2015年04月30日 (木)
というわけで、かどうか分かんないけど、木村元『学校の戦後史』を読んでる。森さんたちの反応を見ているととても重要そうな本なので。
結果から言うと、とても面白かった。一番、面白かった点はこの本のディシプリンがなんだか分からないくらいにいろんなことが書いてあることだと思う。学校の社会史でもあるし、社会の中の学校史でもある。教育内容(カリキュラム)に踏み込んでいるところは教育プロパーという感じで、教育社会学っぽい雰囲気ではない。
その上で、もっと社会政策史研究がしっかりしていたものが出ていたら、この本はきっともっと豊かになっていただろうなと感じるところが多くあった。これはどう考えても著者の責任ではなく、社会政策研究者の方の責任だろう。こういう立派な本が出たのだから、我々はこれをどうやって摂取して、豊かなものを書けるかということを考えていかなければならないだろう。
現代を考える上で必読と言いたいけれども、新書として予備知識のない人に分かりやすい内容なのかどうかはよく分からない。分かんないけど、学校って卒業した後、どう変わってるかってよく知らないので、私には4章の現代の動向も新鮮で、断片的に聞いてた話が、ああそういうことなのかと教わることしきり。
個人的には、
・人口問題と社会政策(都市計画ないし国土計画の展開も視野に入れて)を考えること。それを踏まえて、『人口と教育の動態史』の成果を摂取すること。この作業において、地域と人口の動向は重要だが、そもそもこういう掘り下げ方が必ずしも社会政策分野でなされてきたわけではないので、そういう意味でも、まずは木村の研究から直接、学ぶことが多すぎる。あと、地域教育計画も出てたけど、越川さんの研究も大事。
・戦前、教育の位置づけを捉え直すこと。そんなに簡単に国家統制の一語で片付けられない。具体的には、地方改良運動の位置づけ、教育勅語の位置づけ、国家神道との関わり(近年の神道研究を踏まえて)、文部省の新教育の摂取(特に澤柳政太郎の試み)、成城学園での実験的授業とプラグマティズム、義務教育延長(4→6年)のタイミングでの成人教育の隆盛とそれを受けての義務教育延長(吉田熊次の18歳理想論)、阿部重孝だけではなく昭和研究会とりわけ内務省関係者の教育論、青年学校とは何か、学校の社会化と公民教育の隆盛と普選など、ちゃんと自分で同時代の文献などを見て、確認しないと何とも言えない。
・逆に言うと、戦前をわりと単線的に捉える「常識」の上に形成されてきた戦後の教育とは何かを考えること。
・やっぱり日教組研究は重要。特に労働運動史との関係で位置づけること(これ、そもそもTU研で私に課せられた課題だった・・・)
・ヨーロッパが近世の職業社会を作り替えて今のジョブ型社会を作ったことと、それとは別の形で、日本のメンバーシップ型社会を形成したことをちゃんと位置づけてから、職業教育や教育の職業的レリバンスを考えたいところ。ただ、これ、何年も前からやろうやろうと言っていて、放ってあるので、たぶん、やらない。大事な問題だけど。
・でも、それとたぶん関係あるんだけど、アメリカの専門職論、とりわけフレックスナーのそれは、近代学校による伝達可能な知識であることを成立要件の1つに数えていた。しかし、そういう専門職は1970年代に徹底的に批判され、固定的な知識よりも、いろんな状況に対応できる知、そのものが注目されるようになった。たぶん、この事情をよく反映したのが澤田さんご推薦のドナルド・ショーンの『省察的実践とは何か』。ショーン自身コンサルも経験しているのでこの本の中にはそういうことも含まれているが、経営学における組織学習のような話もここと関連する。そういう社会構造の変化の中で生まれてきた知と、その変化は経験してないけども、そこで生まれてきた知は輸入して、何らかの影響を受けている日本では、この問題をどう考えればよいのだろうか(ということを二宮さんのような経験と学識のある人に論じて欲しいし、それに対する教育の澤田さんからのコメントが聞きたい)。
・「ケア」という論点は、教師の専門職性、福祉と教育との関係などを結ぶだけでなく、70年代以降の専門職全般の問い直しとも関係している。どこから手をつければいいのかまったく分からん。
