『河合栄治郎』を読みながら、いろいろと感慨深かった。読んでいるうちに思い出したことだが、私もまた、当時ゼミの先生から『学生に与う』を読むべき本としてあげられ、一気呵成のうちに読んだものだった。思えば、社会思想社が倒産したのが2002年、私が文庫版を買ったのがおそらく大学3年生だった2000年であるから、本当の意味で最後の世代であろう。その当時、私は誰と語ることもなく、学問への憧れを内に秘めたままであった。すっかり忘れていた。

松井さんはあとがきにこう書いている。
大学に進学し、偶然『学生に与う』を読むことで、河合の人物と思想の虜になった。今日にいたるまで、河合研究を続けている所以である。

この松井さんの姿勢は、ここまで執念深く考証を積み上げることを可能にした原動力であり、そして、それゆえにこそ分析の甘さなどの弱点にもなっている。だが、そういうことを超えて、ここまで河合栄治郎に惚れ込んで、その思想を継承せんとするその気魄が一貫していたと聞くと、非常に羨ましいというのが率直な感想である。私はもちろん、松井さんが書かれた『戦闘的自由主義者河合栄治郎』も読んでいる。

私自身は松井さんとは全く逆に、河合栄治郎をどうやって相対化するのか、ということに重点を置いてきた。それは私が社会政策を専攻したからであり、この領域において河合栄治郎はいまだ、正当にも不当にも位置づけられていない。だが、社会政策については追々、語るとしよう。

松井さんの最初の本が出た頃から、徐々に河合栄治郎を再評価する動きが出て来た。というより、現在の大学に危機感を持つ人たち、そして、かつての教養主義の薫陶を受けてきた人たちが教養主義を考え直そうとしたのが大きい要因であろうと思う。松井さんの前著はその流れを作ったきっかけであったのかもしれない。そして、おそらく、この問題で無視できないのが竹内洋三部作(と呼ぶかどうかは知らないが)『大学という病』『教養主義の没落』『丸山真男の時代』の三冊ではないだろうか。私は実は竹内さんの本が苦手で『日本のメリトクラシー』『立身出世主義』『パブリックスクール』『立志・苦学・出世』『学歴貴族の栄光と挫折』までしか読んでいない(ような気がする。ひょっとしたら『教養主義の没落』は読んだかもしれない)。何れも真剣に対峙しなければならない本だとは思うが、正直に言うと、私はある種のエリート主義が苦手なので、敬遠気味である。ついでに言うと、私が大学院に入ったときは『メリトクラシー』が秘かに人気を集めていた。

しかし、この本を読んでこれからの時代に必要な教養主義が再構築できるかどうか、もっといえば、河合栄治郎を突き詰めることで教養主義の道筋が現れるかどうか、と問われたら、残念ながら、私は否と答えなくてはならない。はっきり言って、大学は河合栄治郎が受けた苦難の時代とはまったく別の形で、自治の危機に陥っている。すなわち、学生自治の危機である。それも当局による弾圧とか、そんな派手なものではなく、徐々にしかし確実に進行している。(続く)
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