先日、有賀喜左衛門と一緒に買ったのが北澤新次郎先生の自伝『歴史の歯車』である。北澤先生は今ではすっかり、忘れられているが、かつて労働外交で洋行した鈴木文治の代役で友愛会の会長代理を務めたり、かの建設者同盟の後見役を務めたりした。早稲田大学商学部の創立メンバーでもある。

その北澤先生はジョン・ホップキンス大学で学位を取られたが、その口頭試問の描写がとても興味深いものであった。学位論文が通ると、その後に口頭試問になる。しかし、口頭試問をパスするには、平素親しく聴講している先生方の経済学一般の問題の他に、法律、政治の関連科目の教授や、一般常識を試す目的で文学部の教授の質問に応えなくてはならない。北澤先生は文学部の一教授から「ブラウニングの詩を読んで一貫する思想は何か」と問われ、「それはヒューマニズムの思想です」と答えたところ、ニヤニヤ笑いながら「それでよろしい」と言われたと書かれている。このエピソードから実際にどれほど高い知識水準が要求されたかは心許ない気もするけれども、描かれているのは明らかにリベラル・アーツを重んじる伝統の姿そのものだろう。

ハロッドが経済学における文学の必要を述べたのは有名な話だが(違う?)、北澤先生の本には労働経済(ないし日本では社会政策)に関わる我々にとっても興味深いエピソードがある。北澤先生がマスターを修められたノース・カロライナ大学の経済学部長レーパーは、経済学の専門学科を少なくし、英詩、英散文等を余計に取り英語の実力をつけようとした北澤先生に、こうアドバイスしたそうである。

経済学はこれからゆっくりやることにして、ノース・カロライナ大学にいるときぐらいは英文学の勉強に多くの時間をとるとよい。そうすれば語学も上手になるし、文章もうまくなる。現にアメリカでもイリー教授などは、経済学者ではあるが非常によい文章を書いている。これは英文学の素養があるからだ

北澤先生はこの教訓が後に役立ったので、早稲田でも簿記、経営学や経済学の前に文学をすこしやらせたほうがよいと提言されたことがあったらしい。ちなみに、イリーは今では知る人も少なくなったが、コモンズの労働分野における先生の一人で、ウィスコンシン・スクールの源流の一人でもある。英語だが、紹介サイトにリンクしておく。古い人だから、E-textも大分、読めるはずだ。

今は大学の性格も変わってしまったし、学問も細分化しており、教養を修めるのも大変だ。アメリカだって同じようには行かないだろう。いわんや日本をやである(そもそも大学設立の経緯が違う)。たとえば、今、丸山真男を読んで日本思想を語ることが出来るなどと言い出したら、それこそ勉強不足も甚だしいと言われるだろう。当然のことながら、各分野での実証研究は方法的にも、事実発掘においても格段に進んでいる。今は佐藤弘夫編『概説日本思想史』ミネルヴァ書房などの素晴らしい概説書も出ている。しかし、この本を知らなかったからといって別に何と言うこともない。これだけの点数が出版されている時代に全方位的にアンテナを張って、良書をあまねくキャッチするなんて夢のまた夢でしかない。なお、私見によれば、丸山はむしろ、戦後のある時代を読み解く研究対象として相変わらず重要な位置を占めている。

今は昔の夢物語。
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