・産業社会、消費社会、情報社会というような大雑把な言い方はいかがなものか、といつも思う。ただ、70年代が1つの画期だよねというのは、どうもいろんなところで、みんなが感じていると思うんだけど、どうやって表現すればいいんだろう。私はオイルショックで語ってるけど、それは賃金を語るときの狭いスコープだよね。産業社会から消費社会へというのは、二次産業と三次産業の逆転のことかな。
・学校の教育史の裏面史として塾の歴史も知りたい。学校以前の私塾。それを予備校がどう引き継いだのかとか。あと斎藤秀三郎の正則英語学校とかは学校化するけど、塾的雰囲気もあるし、というか、初期の私学はみんなそうか。もう少し後の時代だと協調会の研究にある農村の塾風教育。戦後の予備校の歴史(と変遷)。
・情報産業も歴史的変遷があって大量の情報処理という側面と、プロセス・イノベーションを伴うようなものと両方がある。偏差値が可能になったこと、共通一次試験によるマークシートテストなどは前者の文脈で考えなきゃいけないけど、それ以外のICT教育等はまったく別次元で考えることのように思う。よく分かんないけど、教育管理手法と、教育内容およびその手段という感じかな。
・外国人教育の問題は、外国人労働者問題と切り離すべからざる問題だけど、この分野は社会政策的にも重要テーマであっても、なかなか包括的なものがなくて難儀していました。最近、上林先生が『外国人労働者受け入れと日本社会』を出されたので、とっかかりにはなるかな。これまた、重要テーマだけど、勉強しなきゃならないなあ。
といったところかな、これを読んで考えたこと。いずれにせよ、こんな薄い一冊なのに、すごく内容が濃くなっています。何より同時代史でもあり、今後どうなるのかということを示唆する内容も4章には散りばめられている。よく歴史研究に現代とどう繋がるのかという問いを投げかける人がいるけれども、現代というのは現代という一時代であって、たとえば、戦前の研究からそこまでつなげるのは本当に至難の業なんですよ。そういう意味で、歴史研究者(教育史)でここまで日本近代教育の来し方行く末を照らすというのはすんごいことです。折に触れて読み返したい本です。
ところで、上に書いたことを踏まえて、A4で15枚弱、1章で近代教育と社会政策の関係を論じたいんだけれども、無理なんじゃないかという気がしてきた。この本のあわせ鏡になるように書くというのはひとつのあり得べき方法だよな。
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結果から言うと、とても面白かった。一番、面白かった点はこの本のディシプリンがなんだか分からないくらいにいろんなことが書いてあることだと思う。学校の社会史でもあるし、社会の中の学校史でもある。教育内容(カリキュラム)に踏み込んでいるところは教育プロパーという感じで、教育社会学っぽい雰囲気ではない。
その上で、もっと社会政策史研究がしっかりしていたものが出ていたら、この本はきっともっと豊かになっていただろうなと感じるところが多くあった。これはどう考えても著者の責任ではなく、社会政策研究者の方の責任だろう。こういう立派な本が出たのだから、我々はこれをどうやって摂取して、豊かなものを書けるかということを考えていかなければならないだろう。
現代を考える上で必読と言いたいけれども、新書として予備知識のない人に分かりやすい内容なのかどうかはよく分からない。分かんないけど、学校って卒業した後、どう変わってるかってよく知らないので、私には4章の現代の動向も新鮮で、断片的に聞いてた話が、ああそういうことなのかと教わることしきり。
個人的には、
・人口問題と社会政策(都市計画ないし国土計画の展開も視野に入れて)を考えること。それを踏まえて、『人口と教育の動態史』の成果を摂取すること。この作業において、地域と人口の動向は重要だが、そもそもこういう掘り下げ方が必ずしも社会政策分野でなされてきたわけではないので、そういう意味でも、まずは木村の研究から直接、学ぶことが多すぎる。あと、地域教育計画も出てたけど、越川さんの研究も大事。
