朴沙羅さんから新しい論文、「越境者の輪:占領期北東アジアの「密航」「密貿易」を支えたネットワーク」『理論と動態』9、2016年12月をいただきました。ありがとうございます。普通に読み物として面白くて、あっという間に読み終わってしまいました。機会があれば、ぜひ読んでみて下さい。お勧めです。

この論文は、GHQ文書を中心に、第二次世界大戦直後の密貿易を描いたものです。ことの性質上、どうしても情報の信憑性に疑問符がつきまとうのですが、朴さんはそこら辺を柔軟に受け入れて、史料批判をしながら留保をつけて、しかし、全体を描こうとされています。正確な事実を表していないから資料として使えないというのは前世紀的な考え方で、今はその資料が語っている事実は、それはそれで固有の価値を認められるようになっています。その資料作成者の思想や理解の仕方を分析できるからです。象徴的なのは偽書の研究ですね。そういう意味では朴さんの方法はわりとスタンダードで、こういう一歩一歩を大事にするのが歴史研究というものでしょう。

この研究にはいくつかの点で、他の研究の視野を広げる、あるいは、接続していろいろ刺激を与える可能性が含まれています。その一つは、闇市場でしょう。敗戦後は日本国内でも闇市場が乱立して、それが人々の暮らしを支えたわけですが、従来のネットワークを利用した密貿易はまさにこの闇市場に含まれるといえます。闇もそうですが、密貿易という言葉は必ずしも明るい語感ではないですが、朴さんの人柄もあるかもしれませんが、明るく描かれていて、私も戦争が終わった開放感から考えれば、すごくリアリティがあるなあと思いました。

もう一つは、国境をまたがるという意味で、これまたいろいろなところで議論が蓄積されていますが、国民国家を問い直すという視点もあります。国家と市場という点でもいいでしょうし、国境という観点でもいいかもしれません。このあたりはどう処理すればいいかというのは分かりませんが、最初の論点とも関わり合うと思います。いわゆる「国家の社会学」の領域ですね。

今すぐ確信を持ってどうこう言えるような問題ではないんですが、敗戦直後の朝鮮人が果たした役割というのは労働運動なんかでも、かなり大きいんですね。共産主義との距離の取り方や政治的スタンスなども含めて、今後、考えていきたい論点ですが、GHQの密貿易についての理解の仕方は、そうしたテーマに示唆を与える情報も含まれているとは思います。ただ、いかんせん、この領域については私の勉強不足です。

そんななかで、もっとも驚いたのは、CIAってオンラインで歴史文書を公開しているの?ってところでした。これ、世界の常識なんでしょうか。こっそりつぶやいときます。
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連合総研の「雇用・賃金の中長期的なあり方に関する調査研究報告書」が2ヶ月ほど前に発表されました。連合総研のホームページで全文、読むことが出来ます。私も「日本の賃金と歴史と展望に関する研究委員会」(座長:龍井葉二連合総研副所長)では深く関係したので、この報告書に少しコメントというか、補足したいと思います。

濱口先生がこの報告書についてエントリにされています。その勘所を「一人前労働者の賃金とは、単に生存が保障されるだけではなく、次世代の労働力の再生産を可能とするような生活を保障する賃金でなければならない」「このあるべき賃金を、一定の仕事スキルを持った一人前労働者に一律に保障するというところで、労働力の市場価格とは区別された一人前労働者の固有の賃金水準を設定するというイメージです」と要約されています。

前半部分の生活保障賃金の考え方が具体的に「親一人子一人」モデルが提示されました。この点が最終報告書と中間報告書では決定的に変わっています。これは明らかに藤原千沙さんの影響でしょう。ただ、ちょっとこの報告書だとこのモデルの意味が分かりにくくないかなと心配です。藤原さんの考え方については、同じく連合総研のDIOに掲載された「「多様な働き方」における生活賃金の課題」を読むとよく分かります。これもまた、濱口先生が勘所だけを紹介されているので、そちらを読んでもいいでしょう。コメント欄も早川さんと濱口先生のやりとりも重要です。そして、例によってまったく覚えていませんが、私も登場していますね。

