大学の学生自治だけではなく、広い意味での自治の意義が改めて問われるべきであるが、残念ながら、その処方箋は河合栄治郎を読み込むだけではダメであろう。というか、それこそは労使関係論に課せられた使命、という気もする。河合栄治郎の意義がもし社会政策関係の人以外にもあるとすれば、教養主義、ということになるだろうか。

最初に断っておかなければならないのは、私は河合栄治郎一人を象徴的にこの問題を収斂させるべきではないと考えている。ただし、一人の人物を深く見ることで、その時代を描写するという手法はあり得るし、そういうものとして読み込んでも、『河合栄治郎』は良書である。だが、河合を範とすべきかどうかは意見が分かれるところであろう。河合は旧制一高、東大法科というエリート畑を歩んできた人であって、その内面に立ち入ってみたところで、現代の我々とはあまりにも状況が違い過ぎる。どちらが高尚かという話ではなく、質がまったく異なっている。実際、河合自身に心酔しなければ、その悩みに共感するなどということは不可能ではないだろうか。私は学生叢書シリーズも何冊も読んだが、今、必要なのは『学生に与う』一編。これを電子テキスト化すれば、それで十分だと思う。

大正教養主義の本質は突き詰めれば、いかに生きるかの探求であった。実際、この時代の教養主義を考えるとき、内村鑑三や新渡戸稲造、その他の具体的な人を思い浮かべることが出来るだろう。松井さんもよく描いているように旧制高校を中心とした大正教養主義にはキリスト教思想の影響が大きい。ただ面白いのは、日本では人間がキリストを選ぶことである。多分、この点を突き詰めて考えるならば、自身も内村鑑三の孫弟子であった山本七平の『日本教徒』が重要な導きになるだろう。ちなみに、この本は長らく著作集の一冊でしか読めなかったが、最近、角川ONEテーマ21新書で読めるようになった。

『学生に与う』にはこういう面白い記述がある。
今の学生諸君が私どものかつてありしがごとくに、東洋のもの日本のものに遠ざかるのはよくない、しかしだからといって、西洋の哲学、思想から遠ざかることはもとより避けねばならない。あの西洋の哲学でわれわれは練り鍛えられることは必要である、ことに、青年時代において絶対に必要である

大正時代のエリートの代表的存在の一人である河合栄治郎は学生時代に必ずしも東洋思想に親しんでいなかった(といっても、現在とは比較にならず、自分の中の西洋哲学との比較している点と、その後、河合が何点かを勉強した上で満足していない点を留意しなくてはならない)。しかし、それならば、この時代に日本の学問的伝統はまったく意味をなさなかったのであろうか。まったく、そんなことはない。

江戸時代以来の伝統とはどのように生きるかという規範を大事にしていた。学問をするという意味は決していわゆる「立身出世」のためではなかった。「立身」の出典は孝経の冒頭「身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以って父母を顕わすは孝の終りなり」である。現代風に訳せば、立派な行いをして世の中に知られるようになって、○○さんのご両親ですねといわれるようになるのが親孝行である、というほどのものである。初期の地方改良運動は報徳運動とも結びついていたので、この気風を幾分かは引き継がれていたが、徐々に立身出世は世の中で広く認められる=成功するという意味だけが強調されるようになった。ただし、立身出世を目指した明治以来の青年たちの中には偉くなって親孝行するという志を持つ者も少なくなかったので、グレイゾーンがあったというべきだろう。だが、その一方で学問を愛するがゆえに学問をする人々が江戸以来、隠然と日本全国には存在し続けている。

昔風に言えば、ケーベル先生が尊敬したような漢学の先生。彼らは明治、あるいは昭和の始めでさえも地方によっては小学校の臨時教員をやることもあった。実は、教養主義を支えたのは、旧制高校だけではなく、このような真面目な人々の薫風によるところが大きかった。この点、今回の松井さんの本で、小林粂三郎(小学校の恩師)や村松楽水(中学時代に教えを受けた恩師。小学校の教員)の存在を発掘しており、そういう雰囲気を伝えている。旧制高校は何となく教養の頂点に立つ存在と見做されていた。だが、実際のところ、旧制高校ないし旧制大学の教養が、たとえば何十年間も仕事をしながら自分なりに勉強を積んでいる市井の人々よりも、高級なものであったかどうかは極めて疑わしい。とりわけ、かつての仲間への見栄から本を揃え、そうすることで自分も教養主義の一員になったかのように錯覚する衒学趣味の学生は、稚気愛すべきところはあるものの、教養主義本来の趣旨から言えば、未だ偽者であるといわざるを得ない。

