科学的管理法の意味をより明確に理解していきたい。

生産管理の徹底です。品質と数量の管理です。初期の科学的管理法ではここまでです。

3 外国の賃金制度や雇用形態はどのようなものか。日本と類似している点、異なる点は?

外国もいっぱいあるので、一概に言えないですね。また、同様に日本でも業種や職種によって違います。たとえば、保険の外交員さんなんかは昔から歩合制ですから、これは成果主義ですね。とにかく、いろんなパターンがあるんだということを知って下さい。

4 給料や賞与は、あらゆることに影響を受けて変動するが、2014年4月から消費税が上がることは給料にどう影響を及ぼすのだろうか。

今のところ、給与を上げるという風に動いたはずです。少なくとも、今年、春闘でベースアップを認めさせたのは物価上昇と消費税アップが根拠の一つでした。

5 月給日給制度では、有給休暇によって給与を支払う仕組みが制度化されているが、それはアルバイトやパートにも適用されることがあるのか。

非正規労働であろうとも、有給休暇は法律で認められています。もしアルバイトを退職するんであれば、有給分は消化しましょう。そういうのを請求することを経験しておくのはいろんなことが勉強になると思います。ただ、賃金債券の時効は二年間ですから、二年以上前の権利は消滅してしまうかもしれません。たぶん、そういう制度を知らない経営者も多いと思います。

6 バブル崩壊以降の就職氷河期を経験した世代を中心に、賃金はめったに上がらず、サービス残業も当たり前だと考える人が多くいることは問題にすべきだろう。

本当にその通りです。今、労働時間規制はホット・トピックですから、ぜひ真剣に観察していて下さいね。

7 給与明細は複雑であると述べてあるが、将来、自分の給与額がどのようにもらえているのか把握するためにも、給与明細の見方を知っておきたい。

実務的なことに関心がある場合は、専門の資格やそのテキストで勉強すると全体像が見えますね。たとえば、今、パッとAmazonで調べた限りでは、


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といったものがありますね。ただ、こういう本は相性があるので、東京の新宿、池袋、神保町、東京や渋谷の丸善なんかに出かけて、大きな本屋さんで実際の棚を見て、本を選ぶのがいいと思います。丁寧に読む必要はありませんが、その代わり回数を多く、読むようにして下さい。

8 同一価値労働同一賃金という考え方があるが、企業規模や雇用形態の違いによって賃金や労働条件が異なることは当然だという考え方の方が浸透しているのではないか。

同一価値労働同一賃金も思想としては浸透しています。ただ、他方で企業規模や雇用形態の違いによって、違うというのはありますね。とくに雇用形態による違いは重要なトピックスです。本田一成さんが整理された「職場のパートタイマー」というレポートがありますから、これを読んで勉強してみて下さいね。

9 責任あるポストに就くことを嫌って、正社員登用を断る人のニーズに応えるために、短時間正社員のような制度をつくっている企業もあるが、短時間正社員がやらない仕事を埋めるために正社員の負担が大きくなることはないのか。

あります。というか、非正規雇用の拡大の最大の問題点は、その管理業務負担が管理職ではないはずの正社員にまでも及ぶことでしょう。これはよい問題提起です。

ただ、短時間正社員をはじめとした多様な正社員というあり方については、やはり先ほどの本田さんの議論を勉強するとよいでしょう。それから、ワーク・ライフ・バランスの本も抑えておくとよいですね。たとえば、佐藤先生のこういう本もあります。


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10 103万円の壁や130万円の壁があるように、なぜ主婦パートの収入を規制してしまうのか

収入を規制しているわけではありません。それに主婦パートだけを対象にしているわけではありません。お母さんたちだけでなくて、君たちも同じで、それ以上稼げば、扶養家族から外れますよ。これは父親が稼いで家族を養うというモデル家族が想定されていたからです。ただ、今はそもそも共働きでないと食べて行けない、という人が増えて来ているので、この規制は見直しが検討されています。ニュースやhamachanブログ(EU労働政策雑記帳)に注目ですね。


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連合総研の市川さんから再びコメントをいただきました。広く皆さんに共有していただきたいので、ここであらためてエントリを起こし、引用させていただきましょう。

2012年のILO総会の条約勧告適用委員会でスト権が議論になって、1926年の委員会発足以来初めて個別審査ができなかったという事態になった時、私はまさにその委員会の労側委員の一人でした。この論争はご存じの通り、そもそもILOの条約・勧告にはスト権についての明文的な記載はなく、従来から87号条約の団結権と密接不可分であり、当然の推論としてスト権がある(inextricably linked to and an inevitable corollary of)と解釈されてきたことに使用者側が噛みついたというのが発端でした。この拠り所がなければスト権が認められない国が多いのはご承知の通りです。この委員会の労側会議で、スト権が法律で認められている国の委員に手を挙げさせたら、半分もいませんでしたよ。この問題に関して労側委員は、個別審査ができなかろうが総会が中断しようが、一切妥協しなかったのです。その時、私はつくづく憲法でスト権が守られてる日本の労働組合(自分自身のこと)は甘いなと思ったのです。多くの国の労働組合にとってスト権は生死にかかわる重要問題で、今日本の労働組合がそれを忘れているとしても、いえだからこそ、ただ簡単に「スト権のあるなしは関係ない」なんて言ってほしくなかった。それだけです。


コメントをしようかなと思ったのですが、歴史家根性で、これは加工せずに資料として提示した方がよい、と感じたので、多くを語らず、そのまま引用だけにします。こういう話がひろくいろんな人に伝わるといいですね。世界は繋がっているのです。そして、ここはグローバルではなく、古式ゆかしき「連帯」と呼びましょう。

それにしても、関口ゼミのみんなへの回答から始まって、今回の一連の話まで読んだら、相当に勉強になりますねえ。今度はそういう若人たちを組合はちゃんと確保しないと。
第5弾は、ちょっと異質ですね。たぶん、自分で考えたいことがあって、それを深めるきっかけに使ってくれたのでしょう。そういう読み方ももちろん、大歓迎です。