わりと感情を刺激する議論でもあるので一つだけ補足。「親一人子一人モデル」というのは、藤原さんがシングルマザー世帯の研究をやってきたということの帰結でもあるのですが、ポイントは別に「二人親二人子世帯」モデルを否定しているわけではないんですね。単純に言えば、倍になるわけで、307万円の倍、614万円になるので、別に問題ないんですね。これは最低線を決めようということですから。だから、標準家族という考え方も、それはそれなりに問題があって、いろいろ言われるんですが、仮にそれを認めたとしても問題ないのです。標準家族の考え方の問題は家族計画の進展と結びついて理解する必要があるんですが、それはそのうちどこかで書くことにしましょう。

実はこのモデルは、長時間労働の相対化にも射程が及んでいるのです。つまり、シングルペアレントの世帯では、保育所や周囲の人の助けを借りたり、子どもの手伝いがあるにしても、基本的にはケアを一人でやらなければならないわけです。ということは、経済学の世界では、労働時間と余暇時間という分け方があるわけですが、この余暇時間もさらに、生活必要時間と余暇時間に分けるということが出来ると思います。この考え方は、今のインターバルの議論をさらに一歩、進めたものです。ワーク・ライフ・バランスということを考えるのであれば、実はこれはシングルペアレント世帯だけでなく、すべての世帯に関係する問題なのです。

後半部分、濱口先生が批判されているのは、一人前の仕事を全員に等しく与えるのは困難ではないか、ということです。ここはたしかに、具体的な仕事があげられていないので分かりませんが、具体的に確定するためには職務分析をしなければなりません。なお、ここでの職務分析は、仕事をよく知るベテランに話を聞くということです。この点は企業ごと、あるいは職種ごとに、産業ごとに定めていかなければなりません。これについては、実は既に実験的に試みたものが報告書になったと聞いているんですが、私はもらってないので、その後、どうなったか分かりません。
著者の皆さんから『資料集名古屋における共同保育所運動』をお送りいただきました。ありがとうございます。

これはすごい本です。1043ページ。11000円ですが、この重量であれば、倍の価格でもおかしくないでしょう。日本評論社もすごく立派な事業を行いました。冒頭に2016年流行語大賞で部門賞をとった「保育園落ちた日本死ね」の引用があり、これに対する返答という意味が込められています。もちろん、このボリュームの研究を一朝一夕に出来るわけもなく、本書は東海ジェンダー研究所が公益財団法人になった2012年から始められたプロジェクトの集大成です。しかし、お母さんたちの声なき声に応え、日本の保育を少しでも良くしよう、そのために名古屋での経験を伝えていこう、そういう気概でプロジェクトが進められてきたことはよく伝わってきます。

この本は社会運動を考えさせる本です。1960年代、働く母親たちが自分たちの必要から共同保育所を作り、そこから名古屋市に認めさせていきます。そして、やがてこれらの共同保育所は社会福祉法人になり、補助金を得て、経営的に安定します。この本はその黎明期の保育運動を描いています。

正直に言うと、私はこの本をすぐに読み込めるとは思っていません。そもそも私は保育に明るくないので、実践の豊穣さ、それを伝える資料の海の中に埋没して、そこから起き上がってこなければならない。本当に理解するためにはそういうプロセスは避けることが出来ません。ただ、それをやりますとは軽々に約束できません。読み込めたと思えないのに、書評を書くというのは私のポリシーに反しますが、これからどういうことを考えたいのかという個人的な思いと、これを利用することの難しさについて少し触れたいと思います。

私自身はおぼろげにもっていた日本社会運動史観というか、そういうものを根底から覆されるな、というそういう思いがしました。労務管理の歴史から入った私は、紡績をやっていたので、最低限の工場内保育所は調べましたが、このような社会運動については知りませんでした。というか、私のイメージでは、社会運動は完全に男の社会運動で、政治的なるものと切り離せない。この保育運動ももちろん、最後は行政に訴えかけて、それを認めさせるということですが、具体的な保育の探求と不可分な要求から積み重ねていくわけです。これは当事者運動の一つのパターンでしょう。

木村正身先生という社会政策の先生が昔いて、1970年代に社会福祉の考察をしているんですが、木村先生は福祉を反福祉からの回復という形でしか測り得ないのではないか、ということを書かれます。日本では基本的人権もしばしばそのように理解されます。たとえば、この同時代に展開した新しい社会運動たる環境運動も、やはり公害による反福祉状態から回復が重要な意味を持っていたと言えます。この共同保育所運動も、もちろん働く母親たちが保育の場を欲したという意味で、反福祉状態がスタート地点ということが出来ます。そして、その要求もしていくわけですが、実際にはこの運動のもっともすごいところは、家庭保育に対して集団保育の重要性を認識させることであり、そのためには保育の実践を積み重ねるしかなく、そして、それを成し遂げたことです。これは一つの社会改革であったと言っても良いでしょう。日置真世さん風に言えば、緩やかな市民革命です。

