前回の社会政策と教育についての覚書からちょっと時間がたってしまいましたが、いくつか文献を読んでいると、なかなか面白い記述に出会いました。そのなかでもとびきりなのは荒井明夫編『近代日本黎明期における「就学告諭」の研究』東信堂、2008年と清川郁子『近代公教育の成立と社会構造』世織書房、2007年でしょう。この二冊は、社会政策史的にも必読の文献だと思います。

簡単に言うと、社会政策研究が比較的、自分たちの隣接分野だと考えていた教育社会学の分野では、竹内洋『日本のメリトクラシー』や広田照幸『陸軍将校の教育社会史』や、天野先生の仕事などでも、立身出世の世界が描かれているという印象で、それは比較的、社会の下層から中間層あるいは上層に駆け上がって行く仕組みの解明です。最初に挙げた二冊は教育によってもっとボトムラインから押し上げていく仕組みづくりの話で、6・3制のインパクトを見ながら、いやいや、意外と階層は温存されているよ、という苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』に繋がって行きます。

就学告諭というのは、1872年に頒布された学制(日本の近代教育制度の濫觴といわれています)以前の時期から、地方の府藩県や地元の有志たちによる近代的な学校を作ろうという啓蒙文書です。学制の後も作られている。私から見ると、中央からではなく、地方レベルでどうやって近代学校を作ろうとしたのかということが観察されていて、そこが面白い。やはり、中央統制だけで全国津々浦々に学校を作るのは困難で、地方におけるこうした下地や、教育要求があって初めて国民教育が完成したのでしょう。[荒井編,2008]では、今までは学制はフランスからの輸入という点で見られたけれども、実はこうした就学告諭の要求を統合したという側面があったのではないか、という仮説が提出されていて、今後の検討課題とされています。これは通説を大きく修正させるような大胆な仮説ですが、決してアクロバティックではなく、大量の史料観察に支えられているという点で、分野を問わず、このスケールでの転換が行われるというのは珍しいという事例です。今後の研究も楽しみです。というか、この7年の間に続きが発表されてるのかな。ご存じの方は教えて下さると、ありがたいです。

もう一つの清川さんの本も面白い。小学校の就学率は明治30年の義務教育無償化以降、上がって行くのですが、みんなが卒業するということになると、もう少し後の時期になる。それを清川さんは1910-1930年と見る。これだけ幅があるのは地域差です。この定着過程で、工場法と社会事業(児童福祉)の存在を重視しているのも面白いところです。これもある意味で、地方行政です。

そうすると、この二つの研究から見えてくるのは、教育(学校)を理解する上での補助線としての地方行政です。特に、荒井編の方は、始期と終期の設定で地方行政を利用している。廃藩置県の前の府藩県時代から、府県統合が落ち着く明治9年までです。もちろん、この間に学制頒布があって、その前後の変化を検討しています。しかし、その大きな枠に、地方行政を採用しているのは重要です。清川さんの本は4章において、ちょうど学制頒布から教育令の時代まで、地方自治制度と教育制度を描いていて、その後に、まさに普及過程で社会事業と工場法が出てくる(5章)。この二つを繋げると、地方自治と国民教育の成立の全体像が浮かび上がってくるようです。

階級を超えた国民教育を作ろうとするんだけれども、実態は階層が残るよね、というのはまさに教育社会学的視点で、清川さんの本にもそういう問題意識はありますし、『大衆教育社会のゆくえ』はそのテーマの戦後版です。教育要求、教育拡張、デモクラシーとかの繋がりは一つのポイントだろうな。臨時教育会議から1970年代まで。さらに、昔考えた、終点・起点としての四六答申を考えると、海後宗臣『教育改革』までは見えて来たけど、最後は臨教審を経て矢野先生のルートと、子どもの貧困にどう不時着するのかってところだな。って、これ本当にA4,12,3枚で書けるかな。
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私のタイトルがややミス・リーディングだったようなので、もう少し整理しましょう。とやっていると、収拾がつかないので、せっかくようやく噛みあってきたので、本筋だけ書きます。私は別に男女平等政策を抜かせと言っているわけではありません。それをやりたいならば、女性政策以外の部分も必要でしょうということです。

男女平等政策を重視するならば、女性保護政策→男女平等政策の一つの論点だけではなく、1990年代までならばともかく、現代では「女性」という観点からのみ扱うのが適切だとは思えない。したがって、従来は女性労働政策の文脈で語られて来た問題以外も扱う必要がある。私があげた勤労者財産形成促進法のような男性稼ぎ主型モデルを前提とした政策もあわせて描くべきでしょう(ただし、この政策は高齢者の貧困対策としてスタートしています)。勤労者財産形成促進制度は厚労省のなかでもワーク・ライフ・バランス政策のなかに入っています(貯蓄残高は2015年3月で16兆円1117億円ですから、すごい規模です)。この視点に立つならば、濱口先生の雇用システム論との接合という視点も活きて来るはずです。もちろん、厚労省の機構から言えば、この所管は婦人少年局(婦人局、女性局、現雇用均等・児童家庭局)ではなく、労働基準局勤労者生活課ですから、女性労働行政の本流とは関係ありません。しかし、どの部局がどう頑張って来たかなどは私にとってはどうでもよいことです。

