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急に寒くなりましたねえ。

今日は今週末に名古屋の愛知学院大学である社会政策学会の告知です。またまたショートノティスですが、忘れていたわけではなく、どう書こうかなと思っているうちに、こんな直前になってしまいました。

10月28日(土) 12時50分から
愛知学院大学名城公園キャンパス 1102教室からです。

今回は労働史部会として分科会を立てまして、そこで報告します。私と中央大学大学院生の堀川祐里さんの二人で報告します。社会政策学会のプログラムはここにあります。これには大原社会問題研究所の2017年叢書プロジェクトで議論してきたことを発表しようという意味もあります。今回はこれ以上ないだろうというくらい事前打ち合わせを重ねました。

分科会のタイトルは、戦時労働政策の展開ということになっています。ただ、我々が考えている射程はもう少し広くて、プリミティブな福祉国家をもう一回考えていこう、その最初の準備段階にしようということでお話しします。プリミティブな福祉国家というのは、ベヴァリッジプランです。雇用と公的扶助をベースにした生活保障の体系です。それで、簡単に言えば、現在も多くの人は社会保障の問題は考えるわけですが、それと雇用の問題をトータルに考えるということはあまりなくなっているように思います。というよりは、福祉の人は福祉なので、労働分野と対話することがなかなか難しくなっている。だから、問題意識としては、ここの対話が必要だろうと思っています。

もう一つの問題として、社会政策では過去の経緯から労働政策が社会政策に含まれるということは自明のように扱われています。私からすると、学問的に位置づけているというよりは、学会党派的な妥協に見えるのですが、社会政策は労働政策と社会福祉政策というような言い方がされることがあります。ただ、労働政策とは何か、とは改めて問われていい問題ではないかと思うのです。社会政策学会では戦後創業期に社会政策本質論争があったため、抽象論から実態調査へと強調された時代があり、その過程で労働経済論に移行しようとしたのですが、これは根本的に誤りであったと私は思っています。どういうことかというと、労働経済論は労働政策論ではなく、より広い労働問題を取り扱うことになった。それはそれでいいんですが、そうなると、もう別分野なんですね。ありていに言えば、ほとんど労使関係論になってしまった、ということです。そうであれば、労働政策が何かというのは改めて問われていい問題ではないか、と思うのです。もちろん、これについては中西先生の議論なんかがあるわけですが。

とはいえ、これはあくまで私の個人的な問題意識で、分科会としてはそこまで突っ込みません。あくまで戦前から戦時期までの労働政策をトータルで考えてみようということです。

私は雇用行政についてお話しします。雇用行政の所管は実は最初から農商務省じゃなかったんですよ。という話とかをしつつ、大河内先生も参加された昭和研究会の雇用行政=職安の規定の仕方、社会事業から労働力補給機関へという位置づけは間違っていたのではないか、というお話をします。

また、堀川さんは女性労働政策についてお話しします。今まで労使関係中心のときは男性労働者とりわけ重工業中心でしたが、政策という意味では女性が中心にする話が重要になります。なぜなら、シンプルに工場法は女性と児童を対象にしていたからです。ここのところは大河内先生の出稼ぎ型論への批判があまり生産的でない形で展開してしまった影響もあり、うまく接合されなかったんですね。

堀川さんの報告はわりと詳しくされると思うのですが、社会政策学会ではフルペーパーを事前に配布することになっているので、私の報告では事実関係の詳しい話はしません。フルペーパーのポイントを大雑把に話して、議論の素材を提供したいと考えています。ですが、ここに一つの問題があって、学会員は事前にフルペーパーをダウンロードできるのですが、当日参加の学会員以外の方はフルペーパーを読むことは出来ません。ですから、もし名古屋で私たちの分科会に参加される学会以外の方は、私にメールをいただければ、事前にフルペーパーをお送りします。A4で13枚くらいです。というか、長々書いてきましたが、ここが重要なお知らせでした。

私は朝からの歴史の報告を聞きに行って懇親会まで参加するつもりなので、もし会場で見かけたら、気軽に声をかけてくださいね。
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Facebookで回って来た「日米仏の思考表現スタイルを比較する」というインタビュー記事が面白かったのと、ここのところ、Facebookのコメントのやりとりや、リアルでの大学院生にいろいろなことを伝えたりするなかで、この方法の問題を改めて考えるようになったので、そのあたりの話題を今日は書いてみたいと思う。