それと印象的なのは研究者が関わってるんですね。社会福祉研究の世界では「実践」が重んじられるというのは古くから言われてきたことらしいのですが、これを読むと、そういう意味が分かりますね(念のために言っておきますが、ここでいう「実践」とは単なる実務経験や実習を教えられるという意味ではありません)。

ただ、これを現代に活かすとなると、やはり難しい。歴史はそのままでは教訓にはなり得ない。やはり、歴史から学んだ人が現代の問題意識にあわせて書き直す必要があります。この本の場合、単に分量が多いので、心ある人はじっくり勉強したいと思うでしょうけれども、なかなかその時間は取れないという物理的な問題があります。ただ、それだけじゃなくて、たとえば「自主管理保育闘争」とかすごく面白いんだけど、その面白さを理解するためには「自主管理闘争」という労働運動史の方では馴染みのある考え方をしらなければなりません。これはほんの一例ですが、同時代の労働運動の流れとかを理解しないと難しいですし、そこからやるには相当の勉強が必要です。なお、大人の勉強というのは、頭の善し悪しなど大して重要ではなく、究極のところ、どうやって勉強時間や物を考える時間を確保するかだけが重要です。そういう意味で、この本だけでは保育運動を前進させるのは困難であり、やはりエッセンスを伝えるようなものが必要ですね。

私自身は本格的にこの問題を考えるのには少し時間が必要ですが、少なくとも今進めている本の中で、社会政策のプレイヤーとしての社会運動の中にこの話は入れて、考えていかないといけないと思っています。本の内容に反映させることだけはお約束します。
川崎臨港バス労組が36年ぶりのストライキを打ったということで、先週、話題になった。神奈川新聞の記事がある。実は、このストライキは数十年経った後、歴史的なストライキとして記憶される可能性があるのではないかと思っている。それは何よりこのストライキが自分たちの労働条件を問題にしただけでなく、その後ろにある乗客の安全確保を訴えたという点において、公共の正義に適っているからである。私は普段、よほどのことがない限り、具体的な事実をもって正義であるなどと判定することはない。しかし、あえてこのストライキが今後の正しい方向を示していると断言したい。

今年(2016年)の1月、軽井沢スキーバスの転落事故が起きた。若い大学生15人が死亡したこと、そのうち、娘を失った一人のお父さんの毅然とした態度がひどく印象的な事件だった。この事件の背景には、会社側の杜撰な労働安全を含む労務管理があり、事件後、国土交通省の立ち入り検査や行政処分を受けていたことも明らかになった。ここで我々が学んだことは、会社側の労務管理が、単に労働者の命を奪うだけでなく、消費者(乗客)の命をも奪うということであった。

ストライキが悪のように語られたのは、1975年のスト権ストが一つの転換点で、国労が自分たちの権利を主張するためだけにストライキを打ったこと、この事件を契機に、中曽根康弘が国労・総評潰しを企図して80年代には臨調と並行して、国労の悪宣伝を広めたためである。総評内では、ストライキをやらない少数派鉄鋼と、それ以外という路線対立という側面もあった。だが、一番は当時の官公労は非常に強く、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、スト権ストの直前まで公共部門の労働基本権の回復はそう遠くなかったと思う。ただ、その反面、75年時点で国労に驕りがあったのも事実で、スト権ストは民間労組の協力を仰がないで単独で行われた。これに総評内の私鉄総連、全電通が怒ったのも当たり前であり、身内を固められないストライキが世間の評価を勝ち取れるわけもなかった。しかし、私は政治とは冷酷なものだと思っているし、自民党と革新陣営は敵だと認識していたわけだから、別に当時の自民党のプロパガンダが法を犯していたとしても、私はそれを悪だというつもりはない。

