先週の火曜日に人事院勧告が出ましたね。などといって、たまたま教えていただいたわけですが。

人事院勧告はその成り立ちから考えれば当然、今の給与水準をどう考えるかということを考える材料を提供してくれるわけで、今回も月給、ボーナスが(わずかながらも)あがったのかというか、そういうところにまず注目が行くと思うのですが、意外と重要なのは「公務員人事管理に関する報告」で、これは端的に近年の人事管理まわりに関連する政策(今は働き方改革ですが)を中心に、人事院がどのような問題意識をもって考えているのか、ということを端的に示しています。ただ、実際にどんなに勧告を出しても、人事院はやはり公正中立な立場を求められる以上、どうしても一歩、踏み込んだ表現をすることは難しいんですね。そうすると、勢い、毎年、同じようなことを繰り返すことになる。

政治家ないし政党と官僚の関係というのは戦前から難しいのですが、私は自民党にせよ、民進党にせよ、そろそろ公務員に重点的に投資するという政策を打ち出してくる政党があってもよいのではないかと考えています。自民党に即して考えても、彼らが、というより中曽根さんが総評つぶしをやったときのような、共産党ではない戦闘的左派の存在という条件はもう今やなくなっています。そうなると、あの頃やった国労バッシングのような公務員叩きはあまり得策ではなくなってきている。それから、直近で、前川問題でにわかに注目された内閣人事局があまり成功しているとは言えない。内閣人事局は上級公務員の人事権を握ることには成功したのですが、その運用がうまく行っているとは言えません。うまく行っていないというのは、少なくともこの一連の動きで、民衆はうさんくさいと思っており、その限りでは安倍政権は大打撃を受けているからです。この失敗はなぜかということを考える必要があるでしょう。

もう一つ、人事院はここ数年、人材確保の重要性を言い続けているのですが、おそらく労働市場の好転にともなって、この課題はますます深刻になってくると思います。公務員でなくとも、金銭的報酬でそれ相応に遇せない場合には、他の形、特に精神的な報酬が提供される必要があります。かつてはそれが国家のためということで納得できたわけですが、今や公に資する方法は公務員以外にも開かれています。労働組合もまったく下手なのですが、古くからあるところはよほどうまく宣伝しない限り、古臭いという偏見だけがマイナスに働きかねません。しかも、これは公務員全般へのイメージでもあるので、各省庁で工夫して何とかなるというものではなく、人事院や内閣などが本格的に動くしかないのですが、そのための予算も十分ではない。予算がないというのは財源がないということもありますが、そこが少なくとも政治家にとって戦略的に重要だと認識されていないということでもあります。だから、私は来年あたりは踏み込んで、戦略的に人材確保をしないとまずいんだ、そのためには予算が必要なんだということを、もっと直接的な表現で訴えてもよいのではないかと思います。思いますが、これは外野からだから、そう言えるのであって、人事院の立場では難しいでしょうね。ただ、上の人事権だけを握るのではなく、公務員全体の処遇を上げていくというのは、悪くない戦略ではないかとずっと考えてはいます。

大正時代くらいだと、各企業は優秀な学生がみんな官に流れるので、なんと給料をあげました。今や流れは完全に逆で、仕事の魅力を効果的に伝えられなければ、処遇改善はまったなしでしょう。というか、民間準拠は高度成長の時に太田池田対談で決まったわけですが、あの頃と今では状況が違う。平均した民間に準拠していたら、経済的に考えれば、優良企業との人材確保競争に勝てるわけがないのは火を見るよりも明らかでしょう。

この点で民進党に期待できないのは安倍政権以上です。こうなると、社会民主主義的な考え方をする政党が出てこないと難しいですけれども、これは難しいんだよな。1930年代から1940年代にかけての革新を再生させるのが私的には理想かなと最近は考えているのですが、それは今、勉強中のところでもあるので、そのうちに何か書くかもしれません。
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田中萬年先生からコメントをいただきました。先生からは外在的な批判ではないかという趣旨をいただき、その限りでは「その通りです、すみません」というお答えしかできないのですが、そうなった理由もそれなりにあって、そして、そのことを説明することが、萬年先生が一番気にされている先生と私の意思疎通の問題に答えることにもなるのではないか、と思います。