・女性の社会進出において、現代では様々な取り組みがなされているが、課題は多々ある。どのような対策をとればよいのか。

女性の社会進出とは具体的に何を指すのか、ということから考えないとダメですね。ただ、就労という意味では昔から女性も働いていたし、ボランティアという意味ではむしろ男性の方が遅れてるし、どこに焦点を置くかじゃないでしょうか。まあ、政策的には優秀な専業主婦を労働市場に引っ張り出したいということでしょうけれども、それを誘導する必要があるかどうかは議論のあるところだと思います。ただ、一生懸命働いて稼ぐ方が損をする今の税制は変えた方がいいと思います。

・高齢化している現代で、今後どのような雇用形態を形成していけばよいか。

ワーク・ライフ・バランスに対応できるように、正社員を多様化せざるを得ないでしょう。これは佐藤博樹先生たちがおっしゃる通りです。今後は会社の中でも中核的な管理者層のなかに、親の介護等のために仕事量をコントロールしなければならない人が出て来ます。そうなったときに、彼らが辞めるのを止めないか、あるいはフルでは働いてもらえなくても、働ける働き方を用意するか、どちらかしかありません。会社にとっては後者の方が得ですから、そうなっていくだろうと思います。

・報酬に結びつかない労働にはどのように対策していかなければならないか。

これは家事労働のことを言っているのか、サービス残業の話をしているのかで全然、答えが違ってくると思います。サービス残業は残業代の取り立てをしっかりする(昨今の傾向とまったく逆ですが)、労働時間規制を徹底させてそもそも残業を減らすという二つの方向でしょうか。もう一つは賃金債券の時効を10年くらいに延長するとよいのではないでしょうか。過渡期には賃金支払いで潰れる会社も出るでしょうね。それも移行期には仕方のないことです。家事労働は家庭のなかのことですから、それぞれのお宅で解決すればいいことじゃないでしょうか、というのが私の意見です。

ボランティアについては考えた方がよいと思いますが、今のところ、どうすべきだという解決方法はありません。ボランティアをやる人は、自分の人生が充実していて、その満ち足りた分を社会に還元したいと考える人と、自分の人生が何か足りないと感じていて、その不足を他者に分けてほしいと考える人がいます。後者の場合、自分でそういう状況にあることを認識できていない、あるいは認識するのが怖くて無意識に理解するのを避けている人も少なくありません。そういう人は合理的な話をするのは困難です。そして、そういう足りない人を利用する悪い人もいます。

解決すべきかどうかで言えば、解決すべきですが、解決できるかどうかで問うと、困難な問題です。自分に出来ないなと判断したら、ちゃんと距離を取りましょう。中途半端な覚悟で飛び込むと、自分も周りも傷つくので、あまりよいことはありません。ここまで言われて、なお飛び込みたい方は止めません。

・なぜ国家資格があるのに、低賃金の職種があるのか。

これは難しい問題ですね。一般的にサービス職というのは、ものづくりに比べて、目に見える形ではないので、どうしても評価が低くなりがちなんですよ。それは国家資格があっても変わらないですね。専門職の問題を考えるときに、労働組合でなければ、業界団体が業界全体の労働条件を上げるという方向が想定されますが、強力なそういう団体もないんでしょうね。また、専門職には自分の仕事が不十分かどうかという基準を自分のなかにもっていて、その基準に満たない、あるいはその基準を満たすことが出来ない環境(たとえば十分な訓練を受けられない)ことに不満を持っても、賃上げに関心が薄い人たちがいるということもあります。あとは先ほども書きましたが、単純に収益システムが確立しておらず、払いたいけど、払えないという状況もあります。それから、ケア労働のように人に奉仕するようなタイプの仕事ですと、人に奉仕するという行為自体が尊いので、金銭を語ることを卑しむ傾向がありますね。

・また、そのような職種を減らすにはどうしたらよいのか。

業界裁定でちゃんとした基準を作ること、さらに、それを社会のなかで認知してもらうことでしょうか。後者はたとえば、保育や介護などの福祉領域であれば、国家からの補助を受けるということも一つでしょう。あとは業界を超えて、他の相場と比較することですね。いずれにせよ、業界団体か、労働組合か、組織をきちんと作ることが大前提です。

・賃金格差の格差を減らすためにはどうしたらよいのか。

格差というのは絶対的に悪いものではありません。社会構造上、差異がある程度、生まれるのも仕方がないことです。ただ、その格差に、正当性があるものなのかどうか、ということは絶えず問い続けなければならない問題です。一にも二にも労働組合が頑張らないとダメですね。労働運動と社会運動がよい意味で連携して行くと、社会全体を良くして行くことが可能になるでしょう。

一番、大事なことは覚悟を決めることです。それがなければ誰も説得できませんし、こういう理想に現実がなっていないのは誰かが悪いせいだという糾弾かこういう理想になったらいいなというお花畑の議論になってしまいます。そういうのは人生の無駄なので避けましょう。なお、お花畑の議論をする人というのは、NPOの関係者や大学の先生も結構います。それから実務家でも自分の専門以外についてはそういうことを言い出す人がいます。こういう人たちは既に長い時間をそういうことに掛けて来た人たちであり、今からその価値観を修正させることはかなり困難ですし、そんなことをする必要もありません。そういう偽物に騙されないようにしましょう。

大学の先生であれば、みんなすごいかと言えば、そんなことはなく、この本に関して言えば、私が見たり、聞いた限りでも、何人かの大学の先生よりも関口ゼミの何人かの方がよほどよく読めていると思いますよ。


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(2013/11/01)
金子良事

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第4弾です。

①「二つの賃金」とあるが、これは報酬に対する二つの考え方のことなのか。(p.42)

分かりにくくて、ごめんなさい。感謝報恩と受取権利の二つのことです。

② 給料=義務なのか。 (p.43)

該当箇所がどこか分からず、この質問の意味もよく分かりませんでした。

③「日本的」がよく理解できなかった。(p.68)

