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小池和男先生が文化功労者に選ばれました。おめでとうございます。今回の賞は、先生の学問的な業績ということもありますが、先生は政府委員も長く務められて来ましたし、そういう総合的な評価でしょう。

濱口先生が知的熟練の功罪というエントリで取り上げていますが、小池先生については本当に多くの誤解があります。小池先生の学問的なスタートは『日本の賃金交渉』で、世間で考えられていることとはまったく逆の主張をなさっています。このときの一般的な議論は日本の労働組合は企業別組合で、労働市場は企業封鎖市場であるというものです。これに対して、小池先生は鉄鋼、全繊、私鉄労連などを取り上げて、事実上、産別が各企業をコントロールしながら、産業ごとの相場を作っているというものでした。小池先生は1950年代から日本がもっとも合理的という主張でしたが、後にそれはドア先生などが言う後発効果で説明されていました。

小池先生の1960年代の重要なお仕事はじつは二つあります。有名なのは『賃金』というテキストを書いたことです。『賃金』のテキストというのは、それこそ20世紀の最初あたりからありますが、経営工学系(当時の言葉で言えば工場管理)の経営学のテキスト、それからマルクス経済学系統の本など、どれも固くて面白くなかった。あの本は、小池先生の社会科学の考え方(類型論的な発想)が書かれていますし、何より幅広くいろんな考え方を紹介している。ただ、当時は若者の多くを捉えた宇野経済学の段階論が使われていたことがインパクトが大きかったと仰っていた先生もいらっしゃいました。この段階論はわりと、丁寧に宇野経済学を踏襲しており、その後の小池先生の議論は馬場宏二先生なんかに影響を与えています。あと、濱口先生の『日本の雇用と労働法』も驚くほど、小池先生の『賃金』と構成が似ていると思います。

もう一つの重要な仕事は、先ほど書いた産別関連の仕事です。佐野陽子先生をキャップにした『賃金交渉の行動科学』ですね。慶応大学というのは、藤林敬三、西村俊作、佐野陽子という藤林先生はともかく、近代経済学系の労働市場論の伝統があったんですね。それを引き継がなかったのは誰かというと島田晴雄先生です。ただ、これは世代的な問題もあり、つまりベッカーの『人的資本』は佐野先生が訳されますが、1970年代の人的資本論革命が直撃したそのアメリカの様子をレポートしたのは島田先生なんですね。これはもう巡り合わせとしかいいようがありません。『賃金交渉の行動科学』は今でも示唆深いよい本だと思いますが、経済学的に詰めて行って、それで説明できないところをあぶり出して、それを行動科学で取り組もうとした。ただ、これはアイディアでその後、深められませんでした。産別の研究も、じつはその後、あまりやられていませんでした。最近になって名古屋の松村文人グループが『企業の枠を超えた賃金交渉』を出版して、小池先生の『日本の賃金交渉』は言及されていたと思います。ただ、今、産別自体がよく分からなくなってしまって、今の産別をやるのはとても難しいですね。松村先生たちの研究も歴史研究としての戦後の研究ですから。

1970年代の小池先生の代表作と言えば、1978年の『職場の労働組合と参加』ですね。この研究が高く評価されたのは、アメリカと日本の鉄鋼業を比較した点にあります。一つのポイントは国際比較なんですね。この本を読めば分かりますが、濱口先生の知的熟練の定義のように「たまたま今やっている仕事のスキルじゃなく、会社のいろんな仕事を何でもやれるだけの幅広い能力」ではまったくなく、具体的に日本の鉄鋼業ブルーカラーとアメリカの鉄鋼業ブルーカラーを比較して、日本の方が仕事の幅が広いということを言っているのです。欧米の製造業ブルーカラーでは、1980年代以降、ブロードバンディングという職務を拡大するという動きが見られるようになります。ちなみに、変化と異常への対処という知的熟練のコアの概念をつかんだのも、東南アジアの企業を調査した国際比較です。