運動としてなのか、研究としての評価なのか、ということで、そこはたしかにきれいには線引きしていません。ただ、私から見ると、田中先生の問題設定自体が極めて、学問的というよりは、職業教育の今日的立場を明らかにするという実際的な、それ自体は切実な問題意識に基づいていると思っています。そして、佐々木先生ほど田中先生の書かれるものは、そこが線引きされていない、というのが私の印象なのです。

ここでは研究として、ということで、書いておきましょう。私は先生の研究アプローチ自体に大きな疑問を持っていて、政策理念についての分析はその当事者がどう考えていたかを明らかにすることは出来ても、日本全体で職業教育、職業訓練、教育(いずれでも構いませんが)を論じるには適当な素材ではないと考えています。そうしたテーマであれば、代表的な論者の議論を検討するだけでは明らかに不足しており、より広範な雑誌、新聞、その他での意見などを精査して、実際の教育が日本においてどのように受け取られていたのかということを明らかにすべきでしょう。端的に言って、もっと考証すべき事柄が多いと思います。だから、私の田中先生の御著書への評価は、歴史研究の考証作業としての貢献には興味深い点が多くあり、かつ学ぶべきことも多いが、その成果は必ずしも先生の主張をサポートしていないということです。言い換えれば、問題設定と方法が必ずしも一致しているとは言えない、そういう判断です。

その上で、田中先生の質問に答えるならば、「教育勅語」についてどう思うかですが、端的に教育勅語についての私の見解を述べよという意味ならば、答えは「分かりません」です。少なくとも帝国日本における憲政のあり方、皇室制度の位置づけを理解しているとは言えませんし、さらに、ある種のナショナリズム的高揚がどのように起こったのか、そのなかで教育勅語はどう利用されたのか、あるいはどう受容されたのかについて、研究史を精査した上で、どのように考えているとは言えません。さらに、教育勅語廃止に関連しても、日本国憲法の成り立ち、その思想的背景、とりわけ若き日の稲垣良典先生が研究されたらしいカトリック思想の寄与について、あるいはそれらの事柄を踏まえた田中耕太郎の思想を検討して、国体レベルでの連続性をどう考えるのかということも分かりません。こちらは上の方の議論なので、それと受け止められ方はまた別に考える必要があります。それに皇室あるいは共産党流にいう天皇制と教育との関係でいえば、戦前には教育勅語だけでなく、戊申詔書を中心とした地方改良運動、その後の明治神宮設営における青年団の活躍、1920年代の日本主義の興隆などをトータルに考えなければならないのは言うまでもありません。

加えて、戦前の実業教育で教育勅語が問題になるのは1920年代に公民科を作るときくらいで、それ以外の時にはいろんな審議会等の速記録を読んでいますが、教育勅語との関係を踏まえて議論するなどということはほとんどないのではないでしょうか。だから、そもそも学校以外での狭義の職業訓練、普通教育ではない学校で行われる実業教育のいずれにしても、教育勅語と組み合わせて考えなければならないという局面はほとんどないと考えています。具体的に言えば、実業教育史研究のなかで、三好信浩さんの産業教育史研究、小路行彦さんの『技手の時代』にも私の記憶する限り教育勅語は出て来ません。そもそも、教育勅語をどう考えるのかは大して重要ではありません。それよりも、戦後の教育学界隈を縛ったのは戦時総力戦体制の中で学校がどう組み込まれていったのか、そこで産業とどう関係していたのかということであって、この文脈において教育勅語が果たした役割は、あったとしても限りなく周辺的なものであっただろうというのが私の見通しです。とはいえ、私は「勤労新体制」でさえもただのキャンペーンで大して重視していないので、そのあたりはそれぞれで割り引いて受け取ってください。

田中先生の職業訓練の概念は、通常の職業訓練だけでなく、私が実業教育と呼ぶものから、普通教育のなかで教えられる一部にも及んでおります。私は概念を拡張する試みを中身としては別に否定しませんが(そういう解釈もあり得るとは思います)、実践的にも研究的にもあまり意味がないのではないかと思っています。読み書きそろばんも職業訓練そのものだという考え方も、実際にはそのような職業訓練を拡張する考え方を提示することは別段、何をもたらすこともないでしょう。この限りでは以前、『非教育の論理』の合評会をやった頃から私は何も変わっていません。今読み返すと、内容は別に変らないのですが、自分の青臭い感じが恥ずかしくて、わああああという気分なので、リンクは貼りません。なお、この段落だけ部分引用禁止です。