歴史的に見たら、濱口先生のおっしゃるように、男女平等政策は婦人労働政策の本流から出て来ただろう、というのはその通りなんですよ。しかし、男女平等にしても、ワーク・ライフ・バランスにしても、女性からだけ見ていてはダメで、男性とともに総合的に捉えなければならないというのがこの間、関係者の努力でようやく少しずつ共有されるようになった話でしょう。これは大羽さんたちが活動されていた時期には少数派だったかもしれないけれども、それこそ三十年以上かけて共有されるようになってきている。たとえば、佐藤博樹先生と大沢真理先生はそれぞれ別の立場を代表する方たちですけれども、男女平等やワーク・ライフ・バランスが女性だけの問題ではなく、社会全体の問題なんだという点については一致していると思います。濱口先生もそれを承知しているから、女性労働だけでなく、雇用システム論を接合されたんでしょう。しかし、それならば、なおのこと、やはり、家族システム論と雇用システム論を中核に据えて、男女平等政策、ワーク・ライフ・バランスという形で書けばよかったのではないでしょうか。

かつての工場法は女性労働と児童労働を対象としていましたが、労働基準法では男性ブルーカラーのみならず、ホワイトカラーまでも含めるようになりました。そういう意味では、まさに婦人少年労働行政からスタートして労働者一般行政に展開したわけです。その意味では、男女平等政策というのは、長期的に見ると、工場法から労働基準法へステップアップしたように、ステップアップしようとするその段階にいるわけです。前回、私が書いた通り、現実はそこまで追いついていません。しかし、法段階では一応、06年改正で男性に対する差別禁止が入って、まさに女性だけの問題ではない、ということがはっきりした認識されてたと言えます。逆に言えば、この問題を考えて来た人たちでさえも、97年の改正段階で、それを入れようと言う話にならなかったとも推測できるわけです。

というか、もっとはっきり書けば、男女平等政策はいかに男性に当事者意識をもって巻き込んでいくのかということの方が現在では大きな課題になっていると思います。そのことを痛感しているから、初期にはワーク・ライフ・バランス施策は育児と仕事の両立といった話がメインだったのが、最近では結婚していない中高年男性の親の介護問題に重点をシフトさせてきているわけです(まだまだ啓蒙段階ですが)。男女平等政策が女性労働政策という観点からしか捉えられなかった段階ははやく卒業する必要があるし、今はその過渡的な段階として、やや誇張して言えば、男性こそが重要なんだと強調してもいいくらいじゃないでしょうか。

結局は、バランスの問題なんですが、私は濱口先生がおっしゃる1970年代以降の男女平等政策が欧米と日本でどうしてこんなに異なってしまったのかというテーマはメチャクチャ面白いと思いますよ。それをヨーロッパの比較で知ることが出来たら、すごく勉強になる。だから、それならば、そこだけをメインに据えて書き切って欲しかった。家内労働法とかマイナーなものは現代の男女平等政策を考える上でいらないというならば、70年代以前の歴史の話なんか全部、いりません。

女性労働政策におけるバランスの良さと言う意味では、大森真紀さんに『世紀転換期の女性労働』という名著があります。男女平等の話とパート労働の話、女性就業の問題、家族システムと雇用システムの話なんかも入っています。ただ、この本は90年代から00年代を書いているだけですが、それでもこれだけの分量になっている。だから、歴史的なスパンをもっと長く取って、そういうものを全部入れるというのはすごく困難。だから、濱口先生は非正規は非正規だけで膨大な量になるから、今回は別に扱うことにして外したという措置を採られたんでしょうけれども、それならば、男女平等も男女平等で同じようなことが出来るわけでしょう。しかし、私自身は女性労働政策として見るならば、両方を外せないと思います。私は女性労働政策という切り口でみるならば、男女平等だけではダメで、男女平等政策を中心に据えるのであれば、女性政策だけではダメだという立場です。

厚労省雇用均等・児童家庭局の方のご意見をお伺いしたいですね。

ちなみに、途中でマルクス経済学とか小池理論のことを書きましたが、そんなことは些末なことなので、もうこの際、放っておきましょう。もともと、この点に関する濱口先生と私の立場の違いは、昔、私が「政策はプロパガンダ」といって叱られたときから、はっきりしてます。5、6年前から私たちの掛け合いを見て下さった方はご存じでしょう。正確には、もう少し丁寧に説明できますが、横道にそれますので、これはここまでにします。
濱口先生から三度、リプライをいただきましたので、だんだん、分かってきました。はっきりと、「日本の男女平等政策、ワークライフバランス政策がなぜ何故にこのような歴史をたどることになったのか、欧米のそれと異なるゆえんは那辺にあるのか、というのが私にとっての最大関心」という風に書いて下さったので、ようやく私としてはこの本の意図していることというか、問題意識が分かってきましたので、私なりにそこら辺を書いてみたいと思います。

この話のキモは、大きな転換点が1970年代にあったということです。福祉国家論もそうですが、それまでの福祉国家論はウィレンスキーのように収斂論、つまり先進国が経済成長を持続していくと、同じような福祉国家になっていくという風に考えられていた。ところが、オイルショックその他の後に実際に出来てきた福祉国家はそれぞれで別々でした。それを比較して、類型化したのがエスピン=アンデルセンの仕事です。女性政策でいうと、1975年からの婦人国際年の10年が重要で、それぞれの国が対応した結果、日本が欧米に比べて、男女平等政策という意味では周回遅れになってしまった。1970年代前半までは、国内的にはもちろん男女格差はありましたが、それでも女性労働に関しては特に遅れていたというわけではなかったんです。そういう意味では、男女平等政策、ワークライフバランス政策が中核になるというのはそうでしょう。しかし、しかし、ですよ。あえて一言、言わせて下さい。