ストライキが風物詩のように行われた時代が去り、ストライキが異常な事態のように考えられるときがやって来た。念のために確認しておくが、ストライキは今でも労使交渉における最後の切り札である。基本的人権として保障されているからではない。いわんや労働者が弱者であるから基本的人権として保護されているわけではない。世界の労働者が労働運動の成果として歴史的に勝ち取ってきたのである(ちなみに、まだ認められていない国やILOの権利によって守られている国も少なくない)。ストライキ権が付与されているとはどういうことか。ストライキによる損害賠償が認められないということである。連合成立に際して、参加を決めた動労への損害賠償は取り下げられ、最後まで岩井一門のリードによって特攻した国労はその損害賠償支払いによって国労会館を失った。きわめて政治的問題である。

ストライキ権については、過去のエントリで書いた。その際、当時連合総研(今はJCM?本拠はJAM)の市川さんからコメントをいただき、それに対してリプライを書いた。ILOで労働者代表として戦ってきた市川さんとのやりとりはすごく重要なので、あえてもう一度、ここに紹介しておきたい。

ストライキの重要性が忘れられた現代の日本において、それを喚起させたのは2004年のプロ野球のストライキである。日本のプロ野球史上、唯一のストライキであり、結果的に、選手側が主張した12球団維持が通った。このときは近鉄とオリックスの合併によって12球団制度が維持されなくなることが争点で、ストライキの期間をどうするのか、無期限にするのかどうかという議論も出たそうだが、結果的には2日だけだった。言うまでもなく、ファンのことを配慮したからである。テレビ越しにも当時の古田敦也選手会長が相当タフな交渉に臨んでいるんだなというのはその表情から察せられた。ファンも選手たちを支援した。

プロ野球のような人気スポーツでないため、今回の川崎臨港バスのストライキは世間の同情どころか、関心さえも集めていない。正直、利用者にもあらかじめの理解を得ることは出来ていないだろう。記事のインタビューを読めば、迷いながらの苦渋の決断の末に行われたストライキであることは伝わってくるし、そのような真心にもとづく行動は、私のような現場に立つわけではない外部の賢しらな意見などから自由な方がよい。だが、ストライキというのは、労使間だけでその勝敗が決まるわけではない。団体交渉はたしかに労使だけで決まるが、ストライキになって、労使以外に影響を及ぼすようになると、その勝敗には世間の流れが大きく影響してくる。だから、世論形成はかつてはストライキの常套手段であった。

今はやり方によってはチャンスである。なぜなら、川崎臨港バス労組が提起した、厳しい労働条件によって消費者(乗客)の安全が脅かされるという問題は、まさに政府が進めている「働き方改革」の直球真ん中である。このストライキは世の中のよい流れに乗っていると言える。だから、話の持って行き方によっては、電通と並んで働き方改革の目玉になり得る。連合は5年ぶりに自民党と政策協議を行っていて、ある意味ではこういう事例をうまく取り込むことによって、イニシアティブを示すことが出来るはずだ。ここが勝負所だという戦略眼に期待したい。

・・・けれども、このニュースペーパー動画を見ると、頭がクラクラしてきて、連合が世論形成をするなど夢にも思えない。これ、炎上してもおかしくないと思うのだが、浸透してなさ過ぎて、誰も気がつかず、炎上さえしないのではないか。組織のどのレベルでOKを出したのか確認したいし、これからは連合関係者に会うたびに一人一人この動画を見たことがあるのか確認し、その上でどう思うか聞いてまわりたいくらいだが、情報宣伝において、連合はエキタスやシールズにさえ遙か後塵を拝していると言わざるを得ない。

先日、長時間労働の労働相談を連合は行った。それ自体は素晴らしい。その翌日、ツイッターで「#もしも定時で帰られたら」を告知した。それを情報労連の対馬洋平さんの個人アカウントが、エキタスの「#最低賃金1500円になったら」と一緒に広めることを提案、エキタスアカウントもすぐにこれに反応してちょっとした広がりを見せた。この秋からハッシュタグを使って問題提起するようになったのは素晴らしい。しかし、順序が逆であろう。どう考えても、こういう事前の周知をした上で、キャンペーンを打った方が労働相談に多くの人に参加してもらう上でも、さらには連合の活動を周知する上でも良かっただろう。この段落で私はそんなに無茶なことを言っただろうか。2016年現在ではほぼ常識的に考えられることを書いているだけだと思うのだが。
『擬制の論理』は戦前と戦後初期の議論を中心にしていながら、それでいて、現在の問題意識を鋭く反映させた問題提起の書であるが、古いスタイルにありがちだったポレミークな装いをしていないため、その性格は見えにくい。それは本書が過去の論争を通じて、どちらかの立場に立つのではなく、その論争という舞台に照明を当て、演者を光らせることに徹していることから来る必然にも思える。私が『日本の賃金を歴史から考える』を書いたときも、左右の対立、労使の対立のいずれかに立つのではなく、それぞれの考え方が理解できるようにと配慮したが、こういう書き方は新しいということで、驚かれたことが何度もあった。実は、私の書評も同じスタイルなので、もっと自分の主張を前面に出すべきだと言われたこともあった。こうやって後から考えてみると、今は理念先行のイデオロギー対立の時代が去って、新しい時代が到来してきたのかもしれないという気がする。