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・戦前、教育の位置づけを捉え直すこと。そんなに簡単に国家統制の一語で片付けられない。具体的には、地方改良運動の位置づけ、教育勅語の位置づけ、国家神道との関わり(近年の神道研究を踏まえて)、文部省の新教育の摂取(特に澤柳政太郎の試み)、成城学園での実験的授業とプラグマティズム、義務教育延長(4→6年)のタイミングでの成人教育の隆盛とそれを受けての義務教育延長(吉田熊次の18歳理想論)、阿部重孝だけではなく昭和研究会とりわけ内務省関係者の教育論、青年学校とは何か、学校の社会化と公民教育の隆盛と普選など、ちゃんと自分で同時代の文献などを見て、確認しないと何とも言えない。
・逆に言うと、戦前をわりと単線的に捉える「常識」の上に形成されてきた戦後の教育とは何かを考えること。
・やっぱり日教組研究は重要。特に労働運動史との関係で位置づけること(これ、そもそもTU研で私に課せられた課題だった・・・)
・ヨーロッパが近世の職業社会を作り替えて今のジョブ型社会を作ったことと、それとは別の形で、日本のメンバーシップ型社会を形成したことをちゃんと位置づけてから、職業教育や教育の職業的レリバンスを考えたいところ。ただ、これ、何年も前からやろうやろうと言っていて、放ってあるので、たぶん、やらない。大事な問題だけど。
・でも、それとたぶん関係あるんだけど、アメリカの専門職論、とりわけフレックスナーのそれは、近代学校による伝達可能な知識であることを成立要件の1つに数えていた。しかし、そういう専門職は1970年代に徹底的に批判され、固定的な知識よりも、いろんな状況に対応できる知、そのものが注目されるようになった。たぶん、この事情をよく反映したのが澤田さんご推薦のドナルド・ショーンの『省察的実践とは何か』。ショーン自身コンサルも経験しているのでこの本の中にはそういうことも含まれているが、経営学における組織学習のような話もここと関連する。そういう社会構造の変化の中で生まれてきた知と、その変化は経験してないけども、そこで生まれてきた知は輸入して、何らかの影響を受けている日本では、この問題をどう考えればよいのだろうか(ということを二宮さんのような経験と学識のある人に論じて欲しいし、それに対する教育の澤田さんからのコメントが聞きたい)。
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・「ケア」という論点は、教師の専門職性、福祉と教育との関係などを結ぶだけでなく、70年代以降の専門職全般の問い直しとも関係している。どこから手をつければいいのかまったく分からん。
・産業社会、消費社会、情報社会というような大雑把な言い方はいかがなものか、といつも思う。ただ、70年代が1つの画期だよねというのは、どうもいろんなところで、みんなが感じていると思うんだけど、どうやって表現すればいいんだろう。私はオイルショックで語ってるけど、それは賃金を語るときの狭いスコープだよね。産業社会から消費社会へというのは、二次産業と三次産業の逆転のことかな。
・学校の教育史の裏面史として塾の歴史も知りたい。学校以前の私塾。それを予備校がどう引き継いだのかとか。あと斎藤秀三郎の正則英語学校とかは学校化するけど、塾的雰囲気もあるし、というか、初期の私学はみんなそうか。もう少し後の時代だと協調会の研究にある農村の塾風教育。戦後の予備校の歴史(と変遷)。
・情報産業も歴史的変遷があって大量の情報処理という側面と、プロセス・イノベーションを伴うようなものと両方がある。偏差値が可能になったこと、共通一次試験によるマークシートテストなどは前者の文脈で考えなきゃいけないけど、それ以外のICT教育等はまったく別次元で考えることのように思う。よく分かんないけど、教育管理手法と、教育内容およびその手段という感じかな。
・外国人教育の問題は、外国人労働者問題と切り離すべからざる問題だけど、この分野は社会政策的にも重要テーマであっても、なかなか包括的なものがなくて難儀していました。最近、上林先生が『外国人労働者受け入れと日本社会』を出されたので、とっかかりにはなるかな。これまた、重要テーマだけど、勉強しなきゃならないなあ。
![]() | 外国人労働者受け入れと日本社会: 技能実習制度の展開とジレンマ (2015/03/31) 上林 千恵子 商品詳細を見る |