分かりにくいわ

そうであるならば、その前の歴史的な話はまるっといらないわけです。素直に1970年代以降、欧米と比べて異なる展開をしてきたというところが重要だと思います。それにしても、その比較で重要になってくるのは、やっぱり雇用システム論だけじゃなくて、その背後にある家族システム論の比較だと思いますけどね。大羽さんの本だって、女性の家族責任の話がいっぱい出てきます。それを男だって平等に責任を持つべきだという考えは、現代の進んだ都市部の世界、インテリの世界であって、まだまだまだ、そういうのは残っています。

ただ、濱口先生に同情するのは、言うのは易しいけれども、これは実際にやるのは相当に難しい話です(もっとも言っているのは私ですが)。女性労働の場合、特に1970年代以降の議論をする場合、国際的な動向が直接、国内の政策にも関係してきます。国際的な動向は、国連、ILOといった機関だけじゃなくて、いわゆる女性運動自体も国際的な連帯を見せていて、それ自体が重要です。私もよく知りませんが。でも、とりあえず、これを押さえなきゃ行けない。

それから、国際比較的な視野が必要ということで、もし女性労働+雇用システム論+家族システム論という枠組みで捉える必要があるならば、他国の家族システム論についても押さえておいて、ソーシャル・ポリシーとの関係も見る必要があるでしょう。労働省の有名な標語「婦人よ家庭に帰れ」というのが戦後、失業者が大量に発生した1940年代後半に使われて、象徴的なのですが、どこかでそういう意識を変えられていないところがある(この標語自体は戦前にあったという説もあるのですが、ど忘れしました。でも有名なのは戦後の方です)。ただ、それに対しては、雇用システム論を介してマル経やら小池理論やらを召喚するよりも、ストレートに、家族論を踏まえた女性論が必要なんだと思います。というか、雇用システム論よりまず、家族システム論じゃないかなと思うんですよね、女性労働の場合。実際、雇用システム論の影響なんてたいしたことなくて、現実的な政策という意味で考えたって、日本型福祉社会を作る上で、労働省が推進した勤労者財産形成政策の方がはるかにインパクトがあったと思いますよ。これ、家族計画にメチャクチャ関係ありますし、当然、女性を排除するわけではないですが、男性稼ぎ主型モデルを念頭におかれていたんですから。

繰り返しますが、女性労働という点だけで考えれば、政策としてみたときに、『労働法政策』において丁寧に説明されている家内労働法とか、その後の90年代の現実的対応の展開過程も、現代においてだってアクチュアルで、重要なわけです。とはいえ、70年代以降の男女平等政策の展開に関心があるということであれば、ここを落とすのは一つの選択だとは思います。

最初のエントリにも書きましたけれども、根本的には男女双方にとって、昔の日本的雇用システム論は機能不全を起こす側面があるから、ということでしょう。特に、女性活躍政策にストップをかけるというのは非常に重要なことでしょう。ただですよ、男女平等政策、ワーク・ライフ・バランスというテーマが重要であるならば、06年改正の後の世界でそれを女性労働から切り取っていきますかね、とも思います。たしかに、均等法は女性労働から始まりましたが、そんなこと言ったら、工場法だって女性労働と児童労働ですからね。真のテーマとして、実は『新しい労働社会』以来、濱口先生が日本的雇用システム論を無条件によいと考えているわけではないという問題意識も継続しているとは思います。

私としては男女共同参画になって、女性政策が後退した側面もあると思っています。たとえば、母子家庭の貧困の問題なんかはそれですね。とはいえ、いったん、問題だと認識されるようになると、昔と違って父子家庭の貧困(フルタイム労働は困難)の問題も取り上げられるようになって、その意味では男女共同参画社会の恩恵かもしれません。男女共同参画社会といったって、まだまだ昔ながらの社会のままで、そうであれば、いきなり男女共同参画社会に飛ばず、古典的な女性労働特有の問題だって今こそ重要だと思います。まだ、男女平等政策だけで女性労働問題を語れるような時代に我々はいないんじゃないでしょうか。
濱口先生に再度、リプライをいただいたのですが、最後に「私がここがキモよ、ここを読んでね、というつもりで書いたところを、そういう風にとっていただけていないことが、交通渋滞の原因かな」と書かれている点に尽きるなと、私も思いました。

マル経や小池理論が出てくる以前から、女性の低賃金問題はあったわけで、それを男性を中心とした雇用構造から説明しようというのが濱口先生の立場で、私は女性の働き方そのものからもっと説明すべきだと考えている、というのが大きい違いのような気がします。考え方や何かという意味では大きな影響力があっても、現実の女性が低賃金であることに、マル経はもちろん、小池理論でさえもそこまで影響力はなかったと思うので、たとえそこが「キモ」であっても、私はあまり意味があるとは思えないのです。

今、ソーシャルに関心があって、ジェンダー平等よりも、小池理論やマル経を勉強している層というのは、ほとんどいないと思いますが、ここらあたりの感覚は、濱口先生と私の世代間の実感差なのかなという感じもしてきました。たしかに、私のまわりは、社会政策学会に入っていなくとも、社会政策関係に関心がある人が多いので、そういう意味では、ジェンダー平等についての理解は世間よりはあるかもしれません(というか、私はあんまり学会の人と付き合ってないので、社会政策学会の全体がどうかはよく分かりません)。しかし、世間はそうではない人の方が多いし、彼らに語りかけなければならないんだよと言われれば、そうかもしれません。彼らと勢いで書いてしまいましたが、ある世代より上の男性層が念頭にあります。でも、そういう人たちが濱口先生の本でも女性労働の本なんか読んでくれるんですかね。正直、私はそこへの働きかけはまるっきりあきらめています。本書を読んで、省みるということもありそうもない感じがしますが。