擬制の論理で面白いのは、著者が考証を重視する研究についてよくよく知っていて、それを限定的に使っている点である。2002年に羽生辰郎『マックス・ウェーバーの犯罪』という本が出て、ウェーバーをめぐる論争が活況を呈したことがある。ちょうど私が大学院生になったばかりの頃で、何しろドイツ語が出来ないので、その決定的な判断が出来ないため、丁寧に論争を追うことはなかったが、論争が展開される風景は興味深く眺めていた。考証による事実の訂正と、それに対するイザコザというのは、わりとどこでも見る風景であるので、そのことにはここでは触れない。ただ、私の周りではもともとウェーバーの考証については椎名重明先生の研究があり、そういうものをすっ飛ばして、あたかも世紀の大発見をしたかのように言うことに疑問を持つ声があった。丸山眞男についてもほぼ同時期に似たようなスタイルでの研究が出た。安川寿之輔の『丸山眞男と福沢諭吉:「丸山諭吉」神話を解体する』である。私も20代の頃は、歴史研究者として、資料の正確な読解による考証ということに惹かれていたので、考証によってことの成否が決まると考えていて、その文脈でポパーの反証可能性の議論をよく聞いた。

ただ、もう一方で歴史研究においても、その研究者は自らが生きる時代から自由ではない、ということも聞いた。このことを仰っていたのは武田晴人先生で、日本経済史研究の研究史を勉強していく中でそういうことを学んだ。現代の問題意識と歴史の関係という点では、カーの『歴史とは何か』岩波新書を誰しも思い浮かべるであろう。この点では今年亡くなった安丸良夫の民衆研究もそうであったと思うし、よりナイーブに自分との語りという形で展開して見せたのが阿部謹也と言えるかもしれない(『自分のなかに歴史を読む』)。だが、武田先生たちの世代は、講座派的な運動的志向を持った先輩たちに、史料が語る事実をもって反論してきた、すなわち、客観的志向が強かったにもかかわらず、その時代から自由ではないという点がカーたちとは違う。そこが面白い。

山内史朗『誤読の哲学』という本があって、哲学者が過去のテキストを誤読、もっと言えば意図的に文脈を切り離したり、読み替えたりするなかで新しい哲学が展開した、ということを描いている。この文脈の読み替えこそは、その時代に制約された問題意識を反映している。丸山のように同時代人たちに大きな影響を与えた人物は、その読み替え自体が研究対象であり得る。これは丸山門下の松下圭一や堀尾輝久についても同じ事が言えよう。

そうやって考えていくと、松田先生の丸山分析は、丸山の読まれ方という時代的な問題の剔出と、フィクション(虚妄)という着眼への評価の二点に特徴があるといえる(前者は5章、後者は6章)。ただ、とりわけ後者の読み方については、丁寧に丸山の着想になったであろう先行研究が検討された上で分析されているのだが、松田先生によるフィクションではないかという気も実はちょっとしている。もちろん、それを判定するには本文および注で扱われている文献を再検討するというのが学問的手続きであるのだが、私は別に当該分野の研究者ではないので、どちらでもよい。しかし、あえて私の希望を言うならば、フィクションという概念を巧みに使ったこの研究がその主張自体もフィクショナルな性質を持っていて欲しいと思うのである。それもまた思想と言えるだろう。
松田宏一郎『擬制の論理』を読み始めたら、面白い。少しずつ考えておいたことをメモしておきたい。というか、本当はこのブログはそういう趣旨で始めたものだし。

まず、「序」から始めたいわけだが、この短い間のなかで深く検討すべき論点が既にたくさん含まれている。松田先生の立場は、きわめてプラクティカルである。真理に到達する方法など確立されていないのだから、セカンド・ベストであっても現実的な「擬制」を利用するということが重要である、というものであろう。