といったところかな、これを読んで考えたこと。いずれにせよ、こんな薄い一冊なのに、すごく内容が濃くなっています。何より同時代史でもあり、今後どうなるのかということを示唆する内容も4章には散りばめられている。よく歴史研究に現代とどう繋がるのかという問いを投げかける人がいるけれども、現代というのは現代という一時代であって、たとえば、戦前の研究からそこまでつなげるのは本当に至難の業なんですよ。そういう意味で、歴史研究者(教育史)でここまで日本近代教育の来し方行く末を照らすというのはすんごいことです。折に触れて読み返したい本です。
ところで、上に書いたことを踏まえて、A4で15枚弱、1章で近代教育と社会政策の関係を論じたいんだけれども、無理なんじゃないかという気がしてきた。この本のあわせ鏡になるように書くというのはひとつのあり得べき方法だよな。
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2015年04月29日 (水)
日曜日に日米社会学史茶話会で報告して来ました。報告内容は、社会政策の立場から社会学とか社会調査とかこんなことまで抑えているんだよ、という話をしてくれ、という依頼だったので、大まかに社会政策の変遷を語って、社会政策・社会福祉学(ないし社会事業学)・社会学の由来が日本では独立している事情などを話してから、明治以来の社会調査を軽く一望して、1920年代くらいに領域社会学が立ち上ってくる話をしました。書いてて思ったけれども、社会行政の成立過程って、あんまりいらなかったかもなあ。
えーと、某所で君のブログは傷ついている人がいっぱいいると思うよと言われたので、名前はなしで行きます。ただ、社会政策関連の方もひそかに?見ていらっしゃるらしいので、予告しておきますが、社会学的社会政策の議論に関して言いたいことがあると言われ、それはここでやるより、社会政策学会の方がよいと思います、という発言をいただきましたので、記して、楽しみにしています、ということだけは書いておきます。
もう数日、経ってしまったので、すでに記憶が曖昧なのですが、その後、教育関連の話を森さんがfacebookに書いていて、それで教育社会学の成り立ちに少し思いをはせました。というのも、一応、戦前にも田制成重という人が教育社会学をアメリカから輸入しようとして、本を出版しています。1920年代のことです。でも、結局、戦前に教育社会学という分野は根付かなかった。本格的に再出発するのは戦後です。
そういう風に考えると、ちょっと領域社会学の成り立ちの時間差を考えるのも面白いなと思います。たぶん、時間的には、法社会学、農村社会学、家族社会学が一番早くて、その次に都市社会学でしょうか。都市社会学の成り立ちをどこに求めるかというのは一つの論点ですが、私のように池田宏(あるいは井上友一)も入れていいんじゃない?と考えれば、1910年代ですし、山口正の本ということであれば、1920年代ですし、スタンダードな奥井復太郎からということになって、彼がやっていた都市経済学と都市社会学を分けて考えるということになれば、1930年代かあるいは1940年の『現代大都市論』になるかもしれません。いずれにせよ、この三つは早い。
それに比べると、教育社会学と産業社会学(その前段としての職業社会学)などは少し遅いですね。高田保馬なんかが分業を重視していたことを考えると、なんで職業社会学のようなものがもう少し早く出てこなかったのかは謎です。でも、尾高邦雄『職業社会学』が1941年だから、そんなものか。
今回、社会調査を当時の人たち(戸田貞三、山口正)が考えていた範囲、すなわち社会事業的な実践としての調査から始まったものとしてではなくて、もうちょっと現代の社会調査で考えられてる広い範囲、行政の調査なんかも入れて考えましょうという風にしました(行政調査を考えるときは行政が重要だけど、それならもっと本格的に必要だった)。それはなぜなのかということなのですが、領域社会学の成り立ちを考える際に、その材料を提供したのは明らかに司法調査や慣行調査なんですね。社会改良主義的な調査だとそのことが入ってこない。
こうした調査を入れてくると、欧米からの輸入だけでなく、日本の中で育ってきた学問、具体的には国学の存在を見逃すわけにはいかないんですね。国学の研究というのは、意外と根強くあって、それこそ近世以来の伝統を継承しているなという感じなんですが、とにもかくにも手堅い考証がベースです。若いとき、私は「実証」という言葉を嫌って、「考証」という言葉を好んで使ってましたが、何かの法則を確認するような「実証」ではなく、モノ・コトそのもののありようを「考証(事実の再現)」を目指したからです。今ではそんな細かいことはあんまりこだわらない(というか、そこからスタートすると議論が進まない)のですが、そうだったな、とこの間、大分、懐かしく思い出しました。まあ、この話をしたのは一人の友達だけですが。