正規の学校制度のルートではなく、教養主義を体現したのは田中菊雄先生である。田中先生は小学校を卒業した後、国鉄の給仕をするなどの苦学を重ねられ、旧制中学校教師、旧制高校教師、新制大学教授(山形大学)になった(詳しい経歴はここ)。『現代読書法』『英語研究者のために』『知的人生に贈る』の三冊は『学生に与う』同様、広く読まれた。否、読み継がれている。たとえば、最近でも『現代読書法』はちょっと話題になっている。

読書の喜びのすべてがここにある 2009年10月4日
このエントリに触発された
田中菊雄『現代読書法』で知った新渡戸稲造 2009年10月9日
【読了】『現代読書法』(田中菊雄) 2009年10月27日

真ん中の方は、1950年代に読まれた思い出を語られている。しかし、逆に、こういう引き継いだ祖父の蔵書から読んだという方もいる。一定の人に受け継がれているのは間違いないだろう。

と、ここまで書いて『教養の思想』という本を思い出した。社会思想社から2002年に出た本だから、最後の本であろう。武田清子、粕谷一希、伊藤淳二ら往年の河合ファンだけでなく、松井さんや竹内先生も参加されている(ちなみに、粕谷さんには『河合栄治郎』という著書がある。関心のある方はこちらの粕谷一希論もぜひ参照されたい)。竹内先生の「教養の復権と河合栄治郎」を読むと、おそらくこれが『教養主義の没落』と『丸山真男の時代』の原型であろうと思われる。だが、このコンセプトでは私の言う伝統的な流れを全然認めていない。良くも悪くも竹内先生は戦後エリート文化の人である。
今の学生は難しい本を読んでいれば、そのことを隠すでしょう。私は当時、サルトルなど内容がよく分からなかったと思うのですけれども、そういうものをわざと読む、ということをしておりました。一種の虚栄心を良しとするところが教養主義にはあったと思います

あるべき理想主義と実態との落差は必ず存在する。しかし、虚栄心に満ちた教養主義ならばわざわざ復権など必要ないだろう。河合栄治郎の生き方、そのものにさえ厳粛さと同時にインテリ特有の虚栄もまた含まれており、むしろ、そういうものと真剣に取り組むことで、理想主義に殉じていくようになったといえる。河合の著作はそういう意味で解毒剤的な性格ももっている。『学生に与う』の試験の項と職業の項はそういう経験なしには書けなかったのではないかと考えられる。他方、田中先生の本はまったく偽善的なところがない。英語の先生であるから、イギリスの古典は当然ながら、菜根譚や言志四録などの東西の古典からはもちろん、通俗的な警世書からもよく引いている。

現代は本が読まれなくなっている、といわれてから既に久しい。そのことは非常な問題でもあるわけだが、他方、いかに生きるかということでは「スピリチュアル」系の本が売れたりしているので、そういうニーズがないわけではない(気が向いたら、スピリチュアル系の本についてはそのうち、論じるかもしれない)。大正教養主義の一端がいかに生きるかという問題意識を持って本を読む、ということだとすれば、大正教養主義は滅びていない。知識だけでは不十分であるというのは繰り返し論じられてきたところである。もっと広い視野から考える必要がありそうだ。

竹内先生が扱われたような教養主義をどう捉えるか、丸山真男をどう理解するか、吉本隆明をどう理解するか、1968年をどう理解するか、というような課題はおそらく、ここ数年の研究成果を踏まえながら、いろいろ考えることが出来るだろう。このような課題は当面、私の扱うべき問題ではないが、おそらく河合以後、どうして社民主義が根付かなかったのかこそが本書が次に取り組むべき現代的課題であるように思われる。ちなみに、この問題に関心のある方は鷲田小彌太『吉本隆明論』をぜひ読んで欲しい。

繰り返し言うが、旧制高校・大学に独占されるような教養主義など復権する必要はない。むしろ、まだ残っているインテリ、ないし知識人から教養主義を完全に、意識的な意味で、解放することの方が重要である。そのときになってようやく、職業訓練が単なるノウハウの伝授にとどまらず、修養の要請にも応えてきたのだという私の真意も理解されるようになるだろう。そして、この根底のところから職業教育を捉え返す必要があるのだ。そのとき、初めて本当の議論が始まる。
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