朴さんから著書『外国人をつくりだす』をいただきました。ありがとうございます。研究会などで部分的なお話しは伺っていたりしたのですが、今回、まとまった形で、読むことが出来ました。いろいろと考えるきっかけを与えられる本で、とても刺激的だと思います。2週間くらい前にはほとんど書いていたのですが、すっかり遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。

この本は、入国管理とその制度を前提として成立する「密航」に注目して、いかに在日朝鮮人(日本帝国において朝鮮人として戸籍に登録され、日本に居住していた人々)が戦後いかに外国人として登録されるようになったのか、という問題に迫ろうとしています。とりわけ、朴さんの研究の他の人が真似できない特長は何と言っても関係者へのインタビュー調査でしょう。これは二重の意味で、半分は朴さん自身の出自とそれが可能にしたインタビュイーとの調査で、もう一つは単純に彼女個人の人柄です。後者は完全に私の主観的な印象ですが、朴さんは格好つけないで、まっすぐに悩んでいることは悩んでいるという人で、大きく見せようとかそういうところがないので、話し手が自然と話しちゃうということはあるんじゃないかなという気がします。このあたりが天才と呼ばれる所以でしょうか。こういう調査は、実際のものを読んでみることでしかその魅力が分からないので、ここで引用したりはしません。私には引用によって、それを伝える力などありません。

ただ、正直に言うと、私は朴さんの研究の核がどこにあるのかがよく理解できていないなという気がします。まず、なぜそう思ったのかというと、戦前との関係がよく分からないからです。そもそも朝鮮半島からの流入については三・一運動以降、日本政府は一貫して何とか制限しようとしてきました。ということは、戦争が厳しくなった一時期を除けば、ほとんど日本政府は朝鮮半島からの流入に否定的でした(が、これが当時から一般的に知られていたかどうかはよく分かりません。審議会等も機密扱いが多いので、知られていなかった可能性も高いです)。外国人登録制度と、そういう政策との連続性がどう関係するのか、それから朝鮮半島の戦後情勢とどう関係するのか、詳しい考証は出来ないにしても、どういう風に考えればよいのかがよく分からなかったというのが一点です。

もう一つ、戦後の労働運動、社会運動、政治運動のなかで、朝鮮人が果たした意義は少なくありません。このことは少なくとも戦後の労働運動史について多少とも勉強したものにとっては常識的なことです。冷戦体制が構築されていく中で、どうやって日本政府も含めて西側が外国人登録制度を作っていったのか、ということはやはり知りたいところです。台湾は台湾で大陸中国との関係がありますからね。

事実関係で言うと、こういう大きな政治構造というか、安全保障というか、それらとの関係がよく見えなかったということがありますが、そのことと、おそらく第1章がなんで必要なのか門外漢には分かりづらいということと関係します。そして、この分かりづらさは何重にも複雑に絡み合っています。まず、形式的なことだけ言うと、序章で在日朝鮮人についての歴史研究について先行研究が紹介され、それに対する朴さんの研究の位置づけがなされています。私の感覚だと、この後、第2章以降の本論に入ればいいんですが、なぜかその後に資料(データ)論と社会学についての第1章があって、ここが私にはさっぱり分からなかったんです。というか、書いてしまうと、データ論と、後ろの考証がどう関係あるのかということが問われてしまうわけですが、うーん、そこがどう決着しているのか見えない。

資料(文書かオーラルか)そのもの論よりも、構築主義をどう取り入れていくのか、あるいはエスノメソドロジーをどう利用していくのか、という詳しい説明があった方が良かったんじゃないかなと思います。あとがきにはというのも、歴史学にしても、社会学にしても、昔から文書とヒヤリングは、研究成果として出すかどうかは別にして、併用していたわけです。たとえば、有賀喜左衛門は日本資本主義論争の文脈では講座派として消費されていたわけですが、本人の書いたものを読む限り、そういう図式的な方法には懐疑的な、ヒヤリングを含む資料主義でした。でも、有賀喜左衛門の家研究と、朴さんの研究は方法的に全く違う。有賀は一人の例ですが、そういう過去の社会学の方法とどう違うのか、ということの方が重要だったのではないかと思います。単純に、現在の社会学的分析の意義を説明するのに、なぜ社会学の先行研究との違いよりも、現在(かどうかも微妙ですが)の歴史研究との違いを一生懸命、説明しなければならないのか、門外漢には本当に謎です。