よい悪いではなく、小池先生の『仕事の経済学』にしても、知的熟練の話を別にしても、統計データなども古くなっている。先生はそれを改訂されてきたけれども、最後の版が10年前ですからね。読まれなくなっていくのは仕方ないです。そんなこと言えば、孫田先生にせよ、白井泰四郎先生にせよ、よい入門テキストがありますが、今は読まれなくなっています。時間が経ってるんだから、仕方ないですね。そういう意味でも、小池理論やマル経をわざわざ取り上げなくてもよかったのではと思いました。

私自身もそうですが、わりと濱口先生のものを若者に勧めて来たんですよね。特に、私が勧める対象は講義を受ける大学生が多いので初学者です。昔の理論に囚われている人に対する処方箋は、初学者にとっては有害な場合もある。これは私の考えですが、まずはマルクス経済学でも、小池理論でも、近代経済学でも、なんでもいいんですが、どうせ勉強するならば、オーソドックスな見解に即した形でまず、勉強する方がよいと思うのです(ただ、私はマル経や小池理論を学ぶことを勧めている訳ではありません。あくまでどうせ勉強するならば、です)。そういう意味では、やはり「捻れ」を加えられていると、初学者には勧められないんですね。まあ、もともと濱口先生の本にはそういう傾向はありましたし、わざわざそういう風にして問題提起するというのが狙いなので、それはそれで仕方ないですし、それが初学者にとってはデメリットである点を踏まえても勧めてきましたが、今回はデメリットの方が大きいと思います。

もう一つ、主流の学説が女性差別そのものを許容する構造を持っているということを問題にしてきて、新しく読み替えるべきだと頑張ってきたのは、たとえその試みが必ずしも成功していないとはいえ、竹中恵美子先生ではないかと思います。マルクス経済学ということでいうならば、その枠組みの中で、そういう傾向を変革しようとした竹中先生こそが重要でしょう。前に書いたときは、現在の話でしたので、歴史、ということになるとまったく竹中先生の位置づけも変わってきます。

山下ゆさんへのリプライを読んで、ああ、こう書けば分かってもらえると思ったのですが、濱口先生のおっしゃる「キモ」の部分こそ先に削除して、「家族システムとの噛み合い」をメインに据えた方がよかった、というのが私の感想です。それこそが女性の低賃金を正当化させてきた最大の理由であり、それなしに女性労働の全体は見えないだろうと思います。その外部のシステムとの関係があるからこそ他の著作も勧められるのであって、それがなければ、『新しい労働社会』で『日本の雇用と労働法』の二冊で十分です。というか、そもそも二冊でさえも読んでくれるか分かんないし(汗)。
濱口先生からリプライをいただいたのですが、ちょっと、話がおかしくなっている気がするので、もう一回、交通整理しましょう。私が認識枠組みの話と政策の次元の話をわけて書かなかったのが行けないのでしょう。

第一に、私はマルクス主義的な見解を支持するわけでもなんでもなくて、濱口先生がわざわざ引き合いに出されているので、伝統的なものをすっ飛ばした妙な読み替えはいかがなものかということを言っているのです。大企業偏重で見るのはおかしいと言っていたのは、濱口先生自身ですし、小池先生の『賃金』には中小企業その他も出てくるので、そのことをすっ飛ばすのは二重基準です。

第二に、それに対するお答えとして、80年代以降の女性政策を駆動したのが婦人少年局の官僚やフェミニストだから、そこのBGやOLの話が中心になるんだということでしょう。私も別にそういう側面があることを否定しているわけではありません。しかし、そうであるならば、正直、マル経や小池理論の読み直しでのずらしは蛇足でしょう。余計な捻りはなしで、婦人運動と、女性官僚の話だけで十分だったと思います。

第三に、マルクス経済学的発想云々から離れても、女性の低賃金問題は婦人少年局の主要なテーマであったわけで、均等法もその延長線上にあったはずです。直接、当事者の言葉を引きましょう。

こうみてくると、男女同一賃金の原則を真に実効ある強制法規たらしめるには、賃金以外の雇用条件や待遇のうえでの男女平等を保障する法規制が必要であることは明白である。(中略)法違反の決定的決め手となる基準が明確にされていないことと、賃金決定条件の前提となる賃金以外の待遇における男女平等が法的に保護されていないという立法上の欠陥がある。さらに、女子の低賃金のうえにあぐらをかいて経済成長をとげた日本の経済社会の体質からみれば、戦後長く政治を支配してきた体制自体に男女平等賃金の行政上の救済措置を阻む基本的な問題があることも見逃せない(大羽綾子著婦人労働研究会編『働く女性』113頁)

というわけで、婦人の地位向上を目指してきた戦前以来の婦人運動と、労働省内での女性の地位向上も含めた女性の労働条件の底上げを目指してきた婦人少年局の連携、それから国際労働運動の刺激があって、均等法に結びつきます。そして、1960年代末からはパートタイマーを含めた非正規労働の話が出てくるわけで、これは男性正社員を中心とした大羽さんの言葉で言えば「日本の経済社会」を裏から支えていたわけで、講座派的な見解とは別に、女性低賃金問題として重要なわけです。じゃあ、具体的な女性の低賃金労働問題を考えるにあたっては、私があげた領域の話が必要になってくるということです。