冒頭、イェーリング、ブラックストン、ベンサムの言葉が比較されているが、ブラックストンはコモンローを重視した人で、ベンサムは制定法を重視した人と言えるだろう。大まかに言って、最初の二人は自然な法(ロー)の発見を重視、ベンサムは人為的に制度を設計するのを重視、と分類していい。法の発見というときの法は絶対神、ないし絶対的な法則と言い換えてもいい。その方法はないので、セカンド・ベストとして擬制を重視するという話である。これは西洋で発達した統治技術で、日本でも明治以降にこういう問題を取り扱わなければならなかったということである。

どうも松田先生の論の運び方を見ていると、擬制には政治的とつけてやや厳密に理解した方がよいのだが、政治的から離れても通用するような一般的な理解でよい場合をちゃんと意識しているな、というところがあって、そこのバランス感覚は絶妙である。たとえば、荀子と徂徠の「道」概念が出てくるのだが、この例示がもし老子だとうまくいかない。老子は言葉で言い尽くせない「世界、ないし宇宙、ないし存在の法」のようなものがあって、名前のつけようがないけれども、とりあえず「道」と呼んでおこうといって議論が始まる。荀子、徂徠の議論も当然、これを踏まえているのだが、礼楽刑政まで来ると、ぐっと政治的擬制という意味合いが強くなる。松田先生の言う徂徠の意図は制度は正しい道に則って運用されなければならないということだろう。だが、「道」の考え方は、キリスト教でいうところの否定神学における「神」の扱い方に近いので、具体的にどうやるかは別にして、自然法のような形で展開して、法思想になってもおかしくないのではないか。というところに、深入りしないのが松田流である。これ、突っ込んでいくと、普遍論争のような話になる。というところから話を展開してもいいが、名前が何を表すのかというのは、この本の次の展開として、作られた擬制がどのように機能するのか、ということは当然、次に考えられるべき課題になってくるだろう。

ロミオとジュリエットに出てくる有名なジュリエットの「バラの名」の台詞がある。モンタギューの名がなんだというの、バラをバラと呼ばなくても甘い香りがするじゃない、名前なんて意味がないわ。という内容である。その一方で、名前そのものがその人の記憶や存在そのものを表す場合もある。2016年に大流行した「君の名は。」にもそのモチーフがあるし、歴代興行収入トップの「千と千尋の神隠し」にも実は同じモチーフがあった。名前を奪われると、その存在までも失われるのでは、ある機能に名前をつけましたというような、ただ(唯)の名前だというわけにはいかない。というか、日本の神話的世界ではわりと王道である。では、こういうところをどう考えていくのか、というのは問題としては面白いが、面白いのでまた取っておこう。

とはいえ、方法が確立されていないので、それを有用性において割り切って利用しようという発想は、きわめて日本的な解かもしれない。この点では松田先生の立場は尾高朝雄の「法哲学における形而上学と経験主義」にも似ている。尾高は経験というのは未熟なもので、だからこそそれが修正される点を重視する。そして、その考察を進めて現象学にたどり着いていって、それはそれでよいのだが、実は方法がない、と言っていたところがそうじゃないという立場がある。簡単に言えば、秘教、行の伝統である。近代ではもっとも有名なものの一つは、スピリチュアル界隈では「いか超」という略称で呼ばれるシュタイナーの行論であろう。まあ、人間が一人残らず、覚者になれば、擬制などはいらないかもしれないが、思考実験としてもあまりに現実から遊離しすぎている。結局のところ、「擬制」の作りものの性格(これはだから偽りであるとは限らない)を前提にするというのは、プラグマティックではないかもしれないが、プラクティカルには有用であり、私もすごく共感する。
夏に東京ブックフェアに出かけたときに、あまりに面白そうだったので、衝動買いした本。博士論文を本にしたもので、おそらく近代日本思想史において今後、必ず参照されるべき研究と言えるだろう。前川さんは島薗進先生のお弟子さんということだが、先生の問題意識を少し違った角度から継承し、発展させている。前川さんがこの研究に取り組んだきっかけは蔵書整理ということで、そういう資料との邂逅体験というもの、よい歴史研究ではよく見られることのように思う。ともかく、このような形で師弟で学問を進めるというのはなかなか珍しいのではないか、と感じた。