よく理解できなくて、当然です。生活を支える賃金がよいということを、日本全体が天皇を中心とした家族であり、その家族の生活を支えるためにあるのが賃金である、という風にもったいぶって説得したのです。これは⑤皇国勤労観…「勤労は皇国に対する皇国民の責任たると共に栄誉たるべき事である」 (p.87)というところと繋がっているわけです。

④年功賃金は日本特有なのか。(p.68)

そんなことはないと思いますよ。右肩あがりの賃金カーブはいろんなところで見られます。ただ、前の質問とも関連しますが、その説明の仕方で、日本に特有であるという説明が好まれました。これは賃金の問題というよりももっと広い問題ですね。一昔前まで「日本人論」というものがたくさん書かれていました。「日本人論とは何か」という日本人論まで書かれる始末でした。そういうアイデンティティのあり方の延長線上に捉えて下さい。

⑥【討論】メンバーシップ型雇用とジョブ型雇用のメリットとデメリット(p.117)

これは労使双方の立場から考えてみて下さいね。会社側から見ると、どういうメリットとデメリットがあるのか、労働者側から見ると、どういうメリットとデメリットがあるのか。

⑦ 当時「保護」はマイナスのイメージだったのか。(p.194)

そうですね。つぎの質問とも関係しますが、独立・自立ということが重要ですから。だから、今は労働安全運動というのは工場では定番ですが、100年前にはけがをして当たり前、というか、(旋盤などの操作を誤って)指一本ないくらいが一人前という風潮さえありました。労働安全運動はそこも突破して行かなければならなかったのですね。

⑧【討論】ボランティアと労働は完全に切り離せるのか。(p.191)

これはすごい重要な問題です。ボランティアとは何か。自発性とは何か。仕事をする上で自分でものを考えるということがいかに重要か。そういうことが全部、絡んで行きます。私の考えもありますが、これはぜひ、みなさんで考えて下さいね。

⑨労働基準法の適用範囲は実際あやふやなものなのか。(p.188)

うーん、これも微妙な、答えるのが難しい、しかし、決定的に重要な問題ですね。正確に言うと、ちゃんと決まったルール(たとえば昔の判例で示された)があったとしても、後の人はそれをみんな勉強するわけではないから、好き勝手なことを言って、混乱を生じさせているという面も大きいと思いますよ。結果として、あやふやにさせられている、というのが趨勢でしょうかね。あやふやかどうか確認しないで議論する人が多いのか?と問われれば、その答えはイエスだと思います。基本は賃金をもらって雇われる労働者は全員、適用されます。ただ、実際は慣例によって、実質的な管理者かそうでないかで線引きがされていますね。管理者であるかどうかは、仕事量、内容を自分でコントロールできるかどうか、上司がコントロールするのか否かで判定されます。

⑩雇用についての全体像が本書に書かれているのに、なぜタイトルに『賃金』を使ったのか。

昔、賃金にはすべての問題が詰まっていると孫田良平先生から教わったことがありましたが、賃金を徹底的に考えることで、雇用の全体像を見渡せるようになる、ということはありますね。現代の雇用関係が労働と賃金の交換関係という側面を持っていることから来る必然なのです。とはいえ、あくまでこの本は賃金の本なのです。みなさん、雇用の全体像を描いたと評価して下さっているんですが、結構、重要な問題を書いてなかったりします。たとえば、派遣労働ですとか、セルフ・エンプロイメントですとか。あとは最近のホット・トピックである労働時間規制の問題も取り扱っていません。でも、本の中には労働時間はもう少し取り入れるべきでしたね。


日本の賃金を歴史から考える日本の賃金を歴史から考える
(2013/11/01)
金子良事

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連合総研の市川さんから「ストライキ権があるかどうかは組合運動に関しては重要ではありません」というのはいくらなんでも言い過ぎか、あるいは言葉が足りないでしょう、というご指摘をいただきました。そうですね、労使関係を勉強したことがない学生さんへのお返事としてはたしかに少し行き過ぎていたのかもしれません。

2012年の国際労働会議で雇用主側からスト権への攻撃があったことは有名で、労働組合側がそれに対して、団結権・団体交渉権を担保しているのはスト権に他ならない、と主張しているのはまことにその通りです。連合でさえもそこは共通了解になっている、というお話でした。法、権利をめぐる対応としては、まことに労働官僚組織たる連合はまったくお手本通りの正しい主張をしていると言えましょう。

日本国内の話で言うと、戦前はスト権、団結権、団体交渉権、どれも法認されていませんでした。そういうなかで労働組合はストライキを打ったりして、その解決を模索するプロセスを通じて、ようやく交渉のテーブルにつくことが出来ました。そのうちに、労働組合側や争議団が無理な要求をしていない限りにおいては、司法省も内務省(戦前の警察の主管官庁です)も争議を認めるようになりました。実質上はストライキ権が認められるようになったのです。戦後、憲法で団体行動権が明文化されました(これはスト権も含まれます)。しかし、この点だけを強調しすぎると、かえって戦前からの伝統を見失ってしまいます。

たしかに、ストライキ権の有無と、ストライキが行われているかどうかは関係ありません。しかし、ストライキが行われていないという状況は二つに分ける必要があります。ストライキを担保とした団体交渉、すなわち、交渉の切り札としてのストライキです。戦わずして人の兵を屈するは善の善なり、です。もうひとつは、単にストライキを行っておらず、その意味さえも忘れている場合です。

ストライキの重要性は長い間、忘れ去られて来たのではないですか。今年の春闘で関東バスと相鉄がストをやりました。新聞も少しそのことを取り上げましたが、ストライキが交渉の一手段であることが社会的に周知された久しぶりの機会です。その最終手段があるから、団体交渉、労使協議も活きて、抑止効果になる。そういうことも起こり得ます。ところが、連合傘下の組合の一部ではストライキどころか、賃金交渉のノウハウさえも失われかけていたのです。このような状況でストライキに意味があることを、ストライキ権の重要性という教科書的な知識だけで伝えて行けるのでしょうか?