ちなみに、大羽さんの『働く女性』はすごくよい本だと思うのですが、本当にアマゾンでも二束三文ですよ(って、ここに書いたら、また価格があがるような気もしますが、それは興味をもって勉強したいという人がいるということなので、よいことでしょう)。

第四に、大羽さんがおっしゃる法としての基準の問題は、基本的に97年と06年改正でもうほぼ終わってしまって、あとはそれを実現するために、何をするかというフェーズに入っているというのが私の認識です。97年改正と06年改正では、男性への差別禁止も入ったわけで、ここは濱口先生が女性活躍って言うなという話と、女性の保護規定見直しという話ではなく、男女ともに保護すべきものは保護すべきだという大羽さんの意見と一致しています。が、ここに次の政策課題がまだあるのでしょうかというのが私の疑問で、あとはどう実効に結びつけるか、次には啓蒙くらいしかやらないのではないかということです。大羽さんにしろ、孫田先生にしろ、昔の労働省の方たちはそれこそ半分くらい組合の応援にのめり込んで(しばしば職務上の中立を逸脱しかねない勢いで)、労働条件を上げようという気概があったと思うのですが、そういうものは失われてしまったような感じがしますからねえ。よい悪いは別にして。もちろん、これは労働運動側の衰退という問題もあります(私が知らないだけで、密かにやっているっしゃる方がいれば、申し訳ありません)。

このようにいろいろ考えていくと、わざわざ「女性労働」として取り上げるならば、かつての婦人少年局が目指した女性労働の労働条件向上の原点に戻った方がよいのではないでしょうか、というのが私の意見で、それを考えるならば、もっと包括的に女性労働を取り上げる必要があったし、濱口先生はそれが分かっている人だからこそ、やって欲しかったということです。

ちなみに、私は上野先生と対談する機会がないので、接ぎ穂がなくてもまったく困りません。それにこの分野はそれこそ社会政策学会にもたくさん優秀な研究者がいるので、私ごときがわざわざ女性労働問題にしゃしゃり出る余地はありません。
濱口先生から『働く女子の運命』をお送りいただきました。ありがとうございます。あとがきを読むと、他の3部作に比べると、うーん、という感じかな。日本型雇用を補助線に引くということに付加価値を置いて欲しいという「願い」なんですが、やっぱりそれだけじゃダメだと思うんですよね。

わざわざマルクス主義とか、マルクス経済学を引き合いに出すなら、やはり低賃金論だと思うんですよ。昔の講座派という、もともとは共産党親派の人たちがいて、彼らは日本資本主義の構造として半封建性を指摘していました。その具体的な位相が年功制であり、低賃金だったのです。そこでは中小企業の低賃金に加え、大企業の年功賃金では若年層が低賃金に抑えられていることが問題でした。この構図は大きく転換していきます。それに寄与したのはたしかに小池先生だと思うんですが、知的熟練論じゃないんですね。小池先生の議論で大きな影響力を持ったのは、賃金カーブ比較によって提示されたブルーカラーのホワイトカラー化テーゼで、これは要するに、日本はホワイトカラーと同じで、ブルーカラーの賃金が中高年になっても寝ないことをOECDのデータを使って指摘したのです。右肩上がりのカーブでも、直線でもよいですが、ここで年功的な賃金カーブ(小池先生は年功賃金否定論者ですが)の重点が転換しているのです。要するに、左下が低いことが問題ではなくなって、右上が上がってることに着目したことです。細かい考証ははぶきますが、70年代から小池先生が影響力を持ったの一般向けには『日本の熟練』、研究者向けには『職場の労働組合と参加』であって、そこでは知的熟練論は出てこないと思います。そこが核だと思ったのは『仕事の経済学』とその反撥であって、これは90年代の話です。それから、内部昇進への注目は50年代の論文から書かれているし、これは宇野経済学の段階論とは関係ありません。まあ、それはこの際、どちらでもいいです。

濱口先生があらかじめ予防線を張っている、ここが足りない、あれが欠けているという話をすると、まず、農業労働、中小(零細)企業などにおける家族労働、女中(あるいは家政婦)、請負(要するに内職)の話がまったく出て来ません。それから、必ずしも労働の報酬をもらうわけではないボランティア的な仕事ですね。請負やボランティアも混じっているので、賃金というと適切でないこともあるので、収入にしますが、こういうのはみんな低収入(ないし無報酬)ですし、日本型雇用では説明できません。日本型雇用システム論は昔の日本資本主義論の中小企業とか農業とかそういうのを切り落としたという意味での大企業モデルなんです。だから、野村先生の『日本的雇用慣行』も基本的に大企業の話ですね。そして、そのアンバランスさは、他ならぬ濱口先生自身が折に触れて批判し、問題提起してきたことではありませんか。たとえば、これなんかがそうです。何より、家内労働法でカバーできない、当時は新しかったSOHOのような働き方をどうやって包含させようとしたのか、という経緯は他ならぬ濱口先生から教わったことです。