結局、法社会学と農村社会学が早めに成立し得たのは(日本場合、家族研究は農村研究から出ている側面が大きいので、とりあえずオミット)、社会調査の成果なのではないかという気がするんですね。入れ物だけだったらたしかに欧米から輸入してくることが出来るんだけど、その社会を社会学する素材=中身までは輸入できないので、自分で調達しなければならない、ということじゃないかな。
研究会のなかで1924年の社会学会創設の頃、当時の若手であった高田保馬たちが綜合社会学から領域社会学を重視するということを主張していた話が出てきました。領域社会学というか、ジンメルの形式社会学の話のような気もしますが、言っていることは同じでしょう。ただ、これはそれこそ昔、清水幾太郎が自伝で回想してましたけれども、これよりもっと後の時代、学会で綜合社会学が古くなってしまった当時、ある飲み会の席で綜合社会学が揶揄される場面があり、清水はその場で同調するフリをしてしまうわけですが、あとから考えてみれば、コントを研究している自分こそが異を唱えるべきではなかったか、というんですね。清水は、その揶揄した面々を見て、本気で綜合社会学を批判して形式社会学の優位を探求した人はいなかったし、自分も含めてそういう人間関係の空気に流されてしまうことこそが学問を停滞させている(というところまでは書かないで)ことを暗示させています。
社会学に限定していえば、綜合社会学を廃棄したことは、サイエンスという言葉が持っていた「体系性・総合性」を後退させたといってよいでしょう。それはそのまま、手続きを重視する「方法」探求の方向に向かわせていった。それにある程度のストップを唱えたのがミルズの「社会学的想像力」の議論じゃないかなと思います。ミルズの批判は、一方でパーソンズの機能主義に向けられ、他方で組織化する社会調査とその歯車になっていく社会学者に向けられていました(と思っているけど、読み返したら違うかな)。このあたりの混交が、社会学、とりわけ歴史社会学の著作が門外漢の私をして、面白い素材はいっぱいあるけど、なんの話をしてるのか分かりにくい、という気にさせるのではないかと疑ってます(この話はまあ、いいや)。
失った「総合性」ということを、社会調査をテコにある程度、取り戻すことが出来るのではないか、ということを今回の報告、それから『社会調査事典』を見ていて思いました。この『事典』はリーダブるなリファレンスで、本当によい本だと思います。一研究室に一冊ですね。
えーと、某所で君のブログは傷ついている人がいっぱいいると思うよと言われたので、名前はなしで行きます。ただ、社会政策関連の方もひそかに?見ていらっしゃるらしいので、予告しておきますが、社会学的社会政策の議論に関して言いたいことがあると言われ、それはここでやるより、社会政策学会の方がよいと思います、という発言をいただきましたので、記して、楽しみにしています、ということだけは書いておきます。
もう数日、経ってしまったので、すでに記憶が曖昧なのですが、その後、教育関連の話を森さんがfacebookに書いていて、それで教育社会学の成り立ちに少し思いをはせました。というのも、一応、戦前にも田制成重という人が教育社会学をアメリカから輸入しようとして、本を出版しています。1920年代のことです。でも、結局、戦前に教育社会学という分野は根付かなかった。本格的に再出発するのは戦後です。
そういう風に考えると、ちょっと領域社会学の成り立ちの時間差を考えるのも面白いなと思います。たぶん、時間的には、法社会学、農村社会学、家族社会学が一番早くて、その次に都市社会学でしょうか。都市社会学の成り立ちをどこに求めるかというのは一つの論点ですが、私のように池田宏(あるいは井上友一)も入れていいんじゃない?と考えれば、1910年代ですし、山口正の本ということであれば、1920年代ですし、スタンダードな奥井復太郎からということになって、彼がやっていた都市経済学と都市社会学を分けて考えるということになれば、1930年代かあるいは1940年の『現代大都市論』になるかもしれません。いずれにせよ、この三つは早い。