もう一つ、この時期の小池先生の重要なお仕事は『日本の熟練』のなかの「ブルーカラーのホワイトカラー化」というテーゼです。小池先生ご自身は自分の説がどういう風に影響を与えたのかということはあまり御関心がないのですが、少なくともこのテーゼは1980年代以降の労働史の中で大きな影響力を持つことになります。ただし、もともとの小池先生の話は、ECの統計と日本の統計を比べて、ブルーカラーの賃金カーブが日本の方があがっていく、これはホワイトカラーでは各国でも見られることだから、日本のブルーカラーはホワイトカラー化しているのではないか、ということでした。ところが、この議論は二村一夫先生が取り上げるんですね。二村先生は日本の企業別労働組合について独自に考察を進められていて、そのなかでホワイトカラーとブルーカラーの混合組合であるということを重視されていた。その観点から小池先生の議論を高く評価したんです。「日本労使関係の歴史的特質」にそのことが書いてあります。戦後の労働史の研究は二村先生とともにあったといっていい。それくらい影響力がありました。この頃の二村先生の影響を受けた代表的な研究者はアンドルー・ゴードン、市原博、菅山真次などです。ゴードン先生の『日本労使関係史』は原題が『日本における労働関係の展開』であまりにも兵藤先生の『日本における労資関係の展開』に似ているので、兵藤先生の影響が大きいと見られた。しかし、実際には労働関係(ないし労使関係、ここで労使関係と訳さなかったのはindustrial relationsではなくlabor relationsだからで、労働関係調整法以来、労働関係という訳語があります。が、実際には労使関係とした方が適切でしょう)と労資関係は全然、違った。ということは10年くらい勉強して初めて気づいた。ゴードン先生の議論は二村先生の影響と、実は小池先生の影響が結構、あるように思っています。

小池先生がご自身でご自分の考えをもっとも典型的に整理したのは、Koike, Kazuo, "Skill Formation Systems in the U.S. and Japan: A Comparative Study," in Aoki, Masahiko ed., The Economic Analysis of the Japanese Firm, ELSEVIER SCIENCE PUBLISHERS B.V., Amsterdam, 1984です。小池先生の基本的なアイディアの一つは、技能形成の段階論で、19世紀はクラフト・ユニオンによる技能形成が合理的だったが、20世紀は企業が配置を自由に行えるために、技能形成にもっとも有利だということです(これはこの論文には出て来ませんが、『賃金』から『仕事の経済学』まで一貫しています)。ここで「組織」ということが重要視されていた。このあたりは内部労働市場論の構成要素で企業特殊熟練を前提にする人的資本論が重要だと言いながら、クラフトも内部労働市場だと言ってみたり、アドミニストレーションが重要といいつつ、では人的資本論とは何かといって機械のくせというような、ドリンジャー・ピオリとどちらが優れているか明らかなわけです(とはいえ、公平を期せば、ブルーカラーを組織的に育成している日本をフィールドにしていた小池先生の方がダンロップ以来の旧制度派よりも有利だったんですが)。この論文にはリチャード・フリーマンのコメントがついていて、日本の製造業の強さを文化論や精神論ではなく、経済的に説明したことを、demysitfy、脱神話化と評価しています。ただ、この「組織」という論点は少なくとも、その後、深められたとは言えないんですね。

というか、1980年代以降の小池先生は知的熟練で有名になるわけですが、知的熟練はそれだけではかなり扱いにくい概念になってしまったと思います。この知的熟練論の限界は、むしろ、ホワイトカラー研究に進んだときに起こったと言えます。小池先生のホワイトカラー研究はそれ以前のもののようなインパクトを持っていません。ここからは私の意見ですが、知的熟練で「変化への対応」というのが重要なポイントで、不確実性ということも重視されました。しかし、小池先生ご自身はホワイトカラー研究でもわりと比較しやすい、つまりある程度、他の変数をコントロールされたと見なしてもよいだろうという対象が多かったと思います。そこにはかえって「組織」の観点はなかった。で、私も最近までそれがなんだかよく分かってなかったのですが、私たちの仲間の高橋弘幸さんという方が戦前の三井物産の研究でこの問題を取り上げたんです。そこで、彼はブルーカラーの技能形成は生産設備などに規定されるために高度に組織的にコントロールされているが、ホワイトカラーはそんなことは期待できない、として、戦前の三井物産の全仕事とその技能形成を検討するという膨大な仕事をします。まあ、このあたりは私の書評に書いてあるので読んで下さい。もう一つは、小池先生の議論の特徴は、長期の競争を重視するというところにあると思いますが、小池先生の研究手法は基本的に調査研究でした。調査研究はどうしてもスポットですから、長期の実証となると、歴史研究的にやるしかないですよね。そうなると、なかなか三井物産のように、占領軍が無理矢理作った三井文庫のような資料的条件がないと、この日本ではなかなか難しい。そういう問題もあると思います。