なぜ、戦前の問題を持ち出して、朴さんの研究の分からない点を述べているかというと、この研究では制度としての登録制度の説明をして、しかし、その制度の運用およびその網の目をくぐり抜けようとする人たちの姿が活写されているわけですが、その背後には戦前以来の日本国家や社会のなかで朝鮮半島出身者とどのような経験を積み重ねてきたのかということが、制度設計や彼らの行動の背後にあると思うからです。といっても、こういう問題は考証するのが難しい。とくに個々人の経験を語るインタビューのリアリティ(事実じゃなくて、あくまでリアリティですよ、ここは)と同じ密度で考証するのは不可能でしょう。それに、インタビューから垣間見えてくるのは中央で政策を決めていた人ではなく、あくまでローカルな役人(警察を含めて)の姿で、そこにはローカル・ガバナンスを見る際の高い価値があります。逆に言えば、大きな話に繋がっていかないのは、対象の性質の問題も大いに関係あります。ただ、「朝鮮人はいかにして、戦後日本における外国人になったのか」という大きなストーリーには、もう少しレイヤーを分けて、考証する必要があるようには感じました。

なぜ、私は大きい話と結びつけて考えるのかというと、ある集団の排除はその集団全体そのものよりも、その集団に属する(属していない場合もありますが)特定の人たちを排除するために利用されている可能性があるからです。レッド・パージがそうなんですが、あれは共産主義者の排除を目的とされていたのですが、共産主義とは関係ない人でも会社に都合が悪い人が一緒にパージされたりしていて、それが後年まで争われていたことはよく知られています。しかも、在日朝鮮人の場合、韓国や北朝鮮という国家との関係もあるのでさらに複雑です。

というようなことを、もちろん、一人が出来るわけもなく、今後、政治学方面からも学際的に研究されるといいなあと希望しています。研究が進んだら、様々な分野でいろいろとひっくり返るかもしれないし、それはまた楽しみですね。
田中萬年先生から『「教育」という過ち』をお送りいただきました。ありがとうございます。

濱口先生が既にこの本を紹介されて、コメントの応答がされているのですが、それを見ると、田中先生が革新的教育研究者への批判という思いがあったことを書かれています。濱口先生も私を引き合いに出されながら書かれていますが、私も用語の詮索はあまり意味がないと思っていますし、大きく言えば、田中先生の教育概念によって職業が軽視されてきたという史観は間違っていると考えています。などと言い切っても仕方ないので、私がどう考えているかざっとメモしておきます。

まず、学校における職業教育と、職業訓練を分けて考えたいと思います。学校における職業教育が戦前、重視されていなかったかというと、そんなことはなくて、むしろ6・3制の前身といわれる1930年代の青年学校の義務教育化は事実上、普通教育に対して職業教育を重視した結果ともいえます。その背景には勤労青少年の存在があり、まさに彼らをエンパワーメントするにはどうすればよいのかというのが一つの問題意識としてあったわけです。

1990年代に(私の大学院の出身研究室近辺で)流行した教育社会学的な発想で考えてみると、職業訓練にはあまりメリトクラシー的な階層上層という発想はなじまないんですね。この問題を考えるときに非常に重要なのは美輪明宏さんのヨイトマケの唄だと思います。ヨイトマケの唄は、土方作業で母ちゃんが稼いで、息子が大学を出て技術者になり、親孝行したいときには母ちゃんは亡くなっていたという話です。あの物語は、決して土方で働くことを馬鹿にしていないし、普通に聴けば、労働讃歌的な側面もある。ただ、同時に母ちゃんは息子を現場労働者ではなく、技術者にさせたかったわけです。そう、それは教育社会学的に考えるところの階層上昇です。ところが、明治期に実業補習学校などを通じて職業教育を重視させた内務省の流れは階層上昇よりも、地方特に農村でちゃんと地元を担う若者を作ることに重きをおいたわけで、それはその後も変わりませんでした。これが失われていくのは戦後ですが、それは勤労教育の消滅、社会教育の衰退(ないし生涯教育への転換)とともに2000年近く続いた農村社会の終焉でもあったのです。職業ごとの価値という倫理は、おそらく石門心学が担って来たんですが、それは徐々に失われていったんでしょう。ただ、これは教育という字義よりも、欧米からの輸入物が多すぎたということの方が大きいと思います。

