私は以前「年功賃金論における能率と生活の思想的系譜─戦時期統制における賃金の議論を手がかりとして(PDFはこちら)」という論文をJIL雑誌に書きました。元々はJIRRAで報告したのですが、論点を詰めすぎたため、司会だった石田光男先生に論点がまだ整理されていないと言われてしまいました。そのときは、反論しましたけど、あんまり親切に書いていないのは事実です。

 この論文には二つのポイントがあります。

 第一は、前提となる議論なんですが、戦前の賃金は定額給と出来高給の二種類があって、どちらが主流であるというような言い方は出来ない、ということです。この点をもう少し、敷衍すれば、戦前には日本的賃金などという概念は存在しなかったのです。

 第二は、私が論文で言いたかったことなんですが、戦時中にかけて議論されてきた昇給附定額給(日本的賃金)論には二つの系譜があり、その何れもが科学というメタ思想を共有しており、それは「標準」を重視するという点に見出せます。

 第一の論点についてはまた改めて論じることにして、今日は第二の論点について書きましょう。私が重視した二つの系譜とは、高野岩三郎以来の家計調査研究と1930年代頃から隆盛を誇った能率協会といったコンサルを中心にした科学的管理法を前提とした賃金研究です。前者の研究は生活賃金思想に連なり、後者の研究は能率賃金思想に連なります。能率賃金の話もまた、別にしましょう。

 論文に書き忘れたんですが、実は高野岩三郎の家計調査に全面的に協力したのは友愛会です。だからこそ、高野は第一回のILOの労働者代表に推薦されたとき、恩返しのつもりで受けようとしたという側面があります。高野のお兄さんは日本最初の組合といわれる労働組合期成会を作った高野房太郎です。高野房太郎についてはついに二村先生が本格的な研究を完成されました。WEB版の方が研究者にとっては有難いのです。

 話を元に戻しますが、友愛会は高野博士の研究を受けて、生活賃金の要求を主張します。これがおそらく、イデオローグ的な意味で近代日本の生活賃金思想の源流です。この大事な点について書き落としました。痛恨の極みです。もちろん、これ以前から賃上げストはありましたし、生活保証を求める要求は見られるのですが、どれも個々の事例にとどまり、大きな流れにはならなかったようです。

 統計はモデル家族を作ろうとします。つまり、ある種の「標準」です。日本の場合、最低生活の考え方が貧困線というところだけでとどまらず、生活レベルを考慮して段階ごとに貧困線を作った人がいました。安藤政吉といいます。彼は元々、東京市で統計をやりつつ独学で研究を続け、後に労働科学研究所に移り、戦時中に能率連合会に移籍します。戦時中には思想的にかなりの中心人物です。安藤の書いた『最低賃金の基礎的研究』はある時期まで生活研究の古典的存在でした(今もそうかな)。安藤については実は中川清先生が『日本都市の生活変動』の第12章に「標準生活の模索と新中間層―安藤政吉論」というとても面白い論文を書かれています。この本は大分前に読んでいたにもかかわらず、論文を書いたときにはすっかり忘れていて、引いていません。こんな素晴らしい論文を忘れているとはまったく情けない限りです。

 安藤の本を生活指導であると昔、小池先生から御伺いしたことがありますが、中川先生のご研究も基本的には「あるべき生活」という描き方で同じ線を強調されています。もっとも、安藤の本を読めば、誰でもそう思うでしょう。もうちょっと学術的な言い方をすれば、規範的性格を見出すことは難しくないだろう、ってな感じでしょうか。

 私がこんな問題を書いたのは、何も酔狂に戦前の話をしたかっただけではなく、戦後日本がかなり戦時期の議論を引き継いでいることを指摘したかったのです。戦後の日本は福祉国家化していくわけですが、そのときの重要なメルクマールは、社会政策の対象者層をどう広げたのか、という点だと考えています。当然、そのことも視野に収めていました。ご存知のように、一本の貧困線はその引き方が難しいことは当然ですが、やっぱり貧乏ということを考えています。ところが、安藤のような発想をすると、対象は貧困者層から全国民に拡大させることが出来るのです。この点で安藤の議論は思想的な先駆性が認められるのです。

 また、論文の中にはいわゆる右肩上がりの賃金を戦時賃金統制のなかで厚生省が作り出したことを指摘しました。1950年代から1960年代にかけての年功賃金論の議論の基礎データとなったのは、一時点の賃金分布です。厚生省の役人はこれをライフサイクルに読み替え、戦後の年功賃金論の先駆を作り出したのです。個人の賃金カーブをみるためには、その人の賃金キャリアを見るべきです。しかし、もし終身雇用のような状況が仮定されれば、一時点の賃金分布を個人の賃金キャリアに代替する読み方は説得力を持つのです。

 厚生省の役人はこの賃金カーブの読み方を「社会政策的賃金」と読んでいました。すなわち、明らかな政策的意図が込められたのです。個票データの分布はデータ収集によって動きませんが、それをどう解釈するかという局面、端的に言うと、どうやって方程式の線を引くかはある程度、恣意的に出来るわけです。ただし、このときの対象はあくまで製造業従事者、しかも現業者(ブルーカラー)だけです。

 ちなみに、戦時賃金統制のときに、本格的にパンチカードが使われました。ひょっとしたら、人事労務管理史的には意外とこのときの経験が大きいかもしれませんね。日本ではIBMのパンチカードを大企業が利用し始めるのは1950年代前半ですが、そのとき、こういう事務上の戦時経験がどう活きたか、興味深いテーマです。
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コメント
日本最初の組合と言われる労働組合期成会
ハイマン・カブリンが指摘していますが、労働組合期成会は労働組合の結成を促す組織であって労働組合ではありません。
2012/02/29(Wed) 22:45 | URL | hito | 【編集
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