世界には伝統的なストライキとそれを前提にした交渉をやっている国があります。しかし、日本ではどうでしょうか。日本は過去の伝統を継承しているのでしょうか。こたえはほとんど否です。ストライキ権があるかどうかはひとつの基準ですが、さりとて、今の組合活動が市川さんがおっしゃるように、団結権・団体交渉権の担保としてのスト権という形になっているか。相鉄などの例外はあるにしても、大半はそうではないのです。団結権、団体交渉権、団体行動権を担保しているのはいずれも憲法です。そこに相互関係はありません。全部一律に憲法です。

もしストライキ権で戦うとしたら、公務員労働だけです。ILOに何度も勧告されながら、まったく無視している日本政府。これはいくらでも戦う余地があります。しかし、先にも書きましたが、公共労働は一回失敗しているのです。それは単に敗れたというだけにとどまらず、大衆からも味方されなかった歴史があります。まずは多くの人を味方に引き入れなければなりません。今回の震災はそういう意味ではチャンスでした。震災からこの方、一番、割を食ったのは地方公務員です。被災地だけではありません。もう解除されましたが、給与も一時的に下げられていました。

そして、何より今なお、多くの公務員が被災地に派遣されています。岩手、宮城、福島の沿岸地域以外ではほとんど意識的に遠ざけられている観のある震災ですが、公務員だけは少なくとも、派遣されている人たちと彼らを送り出している職場はいまだにその渦中にいます(もちろん、家族も)。その彼ら、彼女たちは大変な労働条件で働いている。しかし、労働組合はその支援もしなかったし、する気もない。自治労や自治労連、連合、全労連だといっている場合ではないのです。本当はここを起点に公務員労働に対するイメージを一新し、それを橋頭堡にスト権まで行けば良かったのです。でも、始まってさえいません。これだけ懸命に働いている人々を助けず、しかも、千載一遇のチャンスを活かさないとは、ほとんど言葉を失います。

もちろん、国際会議で攻勢を受ければ、それに応じなければならない。その意味での連帯は重要でしょう。しかし、国内に関して言えば、今は何も心配する情勢はありません。経営者をどんなに最悪の人間たちであると想定したとしても、彼らに憲法を変えて、団体行動権を剥奪するほどの力はないし、そのインセンティブもないでしょう。日本ではストライキを前提にした交渉を戦術的に行っているところが少ない以上、そんなことをする必要さえないのです。日本はILOが公務員のストライキ権を付与せよと勧告しても聞かないし、逆に、民間のストライキ権を剥奪せよと勧告して来ても、多分聞かないでしょう。そんな弾圧する必要もないところにエネルギーを注いで、わざわざいらない反感を買うインセンティブは経営者にありません。まったくの無駄だからです。金持ち喧嘩せずです。

たとえば、半世紀前の労働組合だったら、総評であろうと、総同盟であろうと、昨年度、話題になったブラック企業と徹底的に対決し、ストライキを打ったり、それを支援したりしたでしょう。2013年はそういうことは起きませんでした。かつて生産性運動が始まったとき、月刊総評で、全労会議の和田さんと総評の岩井さんが対決しました。岩井さんは絶対反対、和田さんは反対したくても無理矢理進められるのだから、むしろ、なかに入っていって監視すべきだということで、結論は相容れないのですが、しかし、お互いとことんやろうというそういう信頼関係、心理的な同志意識はありました。それに比べれば、今は組織は同じでも、労働者は連帯していないと言わざるを得ない。

そろそろまとめましょう。日本では民間企業ではストライキ権が認められています。これを規定しているのが憲法なので、今の時点では剥奪される心配はまったくありません。剥奪される心配もないので、それを阻止するために連帯する運動も生まれません。公務員はストライキ権が認められていません。当事者は問題にしていますが、それ以外のところはどう発言しているにせよ、実質的にはサポートできていません。これだけひどい状況に置かれている公務員を助けない人たちに期待をするだけ無駄でしょう。今後はひょっとしたら、ILOの外圧を受け入れる形で公務員改革のなかに盛り込まれるかもしれません。でも、そのようなことが起こったからといって、かつての総同盟や総評のような、ストライキを切り札とした交渉は行われないでしょう。ストライキ権を獲得しても今のままじゃ、うまく使いこなせないんじゃないでしょうか。

ただ、争いはつづめると、裁判になります。ですから、ストライキ権が認められていれば、裁判を通じて、支払わなければならない損害賠償などを避けられるでしょう。それはそれで大事なことです。しかし、本当に最後はとことんまで戦う覚悟を決める人にはストライキ権の有無は関係ないでしょう。ストライキ権が付与されるよりも、かえってそういう覚悟こそがストライキの重要性を伝えて行くように思います。むしろ、今は権利が保障されていることに安住しているのではないでしょうか。

とはいえ、今年の春闘も昨年末の時点ではほとんど私は絶望していましたが、現場の労働者たちの声で息を吹き返しました。これから課題は山積みであるとはいえ、うれしい誤算、頼もしいことです。ストライキについても、あるいは公務労働についても、私の考えがみな吹き飛ぶようなエネルギーを労働運動が発揮してくれることを祈るばかりです。
第3弾です。

(1章)
・明治初期のボーナスが勤続を狙いとして中元と歳末に支払われたとのことだが、どれ程勤続につながっていたのか

一般的に、金銭によるインセンティブを与えても、理論的に言われているようには、あるいは実際に施策として実行するにあたって期待されるようには、効果を得ることは出来ません。なぜかというと、金銭的報酬を引き上げるのは他社よりも優位に立とうとするからで、当然、相手も対抗策を打って来ます。そうなると、相場全体があがり、労働者にとってはありがたいですが、選択の余地があるということには変わりはないのです。

勤続をのばすのは、生活面でのきめ細かいケアだったりします。この時代だと上水道の整備で乳幼児死亡率が下がると、熟練工も居着いたりしました。あと、基本的に商家の奉公にしても、工場での労働にしても、合わない人は一定程度、逃げ出すのです。それは止めようもありません。こんなところにも、雇用関係は、労働とその対価の交換関係よりも、雇用主と労働者の限定的な支配関係であるという本質が出ていますね。