この本は「宗教」概念をめぐる議論、すなわち宗教論が、人格陶冶を導いて、それが国民統治の道具たる国民教育へと展開していく過程を描いている。と、普通だったら、これだけでも十分に博士論文になると思うのだが、前川さんの場合、それは第二期の段階で、その幸せな国体論と宗教論の結びつきが破綻していく第三期(昭和十年代)まで描いている。前川さんが直接の先行研究として検討しているのは宗教学と教育学がメインだが、ざっくり言って、統治論、政治思想、法思想のような国の上の方での議論に関心を持っている人は、分野が多少違っても、必読の文献になっている。時期的に見ても、島薗先生の『国家神道と日本人』が教育勅語で終わっていることを思い出すと、まさに正統な継承者といえる(もちろん、島薗先生の仕事はこれだけにとどまるわけではないが)。

ざっくりとした感想だけれども、やっぱり明治期の日本というのは、貧しい中で無理して国家に学問させてもらっているという意識があって、だからその成果をなんとか還元しよういう気持ちの人が多いんだな、それは分野を違えても同じなんだなというのがまず浮かんだ。その意味では第2章でイノテツ(井上哲次郎)、第3章で姉崎正治という形で人物をベースにして、その対立者をうまく登場させた思想史研究で、第4章以降、宗教学の枠組みがどのように国家教学、国民教育として展開していくのかをマクロ的な広がりで捉えていて、これは構成と手法の組にみ合わせの妙だな、と唸るほかない。お手本というべきであろう。

この本が明らかにしたことは、人格修養主義がどのように登場してきたのかということを「宗教」をキーワードに見てきたことであろう。これは大正教養主義から戦後啓蒙主義までを理解する上でのカギになるだろう。本書でいえば、第1期から第2期にかけての基盤を明らかにしたと言える。ただ、第2期から第3期への移行については、やはりメインは社会科学、とりわけマルクス主義の影響を看過することはできないと思うのだが、この点はやはり十分に検討されているとは言えない。宗教、国体という明治期の枠組みの展開でこの時期を乗り越えるのは難しいと言える。T・H・グリーン思想を自らのコアとして鍛え直そうとした大正教養主義の申し子河合栄治郎は、宗教とは距離を置いたが、マルクス主義への対抗を思想的立場として置いていた。

1920年代以降、神道、仏教、キリスト教の社会事業は華々しく展開するのだが、それでもなお、社会問題を全面的に解決するようには見えず、多くの若者たちを魅了していったのはマルクス主義であった。マルクス主義こそが社会問題を全面的に解決するように信じた人が少なからずいたからである。分かりやすく言えば、人格修養主義では河合栄治郎は相当に努力したにもかかわらず、思想善導が実現できるとは思われなかったのである。1920年代から徐々に自然発生的に出てきて、1930年代に大々的に展開する日本主義はマルクス主義の影響から自由ではない。あとは大谷さんの日蓮主義運動も重要な導きになるはずである。

もう一つは、人格主義と人物論についてだが、カーライルの英雄崇拝はたしかに影響力が大きかったというのは私もそう思うけれども、より視野を広げてみると、いくつかの疑問がある。戦前期の人物論はゴシップが多い。このゴシップへのカウンターパートとして理想論が必要だったという面があるのではないか。さらに、宗教学の影響がどれくらいあったのかもなかなか難しいところではないか。多くの人々は今でも厳密に物事を考えたいわけではなく、適当に考えたいのである。そういう人たちを魅了するのは、方便を駆使する法話であろう。要するに、この時代の講演は宗教者の法話的なものも含めて娯楽なのである。この辺のリアリティがやや伝わってこない感じがする。私はまさにこの時代の労務管理を研究していたので、そういう資料も読んでいるから実感としてそう思った。具体例を少し書こう。たとえば、全体的な方針としては教育重視、修養主義で婦徳が重視されているのだが、実際の講話とかだと、ダメな亭主を陰に陽に叩き直す話が喝采を浴びたりしているわけである。本当にありがたい法話というのはそういう娯楽性をうまく取り込んでいる。何が言いたいのかというと、宗教が人格修養に寄与すると考えられたから宗教者が利用されるというより、単に話が面白くて、ときどき難しかったり、素晴らしい人生訓が入ったりするから、場が持って重宝だったのではないかという気もするのである。もちろん、知識階級にはいかに生きるべきかというようなニーズもある。