小池先生の真骨頂は調査研究で、その意味で迫真の技能研究は『ものづくりの技能』ですね。というか、そう思う根拠を、書いていいのか微妙なので、書きませんが。。。まあ、全部、具体的です。

ただ、根本的に、技能と賃金は全然、別の話として成り立ち得るんですよ。それはもちろん、リンクさせた方がよいに決まっていますが、そこにはいろんなパス・インディペンデンスもあって、難しい。教科書とはいえ、『仕事の経済学』で知的熟練論を人的資本論や職能資格給と結びつけて説明する必要があったのかなと個人的には今では思います。ちなみに、年功賃金と職能資格給を一緒くたにする議論がありますが、職能資格給は本来、職務分析を前提にしていて、つまり本来は無限定の能力という話では全然、ありません。そうなっているのは、導入に失敗したケースです。

あと、小池先生は二年赤字で解雇が始まる、終身雇用は幻想という立場だったと思うのですが、いつの間にか終身雇用の擁護者みたいな位置づけにされていて、そこは前から謎でした。

2000年代に入ってじつは『ものづくりの技能』を深めた『海外企業の人材育成』がすごく重要だと思うんですが、私はまだここら辺になると、消化し切れてません。差し当たり、藤本先生の書評と、座談会の記録1記録2がありますので、紹介だけしておきます。実は、このあたりになってくると、「組織」の問題がダイレクトに取り扱えるようになってきます。とくに、ブルーカラーの上位の人たちが設計などに関わるようになってくる。これは2000年代以降の傾向なんですが、コンピュータ・グラフィックの進化の影響です。設計図を読めなくても、コメントすることが出来るようになる。もちろん、これは全員ではなく、小池先生はトップ10%と言います。

小池先生は90年代のご研究のなかで日本企業の特徴として「遅い選抜」ということを主張されていました。小池先生の議論は、日本はトップエリートはともかく中間層が優秀なんだということが前提にあって、「遅い選抜」はそれに見合った制度でした。しかし、濱口先生がいう90年代、実際には1980年代の前半から中高年層の処遇問題がありました。これは知的熟練論よりも1970年代に奥田健二先生が提起していたラインを重視する人材育成の方がマッチします。実際、これは広く受け入れられていた。ところが、管理職ポストの問題が出てくる。80年代以降の分社化の流れには、表向きは多角化ですが、この処遇問題、分かりやすく言ってしまえば、分社すれば社長の椅子が一つできる、という管理職ポスト問題が裏テーマとしてありました。しかし、結果としてこの多角化はあまり成功したとは言えませんでした。それから、日米貿易摩擦とその帰結としてのプラザ合意に単を発する円高問題で、海外現地生産が増えます。これらによって日本の製造業の前提条件が大きく変わりつつあります。私はこの前提条件が変わる中で、日本企業の強さは後退するのではないか、少なくとも継承できなくなるのではないかと思っていますが、それはまた別の話ですね。

「遅い選抜」というのはファスト・トラックを作らないで、多くの人にチャンスを与えるということですが、それだけ正社員が確保される必要があります。ところが、非正規雇用が増大している現実を前にそうした制度が維持されるのか、というところに疑問があって、労働問題ではそういうことが議論されて来たわけです。まあ、しかし、一人に期待しすぎてもどうしようもないので、ちゃんとした代替案を自分たちが出せばいいだけだと思いますが。

小池先生のご研究は結果的に1970年代後半に指摘されていた「組織」の問題に帰って行きました。ただし、それはあくまでも結果的にです。もともと持っていた日本企業の競争力という御関心がそこにはありました。

私は日本企業が海外進出を進めると、日本企業の生産方式を学んだ海外の人が強くなって、日本人は負けて行くのではないか、という疑問を持っていて、それを先生にお伺いしたことがあるんですが、その可能性(高いと思われているのか、低いと思われてるのかは分かりません)は認められて、しかし、それが問題であるという感じではなかったように思います。たぶん、本当は現に経済競争が行われているのだから、それは所与なんだ、というだけのことでしょうが、私は別の希望的解釈をしています。先生は愛国者という側面が左系の研究者との対比でも際立って来ましたが、じつはそれと同じくらい、あるいはそれ以上にサッカーを愛されていて、同じルールのもとで競争するのは当然、ということなんだろうな、と個人的には思うことにしています。これだけ真面目にエントリを書いて来て、オチがひどくてすみません。。。
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今考えていることと、リンクしたので、一応、忘れないようにメモ代わりに。