・明治30年代には地位と俸給に応じて景気変動に関係なく支払われたとのことだが、不景気の時に会社が経営難になったりしなかったのか

実際、困難に陥っていました。

(2章)
・集団出来高賃金の個人への配分に関して、チーム内で誰がどれほどの成果を上げたかがわからない中で何を基準にどう配分するのか

これは一番、本質的なところの質問ですね。基本的に分配の基準は、個人個人の等級によっていました。今で言うと(職能)資格に近いかな。どういうことかというと、入社してから現在に至るまで、査定され続けているんですが、その評価が蓄積されて現在の自分があります。その評価に基づいて、分配するのです。

もちろん、これでは誰が成果をあげたか分かりませんから、後に少しでもその区分が立てられるようになると、個人ごとの基準を今までの評価の蓄積ではなく、その当期の仕事に結びつけようと改革を行う場合もありました。しかし、新人の監督をするというような、間接労働は必ず残りますので、完全に直接的な成果でのみ対応させるのは難しいのです。

(5章)
・ホワイトカラーとブルーカラーのグレーゾーンの存在による混乱とは具体的にどのようなことなのか

今でもそういうことが起こり得るんですが、同じ仕事をしていても、身分が違うということが会社では起こり得ます。それは入社の経緯の違いであったり、いろいろな理由があります。たとえば、派遣さんと正社員、あるいはパートが同じ仕事をしているということがあるでしょう(実際に、同一労働同一賃金でその格差を是正しようという動きもある訳ですが)。昔だと、警備の人がホワイトカラー扱いであったり、ブルーカラー扱いであったりという事業所がありました。それをそのままなんとなく昔からの流れで、成り行きで管理してたんですね。

どういう混乱が起こるかということですが、賃金統制では、ホワイトは会社経理等統制令で大蔵省が、ブルーは賃金統制令、賃金臨時措置令で厚生省がそれぞれ管轄でした。最初に統制されたのは、ブルーカラーでしたから、物価があがっているから全体の賃金を上げたいと思っても、ブルーの人はあげられないけれども、ホワイトの人はあげられるというようなことが起こりました。当然、その不均衡に不満が出て来て、労務管理上、問題になるわけです。

(7章)
・公務員はストライキが禁止されているので他の職の労働者と同じようには運動が行えないと思われるが、公務員の労働運動とその他の職の労働運動とでどれほどの差があるのか

私も今、ここのところを勉強中なので、とりあえずの意見を述べさせて下さい。公務員労働運動は、1950年代後半に官公労という連絡組織を解散させ、総評という当時の最大のナショナル・センターを中心に展開することになりました。総評は裁判闘争も含めた戦闘的な組織戦略を持っていました。公務員労働に関しては、ストライキ奪還ということで、60年代からはILOに訴えながら、なお戦いを志向していました。ところが、1975年にストライキを要求するためのストライキを打って、敗北します(スト権スト)。この敗北の意味は、公務員労働が思ったよりも公務員以外の人の応援を得られなかったことです。公務員は1949年のアメリカ占領下での行政改革以降、ときどき緊縮政策を採られていたのですが、70年代以降の行政改革(そのメインは国鉄と電電公社(今のNTT)の民営化でした)では公務員バッシングが定番になりました。

これに対して民間労働、とくに総評指揮下にあった鉄鋼労連も当初は戦闘的でしたが、60年代から徐々に協調的に変わって行きます。協調的労使関係下の企業では、人事改革など重要な改革を行うときは、労働組合に問い合わせが来ます。考えてみれば当たり前なんですが、人事部だってドラスティックな改革をやって失敗したら、会社の関係部署から総バッシングを受けるわけです。そのためには、現場を抑えている労働組合に相談するのです。まあ、でも、これは公務員労働、とくに地方公共団体レベルでは、人事改革かどうかは別にして、同じようなことをやっている地域もあると思います。このあたりは勉強不足ですみません。

ストライキ権があるかどうかは組合運動に関しては重要ではありません。権利が公認されているからストライキを打たないわけでもないですし、打つわけでもありません。実際、権利を持っていても、民間ではほとんどストライキがなかったのです。今年の春闘で相鉄などが注目されて、その後、すき家でストライキが行われるなど、少し流れが変わるかなという兆候もありますが、相変わらず少ないままでしょう。

権利が認められていないと、ストライキが終わって裁判になった時点でたしかに苦しい思いをします。とはいえ、ストライキを主導する人たちはそれを覚悟でやるわけです。60年代は民間でも数日間のストライキは行われていましたが、セレモニーと批判されていました。私はセレモニーでも、一種のお祭りのようなもので、それはそれで意味はあったと思いますが、戦うという意味では物足りなかったのでしょう。本気で戦うときには、何があっても戦うという意思が大事なので、かえって困難な状況の方がその覚悟が仲間に伝わり、士気があがるという意味ではよいという側面もあるのです。個人的には、覚悟を決めるというのは何かを捨ててもやり遂げる意思だと考えていますので、それより大切なものがあるとは思っていません。

・闇市場での取引により価格統制にもかかわらずインフレをもたらしたとあったが戦争中にインフレになった要因は他にあるのか

物の不足ですよ。需要に対して供給が少ないからです。ということは、なんで不足になったのか、ということを考えるといいです。一つは欧州の戦争によって交易が少なくなれば、供給量は減りますよね。もう一つは、急激に重工業を発展させたので、資材、人がともに足りなくなりました。そして、石油や鉄なども輸入できなくなったのです。日本では資源がなかったということが決定的で、それが戦争の原因の一つになっていました(もちろん、それだけではないですが)。

・熊谷政策の特徴に民間で自制的行動がとられるような誘導政策とあったが、自制的行動とは労働運動を起こさないことという認識でよいのか

労働運動を起こさないということとは必ずしもイコールではないですね。運動の方向性は複数、あります。ただ、その中でもあまりに敵対的で、自分たちの要求だけを通すのを自粛するようにということだと思います。

