皆さん、周知の通り、9月21日に近鉄駅ホームで乗客対応をしていた車掌が線路上に逃走、その後、高架下に飛び降りた事件が起こりました。この事件に関連して、SNS上では車掌を守ろうという動きが出てきており、ついさっき、私も回ってきたChange.orgの電気技師KENTAROさんが呼びかけたまずは処分を白紙撤回して事実調査をという請願書に署名したばかりである。この署名が実務上、意味があるのかどうかは定かではない。少なくとも、近鉄は処分を「検討する」と言っているだけで、「実行する」と言っているわけではない。ということは、もともと事実調査をした上で処分したであろうことは容易に想像できる。

電気技師KENTAROさんは本名かどうか分からないが、場合によっては本名が明らかになるだろう。そういうリスクを犯して、彼は仲間である鉄道労働者一人のために行動を起こしている。その行動が有効かどうかではない。私は彼の勇気に心から賛同するのである。しかし、私は運動家ではないので、ここでこれを読んでいる皆さんに、ぜひ一緒に賛同しようと呼びかけるつもりはない。ここでは別の角度からこの問題を考察したい。それは労働組合とは何かという問題である。

近鉄には企業内労組があって、それは上部団体として私鉄総連に加盟している。私鉄総連は連合に加盟している。私は少なくとも即日、これらの組合は企業側に勤務条件その他の事情の徹底調査の要求およびもし当該職員の勤務状態に、労働安全衛生上の問題があった場合には徹底的に彼を守るという意思表示を大々的にマスコミを通じて発表するべきであったと思う。それがこのスピード時代でのあるべき組織対応というものである。

なぜか。普通の企業はここ十数年でネットにおけるクレームなどに対応するために組織編成をせざるを得なかった。それをしなければあっという間に炎上して大打撃を受けてしまうからである。だが、おそらく近鉄労組、私鉄総連、連合がそのような危険にさらされることはないだろう。なぜなら、最初から期待されていないからである。それこそが最大の危機である。

今回のネット上の動きでは、この車掌の働き方に対しての同情が根底にあって、だからこそこれだけのムーブメントになっていると考えられる。こうしたムーブメントが大きくなって近鉄本社に直接、声が届くようになれば、近鉄は当然、そうした声を踏まえて、事後処理を考えることになる。逆に言えば、その声なくしては近鉄もそのような対応を出来ないのである。労働者に同情し、会社に働きかけて彼を守ろうとする多くの者の気持ち、これを連帯と呼ばずしてなんと呼ぼう。はっきり言えば、このもっとも臨界的な危機的状況を、組合抜きで、しかも連合がいつも作ろうと号令をかけているところの連帯の力で乗り切ってしまうかもしれないのである。その輪の中に組合が入れていない、ということは、根幹の存立基盤を揺るがす大問題である。

今回の一連の事件が処分という形にせよ、あるいは別の方にせよ、収束してしまえば、その後、労働組合は何も痛むところはないだろう。このような突発的な事件以外にも、労働組合が日常的にこなさなければならない仕事はたくさんある。だから、私は労働組合不要論を打つわけではない。しかし、こうした突発的な事件にどう対応するかはその組織の地力が出るといってよい。

このような自殺未遂を起こすまでに至った当該車掌は、このままでは処分がなかったとしても、気持ちの上でも、そう簡単に業務に戻れるとは思えない。そこにサポートは必要だろう。必要なサポートは現にあるし、そこに組織が参加する余地は大きく残されている。だが、現時点では労働組合は、名もなき市井の人たちの連帯に大きく水をあけられている。最初の一手はこの時点で打っていないということは失敗したのである。判断のスピードが求められるのは企業だけではない。あらゆる組織が同じ世界に生きている。

とはいえ、SNSによる突発的な連帯は持続するのは困難である。ここから組織としてどう巻き返すことが出来るか、そこに労働組合としての真価が問われる。ここに具体的な名前をあげた組合以外にも、こうした事件を通じて、このような危機感を持たなければ、遅かれ早かれ、組合という組織は組織率を落とし続け、衰退していく運命にあると言わざるを得ないのである。

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70年代以降の教育社会を考えているが、なかなかまとまらない。とりあえず、メモ代わりに。一つの論点は、教育と福祉。