実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議

濱口先生が刺激的と話をした、富山委員の提言ですが、たしかに面白い。ただ、これはもう一段、考えなければならないことがあります。
富山委員は、グローバルとローカルという対立軸を考えているのですが、ローカルというのは地域社会レベルで考えなければダメで、強いて言えば、この中間にドメスティックを入れる必要があるだろうということです。

コメントで指摘されていることもそうですが、要は問題は仕事の需要がないのに、それを排出してどうするんだということなんです。これは職業訓練もキャリア教育も同じです。ある方が仰っていたのですが、職業訓練は学生にその道で食べて行く覚悟させることが一番肝要なんです。問題は、覚悟させた学生に受け皿がない、この問題をどう考えるか、ということです。

今の就職問題、私はマッチング機能に問題があり、学生も会社の人事部も困難で、笑っているのはリクルートと毎日コミュニケーションだけじゃないかと思っていますが、そのもっと背後には、仕事があるのかということがあります。以前も濱口先生と議論したときに、そもそも景気が良くなれば、問題の大半は解決するということを書きました。基本は労働需要不足である、と。それはそうなんだけれども、その所与の条件下で何かをやるということが大事だ、という話でした。

で、これからの社会政策的な課題として、生活、仕事を含めた地域社会づくりがあるわけです。もちろん、そんなことは誰でも分かっていて、散々議論して来た。教育に引きつけて言えば、非常にマイナーだけれども、戦後の社会教育計画というのは、そういうことをやろうとしたわけです。

ここでもう一つ、ドメスティックの下に、ローカル、地域社会を位置づけるということとの関連で言うと、夏に話題になった増田グループの人口急減社会の問題がある。つまり、東京でさえも人口減になる、ということです。これは当たり前で、首都圏にすんでいて、首都圏が少なくとも満員電車などを含めて、とても育児に優しい社会だとは思えないでしょう。ということは、子どもは減る。東京が人口が増えるのは外から来るからですが、要するに、地方で食べられなくなって、とりあえず東京に流れている。ということは、地方がまず疲弊している。疲弊しているだけならよいが、消滅すれば、東京に流れてくる人もいなくなり、やがては東京の人口減が始まる。


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ということは、やるべき課題は地方再生ということです。私から言わせれば、このリンク先の議論さえ、根本というよりは些末な議論に思えるのです。少なくとも、産業振興とセットでやらなければ難しい。もちろん、これは今、大学で行われているプロジェクト・ベース教育と相性がよいのですが、実際には道半ばと言わざるを得ないのです。何が足りないのかは分かりませんが。

いずれにせよ、職業訓練化するなら、その受け皿を作る話とセットでないと、多くの犠牲者を出すだけだと思います。

まあ、今日はとりあえず、ここまで。他のことをやらないとならないので。
学祭の法政大学多摩キャンパスに降り立ち、ひたすら図書館にこもってました。今日、読んでいたのは、鈴木栄太郎の『日本農村社会学原理』と『都市社会学原理』、それから奥井復太郎『現代大都市論』、その他関連文献。いやあ、昔の人はすごいなあ。

戦前、柳田や熊楠の民俗学や、法社会学・法制史、社会学の実態調査が1920、30年代に蓄積されていった。鈴木がこの本を出した1940年は、そうした成果を、アメリカのシカゴ大学の都市社会学やrurban sociology(都鄙農村社会学、ruralとurbanの合成造語)を横目に見ながら、理論的に整理する必要があったのだろう。これは富永健一が指摘した通り、今風に言えば、中範囲の理論ということになる。たぶん、その後の日本の農村の展開などを踏まえると、このタイミングで書かれなければ、書かれることがなかった名著だろう。ただ、当然と言えば当然だが、鈴木はこの農村社会学原理の発見にかなり囚われた、と思う。こういう言い方は身もふたもないけれども、彼の都市社会学はかなり篤実な研究だが、その根本においてどうしても農村社会学を転倒させた、とみられるところがある。

今となっては思い出せないが、私は都市と農村ということに院生時代から興味だけは持っていた。持っていたけれども、今日になって初めてこれを読んだということは、都市社会学も農村社会学も本格的には勉強していない。せいぜい有賀喜左衛門を読んだくらいだ。ああ、思い出した。雇用関係の歴史を勉強するので、法社会学や法制史の文献を少しかじったことがあったんだった。段々、思い出した。昨日の研究会で名前を出したくて忘れていた中川善之助。『民法風土記』は面白かったなあ。