・高度経済成長時には日本は人口過剰と考えられたとあったがそれはなぜか

これもあくまで推測しか出来ませんね。その前の時代のときの認識に引きずられていたということもあります。敗戦後、戦地や植民地から帰って来た人たちで国の人口は多くなります。その多いという実感が解消されていなかったのでしょう。

それから、いわゆる団塊の世代がたくさんいました。この時代には子どももたくさんいましたし、どうやって子どもたちに学校教育を提供するのかが教育政策の重要な課題でもありました。ただ、その一方で製造業などでは、このまま行けば人不足になるという危機感もありました。

農村では人が余っているというようなことが言われたりしましたが、経済学者は農村の過剰人口(潜在的な労働力)はほとんどない、という主張もありました。ただ、何もしていない人がいると、人が余っているという印象は持つのかもしれません。そのとき、子どもが減っていれば、人口が減っているという実感がありますが、子どもは多かったですからね。

(8章)
・個人のニーズと集団的労使関係がバランスをとるために企業や政府はどんな努力を行っているのか

これはむしろ、労働組合の仕事ですね。このために、組合員からの不満を聞き取ったり、ときにはアンケートをしたり、それらを受けて、どう解決して行くのか全体の方向を考え、ときには会社に要求して行きます。会社も苦情を受け付けていますし、同じような仕事をやります。政府は、JILPTがそういう実情を一生懸命調査したりしていますが、果たしてそのことの重要性を政治家がどれだけ分かってるのかはだいぶ心許ないです。厚労省も「労使コミュニケーション調査」などの重要な調査を行っています。

以下はゼミでの論点提起ですね。たぶん、現場の人もこういう問題の答えを探し求めています。一般論を言えば、理想的な制度というのはあり得ず、現実に解決したい問題と、何と何がトレード・オフなのか(何を採ると何を犠牲にしなくてはならないか)ということ認識して、その中から選ぶしかないんですね。昔、政策とは偉大な妥協の産物である、と言った人がいますが、それはその通りなのです。ただ、妥協の仕方にはいつでも議論があるし、議論すべきなのです。

<話し合うべきこと>
(1章)
・コラムに高度の仕事ができるようになった従業員の仕事へのインセンティブがいくつか挙げられていたが他にどんなインセンティブが考えられるか
(2章)
・どういうシステムの会社または職業にどのような賃金制度が適しているのか
・各職業の賃金制度はどういった理由から採用されているのか
(5章)
・実際に企業が行っているコスト管理法やその成果にはどんなものがあるか
(8章)
・男女の労働条件の差や性差を解消するための他の制度とその現状について                      

日本の賃金を歴史から考える日本の賃金を歴史から考える
(2013/11/01)
金子良事

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さて、続きです。

1. p23どうして労働者保護が主流でなかったのか

労働者保護が主流でなかったというより、何を問題にするかという、関心領域が社会秩序の維持にあったということです。明治維新で徳川幕府を倒して、その後、版籍奉還・廃藩置県で藩体制をひっくり返し、ついで象徴的には西郷隆盛を中核とした士族の反乱、そして自由民権運動があったのです。それだけ世の中がひっくり返ってる時期ですから、次はどんな革命が起こるのか、ということに危機意識があったのです。優先順位の違いです。

2. p23どうして例外にもかかわらず大日本綿糸紡績連合会はできたのか

繊維産業が江戸時代から発達していたからです。これはもともと大阪の繊維問屋が中心になって作り、それが徐々に拡張して行きました。

3. p27賃金を「権利」と思う人と「報恩」と思う人どちらが多かったのか

今も昔も普通の人はそんなことにこだわりを持っていないと思います。ただ、報恩という感覚は、今よりはあったと言えるでしょう(統計的に明らかにできる訳ではありませんが)。なぜそういう感覚が弱くなって行ったかには二つの原因が考えられます。一つは有名な三億円事件です。この事件をきっかけに、折からコンピュータの発達によって、銀行の支店間送金がオンラインで出来るようになっていたこともあり、給料が銀行振込になったのです。昔は神棚、仏壇のある家は珍しくなく、給料袋はまず、神前か仏前に捧げられました。これは感謝報恩の感覚に通じているのです。それと関連しますが、戦後には仏教的な教養が失われてしまったということもあるでしょう。より即物的な労働組合や新興宗教の勃興とも関係があります(どちらも行き詰まりましたが)。

4. p35「熟練工」はどうして重視されたのか

彼らの腕が必要とされたからです。渡り職工は素行が悪いと一般に言われていました。それもそのはず、企業は新人研修から社会人のイロハを叩き込みますが、渡り職工はそういうものとは無縁です。それでも、ある時期まで企業は彼らの力に頼らなければならなかったのです。

ただ、そういう問題とは切り離しても、事業、大きく企業経営でも、小さくプロジェクトでも、それを支えているのは人なのです。その人の技能(=熟練)が正否を握っています。

5. p36個々の技術者や現業労働者はどのように育ったのか

これは企業ごとに違います。それだけで一つの大テーマです。

6. p38そもそもどうして賃金制度を統一しなかったのか

今、パート、バイト、正社員の賃金は同じでしょうか。違いますよね。会社側から見ると、それぞれの労働力のニーズが違うのです(最近はその振り分け方を雇用のポートフォリオと呼びます)。働く側から見ると、正社員になりたくてなれないパート、バイト、派遣の人もいますが、正社員は時間の融通が利かなくなるからあえてバイトやパートを選ぶ人もいます。こういう多様な働き方は労使それぞれから望まれてる側面もあり、簡単に統一できません。それに連動している賃金も統一は難しいのです。さらに、賃金を統一するにあたって、何を基準にするのか、ということでも議論が出て来ます。統一基準を作るのは案外難しいのです。

7. p39会社は、経営者か従業員か、誰のものか

会社は株主のものです。それは会社の最高意思決定機関が株主総会だからです。実務上のトップは役員会ですが、株主総会には役員の人事権があります。ですから、形式的には株主が会社の持ち主です。ただ、無形資産、たとえば、今までの仕事で築いて来た信頼、そういうものは一部はのれん代として計上される可能性もありますが、基本的に全部は計算できません。それはすべて過去に所属したことのある従業員や経営者のものです。

