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『日本の賃金を歴史から考える』を書くにあたって、組合の皆さんを前に、今、組合というと、世間の人はユニオンのようなものをイメージするけれども、労働組合はその中心に技能を持つ人たちがいるということこそが交渉力の源泉になっているのだから、そのことを訴えていきたいということを話した。組合の中心で働いている人たちにとっては当たり前のことだと思う。あれから、5,6年経って、今年になって初めて社会政策の講義の中で、新しい労使関係の教え方をしてみた。もちろん、異論もあると思うが、とりあえずそのときの話の一端をここで再現しておきたいと思う。

今回、組合の交渉には二つの種類があると大雑把に分けてみた。一つは、反福祉状態の回復。多くの場合、こちらがスポットライトを浴びやすい。もう一つは、最低条件はクリアしているんだけれども、それをより良いものにしていくための交渉である。前者の基盤は、日本の場合、憲法の基本的人権の尊重にある。労働関係だから、もちろん民法、各種労働法は関連するけれども、根本的な基盤は憲法にある、と説明した。では、後者の基盤はどこにあるのだろうか。ここで私が説明したのは、その人たちがいなければ事業が動かなくなってしまうような、そういう仕事についての能力を労働者側が持っていることである、ということである。

JCMの市川さんから6月の末に、IGメタルの新労働協約についての記事をまとめて、それが公表されたのでというご連絡をいただいたので、早速、これと市川さんが読んでくださったといっていた私の情報労連でのストライキについてのインタビュー記事をあわせてその日の講義で配った。市川さんとは4年前に私が書いたブログエントリにコメントをいただいて、少し議論したことがあって、その後、何度か直接お目にかかる機会もあった。ちょうど、この前の何回かというか、わりと社会政策の講義の中でILOの重要性を繰り返し説明してきたこともあり、ILOでまさにストライキ権をめぐって抜き差しならない戦いを国際的な労働運動の共闘で守って来た市川さんとの議論したことと、IGメタルの話を枕にしたのである。

この話は結構、重要なので、私としては珍しくサルベージしておきたい。いつもやらないのは、しばしばエントリを書くときは勢いで書くので青臭くなりがちで、後から読み返すのが嫌だからというのと、単純に面倒くさいだけだが、今回はそれらを上回る、ぜひこの問題は広く共有してもらいたいという思いがあって再掲する。
市川さんがコメントしてくださったきっかけとなったエントリ 
それについて私の意見を書いた「ストライキ権について

ストライキ権は、然るべき手続きに則ってストライキを行うという条件の下で担保されていること、すなわち、交渉の一手段として認められているんだよ、というところまでを話した。情報労連のREPORTで語ったことは、それを超える祝祭の話であったわけだが、そこまでは一回の講義の中では無理であった。というか、実は、労使関係で二回も使ってしまった。

ストライキ権がどういうものなのかは良いとして、その次にはストライキを打つことがなぜ交渉に役立つのか、交渉力の源泉とは何かということを話さなければならない。ここでもう少し仕事の力でまかり通ればよかったんだけど、少し弱気になって、社会的な世論の影響の話をしてしまった。これはロジックとしてはまずかったなあ。

このIGメタルの記事はすごく大事なことがたくさん書いてあって、ぜひ労使関係に関係する方や労使関係の研究者は必読だと思うのだが、絶対に学部生には分からないだろう。それは読んだ瞬間から分かった。たぶん、労働問題を研究する院生レベルの人だって(それはかつての若き日の私も含めて)、なかなか理解するのは難しいと思う。これを精密に読めるレベルに達する学生を育てれば、どの産別でも、連合でも、私としては自信をもって送り出すことが出来るが、まあ、でも、この記事、どう考えても、大学院レベルだよな。

とはいえ、記事については、分かる分からないはどうでもよく、アクティブなタイミングだったので、こんなこともやっているんだよ、というリアリティを出すために配ったところもある。労働問題は、たとえば実際に働いてみたり、職安に通ってみたりすることで、初めて理解できる側面があるので、学生の段階で理解するのが難しいところがある。私自身、テストのための一夜漬け的な勉強をしてきたタイプなので、あえて言うが、労働に関わることはテストの対策としての知識問題としてではなく、やがて社会に出ていく自分たちに関わる問題だということをだけを理解して欲しいのである。実際に問題が起こったら、誰もがその時点で真剣に悩みだす。そこで解決できなければ私が何か話していたことを思い出して、相談に来てくれれば、それでいい。

もちろん、日々、学生がどういう力を身につけたらよいのか、ということは考えていて、それについてもいつか書いてもいいと思うけれども、しかし、本音で言えば、私は教え子がそれぞれ元気で幸せに暮らしてくれているのならば、それ以上、望むことはない。だから、そのためのヒントを一つでも多く持って帰ってくれればそれでよいといつも思っている。労使関係のなかにはそういうものがきっとあるよ。

ちなみに、この枠組みでは解雇の条件闘争などのシビアな話が捨象されてしまう。
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