話を戻して、鈴木栄太郎の自然村の概念は、共同体論の粋だろう。読んで驚いたが、ものすごい理論的な概念なのね。冗談で言えば、マニュ論争で、労農派が正しかったことが立証できれば、自然村をひっくり返せるのかも(笑)。

しかし、都市は分からない。もう少ししたら、関一と井上友一の再考を含めて、奥井に戻って来ないとダメだな。それはそうと、小松隆二先生の奥井社会政策論はやや贔屓の引き倒しだと思う。戦前はむしろ、労使関係に限定しない方が社会政策としては主流、それはたとえば、社会政策体系なんかを見てみると、明らか。これは内務省地方局の勝利。みんなが思っているように、社会局じゃない。そのもっと前の地方局。しかし、それも今から考えると、社会政策=労働問題と固定化されないようにするカモフラージュだったのかも。このあたりはよく分からない。大正5年くらいから内務省あたりですごいルーズになんでも社会政策と呼び始めたというのは、神戸正雄のどこかのエッセイに書いてあった。彼は救済事業調査会の委員でもあるし、そういうところに近い人だったと思う。

まとまらないけど、もともと、このブログはそういうところなので。
昨日、一昨日、岡山大学で開かれた社会政策学会に参加して来ました。ここ最近は私のブログで何が書かれるかチェックするのをひそかに楽しみにしている方もいらっしゃるようなので、期待に応えたいところですが、じつはあんまりよく聞いていなかったので、そんなに詳しいことは書けません。

昨日の共通論題の濱口先生の報告はさすがでした。フル・ペーパーを読んでもさっぱり分かりませんでしたが、話を聞いているうちに分かりました。これは証拠というか、資料という意味合いをレジュメに込めたせいでしょう。EU全体の政策についてですが、その中でも理想とされるモデルがあること、それがデンマークからドイツへ移行して行ったこと、そして労使の究極形態である労使自治と法による規制の相克など、興味深い論点が多くありました。しかし、内在的な質問はほとんどなく、非常に残念でした。

といって、田中ドイツモデルと菅沼さんのデンマークの話は、打ち合わせで聞けなかったので、内容は割愛、後半の日本の問題提起はなんというか、戦略上のナイーブさが質問のなかで指摘されて、学会だからこそそういうことを捨てた議論をしたいというお答えという経路に行ってしまったのですが、本人の意向を汲んで、ちゃんと内容的に毒にも薬にもならない、と言えばよかったのではないかと思いました。私はちらっと発言しましたが。まあ、安倍政権のジョブ型正社員が危ないという主張をお持ちなら、もともと濱口さんが言い出したことなんだし、どうなんですかくらい突っ込めば、少しは緊張感があって面白くなったと思います。

もっとも、濱口さんがどう答えるかは、別のところでの発言(というか前から一貫してますが)からも分かります。つまり、社会の中核は、役人がどういう意図を持って変えようとしても、変わらない。事実、それを繰り返して来た。というところで、おそらくジョブ型社会には今のままではならないということでしょう。勝負はそこではなく、結果的にそこに落ち着くだろう、周縁的なところなのです。

私は一応、質問したんですが、学会内政治的な意味での質問で、ヨーロッパの場合は、EUという核があって、そのなかでモデルがあり、ドイツからデンマークになった、今回の報告もそれに対応して分かる。ただ、コメントの日本だけはただ一国であり、これはどこの圏に所属するのか、ASEAN+アルファになるのか、TPPのように環太平洋ということになるのか、あるいは考えなくてはならないのか、ということでした。その答えは、日本はアジアではないということだったのですが、それは濱口先生が私の芝居につきあって下さったということなのですが、事実、そのリプライを喜んでいる人もいました(笑)。

懇親会で、なんであんな質問をしたのかと言われて、まあ、ヨーロッパだけでなく、アジアこそ重要なんだと東アジア部会まで立ち上げているグループへの揶揄もあるわけですが、そこは二枚腰をこちらも用意しています。つまり、アジアはヨーロッパでいえばEEC以前の状態。でも、逆に言えば、EUはヨーロッパという理念を体現しているかのようだけれども、もともと経済協定で、それが発達した。ということは、経済協定を橋頭堡に何か生まれるかもしれないということで、それがさしあたりASEANなのか、環太平洋なのか分かりませんが、将来のことを踏まえても、一国を超えたグループを考える必要があるだろうということなのです。