8. p41なぜ労働歌は禁止されたのか

職場の規律を守るためです。

9. p48なぜ労働組合の活動が弱められたほうがよいのか

これは立場によってよい悪いの判断基準が異なって来ます。ここでは本文の文脈に即して会社からの立場で考えましょう。会社にとって労働組合の力を弱めた方がよい場合というのは、組合が敵対的である場合です。それでは会社の方針が貫徹し得ません。敵対的な組合のなかには、外部とつながり、特に、昔は私有財産制度を否定するだけでなく、その強奪に暴力も辞さない共産主義者もいたため、これに対抗する必要がありました。しかし、この対抗が行き過ぎた結果、共産主義と関係ない人までも巻き込んで排斥するという事件もありました。何がよいというのを固定的に考えない方がよいでしょう。

10. p24どうして「賃銀」という漢字が使われているのか

これは前出ですね。


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中央大学の関口定一先生からゼミで『日本の賃金を歴史から考える』を読んでいるんだけど、初読の感想を書いてもらったから、参考にどうぞ、ということで質問をいただきました。読んでみると、とても重要なこともたくさん書いてあるので、ぜひこれをブログで紹介してお答えしたいと申し出ましたら、快諾をいただきましたので、これから少しずつお答えして行きたいと思います。関口先生、学生さんたち、ありがとうございます。

一応、貼っておきます。


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1、 p22にある「雇用関係は旧来の慣習を引き継いでいるものも多い」のはわかるが、なぜその現実と条文のギャップを判例や学説によって埋めてきたのだろうか?

いきなり、大変なところを突っ込んできましたね(笑)。これは法に対する基本的な考え方を知らないと、理解するのは難しい問題です。法には大きく分けて二つの法があります。一つは文章になっているもの、法律用語では成文法といいます。もう一つは条文になっていないものです。

さらに、成文法というのは、大きく分けて二つあります。一つは制定法、これが皆さんがイメージする法律です。でも、法律の条文というのはあまねく全部を網羅しているわけではありません。そうなると、何が起こるかというと、法律に書いてないこと、あるいは書いてあるけれども、解釈が複数あり得ることに関しては、争いが起こり、これを裁判で決着させます。そこで出来てくるのは判例です。でも、判例もあくまで解釈の一つなので、これはさらに批判を受けます。そうして学説が作られるのです。

条文になってない法の考え方ですが、古いイギリス法や自然法と言われる考え方では、法というのは最初から存在しています。つまり、ある意味、法は神そのものだと言ってもよいのです。その法を発見するというのが人間の仕事です。ローマ法を継承した欧州大陸の国ではちょっと事情が違いますが、そのへんは省きます。だから、慣習そのものは法ではないけれども、慣習の中から普遍的な法則(law)を見つけ出すということが大事なのです。

ところが、制定法はそうではなく、制定者の価値観(多くの場合、正義にもとづいている)によって作られることが往々にしてあります。日本の民法では、雇用関係をイギリスなどとは支配関係とは理解せずに、単なる労働とその対価の交換関係として規定しているのです。しかし、実際に雇用関係は支配関係(指揮・命令関係)があるので、そこにギャップがあります。そこの距離をうまくコントロールするのが、制定法と事実の間にある判例法やそれと補完的な役割を担っている学説なのです。

2、 p24の「実業之日本」にある「賃銀」が銀なのか?

これは昔は賃銀と書くのが普通でした(金と書く表記もなかったわけではありません)。大河内一男先生はこの表記にこだわっておられました。なぜ、銀だったのが、金になったのかは定かではありませんが、私の推測では、貨幣が金兌換になったのが大きいのではないかと思います。江戸時代は金もありましたが、銀も大きいですからね。たとえば、路銀という古い言葉がありますが、これは今でいう旅費のことです。それから、各地に残っている銀座という地名は、銀を取引するマーケット(座)という意味です。金座というのもありますが、今に残っているものは少ないですね。そのへんのことも銀が使われた理由かもしれません。ただ、あくまで推測です。

(追記)
ブログで書くと、正確な知識をお持ちの方が修正して下さり、助かります。

銀座は銀貨を作る組織

なんで、市場と勘違いしたんだろう。お恥ずかしい限りです。ありがとうございました。トラックバックもしていただきましたが、ここでも記しておきますね。

3、 コラム①にあった主従の情誼は悪用されることがあるとはどういうことなのか?

これは世間を生きて行く知恵として知っておいて下さい。悪いやつは、きれいごとをうまく利用するのです。たとえば、ブラック企業と言われるところも夢をいっぱい語っていたりします。また、悪徳宗教も書いてあること、説いていることはすべて噓偽りというわけではないのです。主従の情誼が美しい言葉であると認識されればされるほど、それは悪いやつにとっても利用価値が出てくるわけです。

4、 p35にある工場によってお給料が支払われる日にちが違うのは今にも影響しているのだろうか?私は何個かアルバイトをしていたがお給料が入る日にちがそこの企業によって異なっていた。これはこのことに関係しているのだろうか?

今ですと、各会社によって会計制度が違うせいでしょう。何日締めとか、そのあたりが違うからです。そうした違いは歴史的に、というほど大げさではないですが、過去の経緯から決まっていると思います。ただ、明治の昔から続いている企業は少ないですから、連続性は定かではありません。

5、分業よりトータルをできるようにするのは倍の時間がかかり効率も悪い。また覚える量が多いため休むことがなかなかできない。これが過労に繋がっていると考えるがどうか?
6、 5に関連するが5はトータルできる人がいる分欠員が出ても痛手は少ないだろう。分業とトータルを見る人を多くするのと果たしてどちらがいいのだろうか?