それに比べると、教育社会学と産業社会学(その前段としての職業社会学)などは少し遅いですね。高田保馬なんかが分業を重視していたことを考えると、なんで職業社会学のようなものがもう少し早く出てこなかったのかは謎です。でも、尾高邦雄『職業社会学』が1941年だから、そんなものか。
今回、社会調査を当時の人たち(戸田貞三、山口正)が考えていた範囲、すなわち社会事業的な実践としての調査から始まったものとしてではなくて、もうちょっと現代の社会調査で考えられてる広い範囲、行政の調査なんかも入れて考えましょうという風にしました(行政調査を考えるときは行政が重要だけど、それならもっと本格的に必要だった)。それはなぜなのかということなのですが、領域社会学の成り立ちを考える際に、その材料を提供したのは明らかに司法調査や慣行調査なんですね。社会改良主義的な調査だとそのことが入ってこない。
こうした調査を入れてくると、欧米からの輸入だけでなく、日本の中で育ってきた学問、具体的には国学の存在を見逃すわけにはいかないんですね。国学の研究というのは、意外と根強くあって、それこそ近世以来の伝統を継承しているなという感じなんですが、とにもかくにも手堅い考証がベースです。若いとき、私は「実証」という言葉を嫌って、「考証」という言葉を好んで使ってましたが、何かの法則を確認するような「実証」ではなく、モノ・コトそのもののありようを「考証(事実の再現)」を目指したからです。今ではそんな細かいことはあんまりこだわらない(というか、そこからスタートすると議論が進まない)のですが、そうだったな、とこの間、大分、懐かしく思い出しました。まあ、この話をしたのは一人の友達だけですが。
結局、法社会学と農村社会学が早めに成立し得たのは(日本場合、家族研究は農村研究から出ている側面が大きいので、とりあえずオミット)、社会調査の成果なのではないかという気がするんですね。入れ物だけだったらたしかに欧米から輸入してくることが出来るんだけど、その社会を社会学する素材=中身までは輸入できないので、自分で調達しなければならない、ということじゃないかな。
研究会のなかで1924年の社会学会創設の頃、当時の若手であった高田保馬たちが綜合社会学から領域社会学を重視するということを主張していた話が出てきました。領域社会学というか、ジンメルの形式社会学の話のような気もしますが、言っていることは同じでしょう。ただ、これはそれこそ昔、清水幾太郎が自伝で回想してましたけれども、これよりもっと後の時代、学会で綜合社会学が古くなってしまった当時、ある飲み会の席で綜合社会学が揶揄される場面があり、清水はその場で同調するフリをしてしまうわけですが、あとから考えてみれば、コントを研究している自分こそが異を唱えるべきではなかったか、というんですね。清水は、その揶揄した面々を見て、本気で綜合社会学を批判して形式社会学の優位を探求した人はいなかったし、自分も含めてそういう人間関係の空気に流されてしまうことこそが学問を停滞させている(というところまでは書かないで)ことを暗示させています。
社会学に限定していえば、綜合社会学を廃棄したことは、サイエンスという言葉が持っていた「体系性・総合性」を後退させたといってよいでしょう。それはそのまま、手続きを重視する「方法」探求の方向に向かわせていった。それにある程度のストップを唱えたのがミルズの「社会学的想像力」の議論じゃないかなと思います。ミルズの批判は、一方でパーソンズの機能主義に向けられ、他方で組織化する社会調査とその歯車になっていく社会学者に向けられていました(と思っているけど、読み返したら違うかな)。このあたりの混交が、社会学、とりわけ歴史社会学の著作が門外漢の私をして、面白い素材はいっぱいあるけど、なんの話をしてるのか分かりにくい、という気にさせるのではないかと疑ってます(この話はまあ、いいや)。
失った「総合性」ということを、社会調査をテコにある程度、取り戻すことが出来るのではないか、ということを今回の報告、それから『社会調査事典』を見ていて思いました。この『事典』はリーダブるなリファレンスで、本当によい本だと思います。一研究室に一冊ですね。
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