ただ、この教育と福祉の関係がすごい複雑。なぜなら、社会福祉の側がもうちょっとまとまっていたら、話は違っていたと思うんだけれども、時期によって重点がズレすぎていて、参照基準としてはなはだ頼りない。

今、一つの立脚点は、岩田正美先生の一般化と特定化という発想だと思う。これで行くと、高度成長期までの日本では、特定化の方はあきらかに障害者の特別支援教育、それから保育であろう。逆に、これを一般化と言ってよいのかどうか微妙だが、より広範な問題として捉えられていたという意味で、貧困である。

社会福祉の中心が貧困であった時代は、たとえば籠山京のような研究があり得たわけだが、70年代以降になると、そういう貧困から生活を見つめる流れは衰退して、もっぱら児童福祉という観点になっていく。これは勤労青年問題がなくなったことも大きいと思うが、どうだろうか。特定化に流れない方は、幼保一元化の話としての保育の問題が重要トピックになる。

70年代の後半に城戸とか、小川とかが座談会をやっていて、これ小川の全集にも社会・生涯教育文献集にも収められていて、それだけ重視されてきたということだと思う。座談会だから重要論点がいっぱいある。そのなかで、一つのテーマは、教育とケアをつきつめていくと、共通するのではないかという問題意識である。だから、具体的な問題として、幼保一元化を取り上げても、それは一ケースであって、もっと普遍的な教育=福祉と捉えうるパースペクティブを持って、小川なんかは教育福祉学という領域を切り開こうとしたんだと思う。が、誠実にいろんな学説に目配りしすぎて、この問題意識が見えにくい嫌いはある。ただ、この視点はほとんど継承されてないんじゃないか。

時はめぐり、子どもの貧困が問題になると、貧困リバイバルになる。福祉=貧困になる。日本だとここ10年のことである。学問的に言うと、深刻な社会問題を扱うのは楽な面がある。要は、方法的に、あるいは思考として、それを扱う研究者がつきつめてなかったとしても、問題の深刻さという下駄を履かされて、とても大切な重要な問題を扱っていると認めてもらえるからである。

私の個人的な考え方では、子どもの貧困は親の貧困が元であり、その顕現する、あるいは把握可能になる場所が学校という教育の場であるという意味において、社会福祉研究の応用問題、教育編という風に捉えている。教育のロジックに内在的に行くならば、教育とケアの共通性の探究は一つの方向ではないかと思う。

思うが、同時に、この問いの立て方はきわめて日本的であるとも思う。この生活指導的側面という性格がたぶんにあるからだ。ここら辺を問題にしているのが、松田忍さんだったり、冨江直子さんだったり、する。それとドイツ新教育やアメリカ・プラグマティズム的新教育の輸入はどう関係したのかしないのかにも繋がってくるだろう。まあ、ここら辺は社会教育史研究とつきあわせる必要がある。ということは、ここでも小川利夫だが、小川の社会教育史は時代の影響もあると思うが、ちょっと講座派色が強いので、そこら辺の脱色も必要だろう。ここでキーワードは貧困から、といよりは、貧困を突き詰めていって出てきた「生活」に移ります。

今のところ、この問題で一番、突き詰めてるなと感じたのは、小林甫「生活教育研究と生活社会学の視座」。直リンク貼っておくので、書誌はそこで確認して下さい。布施鉄治の調査研究、すごくよいけど、理論的にはマルクス主義か。ちょっと展望が開けない感じだなあ。みんな、戦後の革新だからねえ、この時代にそうなるのはわかるけど。。。

とはいえ、これ、マニアにはたまらん論文ですな。言ってみれば、北大教育の歴史でもあるんだけど、人的にも学問的にも、城戸だったり、鈴木栄太郎だったりと繋がっていて、東大系では忘れられた、しかし、私はこっちがもともとの教育社会学のメインストリームにいた気がする。まあ、社会教育も小川利夫さんがまさにその中心だと思うけど、国民教育運動と近くになりすぎて微妙になったように思う。それは、この論文での結論、すごい大事なことなんだけど、疎外論か、ポスト・フォーディズムか、うーん。。。やっぱり、時代的制約を強く感じざるを得ない。