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地方改良運動を研究する以上は国民統合のことを考えなければならないということで、それならば、島薗先生の国家神道論を考え直そうとして、「19世紀日本の宗教構造の変容」『コスモロジーの「近世」』岩波書店、2001年を読み返している。『国家神道と日本人』で展開された議論の根幹の部分はここに集約されているように思う。

島薗「国家神道」論の宗教社会学における意義というのは、私にはよく分からないが、知識社会学ないし理解社会学という形でならば、ある程度、分かる。ざっくり言えば、この論文の肝は、明治期以降に形成されていった国家神道の基盤が江戸時代に生まれていたということで、それを優れて政治実践的な性格を持った支配イデオロギーの形成と(津和野派国学と水戸学の関係がここでは重要)、同時に神道化する民俗宗教の出現という大衆レベルでの宗教に対する価値観の変動(によって国家神道を受け入れる土壌が用意されたという意味で)に求めている。

国家神道の論争については、視点が違うのだから、そりゃ平行線になるわな、という感想と同時に、もっと突き詰めて考えて行けば、考証派国学の学風を継承する神道史研究では、当然、厳密な実証が求められるのに対し、しかし、どこかでそこは妥協しないと大きい話は出来ないという島薗先生の根本的な歴史研究に対するスタンスとの決定的な違いがある。もちろん、島薗先生だって考証史学の重要性はよくご承知で、しかし、その成果に出来るだけ則った上で、より大きい問題を考えて行かなければならない、ということがある。一応、重要なことなので、もう一度繰り返しますが、考証の成果を摂取した上で、というところがポイントです。そういうことを踏まえた上で、私はこういう試みはとても賛成である。細かい堅実な話も必要だけど、大きい話も必要。どっちも大事。そういう立ち位置を示した上で、ただ、難点もある。

この論文の中では、イデオロギー、その複合としてのコスモロジー、コスモロジーと融通無碍に交換可能な宗教という概念が鍵になっている。しかも、思想と宗教と相互交流の無い分業状態になっているので、この二つを一緒に考えましょうという大方針だけが示されて、その厳密な区別はしませんよ、とわざわざ断っている。これは論文の戦略上は一つの手法で、そこから議論して行ったら、それだけで紙幅が尽きてしまう、という事情もあるのでしょう。それでは本論にたどり着かない。でも、ちょっとここはこだわりたい。一体何が問題にされているのか。

コスモロジーというのは門外漢にはなじみない言葉だが、宇宙論というか、この森羅万象をどう捉えるかという世界観理解しておこう。論文中は、イデオロギーの複合=コスモロジーという表現もあるので、日本の思想では特徴的な混淆という現象を捉えているということだろう。ただ、同時に、私の直感的な感想だが、コスモロジーというよりも、この論文では国家神道の受容を用意した時代精神が探求されている、と表現した方がピンと来る気がする。しかし、時代精神ではイデオロギーや宗教思想からはなかなか架橋できない。そういう意味ではコスモロジーの方が適切だろう。

ただ、島薗先生のこの魅力的な構想に必ずしも賛成しない。というのも、島薗先生は教育勅語を一つの国家神道の到達点と考えられているのだが、もし詔書を重視するのであれば、教育勅語を補完する戊申詔書を重視したい。もう一つは、やはり明治天皇崩御が重要な契機ではないかと考えている。そういう意味ではモニュメントとして明治神宮はすごく重要だが、やはり「死」ということが一つの画期になるだろう。というのも、これは一つのイメージだが、森銑三のエッセイで明治天皇の逸話を集めたものがあって、明治人の自分たちにとってはこういう人間的なエピソードが嬉しいのだというような趣旨のことが書いてあって、それ以降の世代との差がそこにあるんだろうなという印象でそう考えてる。生きている人と故人とでは人々の向き合い方はやっぱり違う。

水戸学、津和野派国学が「教化」イデオロギーを用意し、これが国家神道の骨格になったという点はいい。その「教化」が実践的に地方改良運動を通じて広まったということが国家神道の普及に寄与した。ただ、それはあくまで、宗教体験(論文中では信仰体験)を伴う近世の宗教への関わり方とは結びつかないのではないかと思う。民俗宗教の神道化はあくまで神道化レベルであり、これを国民レベルに展開するには、知識人はともかく一般国民には難しいだろう。ここで戊申詔書を出さざるを得ないと少なくとも平田東助が判断した日露戦後の情勢を無視し得ないと思う。そういう基盤があっての明治天皇崩御と明治神宮造営が決定的だと思う。言うまでもなく、明治神宮造営においては地方改良運動の一翼を担った田澤義鋪の青年団が大活躍するのである。

と、ここまでは社会政策研究者としての私の関心で国民統合と思想の関係で考えて来たが、島薗先生の論文に即して言うと、宗教とコスモロジーとイデオロギーの関係はどう推移するの、というのは気になる。とりわけ、この大正期は世界的にもスピリチュアリズムが大流行り、国内では大正生命主義と大本の隆盛がある。今年出た『明治神宮以前以後』を読むと、当時の技術の粋を集め、それ自体が技術革新だった明治神宮造営であり、それがその後の神社には影響を与えて行ったらしい。ということで、このあたりの情勢を総合的にどう考えてよいのかは個人的には気になる。

ただ、結局、宗教体験と思想とイデオロギーと宗教の関係をどう整理してよいのかはよく分からずじまいだったな。
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