私は教育勅語かどうかはとりあえずどうでもよいので(というか、教育勅語だけやっても仕方なく、漢文をもう少し本格的に復活させるならまだ賛成ですが)、学校体系として戦前と戦後を比較して考えてみたいと思います。戦前の複線型体系というのは、結果的に職業の社会的な差(評価)を補強してしまったところがあります。内務省地方局は農村を重視したけれども、実業補習学校に行けば、旧制高校に行くことは出来ません。農民になる彼らにはその上の教育が必要なかったということでもあるけれども、戦前の大学出身者と実業補習学校卒では今では考えられないくらい差があったと思います。そういうものをみんなひっくり返したのが単線型です。戦後は単線型のなかにコース別を作って、かつ、そのコースを往来できるようにしようという発想がありましたが、結局、必ずしも職業や技術コースは選ばれなかった。それがなぜなのかは検証する必要があるけれども、制度的には作ったし、それを主導したのは森戸辰男で、四六答申までその影響は残っている。

もう一つ、田中先生が失業との関連で述べられているいわゆる職業訓練(古い言葉で職業補導)ですが、これについては1910年代に登場してきます。もちろん、徒弟制度だけにとどまらず、それ以前から職業能力を身につけるための訓練はあったわけですが、第一次世界大戦を契機に失業と結びついて制度的に発展したことは、少なくとも欧米先進国と日本は同じだったわけです。ただ、失業と結びついたがゆえに、失業に対するスティグマとも結びついてきたことは大きかったと思います。というか、失業についてのスティグマが解消されなければ、それに近い職業訓練へのスティグマも消えないでしょう。2000年代だって、玄田先生がニートを輸入したときにはそのスティグマを解消しようとしたわけですが、結果的にはニートという用語もミイラ取りがミイラになって、新しいスティグマを伴って拡大されて利用されるようになっただけで、結局、言葉だけではいかんともし難いところがありますね。まあ、それをいいと言っているわけではなく、不条理だとは思っていますが、人々の意識を変えるのはそんなに容易なことではありません。

何が言いたいかというと、職業訓練への偏見のようなものは、その前段階の職業差別や失業などと分かちがたく結びついていて、そういうものをトータルで考えずに、職業訓練、およびその隣接の教育だけを比較してあれこれ論じてもあまり意味がないということです。

あと厄介なのはですね、教育と労働はしばしば対立するんですが、「教育を受ける権利」というのは普通は国家権力によって学校に強制的に就学させることで児童労働からの解放をするという側面があるわけです。開発途上国では今でもこの問題がありますし、日本でも就学率が上がって女の子が小学校を卒業できるようになるには工場法の施行が大きいわけです。そして、彼女たちの労働は人間開発なんかとあんまり関係ありません。ただ働くだけです。いや、もちろん、山本周五郎の祈りのような労働観はただ働くだけではありませんけどね、そういう修行僧的なのは子どもには向きませんよ。

いずれにせよ、強制的に学校に放り込むというのはある時点では結構、重要なことであり、かつそれはまさに「教育を受ける権利=児童労働から解放される権利」と理解した方がよいと思います。しかし、今の日本はそういうところから次のステージに入っていって、みんなが強制的に学校に通うというのは良いことなの?という疑問が呈されて、いろいろ考え始めているというところです。ここら辺は多様な教育機会と教育機会確保法のせめぎあいの話と関連してくるところでありまして、ここ2年くらいでなかなか熱い議論が戦わされて来たわけで、どういうめぐりあわせかここで議論していませんが、私も考えてきたわけです。

というような歴史的経緯ももう少し整理し直す必要があるとして、その上で、これからの教育とか、職業訓練とか、そのあたりの話を考えていきたいなと私も思っています。いますが、スタートは今年の秋を過ぎたあたりくらいかな。よし、面白そうだから、一緒に考えてみたいという、奇特な方はぜひご連絡ください。一度、お話ししましょう。