明治以前(もうちょっと延伸して戦前)の日本は漢文の型というものを持っていたけれども、それが失われてしまったと一般的によく言われている。今の生活綴り方的なスタイルの作文って、大正期に作られたものではないかと私は思っている。学校教育のなかで誰に言われたのか覚えてないけど、作文を日本の随筆の伝統に連ねるのはおそらく嘘、というか、少なくとも創られた伝統だろう。その推測の根拠は、この問題には丸谷がよく論じていたように口語の成立の問題が関わっており、これは間違いなく明治以降、もっと具体的に言えば、二葉亭四迷以降の話である(ただ、講談とかを含めるともうちょっと微妙だと思うけど)。生活綴り方作文は、ドイツの新教育とか、アメリカのデューイの経験主義(プラグマティズムの一つ)の影響を受けたもので、「生」とか「経験」とかを重視する流れで、だからこそ、1920年代以降に広まったんだと思うんだよね。

丸谷才一流に言えば、型の重要性を見失ったということでもあるんだけど、他方、型のありようがつまらないものを生み出すということはたしかにあって、それに対して辟易していた側面も否定できない。具体的に上げると、戦後の作文論では一世を風靡した清水幾太郎に『日本語の技術』という本があって、その本の中には紋切型の漢文で文章を書いてくる人の話が書いてあって、それよりは作文力は上がっているというのが彼の評価だったと思う(というのは、この本が見当たらなかったため)。何といっても圧巻なのは、阿部 筲人の『俳句』(講談社学術文庫)で、素人の紋切型表現をこれでもかというほど具体的に並べて、分類している。だから、型があった方がかって自由というのは、そこまで到達できる人の話で、広く言えるかというと、そう言えないと思う。

私は欧米と日本の違いは、方法論の差ではないか、と思う。たしかに、近世以前から日本には型があったけれども、それは素読のようなもので、有無を言わさず、文字通り体得するものであって、そのことについての方法論が十分に発展してきたとは言えないのではないだろうか。この分野は西洋ではレトリックとして古代から研究され、蓄積されてきた。もちろん、日本でもそういうものは輸入され、あるいは独自に咀嚼されてはいるが、十分に文化として定着しているとは言えない。それは「レトリック」がまるで詐術、そう「嘘も方便」のような意味で使われることからも知られる。

個人的には、佐藤信夫のレトリック本、丸谷才一『文章読本』の大岡昇平の『野火』だけで鮮やかにレトリックの具体例を解析して見せたもの、渡部昇一のレトリック関係のエッセイ、篠沢秀夫の文体論なんかは、20代にはずいぶん、読んで、表現方法ということについては考えてきた。テキスト分析をする人にとってはこのあたりの知識は当然、一般常識の範囲なんだろうけれども、私の周りには概念とか思想を分析する人がいなかったので、話を共有することは出来なかったし、今日書くまで話したこともなかった。渡部、篠沢は保守論客だし、左右のレッテルで思考停止してしまう人も少なくないので、そういう人たちには説明するのも面倒くさいというのもあったのだが。まあ、しかし、話をした方が有益な話が返ってくることが多いので、話せばよかったと思うけど。

体得信仰は歴史の実証史研究系の人には結構今でも生きている(私は理論の検証という意味と差別化するために若いころから出来る限り、考証という言葉を使って来たが)。なので、方法論を嫌って、方法は研究のなかに埋め込まれているという考え方の人も少なくないと思う。でも、それって掘り出してくれなきゃ、いつも議論している同世代の仲間内以外、分かんないじゃん。これと対比的なのは、コースワークで、経済学では昔、近代経済学と呼ばれて、今は主流派と自称しているグループがアメリカのそれに飛びついていったのも故なしとはしない(ただ、誤解のないように言っておくと、いわゆる近経の研究者が全員、コースワークを無条件に良いものと考えているわけではない)。東大だと経営もこれに乗った。労働もやろうと思ったけれども、失敗したという噂は聞いた。

方法論は気を付けないと、方法論のための方法論に陥っちゃうけど、そこのところに焦点を当てて、うまく深めていく研究会を組織していったのが酒井泰斗さんの一連の試みだと思っていて、私もそこから多くのことを学んで、ここ数年、研究会での発言はそういう視点からの「何を明らかにしたくて、どうやるの?」というタイプのものが多くなった気がする。

さはさりながら、歴史研究では読んだ資料の数がものをいうという側面があり、これは完全に体験なんだけど、逆に言えば、ここから先は体得するしかない、というのと、もうちょっと方法論で詰めることが出来るというのを区別してアプローチすればよいんだと思う。これ、労働領域で言えば、要は体得=OJTで、しかし、OJTをより有効にするためのOffJTの組み方もあり得るよねという技能形成の話になるかな。
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