というか、質疑応答は個別論点にわたり、私は内容をメモしていないので覚えていませんが、そのレベルは相当に高いものだったと思いましたし、事実、私がお話しした何人かの、しかし、私が実力的に信頼する人たちはさすが社会政策学会のレベルの高さを感じたということでした。ただ、いずれも一国、労使関係という旧来の枠の中だけの話であったと思います。だからこそ個別論点では、デンマークはどうですか、ドイツはどうですか、(そしておそらく気を遣って)EUはどうですかといった珍妙な質問が飛ぶことになります。それは冒頭に戻って言えば、EUという枠がなかった。あの数多い討論の時間のなかで、唯一その点を指摘したのが深澤先生だけだったと思います。ただ、惜しむらくは、深澤先生は会場の皆さんに情報をシェアするために、フランスの事例など事実レベルの話も多くいれてしまったので、そこんところは隠れてしまった感がありました。

あとは、いろんなところで聞くんだけど、日本の産別がダメ、ナショナル・センターがダメというときに(本当にダメかどうかは別にして)、企業別組合だからダメという論理はいいかげん何とかならんかな。産別も、ナショナル・センターもそれぞれ問題は抱えていると思うけど、企業別組合を前提に運用されているこれらの組織の内在的なところに入って行って、もう少しきちんと分析しないと生産的にならないし、そもそも50年以上前に運動上のスローガンから始まったこの定理がそのままスローガンであったことも忘れ去られ、継承されて唱え続けられているというのは、なんというか、グレシャムの法則ですね。まあ、そもそも良貨じゃないけど。。。

濱口さんの報告は相当にレベルが高い、というのが私が昨日のバスの中で聞いた話で、結局、多くの人は理解できなかったのではないか、というのが私の見解。それを受けて、レベルは高くても外在的質問が多い、内在的に質問するのは難しいという話なんですが、あとで考えると、これって実例を見て学んで行くしかないよなと思います。そういう意味では、私は本人が持っている武器を本人から奪って本人以上に上手に使って追いつめて行くという猛者たちと、それに切られた多くの友人、もちろん私自身も、見て来たので、それは有り難い経験だったと今になって思います。

長くなったので、二日目は明日。といっても、自分のことだけですけど。

追記 そういえば、ちゃぶ台返しっていうけれども、難しくてちゃぶ台がどれか分からない、という話を今日のお昼にしてたな笑。
POSSEの24号、いただきました。いつも、ありがとうございます。今回から稲葉剛さんの連載が始まったんですね。これは楽しみ。そして、ひっそり、仙台POSSEの被災地通信が終ったんだな、残念。hamachan対談、人を最初えーっ!と驚かせて、最後、常識的なところに落ち着く、というのは「つりばし効果」を利用した一つの手法なんだなという感想。

雑誌としてはここ数号で全体の構成が安心して見られるようになって来ました。バランスよく、現場が分かる記事があり、少しだけ理論的なことが分かるような記事がある。

小さい記事だけど、編集部の「相談機関の統廃合によって何を失うことになるのか」が重要な記事です。これは東京の事例ですが、既にほとんど潰されたところも結構あります。こういう問題をさらに、学術的に深めていく考察と、あわせて掲載されるといいですね。

仁平さんの今日の記事、掛け合いは面白いけど、内容はきわめて怪しいなあ。フォードシステムが行き詰って多品種少(量)生産に70年代に転換したという話ですが、経営学では、1920年代にGMがフルライン戦略でフォードを抜き去っていて、この時点で転換したと言うのが教科書レベルの常識で、その常識が間違っており1920年代には自動車のニーズが「開放型ボデー(オープンカー)」から「閉鎖型ボデー」に代り、そこではフォードは価格競争力でもそんなに優位に立っていなかったというのが和田一夫先生の議論なんですが。。。教科書レベルの話すら入っていない。頭が痛いですね。『ものづくりの寓話』、61-75頁を読んでくださいね。


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(2009/08/10)
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仁平さんの話って、スズカン・寺脇さんの『コンクリートから子どもたちへ』と同じレベルなんだけど、なんかある世界ではこういう共通了解が出来てるのかな。困ったもんです。小池和男先生の議論までは理解しなくてもいいけど、せめて藤本隆宏先生の「標準の絶えざる改訂」ということくらいは分かって欲しいなあ。そういう基本的なことも理解できるように、あの本を書いたんだけど、なかなかそうは伝わらない。難しいですねえ。

フォーディズムとか、ポストフォーディズムで何かを語る人はよく分かってない蓋然性が高い、というのが私の持論です。