私が見るところ、均等法は女性労働研究に対しては功罪相半ばするところがあって、この法律を最初に作る時点で保護か、平等かという今考えれば不毛な議論があったわけですが、現実としては保護の部分に重点を置く研究と、平等の部分に重点を置く研究に分かれて、相対的にその前の時代までと比べると、保護の部分に重点を置く研究は割合としては低下せざるを得なくなりました。近年では、均等も重要だけれども、生活していける賃金を稼ぐということが重要だという、たとえば同志社の三山先生などの研究者の方もたくさんいらっしゃいます。正直、均等の方は政策で出来る範囲はあらかたやってしまって、これからの追加投資でものになるのは少なくないんじゃないかと思います。せいぜいがキャンペーンを張るくらいでしょう(そういう世間の風潮が気になる重役が「うちはワークライフバランスをやらないのか。どうなってるんだ」と言ってきたりして、人事部が対応するケースもあるので、影響力はバカには出来ませんよ)。だから、均等をすごく厚く書いているのは、労働行政の先達の仕事という点では意味があるかもしれませんが、今まさに起こっている女性労働のなかでそういう回顧的なものがどれくらい役立つのかと考えると、かなり違和感がありました。濱口先生だからこそもっと視野の広い女性労働論を書いて欲しかったなというのが正直な感想です。

しかし、濱口先生が見落としたなどというわけはないので、きっと何か企みがあるに違いないわけであります。そうやって読み進めていくと(我ながら意地悪ですが)、最後の方で講演会で「女性の活躍って言うな」と主張されたエピソードが出てきます。ああ、なるほど。実は、この本を通じて問い直したいのは日本的メンバーシップ型雇用におけるフル・コミットメントの働き方です。このテーマは『新しい労働社会』でも強調されていた何より「生命」が大事で、それを守るのが労働政策であって、然るに、その働き方に女性をもっと組み込めという女性活躍の推進を濱口先生は潔しとしないのであります。結局、ここがワーク・ライフ・バランスが実現するかどうかのターニング・ポイントであり、そういう関心なら、素直に佐藤博樹先生関連の本の方がよいようにも思います。特に、老婆心ながら、この本で女性労働の歴史を学びたいという方には、おやめなさいと申し添えておきます。
様々な些細なきっかけから教育を考えなければならないことになっている。ただし、私自身が今、進めている日本における社会政策の全体像を捉え直すという作業のなかでも、教育をどう位置づけるのかということは、非常に重要な課題なので、いずれは通らなければならなかった道であったのだろう。

当初、私のなかには1990年代の教育社会学の研究が念頭にあって、主として「労働」の近接領域としての教育社会学というイメージがあった。そこでは、古い順に言えば、乾彰夫の企業社会論と連動する教育社会論、竹内洋のメリトクラシー論、苅谷・石田・菅山の労働市場論が具体的なイメージとしてあった。どうでもいいが、私が大学院に入った頃、労働の部屋では竹内の『日本のメリトクラシー』が少し前に流行っていたらしく、勧められた。これは本当は労働問題研究がやるべき仕事だったと誰かが言っていた(気がしているが、記憶は曖昧)。

しかし、今回、いろいろ、読んでみると、話は非常に複雑であることが分かってきた。日本の教育社会学がもし1910年代後半に田制が提唱した頃のまま、仲良く持続的に発展していったのならば、話は簡単だったが、結果的に戦後、教育社会学会が出来て、教育学問内部に様々な亀裂が生じたために、もはや門外漢にはよく分からない状態になっている。なんで、こんなことになってるのかというと、教育関連分野における「科学」の扱いが複雑な経緯を辿ってきたからである。まず、教育と科学の争いは、明治時代の澤柳の『実際的教育学』をめぐって始まったと言える。そこで批判されたのは思想(ないし哲学)重視の教育学への批判で、このときに彼が企図したのは実践の解析研究で、これはアメリカのプラグマティズムの影響を受けた「科学」であった。これは阿部重孝を経由して、城戸幡太郎たちの岩波講座・教育科学に引き継がれる。ところが戦争をくぐり抜けて、戦後に戦前への反省が必要になると、教育運動も抵抗の歴史の起源探しとして始まる。教育科学関連は、戦時中に弾圧されたので、もちろん、有資格者である。抵抗の話は時節柄、マルクス主義と結びつきやすくなり、左翼的運動と結びついた。ここにまた新たな対抗軸として、運動への傾斜と距離を置き、データ・ベースの科学的研究をしようという流れが出てくる(ここで、イデオロギー対科学という違う対立軸が出てくる)。しかし、中身を見ていくと、教育学系なのか、教育社会学系なのか、といったことは門外漢にはわりとどうでもよい。

教育社会学のような切り取り方はしなくても、教育学(教育史を含めて)の中には教育と社会の関係を見てきたグループが存在していた。それは地域教育計画のグループである。この人たちは清水義弘(教育社会学)らと対立したため、妙な看板を背負った争いになってしまった。しかし、1960年代以前、城戸(清水とは反対の陣営の源流と考えられる)でさえ、現在の教育社会学はどう展開するか分からないが、教育社会学のようなものは重要だという話を書いていたりした。そうやって考えていくと、批判派や、左翼として切り捨てる態度を取らなければ、両陣営の考えを勉強しなければならない。