たぶん、質問をするときに、自分でも分業の両方の特徴に気がついたので、質問が無茶ぶりになってると思うのですが(笑)、おそらく問題にしたいことは、過労がなぜ起こるのか、それには仕事の分担(分業のあり方)が関係あるのではないか、ということではないかと思います。それを効率のよい分業という観点から考えて行ったので、話が少し混線したのでしょう。

近年の過労の問題は、人をどう割り振るかという問題ではなく、そもそも足りない人数で無理矢理まわそうとしていることから生じていると私は個人的に考えています。ですから、まず人員を充足させて、どういう役割分担をしたらいいのか考えるのはその後ではないでしょうか。あとは、過労の問題は、労働時間規制をどうするか、という点から考えたらいいと思います。

分業の効率性はだいたい、気づかれた通りです。ある特定のことだけ(数を限定して)やらせれば、その習得時間は早くなります。しかし、習得したこと以外につぶしが効きにくい。一方、全部の仕事を経験すれば、もちろん時間はかかりますが、他の人のカバーができます。さらに、重要なことですが、仕事の全体が分かると、個別の仕事を深く理解できるようになるというメリットもあります。たとえば、サッカーのフォワードがディフェンスを経験すれば、どうやったら守りにくくて嫌かを学べるというような切り口を理解できる、といったようなことです。どの分業が一番効率が良いという答えはなくて、ケースバイケースです。仕事の性質によります。どれだけ精巧にやらなければならないのか、期限はどれくらいかなどです。

7、 p105に基本給が日から月に替わったことは、戦前の時点で出来高給でなかったブルーカラーは常傭給が本体でそれと連動する奨励加給や手当などの賃金体系をすでにもっていたとあるがどこまでが給料であってどこまでが手当なのか。その境はどこなのか?

これは給与表を見て、その会社でどう考えているのかをじっくり見れば分かりますが、業種、企業ごとにあまりに違いすぎるので、本のなかではわざと具体性は落として書いてあります。ですから、分かりにくいですよね。この常傭給というのは現代で考えるならば、基準内賃金に近いんですが、実務上なかなか難しくて実際には統一されては使われていません。もし関心があったら、所定内賃金と基準内賃金の違いを問い合わせて、専門家が答えているページがありますので、ご覧になってください。

8、 p104の職務給の賃金水準を1本でなく幅を持たせると職能資格給までの距離は近くなるとはどういうことなのか?

これ図を使って説明すると、一発なんだけど、ごめんね、ブログで図を使って説明できない。。。職能資格制度というのは、今、職能資格が1〜4まであるとする。資格1のなかで18万円から22万円、資格2は20万円〜30万円、資格3は28万円〜40万円、資格4は35万円〜50万円というような感じで、資格ごとに賃金の幅があるんだ。資格1から資格2へは昇格。昇給は資格1のなかであがって行くものと、資格が上にあがったときにあがるものと二種類ある。で、この資格が仕事(職能)と関係させられている。同じ仕事をしていても、賃金が違うんだ。

これに対して、職務給は基本は一本。同じ仕事をすれば、同じ価格。だけれども、習熟度によって仕事の出来が違ったりするから、そこは差を付けて行きましょう、と。そうなると、複数の職務があり、それが階段上になっている(簡単な仕事から難しい仕事へステップアップして行く)キャリアが出来ていて、一つずつの職務のなかに賃金の格差があるとなると、これは職能資格に近いと言えます。

9、 p108のホワイトカラーに7階級制度を利用している組織があり、それは仕事の機能を基準に決められる役職とは別系統である、とあるが、そのすぐ後に、実際には社内の役職と混在となっているとある。結局は別系統なのか?

基本的には別系統ですが、実際の運用では混同されている場合もあります。

10、 国家資格であるにもかかわらず保育士は低賃金におかれている。それは業界全体の構造にも問題があると書いてあるがどのような問題が例えば取り上げられるのか?

簡単に言うと、保育士に高賃金を払って、保育園が回る、そういう収益モデルが確立されていないのです。だから、雇った保育士に安い賃金を払えないのです。低賃金が批判される場合、雇い主である会社や経営者だけがお金を持って行ってしまう、という分配の問題もありますが、そもそも事業として持続可能な形になっていないという生産の問題もあります。保育の問題は主に後者だと私は考えています。

これ、一人目なんだけど、結構、ハードですね。
今後、数年かけて「社会政策」を考え直していきたいと思っているのだが、現在、やるべき課題というのは何だろうかとなかなか悩ましい。先日の学会で玉井先生と少しお話ししたとき、先生が日本には100年以上積み重ねてきた宝物があるとおっしゃられていて、それはそれで大切なことだと、その限りでは私も同感した。

一つの行くべき方向は、日本社会政策学説史を書くことであろう。学説史的研究という意味では、中西洋『日本における「社会政策」・「労働問題研究」』という、華麗にスルーされている大著があるが、あの本こそは玉井先生たちの言う「労働問題」に偏っていたとも言えるが、実際のところは東大に偏っているという印象を私は持っている。これを相対化させるような研究というのは必要だと思う。

ただ、じゃあ、学説史研究がどれくらい意味があるのか?ということになると、なかなか疑問はつきない。私はむしろ、自分なりの社会政策観というものをもって、その問題意識から関連する分野の諸研究を整理する方が、実際的ではないかと思う。しかし、これはどう考えても、2年はかかるテーマである。

もう一つの行くべき方向は、日本の近代史に即して「社会政策」を考えることだろう。ここではあまり学説にこだわる必要はないと思う。私のイメージでは『日本の賃金を歴史から考える』の「社会政策」版といったところだろうか。一回、こうしたものを書かないと、学説史研究もまとめきらないのではないかと思う。

じつはこの二つの方向は微妙に角度がずれていて、しかし、重なり合うところもあり、大変に難しい。私は「日本における「社会政策」の概念について」を書いたときには、そこら辺の方法論をしっかり詰めなかった。というか、詰めたら書けないなと思ったので、わざと区別しないで混在させた。査読で突っ込まれるかなと思ったが、そこはスルーだった。玉井先生たちというか、玉井先生はお話をした印象では、学説史研究、というより、大きく言うと、今まで多くの研究者が蓄積して来たものを敬意を持って継承すべきだという、それ自体はきわめて真っ当すぎる問題意識を持っていらっしゃるようだ。そういう意味では、最初の学説史研究に近いかもしれない。