そうすると、やはりテーマだから仕方ないけれども、国家と宗教を結び付けて考察しすぎている気がする。それが少し窮屈である。素人からすると、やはりここのところは別の何かで補わなければならないな。とはいえ、冒頭で繰り返し褒めたように、本格的な歴史研究で教えられることは多いので、ぜひ手に取られることをお勧めする。
友人の酒井泰斗さんの協力によって単著執筆支援研究会が始まりました(いつの間にか単著執筆準備作業進捗報告会になっていた)。三つが並行して始まっているのですが、とりあえず、私のものが見切り発車で先日、第一回が行われました。酒井さんのは論文だからというよりは、もうちょっと違う狙いがあるような気がするので別枠で、カウントしませんでした。

私の報告は「社会政策における医療」というタイトルでしたが、研究会でそもそも「衛生」の方がよいんじゃないかと指摘されたとおり、衛生行政から始まった医療と社会政策の関係を概観するという試みを行いました。取り組みを始めて、なるほど、この分野はすごく重要だなという思いと、これは自家薬籠中にするにはなかなか時間がかかるなという印象を持っています。面白いなあと思ったのは、日本の近代医療史の中では大きな足跡を残されたのは川上武先生、それから、佐口卓先生、野村拓先生がいらっしゃいますが、彼らは戦後の革新運動の中にいたんだなというのが実感されたことです。そして、1968年革命を通じて、フーコーもある意味では何か通底する問題意識を持っていたように思えたことです。医療まわりは、生命を媒介にいろんなところに展開していくので、こういうところとくっつけた方がいいなというアイディアもいくつかあるのですが、それはまだもうちょっと先にお話しすることにしましょう。

研究会は、内在的に、どうやったらまとまるかという点から議論していただいたので、今まで数年間、一人でバラバラにやって来たことが課題として少し整理された気もします。というか、最初の構想とは異なって、自分の中ではブラックボックス化していた二つ目の章の構成を考えるヒントをいただいたようで、その線で作業を進めたいと思っています。なぜ、こんなことをわざわざ書くのかというと、これは酒井さんとしても新しい企画で、こういう途中過程を私なりに記録したり、感想を残しておくのも意味があるかなと思ったのです。

私も藤原さんと畠中さんという二人と一緒に、大原社会政策研究会という研究会をここ2年間やって来ました(というか、藤原さんと畠中さんの情熱に引っ張ってもらっているのですが)。この研究会はややもすると、大学院生活のなかで閉塞しがちな若手を支援するために開いたものです。個人的には、もっと継続的にこの研究会を利用してもらって伴走型の研究会になるものと思っていたのですが、どうも継続的に出席するのが難しいからか、スポット的な報告が多いのです。もちろん、それでもその時点で自分に必要な使い方をしてもらっているのでそれで構わないのですが、もうちょっと連続的にやるとなると、別の仕組みが必要なんだなということも分かりました。今回の単著執筆支援研究会というのは、そういう意味で面白い仕組みだなと感じています。

アドバイスされる側に立って研究会をやっていただくと、よく考えてみると、いつも自分が言っていることがそのまま当てはまったりして、ああそうだよなあと唸ることしきりです。やっぱり、言うのとやるのでは違いますねえ。一番のポイントは、まとめるためには何を切り捨ててどこに集中するのかということで、とくに期限を切ったら、その中で何をやるのかということです。しかし、実際に自分が何かを調べ始めると、面白くなってどんどん調べるのを止められなくなってしまいます(不安になってという人もいるでしょう)。それはやらなくてもいいんじゃないか(次に持ち越す課題にするということも含めて)というのは大事な視点で、ここは人から指摘されないと分からないというか、見失いがちですね。

もちろん、やらなくてもいいというアドバイスを全部、受け入れる必要はないんですが、そのときにはそれに対してはなぜ入れなければならないのかということを説明する必要があります。そのプロセスは案外重要です。削れないというのは、自分にとっては重要だということで、つまりは核の部分を説明することになるからです。私の場合、社会運動を入れなくても、政策に主軸を置けば、いけるのではないかという話があったのですが、どうもことに戦後については政策形成に大きな影響を与える主体であった社会運動抜きにも出来ないと思っていて、そこで対象(何をもって社会政策と呼ぶのか)と主体の関係の説明という問題が出てきました。何を対象とするのかは数年前、学会で別の報告をしたときにも出てきた質問でした。

しかし、ここまで書いてて思い出したけど、6年前に書いた「日本における「社会政策」概念について」とも決着をつける必要があるだろう。