そんなこんなで、昔は私の方が労働に傾きすぎていた。そういう偏向を取り除いて、苅谷先生の本を読んでみると、一貫して階層研究(階級)であり、これこそ社会政策の重要なテーマであるはずであった。しかも、諸外国と比べて、日本に「階級」という概念が当てはまりにくいのではないか、とされている一点で、私は橋本健二さんよりも親しみやすい。そうして、籠山京とか出てくるのである。昔、森直人さんが籠山の話をしていて、なんで森さんは籠山の勉強をしていたのかなと思ったけれども、それも苅谷先生の本と思想地図の森さんの新中間層論文を読んでいたら、それも納得した。ただ、階層・職業の話はまだよく分からないが。たぶん、ここを突き抜けていくと、社会政策側では、籠山・中鉢・中川清の生活構造論ラインになるんだろうと思うし、森さんの論攷を読むと、そこまではよく分かる(生活構造論については「社会学と生活構造」という論文がある。ただし、私はこの三分類には自分ではあまり賛成しない。しないが、参考にはなる。へえ、という感じ)。ただ、今の時点から見ると、籠山の前に、奥井復太郎を位置づけないと行けないだろう。奥井の評価については、小松隆二先生が書かれているが、社会政策研究のなかでどう位置づけられるかは定見はない。というか、今の人は知りもしないだろう。

まあ、しかし、籠山につながっていくならば、当然、北海道で地域教育計画を一緒にやっていた城戸と繋がらなければならない。城戸・留岡グループと、そして農村社会学・都市社会学の鈴木栄太郎がいた。今度は、社会調査と社会政策の関係を考え直すみたいな話になってくる。そうすると、日米社会学茶話会の日本の社会調査史みたいな話だよな。

今は、「子どもの貧困」問題などが取り上げられているので、社会政策的には再び、教育にアプローチしやすくなっている。苅谷先生が20年前に、1960年代に消えてしまった問題と書いた貧困が再び現れたからである。こういう時代こそ気をつけなければならない。現実に解決すべき問題があるときには、政策あるいは実践に携わっているだけで、あるいはそこで悩んでいることだけでさえ、何らかの学問的営為をやっているかのように錯覚しやすいからである。

私個人としては、今のところ、マス・エデュケーションが社会政策にどのような意味を持つのかということを、国民教育の観点などを織り込みながら、考えていきたいと思う。児童労働と教育のせめぎ合いから、初等教育の拡大延長(ついには現在は大学まで)という意味をしっかり考えなければならないだろう。
大原社会政策研究会を開催して早いもので18回を数えるようになりました。今まで2回くらいしか告知してないのですが、若手研究者の交流を図るという研究会はお陰様で順調に回数を重ねて参りました。今回は共立女子大学の寺尾範野さんにご報告いただきます。

日時:2016年1月9日(土) 15時20分~17時20分
報告者:寺尾 範野(共立女子大学 国際学部 専任講師)
報告テーマ:優生学とイギリス福祉国家思想――世紀転換期のニューリベラリズムを題材として
開催場所:法政大学多摩キャンパス EGGDOME 5階 研修室1・2

今回は特に思想史研究者の方をお呼びしての研究会となりました。寺尾さんとは「社会的なもののために」研究会(正式名称は違うかもしれません)に参加したときに、初めてご報告をお伺いして、これはぜひうちのみんなにも聞かせたいと思って、その場でご報告をお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。事務局の一人としては普段はなかなか出会うことがない分野の本物の研究者の議論をぜひ味わって欲しいと思ったのでした。この研究会は、多摩の山奥まで訪れて勉強したいという人には誰にでも、門戸を開いていますので、ご関心のある方はぜひご参加ください。ただし、レジュメを用意する関係上、事前に連絡をくださいね。アドレスは左のサイドバーのプロフィール欄に書いてあるので、コピペしてご一報ください(スマホだと、サイドバーが表示されないのでここにもアドレスを書いておきます。ryojikaneko@gmail.comです)。

寺尾さんはイギリスのニューリベラリズム思想を研究なさってきて、今回のご報告もその一環です。寺尾さんからの紹介では「社会権理念と優生思想の緊張を孕んだ共存という観点から、J.A. ホブスンやL.T. ホブハウスのニューリベラリズムの福祉国家思想を再考する」というものだそうです。これだけでも想像が膨らむし、面白そうですよね。社会政策においては優生思想は重要な問題ですから、どんどんいろんな切り口で研究が深まって欲しい分野です。

内容については、あくまで想像になってしまうので、私としては寺尾さんをお招きした理由を少し雑談で書きたいと思います。思想史研究にはいくつかの流儀があると思うのですが、私自身が最初、模範としたのは杉原四郎の書誌学をベースにした思想研究でした。ミルとか、マルクスとかです(例によって、全然覚えてないですが)。とにかく厳密な文献考証を本懐とする書誌学は重要な学問だと思っています。歴史研究とも相性がよいんですよね。

でも、思想研究は、そういう地を這うようなスタイルではなく、ときに飛躍が重要です。その飛躍は自分の内なる問題意識(それは現代の起こっていることから作られる)からやってくる気がします。書誌学的なものを独学でかじってきた私なんかはその思想家自身がどう考えていたのかを追求することを重視しますが、思想研究のなかでは過去の思想家がどこまで考えていたかではなく、その思想家の思想そのものにどういう可能性があるか、要するに継承して思考するというスタイルがあって、寺尾さんはまさにそういう方だなと思ったのです。ホブスンがどう考えていたかではなく、ホブスンの思想にどういう可能性があるのかが探求されます。

この研究会は、書誌学ではないですが、現場を丹念に調査して足で稼ぐ、まさに地を這うスタイルの人が何人もいます。そういう人たちと寺尾さんのような研究者が出会ったら、どんな化学反応が起きるのか、今から本当に楽しみです。
途中まで書いて放っておいたのですが、出してみます。追加で何か書くかもしれませんと言いながら、書いたことはないので、とりあえず、あげておきましょう。てか、読んだそばからもう忘れかけてるので。

このところ、義務教育まわりのことを考えていて、前に藤沢の本屋で見かけて、これは読まなきゃと思っていて放っておいたんだけれども、清川郁子『近代公教育の成立と社会構造』はやはりすごい本だった。

1.マス・エデュケーションの成立というテーマは、私は国民教育という観点での考察が絶対条件だと思うけれども、清川さんはこの点を二つの意味でしっかりと軸に押さえている。

1.1 日本における地方自治制度の確立と小学校というテーマ。日本における国民国家の形成は、幕藩体制から中央集権型明治国家(後に内務省中心に集約される)への移行とともにあり、この点の考察が不可避であるが、この点が分析の中核の一つに置かれている。

1.2 ネーション・ステートを「国民」国家と訳すか、「民族」国家と訳すかのナショナリズム研究の動向を把握した上で、あえて国民国家を採用している。これは国民教育としての義務教育を理解する上で、私もまったく正しいと思う。ただ、ちょっと気になるのは、日本は単一民族国家(135頁)という記述かな(小熊さんの本もあがってないし、読んでないのかも)。むしろ、内地雑居、植民地教育も含めたトータルな教育が重要。

2.清川さんご自身のパーソナル・ヒストリーがすべてこの本のなかに生かされているということだ。そして、その内容もすごい。まず、忘れてはいけないのは、日本は農村社会であったということである。まさに、農村部の尋常小学校出身という清川さんのご経験(生活体験)は、後進の我々には文字の上でしか理解し得ないことだろう。農村の教育を重視するということは非常に重要である。農村と都市という区分は、戦前の社会政策においても、あるいは地域社会学(農村社会学と都市社会学)においても重要である。もうひとつ、ついでに言うと、ご主人につきそって、ロンドンとデリーでの生活経験も比較の視点を入れるときには重要だったと推測される。

3.パーソナル・ヒストリーの続きだが、有賀喜左衛門に同族類型論、川合隆男に社会調査史、藤田英典に社会学の理論、藤田に加えて天野郁夫、苅谷剛彦、広田照幸に教育社会学を学ぶ、というのは、たぶん、これ以上ない贅沢な教育経験だろう。まったく偶然だが、教育社会学の皆さんの最近のものを除いて、このメンバーのある時期までの著作を私もほぼ全部、読んでいる。この学際的なところは、本書の特長だと思うが、やや広く浅く読んでいるという印象を持った。もちろん、実証に力を置く方がよいに決まっているが。

4.これをもうちょっと前に書いてもよかったけれども、社会政策と教育の関係がよく論じられている。社会政策の勉強を通り抜けずに、歴史研究で社会政策に取り組んでいる人たちの常なのだが、変なこだわりがなくて、当時の社会政策の多様性をよく捉えている。社会政策史研究のなかでこの問題を声高に訴えたのは玉井金五先生、ただ一人なのだが、文字通り孤軍奮闘である。たとえば、土穴文人や池田信の社会政策史研究はそれ自体、重要な業績だが、労働政策しか扱っていない。社会事業と社会政策の関係は、大河内先生がいらぬ問題提起をしたおかげですごく微妙で(これによって社会事業ないし社会福祉研究が鍛えられたという見方もあるが)、野口友紀子さんのような少数派はそういう課題を引き受けて、社会事業史を研究されているし、私もなんの因果か社会事業というより、社会政策をベースにして社会政策史を研究しているので、その違いにつきあっているが、本音を言えば、まあ、戦前は重なったり、区別したら、わざとファジーにやってたりするので、皆さんがその違いを気にされないことは、むしろよいことだと思っている。多くの歴史研究者と違うのは清川さんは、川合社会調査史の洗礼を受けているということだろう。

4.1 具体的には、義務教育の普及過程においては、児童労働との関係が重要になるが、清川さんは工場法の施行を一つの重要な画期と考えられていて、第三期、マス・エデュケーションが成立する時期の重要な牽引役として配役している。これは重要な視点だが、5章はもうちょっといろいろ聞きたい感じもする。

5 制度を重視する教育史に対して、これは教育社会学的な視点を、社会史の動向を取り入れながら、強調した点はよい。制度の完成だけでなく、それが定着していくプロセスを分けて捉えるのは正しいと思う。とはいえ、一般論としては分かるが、教育史研究も社会史的な視点がなかったわけではない、と思う。古いところだと石川謙にしても海後宗臣にしてもそういう視点は十分にあったと思うけどな。堀尾『思想と構造』もそうだし、太田堯の『戦後日本教育史』、木村元の研究もそうだよな。ただ、1でも述べたとおり、制度の中でも、地方自治制度との関係、国民国家の二つを重視したのは本書の特徴。

5.1 さはさりながら、農村経済史なんかの研究蓄積から言うと、日本の農村は何タイプかに分かれるので(近畿型とか、いくつかある)、山梨と長野だけでは足りないだろう。10年以上前に勉強したので、誰の何の本だかまったく忘れてしまった。けれども、一次史料から見ていくには、三つも事例をやれば、十分。というか、それは個人が出来る限界である。ただ、ちょっと講座派的な大石嘉一郎グループの研究に引っ張られている感はある。清川さんの研究の後だけど、松澤裕作さんの研究を取り入れたら、もっと面白かっただろうなと思う。松澤さんがこの研究をどう評価するかも興味深い。